はてなキーワード: 甘ったれとは
会社都合だし失業保険もらってから就活しようなどと甘ったれたことを考えていたが、意外と手続きや色々なことに時間がかかり月の真ん中まで出ない。
専門職で実務経験があるから転職もしやすいだろうとまた甘ったれていたが、このクソ田舎ではまず仕事がなかった。
あっても、友人らがブラックすぎて辞めた会社の求人2件のみである。ブラックだから常に募集している。
毎日朝から晩まで求人サイトを見て落ち込んでいたがあまりにもメンタルにきてしまうので毎日は辞めた。
上京するか、手取り14万程度の異職種に転職するかだが、もうどうしたらいいかわからなくなっている。今までやってきた仕事も完全なるルーチンワークで実務経験と言ってもいいか分からなくなってきた。親の脛をかじっている全く価値のないゴミで死にたいわけじゃないがフッと消えられたら楽なのになあとか考えている。
立件民主党支持者、いや野党支持者の受け身気質が最大の癌であると改めて確信した
おしどりマコの擁立に怒れる立憲民主党支持者達、あるいは野党支持者達
彼らは皆雄弁に、そして理論的に立憲民主党と枝野代表を素晴らしく批判している
優れた野党が天から降臨し、口を開けていれば優れた野党が素晴らしい野党してくれるだろうという傲慢な考え
「天賦野党説」と言うべき甘ったれた妄想にそぐわないからキレ散らかしてるだけではないのか?
今のお前等に本気で枝野を、立憲民主党を叩き直す気概のある奴は何人いる?
別に内ゲバを見たいわけじゃない、だが薄っぺらい怒りと科学的なコレクトネスを見せつけて
だから俺も怒りに任せ書き散らかした
今の立憲民主党は俺とお前等の鏡写しに違いない
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(追記)読み返したら御託くっちゃべる連中ばかり目の敵にして、風評被害の当事者の事なんざコレほども考えてねえ駄文だが、戒めにそのままにする
団塊世代が読んだであろう本(吉本隆明、高橋和巳、三島由紀夫、等々)は読んだけど、団塊世代の人生経験自体は書いてねえぞw
それよか、黒澤明とか野村芳太郎とかの1960年代の現代劇映画観てると、当時の世相が反映されてる、劇中に汚い貧乏人ごろごろ出てくるね
いっとくが、ウルトラマンとかはあえて未来的な風景を強調してるからな
あと加山雄三や植木等の映画はわざとハッピーで明るい享楽的な作風を意識して作ってる
本を読めとか勉強しろとかうるさいけど、貴殿が言う、団塊世代は1人残らず苦労知らずでひたすらハッピーで脳天気で夢見がちだったということを裏づける、具体的な作品名を挙げて欲しい
学生運動を批判的に描いた作品(たとえば1960年代に書かれた倉橋由美子の現代劇小説とか)では、全共闘の学生がいかにも脳天気な甘ったれのように描かれている、その手の描写はよく見た
しかし、俺は最初から「団塊の大多数は高卒中卒・農家とか工場労働者とか」と述べている
それら非大卒まで一切、苦労知らずでひたすらハッピーで脳天気で夢見がちだったということを裏づける、具体的な資料を作品名とか作家名とか挙げて欲しい
昨日、いや日付的には一昨日、ドアノブにスカーフを巻いてそこで首を吊って自殺を図った。
家の中に弟はいたけどよく音楽聴いてるしまあバレないうちに死ぬだろうって思って、職場に体調不良のため休むと連絡をして帰宅した五分後くらいに実行した。
でも実際は無意識にもがいてたみたいでその大きな物音に弟が気付いて、助けられた。
その時のことはあまりよく覚えていない。
首を締めると意識が落ちるから眠るように死ねるというのは結構本当だ。30秒くらい苦しいのを我慢したらそのあとはなんだか眠っているようで、弟が首からスカーフを外した時も立たされた時も、見えることは見えてたけれどなんだか夢の中みたいだった。その時、誰かが叫ぶような音がしててうるさいなあ、私は眠いのになあなんて思っていたけど弟の話だとあれはわたしの声だったらしい。
意識がはっきりした後は弟と抱き合ってわあわあ泣いた。すごく悲しくても泣かないというのが続いていたから、こんなに泣いたのは久しぶりだった。
ぼんやりと死ねば仕事に行かなくて済むな、落ち込んで自分の機嫌をとっての繰り返しに疲れたなと思って自分で首をくくったのに「あ、死ぬとこだったんだ」って実感したら自分でも怖くなって子供みたいに声をあげて泣いた。
そのあと、手足のしびれが一時間くらい取れなくてこれ後遺症になったらどうしようなんて考えていた。実際は幸運なことに首の傷と舌の噛み跡以外、自殺未遂で残ったものはない。
仕事に行きたくないこと、生きることに疲れたことが自殺を考えた原因だったけれど私は特に今まで特別不幸な目にあった訳でも、ブラックな環境で働いている訳でもない。たぶん単に心が人の10倍くらい弱いんだと思う。死にかけまで行ったのは初めてだったけれど自殺しようとしてなにかしたのはこれが3回目だったし。
生きるの向いてねえな、仕事すんの向いてねえな、と思いつつ明日は仕事に行く。目立つ首の痣はガーゼを当てて包帯を巻いた上でシャツの第1ボタンを閉めていけば大丈夫だろう、多分。仕事に行かなきゃなと思ったとたん眠れなくなったのでダラダラと書き綴ってみた。
心療内科に行ったほうがいいんだろうか。でも、いままで二度行った時は軽く不安になってるだけだと言われた。今回行ってもたぶんそう言われるだろう。全くの不眠という訳でもなし、ただわたしのクヨクヨとした性格が悪いってだけだ。世の中にわたしより大変だけど頑張ってる人なんてかごまんといる。甘ったれでクヨクヨしてるからこんなことになるのだ。努力不足だ。そうに違いない。こんな程度で嫌になるなんて、もっと大変な目にあってる人に、本当に病気の人に失礼だ。
まあ、次に自殺を図るなら誰もいない自宅や地元の自殺名所、それか夜中の公園などまず誰かに見つかったりしないところにするだろう。首が痛いからしばらくはしないと思うけれど。
入社5ヶ月目。仕事は楽しいし会社の人たちも一部を除いて大体みんないい人だけどすごく辞めたい。
意味もなく涙が出る。この前は体調不良でで倒れ途中退社してしまった。
テストでは上位10%以内で、得意教科なら1位を取ることも度々あった。
ゼミも部活もバイトも頑張って、自分で言うのもなんだけど、かなり惜しまれながら去った……ように思う。
家業を継いで欲しかっただろう家族を説得してこの会社に入った。
それなのにいまはこのザマだ。
努力をしても、結果が出ないこともあるし、結果を出せなければ評価されない。
家に帰ってからは、できなかったところの復習にあてている。
例えば、私は今までエクセルを使ったことがなかった(大学生なのにエクセルも使えないの、と言われるが、統計や表を扱う学部ではなかったから一ミリも触ったことはなかった。文学部や法学部、の人たちは内定をもらったらエクセルを使う練習をした方が良い)から、苦労している。エクセルって便利だな。
自社商品や他社商品、顧客の研究は、同期や2~3年目の人たちよりもやってる……ように思う。
それでも、「そんなことも知らないの」「難しいことを言っているわけじゃない」と言われてばかりだ。
期待に応えられない自分が嫌になる。
と、同時に「これだけやってるのにどうして」「そんなの教えてくれたことなかったじゃん」「入社10年以上と比べるなよ」と思ってしまう自分も嫌だ。
家族に相談したら、きっと辞めて家業を継げと言われるだろうから相談できない。
会社の先輩方は私なんかよりもっと仕事が多いから、甘ったれたことなんて言えない。
先輩には最近呆れられているように思う。
仕事は面白い。でも辛い。悪口や皮肉しかいわない先輩も嫌になって来た。周囲に迷惑をかけてしまっている気がしてやめたい。
やめたいと思ってしまう自分も、自分は努力しているのにと思ってしまう甘ったれた自分も許せない。きっと世間知らずだったのだろう自分が恥ずかしい。
いろんなことをごちゃごちゃ考えていると、食欲も出なくなってしまった。体調もよくない。最近楽しくない。
まあ、頑張るしかないんだろうなとは思うから、とにかく頑張ろうとは思う。
今まで嫌なことやうまくいかないことがあっても忍耐を持って頑張って頑張ったらなんとかなっていたから、なんとかなるのかな。
でもどこまで耐えたらいいんだろう。
最近は頭の中がグチャグチャだ。乱文でごめんなさい。
仕事をしていれば、そりゃ色々ある。楽しいこともあれば、気が滅入ることもある。
客相手の商売なので、面白い人と接することもあるが、ろくでもない奴の相手をすることも少なくない。
時間は守らない、必要な書類は持ってこない、自分で調べようとしない、こちらの説明も十分に理解できない。
それでいてどうでもよい些末なことには病的なレベルで細かく、こちらの回答を待つことには我慢できず、態度は横柄。
こういうやつには、誰かが「それじゃ社会人として未熟だよ」と諭してあげるべきなのだろうが、それは私の役割ではない。
本当は、「このクズが。帰れ。」と言いたいところだけど、仕事だから心を無にして、微笑を浮かべて、淡々と対応する。
それでも、こちらにはストレスはたまるわけで、不条理だな、と思う。
「こういう対応も含めての給料なんだ」と自分に言い聞かせるけれど、客は神様じゃない、とも思う。
今ぼくはネットカフェにいる。
朝は外で仕事の打ち合わせがあり、終わったあと会社に戻らず昼11時くらいからネットカフェに来ている。
マンガを読みまくっているが、どこか不安な気持ちや罪悪感を抱えたままなのでもやもやしながらだ。内容も頭に入っていない。
自分のクセはわかっている。考えることから逃げたい時にぼくはマンガを読んだりネットの記事を読みあさる。とにかく頭の中の不安を見つめないように気をそらしているだけなのだ。自分が1番わかっている。
しかも分かっているのであろうことか気はそれてない。時間がただ過ぎ去っていき、過ぎ去った時間の分後悔してさらに罪悪感が増す。悪循環でしかない、
就職してからというものテンションが上がったりノッてる時期もあるにはあったが、定期的にこういうつらい気持ちなる。常に自分に苦しめられてる感じ。なんでこんなにつらいんだろうと本当に不思議だ。
死にたくなったり、体を壊したりというほどではない。でもずっとつらい。
この状態であと数十年働けるとは思えない。だって楽しくないんだよ。全く楽しくない。笑えない。
みんなどうしてるの?
おれはずっとつらくてたまにこうして逃げて、なんとかかんとか折り合いをつけてるけど。毎日平日は休みがくるまでの苦しい期間だ。
仕事もホワイトだし、給料は平均くらいだし、友達もいるし、大切な嫁も子供もいる。しかもぼくは家族が大好きだ。早く家に帰りたい。子供ができてから嫁に虐げられるなんてこともなく本当に幸せな生活だと思う。
なのにつらい。なんなのマジで。
うちの嫁はとてもハッピーな人だ。悩んだりしないし、自分のやりたいことをやっている。別に活動的なわけではないけど、自分の人生を楽しんでいる。とても尊敬している。
常にぼくはアンハッピーだ。引け目を感じるわけではない。嫉妬している。心の底から彼女のようになりたい。でもできない。
こう書くと普段からネガティブな事を言っている暗いやつを想像するかもしれないが、普段はむしろ明るいほうだ。
ネガティブなことを考えてグジグジしてるのは無意味だと思っている。だったら行動しろと。動かないと何もはじまらないんだよと自分に思う。
なのに動けない。ネカフェでつらい気持ちに目を背けるようにマンガを読んでさらにつらくなってる。そしてどうにかこうにか自分の現状把握をするためにこの文章を書いている。
なんなの自分って?
思えばずっと「自分が思う通りに自分が動かない」というのにずっと苦しんでる。「こうすればいいのに」という自分が思うことを自分はほとんどやらない。逆にそれをやれてる時はノッている時だ。すごく楽しいと思える。やればいいのだ。
やらない言い訳をするわけでもない。いそがしいからとか思ってもない。とにかくやらない。
思考の中でも、経験としても、明らかにやればいいことをぼくはやらない。
そしてやらない自分が嫌になる。つらくなる。逃げたくなる。
甘ったれだ。覚悟が足りない。それは決してスパルタ的に寝る間も惜しんでなんてことではなく「自分が幸せに生きるのだ」ということに対して覚悟が圧倒的に足りないのだろう。
行動さえすれば幸せになるだろうと考え、実際行動をしてみたときにすごく幸せだったじゃんか。充実してたじゃないか。
でもできてないのは本気で幸せになろうという気持ちが足りないんだ。今のつらい自分をどこかで認めてしまってるんだ。なんでだよおい。つらいのは嫌だろ?幸せに生きたいだろ?嫁のようになりたいんだろ?そしてその道筋は見えてるんだろ?
じゃあやればいいじゃんか。
・ブログを書く
・イベントをやる
・会いたい人に会う
・行きたい所にいく
やりたいことはたくさんあるだろ?それをやることがお前の幸せなんだろ?
なんのハードルもないだろ?やればいいだけ。
自分がやりたいことをやることがお前の幸せだともう飲み込めよ。そしてそれをひたすらに追えよ。嫁がかわいそうだよ。あんなにいい嫁がいるのになにをつらくなってんだよ。幸せになれる土台も材料も揃ってる。それでお前は油断してんだよ。生きることに。幸せじゃなくても生きれるもんな。いっそ体を壊したりすれば動くのかもしれないけどそうなったら遅いかもしれないぞ?
お前が幸せに生きるためには「お前が幸せに生きることを本気で目指す」ことだよ。本気じゃないんだよお前はまだ。
せっかくがんばって就職して、がんばってスキルや経験を積んでるのに、幸せになろうとしてないんじゃ幸せになれないんだよ。お前のがんばりはなんのためなんだ?自分が幸せになるためだろ?
お前は昔から「まずは自分が幸せにならないと人を幸せにできるわけが無い」って思想の持ち主だっただろ?その通りなんだよ。お前は何も間違ってないんだよ。他人にもそうやってアドバイスしてたのは全く間違ってないんだよ。
お前が間違ってるのは本気じゃないことだよ。覚悟がないことだよ。本気で自分の幸せに向き合えよ。
もちろんテンション下がることだってあるだろうけどさ、そんなのは誤差だよ。日々を楽しくできればお前の人生はハッピーなはずだよ。そこは間違いないよ。
幸せになれるよお前は。お前は幸せになれる。お前は悪いところもあるが良いところもいっぱいある。そしてそれは他の人にはできないことだったりするんだぞ。それを自覚できてるだけですごいことなんだぞ。もったいないよ。
何泣いてんだよ。平日にネットカフェで自分を励ます文章を書いて泣くってやばいからな?
幸せになろうぜ。自分の人生は自分でしか責任をとれないんだぜ?
と、ここまで読み返してどうだい?
まさか自分から「本気で幸せになろうと思えてない」っていう言葉がでてきて驚いてる。
そうなのかもしれない。本気じゃないんだよ。幸せじゃなくてもいいとどこかで思ってるんだろうな。このくらいで自分の人生いいかなって思ってる。
謎の第三者目線で、仕事もそこそこ、結婚して子供もいる、もういいじゃんそのステータスだけ見るとハッピーじゃんって。だって行動するのってめんどくさいしね。確かにめんどくさいよ。
でももうわかったろ?お前はそのめんどくさいことが出来ないと幸せにはなれないんだよ。そういう意味ではめんどくさいやつだよw自分を幸せにできるのは自分しかいないぞ。お前は人に幸せにしてもらってると思ってるだろ?それは正解なようで実は違うぞ。それを「幸せ」だとお前が思ってるから幸せなんだぞ。それをコントロールしてるのはお前自身なんだぞ。
ということはお前いまそんなにつらくもないんじゃないか?本当に辛かったらちゃんとそれを変えるように行動できるやつだもんお前は。まずそれだな。つらいと思いすぎかもな。べつにいいじゃんたまにサボるくらい。そんなのは大した話じゃない。会社でダラダラやってるのと大差ないよ。そこから脱却しなきゃという力を利用しようとしてんのかもなお前の潜在意識が。
でもそれもう無駄なのわかってるじゃん。それが成功したことないよね?とにかくつらいって状態で無理やりやってもはっきり言って6割くらいのアウトプットするだろ?今までもそうだった知ってるよ。
お前が最高のアウトプットを出せる時はとにかく楽しくやれてる時だよ。細部にこだわって質を高めようとできてるのは自発的にやれてる時なんだよ。そしてそれがお前の幸せなんだよ。
さっきお前はそんなにつらくないのでは?って言ったけど、「幸せ」じゃないのは間違いないよ。なんせ自分で「幸せ」だと思えてないんだから。
どんなに社会的なステータスがあったって、他の人にうらやましいと思われたって自分が「幸せ」だと思えなきゃだめなやつなんだよ。前もきづいたよな?「自分にほめられたい」ってそれなんだよお前の本質は。
自分にほめられるってのは自分が幸せに向かって進めてるときなんだよ。それができてない時はお前は本当に自分が嫌いだよな。
でもいい事だとも思うよ。世の中には他人の評価ばかりでがんじがらめになっちゃう人もいるからな。それよりは自分の評価基準をもってるのは素敵なことだよ。
幸せに向かえよ。結果なんてどうだっていいんだよ。お前の幸せは「幸せに向かうこと」なんだよ。それだけでいいんだよ。そう言われるとめちゃくちゃ簡単だと思わないか?
結果は問わない、やりたいことをやれ
ってことだぜ?
めちゃくちゃ簡単じゃないか。世の中には自分が何をやりたいかわからない何が幸せなのかわからなくてもがいてる人もたくさんいる。お前はありがたいことに昔からやりたいことははっきりしてる人間じゃないか。
どこか僕は幸せになれると思っている、今こうしているのは、不幸に続く道だということを理解できていない。
悪を誇示しているけれど、自分の善を誇示するよりも、悪を誇示する方が楽だからそうしているだけの、弱い人間だから。
僕は彼女ほどに自信がない。
幾度となく聞いてきた「お願い! シンデレラ」を聞いて、こんなにも心を揺さぶられる日がくるとは思っていなかった。
2018年7月31日のおねシンのソロバージョンがスターライトステージで更新された。
今日更新されたアイドルは安部菜々、棟方愛海、相葉夕美、佐藤心の四人。
デレマス全体を代表する楽曲であり、何度も何度も聞いている、おねシンを改めて聞いて
こうも、僕の願いとリンクしてシンデレラになってほしいと思ったのは初めてだった。
14歳の女子中学生でありなら、女性の柔らかい部分、彼女の言葉でいう「お山」をこよなく愛している。
彼女に事前告知なく突発的にボイスがついたアニメのシンデレラガールズ劇場第二期二十三話「棟方愛海 最高峰に挑め!3番勝負!」では、
棟方愛海が同僚のアイドル三人にお山を登らせてくださいと懇願する回だった。
お山登らせてください、というのは健康的なハイキングや登山ではなく、要するに乳を揉まさせてくださいという意味だ。
こんな調子で、彼女は登場するたびに同僚のアイドル、事務所のアイドルではないアシスタントの女性、果ては触れ合い会と称してファンと、
とにかく女性のお山、胸に興味津々なアイドル、それが棟方愛海である。
どうだろう。
はっきりいって、危うい設定だと思われたかたも多いと思う。
当たり前だが、同意なくおっぱいを触るのは、女性同士であっても犯罪になりうる。
そうですね。
と、自信が出演したデレステのHARURUNRUNイベントで言っている通りである。
けれども、彼女が初登場したシンデレラガールズ劇場第70話「北海道から来ました?」では、白菊ほたるの胸を同意なく触っているようにも見える。(該当箇所はコマの外で描写されていないため、真相は不明だが)
そして、この同意をとるプロセスも、一歩間違えれば犯罪になりうるかもしれない。
そもそも「恋愛関係にある相手や結婚している相手以外の女性に、胸を触って良いか? と合意をとる」という行為自体、互いの地位に権力の勾配があればセクシャルハラスメントだ。
権力の勾配がなかったとしても、街中で見知らぬ女性に突然「胸を触って良いか?」と尋ねるのは、警察を呼ばれる。
おっぱいを触るというのは、それだけ今の日本社会ではハードルの高い行為なのだ。
どうして、こうも僕はそんな危うい彼女に惹かれるのか。
当たり前だが、アイドルマスターシンデレラガールズに登場する棟方愛海以外の180人以上のアイドルの中で、
中には人見知りでむーりぃーなアイドルや、感情をあまり表に出さない寡黙の女王なアイドルもいるが、それらと人が嫌いには大きな隔たりがある。
そういう意味で、この「人が好き」というのは、あまりにも当たり前な要素だ。
だけれども、棟方愛海の好きには、性的な意味の好きが含まれている。
人にとってそこは特定の自分が決めた相手との合意があって初めて至れる行為と、今の日本の公序良俗が決めているのだ。
そうでありつつ、棟方愛海にとっての最難関のお山とは「「ありがとうー!」の意味に近い「好き!」であって恋愛の「好き」とは違う」と「同じこと」だと語っている。
彼女には、恋愛関係を結んだその先にある性行為の一環として胸を触るべきである、というような、僕みたいな人間が思うちっぽけな倫理観はない。
ただ、そこにある、お山を触りたいだけなのだ。
大きい。
ただただ、大きい。
僕のちっぽけな欲とは格が違う。
本当に大きい。
僕は、他人と仲良くできた試しがない。
根本的に自分みたいな人間を誰かが好きになるわけがない、と思っている。
僕の中に強くあるのだ、僕みたいな人間を好きになる人はいないと。
性行為はその先にある行為なのだから、僕には一生縁のない行為なのだと。
(ソープに行け的な話は全く意味が違うし、行ったことはある、そういう話を今していない)
そして、そんな自分が誰かに好意を向けることもまた、おこがましいとしか思えない。
僕が誰かを好きになるということは、その誰かにとって不快で気持ち悪くて、犯罪なのだ。
それでありながら、僕は性的にムラムラすれば、風俗に行くこともある。
イライラをムラムラに変えては、女性がひどい目にあうポルノを楽しむ日もある。
これが矛盾でなければなんなんだ。
そうして、そうさせる僕の中の男性性ともいうべき忌むべき概念が心底嫌いだ。
けれども、それはもう分かち難く僕の中に根付いている。
おっぱいを触りたいなあ、と思ったら、触らせてくださいと交渉する。
そうしたときに、自分が嫌われたらどうしようなんて、うじうじと悩まない。
否定されたら否定されたで、それだけの話と割り切っている。(ように見える、本当はどうかはわからない)
とても、羨ましくて、とても眩しく見える。
僕は、そうやって、他人を好きだと言えない。
そういうことで、その誰かの気持ちを暗くさせてしまうとしか思えないから。
そんな彼女が歌う、おねシンの「心にシンデレラ、私だけじゃ始まんない」はひどく重く聞こえる。
棟方愛海がただ一人で無人島に漂流したとき、そこにいるのは棟方愛海だろうか?
究極的に言えば、それは違うナニカになると僕は思っている。
棟方愛海は、自分とアイドル、自分とアシスタント、自分とファン、自分とプロデューサー。
島村卯月が世界最後の人間になっても、彼女が笑顔でいれば、それは島村卯月だ。
渋谷凛が世界最後の人間になっても、彼女が蒼ければ、それは渋谷凛だ。
本田未央が世界最後の人間になっても、彼女が三つ星ならば、それは本田未央だ。
だけれども、棟方愛海は違う。
棟方愛海が最後の一人になったら、それはもう棟方愛海じゃない。
最後の一人になって「お山をもう登れないこと」を嘆く棟方愛海は、もうそのイデアを喪失している。
だから「私だけじゃ始まんない」のだ。
断じておきたいが、これは、一人じゃ輝けないといっているんじゃない。
愛海のその、人を好きな様に僕は惹かれているといっているんだ。
僕は、性欲が嫌いだった。
こんな欲で誰かを不幸にするぐらいなら、どこかに消え失せて欲しかった。
だから、女性もこのような欲を抱くことがある、そしてそれをどこか身勝手に露呈することもある、ことを例えそれが創作物の上だとはいえ、自由にしている彼女の様がとても魅力的だった。
自分のように、内心にこのような欲を抱えることを恥じたり悩んだりしない様が魅力的なんだ。
そして彼女個人であって、その主語をそれ以上に大きくしては、絶対にいけないのだけれど。
そう、この主語は大きくならない。
もし、僕が女性なら、この主語を二つに増やせられる可能性があった。
僕は汚らわしい男だから。
彼女に寄り添って、嬉しいことを掛け算して、辛いことを割り算することもできないから。
彼女を否定する言葉に「いやでも実際私は女だけど、女性の胸を触りとと思うよ」と彼女を支えることすらもできない。
僕が汚らわしい男だから。
好きなんです。
好きでいる間だけは、眩しいから自分の中の気持ち悪いのが見えなくなって、ただただ嬉しい気持ちでいっぱいになります。
私ら摂食障害持ちは何年も過食嘔吐と拒食繰り返して苦しんでるのに
お前はただ自制なくダラダラ食べて、毎日毎日グダグダ 自堕落な生活続けて、その結果ぶくぶく太っただけじゃん
ストレスで我慢できずにお菓子食べちゃって太りました〜って当たり前だろ
呑気にお気楽に暴飲暴食繰り返して百貫デブになっただけで摂食障害名乗るとかクズ過ぎて逆に尊敬するわ
そんなの際限なく食ったら誰でも太るに決まってるだろ
お前は過食症って大量に食べるだけだと思ってるんだろうけど代償行動ってものが起きるから過食症のせいで何10キロも太るなんてことは無い。体重や体型は変わらないまま症状だけがひどくなる、だから拒食症より変化をわかってもらいづらくて苦しむって人もいたよ。
私みたいに拒食症と交互に起きるタイプなら過食しても吐くし、飲み込むことすら出来なくなるし、ずっとそんなんばっかりだからガリガリにやつれていくんだよ。痩せてるとかスリムなんて綺麗なもんじゃない。醜いよ。大嫌いだよこんな自分
これは私だけじゃなく同じ症状で悩んでる子フォロワーにもたくさんいて、みんながそれぞれ同じような悩みとたたかってる。
本当の摂食障害持ちの症状や悩み、苦しみってこういうのなんだよ。つまり何が言いたいかってお前みたいな摂食障害患者あり得ないんだよ。ただの肥満のくせになめてんのかクソ巨デブ
通院もしてる、治したいと思って努力してるけどそれでも過食嘔吐とか拒食に苦しんでる摂食障害持ちの気持ちわからないくせに
ただ馬鹿みたいに食って太った自制心のないお前のだらしなさを正当化すんな
何がムカつくってどうせ暴飲暴食やめたり運動したり努力次第で治るただの肥満のくせに、まるで私たちと同じ辛さ苦しさを抱えてるみたいな、あたしが太ったのはあたし悪くないんです太りたくて太ってるんじゃないんですわかってくれるよねっていうその甘ったれた根性がムカつくんだよ
お前のそれは病気なんかじゃなくて
ただの怠慢、甘えなんだよ
お前みたいなクズが、自制心のなさの言い訳に摂食障害を簡単に使うせいで世間からの摂食障害に対する誤解や風当たりが強くなっていくんだよ
本当の摂食障害のつらさわからないくせにファッション摂食障害やめろ
お前の甘えと私たちの苦しみ一緒にすんな