はてなキーワード: 最近とは
向上心と幸福度の相関が薄れてきて、向上心を保てなくなっている…。仕事での出世と幸福度の相関が明らかに薄まってきたように感じているからだ。年収がある程度の水準に達した頃から、収入が直接的に幸福に結びつくことが少なくなり、逆に周りとの比較に意識が向きがちになっている。以前は、常に次のステップを目指し、他人との競争がモチベーションとなっていたが、最近はその考え方が自分を幸せにしていないことに気付き始めている。
これまでのキャリアを振り返ると、特定のプロジェクトに集中し、課題を克服して目に見える成果を出せたときにこそ、最も充実感を味わっていたように思う。特に、困難な局面に直面しながらも提案を改良し、関係者との協力を通じて良い結果を得られた経験は、非常に大きな達成感をもたらした。単に昇進や収入の増加では得られない、心からの満足感があった。
今、自分の目標は少し変わってきている。技術や革新が社会にどう貢献できるかを広め、社会全体にその意義を伝えることが新たな挑戦の一部として感じられている。これからの向上心は、外的な成功だけでなく、内面的な達成感や社会に対する影響力に焦点を当てるべきだと考えるようになった。それが、私自身の本当の幸福に繋がる道なのかもしれない。
※はじめに、この話はなんの比喩でもありません。
結構前から、小学生の背負うランドセルの色が多様になってきてるよね。30代の私は、小学校入学した時は同級生みんな赤か黒だったけど、私が高学年になるくらいにはピンクや水色の女子達が入学してきてた。最近は、男子も色んな色のランドセル持ってて、いいよね〜…。
でも、
人に説明できるような理由なんてない。ただ、男子は赤ランドセルダメでしょ。だって女の子の色だもん。だって私は赤ランドセル背負って小学校行ってたもん。ダメだよ。気持ち悪い。
赤が好きなのは別にいいけど、それをランドセルでやる必要なくない?近所にもいるんだよね、赤ラン男子。背中から見るとさ、一瞬女子かと思うじゃん?ややこしいことするなよ。
私には幼稚園児の息子がいるけど、ランドセル買うって時に赤は絶対選ばせない。6年間も、自分の息子が赤いランドセル背負って登校して、近所の人に見られ続けるなんて、あってはならないこと。そんなの恥ずかしすぎる。「あそこの家の子、男の子なのに赤いランドセルなんだねえ」って思われるでしょ?耐えられないよ。普通じゃない。変な子って思われる。赤ラン男子の家の教育はどうなってんの?
でも、私はこの話を人に言ったりはしない。
例えば親戚の男の子が赤いランドセルを買っていたら、「かっこいいね〜!」と言うだろう。
だって、赤ラン男子反対なんて、今のご時世言ってはいけないと分かってるから。
リアルでは他人に絶対言わないし、SNSでもそんなこと投稿しない。
だけどもし「男子赤ランドセル禁止」を掲げている政治家が立候補していたら、私はその人に投票する。投票してしまうと思う。
誰にもこんなこと言えないけど、明らかに今の時代に合っていないけど、こんな意見正しいとは自分でも思ってないけど、
その候補者を支持していることも、もちろん誰にも言わない。政見放送でこんな馬鹿げた公約を口にしていたら、ネットで炎上するだろうし、「誰がこんな奴に投票するんだよw」ってみんな言うと思う。なんなら私もそうコメントするかも。
だけど投票する。
そんな人当選しないだろうけど。
赤ランドセル禁止条例について、きっとこんなことを言う人がいると思う。
・これに賛成してる奴、もう小学生じゃねえだろwwww
・自分が、男の赤ランドセルが嫌いだからって、他の小学生達には関係ないでしょ。
・小学生男子が赤ランドセルを使うことによって、賛成派の大人達になんの影響があるんだよ。お前らの生活、何も変わんねーよwwww
いや全部その通り。ぐうの音も出ないほどの正論。私はなんのロジカルな反論もできない。
ただ嫌なだけだもん。
近所に、赤いランドセルを背負ってる男子小学生達が普通にいて、なんの違和感もなく当たり前に受け入れられている。男子のランドセルの選択肢として、他の色と全く同様に赤色が存在している。そんな世界は、気持ち悪いから、絶対に嫌だって、ただ思ってるだけで。
私だけなのかなって思う。
もはや、そんなことに文句言ってる大人は存在していないんだろうな。ネットで「赤いランドセル 男子」で検索して、私の代わりに誰が否定してくれよって思うけど、誰もそんなこと言ってない。私だけが頭がおかしくて、だけど自分の意見をを公の場で言うこともしない。
だって、そんなこと言ったら、赤ラン男子や、その親・祖父母・友達が、傷つくかもしれないから。
私はきっと、「気に入らないなー」と思いながら、この変わった世界を受け入れていくしかないんだと思う。
だけど、赤ラン男子禁止条例に賛成している政治家に、私は投票するよ。
間違ってるってちゃんと分かってるよ。
でも、投票用紙がこんなカスにも配られて、秘密投票なんだから、票を入れるよ。
水ダウのコロナのやつとか、何なら茶化してるまであるし、「インターネットの声なんて無視したら何も問題ないし影響もない」という事に業界が気づき出してる気がする
[追記]
これは間違いないです。妻は、相当な時間と労力を家づくりに突っ込んでいますので。
これは知らなかった。私が妻を介護、または妻が私を介護するときに役立つことを期待。
うちのは、キッチンはLIXILで食洗器はパナソニックなのだが、後から交換はできるようだ。
が、10万とか20万とかかけて交換するのは、ちょっと。。と思い今に至ります。
知らなかった。ありがとう。
仕事で英語は使うのだが、ビジネス用語しか話せなくて、日常用語全然知らないんだ。なすをエッグプラントということを昨年知ったよ。
妻がもの多い&捨てられないので、収納はいくらあっても足りない状態。
ウォークインクローゼットあります。妻の服がびっしり入っている。パントリーはないです。
これ、いくつかの工務店から提案をもらったり、YKKAPのショールーム行ったときは興味持っていたのだが、
予算的に最上のものは無理だなーと分かった段階で、あまり興味もたないことにしました。
安価な建売戸建てよりはよい数値だが、気密性にこだわりまくった家よりは低い数値です。
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[ここから本編]
今年、2階建ての新居を建てた。
妻が戸建てが欲しい欲しい欲しい、というので任せていたら、土地を見つけてきて、あれよあれよという間に家が建っていました。
おおむね、後悔はないのですが、「よかったこと」と「今思うと、こうしておけばよかった」を共有。
間取りに関する不満を言うことがなくなった。よかった。
200Vなのでパワフルで早い。
引き戸だと、ドアの開閉部分の面積を気にしなくてよいので、部屋が効率的に使える。
とはいえ、家全体の機密性はやや高めなので、そこまでデメリットには感じない。
むしろ、部屋の暖気(または冷気)が廊下にもれて、廊下が適温になっていたりする、よいこともある。
こだわると非常に高くなるので、「やや気密性が高い」程度で落ち着いたが、前の家と比べて冬は暖かい。
夏は冷房効率がよく、相対的に涼しい。ただ、2階の冷房をしていないときはクッソ暑い。
でもいいの。寒いのが苦手なので。
物が多い妻が考えただけあって、収納が多数。実際はこれでも足りなくて、庭に倉庫を買ったが、これで足りたので良かった。
屋内収納が今より少なかったら、とても大変だったので、妻に感謝。
前借りていた戸建てでは床下収納があったのだが、床下収納には使われないものが多数収納されており、かつ、妻が「処分したくない」というので、開かずの間のようになっていました。
しかし、新居では物が増えたため床下収納があればスペースをより有効活用できたなと思う。
以前住んでいた賃貸戸建ては30年前に建てられた家だったので、コンセントの場所が少なかった。
よって、おおむね3倍くらいに増やしたのだが、これでも足りない。
というより、新居に入居する前と、入居した後実際に家電を使い始めた後では、「ほしいコンセントの位置」が結構違う。
「ここにはいらなかったかも」という箇所がある一方、「ここにつけておけばよかった」という箇所もある。
よって、「とりあえず、ちょっとでも気になった場所には、多めにつけておく」のがよい。
前の家は60Aで、エアコン、食洗器、除湿器、炊飯器、浴室乾燥、乾燥洗濯機などを同時につけると、よく電源が落ちていた。
今回は60A以上にしようと思ったのだが、工務店が「最近のエアコンは省電力だから、まずは様子を見て、足りなくなったらアンペアあげたらどうか」というので、まずは60Aにした。
つもりだったが、なぜか50Aだったことがこのまえ発覚。工務店なにしてるの。。
電話一本で50Aから60Aにはあげられたが、100Aにあげるのには追加工事が必要で数万円かかる。
まあ、アンペアをあげられたのはよかったが、数万円無駄になった。
白っぽいコンクリだが、夏はとてもまぶしいし、タイヤの擦った跡などが目立つ。もう少し灰色っぽいほうがよかった。
(そもそも色を選べるのかは知らないが)
これまで後付け食洗器を使っていたが、これをビルドイン食洗器に変更。
50L容量だったものを、60Lにするはずが、ショールームでサイズを測った後になぜか「40Lでもいいな」と思ってしまい、ダウンサイズ。
天井近くという、いわばデッドスペースに収納をつけておけばよかった。天井裏の床板の補強とか必要なので、後からやろうとするとコストたくさんかかりそう。
吊り戸棚をつけることが決まっていなくても、とりあえず補強だけはやっておけばよかった。
天井近くの明り取り窓はスモークガラスにすればよかった。隣の家の人から見えてしまうかも、と時々気になるので、結局カーテンでふさいでしまった。
日記 購入手続きした物の支払い期限が明後日だがキャンセルするか
買い物依存症じゃないがストレス発散目的で疑似購入体験がしたかっただけで、数日経過したら本当に欲しい訳じゃないんだなと気が付いた
このまま期限切れキャンセルしても多分半年以上先まで再び底値にはならないから「買っときゃ良かったのに」と薄ら未練になるか、
届いても試着するだけで実際使わないので結局安物買いの銭失いになる二択だと分かってる
最近何が欲しいのか、何も欲しくないのかも分からない。喜楽が抜け落ちてると言える
先々に何の楽しみを作らなくても生きては行けるんだなって実感を得る
最近は国税庁の方針で全国的に事業者への特別徴収の徹底が呼びかけられてて厳しくなってる
https://www.tax.metro.tokyo.lg.jp/kazei/tokubetsu/about.html
この人のプレイングやコメントは参考になるなぁと思って見てた配信者が暴言配信者に成り果ててしまった。
最近は肝心のプレイングも身が入っていないのが丸わかりで当然のごとく負けが込むんだけど、そのたびに対戦相手や運営に当たり散らしている。
思えばスキル構成を自由にいじれるゲームにもかかわらず構成が完全固定になった頃から既に暗雲が立ちこめていたけども、いよいよ行き詰まってしまった。
ずっと買ってた餃子がまた値上げですね。
観測範囲で450円から550円で上がったなぁ~と買っていたのが今日600円になってて、うーん、600円…。お肉買って焼いたほうが満足感でるんじゃないか?と見送ってしまった。
その間お賃金は上がってないしね。
内容量減らしてないのはいいんだけどね。
まぁ同じメーカーの別の餃子は値段据え置きで180gから150gになってこっちも買わなくなったんだけど…。
手軽で美味しいから結構日々の楽しみにしてたゆえにこれから餃子を食べないことにしたのは落ち込むけれど、まぁ気分と財布のダブルパンチよりはね。
スクエニの戦略としてドラクエがキャラの露出でCEROが全年齢ではなくなるのは嫌だから、十数年前から女戦士に黒インナー着せたりで露出を減らしてきた。
今作はドットキャラをビキニに見せたいから、ドットで存在を消せる肌色インナーにして、全年齢で高露出キャラのドットを再現しましたドヤ!的な感じでは。
最近は街場のケーキ屋のクリスマスケーキなんて前払いが普通じゃね?
無断キャンセルの害が大きすぎるし、クリスマス期間何日かは通常営業しないことが多いし
当日受け渡しにクッソ忙しいのに金のやり取りしてられんってのもある
俺「あのA技術凄いですよね」
馬鹿「でもあれとかあれの問題あるよねやっぱB技術のほうが良いよ」
実際そうだけど、成熟してもう進化しないものより、進化改善の余地があるものを推測できないのか?10年後を想像できないのだろうかと
iPhone登場時、こういうやつらがいっぱいいた
今だとAIの指が6本とかみてAIは糞とか笑う連中とか、EVの航続距離を笑ってるやつらとか
おそらくこういう人は100年前に自動車をみて、馬のほうが良いとか言ってたと思う
50年前に電卓見てそろばんのほうが良いとか言ってたに違いない
30年前は地球温暖化を否定してたんじゃないかな?ようやく最近実感できるようになったけど
これは身バレになるのでいえないのだが分かりやすく政治でいうと
みたいな感じだ
ネットでもやたら選びたがる連中が多い
変動しない分野で優秀扱いされてたタイプ
増田を書き終えて「この内容を登録する」ボタンを押して記事を投稿する際、おそらく更新中にせっかちな俺がボタンを2度押しするのが理由だと思うが、同じ記事で2度投稿してしまうことがある。類似の事象は、投稿済みの記事に誤字を見つけて修正する際にも起きたりする。
これは、操作する側が意図しない挙動で、シンプルに言えばバグだから、はてな側に対応して欲しいと思うのだが、こういう「二重投稿」状態の登録に対して、「二重投稿必死だな」みたいなトラバを飛ばしてくる輩が最近多い気がする。
つい昨日も、俺が渾身の増田を書き終え、満足感と共に投稿ボタンを押した際に、やはり不幸にも二重投稿となってしまったのだが、その際も奴(ら?)に見つかってしまい、二重投稿を揶揄されることになってしまった。この際は、俺も二重投稿の事象や、この手の監視人のことを煩く感じ始めていたので、投稿後にすぐ、おそらく1分程度で重複して登録された側の記事を削除したのだが、奴は、その一瞬の隙で俺の二重投稿を探し出しだと思われる。一体どうゆう仕組みやらでこれをやっているのだろうか。
その宗教の中でも格の高い役職に属していた母方の祖母は、俺の母にも幼少期から教えを説いたが、曰くその頃は特に信仰が厚い訳では無かったらしい。
寧ろ貧乏な家なのに樒や仏壇なんて買うのは、と口には出さないまでも思っていた時期が大半で、高校を卒業後はすぐ働き、各所に旅行に行くのが趣味だったそう。
そんな中、同じ会社に属していた父と結婚をし、一人目を授かったが、妊娠が半年を迎えようとしていた頃に胎動が消失してしまい、この世に生を受ける事は無かった。
二、三年後に時を経て二人目を授かり、無事出産に成功した、それが俺。
俺は産まれながらにして酷い皮膚炎だった。
当時専業主婦だった母は色んな病院に通っていたが治る事は無く、万策尽きたかと思った所に、ふと実家の宗教を思い出した。
小さな仏壇を購入し、毎日100回、みたいなノルマを設定して祈っていたそう。
すると俺の皮膚炎は、奇跡の様に治って行った。
俺が物心付く頃には、周囲の人間は子供も大人も母と信仰を同じくする人達ばかりだった。
誤解されがちなのだが、こういう集まりは普段からずっと信仰の話をしている訳ではない。
寧ろ世間話がメインで、そういう話が出てくるのはお悩み相談みたいな雰囲気になった時のオチとして「祈りつつ頑張りましょう」の一言程度。
感受性が嫌に高い子供だったから、蝉の死体を見て自分も死ぬの怖いな、と泣きながら集まった日の集まり、ふと気になって「死んだらどうなるの?」と、老婆に聞いた。
曰く、「死んだら死後の世界で成仏して、また魂がもっと幸せになって、現世に戻ってくるんだよ」と答えてもらった。
その時はなんだか、死んでも良いんだ、という気持ちになった。
小学校に進学した後、10人で町内鬼ごっこをしようという話になった。
俺が鬼になり、運動神経は良かったので、5分もしない内に捕まえたのだが、捕まえた相手が鬼ちゃうし!と言って俺の顔面を殴って、逃げ去って行った。
自身の事を全肯定してくれるコミュニティに身を置いていた俺が味わった、初めての理不尽のあの感覚は、今でも忘れられない。
幼いながら、今すぐ消えたいと思った。
不思議と涙も出ずに家に帰り、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま台所下にある包丁を取り出して、怖がりながら自分の腹に刺した。
刺し所も強さも死ぬには足りる訳もなく、垂れる血をしばらく眺めていた。なんだかすごい事をしてしまったな、という気持ちになった。
何故包丁を取ったのかという経緯を話せと言われて、鬼ごっこで鬼を変わってくれなかったから、と答えた。
生まれて初めて、物凄い剣幕で怒られ、頬を殴られたのを覚えている。
誰も自分の事を分かってくれないんだという絶望感でいっぱいで、何も言い返せなかった。
ここで違うと言えなかった事が、俺の人生の分水嶺だった様に思う。
今となっては知る由もないが、あの時母親の目には、俺は殺人鬼予備軍にでも映っていたのだろうか。
中学生になる頃には、父親のパソコンでネットを見るのが趣味になっていた。
当時のインターネットの、分からない言葉で喋る、色んな価値観の人の話を見るのが好奇心旺盛な俺にはぴったりだった。
そんな折に自分の宗教を調べると、カルトという言葉が目に付くようになった。
その頃はその宗教内の地域代表みたいな扱いを受け、遠征なんかもしていたが、宗教の家系だといじめられていたのも相まって、そんな扱いや環境に疑心が芽生え始めるのに、そう時間は掛からなかった。
高校生の頃には、反抗期も相まって集まりには行かなくなっていった。
その頃には自分には妹が居て、妹が俺の代わりに宗教面の家の顔になっていた。
部屋に入って来る母親から「産まれなきゃ良かった」と呟く声がよく聞こえてきた。
じゃあ俺じゃなくて、俺の兄貴が産まれてれば良かったのか?と、内省的な俺の中でずっとリフレインしていた。
どんどん不眠気味になり、朝無理矢理身体を起こして図書館かゲーセンに行って寝る生活をしていた。高校にはあまり行かなかった。
学校に行ってない事がバレて、話し合いをするという事になった。
全てが面倒臭くなって、死のうと思った。
海が好きだったので、海で死のうと思い歩いて行ったが、途中で海を見に来たのであろう人に止められ、ズブ濡れのまま家に帰った。
色んなものがフラッシュバックして辛くなって、人生で初めての野宿を決意し、浜辺にあるベンチで寝た。
これがホームレスか、とか、クソ寒いし起きたら死んでてくれねえかなとか思っていたのをよく覚えている。
途中で色んな人と同居したりはしていたが、本当の意味での一人暮らしは初めてだ。
最初はこんな俺でも、一人で暮らせるのだ、やっとあの呪縛から解き放たれたのだと感じた。
けれど実際は日に日に昔抱いていた希死念慮が強まっていく。
言った所で何が変わる訳では無いし、これから先もやっていくなら付き合っていかなきゃいけない感情なのだけれど、俺はその割り切りや、言語化や、付き合い方みたいな物を、少し特殊な生い立ちや環境を言い訳に見ない様にして来たのだと思う。
漫然とした生き辛さみたいなものは、こんな文章を書いた程度でどうにかなるものじゃないと思ってはいるが、いつかなんとかなるといいなあ。
最近は少し気が落ちていた事もあって、内省的な性格が災いして凄く辛くなっていた…ので、今一度振り返る意味を込めてこんな文章を書いてしまった。
それをふと他人に見てほしくなって、色んな反応を貰えて嬉しい、改めてありがとう。
せっかくなので、貰った言及に少し返答をしてみたいと思う。
>家庭環境の割りにはまともそうに見える
昔から凄く(今も)自分がどこかマイナスであるという自覚が凄くて、普通とか、まともとか、そういう人になりたい気持ちが強いので、その言葉が凄く嬉しい。
今もその訓練中だし、それが少し報われた気もする。ありがとう。
>宗教が嫌なら宗教にハマってなさそうなお父さんに助けを求めれば良さそうだけど、お父さんじゃ埋められない何かがあるんだろうか。 お父さんがお父さんとして機能していないから、...
父親は宗教に無関心だったし、キレると手が付けられない人だったし、人として尊敬はしているけど、俺が人間としてそこまで得意ではないタイプの人なので、避けて来たのがある。
加えて父親も幼少期に凄く苦労していた事もあって、子に対してもパートナーに対しても、自分の金でなんでもやっていいよ的な放任主義だった為、助けを求めるという事へのアンサーは、「考えた事もなかった。」
>・宗教3世であることは要素として関係ないこと。ただの親と子の関係の話(=幼少期のストレスとかの話)
これに関しては、もう時効だから言うが幼少期にあった、町内にある自分達とは異教の人達の家を無理矢理引っ越させるよう仕向けるとか、選挙カーをチェイスしてずっと横で爆音の曲を流して音を相殺するとか、イベントの為に男の俺が一ヶ月間ヒールで生活した話とか、色々あって、幼少期の可処分時間がほぼそういうイベント尽くしだったというのもあるんだが、今回は省略させて貰った。
>・冒頭のほとんどを占めるエピソードは伝聞であり、親の態度を考えるに、かなり美化または歪曲している可能性が高いこと(みるみるなおったくだりなど)。
実際俺もその可能性は考えたが、周囲の誰に聞いても(父親に聞いても)その通りだったので、多少の脚色はあるかもしれないが、概ね事実に即していると思う。
タイミングが良かっただけで神の恵みとありがたがれるのだから、良いなあと思う。
>・要するに育った環境ではなく、親の性格の話をしているように思われること
これは本当にそうだな、と感じた。
ずっと親の事を直視するのが怖かったから、宗教というフィルター越しで見ざるを得なかったのだと思う。
多分、それを自覚した今も、俺はフィルター越しにしか見れないと思う。
ありがとう、向き合えてるかは分からないけど、今日も仕事から帰って来て、自分でボロネーゼを作って、いつもより粉チーズを多めに振って、それを食べながらこの返信をしてるよ。
それだけの事が、今はただ嬉しい。
>あー、またひとのせいにしてるー
これは本当にその通りだ、我ながら本当に幼稚だなと思っている。
幼い自分にとって一番の味方だった人が産まれながら他者受容100%のコミュニティに入れてきて、現実がそうじゃないと知って全部ちゃぶ台をひっくり返されたあの瞬間にとても耐えられなかったから、全部宗教のせいにした。
これから先も、今の漠然とした俺の生き辛さ含めて、一生宗教のせいにし続けると思う、親のせいにするよりはよっぽど救われていると思うから。
自分のこういう宿痾みたいなものを、押し付けるよすがとして宗教を選択している時点で、俺も信奉者と大して変わらないのかもな