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2023-08-23

席はなく廊下に立ってかろうじで聞こえてくる雑談一生懸命メモしました。これが自分クリエイティブ作品です。なんて臍で茶沸きまっせ。

2023-08-22

全然したことがないけど距離比較的近い無愛想な知り合いな対する対処

同じ保育園の親で、クラスは違うのだけどよく顔を合わせる

保育園外でも行動範囲が似てるのかまあよく見かける

しかし全く接点がない

互いに顔だけは認識してる

廊下ですれ違う時は軽く頭下げるくらい

向こうはスルー

こういう、全然仲良くない、いわば他人なんだが認知してる人ってどういう接し方が良いの?

頭もさげんほうが良い?

下手な知り合いより態度に困るんだけど

私、病的かしら?

救急車が来てて

ぶっ倒れた人がいたんだけど

足が真っ白だった

あっこれ廊下ポスターでよく見るレイノー現象では?って思ったんだけど

なんだろね

普通に熱中症かな

2023-08-21

日記『ひからびる』

ドアを開けたらカラカラカラーっと転がっていって、何かと思ったら乾涸びたカメムシだった。

どうやらよく日の当たる廊下で、水にもありつけずに焼き殺されたものらしい。

ドアから漏れエアコンの、わずかな冷気をたよりに引っ付いていたのだろうか。

ティッシュペーパーで撫でるだけでふわりふわりと飛ばされる軽さに、自然動物には耐えられない暑さを改めて思った。

2023-08-18

すぐ物を失くすんだけどなんとかならん?

まり、さっきまで手に持っていたはずのものが、いつの間にか消えてるの。

手品みたいに。

ふしぎだよね?

こないだは、スーパーの会員カードカードケースからとって、廊下を歩いて部屋に入って、財布を取って、そうしたら会員カードが消えた。

手品みたいだ。

必死で探したら、エコバックの中に詰めてた、空牛乳パックの束の間に挟まってた。

意味不明ズボンポケットに入れろよ。

知り合いに借りた自転車の鍵が、数分後に失くなって、一時間後にゴミ箱から出てきたこともあったな。

いつものことなんですけどね。

でも困ってるから、誰か助けて。

今日の寝起きの時に昔のことを思い出した

中学生の時に、同じ部活のやつが不良グループみたいな連中の1人によく絡まれていた

いじめまではいかないが、陰湿からかいで、悪い時は廊下で軽く蹴られたりしていた

おれはどういうわけか、それが気に入らなくて、見かけたら割って入っていた

あるとき「止めるなら代わりにお前が受けろ」と何発か蹴られた

それでもおれはムカついて向かっていった

喧嘩なんてぜんぜんしたことがなくてクソ弱いのにね

今になって思うと、なかなか気骨がある行動だ、悪く無い

昔のおれが誇らしい

実家掃除してきた

実家、北国の農家の家なんだけど築100年たってる

去年祖母が亡くなって父の妹や姉から「遺品の整理したいけど荷物多すぎてわかんない」って言われたんでGWからお盆にかけて仕事の合間に数日滞在して片付けに行ったんだよね

家には両親と兄がいるけど70超えてるし、仕事も忙しいしで全然手をつけられなかったって話をしてた

冬の間の実家は使ってる部屋以外は冷蔵庫みたいなもので長時間片付けられないし、夏は忙しいか祖母遺品整理はできてなかったって話

遺品整理って行っても祖母も両親も片付けられない・物を溜め込む・捨てないタイプの人で結構大変だった

生きてるうちには布団とか捨てないし、兄や私が使った学習机ではない机とかベビーベット貰ってきて何かに使える、あんたたちが家族できたら使えるとかっていって何でも貰ってくるし捨てさせないしで、実家にすごい広い家だったんだけど、生活できる空間以外は全部物置になってた

台所居間風呂以外に7~8部屋あるのに全部物置で、兄は物置少しよけて寝起きしてるし父と母は居間台所で寝起きしてる

父の妹や姉言葉濁してたけどごみ屋敷じゃん

そんなわけで使ってない客用布団を捨てて

(布団8セットくらいあった)

半世紀以上あるっていう机を捨てて

祖母の買い換えて捨てるはずだったベット捨てて

壊れたお盆灯籠捨てて

私が小さい頃に使ってたコート掛けラック捨てて

祖母着物タンス捨てて

つのかわからない梅干し梅酒の瓶たくさんすてて

古い足踏みミシン捨てて

段ボールは畳んで、ゴミごみぶくろにいれて捨ててきた

ブラウン管テレビは3つあったし

テレビサイズの古い大きいラジオもあったのも捨てた

祖母、天○教にハマってた時期があるみたいで

その関係の絵とかいっぱいでてきたけど全部捨てた

それでようやく3部屋と廊下が片付いた

ゴミで見えてなかったけど押し入れにもいっぱいがらくたがあった

先は長いなって思ってる

親が捨ててるものを「なんでもかんでも捨てる!」ってごみからわざわざ拾ってくることもあるからなんでもは捨てられてないんだけど

一応、写真書類は捨ててないし親や兄のの名前のかかれたものを捨ててない

汚れた毛布とか虫とホコリだらけのカーテンとかを洗って使おうとするんだよ、説得できなくて見てないうちに捨ててカビてたで通した

片付けって大変だけど親が生きてるうちにごみ屋敷片付けるのも大変だなって思った

2023-08-17

ドアを開けたらカマキリがいた

鮮やかな黄緑色の5cmくらいあるカマキリ

驚いて反射的にドアを閉め、キンチョールを取りに戻った。

薄くドアを開け、ドアに隠れながらスプレーをお見舞いする。

そっとドアを開けてみると、奴はマンションの内廊下の壁を苦しみながら登っていた

素早く鍵をかけ、エレベーターボタンを押しながら追いスプレー攻撃する

奴が力尽き、壁からひらりと落ちた瞬間、やってたエレベーターに飛び乗って俺はマンションを後にした。

さっきのめっちゃバイオハザードっぽくなかった??

と、通勤用のバッグにキンチョールを押し込みながら思う。

2023-08-16

anond:20230816142303

これだね

その日の内に歌入れをすませて完成させなければ11月28日リリースできなくなるという状況下で、真夜中に尾崎廊下に寝そべって歌詞を考えていた。その後、午後6時もしくは7時頃に尾崎は一度帰宅したいと要望し、12時までに戻らなければ間に合わないと念を押した上で須藤帰宅許可した。

しか尾崎12時を過ぎてもスタジオに戻らず、スタッフも半ば諦めかけていたが明け方の5時頃にスーツを着てネクタイを締めた尾崎スタジオに現れた。尾崎ワイン2本と折詰の寿司と共に「Forget-me-not」の詞を書いた大学ノートを抱えていた。尾崎は「みんなでこれ食べてください」と述べスタッフ寿司を振舞ったが、須藤から「何言ってんだよ。歌詞はできたの?」と問われ、「できました」と回答。その直後に録音したものアルバムに収録されているテイクとなった。また、本作は2回歌入れが行われたが1回目のテイクが採用される事となった。


https://ja.wikipedia.org/wiki/Forget-me-not_(尾崎豊の曲)

2023-08-15

廊下に立たされたのび太が家に帰って勉強するくらいの勇気を君は出している

君が知っているように勉強自分でするもの

2023-08-14

無能は女の方が楽

から慰めて欲しいとかそういうのではなく、本当にずっとできる人になったことがなかった。

幼稚園運動会では走らず、見に来ていた祖母がおばあちゃん恥ずかしい!と母に小言を言ったらしい。

母は優しいので、この件でいまだに祖母に怒っているが、我ながらそりゃ恥ずかしいだろと思う。

小学生のころはあまり覚えていない。

私が髪を解かされるのを嫌がるのでそのまま私を登校させていた両親は、学校から虐待を疑われ面談を受けたことがあるとか

6年生までずっと仲良くしていた女の子は、2年生のとき私の100点のテストビリビリに破いたことがあるとか(全く覚えていない、マジで)それが原因で、父は私がその女の子と仲良くするのを嫌がっていたとか、そういう人伝に聞いた話を覚えているくらい。どうでもいいことだが6年の最後の方でこれまた全く覚えていないがなんかしでかしてずっとその子にはハブられていた。それを見た別の子に一人で可哀想〜!と廊下で叫ばれ、あ、一人で可哀想なのかぁ…となんとなく思ったりした。

中学ギリギリ受かった私立中に入った。何をしでかしたかこれまた覚えていないが、私が入る予定の公立中の学区内で私は悪い意味やばい人として有名になっていた(これは、ずっと仲良くしていた子から聞いたのと、知らない小学生に話しかけられたことで知った)ので、

なんとなく公立中に行きたくなかった、それだけでギリギリ受かってしまった。歴史の点だけで多分補欠合格を勝ち得てしまった。案の定中学ではみるみるうちに落ちこぼれ、拾ってもらった美術系の高校に滑り込んだ。しかしここでもまったく目が出ず、指定校推薦関関同立に滑り込んだ。当然大学でもうまくいかず(個人的には楽しかった。1人でも楽しかったし、友達もできはしたから)就職も無理矢理決め、ギリ生きている

今日職場で叱られた

けが多いのでちゃんとやって、と優しく

私もそう思う

今まで何かができなかったとき

ずっと

どうしてダメだったか、ではなくどうして私はこんなにダメなのかを先に考えるような

そういう生き方をしていた

そうすることで自分はできないんだから仕方がない、だって私は幼稚園運動会ではしらなかったし、よその小学校でがいじってあだ名されてた女だ!諦めろ!と自分鼓舞していた。

なんなんだ?これ

みっともなすぎるだろ

なんか、他の考え方をしたい

今日食べたものが美味しいとか、今日たこれが面白かったが、私はなんてダメな人なんだに勝った日がずっと来ない。もうずっと待っているのにずっと来ない。待っているかダメなんだ、またダメだと思ってしまった。自分のことを可哀想だと思いすぎている。だから人とうまくいかない、分かっているのになぜ変わらないのだろう。

タイトルと中身が関係なすぎる。これこそが駄文

午前中に墓参りに行ったんだけど墓場砂漠みたいで、自分の墓標が立ちそうだった

天気jp見てみたら日中最高気温が38℃超えだった

現在全国でも10指に入る気温だ

自分基本的に夏が好きなんだが、今年は過去に類を見ない熱さだと思う

例年は真夏でもケッタに乗ってその辺ふらついて写真など撮っていたのだが

今年は日中に外に出ようという気にならない。仕事に行くだけで精一杯。休みの日は日中ずっと家に居る

移動は全て夜だ

せっかく「砂浜で昼寝しよう」と思ってポップアップテントとか買ったのに、全く出番が無い

海行ったら死ぬ

我が家の2匹の猫もいつもはエアコンを嫌って廊下とかで寝そべっているのだが

今年はエアコン漬けになっている

異常気象かな

現在フェーン現象かもしれないけど

台風関係なく猛烈な熱さだったよな

なんか、「地球はこれから間氷期に入る」とかなんとか数年前から言われてた気がするんだけど

なんだったんすかね

2023-08-11

病気ばっかりで家族迷惑をかけた記憶が強いからなんだろうけど、

結婚してからも体調悪い時に世話焼こうとするムーブされるのがめちゃくちゃ嫌で、

ほっといてほしいってストレスますます体調悪くしてる

独身の時はよかったんだよね、具合悪くてドタキャンして迷惑かけてしまうことはあっても、

治るまでは部屋に1人で閉じこもって自分のペースで体調戻せるから

その間風呂入らなくても腹下してトイレこもってもうどんしか食わなくても廊下で気絶しても、

自分以外にはまあ連絡が途絶えた上司くらいしか迷惑かかんないじゃん

でも家に他の人がいるのにそういうことはできなくない?

なんとか元気なフリして家事やったりするからますます具合悪くなってしま

突発年休で休んでそんなに体調悪い?とか心配かけるのが嫌で、

無理に出勤するようになって余計悪化するようになっちゃった

市販薬なんか独身時代飲まなかったけど今もうガンガン飲む

早く元気にならないと精神的に削れるから一番高い風邪薬買ってきて飲んだら胃が大荒れしてる

早く良くなってほしい それかもう急死でいい 体調悪いの独身時代の倍しんどい

2023-08-09

anond:20230809092009

👩‍🏫「コラッ!廊下は走らない!!」

BOON! PIRA!

👦「おー、センセー今日は白ですかー」

こうですかまいっちんぐ~♪

狭めの廊下で人とすれ違うときに、僕がわりと壁べったりに避けてたのに対向者はど真ん中ずかずか歩いて僕に肩ドーンてぶつけられて???嫌われてるのか???って思った

なんなん?

2023-08-07

同じ家賃なら、風呂トイレが一緒になった物件の方が好みなのだが、誰にも共感してもらえない

理由①:掃除が楽だから

風呂トイレ一緒の場合は、風呂掃除のついでにトイレキレイになる。

普段から風呂上がりに、浴室全体に熱いシャワーかけて出る習慣をつければ、風呂掃除の頻度も少なくて済む。

特に自分男性なので、風呂トイレが別だと、トイレ掃除では床拭きが必須

それも、風呂トイレ一緒ならば、風呂上がりのシャワーかけで一緒にキレイにすることができるのだ。

理由②:風呂に入るとトイレに行きたくなる

私だけなのかもしれないが、熱い風呂身体がほぐれてくると、どうしても尿意を催してくる。

風呂トイレが別だと、身体を拭いて廊下ベタベタと歩いて、トイレに行かないといけない。

風呂の合間にトイレ、という習慣を持つ私には、風呂トイレがセットなのはマイナスどころか、むしろ好都合なのだ

2023-08-06

同じクラス知的障害の子がいた

小学生の頃に知的障害男の子普通級に通ってて、卒業の年に同じクラスだったから周りの子目線で書くよ〜!!!

結構前のことだから忘れがちかも!

先に言っとくと内容的には本当に不愉快から当事者とかそのご家族の方は読まない方がいいと思うよ。

の子男の子で、身長デカいしはっきり言ってデブで、あと汚かった。鼻くそほじってたりヨダレを飛ばしたりするので、席替えで隣になった子はガチで全員机を離していた。これもイジメなんかな〜って今は思うけど、みんな必死だった。

だって嫌でしょ、知らんやつの鼻くそとかヨダレが自分の机につくの。その机は学校の所有物で別に自分の持ち物じゃないけど、毎日自分が使うものから本当に嫌だった。掃除の度に、みんなその子の隣の机はきっちり少しだけ離して置いてあげていた。

やたら性的なことに興味があったっぽくて、クラスの違うかわいい女の子の後ろをつけて家まで行ったりしてた。これは伝聞じゃなく、実際私の友達女の子がこのつきまといの被害にあっていたので、私は学校と家との中間地点にその子の家があったこともあり、たまに一緒に帰ってあげたりしていた。一緒に帰っている時、何度か姿を見かけたことがある。確か家は全然違う方向だったはず。

あとは生徒会的なのに投書できる箱があったりしたんだけど、その役員の子がお好みだったらしく、何通も投書を入れていて、お返事コーナーみたいなのはの子の投書で埋め尽くされていた。

はっきり言ってキモかった。まだ性的なことに対して未熟な子供からこそ、自分たちより大きな体で、生々しい欲を持って接してくるのがありありとわかってすんげーキモかった。

の子のお母さんは毎日廊下椅子を置いて授業を見学していたんだけど、純新無垢私たちクラスメートがこんにちは!と挨拶したとて一度も挨拶を返されたことがない。ただ亡霊のように座っていた。私たち学習して、その後は無視するようになった。本当にいるだけだった。

授業を邪魔するタイプではなかったのが救いだけど、自分を賢いと思ってるタイプだったのか、やたらと人のテストの点数を当てたがったりした。私もやられたことある。「増田さんは〇〇点でしょ?(笑)」みたいなかんじ。

普通にそれより点数良かったのではぁ?となり、穏やかに無視できてよかった。


総合して、マジで支援学級に行ってほしかった。うちの小学校特別支援学級あったし、その教室は少し離れたところにあったので、私たちはそこに誰がいるのか知りようがなかったし、あえて知ろうともしていなかった。ただそこに通う子達が何人かいて、授業を受けてるんだな、くらい。虐めようとかする子もいなかったと思う。そんな感じでちゃん支援学級もある学校だったのに、なんで普通学級に通わせようと思ってたのか全然からない。

みんな何も言わなかったけど、それは幼いながらも「何も言っちゃいけないんだろうな」って我慢してただけで、何も問題がなかったわけじゃない。付きまとわれてた私の友達は、「気持ち悪い、どうしよう」って泣きそうになってたのに、先生には言わなかった。私も言わなかった。何事もなく卒業できて、その友達も今は遠い場所にいるけど、それは本当に結果論しかない。あの時何かあったら、それは誰の責任だったんだろう。

2023-08-05

つわりが来たら下請けオッサンが本当に無理になった

妊娠8週でつわりが日に日に酷くなってきた。安定期入ってないし、男性が多い職場なのでまだ周囲には伝えてない。

つわりが酷くなるたび向かいの席のオッサン言動キモく感じられてきて、正直毎日出勤するたび気が狂いそうになっている。

オッサン下請けで、うちの会社人間じゃないので、直接喋ったことは一度もない。

かいといってもオッサンの席は隣の島で、私の真ん前の席は今空席、隣の島の男性1人挟んで、こちら向きに座っているのがそのオッサン

間に挟まっている男性はそこそこ背が高いので、その人が座っている限りはあまりオッサンは見えない。

だけどオッサンは時々立ち上がり、椅子を握ってアキレス腱伸ばしみたいな謎の体操を始めるので、顔とハゲ頭がちょくちょく見える。視界の隅でハゲが動くのは以前から気にはなっていたが、妊娠前はまだ許容できていた。

1番キツいのはオッサンがえずき混じりの咳をすること。ゴホッゴホッオエッ!みたいな感じ。

私は慌てて廊下出て他人に見えないように吐き気耐えてるのに、ゴホッゴホッオエッ!を繰り返すオッサンにもらいゲロしそうになって本当に辛い。

あと仕事中にハゲ防止っぽいマッサージするのやめろ。大きな音で鼻を噛むのもやめろ。お前の家じゃないから。なんならここ、お前の会社ですらないから。

間の男性が離席している間に、謎マッサージ中の恍惚としたオッサンの顔が見えてしまって、比喩でなくトイレで吐いてしまった。


多少のことはお互い様から…と思っていたけど、今はオッサンが辛くて仕方ない。つわりのせいで、オッサンキモさが吐き気という形に変換されて毎日自分に襲いかかってくる。

つわり職場オッサンがキツいって言ってる人あんまりいないから、自分おかしいのかな……

・咳しない

・鼻炎じゃない

貧乏ゆすりしない

・ため息しない

独り言言わない

下請け入れる時はこれをマストにしてほしい……

2023-08-04

公的安楽死?サービス?なのか?

自分が通っていた中学校体育館に入ると、すでに催しは始まっていた。20人ほどの参加者、PA業者参加者を世話するスタッフなど。中でも、色とりどりの浴衣を着込み踊りの準備をする女性たちが、無彩色な体育館でひときわ目立っていた。

うろ覚えだが、この催しは難病などで将来を悲観した人びとが集団安楽死を行うものだったと思う。公的サービスの一環なので、このように公立中学校施設が使われる。安楽死手段がどのようなものなのかは分からない。

自分ケーブルテレビ撮影スタッフとしてここに来た筈なのだが、現時点でカメラ三脚も無い。機材バッグは片隅にあるが、その中は空っぽで私のカメラは見当たらない。誰かがすでに持ち出したのだろうか。

会場では参加者が朝礼のような横長3列に並び、スタッフ説明を聞いている。内容は「大丈夫」とか「スケジュール通りに」といった事務的もので、宗教的ニュアンスは感じられない。聞いている参加者の表情も平静で、これから死という大事を迎えるように見えない。

浴衣女性たちが会場の端で金魚のように踊っている。これから死ぬ参加者たちの気持ちをせめて安らかにしようとしているのだな、と感じた。

一旦説明が終わり休憩となった。参加者の一部は外の空気を吸うために体育館出口に向かう。私の居る場所はその出口付近なので、彼らとバッティングしないよう、左右に避けようとするのだが、向こうもこちらと同方向に避けるのでぶつかりそうになってしまう。私はこのような不吉な人たちとは接触したくないので、靴を履かないまま出口から校庭に出た。靴下の足裏に濡れた砂の水分がしみて不愉快だ。

近くを歩いている役場職場と話す。この催しは担当する職員心理的負担が大きいそうで「俺も、これやった後に入ってる会議とか全然集中できなくてさあ」などという。私は内心このような集団自殺が、その程度の負担感で済むとは役場職員は凄いな、と思う。

体育館と校舎をつなぐ渡り廊下自分の靴を見つけ、ああここに置いたんだな、と安心し会場に戻る。

参加者は俯いてシクシク泣いていたり手で顔を覆ったりと、悲観的な様相だ。自ら死を選び覚悟を決めていても、やはり直前になると動揺するようだ。私の三脚は傍らにあるが、乗せるカメラは無い。そもそもこんなもの撮影しても使えないだろう、と思ったし、人が大量に死ぬ場面を見る勇気もないので、ここを退散することにした。

さっきとは別の小さい扉から出て、両開きの引き戸を閉める。体育館なのに、すりガラスがはまった木製の扉であった。

横のおばさんに「どうして撮影しないの?」と聞かれ「カメラが無いし気味が悪いから」とこたえるが、おばさんはなにやらしつこく話しかけてくる。

おばさんと連れ立って体育館脇の緩い坂道を下っていると、中からたくさんの人間嘔吐する音が聞こえてきた。音だけではなく、扉の下の隙間から飛沫が私の首に飛んだ。手ぬぐいで拭うと、人参や肉など食物の破片が混じった粘液状の吐瀉物だった。

直前に迫った死の恐怖参加者嘔吐したのだ。やはり、誰でも死が怖いのだ。

私はその後、行きつけのバイク屋に行ったがいつのまにか夜になっていたようで、店は既に閉まっていた。

バイク屋が一階に入っているビルから自転車で誰かが出てきた。顔見知りの女性だがなぜ?と声をかけると、「私ここでホステスやってるの」という。確かにバイク屋の二階は「キャバレーロンドン」だ。彼女バニーガール姿を見たい、と強く思った。

俺以外の部屋にエアコン入れているみたいだ

アパート廊下に別の部屋の室外機が置いてあって、住人が勝手に入れてるもんだと思っていた。

ところがどうも以前の住人が出ていったあと新しく貸し出すとき大家サービスとしてエアコンを付けて入居者募集していたらしい。

たまたま住んでいるアパート募集を見たらエアコン付きで今の部屋と変わらない金額で貸している。

気づけばずっと住んでいる俺の部屋だけエアコンなしだ。

馬鹿馬鹿しいので引っ越すかマンションを買うか考えている。

2023-08-01

anond:20230801232618

対照用にdeepLの画面で対訳見ながら編集した翻訳和文原稿も吊っておく (deepLが誤解する場所とか主語を補ったりしないとちゃんとした訳にならんのよ)

ここは原文からニュアンス変えすぎでは等の突っ込みも甘んじて受ける。

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「例の件」に関して、彼らは当事者でもなければ長崎の生まれでも広島の生まれでもないのに語るべきだろうか、という書き込みを目にして、少し自覚したのでどうしても言わねばならないことを言う。俺は長崎の生まれ被爆三世当事者たちから直接話を聞かされて育ったから言う。俺程度がおこがましいという気持ちはあるけれど、当事者ほとんど残っていないから俺が言う。

長崎ではガキどもは原爆の話を聞かされて育つ。クーラー扇風機もない真夏小学校体育館に一時間近くも寿司詰めにされて、原爆の話を聞かされた。俺にはそれが辛い時間だった。話をする年寄りもっと辛かったと思うが、小学生のガキにはそんな想像ができるはずもないし、俺だってずいぶん聞かされた話をほとんど忘れてしまった。思い出せるのは精々ひとつかふたつだ。もうひとつ辛いことがある。毎年この時期になると、廊下にはずらりと、他所地域ならPTA発狂するようなグロ画像が堂々と貼り出される。最近は、原爆資料館ももうずいぶん漂白され、観覧者がトラウマを抱くような過激で恐ろしい展示は多くが撤去されたと聞く。なので、今も続いているかは知らないが、俺の頃はそこに展示されていた。

小学生の頃の俺にはどうしても直視できない写真が一枚あった。谷口稜曄さんの写真だ。検索すれば出てくる。閲覧注意のショッキング写真だが、それでもどうか見てほしい。どうしてもその写真掲示された廊下を通れなくて、その時期はいだって校舎の別の階を遠回りして、写真が目に入らないよう逃げ出していた。

今は、妹を探すために焼け跡に向かった俺の祖父は、目を背けることも別の道を通ることもできなかったんだなと思う。写真どころか、まだ生きて呻きを上げる人間が山ほどいただろうし、苦しみの果てに事切れた人間もっと山ほどいただろう。彼は瓦礫だらけの長崎の狭い道を、handcartを曳いて何キロも何キロも歩いて、妹を捜し歩いた。当時の祖父子供じゃなかったが、当然それと似たような事をしたこどもたちも居た。居ただろうじゃない。居た。俺はその話を本人から聞いたし今も覚えている。幼い兄弟が焼け跡から自分の親父の死体を見つけて、兄弟がそれを焼いた話。薪が足りなくて親父の遺体が十分に焼けず、零れ出た生焼けの脳ミソを見て逃げ出して、それが今生の別れになってしまった話。

俺はガキの頃に聞いたその話をいつまで経っても忘れることが出来ないし、今だって辛くて苦しくて、手が震えて涙を出している。どうしてあの親父の脳ミソから逃げた爺さんは、想像もできないほど恐ろしいトラウマを、一生治らない傷痕をほじくり返して人目に晒すことが出来たのだろうかとずっと思っている。

今は少しだけわかる気がする。

俺が自分トラウマをほじくり返してでも祖父やあの爺さんの話をせずにいられないのは、彼らの言葉が忘れ去られることに比べれば、この程度の苦しみなど何でもないからだ。俺の手が震えて動悸や眩暈と共に涙や鼻水に塗れることなど、かつて確かにあった途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないからだ。

からひょっとしたら同じなのかもしれないとも思う。

俺には想像もできないほどの地獄を味わった祖父は、孫が産まれるまで生き、焼け跡で妹の死に目にも会えた。つまり祖父はあの焼け跡で、誰よりも幸福人間のひとりだった。祖父やあの爺さんは結局のところ、地獄の淵をさまよっていた人間に過ぎないのだ。俺には想像もできないほどの苦痛を味わった人間でさえ想像もできないほどの苦しみが、78年前の長崎には石ころのように転がっていて、誰にも顧みられなかったのだと思う。俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば、何でもないことなのだ。

記憶は人に語られる度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶も、もうほとんど忘れ去られている。78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが今や墓の下にいる。

老人たちの言葉と比べて、自分言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。自分のような存在がこれを語ることが許されるだろうかと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、我々が口を閉ざした結果があれなのだ

想像もできない苦しみを想像することを止め、他者の苦しみを面白おかしく消費して生きていくことを、俺は時々選んでしまいそうになる。俺がもう声も顔も、言葉さえろくに思い出せない老人たちの、せめて苦しみの想像が残っているうちに、ここに書き残しておく。

翻訳者注記: このポストは、日本のある投稿者が「自分広島長崎出身でもないのに原爆に関する言論について発言する資格があるだろうか」と悩みながら、それでもバービー原爆の件について発言した投稿に対する返答である世界に読まれ価値があると考えここに翻訳した。

臭い

三日くらい前にうっすらと、昨晩は濃厚な生ゴミと古い油を混ぜ込んだような臭い玄関前まで漂ってきた。

マンションに住んでいる。で、玄関開けて廊下を右に行くと非常階段。左に行くとエレベーター階段がある袋小路

自分の部屋は玄関開けると外が見えるんだが、左の部屋はエレベーターがあるので外が見えない。てことはウチの左へ行くと換気がなく、空気はその場所に滞積する。

説明が下手で申し訳ないが、そんな感じの設計になってる。

話を戻す。昼間買い物に出ようと玄関を開けた瞬間、これまでよりもキツイ、強烈な臭いが鼻を突いた。もとより臭いに弱いのでえづいてしまった。

ゴミ屋敷?そんなことあるか?異常だ。管理人に伝えようとエントランスに出たらウチの隣に住むおばさんと別フロアに住む男性がいた。

住人の多くは顔見知りで、人によっちちょっと話し込むことも珍しくない。古いマンションだと住民の多くは長く住んでおり、そんな風土になる。

「ちょうど臭いの話をしてたのよー!」

臭い、ひどいですよね」

「そうそう!おかしいよねー!!」

「なのでいま管理人さんに相談しようと思って」

「それがいいよねー!」

管理人室が目の前に、なんなら小窓もあるというのに直接相談しないで何話してたんだろう?

そんなことはどうでもいいが小窓を叩き、管理人相談してみた。

エレベーター前があまりにも臭い。突き当りなので臭いが流れず漂っているので確認してほしい。

で、管理人、おばさん、男性自分の四人で問題フロアまで行ってみた。

いつもは通り過ぎる際に「臭い」と思っていたがその場に留まってみるとより強烈な臭いだとわかる。

何度もえづく。嫌な気分。

臭いの元はどこなのか。廊下の突き当り左右に玄関がある。そのどちらかから臭ってきているのは確実だ。

管理人がそれぞれの玄関に顔を近づけ臭いを嗅ぎ、インターホンを押し、ノックをした。

どちらの部屋も反応はない。ただ管理人住民生活サイクル、昼間在宅しているメンツを把握しているらしく、右部屋住人は昼間働いているので平日は不在だろうとのこと。

左の住民はというと老婆らしい。週一で介護訪問する以外ほぼ外出はしない状態だそうだ。

真夏。気温は連日37℃近く。それでも「クーラーは体に悪いから」と暑い最中扇風機で済ませてしまう老人はまだまだいるらしい。

そんなことを思い浮かべながら最悪を想定する。

管理人は老婆の部屋の玄関を激しくノックしたが反応はない。

ここまで見届けた。自分用事がある。

管理人に報告した」というミッションを済ませたのでその場を辞した。

用事を済ませ帰宅。イヤな臭いは相変わらず。何もしないで放置されるのも困るな。

と思いつつ一杯やりつながらテレビを見ていたらノックが。もう夜の9時を回り、宅配を頼んだ覚えもない。

不審。チェーンをかけ最小限に扉を開けたら救急隊員が立っていた。

「夜分すみません。奥の部屋の様子を見たいのですがベランダを使わせてもらえませんか?」

最悪の可能性が高まる。つかほぼ確定だな。二つ返事で迎え入れる。ドカドカと数人の救急隊員が入室してくる。真っ先にベランダへ。

そこからはただの傍観者になるだけだった。

「入れるか?」

「あー、窓のカギ空いてますね」

「様子どうだ?」

「…………」

そんなやり取りをしていた。

確定だ。最悪だ。もう耐えられない。とりあえず外へ。この空気から少しでも離れたい。あの臭いはやはり死臭だったのだ。

外出する準備を整え玄関を開けると救急隊員と警官トータルで10はいただろうか。それとおそらく知らせを受けた老婆の子夫婦。

目は合わせられない。逃げるようにエレベーター飛び込み、馴染みの飲み屋へ。マスターに頭から塩を振ってもらう。

痛飲、暴飲。どちらでもいいが酒をがぶ飲みして酔いたかった。

3時間も飲んだだろうか。もう色々な処理は終わっているだろうとフラフラと帰路に。

エレベーターに乗り自分フロアについた。扉が開く。臭いはどうだろう?

かすかに漂うがほぼ無臭に近くなっていた。ような気がする。

気がする、というのはもうあの臭いを覚えてしまたからだ。死臭。鼻につく。

これを書いている時点で昨晩の出来事臭いの元である遺体は運び出されてもまだ部屋の掃除が始まっていないのかもしれない。

本当に漂っているんだろうか?それとも臭いを覚えてしまった脳が思い出させてるんだろうか?判断できない。それがとても嫌だ。

自分の部屋は締め切って、外部から臭いなど侵入してこないはずが、鼻が覚えてるんだろうか。

ふとあの臭いがこみあげてくる。最悪だけれど老婆が末期この世に残した記録、記憶なのかもしれないと思うとそのこと自体嫌悪感はない。

人は死んでもどうしようもなく記録をのこし、人の記憶に無理やり潜り込んでくる。そんなもんなんだろう。これまで経験したことのない不思議感覚

ただ自分だけで抱えるにはキツく辛い。かといってSNSで共有する話でもない。ということではてな匿名ダイアリー

読んでしまった人には謝罪感謝を。この経験を共有してくれ。

冥福を祈る。

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