はてなキーワード: 廃炉とは
この政党はこうだとかあーだとかSNSに飛び交いすぎてていて、
なんだかボヤーッとしている。
・消費税そのまま
・英語教育の強化
・原発問題の解決(動かしにしても廃炉にするもしっかり管理がされればどちらでもよい)
・Made in japanスゲーやめろ。今日本がどんな状況に置かれているか冷静に判断して国民に伝えてもらいたい。
・学費を安く
・理系の育成
・クリエイターの育成(物づくりに対する抵抗を持たせない)
・好きなことやってんだから文句言うなという風潮の根絶(理系やクリエイターの育成に関わること)
・出る杭を打つことをやめる。多様性を認め個々での活動も可能な社会に(具体的じゃなくてすみません)
・昔の日本みたいにならないでほしい(ありえないと思うけど)
かな。
これを叶えてくれる政党ってだーれ?
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c
あとシノドスのフリーライターのレポートもあったが、どれも「医術と呪術を混同する両論併記をやめよ」という趣旨が確認できる。
林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、
林氏は心無い中傷で県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。
本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。
壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。
そうした福島県民を始めとする東日本大震災の被災者の皆様の気持ちは自然であることは認める。
しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会が始動しだしたところである。
私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、
泥流による放射線の健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、
新潟県知事選当時、県内在住の反原発派から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。
(インターネット上で選挙運動や訴訟活動を行っていることを明記した人物に限定した話ではある)
現在、在日コリアンを念頭に外国にルーツある人物へのヘイトスピーチは違法化された。
この前例に則り、学術会議への異論も福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、
事実、在日朝鮮人や沖縄人への民族差別をアナロジーとして、福島県民への差別を説明するレトリックは存在している。
このような議論は被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である。
しかしポストコロニアルな当事者性を強調することで国や東電の構造的責任が看過されてしまうことはないのか。
実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災の観点から引用し検討することすら差別や呪術であり、
野蛮な攻撃とすることは学問の権威化であり、自由を害することである。
こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。
2007年の中越沖地震での放射能漏れが原体験として上げられている。岩手県の震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。
チェルノブイリは福島第一よりも安全という発言は海外への県の農産物輸出戦略の一環である。
国際的観点から見て廃炉出来ていない原発がチェルノブイリに比して安全だと言えるのか。
ショッキングな発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要な見解だったのであり、
過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。
(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義を扇動している自民党からしか国政候補へ立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)
私の知る限り、泉田知事が被爆が疑われる人物に意識的に差別的な県政を行ったという情報はない。
四期目を断念した後自ら原発に屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、
撤退理由であるフェリー船問題は船を売りつけた韓国企業が東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、
そのような形で追い込まれて撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。
このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難な言動を求めるのは酷すぎる。
県民の代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味を想像していただきたい。
「坂村健の目:被ばく影響、科学界の結論」という記事がはてブでは人気のようだがこれはそんなに良い記事だろうか?
福島について人々が不安を口にするのは「一部の専門家といわれる人」や「マスコミ」に責任があるというきわめて乱暴な論であり、「ネットでは、この報道の少なさに違和感を覚えるという多くの書き込みがされている」という詭弁のテンプレのような表現まで使われている。
震災から6年半を経てなお福島に対する悪印象が消えないのは、廃炉の問題が定期的に悪いニュースを提供し続けているからだろう。
期間は何十年、費用は何十兆円かかるかもはっきりせず、震災当日はおろか現在の炉の内部の状況すら完全には把握されていない。メルトダウンした核燃料の取り出しはおろか、凍土壁による汚染水の閉じ込めすらうまくいっているか不明という状況だ。
防護服を来た作業員の映像を見るたびに、我々は今現在も自分たちの国土には汚染された部分があるのだということをはっきり自覚させられるし、数々の報道は現地の労働環境や下請け構造が決して健全なものではないことを物語っている。
日本の誇りであるとされたロボット技術も炉内の過酷な環境下では通用せず、投入されたロボットたちは次々と倒れていった。
「アンダーコントロール」や「東北でよかった」といった政治家たちの失言も、福島に残された廃炉という課題を日本の指導層がいかに軽視しているか強烈に印象づけた。
こうした福島に関する報道を目にするたびに、私たちは自らの恥部を大写しにして見せつけられているような気分になるのだ。安全対策の提言を企業組織が無視しなければ防げた事故、二転三転する廃炉のプロジェクト管理、汚染された国土、労働の不健全な受注構造、科学技術大国日本の凋落、言葉の重みを理解しない政治家、こういった日本という国の恥部の数々を凝縮して次々と我々の前に突き出してくるのが福島の廃炉の問題なのだ。
「フクシマ」というカタカナ表記が気に入らない人々が多いようだが、英語で fukushima と検索すればトップに出てくるのは街についてではなく事故についてだ。日本国外では福島はもはや地名としてではなく、チェルノブイリやスリーマイルと並んで原子力事故を表す固有名詞としての意味合いの方が強くなっているのである。日本語での表記を行う場合に、通常の意味での「福島」と、特に汚染された地域を表す「フクシマ」を使い分ける意味があるのかは書き手や読み手の感覚の問題として残るが、後者の方がより意味が絞られ情報量の多い単語であるということもまた事実である。
どれだけデマが流れ、マスコミが誤報を流そうが、仮に現在の福島に何も問題が残っていなかったとすればそれは時間が解決する問題である。どれだけ時間がかかろうが事故は歴史の一部となり、人々は福島についていたずらに不安を口にすることもなくなるだろう。
しかし現在も我々の国土には回収不能な核燃料の塊を内部に抱えた福島第一原発が依然として存在している。福島について人々が口にする不安は、6年前の記憶に基づいたものではない。それは今起こっている出来事についての不安なのである。
追い詰めて悪かった。
殺してくれ。俺たちを赦さないでほしい。
台湾が大好きな人たちは、今こそ国交正常化してほしい。田中角栄の正常化条約を破棄するときなんだ。
総領事館時、顔を真っ赤にして「新潟市民、新潟県民、日本国民のバカ野郎」と大声で叫んでるオバさんも居たけれど、
もう無理だ。誰も幸せにできない。
北朝鮮は原爆を原発に落とさないのかと反対派は言う。台湾系の蓮舫の心をくじいてしまった以上、もう反原発派は終わりだ。
この批判は常識になっている。朝鮮差別抜きに反原発はできない。
米山隆一は謝罪しろ。火力と同じぐらい安全だという開沼博を批判する資格がなくなってしまった。ポスコロ上がりの彼の主張に正当性を与えてしまった。
福島から避難してきた朝鮮学校の子どもたちに、実際泉田裕彦は補助金の打ち切りで答えている。
そんな差別主義者だからこそ、瓦礫の受け入れは人殺しだとか、チェルノブイリの方が福島より安全だと言えたのだ。
もうおしまいだ。金正恩よ。原爆を落としてくれ。そうすれば差別主義者になることなく、俺たちは廃炉を主張できるんだ。
差別問題との綱渡りになる安全/危険の線引きをせず、反原発派になるためには、隣の福島県民同様、原発をぶっ飛ばした被曝県になるしかない。
追記:
家族にネットのやりすぎで思考が極端になっていると言われた。だからこれで一旦この話に触れるのは止めるけど。
差別を受けている人が、この文章を見て不快に感じたらお詫びする。
申し訳ございません。
廃炉が決まった「もんじゅ」に代わって高速炉用の実験炉として国が活用するとしている茨城県にある「常陽」について、原子力規制委員会は、事故の想定が甘いなど運転再開の前提となる審査の申請内容が不十分だとして、審査をいったん保留にしました。田中委員長は定例会見で、「ひどい申請内容だ」などと、事業者の姿勢を厳しく批判しました。
常陽は政府が、もんじゅに代わって次の高速炉開発に活用する方針を示している実験炉で、事業者の日本原子力研究開発機構は先月、運転再開に向けた審査を申請し、平成33年度までの運転再開を目指すとしています。
これについて、25日に開かれた国の審査の初会合で、原子力機構の申請内容が問題視されました。問題となったのは、原子炉の熱出力を、これまでの14万キロワットから10万キロワットに変更した点で、原子力機構は、変更によって、避難計画を策定する範囲が30キロ圏内から5キロ圏内になり、地元自治体との調整にかかる時間も少なくなることから、早期に再開できると考えたと説明しました。
また、変更にあたって設備は改良せず、運用上10万キロワットで使用すると説明しましたが、規制委員会側は、「実際の設備と熱出力は合わせるべきで、事故の想定も甘い」などとして、補正した申請が出るまで審査を保留する異例の対応を決めました。
これについて、規制委員会の田中委員長は、26日の定例会見で、「審査の保留は当然だ。本当に福島の事故を反省したうえで申請しているのかと言いたいほど、ひどい内容だった。審査できないということは、運転できないということだ」と、原子力機構の姿勢を厳しく批判しました。
審査の保留について、原子力機構は「このような指摘に至ったことを真摯(しんし)に受け止め、適切に対応します」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170426/k10010962381000.html
くまー
うまー
あくまー
あくまー
あくまー
276件
何を梱包してるのやら
くまー
ニホンカイギより悪い会議を示すほうが困難では
そもそもニホンカイギというグループが国家権力に食い込みすぎ臭いパンツなのが極悪では
辰巳コータロー メガバンクから廃炉費用取れるってさ パナマパナマー
うざいならトラバでやりあえば何を鳴らしたいのかはっきりするのでは
例えば国の原子力機構が核燃料の再処理やめるように事業者に強制力をもって言うには国有化したほうがいいのでは
なんか廃炉費用がいろんなところに横流しされてるように思うんだよな
一度ミサイルがこれから落ちたら国際軍事裁判できちんと停滞することだよ
保安林でキノコを取るのも共謀罪/組織犯罪処罰法改正案で罰則対象になるとかならないとか
答えられずまとまらない妥協点が見出せないんだったら廃案でいいんだよ
13時~14時には4度投稿だ
連投した文をまとめるか・・・
いや
ADHD注意疾患多動性症候群?で施設をたらい回しにあった者が
アルコール薬物依存症治療施設に行き着きなんかそこで落ち着いた
というのを人づてに聞いた
「ぼくはくま」
昨日ニュースで事故が起きたら死ぬかも知れないが、それでもいいと言っていた。
それだけ立派な覚悟があるなら、まずとりあえず福島第一原発周辺の地主さんたちの所に言って、「被害者面するな」と言って来てもらいたいものだ。
もちろん反対していた人も居るだろうが、諸手をあげて賛成し、地元調整費やら、雇用増、インフラの充実などの恩恵を受けてきた人たちは大量にいるはずだ。
そういう人たちが被害者面しているから、現在の原発の再稼働をいくら地元が望んでも、信じられないんだ。
たぶん昨日のニュースで死んでも仕方がないと言ってた人も、いざ事故って被害が出れば、補償とか叫びだすんだ。
都会にいる人々は、先祖伝来の土地も持たずに、ただ自分の稼ぎと仕事や生活の兼ね合いで、借家を転々と人生を送る人たちが大半だ。
先祖伝来の土地にしがみ付き、不幸ぶるのは止めて、まちに出てくればいいのに。
被害者ぶる何故だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161221-00000077-jij-soci
http://mainichi.jp/articles/20161128/k00/00m/040/085000c
原発造ったら、補助金やら調整費やら、莫大な金が地元に落ちて、地主さんはがっぽがっぽのウハウハで、
動き出したら、大漁の雇用が生み出され、期間工が日本中から大量に流入してくる。
放射線量の関係で、年間作業時間に制限があるから出稼ぎばかり。
期間限定で、高給取り、被曝覚悟の刹那的な人たちが多いから、色々買ったり遊んだり散財の日々で、地域経済は良くなるし、ウハウハ。
爆発したら爆発したらで、賠償金でウハウハ。さらにやっぱり廃炉作業で日本中から期間工が大量に流入。
やはりウハウハ。いいことずくめやな。
原発誘致は美味しいよね。
高速増殖炉もんじゅ廃炉の話が出てきて、核燃料サイクルの今後がどうなるか議論されているけど、私の考える結論としては「もんじゅ廃炉も核燃料サイクル放棄もあり得ない」です。
散々言われている通り、核燃料廃棄物の使い道・行き場所が無くなり、今後日本中の原発も稼働が不可能になるからです。
そもそも核燃料サイクルなんて誰も実現できると思っていないんですよ。たぶん政府も事業者も(最初は本気だったかもしれないけど)。使用済み核燃料という使い道もなく全国どこにも捨てる場所がないゴミを「資源」と称して、「再処理するまでの一時保管だからね」ということにして永久処分するための言い訳にすぎません。「50年間貯蔵するからそれまでになんとか核燃料サイクルの実現を・・・」なんて、可能性は限りなくゼロに近い夢物語です。
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中間貯蔵施設の方の搬入スタートは延期されたけど、今後貯蔵が始まってしまったらもう誰も取り出さないし、実際取り出せない。40年後に再検討するらしいけど、期間延長を延々と繰り返した挙句、老朽化が進んで人が近寄れなくなり、最終処分場が完成するのは目に見えています。
もしも核燃料サイクルを放棄したら中間貯蔵計画も中止。それどころか、現在青森県に貯まっている使用済み核燃料もゴミと化すので各原発にお返ししますね、となります。実際はどこの原発も保管容量が逼迫しているため返却は無理だろうけど、少なくともこれ以上再処理工場などで受け入れるのは難しくなり、ゴミの行き場が無くなった原発は早々にパンクして稼働も不可能になります。
ということで、もんじゅ・核燃料サイクルは今更止めるわけにはいかない。核燃料ごみを再処理工場・中間貯蔵施設へ捨てられる理由が無くなってしまうから。
批判を一身に受けつつも、一時凍結のような形はあるかもですが、事業自体は続いていくでしょうね。
はあ。