はてなキーワード: 寄付とは
YouTubeのクソうさんくさ広告に「月1000円のご寄付が国内のひとり親家庭4世帯分の食品に」とかいうのが出てきてイラついた。
「お母さんはパートで一生懸命育ててくれてる。ある日の夕食。お母さんは自分の夕食は水だけでいいと言った」
みたいな。いや、ありえねえから!!
そのお母さんも子供もふっくらした顔した標準体型なわけよ。なにが夕食は水だけだよ。この飽食ニッポンで「夕食は水」ってお母さんが個人的にダイエットしてるだけだろ舐めんな。
仮に貧困だとして、パート就労だけで育てようとするから金が足りなくなるんだろ。とりあえず正規雇用の職に就け。それから金の使い方がおかしいから見直せ。
夕食を食えなくなるというのは明らかに金の使い方がおかしい。もう人生を根本的に見直してほしい。
こんなくっさい嘘っぽい芝居して「今日の夕食は水です!ご寄付を!」なんて、健康そうな顔色と体型した人がお願いして生き延びなくちゃいけないなんて呪われてるだろ。
ひとり親家庭いやだああああ。
そこまで確信してるならもうほっとけばいいじゃない
何に怯えてるんだよ
スリルって言ってる事を本当に信じてるか試す試金石になると思うんだよね
松本が復帰しないにお金を賭けて、もし復帰した場合はそのお金は全部慈善団体に寄付する
同じ日の繰り返し、もう一人は飽きた、人のために生きたいと
毎日はいつだって大変で、そこそこ楽しく、辛く、1日だって同じ日は来ない
飽きる気がしねぇぜ!と思っている
で、最近発達(わかりやすく言うと先送り、多動、不注意あたり)の診断をもらって、独身に飽きないのは、発達だからではと思うようになった
私にとっては寝る前に歯を磨くとか風呂に入るとか、そういうことですら当たり前にできることではない
気を抜くとゴミが溢れて虫が湧く部屋とか、会社に遅刻しそうになるとか、先送りで人に迷惑をかけないとか
いついかなる時も些細でくだらないことで何かしら大変だ 昔はいつか改善すると思っていたが、何一つ変わらずそのままだ
寝る前に歯を磨いて朝を迎えるだけで、すごく嬉しくて誇らしくなる
そこに、人のために生きたいとか思う隙間はほとんどない 何歳になっても本当に自分のことで手一杯で路路だからだ
診断はもらったが、私は持病の関係で発達の薬は飲めない
だから、ちゃんとした一日を送るってことを当たり前に、なんの苦労もなくできる日は多分死ぬまで来ない
毎日、大変で挑戦しがいがある日々なわけだ
良いか悪いかで言えば悪いし辛いことも多いんだが、まあ一応人生はそこそこ楽しいと思えてるだけ良いとする
多動のおかげか、些細なやりたいことはたくさん湧いてくる
子孫がいないことは寂しいことではあると思うし老後どうしたもんか‥とは思うが、自分の特性で人とうまく暮らせる気はしないし、夫や子供がいたらおそらく不幸にしたと思う
実家はまあまあ裕福で、父も母もメンタルの安定したしっかりした人だったが、それでも私と暮らすのは少し大変そうだった
なお両親は発達とは無縁な感じの人々で、私のコレはどこから来たのか不思議だ 父が35のときの子供なので、父が高齢過ぎたのかもしれない
男性も、子供が欲しかったら早いうちに結婚して産んでおかないとこういう人間が生まれてしまうかもしれないことは覚えておいてほしい
まあ可能な限り人に優しく接するとか、
ボランティアしたり寄付したり、そういう関わり方でできることやればいいし、老後になる頃には安楽死制度も整っとるやろと開き直っている
わたしは二十代後半の女です
男性社員の多い職場で働いていますすがよく「子どもはつくらないの?」と聞かれます 今日も暇そうな会長に散々セクハラじゃないよと予防線を張られながら聞かれました
(弊社の独身男性に女を宛てがい辞めにくくさせるために遠回しに誰かと番えと促しているんでしょう)
わたし 子どもはきっと産めます 血迷って子どもが欲しいと思ってしまった時に妊娠できるか検査を受けたのでそこは断言できます
父は出産の時に「側に居ても何もできないから」と釣りに行く様な人で
母はそんな父に苦しめられてきたカサンドラでありながらも「わたし正直者だから」を口癖に平気で暴言を吐く様な人で(わたしにしたことの一例をあげると 象の足みたい 目がない 太っている等の暴言 センター試験の点数を見て情けないと泣く など)
当然その二人の間に生まれたわたしは社会的常識を教えてもらえず
(たとえば正直者を免罪符にして思ったことを口にしてはいけないとか ハンカチを借りたら洗って返さなければいけないこととか 誰かが大変な時に助けずに自分のやりたいことを優先してはいけないとか)
そんなわたしに常識を叩き込んでくれる友人や先生にも特に恵まれず
けれど自力で努力しても限界があり また幼い頃から親に教えてもらえる子たちとは当然のように差が出来てしまい その差は嘲笑と見下しを呼び
いつのまにかわたしを構成する主成分は60%の水ではなく 98%の惨めさと2%の非常識さになっていました
立派に人でなしです
化け物です
と言うよりきっと親たちも元々が人でなしだったんでしょう
ではこんな人間から生まれた子どもを幸せにできる自信があるかと言われれば 当然ありません
わたしがどれだけ努力しても 生まれた子どもがどれだけ努力しても 子どもは惨めな人でなしになるのです
なぜならわたしは人でなしから産まれた人でなしだからです 人でなしがいくら人間のふりをしようと人間にはなれないからです
そんな不幸になると決まっている子どもを 少子化で労働力が減った国のために 国を存続させる礎にするために産むなんてもっとひとでなしになります そんなのは御免です
寂しいとは思います 人でなしの両親とはとっくに縁を切っています
(同い年+1秒だか1分だかの姉は居ましたが もうわたしの心の中にしかいません)
子どもがいない以上 わたしの人生に残されたライフイベントは死のみであり 考えるべきことといえば「いかに迷惑をかけずに死ぬか 〜安楽死制度導入希望〜」ぐらいです
終わりゆく日々のことだけ考えて死んでいくのはどれほど惨めなんだろうと思います
でもいいのです わたしの体の98%は惨め成分でできているのだから全部今更の話です
それよりもわたし以外の誰かを不幸にしたくない それがわたしの願いであり責任だと思います
もし子どもを産まないわたしを 「労働力へのタダ乗り」「無責任」「他の子どもたちに負担を掛けるだけでしかないどうしようもない存在」だと思っている方がいらっしゃるのなら何も言い返せませんが せめてもの協力として毎年児童養護施設へ寄付をしています そういうサイトがあるので これも一つの子育てです
もしそれでも赦せないと仰るのなら 是非是非安楽死制度の導入へ賛同なさってください
わたしはアルツハイマーとリウマチを発症した元祖母(縁切りしているのでこう呼びます 本当は憎んでいるのでこんな風にさえ呼びたくありませんが)が死ぬまでの壮絶な半年間を見ていて 長生きは地獄だと思っているので 出来ることなら迷惑をかけないうちにさっさと死にたいのです
最近家でちゃんとご飯朝ご飯食べるような習慣を付けようと試みているところ第3回朝食は家でちゃんと食べる選手権3回連続3回目の出場ってなぐらいの腕前かしら?
でね、
お気に入りのパンに浸して食べたらおいしいでお馴染みの粉末のコーンポタージュスープってあんじゃない。
あれまあそれ系で有名で思い浮かぶメーカーと言えば?正解は!?
越後製菓!
これは定番で間違いない美味しさの美味さを爆発させるマグカップの中で綺麗に溶けきったらダマになってなくペキカンに溶けて完璧に仕上がったらとても美味しいのよね。
違いは何だろう?って
私のコーンポタージュスープ研究家へと誘われそうな感じだったけど
一瞬で答えが分かったの!
何だと思う?正解は?
越後製菓!
って違う違うそうじゃなくって、
各メーカー1袋当たりの粉の量が違うのよね
どのぐらいの湯量だと思う?正解は?
越後製菓!
ってもーいい加減いいって言われそうだけど
両メーカーとも同じ湯量なの。
そこで私は気付いたの!
クノールが多い粉の量に対して
でも逆に考えたらポッカのその1袋のクノールに比べて何グラムか少ない分、
少ないけれど
ここまで少なくてもコーンポタージュスープとして美味しくいただける限界点がポッカの1袋のコーンポタージュスープの粉末の重さなのよ。
ギリギリまでどこまでコーンポタージュスープの粉を少なくしていけばコーンポタージュスープとしての限界に挑戦しているチャレンジスピリッツを感じずにはいられなかったわ!
私の舌がどれだけコーンポタージュスープを感じられるかの勝負!
単純に量が少ないじゃん!って言いがちだけど
その裏側にはそう言ったプロジェクトエックス的な田口トモロヲさん的な人間がどこまでの薄さまで薄くして粉の量を減らしてもコーンポタージュスープとして感じるかってチャレンジ!
私は認めたいわ!
もちろんいや
決してコーンポタージュスープが濃いくて美味しいのがクノール薄いのがポッカって言っている訳の優劣を付けているわけではなく、
私が言いたいのはコーンポタージュスープを作るときの必要な湯量は同じなのに粉の量が違うって違いを発見したことに驚いたの!
まさに卵が先か鶏が先かじゃないけれど、
コーンポタージュスープの粉末が先かお湯が先か!って問題じゃない?
でもその両メーカーとも
作り方は粉末をカップに先に入れてからお湯を注いで下さい!手順は一緒のところが
これは各メーカーのコーンポタージュ研究では犯してはいけない作り方の間違いの手順なのかもしれないわ。
両メーカーとも先に粉を入れてね!ってところは合致しているから、
同時多発的に同じ結果の研究結果が発表される世の中の事象ってあるじゃない。
それだと思うの。
卵が先か鶏が先か問題の如く、
コーンポタージュスープの粉末が先かお湯が先かの問題は早々に結論がすでにもう出ていたのよ。
お湯も熱いけれど!
もうそれだけで泣ける!
ローソンのからあげクンのパッケージの鶏がおまえそれ鶏の肉自分の肉だぞ!ってなってるのに美味しいよ!ってアピールしているイラストが可愛いぐらい泣けるし!
牛さんとか豚さんとかがおまえ出荷される方の立場だぞ!ってなのに美味しいよ!って笑顔でシェフに見立てた帽子を豚さんが被ってフォークとナイフを持っている姿のイラストぐらい同じぐらい泣けるわ!
逆に言うとその豚さんシェフのコックの帽子を被っているのにもかかわらず、
手にはいや前足ではフォークとナイフを持っていてニッコリしているやつ。
奥が深いわ。
あれさー
意外とコーンポタージュスープ道ってのもあったら私!習いたいかも!
そんで流派とかあって
でも使うお湯の量は同量でそこは仲良くやってる!みたいな。
コーンポタージュスープにも茶道とのそれの「わびさび」があるはずよ。
熱くなっちゃったけれど。
いろんな流派のコーンポタージュスープを旅してみたいな!って思ったわ。
正解は越後製菓一つだけじゃないのよ。
一番恐ろしいのは実際に越後製菓がコーンポタージュスープを作ったらそれこそ正解が越後製菓になっちゃうって事実は1つなの!
そして、
ってーかあったけど。
それの真相を突き止めるために、
コーンポタージュスープの粉末をコナンくんが指につけていわゆるペロってした時に、
こ、これは越後製菓のコーンポタージュスープか?って一応はクノールのとかポッカのとかでどれなのかコナン君迷うの。
そんで、
他のキャラクターがコナンくん!一体全体全く正解はどうなの?って問われたら、
コナンくんは絶対「越後製菓!」って言うかはどうか分からないけど、
越後製菓がコーンポタージュスープに参入する参入障壁が低くなければきっとそんなことになると思うわ。
でね、
多分クルトン替りにクルトンが小さくクルトンと同じ大きさに切られたカリカリのいい焦げ目のついた気の利いたナイスな焼き餅が入っているのよ!
クルトンの替わりにお餅って本当にナイスでクールなアイデアじゃない?
それだけ上手にスプーンですくって窓から放り投げ捨てると思うわ。
そう言った意味ではポッカのコーンポタージュスープにはクルトンが入っていない粉末だけなので、
あとお湯にちゃんと全部コーンポタージュスープの粉末が溶けてくれるかも心配だけれど。
三択の女王の竹下景子さんはどれを選択し選ぶかしらね?三択よ三択。
私なら3000円賭けるわ!
でもさ、
何だかスープの色が白いものとかもあってメーカー同じでも流派の違ういろんなものがあって
私の知らないコーンポタージュスープがたくさんあって選択に困るわ。
こう安牌がポッカで決まっちゃうとコーンポタージュスープ大冒険ができなくなって真夏の大冒険とは真逆に、
利きコーンポタージュスープをやっても私は正確に言い当て答えられる自信はないわ。
とにかくすごい自信であることは間違いないのよ。
毎日お安くお手軽に美味しくいただけたら嬉しいポッカねってのが理由なのよ。
私には違いが分からないし。
でも利きコーンポタージュスープやってみると飲み比べてみると違いがあるかもしれないわ。
私はそれも試してみる価値があるわね!って
そして、
次回作を期待させるような
ふふふとそんな何かを目論む悪い女の表情をするのよ。
私はコーンポタージュスープを飲み終えてカップをテーブルに置いてその部屋から出て行ったの。
うふふ。
パンのなんていうのかしら?
丸いフランスパン的なものにハムとタマネギが挟まったタイプのパンでたまに買うんだけど美味しいのよね。
それと例のスープに。
だんだんと日が早くなってきている朝日じゃけん目覚めも無理なく起きれるようになった季節到来ね。
暖房もなくて平気な暖かさ。
食べて出掛けるわ。
洗うのが面倒よね。
急須を使わずにカップ2つで茶漉しだけを使うのとどう違うかと思うけど
やっぱり急須は洗いにくいわ。
そのぐらいの手間を惜しみたいものよね。
春だもん。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、あの世にお金は持って行けないはずでは……
よくよく考えると変なことわざだ
いや、待て……
もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいつからあるんだ
(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)
それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか
「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……
ということは「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる
なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ
その一方で冥銭ってやつもあるんだよな
本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな
昔は冥銭用のイミテーションのお金じゃなくてマジのお金を六文銭として使ったと聞く
通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?
でも奪衣婆って鬼がいるんだよな
六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……
身につけているものはセーフ?
対話を試みましょうね
「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」
「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」
「もともとの意味は『財産を寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」
なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから)
でもなー、そのツッコミ群は「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない
「そもそも『あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくまで仮定でしょ?その前提は正しいの?」
確かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ
「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコール『あの世にタバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」
そこも怪しいよね
死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない
いや、どうだろう?自信ないな……
少なくとも言えることは、副葬品の目的はあの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ
「 『あの世にお金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」
でしょうね
「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」
それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん
その棺に入れるものの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる
確かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか
あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化が根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか
私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる
余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある
いろんな地域、いろんな時代の世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう
混乱の原因です
ここらへんについて調べよう
②「あの世にお金は持って行けない」って考え方はいつから存在する?
⑥冥銭について
『日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも
追加で本を探して買ってもいい
そういえばキリスト教圏は副葬品という文化が全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)
その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい
なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ
なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな
古墳時代の日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代の日本に貨幣ないかもか
いろんな国地域時代の葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……
調べるのはまた後日にしよう
しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?
まだわからない
納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる