はてなキーワード: ピクニックとは
タイトルのまま。
昨年ウマ娘のアプリに手を出しアニメを見て天皇賞春で初めて馬券を買い秋には競馬場デビューをした。
・ウマ娘の世界はG1勝ってなんぼだけど現実は何かしらのレースで勝つだけですごい。ウマ娘たちマジレジェンド。
・地方競馬は知らないけど競馬場とにかくきれい。花壇も芝生もきれい。こんなとこでギャンブルやってるとは思えないほど見た目だけはのどか。家族で来てる人、ピクニック道具持って来てる人もちらほらいる。
・コロナ禍で競馬場は入場制限がありそのせいなのかイメージより遥かにマナーの良い空間だった。顎マスクの人は警備員さんに注意されてた。
・ウマ娘の観客のモブたちは差せ!とか叫んでるのか気になった。
・現実の馬の方が気まぐれな気がする。
・ウマ娘の世界で馬主的存在、誘導馬的存在はいるのか気になった。
・ぬいぐるみを持ったりつけてる人がそこそこいる。
夫婦は「どちらかが浮気したら離婚。親権は無責側」と取り決めていた(結婚前に夫側が何度か浮気したみたいだが)
ところが、妻が過ちを犯した
妻の仕事先の男?が「死にたい、死ぬ」と言って夜に妻を呼び出した。
そこで酔わされてホテルに連れ込まれた。今思えばレイプドラッグだろうな。
それが夫にバレて妻は泣いた
夫婦は男の家に行った
被害者の女性は他にもいるようで、男の妻は妻を許し、女同士で何やら話して握手をした
それで浮気?の件は終わりと思われたが、夫は許したつもりで割り切れなかった
妻が夫との夜を拒んだのを「あの男にはやらせたのに?」とムカついたり
妻の態度が普通でもビクビクしててもまたムカついたり、
とうとう離婚を切り出した
籍を抜いた状態で召使いのように扱き使い、性欲処理はデリヘル呼んだりした
息子の前では仲良しのふりしてな
スレ民のアドバイスを受け、夫は妻にこれまでの事を詫び、籍を戻すこと、仲直りを申し出た
妻は、私にはそんな資格ないのにと泣いた
そして夫婦は仲直りし、この時の夫らしきチラ裏の書き込みもある
ピクニックに行って、妻の笑顔に、好きになった時の事を思い出した、とか
日数が合わなくて夫が不信に思い尋ねると、妻は泣いて詫びた
籍を抜いていた時期に、つらくて弱った心に優しい言葉をかけてきた男としてしまった、夫がデリ呼んでるし、と思ったのだと。
夫は妻を許して女の子の父親になる覚悟を一度は決めたが、名前何にすると爪が話しかけてきたときに上の空になってしまうなどして、俺はこの子の父親にはなれないなと悟る
まとめ民やスレ民には、クズ夫婦!とくに嫁がクソ!と叩かれていたけど、私はとにかく二人ともかわいそうな悲劇と思えてならなかった
お節旋風とか商魂たくましいというか、
もうさハロウィーンをこえて、
クリスマスも越えてお正月の事を考えなくてはいけないぐらい日本人ってお節料理好きだったかしら?って
もうこの時期のお節推しがグイグイすぎて
日本はお節だらけになるかお節ならけにならないかの二択しかないわ。
カレーに飽きたら食べるものだというイメージしかないんだけど、
絶対にローストビーフとか美味しいおかずだけ先にやられちゃって食べられちゃうから、
そう言う渋いおかずがあとに残ってしまうのよね。
なんかもっと好きなモノだけを詰めたカスタマイズできるお節があったら
受けて作る側は大変だろうけど
そんで白菜とかも添えてあってって
別にそれでもいいんだけど、
お節ってそう言った意味では
一瞬迷って華やかな見掛けの体裁にいわゆるインスタ映えるだけ映えてテンションが上がるけど、
正直言って買ったりしないわね。
一瞬上がったテンションとともに一瞬でションテンが下がってしまうから
安泰人ってすぐに冷静になれるものなのよ。
好きなモノだけが詰まったお節だったら本当になににしようかしら?って
結局また迷ってしまって、
もう迷うことはないわね。
通常のお節なら
さっきも言ったように渋めのあんまりちびっ子が喜ばないフジッコの昆布の結んだやつとか
そういうのが残っちゃうのよね。
かと言って
上手く出来るような気がしないし、
シースーのパックのを中華鍋にほおりこんでシースーチャーハンにするのとはまたワケが違うのよ。
いまやもう
お節の有効性というか
そこまでしてお正月お店が閉まって危機迫る且つ鬼気迫る年明けって食糧難にはならないのよね。
まあ昨今の今頃からの時期のお節旋風ってのが
まだ野球もどっちがどのチームか優勝していないクライマックスどころの話しでもないまえに、
そもそもとして、
お節旋風の前に
どちらかと言うと、
そっちの方が年賀状描くイラストがギリギリまで決まらない方が危機迫る且つ鬼気迫るって感じなのよ。
オリンピックの「オ」かコロナ禍の中の渦の「渦」って感じが今年の漢字一文字になるかもしれないし、
あれ私思うんだけど、
漢字一文字に色々な一年の思いとか出来事とかを詰め込むなんて負担が大きすぎると思うのよ。
企業とかがさー
よくやってる伊藤園杯の川柳みたいに募っているけど募集していない体裁で
ローランドさんの言い方で言うと
この世の中は二種類の人間に分けることができて
そのローランドさんと夏井いつき俳句師匠がエヌエイチケーで街ブラしている番組のイメージしかないわー。
シリーズ化して欲しいんだけどって切に切望しているところよ。
だから世の中に
お節はあんなに余計に具だくさんなのに、
今年の創作四文字熟語大会ってのをどっか開催してくれないかなーって思うわ。
それなら私伊藤園のお茶に書いてある川柳全部読むもん!ってぐらい
応募作も全部読んじゃうし、
二つの団体が揉めて仲直りして1つにまとまるプロレスの団体みたいになるまでがセットってところまで
開催し続けて欲しいわ。
お節もいいけど、
私はありだと思う派よ!
うふふ。
お節にサンドイッチの詰め合わせでも良いと思ったけど
それならそれそのまま持って出掛けてピクニックできるじゃない!ってことに今気付いたわ。
そんなに粗熱も急いで取らなくても、
置いておいたら
いい温度になる飲み頃に。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
幼少期の思い出。両親ともに収入が少なかったけど、お金に困ることはなかった。とにかく金を使わない家庭だった。
だから家族で外食した記憶がほとんどない。泊まりがけの旅行をしたことも一度もない。日帰り旅行は何度かしたけれど、いつもおにぎりを持参して、昼は公園でピクニックしていたので地元の名物料理を食べることがなかった。
外食の思い出で唯一記憶に残っているのは、私が高校生の頃、兄の就職祝いで近所のガストに行ったこと。同居していた祖母が「私が払うからなんでも好きなものを頼め」といったものの、家族全員外食なんてしたことがないのでどうしていいかわからず、一人一品頼んでみんな無言で食っていた。わたしだけデザートをたのんだ。桃のヨーグルトだったような気がする。
大人になって友達や恋人と泊まりがけの旅行をしたり、人とよく会う仕事をしているので外食をしたりするのだけれど、たまに、こういうハレの場をうまくこなせないな、と思ってしまう。
気張ってしまうというか、こなれ感を出せないというか。
『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。
ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコードで挫折した組である。
今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。
その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。
ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。
先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園でピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしかし練習はしない!
ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金で電子ピアノ(YAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元の島村楽器のジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーションを継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。
その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし⇒同棲⇒結婚とライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。
音ゲー(BEMANI)で色々なジャンルの音楽(クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作・同人的なアクティビティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分も作曲できるようになりたいという思いを強化した。
典型的な形から入るタイプでギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM用音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。
上と関連するが都内に音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。
説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学やアルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。
小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。
ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。
またまた父親が唐突にレンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digitalが10万円台になりデジタル一眼レフが一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学でカメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。
やがてスマホのカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどから、スマホカメラにシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。
後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由は筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分の性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。
基本的なフォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。
書きながら自分のダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験と公認会計士試験と税理士試験と米国公認会計士試験も課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。
楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事!最近は「初心者が100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。
資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事!
あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!
関係ないかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonのぐっさんとか。
もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。
これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味のひとつになっている。
ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやすい場所にジムがあったりと環境が整っていたため、初心者の状態からベンチプレスで自分の体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。
趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドやセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロや無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。
最近はレーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。
マイナーなサブカルチャーが分かってる自分に酔ってる絹と麦だけど、押井守とか今村夏子とか「マイナー風メジャー」な人しか出てこない。
監督はあえてやっているんだろうけど、作者や作品の名前は出しても内容には一切触れていない。
例えば今村夏子のピクニックをすごいと言いつつ、何がどんなふうにすごかったかは言わない。宝石の国を読んで泣いたとは言いつつ、どこを見て何を思って泣いたは言わない。
内容を深く掘り下げることもないので、恋愛について語っているブログが川端康成とほぼ同じことを言っていてもブロガーの言葉(=マイナー文化側の人間が生み出した言葉)として解釈してしまう。
これは雰囲気だけで「エモい」「感動した」「めっちゃよかった」という若者に自らの姿を見せているのではないかな。
いかにもエモいと言われそうな映画を作って、流行りの俳優と女優を使っていかにもな出会いや別れや回想を表現して。
サブカル勢風の若い人にはウケ、本物のサブカル勢はあんまり好ましく思わないか共感性羞恥を感じてるんじゃないかな。
ちなみに自分が1番共感性羞恥を感じたのは、絹と麦が「ショーシャンクの空に」とか「魔女の宅急便」を好きな人を見下していたところ。その人たちも押井守の顔を知らなかっただけかもしれないのに、名前を言わず「神が…」といって私はわかっていますよ感を出す。中学2年生?
・娘の頬。瑞々しくて産毛すら愛しい
・選択したての掛け布団。掛け布団が気持ちいいとQOLが爆上がる
・近所の惣菜屋のなます。ちょっと添えられたゆずの皮が香るのが好き
・ママ友との公園ランチ。レジャーシート敷いてスーパーのお惣菜でピクニックするのは、ママたちの手間も変な張り合いも生まれなくて楽。子どもたちも楽しそう
・美容院で髪を切ってもらった当日。高くて3,4ヶ月に一度しか行けないけど、身だしなみ整えた感じがして気持ちも整う。
・「あなたはとても大切な友人」と本人に伝えられたとき。告白みたいに改まった感じじゃなく、会話のふとした隙間に口から飛び出して、少し照れくさいけど多幸感。
・お米がおいしく炊けた時。逆に安売りのお米がおいしくない時は、消化するまで悲しい気持ちが続く。