2021-06-11

花束みたいな恋をした」は若者の浅い文化への揶揄かな

マイナーサブカルチャーが分かってる自分に酔ってる絹と麦だけど、押井守とか今村夏子とか「マイナーメジャー」な人しか出てこない。

監督はあえてやっているんだろうけど、作者や作品名前は出しても内容には一切触れていない。

例えば今村夏子のピクニックをすごいと言いつつ、何がどんなふうにすごかったかは言わない。宝石の国を読んで泣いたとは言いつつ、どこを見て何を思って泣いたは言わない。

内容を深く掘り下げることもないので、恋愛について語っているブログ川端康成とほぼ同じことを言っていてもブロガー言葉(=マイナー文化側の人間が生み出した言葉)として解釈してしまう。

これは雰囲気だけで「エモい」「感動した」「めっちゃよかった」という若者に自らの姿を見せているのではないかな。

いかにもエモいと言われそうな映画を作って、流行りの俳優女優を使っていかにもな出会いや別れや回想を表現して。

サブカル勢風の若い人にはウケ、本物のサブカル勢はあんまり好ましく思わないか共感性羞恥を感じてるんじゃないかな。

ちなみに自分が1番共感性羞恥を感じたのは、絹と麦が「ショーシャンクの空に」とか「魔女の宅急便」を好きな人を見下していたところ。その人たちも押井守の顔を知らなかっただけかもしれないのに、名前を言わず「神が…」といって私はわかっていますよ感を出す。中学2年生?

サブカル風が好きな若者たちが、サブカル風の若者描写した映画を見にいく。映画スクリーンが鏡のように感じた。

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