はてなキーワード: いものとは
早熟だった。昔から女の子を性的な目でじろじろ見てた。そしたら当然きもく育った。
いまでは筋トレして比較的まともな顔にもなったし、いろいろ努力して多少はましになった。彼女もできた。
しかしいまでも女性を性的な視線で見てしまう。この癖は治らない。
何も楽しくないのに。手に入らないものだから、むしろ苦しいのに。
自分が嫌いだ。
ああ、女性ってなんであんなに美しいのか。
リベラルの人達「放射能から国民を守れ!国土を守れ!そんな危ないものなら多少の文化的衰退を覚悟してでも原発は要らない!」
保守主義の人達「原発は我が国の発展に必要不可欠だ!多少の犠牲が起きたのは確かに心が痛むが、仕方のないことだ!他の国にナメられないためにも、敢えて原子力政策は断行すべきだ!」
これ、いっつも思うんだけど、逆じゃね?
ここだけに反応するけど
もちろんよ。
買って欲しいと思ったなら、売り込みをかければいいと思うよ。
会社だって「そのマクロによりどれだけ利益が上がるか」や「現在の社内でプロジェクトを起こして従業員に給料を払って作らせるとどうなるか」を計算しながら、取引に望むと思うよ。
辞める人が持っている技術とかノウハウって、特に契約社員とか派遣社員ならその人の商売道具でしょう。
辞めるにあたって、そのノウハウを会社に落とせ、というのは理不尽だと思うの。
そのノウハウはその人に属するものであって、使いたいなら雇用しろ、ということじゃないかと。
まぁ、そのノウハウが業務上培ったもので、会社に所有権があるかどうかだけど。
たとえばマクロを組んで業務を100倍効率上げました。そのマクロは会社のもの?
引き継ぐのは元の1倍の効率での業務の方法であって、100倍効率上げるマクロについては会社は買い取らないといけないものじゃないのかな?
決め付けだな。「君がそう思う」以上の理由は何もない。
また抑圧や不自由に自ら戻った事なんてあったか?
と言っている。
君が挙げなきゃいけないのはエネルギーを捨てて蝋燭生活に戻れる人間とか。
考えていくのは結構だ。
うそつけよ。
考えていくだけの根気も知能ねえ癖にさあ。
こんなことしか言えないバカなわけだろお前は。
どこにどう考えた痕跡があるんだよ?
いい加減にしろよくそばかが。
おめーは天下国家だの社会だのを憂える前にもっと自分の勉強をすべきだった。
お前の口から出てくる大便の一個一個がお前の知性のレベルを露にしてる。
しかし、こういうことを言うと代案厨と言われるかもしれないが、何の案も提示せず「頭を絞ればいい」で済まされても困る、というのが正直なところ。
なーに勘違いしてんだ。
お・ま・え・が、代案を示す側なの。
俺でも君でもどっかの腐れ左翼でもない。
時代の流れがそうであって、すでに古い結婚システムは廃絶してしまった。
文語文が廃れてもう国語が戻らないのと同じ(と言ってもお前みたいな頭悪いくせに保守やってるバカは国語の話なんかついてこれないだろうが)。
お前はそうやってさあ
国が社会がって喚くくせに
じゃあどうするのかって言われて語って聞かせるビジョンも案もないわけだよ。
まともな調査も検討も出来ない、したこともない。
頭を絞れって言われただけでてきめん不機嫌になって不満そうにふてくされる。
ただ「昔にもどれ」ってそんな馬鹿でもチョンでも言える事を、実現可能性を度外視して喚いて満足する。
まさに、怠け者の、豚野郎の、頭を使えない、役立たずのゴミだろ。
お前なんかそのへんの店員やってる出稼ぎのチョンやチャンコロと出来に差がねえかそれより劣るよ。
もし日本人がみんなお前みたいなレベルなら早晩三国人に駆逐されたって何も惜しくない。
だろ?
思考停止して「昔に戻るか滅びるか!ウゲー!」って喚くだけ。
みんな一生懸命調べて調べて仮説立てて検証して、それでもなかなかこれって解決法見えてこないのが少子化なの。
フランスみたいに婚外子に手厚くすればいいのか?いやあれは本当に成功なのか?続くのか?
たっくさんの人間がたっくさん頭絞ってるの。
お前は国士ヅラして気持ちよくなるだけで一回も、一個も、真面目に考えた事はないよね。
お前みたいなのが保守っぽい事言うのやめてくれよな。
そしてね、主要先進国で抱き合わせ商法やってる国なんてもうねーの。
特に日本に伍するぐらい先進国になった国からは同時に抱き合わせ商法が消え去る。
だからお前みたいな右翼モドキが妄想してるような事は起こらない。
わかったら夜間高校でも行け。
二度と国がどうとか社会がどうとかに口出すな。
そういう問題はお前みたいな粗末な脳の参加を必要としてない。
チラリと子供に目をやって、凍り付いた。
チューブは外れないように何カ所か顔にテープで固定されており、
酸素を求めるように喘ぎ続けていた。
苦しみに耐えかねてか、足を引き攣らせるように動かしている。
ピンと反り返って微動だにしない爪先が、
訴えたい欲求がどれほど体内に溜まっているかを、表しているような気がした。
虐待とまでは言わないが、
それにしても、あの買い物、
行わなければならないものだったとは思えなかった。
http://japan-lifeissues.net/writers/rea/rea_02psycheffect-ja.html
中絶後の影響を経験した女性のおよそ60%が自殺を考えたことがあり、28%が実際に自殺を図り、そのうち半数が2回以上自殺を図ったと報告しています。
女性全体の1年間の平均自殺率は10万人に11.3人の割合でした。
中絶後1年以内の自殺率は、全女性の自殺率の3倍、予定日まで妊娠を全うした女性の7倍、流産した女性のほぼ2倍高い割合でした。
自分の利益を得ようと多くの人達が偏っていった場合の結末をご存知でしょうか。
正直、今のシステムだと天国にいる人間ばかりがあまりにいい思いをしてしまって、
地獄にいる人達は強く苦しむ事になるそうです。だから、地獄の事をもう少しなんとかしてほしいと言われました。
それには愛情深いサイコパスは仕事にとても向いているそうです。
地獄に行く彼らは自分で自分の首をしめている事に落ちるまで気がつかないでしょう。
そして、「騙された」といって他人のせいにするのです。
そんな愚かな人間にも愛情をかけたいのは山々だけれどもそれは容易ではないのだそうです。
今の社会では愛情は役に立たないものとして評価されません。そして、大勢の人間が押し黙り、彼らを救う芽は出てこないのです。
結局、今の状況を変えるためには誰かがリスクを背負って強い意志でやり抜くしかありません。
それをひとりの人間に押しつけるのはあまりにも酷であることは事実です。
だから、断る権利はあります。それは助けてくれる人が滅多にいない事からもわかります。
充実感を得られてもある程度以上になれば、たいした得にはならない事がわかっているからです。
今の状況は我々全ての人間が望んだ結末である事を覚えておいてほしいそうです。
これは本当に難しい問題です。どこまで解決できるかどうか誰にもわかりません。
しかし、出来なかったとしても良い人間は何も困りません。困るのは…そういうことです。
時間がかかっても対応はするつもりでいるので、ある意味では安心していいそうです。
あまり言いたくないのですが、彼はものすごく貴重な魂の持ち主です。あなたも良い人です。
終わり
一通り読ませて貰った。うつ病ではないけどうつ傾向のようなものはあるかも。
考えすぎてしまう性格なんだと思う。変わらなきゃと真面目に考え込まないあたりは軽度だけど、この先大丈夫かね。
その先人気が出て、ゴリ押しした分の先行投資を回収できると思うからゴリ押しするのであって、いくらゴリ押ししたところで売れないものは売れない。
要はビジネスだ。
ゴリ押ししたおかげでそのコンテンツを認知し、お金を払うほど満足した客がいるのだから
そこに価値が生まれていると言っていいだろう。
自分がどれほど興味がなくて、理解できなくても、それがどんなにくだらないものでも
それに興味を持って、視聴したり、購入したりする人がいて、ビジネス的に回っているのであれば、「ゴリ押し」はなくならないし、
ニーズの把握、資本の投入、そして回収、それが資本主義社会だ。
今回のAKBの総選挙で、テレビ局はニュースで大々的に国民的行事だと伝え
「興味ないよね」という会話も含めれば、かなりの人が話題にし、
熱狂的なファンは投票のために2000万注ぎ込み
その熱が冷めやらぬ中、なんと新人の「江口愛実」という子が彼女たちを指しおいてCMでセンターに抜擢されたという。
ここ数日ほど話題を集めていたが、
まあ、なんのことはない。結局、その子はメンバーの顔をCGで合成した架空の人物で
「江崎グリコ」の「アイスの実」から名前をとったという顛末であった。
国民的イベントという装いを纏った金銭投票の結末が、一企業の商品の宣伝だったのだ。
これを、なんと形容すればいいのだろう。まさしく茶番中の茶番である。
もっと見えにくい形で、巧妙な形で、あらゆるところに資本に回収されるような仕組みが僕らを囲んでいる。
はからずも、総選挙で2位に甘んじた子が「票数は愛です」という名言を残した。
これは、ホリエモンが言った「愛はお金で買える」よりも無意識のうちに資本主義社会の核心をついている。
お金で愛が買えるのではなく、愛はお金に回収されるというところがポイントなのだ。
愛じゃなくてもいい。あらゆる人間の感情と認識と思考が資本システムに回収される仕組みに満ちているのだ。
「好きだ」とか「かわいい」とか「モテたい」とか「面倒くさい」とか「寂しい」とか「エロい」とか
「見栄」だとか「常識」だとか「不安」だとか「時間」だとか「萌え」だとか「やりがい」だとか。
しかしながら、その感情も、それを回収するシステムも否定することはできない。
抱くべき「正しい」感情など本質的に存在しないのだから。この社会では、誰もそれを一律に決めることはできない。
自由に感情を抱き、自由に好きなものを買うことができる。
その感情がお金と結びついていること自体おかしくないのか、考えることもできる。
もちろん、考えないでブヒる自由もある。
ここまで書いて、「ゴリ押しだ」と叫ぶ人たちへの見方を少し変えなければいけないのかもしれないと思った。
大抵、批判の対象は電通・韓流・マスコミで、その背後に反日勢力がいるという論法に見飽きていたが、
その根底には、思い通りに金を回収しようとするシステムへの反感が、実のところ存在するのではないだろうか。
しかしながらそれも、「WiLL」「諸君」「正論」「嫌韓流」といった本のコンスタントな売り上げや
それを煽りアクセス数を稼ぐコピペブログのアフィリエイトなど、結局資本に回収される仕組みに飲み込まれているという入れ子的な構造がある。
「信者」と書いて「儲」と読むなんて、よくできてるなと思うが
人間の感情・思考を、あらゆるミームをお金に変換するシステムを作ったときに、儲けることができる。
それこそが資本主義システムであり、僕らに快適・安心・快楽を与えるくれるのと同時に、いつでも手をこまねいてチャンスを狙っている。
結局のところ、人間ってのは得てして感情論的にしか行動できないものなんじゃないのかな。
純粋に論理的ないし科学的な行動ばかりしていられたら、まったく違った景色が見られてたんだろうしさ。
でも、純粋に論理的ないし科学的な行動ばかりする存在って、果たして人間って呼べるんだろうか。
思考はできる上にひらめきも情報処理機能もちゃんと備わっていたとして、その上で感情に縛られない行動を選び続けられる存在というものは人間なのかな。
そもそも、感情に縛られない行動をするということが可能な存在って何だ。哲学的ゾンビなのかな。
人間は言語に縛られている。その上には言語化できないファジーな領域があって、つまりはそれがクオリアなのかもしれない。
詳しくは学がないからわからないけど、その曖昧模糊とした確かな領域が、人間が人間たる重要な要素の一つであると思う。
それは感情なのかな。思考なのかな。感情と思考はどちらが上位に在るのかな。マズローだっけ、階層なんたらの人。
本能こそが人間なのかな。あるいは人間的な本能ってものが存在しうるのかな。いけないな。本能の定義をしっかりさせていないから、また道を見失う。
というか、ずっと道を見失ってばかりじゃないのかな。そもそも道を歩いていさえいないんじゃないのかな。
水中を漂っているかのような空中を彷徨っているかのような、そんな妄想に近いことばかりしかできていないんじゃないかな。
不毛だな。
地区 | 事業所数 | 従業者数 |
---|---|---|
大田区 | -41.9%(×) | -42.7%(×) |
浜松市 | -39.6%(×) | -32.5%(×) |
東大阪市 | -31.7%(○) | -25.8%(×) |
全国平均 | -37.3%(×) | -25.6%(×) |
あぁ、げそは美味しいものね。
自分の大学はFランクと言われるほどの大学で過去のゼミ生の卒論も内容としてはひどいものだった。
それより良いものをつくろうと考えられる人間になりたいが、結果としては同じ。
痛手を被るのは製造業。自家発電をするにしてもコスト増は必須。
電力より人件費の方がネックで、
日本からの供給がなくなると多くの製品の生産がストップするまでにシェアをあげた
・・・っていうのが、今回の震災で浮き彫りになったはずだよ
早々簡単に他国にシェアを奪われることはない。
自然エネルギーの開発ね。まぁ日本がお金持ちのうちに開発投資をするのはいいけども、
どうせ同じなら化石燃料やウランなどの特定資源に影響しないものに投資したほうが得だよ。
全部リーマンショックが悪いけど
同人AVとインディーズAVの分類がよくわからなくなるので、両者の違いを審査団体の直接的な影響下にあるかいないかで大別し、更には利益をあげることが主たる目的かどうかでも判別するとしたい。
とはいっても、どこで線引きしていいものか私もわからないので、これは単なる目安。
さて、同人AVなんてものは存在するのか。結論からすると、ある。
同人イベントに参加して隈無く探せば他にあるかもしれないけども、webで見つけたのはここだけ。
もうひとつ知っているものとしてFS Knights Visualがあるのだけど、今はインディーズAVを名乗っている。
サークル・ふらすぴが2005年11月に立ち上げたAVメーカーで、最初の作品はこれ。
当時の日記でも「同人的AV」と言っている。webで確認できるものでも古いほうじゃないかな。
ちなみに、FS Knights Visualサイト内にあったSNS内「自主AVプロジェクト2006」っていうのをみても、自主制作AVは結構前からあるんだってことが分かる。
以上が広く流通している(といえる)同人AVのちょっとした記述。
類似するものとして、コスプレイヤー主体のいわゆるコスプレAVってのがあるけど、これは心交社の出しているようなイメージビデオで同人AVとしては捉えていない。
アメリカのコミックは衰退して「とりあえず安定して売れるから」という理由で低年齢層向けの下らないものだらけになって魅力のあるものが出てこなくなった
CDとは関係のない話だが、コンシューマゲーム市場では、ひとつのハードウェアがその使命を終えようとするとき、こぞって美少女ゲームだったり乙女ゲームがリリースされた
傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。
至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。
あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。
家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまったかのようだった。
なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。
梅雨空の下、わたしは沈黙したまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。
それは先生が子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。
わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。
声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉の意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき、意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中を押し出してしまった。
よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。
本当に、その程度の思いつきだったのに。
わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。
それも、そうだな。
ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。
わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。
今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。
にっ、とAが笑った。
何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。
絶対だぞ。
念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。
蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。
かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしから水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。
ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。
十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。
狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。
それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。
わたしは右手に傘を左手に水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。
雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。
どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園の入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。
Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルーの長靴だけが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。
たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。
やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。
がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。
点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。
わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。
やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。
シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。
口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。
乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。
べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。
べちゃり。
わたしは隣に佇むAに眼を向けた。
彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。
ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。
ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。
蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。
途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。
惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。
わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。
水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。
とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。
その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。
わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。
その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。
翌日。Aはどこにもいなくなっていた。
あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。
けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。
梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。
中学二年でiPad、iPod、Mac book air、etc...
なんでそんなに持ってるわけ?
いや、漫画とかゲームとかは買わずにそういったものに投資したというのは分かってるけどさ。
どうして中二でその発想を持てるわけ?
自分が中二の頃なんてやりたくもない部活をやらされて、宿題とゲームと塾って生活だったわけだが。
周りがそういう環境だったのか?
でも、妬ましいものは妬ましい。