結局のところ、人間ってのは得てして感情論的にしか行動できないものなんじゃないのかな。
純粋に論理的ないし科学的な行動ばかりしていられたら、まったく違った景色が見られてたんだろうしさ。
でも、純粋に論理的ないし科学的な行動ばかりする存在って、果たして人間って呼べるんだろうか。
思考はできる上にひらめきも情報処理機能もちゃんと備わっていたとして、その上で感情に縛られない行動を選び続けられる存在というものは人間なのかな。
そもそも、感情に縛られない行動をするということが可能な存在って何だ。哲学的ゾンビなのかな。
人間は言語に縛られている。その上には言語化できないファジーな領域があって、つまりはそれがクオリアなのかもしれない。
詳しくは学がないからわからないけど、その曖昧模糊とした確かな領域が、人間が人間たる重要な要素の一つであると思う。
それは感情なのかな。思考なのかな。感情と思考はどちらが上位に在るのかな。マズローだっけ、階層なんたらの人。
本能こそが人間なのかな。あるいは人間的な本能ってものが存在しうるのかな。いけないな。本能の定義をしっかりさせていないから、また道を見失う。
というか、ずっと道を見失ってばかりじゃないのかな。そもそも道を歩いていさえいないんじゃないのかな。
水中を漂っているかのような空中を彷徨っているかのような、そんな妄想に近いことばかりしかできていないんじゃないかな。
不毛だな。