http://anond.hatelabo.jp/20170314125940
解説:http://anond.hatelabo.jp/20170314172556
実例:http://anond.hatelabo.jp/20170314205841
そろそろ結構良いんじゃないかという人が出てきてくれないか。面白いとコメントしてくれた人が二人いたから一応それなのかもしれないが。
例えばゲームの動画だと食いつきがいいだろうし、また会話の流れをつかみやすいから自然と子供が楽しめるはず
ゲームに限らずともDIYや音楽の演奏法、Tipsなんかの動画もあって、興味のある分野であれば英語を楽しく感じやすくさせることができる
もっと高級なテーマで言うと海外の有名大学の講義も視聴できるし、実学的にはプログラミング講座みたいなのもある
もちろんスラングもあるし、非ネイティブの英語もくみ取らなければならず、必ずしも完全に正しい英語だけの世界とはいえないけれど、生きた英語が身につくのは間違いない
子供に英語を身につけさせたいなら、一日20分でも子供に海外youtuberの動画を見せて解説するべきでしょう
童顔なのと生来の落ち着きのなさもあってか、日頃は実年齢より若く見られがち。
最近気になるのはコンビニのレジの年齢ボタン(店員さんが最後に押すヤツ)。
「29」を押されると「えー、そんなに威厳ないかなあ」って思うし、
「49」を押されると「うーん、四十代に見られてたならヤバイなあ」って思うし、
「50」を押されると「マジか、疲れてんのかなおれ」って思う。
30-49が、マーケティング的に一緒である括りなのだろうけど、もう少し30代の気持ちに配慮してほしい。
おっさんであることは自覚しててそこは全く異論ないので、男の列なら下から順に
・ボク
・にいちゃん
・おっさん
・おじいさん
とかにしてはどうか。
今30代になって結婚はしているが
それなのに色んなことや人々に
それぐらいの年齢になると
こんな感情が芽生えるんだなと
しみじみ感じている
それとともにそれまで一切興味のなかったアイドルに
ずぶずぶとはまって行く自分がいる
先日はついに何千人がサイリウムをふるような場に参加していた
妻からは、それはアイドルだ、あんたもおっさんになったな、と言われている
たぶん妻のほうが正しい
でもたとえアイドルだとしても
うまくいってほしい、もっと有名になって、その魅力を認められてほしい
という感情が強い
そして「出会えてよかった」などというキモいことをいつも思っている
これは辞書的にいうと、いわゆる"親心"というものではないかと思う
親が子供に感じるのと同じなのではないだろうか
今日本では経済的な理由など、色んな理由で子供を持つことができない人が多い
私もそんな一人だ
反比例の相関があるのではないだろうか
個人的にはもしそうならうれしい
あらゆる事象を『マウンティング』を使って説明しようとする傾向を不思議に感じる。マウンティングと言われても機械の取付金具のたぐいしかイメージできない。いつから『マウンティング』が人口に膾炙し始めたのだろうか?
純正の検索機能で見つかる増田での初出は2014年11月25日18時25分。でもこれははてなの検索が『マウンティング』を形態素解析可能になったのが2014年秋頃というだけの話で、それ以前のエントリでもマウンティングが見られないことはない。2014年7月13日には既に見つけることができた。
Googleトレンドで見てみると2014年の春頃に急増している。その頃のニュース記事を検索してみると、渡辺千穂脚本、沢尻エリカ様主演のテレビドラマ『ファースト・クラス』が女性同僚間での『マウンティング』をテーマとして描いていてそれで一気に流行語になったのだと書かれている。
Googleトレンドでは2014年2月時点で既にグラフが上昇しつつある。これは2月8日に発行された瀧波ユカリ、犬山紙子著『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子の実態』https://www.amazon.co.jp/dp/4480815198の影響が大きいのではないかと思われる。
2014年1月以前も細々とながら使われていた。その中には2013年4月20日発行の『嫌われ女子50』https://www.amazon.co.jp/dp/4584134928という本についての言及も見られる。これも犬山紙子氏の著作である。犬山 紙子氏がこの人間の行動を『マウンティング』で解説するブームを作ったと見ていいのではないだろうか。
はてな村では2011年に内田樹氏がブログ内で使ってプチブームが発生した。「暴言と知性について」http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php
更に前になると2008年ごろからid:Nagise氏がはてなダイアリーで多用されてきた。はてな村での流行はid:Nagise氏にルーツがある可能性もある。
Youtubeで「drone gun」で検索をかければ遠隔操作でドローンが銃を撃つような動画なんかも見られる。
こうなってくるとドローンがAIを搭載して自律的に監視したり攻撃したりするのは時間の問題だと思う。
ルンバみたいに自分で電力源まで行ってプログラムに従って掃除するように
ドローンも電力供給源のあるドローン基地(ドローン用空母)みたいなのから勝手に飛んで軍事的な業務についていく
みたいなことが行われると思う。
そうなってくると海上での軍事行動にもドローンが配備されることになるから
さっき携帯電話に着信があって、出てみたらSoftBank光の営業電話だった。
利用中の光回線で困ってないし、携帯料金と一本化されるメリットも感じないから丁寧かつ素早く断った。
電話の後にモヤモヤする感じがあって、考えてみると電話営業のオプトインはどうなっているのかな、という違和感があったようだ。(純粋な疑問と、少しばかりの嫌悪感というか)
そもそも電話営業にオプトイン/オプトアウトの概念があるのか謎だけど、実はウンザリするような契約書の山のどこかに書いてあるのだろうか?
同意してサインした記憶もないけど、実は細かく精査してみると同意してたりするんだろうか‥‥。
自分が利用しているサービスに関して、新商品の営業やサポートで電話がくる分には、それほど拒否感はないかもしれない。
受け取る営業電話が数本/年だから比較対象にならいけど、子供が受講しているチャレンジで進級のタイミングとかにくる営業電話にも拒否感は少ない。
「SoftBankから、契約しているから知り得ているであろう電話番号に対して、セグメントされた顧客情報をもとに、全く異なる光回線という商材の営業電話がきた」という前提に対する拒否感なのかもしれない。
そこまで煩く言うつもりもないけど、メルマガくらいの感覚で営業電話を拒否できると嬉しいなと思いました。
蛇足で、競合他社が知り得ない他商品の販売に基づく顧客情報で営業する行為って、不正競争に該当したりはしないものなんだろうか?
三月の機械室は寒い。ビル全体に快適な空調を提供するための機械が詰め込まれ、常に忙しく稼働しているが、地下三階のこの部屋自体は空調の対象外だ。本来人間のいる部屋ではないから当然である。
束の間静かになったかと思うと、あちらの機器が動き、こちらの機器が唸る。遥か上層まで温風を送るための、巨大な機械の稼働音。出入口の重たい鉄の扉には、騒音の漏れ出しを防ぐためだろう、「開放厳禁」のプレートが貼られている。
その扉の横には、在室者表示パネルがあるのだが、あまり意味はないのかも知れない。人がいると表示されているにも関わらず、全ての照明をオフにして出てゆく人が時々いる。後に残るのは機械が動く音と、非常誘導灯の光だけ。
私はその、地下三階の機械室で働いていた。申し訳程度に置かれたストーブは、部屋の寒さと広さに対してあまりに貧弱で、温かいと感じたことはなかった。仕事中もコートは脱がず、ヒートテックの腰と肩と下腹部に、貼るタイプのカイロを仕込む。電気ポットも電子レンジももちろんないので、温かい飲み物を一日に二本は買いに行く。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。大きな音をずっと聞いているためか、外に出ると全ての音が遠く小さく聞こえた。
ここまでの文章を読めば、そういう場で働く職業の人か、と思われるだろう。だが、実際はタイトルの通りである。Excelや専用ソフトを用いた書類作成が主な仕事であり、その他コピー取りや備品の注文といった雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。機械室の奥の、気休めのようにパーテーションで区切られた広場という就業場所以外は。
そこに常駐しているのは私一人だった。他の人は打ち合わせで外に出たり、営業所に出向いたり、同じ建物内の別の事務所で仕事をしていた。
ただの事務のくせに、スマートフォンは常に手元に置いていた。心証が悪いのは分かっていた。それでも手放せなかった。一人きりで機械室に置かれた心細さも多分にあったが、在室表示を見落とした誰かに照明を落とされてしまったら、光源は非常灯とパソコンのモニターだけになる。そうなると私はスマートフォンのLEDライトを点けて、機器の間の通路を通り抜け、自分で照明スイッチの所まで行かなくてはならない。そういう事態が、一日に三度は発生する。昔、自分で懐中電灯を持って歩くお化け屋敷に入ったことがあるが、今は何故あんなものにお金を出していたのかと不思議に思う。機械室に、脅かしに来るお化けはいない。誰も居ない。こちらの方がずっと怖い。
そんな環境で三日ほど働いた。たったの三日。その三日間で、私の心は駄目になった。四日目の朝、起き上がれなくなった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と派遣元と派遣先にそれぞれ電話を入れた。そのまましばらくぼんやりしていた。食事を摂るべきだと思い至って、ベッドの上を這い、落ちるようにして床に降りた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなんかなかった。少なくとも昨日の終業の時点では。テキスト形式のToDoリストに、明日の作業に使うはずのファイルのパスを貼り付け、紙の資料は机の上に出しておいた。温かい飲み物を毎回買うのはお金がかかり過ぎると思い、買い物リストに魔法瓶と書き込んだ。小腹が空いた時のための飴のストックも、どの職場にも持ってゆく自作のマニュアルも、引き出しの中に入っていた。明日もここで仕事をするのだと信じて疑わなかった。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく退勤後、帰りの電車に乗った時だ。運よく空いた座席に座ることが出来た私は、鞄から文庫本を取り出したものの、読む気になれず膝の上に置いてしまった。凍え切っていた体が、車内の暖房に温められて緩むのを感じた。それを自覚した時、ああ、今の私はホームレスの人みたいだ、と思った。
ローカルな現象かも知れないので補足しておくと、私が利用している普通電車には、時々ホームレスが乗ってくる。全財産であろう荷物を抱え、申し訳なさそうに体を縮めている。彼らが乗ってくるのは、決まって冷え込みの厳しい早朝や深夜だ。深夜営業のマクドナルドも、地下街もない田舎だから、初乗り料金の切符を買って電車の中で暖を取るのである。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。好き好んでそうしているわけでもないのだろう。私も同じだ。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この労働環境と、冷え切った体だった。
心の背骨が、音を立てて折れた。
たった三日で、と書いたが、実際はそうではない。実は夏から、私は似たような環境で働いていた。
そこはとあるビルの、やはり本来は機械室で、冷房機器がなかった。もちろん窓もなく、日差しに焼き殺されることこそなかったが、這い上がってくる湿気に蒸し焼きにされるような、座っているだけで体力を削り取られるような環境だった。
体調を崩して病院に行くと、熱中症と診断された。冷房を付けないと体に毒ですよと医師に言われ、冷房機器自体が職場にないと伝えると絶句された。月の医療費は一万円近くに上り、休んだ分の給与はもちろん出ず、家計は逼迫した。冷房なしでも平気な鋼の肉体ではない私が悪いのか、と理不尽に感じた。
それでも働き続けたのは、頑張れば良くなると信じていたからだ。冷房は今手配してるから、という雇用主の言葉を信じていた。臨時の事務所と言えどここまでひどいことはそうそうない、とも聞かされていた。認められれば営業所への配属も叶うと思っていた。結局、夏も終わる頃になって馬力不足のエアコンが付いた。そんなものが要らない秋が来て、防寒着とカイロとヒートテックで武装するしかない冬が来た。
なんとかそこでの仕事を二月いっぱいまで勤め上げ、三月からの配属先も機械室の臨時事務所だと聞かされた。今度はきちんとした事務所でしょうね、と私は確認した。ちゃんとした事務所の体裁になっている、という言葉を信じて、契約更新の書類に判を押した。
ちゃんとした事務所。
机とパソコンが置かれ、電話と通信環境さえあれば、それは「ちゃんとした事務所」ということになるのだろうか。パーテーションを暴力的に乗り越えてくる冷気と騒音は、ないものと見做すのが一般的なのだろうか。私には分からない。
ただ、体を壊し、薄給にも耐えて、それでも次は良くなると信じて頑張った結果がこれか、と絶望を噛み締めるには十分だった。新しい事務所の環境も、三日間という時間も。
仕事に行こうとして起き上がれなかったあの日から一週間、ずっと泣いて過ごしている。正確に言うと、何をしても涙が出て止まらないのだ。あの機械室で過ごした時間よりも、自室の壁を見つめて泣いている時間の方が長いというのはどういうことか、自分でもおかしいと思う。
年甲斐もなく泣きじゃくりながら関係者に電話をして(泣き止んでいる時間がほとんどないのだからやむを得まい)、とりあえず休職することが決まった。仕事が休みになったらやりたいと思っていたことは沢山あったはずなのに、旅行はおろか、買ったままになっていた本を開く気力もまだ湧かない。せめて気持ちを整理しようと、布団に潜り込んだままタブレットを使ってこの文章を書いている。
まだ耐えられる、という考え方は危ない。自分の限界と、改善の時期を正確に見極められるのならその限りではないが、少なくとも私には無理だった。まだ働けると思っていた。自分の限界は、思っていたよりも小さかった。
雇用主の人は、どうか労働環境に気を使って欲しい。口では耐えられると言いながら、無自覚のダメージでボロボロになっている、私のような人もいるかも知れない。同じ環境に置かれても、年に八百万円貰っている管理職と、四百万円貰っている社員と、二百万円貰っている派遣社員と、仕事が大好きで報酬なんか気にならないという人では、耐えられる限界がそれぞれ違う。
もし望まずに似たような環境に置かれている人がいたら、出来れば逃げて欲しい。次の仕事も見付けられていない私が、逃げても大丈夫だよ、とは到底言えないから、「出来れば」としか言えないのだけれど。朝から晩まで涙が止まらず、食べ物を買いに出れば道行く人や店員にぎょっとされ、転職活動をしようにも履歴書に貼る写真が撮れない、自分の好きなことも楽しめない、友人からの電話を受けてもロクに話せない──こんな状態になるくらいなら、もっと早く逃げておくべきだったのだと思う。
涙が止まったら、仕事を探しに行くつもりだ。最低限の空調機器の備わった居室で働かせてくれる転職先が、見つかるといいのだが。
【同月16日23時 追記】
勢いのまま書いて投稿したものに、多少の加筆修正を行った。面白くもない話題の長文なのに、予想よりもブクマ数が多くて驚いている。目を通してくださった方、ありがとう。その程度で休むのか、とのお叱りも覚悟してコメント欄を開いたはずが、今は世界の優しさを痛感している。
子供の頃の夢は作家だったので、文章力を褒められたり、覆面作家じゃないかと疑われるのは面映ゆい。私が本当に作家だったら、有名なジョークよろしく「良かった、可哀想な派遣社員はいないんだ……!」となって、それはそれで良かった気もする。
現実の私は、ボイラー技士の資格は持っていないが、その類の業界の専用ソフトの扱いに慣れている。派遣会社は業界経験者優先で仕事を紹介するし、少人数の臨時事務所は特に教育不要の経験者を欲しがるわけで、私が同じ業界の似たような職場に続けて派遣されたのはさほど不思議なことではない。
この労働環境が法に触れるものであることは、私も承知している。ただ、同じ事務所に出入りする他の社員たちは、不満は言っても我慢は出来るという様子だった。性別も給与も、滞在時間も違うのだから仕方がない。
私が一人で告発したとして、正社員ならふてぶてしく居座ることも出来るだろうが、派遣社員の場合はそれが原因で(表向きは「経営上のやむを得ない事情」で)即座に切られる可能性がある。自分の就業中にはとても出来なかった。逆に今の私は失うもののない身なので、後任が同じ目に遭う前に一言言っておきたいとは思っている。
本文中にも書いた通り、もしこれを読んでいる中に環境を作る側の人がいらしたら、少しの配慮をお願いしたい。この記事へのブクマコメントだけでも、「私より辛かったんじゃ……?」と思うような書き込みが複数あった。それらは全て、改善されるべきものだ。改善出来ない立場の人は、どうか自分の身と心を守って欲しいと願う。
幸いだったのは、今回の派遣先が短期契約で、私も近々次の仕事を探す心積もりであったこと。転職情報を集めたり、職務経歴書を作り始めた矢先だった。自分の心が折れたのは計算外だったものの、少し休んで五月くらいに次の仕事を見付けられれば大体予定通りだな、と結構気楽に構えている。
収入が絶えることだけが不安だったので、傷病手当金を貰える可能性があると教えて頂けたのは助かった。貰えないとしても、自分のメンタルケアのためにも明日は病院に行くつもりだ。
名も顔も知らぬ私の文章を読んで、心配してくれる人がいる。それだけで心が軽くなった。本当にありがとう。
ストレス要因はなくなったので、たっぷり寝て美味しいもの食べて、あとはジョギングしてプール行って本読んで映画観てカラオケに八時間くらい篭もれば回復すると思う。今はまだ泣いてるけど。私の今後のことは、どうかご心配なく。
恐ろしいというか笑えない
歴史に有用性を見出すなら過ちを繰り返さないために存在していて
この間、日本人の平均読書スピードが600字/分と知って衝撃を受けた。
ついでに自分も測ってみたら、どこまで正確かは知らないけど2200文字/分だった。
ということは、俺が1分で読める文章を3分から4分で読むのが普通で、5分以上かかる人もいると。
2chとかでよく見る3行でまとめてくれとかって、今まで全部「どうでもいい長文乙」というネタだと思ってたけど、
中には本気で言ってる場合もあるんだね。
最近、というかここ数年、すぐに悪態をつく脳になってしまい、つらい。
電車の中では、是が非でも網棚に鞄をダンクしたがるオジサンに「お前は三井か。きめぇんだよクソが」と考えてしまい、エスカレーターでは、右側で歩かないおばさんに「どけよパンチばばあ。ジャマにならん所で電池切れろ雑魚が」とか考えてしまい、くしゃみが矢鱈とうるさいおっさんに「そのくしゃみで頭爆発しろナメクジが」とか考えてしまう。
昔はもっと温厚で、右の頬を打たれれば、左の頬を差し出すアンパンマンのような好人物だったのに、どうしてこんな悪態脳になってしまったのだろうと日々後悔の連続だ。
出家して三年くらい岩と向き合いたい。
ずっと憧れていた職場の先輩と、そういう関係になったことがある。
3歳年上の、物腰柔らかな先輩は、毎日スーツをきっちりと着こんで出勤してくる。
わからないことを聞けばいつも丁寧に答えてくれるし、ちょっとでも憂鬱な顔をしている後輩にはすぐ声をかけて飲みに連れ出す。
日々の自分の業務をこなしながらも、同僚たちのこぼれたタスクを拾い、業務フローなどの改善にも余念なく、いつも誰よりも遅い時間に帰る。
仕事でプライベートを犠牲にしているタイプかと思いきや、学生時代に知り合った奥さんと新婚ほやほや1周年。
「むしろ籍を入れてから仕事への熱の入れ方が増した」「やっぱり結婚って張り合いが出るんだな」と部内でももっぱらの評判だった。
せめて結婚さえしていなかったら私にもチャンスがあったかもしれないのにな~残念だな~と軽い気持ちで思っていたとき、それは起きた。
私が不慣れで手こずっていたタスクを遅くまで手伝ってもらっているうちに終電を逃してしまい、とりあえず会社そばの24時間営業の居酒屋に入り、あれやこれやと普段話せなかった先輩へのあこがれの話などをしていたら、ラブホテルに行く流れになってしまったのだ。
いくら好意を持っているとはいえ、自分が既婚者とそういうことになるとは夢にも思っていなかったので、酔いがさめてからかなり呆然としたし、一度きりでもう忘れようと思っていたのに、その日からむしろ先輩は以前よりも親密なコミュニケーションをとってくるようになって、その後3カ月ですでに5~6回はそういうことになった。
子供もいないようだし、もし本当に私にちょっとでも気があるなら離婚してくれないかな……と都合のいい考えに浸り始めた私だったが、不倫経験のある友人に、彼がどういう人かを話しているときに、ふと気づいてしまった。
彼が私に体を許すときは、大体酔っぱらって「家に帰りたくない」と蚊の鳴くような声で発するのが常だということに。
もしかして、彼が誰よりも遅く帰るのも、私の残業につきあってくれるのも、なんならラブホテルについてくるのも、単に「家に帰りたくない」からなのではないだろうか?
とすれば、きっと一時的に略奪できて、結婚できて、家庭を持てたとしても、彼はきっと「家に帰りたくない」と他の女に言って、どこかのラブホテルに行ってしまうのだろう。
そう考えたらとんでもなくみじめな気持ちとしょうもない気持ちが押し寄せてきて、私は彼に「もう二人で飲むのはやめましょう」と一言メールをし、それ以来、どんなに仕事で遅くなって彼と二人きりになっても、タクシーで帰るようにした。そうするうちに彼は昇進して別部署に栄転となり、私は他の男性との結婚が決まって、彼について地方に行くことになった。