はてなキーワード: 標識とは
そしたらなんか車がめちゃくちゃいっぱいで走れないんです。
で、よく見たらなんか標識垂れ下がってて、時速60キロ制限、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、時速60キロ制限で普段来てない津軽道に来てんじゃねーよ、ボケが。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で津軽道か。おめでてーな。
よーしパパ追越車線走っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
片側2車線で追い越した奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
抜くか抜かれるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと抜いたかと思ったら、隣の奴が、追い越し車線消えるから入れてくれ、とか目で訴えてくるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、追い越しだ。
お前は本当に追い越しをしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ストレスたまってるだけちゃうんかと。
津軽道通の俺から言わせてもらえば今、津軽道通の間での最新流行はやっぱり、
車間距離、これだね。
車間距離多めライト点けっぱなし。これが通の走り方。
車間距離ってのは遠すぎても近すぎてもダメ。そんでスピードも控えめ。これ。
で、それにライトもフォグも、おまけにハザードも点けっぱなし。これ最強。
しかしこれを毎回やってると次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
まあお前は、大釈迦でも走ってなさいってこった。
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
★人間、選択肢が10個以上あると、かえって逡巡して行動ができなくなる傾向にある。
「首都圏以外の43道府県が選択肢」となって、選択肢多すぎて決断できない、という
状況に陥っているような気がする。
「東北のどの県を支援するか、予め決めておく、カウンターパートナー方式」を取ったように、
「世田谷区だと岩手県を紹介、杉並区だと山形県を紹介」のように
首都圏人から見ると、山形と青森、いずれも自然が豊かなんだろうが、
「山形も青森も、自然が豊かなのはわかったけど、どっちがいいの?
今度の旅行でどっちに行けばいいの?
迷っちゃって面倒だから、旅行取りやめ」てなことになりかねない。
ビジネスも同じ。
その点、韓国と相対する福岡県であれば「日本で一番韓国に近い都市」ということで、
北海道は「日本で一番ロシアに近い都市」ということで、差別化が可能。
青森が「ロシアとの交流」を標榜しても、地理的関係では北海道に負けるし、
大分が「中国との交流」を標榜しても、地理的関係で長崎に負ける。
であれば、多少「こじつけた理由」で、他国(非英語圏が望ましい)と
「A国のことなら、B県に聞いてしまえ」というまでにのぼりつめればいい。
例えば、大分県の「こじつけ理由」として、大分県は地熱発電が盛んである。
であれば、地熱発電が盛んなインドネシアと、カウンターパートナーとなる。
具体的には、
・大分空港からジャカルタへ直行便、ジャカルタ以外の複数都市にも直行便
・大分銀行が、日本企業(県内企業)のインドネシア進出サポート
・大分県内のNHK/民放で、インドネシア語のバイリンガル放送
・県内図書館にインドネシア語書籍、インドネシア関連書籍揃える
・インドネシア系企業・商店が集積する「インドネシア村」の設置
「インドネシアに強いかどうか」ということで、明白に差別化できる。
在京企業もインドネシアビジネスしたい場合には、大分に行ってビジネスした方が
他県も、こじつけでいいから、外国とカウンターパートナーの縁を結ぶ。
鳥取は砂漠研究が盛んだから、中東の例えばサウジアラビアと縁結びする。
りんご栽培が盛んな青森は、中国アメリカに次いで世界3位のリンゴ大国のポーランドと縁結びする。
さくらんぼ栽培が盛んな山形は、世界1位のさくらんぼ大国のトルコと縁結びする。
多少こじつけでもいいから、その地域の「強み」が生きる相手国と
縁結びするのである。
こうすれば「青森と山形、大同小異、どんぐりの背比べ」じゃなく、
「青森はポーランドビジネスの拠点、山形はトルコビジネスの拠点、日本国内でオンリーワン」となる。
非英語圏諸国は、英語が通じない、通じづらい、というハンディを抱えている。
そのハンディを、カウンターパートナー先の県が、教育・マスコミ総出で
解消してあげるのである。
この構想は、今47都道府県にばら撒かれている「各県インフラ4点セット」を、
逆に利用してやれ、という発想である。
各県インフラ4点セットとは、空港・国立大学・地銀・県紙(テレビ)である。
明治以来150年の歴史を誇る、47都道府県の4点インフラを有効活用しないのは、
いかにも惜しい。
自転車:歩道走行禁止、厳格運用…警視庁が安全対策策定へ - 毎日jp(毎日新聞) mainichi.jp
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111019k0000m040191000c.html
まず歩道とは?
(定義)
歩道は「縁石線又はさくその他これに類する工作物」によって区分された箇所をいう。
三の四 路側帯 歩行者の通行の用に供し、又は車道の効用を保つため、歩道の設けられていない道路又は道路の歩道の設けられていない側の路端寄りに設けられた帯状の道路の部分で、道路標示によつて区画されたものをいう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B7%AF%E5%81%B4%E5%B8%AF
路側帯という。
はてブに路側帯の言及が全くないのでたぶん勘違いもあるかと思うのだが、というか自分が勘違いしてたんだが、路側帯は歩道ではないので、歩道走行禁止とは無関係。
路側帯は、原則として自転車走行が認められており(17条の2)、左側通行の原則もない(17条4項は括弧書きで路側帯を含む歩道等を除外)。歩道と違い路側帯の車道側を走るべきという規定もない。
(通行区分)
第十七条 車両は、歩道又は路側帯(以下この条において「歩道等」という。)と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない。ただし、道路外の施設又は場所に出入するためやむを得ない場合において歩道等を横断するとき、又は第四十七条第三項若しくは第四十八条の規定により歩道等で停車し、若しくは駐車するため必要な限度において歩道等を通行するときは、この限りでない。
4 車両は、道路(歩道等と車道の区別のある道路においては、車道。以下第九節の二までにおいて同じ。)の中央(軌道が道路の側端に寄つて設けられている場合においては当該道路の軌道敷を除いた部分の中央とし、道路標識等による中央線が設けられているときはその中央線の設けられた道路の部分を中央とする。以下同じ。)から左の部分(以下「左側部分」という。)を通行しなければならない。
第十七条の二 軽車両は、前条第一項の規定にかかわらず、著しく歩行者の通行を妨げることとなる場合を除き、路側帯(軽車両の通行を禁止することを表示する道路標示によつて区画されたものを除く。)を通行することができる。
2 前項の場合において、軽車両は、歩行者の通行を妨げないような速度と方法で進行しなければならない。
(罰則 第二項については第百二十一条第一項第五号)
なお、車道を走る場合は当然左側通行なので、右の路側帯を走るときは路側帯から車道にとび出ることの無いように注意しなければならない。
ここまで書いたんだけどよく考えたら近所に歩道無いじゃん路側帯ばかりじゃんとなったのでもういいや・・・
70歳以上は歩道走行許されるけどどうやって警察官はみわけんだよ?若いのばっかねらうんじゃないの?とか
「車道又は交通の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」は普通人も走行できるんだけど?とか
この誤信はどうするの?故意犯だよね?とか
交通反則通告制度との均衡はどうなの?自動車なら前科つかないのに自転車は前科つくわけだけど?とか
いろいろ考えてたんだけど
「世のため人のため社会のために運転はするな」と言われたので、
アクセルの回転数を時間比例でしか上げられないようにしたらどうかなぁと思ったけど、
あまりよくなかった。坂道発進が危なすぎる。危険回避もできないし。
ブレーキもアクセルも必要なのでつけるとして、アクセルとブレーキがすぐ隣にあるのが悪い気がする。
今は片足で踏み替えができる範囲にあるよね。もっと物理的に離れたところに設置することはできないの?
右足の延長上のもっと右側にブレーキで、左足の延長上のもっと左側にアクセルとか。
いくらなんでも「間違って」右足で左足の外側にあるものは踏まない、よね?
もしくは、ロック解除ボタンを押さないとアクセルが踏みこめないとか。緩める方向は随時OK、踏むときはロック解除。
ブレーキのかわりにアクセルを踏んだとしても、ロックを解除していないから踏み込めない。
高齢者による踏み間違い事故が多いことから、高齢者を判別できるようにもしたい。
車本体に高齢者色を設定するというのは難しいので、高齢運転者標識の表示を義務化してほしい。
年金をもらい始めるのと同時に義務化。60歳から年金受給の人は60歳から。70歳からの人は70歳から。
月数が足りなくて年金が受給出来ない人は、一般的な受給開始年齢から。
もちろんその前からつけるのはまったく問題なし。
東電がー政府の対応がーとか怒ってる人はカリカリしないでこの歌でも聞いて落ち着こうぜ。
「じこはおこるさ」
http://www.youtube.com/watch?v=8HV23ThBo04
スリルなんてちょっとなら楽しみさ
へっちゃらさ なんて知らん顔して
走っているとそんな時
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってるとバチがあたる
事故がほら 起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は 起きるものさ
思いつきでやると きっと 失敗するよ
幸運の女神は気まぐれだから
ウキウキしてるとまっさかさま
忘れないで気をつけてね いつだって
事故がほら起きるよ 突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
うまくやれるようにがんばろうよ
事故は起きるものさ
大事なモノばかり見落とすね”
そんな時必ずやってくる
二度とやらなければいいけど
事故がほら起きるよ いきなり来る
調子乗ってやってると
バチがあたる
事故がほら起きるよ
いい気になってると
そうさ、よそ見してるその時に
事故は起きるものさ
事故がほら起きるよ突然さ
運が無い時はしょうがない
なんとかしよう
事故がもし起きたら
落ち込まないで
忘れてると事故は起こるさ
ほーら
いい歌だと思う。
最終的には人間嫌いに行きついちゃんだけども、
このルールの時点で守れていない人がほとんど。
逆に言うと車道か自転車道に出るまでは降りて歩かなきゃいけないわけだけども
そんなの面倒だろうから全区間乗っちゃう。
流行りのロードバイクの人はちゃんと車道中心に走っているかもしれない。
でもきっと歩道も走ってるよね。
後は迷惑駐輪。駐輪禁止の標識の前でも平気で駐輪。
駐輪スペースがないから、とかいう理由で。
自分が便利ならそれでいい、という考え方の人が乗る乗り物。
乗れるような環境づくりをせよ、とかいうのはまた別の話。
現状そういう環境じゃないわけだから。
例外的に完璧に乗りこなしている人もいるかもしれない。
でもそれって100人に1人とかそういう割合だろう。
なので、自転車に乗る人が嫌い。
トラバ付けてくれる方いらっしゃったので追記。
むしろ迷惑かけることが多い方だと思う。
迷惑の基準の問題。法を破って他人に怪我をさせる可能性があることまで
単なる迷惑の基準に入れちゃう人ってやっぱり好きにはなれない、ということです。
そうゆう人ってどこまでのことならやっていいと思ってるんだろう?
最近話題のカンニング?万引き?人殺し?その基準がわからないので、
自転車乗りになって自転車乗りの人に同情的に、というのは以前の感覚が麻痺しちゃったんでしょうね。
なんでも好きになれれば楽だとは思いますが、単純に多数派に流されて自分の考えを持てなくなる
ということは避けたいのです。具体的な反論はできずにとりあえず多数派に付いて
安心したいだけの人が多い今の現状に立ち向かうのはしんどいですけど…。
いくら日本の一部の連中が癌で死にかけていたとはいえ、あのやり方はあんまりだろ。おかげで戦利品は半分ぶっ飛ぶわ、頑張ってた奴らは標識をいきなり変えられて大混乱するわ、中には一番うまく行っていたときに死ぬことになる奴がいるわ、小泉は最悪なことをやった。あいつがやったのはドサクサまぎれで自分のオナニーを日本にぶっかけただけ。んであいつの政策は弊害ばっかりだし、めちゃくちゃやりすぎてその後に変な事件が多発して社会が余計悪化するわで、結果的にあいつのせいで日本が積み重ねてきた社会は壊滅した。なんせ日本を動物園にしたんだからな。あいつが出てくる以前はもっと理性的な風潮があったぜ。みんなあいつに殺されたときは苦痛だったはずなんだよ。だけどあいつの殺し方は、犯人をあいまいにし、一瞬苦痛を感じるけどいったん死んでしまうと何も感じなくなるように巧妙に仕組んでいるから、みんな誰にいつ殺されたという最悪の事実を認識していないんだよ。言ってみれば牛や豚の殺し方と同じように、麻酔や投薬をして殺しているから、苦痛があまりなく、殺された後も誰が殺したか分からないように工夫している。しかしお前らは小泉純一郎に殺されたんだよ。こういう凶悪犯罪者は死刑で当然。誰か小泉元首相の所在を探し出してめった刺しにして殺せ。まずこいつの家族から殺して本人に苦痛を与えながら最後にこいつを殺せ。理不尽な暴力で多くの国民の努力と人生を無にした罰だ。
いくら癌で死に掛けていたとはいえ、あのやり方はあんまりだろ。おかげで戦利品は半分ぶっ飛ぶわ、頑張ってた奴らは標識をいきなり変えられて大混乱するわ、小泉は最悪なことをやったんだよ。「後世に評価されるだろう」とか嘯いてな。あいつがやったのはドサクサまぎれで自分のオナニーを日本にぶっかけただけ。
んであいつの政策は弊害ばっかりだし、めちゃくちゃやりすぎてその後に変な事件が多発して社会が余計悪化するわで、結果的にあいつがぶっかけた精液のせいで日本が積み重ねてきた高級な社会は壊滅した。なんせ日本を動物園にしたんだからな。あいつが出てくる以前はもっと理性的な風潮があったぜ。こういう凶悪犯罪者は死刑で当然だろ。
ことの始まりは、立ち入り禁止区域に入り込んだ酔っぱらいの言い訳からだった。
「ちゃんと標識は見たさ。だがなあ、俺の肌は黄色いぜ、黒じゃない」
確かに立ち入り禁止の標識に描かれている人間は黒い、真っ黒だ。しかし、それはわかりやすさを優先したからで、他意はない。ましてや人種を意識しているなんて。
だけれど、標識に黒い人間を描くのは人種差別だとして、話は進んでいった。酔っぱらいの話が火種となって、あらゆる人種差別撤廃団体が、署名活動を始め、それは日本だけでなく、海外にも広まった。その数二億名分。日本の人口より多いのだから、これはもう国も動くしかあるまい。と言うことで、標識上の人物における差別の撤廃会議が行われた。
私は名のしれた広告デザイナーだ。以前、国の事業の広報ポスターを担当したのがきっかけとなり、この会議に喚ばれた。
差別撤廃団体の代表たちと、私のほか数名のデザイナー、そして政府の担当者が、ぐるっと円を囲むようにして、座っている。
「とにかく、今回は色だけ変えましょう。ええ、まず黒は駄目なので、白はどうでしょうか」
白人の差別をなくす会日本支部の代表が、ドンと机を叩いた。
「駄目に決まってるだろう!白人差別だ」
「黄色はどうでしょうか」
黄色人種を守る会日本支部の代表が、血管を浮かして怒鳴る。
「それは黄色人種をバカにしているんですか。ふざけないでください」
「じゃあ、赤、赤ならどうでしょうか」
今度は二人立ち上がる。フェミニズム協会と、ネイティブアメリカンを救う会だ。
「赤は女性を象徴する色です」
「そしてネイティブアメリカンをだ。そんなのは許せない」
「じゃあ、青は」
今度はマスキュリズム協会。
「青は男の色だ」
「なら、灰色は、白でもないし黒でもない、そして黄色でもない。中間を表す色です」
「混血協会がだまっていないぞ」
「なら紫はどうでしょうか」
「ニューハーフ業界がデモを起こすわ」
しばしの沈黙。しょうがない私の出番であろう。私はゆっくりと口を開いた。
「緑だったら。緑ならいいでしょう」
これなら見栄えは悪いが、誰も差別とは思わないだろう。
しかし、それは早くも崩れさった。奇病による肌の変色を差別から守る会の人間がこちらを睨んでいる。私は黙るしかなかった。
するとそのとき、私の隣にいた若いデザイナーが、おどおどしながら、すばらしいアイディアを提案した。
「じゃあ、複数の色を使うとか」
「つまり?」
「虹色にすれば、みんな平等に立ち入れないことを示せませんか」
そういう考え方が有ったのか。急いで色鉛筆で虹色の標識を描く。見事としか言いようがない。まさか肌が虹色になる病気なんてあるまい。
ちょうど、そのとき、お茶を注ぎに来た事務員にその絵を見せてみた。半分自慢のつもりだったのだが、なんということか、事務員が叫びだすではないか。
「これは駄目です。いけません。ニュースをみてないんですか」
「どういうことだ」
「落ち着いて聞いてくださいね。水星人がはるばる地球まで移住にきて、その受け入れが決まったんです」
「それとこれに何の関係がある」
関係は大いにあった。水星人の肌は、きれいな虹色をしていた。
これ以上に八方塞がりなことはあるだろうか。あったら、誰か教えてほしい。みんな疲れきっていた。そうして、とうとう、あの若いデザイナーが狂い始め、突然大声で叫んだ。
「黒も黄色も緑も紫も青も虹色も駄目とは、いっそのこと色なんかなければいい」
腐っても鯛、狂ってもデザイナー。「色なんかなければいい」これである。
「透明はどうでしょうか」
「透明?」
「ええ人を透明にするんです。それなら、大丈夫でしょう。まさか幽霊に人権はないですからね」完璧に思えた。しかしそのときである。
いきなり私は誰かに殴り倒され、マウントポジションでボコボコにされた。
なるほど、透明人間は実在する。
それはもう、非常に理解しがたいです。他の惑星で映画を撮ってるようでした。
―それはなぜですか?
ただ、何もかもが完全に違っているんです。よく言われることですが、道路標識から人々の行動の仕方、ふるまい方など、何から何まで。なんというか・・・ただ自分たちとはあまりに違っています。うまく言えませんが。
―あなたは日本社会を共産主義と比較して、資本主義の顔をした共産主義と言っていましたよね・・・それはどういうことですか?
恐らく、そういった類の管理社会だからです。共産主義下の人々が自由でないような・・・それと同じように、日本は強烈な超資本主義社会であり、社会が莫大な金儲けを追求し続ける中で、人々が自由でないのです。皮肉なことに、映画に出てくる日本人たちには全くお金がないわけですが!
―映画の主人公は他の日本人とだいぶ違っているように見えます。画一主義、同調主義でないし、とてもユーモアがあるし、くだけた物言いをします。なんと珍しい!
(笑) まぁ確かに・・・こういう日本人には会ったことがないでしょうね。彼は例外的に珍しいです! たぶんこの映画を作った理由はそういうところにあると思います、本当に・・・。例えば、会社の朝礼の場面(皆で朝の体操、あいさつの練習や目標の斉唱をする)、あれこそ日本です。あの悲惨な国のそういった部分こそ、これまで見てきて疑問を持ち続けてきたことなんです。
―あなたは、日本人は彼のような国民を否定的に見ている言っていましたが。
そうです。日本人からすると、彼は日本で良いイメージを持たれるような輝かしい例ではありません。日本人にとって、彼のような人は単なる負け犬です・・・公の場に汚点を晒しているようなもので、日本の文化の中では恥さらしと思われます。彼自身にとっても、国にとっても、国民にとっても恥だと思われるんです。彼は女性のヒモ状態で生活しています。現代の日本では非常にネガティヴなイメージです。でも、日本人は歓迎しませんが、僕は彼はこの国のヒーローであると思います。日本人が早く目を覚まし、国のおかしさに気付いて現実的に対処しようとすればするほど、その方が多くの人にとってマシになるはずです。そしてたぶん、一日に100人も自殺するような状況を止められるでしょう。
http://shonai.air-nifty.com/dokitomo/2010/02/68-c890.html
当初は張り切っていた私だったが、東京の中でさまよううちに、この映画が今までで最大の難題だと気付いた。私のジレンマは、日本をあまり好きになれないということだった。人々の個々の魂を殺してしまうような、非常にハードな社会だったのだ。公園にいるホームレスを見ていたら、そのうちの1人が私にこう言った。「気の毒だなんて思わないでくれ。俺は今、自由の身なんだ」私は、このような複雑さを捉えた映画を作りたかった。 (「監督のことば」より)
debito.orgの読者の一人であるSteve氏による投稿です(有道氏の投稿ではない)。
*************************
「問題、反応、解決
DM氏の案(http://www.debito.org/?p=5475#comment-188363)には僕も賛成だ。
いや、本気で取り組んでみましょうよ。僕らの最終的な目標は差別を禁止する法律を日本で成立させる事ですし。
誰かこの時代のローザ・パークス夫人になる勇気のある人はいませんかね?これを読んでる誰かにそんな人がいてほしいですが。
現状、個人で経営されている施設が国籍を理由に利用を拒否する事が実質合法ですが(そうでなくとも、実質罰せられていない)、ならば個人施設が日本人の利用を拒否すれば日本の国民だって物凄く反発するでしょうし、「個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる」と明記した法律の必要性を理解してくれるのではないでしょうか。間違いなくそういった法律が要求されるようになると思いますが。
ひとまずこんな作戦を提案してみます:法律を守った善良な市民(税金も保険も年金も∀完全に収めていて、ビザの拒否といった反撃の恐れもあるので出来れば日本国民か永住者)で、何らかの施設を経営していて(バーやレストラン、お店など何でも)、損害保険に加入されていて(右翼に窓を割られたりするかもしれないので)、そして一番大事ですが、勇気のある方が、「日本人お断り」や「日本人入店禁止」、「非日本人の方のみ歓迎」等といった張り紙を、ちゃんとお店の前に日本語で貼りつけます。さらにその写真の下には、日本中で見られる、いわゆる「ジャパニーズ・オンリー」の張り紙の写真を張ります(www.debito.org/roguesgallery.htmlや、特に日本語でも書かれているhttp://www.debito.org/edensign030707.jpgなど)。そしてさらにその下には、「日本には『個人施設に国籍や人種を元に利用を拒否する事は違法であり、これを違反する者は厳しく罰せられる』という法律が必要」という旨が書かれた張り紙を張ります。
しっかりと書かれたプレスリリースと、「日本人お断り」の張り紙、「外国人お断り」の張り紙の写真のポスター、そして差別の違法化を訴える一文を一つの写真に写したベストショットを用意するのです。
恐らく多くの新聞やテレビ番組がこれを取り上げるでしょう。「日本人お断り」と書かれた張り紙が写っている、写真の上の部分を見た日本人の方々はもちろん激怒します。そして、彼らの目が写真の真ん中に降りていき、「外国人お断り」の張り紙を見ると、こういった差別が日本に存在する事を理解します。そして最後に写真の一番下まで目を向けると、こういった張り紙を違法とする法律が提案されている事を知り、願わくば賛同してくれる事でしょう。
こういった「問題、反応、解決」テクニックは、頭のきれる指導者によって、間違った目標へと市民の意識を向けるのに利用されてきました。例えば、テロリストの作り出した「問題」が恐怖や怒りといった「反応」を引き起こし、指導者の望む「解決」、つまり人権やプライバシーの現象、他国への空襲や武器のための増税を市民に納得させる、といった具合です。今こそ、この手法で「平和的」な小さな問題(差別的に入場を拒否する標識)を引き起こし、それに対する反応を促し(人種差別に対する怒りを引き立てる)、そして最終的に国民がこういった差別を廃止する法律を求める声を上げさせるべきです。
ただ、一部の新聞やテレビ番組は写真の上半分にのみ重点を置き、下半分をカットして無視してしまうという事も十分考えられます。なら、「外国人お断り」の写真を「日本人お断り」の写真の中に入れるなどすれば(法案も含めて)、一番大切な部分を無視しようとする編集者の働きを阻止する事が出来るかもしれません。
この他に、日本に反差別法を成立させるための、より効率的で真剣なアイディアのある方がいれば、是非ともお聞かせください。
そして、このスレッドの中でポジティブな意見を書き込んで下さってる方の中に「私がやる!」という方が現れる事を期待しています。スティーブより。
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たとえ自分が安全運転をしていても、交通マナーを守っていても、すべてのドライバーが完璧に交通マナーを守れているわけではないので、事故は必ず起こる。
ひし形の先に横断歩道があることを知らないドライバーを自分の近くだけで数人知っている。
それでもって、過失の割合が100:0というケースはまずない。
横断歩道を渡っている歩行者を堂々とはねたりしない限り、双方に過失があるとされる。
初めての道で、すべての標識を見ることができるか?
路面状況や視界が悪かったりしても?
目で確認し、頭で判断し、ブレーキを踏むまでの時間をゼロにすることは不可能だ。
そりゃね、人生で一回も交通事故に遭わないパターンのほうが多いと思うよ。
でも、それは運がよかったからだ。
どんなに安全運転に気を使っていても、避けることが出来ない事故はあるし、その場合でも過失はゼロじゃない。
かなりの割合のドライバーは、特に男性は、自分は運転が上手いと思っているようだ。
しかも、事故歴や運転歴とあまり関係なく。
将来有望な子供を跳ねちゃった場合、数千万の賠償が発生するわけで。
こちらの過失が1割だったとしても、けっこうな額。
怖い怖い。
なんかさ、「萌える」対象は、人間の形をしていなくたっていいと思うんだ。いやそりゃ普通だ。獣人・非人萌えとかな。
つーか、俺らと意思疎通を図れる可能性のある存在じゃなくてもいいと思うんだ。つっても既に廃工場萌えとか道路標識萌えってのはもあるんだっけ?フェティシズムの派生?
いや、もっとこう、なんだ、「水分子一個の性質を研究するには量子力学みたいな分野になるのかな、でも水分子が大量に集まっただけで、流体力学っていう別の分野が待ってるよね」萌えとか。
すみませんでした。
あーなんかブクマ増えてるけど、違うんだ。モノなんて簡単に擬人化できちまう。すでに名前がついている科学/化学現象も、擬人化する絵師様は居る。どっかでクォーク萌えとか見たぜ。
違うんだ。
上の例でも、別に「量子力学萌え」とか「流体力学萌え」と言いたいわけじゃなくて、「同じモノを見てるはずなのに、量によって全く別モノになっちまうんだよね、水分子に限らず、世の中ってそういうの結構あるよね」萌えというか。
なんか俺、「分かってもらったら困る」と言ってる気がするな……
本当にすみませんでした……
ぼくは普段から気分が安定しない人間。
周りに嫉妬ばかりしててそれを隠してるつもりで汚くて小さい。
今日はとても嫌なことがあって、
いつものように話してる友人(だとぼくは思ってる)に電話で話した。
頼りすぎてしまったんだと思う。
お前は言ってるだけで結局行動起こさない。愚痴を聞かされて腹が立つ。
そう言われた。
そのとおりだと思う。
分かってるはずだけど裏切られた気持ちになって
とにかく吐き出したくなった。
友人を巻き込んでも、吐き出した愚痴では最初のストレスを解消できなかった。
真夜中だったがバイクに乗って家を飛び出した。
いや、一人で行くのは恥ずかしいな。
結局決められなかったが、気づくとバイクで走りながら唸っていた。
ああ、やばいなあ。
人に聞かれたくないなあ。
大通りから外れて車の少ない方向へずっと進んでいった。
苦しさで目が潤んだけどとにかく走った。
どこだ。ここ。
時計は確認しなかったけど多分10分から20分くらい走ったと思う。
暗いなと思ったら街灯が無い場所だった。
さっきまで大きい道を走っていたはずだけど。
少し寒さを感じた。
真夜中だから当たり前なのかもしれないけど。
帰ろう。
自分が知ってる街からは出てないと思うのだけれど。
周りをみると田んぼばかりだ。
来た道を振り返ってみれば真っ暗。
おかしいな。
今になって考えればあの時戻るべきだった。
来た道が分からなくても。
民家らしき明かりがあるのだけど時間は12時を回っていた。
怖かったけど迷惑になるようなことはできないよな。
というか、なんでこんなに家から家が遠いんだ。
ここどこだ?
完全に迷った。
舗装された道路も標識も見慣れたものだったけれど安心できなかった。
街灯を見つけたけれど、それを追っても何故か深みにはまっていった。
途中で街灯がなくなるんだよ。
林なのか森なのか分からないけど、空を隠されたら終わりだと思った。
きっと近寄りがたい人間だったけれど。この時ばかりは。
遠くに明かりが見えるような気がするのだけれど、道が分からない。
バイクが止まったら死ぬんじゃないかと思った。
こんなことってあるか?
メンテしてなかった所為もあって、最近切れ掛かっていたライトが切れた。
ハイにしないと明かりが確保できない。
ハイの方のライトも鈍くなってる。
バイク屋行っておくんだった。
ああ
きっと寒さの所為だと思うのだけれど、歯がガチガチ震えてきた。
周りが暗すぎる。
墓を見つけて背中が震えた。
もう本当に怖くて。
家を出たときの苦しさは吹っ飛んでいた。
もう。早く帰りたい。助けて。
泣きそう。
誰か助けて。
空を見上げると星が見えた。
星座は全然知らないけど、たくさん集まってる方向があるというのは確認できた。
星を頼りにするなんて現代じゃ考えられないけど。
方向を確認しながら進める。
ある角を曲がった途端、急に明るくなった。光ってこんなに安心するんだなあ!
どこか分からないけど、でも比較的大きな道との交差点だった。
その後コンビニを見つけ、レシートと地図で現在地を確認することができた。
俺の家から10kmくらい離れていた。
バイクに入れておいた、ばあちゃんからもらったセーターを着た。
帰ろう。
家に着くとすぐに風呂を沸かして入った。
あったかいなあ。
・・・真っ暗で怖かったなあ。光ってこんなに安心するんだな。
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英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
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(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
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通巻第2703号
その発言を批判するためにアップした絵に、東方のキャラが泣いてる絵やボーカロイドが怒ってる絵があるんだけど、それはどーなんだろう。
”完全なオリジナルに価値はない(これもずいぶん恣意的な引用だけど)”という意見に対する批判に非オリジナルな絵を載っけるのは違うだろ、と。
東方やミクは二次創作に寛容だし、これらは出典元が明記されているからいいんだとか…、そういう意見もあるみたいだけど、少なくとも俺の魂はその絵で揺さぶられなかった。
あと、運営の発言がでた時点では、悪質な剽窃はまだ発見されてなく、一見すれば糾弾者の粘着にしか見えなかったことも考えてほしい。
この時点での多くの人の論調は「これがダメなら他のも全てダメだろ」だった。
実際に一切の資料を使用せず、全て自分の脳内で作り出したイメージでなければならない、なんて無理だろう。
そういう意味では完全にオリジナルである!ということよりも作品として良いものであることのほうが重要なのは言うまでもないことだろうに。(もちろん、それがクリーンな作品であることは前提にある)
問題は絵を一枚描くのには、膨大な資料が必要で、実のところこの世にある全ての資料は全て自由に使うことができないことなんだよな。一番悩むのはここ。
個人的には資料元が作品の主題にさえならなければ大丈夫くらいに緩和されてもいいな、と思う(法的にもなんだけど、それ以上に社会的制裁としても)。
ところで糾弾のために件の絵を無断でアップしてる人も居るけど。
建前としての学術的研究目的の引用だから無断使用にあたらない。
少なくとも引用の要件のうち二つは満たしてないので、十分に同じ穴のムジナ。権利者から訴えられるというリスクでは同じ。
追記
どれだけ調査しても、もしかしたらこの参考した作品は、誰かの著作権を侵害してるんじゃないだろうか。という不安は抜けきらない。
このピクトグラムや道路標識は発案者の著作権を侵害しているかも。
このソフトウェアを利用して作った作品は自身の著作物と認められないかも…。
たまたま参考にしたこのポーズは被写体の肖像権侵害かもしれない。
現実にある商品を精密に書き上げたけどこれはもしかしたら意匠権の侵害じゃないだろうか。
この色はもしかしたら誰かが特許をってるかもしれない
厳密に考えすぎると殆どノイローゼだぜ?
知らず知らずに誰かの権利を侵害しているかもしれない・・・。あるいは将来的に違法となるかもしれない。
そういうのを気にするのが著作権ってものだ。
そこまで潔癖を完全に満たしたものだけが許される世界だとするならあまりにも辛すぎだろうぜ。