はてなキーワード: SFとは
この表紙に噛みついている人にも、比較的穏当で理性的・客観的な立場で話している増田に対しても、変な"界隈"意識みたいなのが見え隠れして、申し訳ないが気持ち悪く感じる。
売り手は売りたい表紙やターゲットに合わせた表紙を作る。
買い手は自分の好みに合えば買うし合わなければスルーする。あるいはもっとこういう表紙の作品を買いたいと要望を出す。
それだけで良い話じゃない?
SF界隈全体としてこうあるべき! みたいなムラ社会じみた"界隈"意識がやたらと出てきて、SF自体はまあ好きだけど"SF村"に対して帰属意識を持つほどではないにわかの立場からすると色々と理解し難い。
元の噛みついた人の意見も「女の子の表紙だと買いづらいからもっと持ち歩きやすいものにしてほしいな」くらいの"一顧客としての要望"なら分かるけど、その域を越えた文句になってくると嫌なら買うなスルーしろとしか言えないし、増田はもっと議論を深めるべきと言っているが、マーケティング会議以上の議論が必要な話題だとも思えない。
"界隈"としてこうあろう、みたいなモノを決める必要があるのだろうか?
たびたび二次元コンテンツで話題になるような扇情的広告や表紙に対するバッシングみたいなものなら公的良俗の領域だから議論が起きるのは理解できるんだが、今回はそういうレベルの話ではないし、もっとシンプルに売り手は好きに売れば良いし、買い手は好きになったものを買えば良いっていうそれだけの話に過ぎないと思うんだよな。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 89 | 12059 | 135.5 | 36 |
01 | 45 | 10938 | 243.1 | 67 |
02 | 20 | 5297 | 264.9 | 60 |
03 | 29 | 5456 | 188.1 | 70 |
04 | 23 | 2580 | 112.2 | 35 |
05 | 33 | 6490 | 196.7 | 54 |
06 | 31 | 3495 | 112.7 | 51 |
07 | 54 | 7275 | 134.7 | 86.5 |
08 | 90 | 8482 | 94.2 | 48 |
09 | 72 | 6309 | 87.6 | 43 |
10 | 115 | 11951 | 103.9 | 43 |
11 | 122 | 14365 | 117.7 | 49.5 |
12 | 167 | 11377 | 68.1 | 34 |
13 | 146 | 13554 | 92.8 | 38.5 |
14 | 145 | 12730 | 87.8 | 51 |
15 | 146 | 9814 | 67.2 | 45.5 |
16 | 110 | 10295 | 93.6 | 39.5 |
17 | 120 | 13693 | 114.1 | 44.5 |
18 | 177 | 29298 | 165.5 | 40 |
19 | 88 | 11996 | 136.3 | 34.5 |
20 | 109 | 9163 | 84.1 | 41 |
21 | 129 | 14221 | 110.2 | 41 |
22 | 95 | 9508 | 100.1 | 36 |
23 | 119 | 13235 | 111.2 | 42 |
1日 | 2274 | 253581 | 111.5 | 43 |
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ロクに新刊チェックもしてないアホはSF読みではありえないし、
いま増田で「アニメが衰退してる〜」とか言ってるアホがいるけど構図は同じ。
そういうアホに乗っかって騒げば騒ぐほど、単にその誤謬を強化して広めるだけになる。
・あるSF編集者が自分の担当したアンソロジー本(『日本SFの臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。
・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。
「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」
それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。
・「女の子」に関して
・イラストレーターには『性別を指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,
・キャラクター的であることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。
・「恥ずかしい」に関して。
・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。
・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力を喚起するもの。
・表紙に対する意見について
・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険を認識したうえでSNSを使え。
・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。
・今回の表紙の意図について
二者間で応答された論点は以下のように要約される。
1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか
1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的で不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。
たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。
ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品のアニメ映画でキャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。
シライシユウコのイラストレーションに対するファンダムの記憶は伊藤計劃や百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。
「シライシユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーター(キャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。
どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーターが伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビュー作である『少女禁区』の表紙を担当したこと、ライトノベル作家の短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSFを代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。
もちろん、シライシユウコは上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。
そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自、トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。
『日本SFの臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的に意識されているのだろう。
『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手もバラバラなアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。
とはいえ、アンソロジーを編集するのはひとつの創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人の意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
アンソロを編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位でひとつずつ売るしかない。
2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的な感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田も普通に読んでればそう取ると思うが。
また、編集者の立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断は編集者として間違ってはいない。
ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚に共感する人々が一定数存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者の感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか。
Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。
3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも『2010年代傑作選』と『日本SFの臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングのプロではないにしろ)編集者側に理があるように思える。
SFというものはキャラクター文化と親和的なのだから、そっち方面から未開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効に開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ。
ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしまう可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近、スニーカー文庫のハルヒが角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。
ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。
間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。
どちらを取るかは出版社の戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。
だが、特定の層に訴えるマーケティングはときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社は自覚的であるべきだろう
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
『臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。
たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。
こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的な日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。
今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェクティフィケーションにつながるとは思わない。
一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃の百合SFやSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合のイメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚ではいられない。
私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域でマーケティングとコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。
今はまだ問いの出ない問題だ。作家にしろ編集者にしろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
余談。あるミステリ作家が「消費者の意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートのRT連発みたいな行為にも走っていないし。
個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。
「意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまうものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者は自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争をしかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。
この問題については意見を出してる作家や業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判にしろ擁護にしろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。
その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか。業界のトピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。
海外のネット界隈に入り浸ってる人は画像なんかを見たことあるかもしれない、シンプソンズのスタッフによるシンプソンズよりブラックで大人向けのSFコメディアニメ
西暦3000年の人類とロボットとエイリアンとミュータントが共存する世界が舞台
エイリアンやミュータントを対象にすることでポリコレを回避しつつ、クソどぎつい差別的ブラックジョークを飛ばしまくったりする
長編作品であるBender's Big Score のストーリーはシンプルに神
・Rick and morty
イカれた発明家のリック(祖父)とポンコツな14歳のモーティ(孫)が宇宙を股にかけて冒険する
Vtuberが幼稚かどうかはともかくとして、収益化うんぬんは傍からみると不気味ではある
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 94 | 11540 | 122.8 | 47 |
01 | 95 | 14453 | 152.1 | 42 |
02 | 29 | 6459 | 222.7 | 80 |
03 | 74 | 5233 | 70.7 | 35 |
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10 | 170 | 17140 | 100.8 | 47.5 |
11 | 163 | 11086 | 68.0 | 39 |
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1日 | 2481 | 272752 | 109.9 | 44 |
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10代の頃に椎名誠にハマったSF好きだけど、横浜駅SFは面白くなかった。短編集も読んだけどあんまり面白くなかった。
何がつまらなく感じたのかはわからない。わからないなりに考えてみる。
どれを読んでも「なんかサラッと読めるな」ってのが第一印象だった。自分の中でSFはディテール盛り盛りで文章の圧力が凄くて「アビャビャビャ」とか言いながら読むもの、という読み物で、サラッと読めるこんなのはSFじゃない、と思ったのかもしれない。
ただ横浜駅SFの人の話がディテールスカスカ空気か霞か的小説かというと、多分違うような気もする。わからない。
命の危機がなんか薄いな、という気もした。椎名誠の冒険SFでは登場人物は恐ろしくまた気持ち悪く描写される命の危機に遭遇する。そういう展開は読む方も胆力を消費するので俺も思わず脳内でアビャビャと叫んだりする。横浜駅SF等は危険な展開の没入感があんまり無かった、ように思う。だからつまらんのかもしれない。でもこれもディテールの問題か。ディテールがリアリズムを生む。
何にせよこの人の本はもう買わないだろうなと思った。終わり。
まあセンス・オブ・ワンダーはSFじゃなくたって得られるからね
SFってその前に話題になった新しいテクノロジーだったり、発見を題材にしてることも多いから、普段からそういうのに触れてないとわからないような表現とかを、読者が分かってる前提なとこもおおいし、真面目に単語とか気にしちゃうと詰まっちゃうこともあるね。
魔法があるなら、物理法則も違うはずという言及はあっても、実際の現象が変るのはあまりないな。
……と思ってたけど、スキルやステータスが上がると、超人(人間やめちゃう)になるのは異世界だからか。
ううむ。
『夏への扉』はとんでもない愚作なので褒めないでください
https://anond.hatelabo.jp/20200629103534
お前は馬鹿か。
お前の言う通り、『夏への扉』は「すこし不思議」な程度で、プロットの杜撰さに気付ける程度に読みやすくて、ロリコンの白昼夢並みに分かりやすいロマンスだ。
素晴らしい。
しかし重要なのはそこじゃない。重要なのは作者がハインラインだという事だ。
『夏への扉』のあとに、間違って同じ作者の『異星の客』(※1)とか『悪徳なんかこわくない』(※2)みたいなヤバげなSFを手に取って色々目覚めてしまうかもしれないだろ。
SFはカルトだ。新興宗教や新左翼みたいな他のカルトのように、「ボクらは危ナクナイデスヨ。楽シクテ面白イデスヨ」
そのための『夏への扉』だろ。
なにがセンス・オブ・ワンダーだ。そんなもの犬にでも食わせろ。