はてなキーワード: SFとは
ニワカだろ
オタクならSFは基礎教養であって独立したジャンルとは捉えない
それ以外は、せいぜいXXXは○○の作品でも描かれていたとか、SFっぽい作品が好きなんだよねぇ〜くらいにとどめる
XX好きが名乗れるのになぜ包括したオタクを名乗りたがるのか不明
「そういう気分なんです」って言われたら「そうですか」としか言えないけどな
ゲーム、アニメ、SF、元々オタクしか触れてないオタク文化の中で、
硬派とか、昔からアホくさいと思っていた
どうせそのジャンルに触れること、それ自体が誤魔化しようないぐらいオタク臭い行為なんだから、
表現にけしからんとい言ったり、感覚のアップデートを求める人たちにしばしばにじむ、こういう感覚はひどく不誠実だ。
このSF表紙増田はできる限り公平で真面目に書こうとしているのはわかるよ。それでもにじんでいる。
ある時は、「人々は時代に合わせたポリコレ的に正しい感覚にアップデートしていくべきで、差別や暴力性への鈍感さは恥ずべきものだ」という。
だがある時は「時代の流れにより変化した表現や言動に恥ずかしさを覚える人がいることを、時代遅れと無視すべきではない」という。
SF表紙増田のポストでいえば、「少女絵に何かを背負わせてしまうことに無自覚な鈍感さは古く、変わった方がいい。だが、萌え絵を恥ずかしいと感じる敏感さは、古いが尊重すべき」ってのが行間から伝わってくる。
反萌え絵、反オタク絵、女性保護、みたいな軸では一貫してるから自分たちの中では誠実だと認識されがちっぽいけど、時代の変化に応じてみたいな文脈も絡めた軸で語ってるのにこの態度は不誠実で、だから信用されなくなる。
そしてドラゴンボールとかナルトのキャラで韻踏むラッパーが結構いたりするんだよ、あと東京グールとか?
そもそも『宇宙塵』の半世紀前の号に載ってた短編やら30年前のマイナー雑誌に載ってた短編やらを発掘して誰でも手に入れられるアンソロにまとめたってだけでめちゃくちゃ偉いんだから、表紙を伴名練の好みに沿ったものにするくらいは当然の権利だろう。嫌ならそれこそ買わなきゃいい。
個人的な感想をいえば、シライシユウコ絵が「マンガ・アニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーターの系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。
ヒョーロンカの人があれを「萌え絵」と呼んでたけど、は? 萌え絵? どこが? って感じだよなw 節穴アイにもほどがある。これでよく評論家が務まるな。
萌え絵ってのは『紫色のクオリア』や『ロケットガール』や『ふわふわの泉』や『スプライトシュピーゲル』や『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ある日、爆弾がおちてきて』や『イリヤの空、UFOの夏』の表紙みたいなやつのことを言うんだよ。
あ、『ふわふわの泉』はファミ通文庫で『ロケットガール』は富士見ファンタジア文庫の方な。ハヤカワ文庫JAじゃなく。『ある日、爆弾がおちてきて』もメディアワークス文庫じゃなくて電撃文庫な。
まあ節穴ヒョーロンカ様の目には『サマー/タイム/トラベラー』あたりも「萌え絵」に見えちゃうのかもしれないけどねw シライシユウコ絵が萌え絵に見えるマンはマジで表象とか文化史とかに口を出す資格ないと思うよ。思想信条じゃなくて能力の問題として。
『なめらかな世界と、その敵』あたりが萌え絵とオサレ絵の境界線上な感じしない? まあこのへんは人によって判断が分かれるところだろうけどさ。
だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。
時代遅れって切り捨てていいと思うよ。
俺、伴名練と同年代だけどさ、中学の頃って『アリソン』の表紙ですらオタクっぽくて敬遠されてたりしたんだぜ。『マリア様がみてる』すら堂々と読むの憚られる雰囲気あったよ。
そこから、あちこちに萌え絵があふれて、多くの人がそれを受容する時代になったんだよ。いい年こいた大人が堂々と萌え絵の本を読む社会になったんだよ。マジで意識のアップデートを実感するよ。
新しい表現が生まれて自由競争の結果覇権を握ることによって萌え絵が駆逐されるなら進歩だけど、最近は萌え絵がはびこってけしからん! なんてのはただの反動だろ。
そもそも発端のtweetした人、こんなtweetもしてるんだよね。
「オラ女性SF作家特集のブログ記事書くぞ!!!」どーせ「それはSFじゃない」とかボロクソ言われるんだろうけど知るかボケ~。ゼロスタートなのでオススメ教えてください!特に国内作家。
国内の女性SF作家がゼロスタートって、こいつ菅浩江も新井素子も高野史緒も上田早夕里も読んでないの? って話だよな。
『そばかすのフィギュア』も『永遠の森 博物館惑星』も『アイオーン』も『ムジカ・マキーナ』も『華竜の宮』も読んでなかったんすね、っていう。
いや別に読んでないのは何も悪いことじゃないけど、それでSF界のジェンダー問題に物申しちゃうの失笑しない? お前完璧に門外漢やんけっていう話でしょ。何偉そうに「SFの表紙って女の子ばっか」みたいなこと言ってんの? アホなの? 2019年にSF界隈で流行ってた作品のうち『天冥の標』と『三体』と『息吹』の表紙には美少女おらんやんけ。『アステリズムに花束を』も『なめらかな世界と、その敵』もオサレ系の絵であってそこまで萌え萌えしてないよな。
SF1,000冊とか言うつもりないけど本屋でハヤカワと創元の棚の前に並ぶだけで吹っ飛ぶ固定観念を後生大事に抱え込んだやつなんて最初からお呼びじゃねえんだよ。
最初からSFに興味なんてないんだろ? だったら「SFの表紙はどれも恥ずかしいから手に取れない!」じゃなくて「SFに興味ない」って素直に言えばいいんだよ。別にそれは何も悪くないよ。俺も海外文学とか(SF・ミステリを除けば)興味ないもん。興味ないくせに「SF小説とかアンソロの表紙って漫画・アニメ絵の女の子ばっか」なんて言うからツッコまれるんだよバーカ、って感じ。
(アンソロの表紙が美少女ばかりって真顔で言ってるってことは『年刊日本SF傑作選』の存在自体を知らないってことだよな。『傑作選』も知らないやつがSFの表紙は○○ばかりとか言う資格ある?)
アニメ絵が嫌いなSFファンやSFに興味がないアニメ絵好きが口を出すならともかく、アニメ絵が嫌いでSFに興味のないやつがSFの表紙のアニメ絵に口挟む権利がマジでどこにあるんだ? お前関係ないやろ、と、アニメ絵好きのSFファンとしては思うのです。
しかもSFファンにせよミリオタにせよ、そうやって俺たちは硬派だアニオタどもとは違うとイキってみせたところで、一般人から見れば同じくキモい枠というだけで何らの差別化もできていない
悲しい話だ
というより「ラノベと共生してる」とかのほうが聞こえがいいか。
伊藤計劃は明らかにオタク文脈上の人間で、作品内容もライトノベルと親和性が高いんだが、
なぜかニワカSF読みには「新しくて硬派でかっこいい俺たちのSF」と神格化されてるんだよな。
まあハヤカワが「伊藤計劃以降」とかなんとか言ったりして煽ったせいだけど。
『虐殺器官』も『ハーモニー』も最初はイラスト付きで出されていたものが
文庫化にあたって白黒の無地の表紙になったんだけど、
「硬派なイトーケーカク作品にイラストなんか使うな!」と批判して
周囲の失笑を買っていたりしたわけで。
そもそもが「SF VS オタク」じゃなくて「ニワカ VS オタク」という構図なんだよ。
いや、そもそもの話をするなら、
山本弘なり小川一水なり野尻抱介なり冲方丁なり野崎まどなり宮澤伊織なり、
ハヤカワは昔からラノベ作家を買い漁っている出版社なのであって、
それをいまさら新発見のように「オタク向けになってる!」と騒ぎ出す時点で、
認識を更新できていない老害か、もとから知識のないニワカかしかありえないでしょ。
騒いでる奴らに聞いてみろよ、
そもそも「伊藤計劃以後」も「百合SF」も売り方でちょっと燃えたりしたんだから、
ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SFの臨界点』は伴名練の作品・批評のひとつとして見なすべきではないか。
まあそういうところが燃えたんでしょと思った。
結局絵の部分は枝葉で、「伊藤計劃以後マーケティング」への反発と似たようなところがある
「アンソロの編纂は暴力性を孕んだ行為」、まあ正しいけどそれを納得させるには伴名練はまだ役者不足だった、にしかならないでしょ
まあ燃えてるハヤカワだけでいいじゃろ。
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopbrand/shurui_1/
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopbrand/shurui_3/
まあ反応せずサンドバッグになれってことだよなあ。ご提言ありがとうございますとか反応したって信者は叩くんだし・・・。
誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。いずれにせよ面倒なので関連ツイート全部消しました。要は『チャンピオンたちの朝食』のキルゴア・トラウトの作品が載ってるポルノ雑誌と同じ事で、深く考えちゃダメなやつなのかも。
今回の件で決めた、「オラ女性SF作家特集のブログ記事書くぞ!!!」どーせ「それはSFじゃない」とかボロクソ言われるんだろうけど知るかボケ~。ゼロスタートなのでオススメ教えてください!特に国内作家。LGBTQの作家の作品とかもやりたいなぁ。