はてなキーワード: 華麗にスルーとは
最近、ファミマがファミチキ先輩とかいうファミチキの擬人化か何かよくわからないキャラを押し出してるだろ。
評判はどんなもんよ?と思って、ググってみたら、ファミマのサイトにファミチキ先輩の設定があったんだけど、これがやけに生々しいというか、もの悲しすぎる。
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ファミチキ先輩(29)
ファミマのバイト歴は、11年目。独身。母とふたり暮らし。特技はピアノ。趣味はフィギュア集め。
NGワードは「骨なしチキン野郎」。2年以内に店長になるつもり。
http://www.family.co.jp/campaign/spot/famichikisenpai.html
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このキャラ、29歳だったんか。しかもバイト11年目。店長に先輩風を吹かせて、ムカつかれていたり、チカちゃんに華麗にスルーされてたりと、妙に細かい設定に変なリアリティがあって悲しい。
「萎縮させるな」と発起人を萎縮させにかかる増田
訴訟という行為が、演者や楽しむファンを傷付ける行為にならないかだけでなく他の運営をも萎縮させ、「ライブイベント」そのものを危うくする行動にならないか?よく考えてほしい。
F1訴訟の後に萎縮はあったの?富士スピードウェイでのその後のイベントが危うくなったの?
「訴訟は割が合わない」という主張には前例を都合よく利用して、実際にその前例が萎縮をもたらしたかどうかは華麗にスルー。
まともにできないのに無理に中立っぽく書いて論理構成破綻させるより、「訴訟やめろ」って言いたいことだけ書いた方が説得力あるよ。
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身体にはささやかながらも胸がありますし、脚の間にご立派様は御座いません。
それは女らしく振る舞うことです。
特に女の格好をすることに、強い抵抗を感じました。
その抵抗感は、年齢を経るごとに強くなっていきました。
失礼な感想ですが、イケメンなわけでも、センスが凄い良いわけでもありません。
ただ、さり気なく着られているその服がよくお似合いなのが、羨ましくて仕方ないのです。
男になりたいわけではないのです。
ただ、自分が女だと自覚するのが、気持ち悪くて仕方ないのです。
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女であることが、耐えがたいまでの苦痛になったのは1年弱ほど前の事です。
所謂ナンパに遭い、異性の目に女として写っていることを知ってしまったのです。
根暗でオタク臭いのでチョロそうに見えたのでしょう。今時は田舎でも油断はできませんね。
村社会で噂が広まりやすいため、地元の人はまずそんな手には出ませんが
勝手に喋ってくれた情報によると都会から越して来たばかりのようでした。
しつこく付きまとわれ、なんとか撒いて遠回りしながら家に帰りました。
不審者に声を掛けられただけでも十分にショックだったのですが(無事で良かったなマジで)
念のためおまわりさんに相談して、周囲には気を付けるように、外出は控えるように…と注意を頂き
担当の方に直接連絡できる番号を頂いてひとまず今のところ平和に過ごしています。
決して男にはなれないと、お前は女なのだと。
この苦痛は友達や親にも相談できないまま、今の今まで蟠っています。
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LGBTはグラデーションと言いますが、その中にXという分類があります。
男性でも女性でもない、縛られない性別として生きようという人たちのことです。
自認だけならそれでいいかもしれない。
無理して女の格好をするより幸せです。
そればかりは覆せません。
僕は男らしくしたいとは思わない。けど女ではありたくない。
LGBTへの理解は深まるべきだし、活動を応援したいとは思うけど、
「僕は死ぬまで女に見られながら生きるしかないのだろう」という諦念が
全てを暗く覆っている感じがします。
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恋愛にも興味がなかったので、恋愛対象もよくわからないのです。
アニメやゲーム――所謂二次元で好きなキャラクターは男性です。
線の細いイケメンより、強くてかっこいい男前な戦士キャラが好きです。
見た目だけなら男性のほうが好みなのです。
単に女性嫌いなのかな、とも思いました。
実際女性同士の慣れ合いやぎすぎすした感じは嫌いです。
しかし、この思いを恋愛感情と定義するなら、今好きなのは女性の方です。
情けないですが初恋です。
特別な関係になりたいとはめちゃくちゃ激しく思いますが、現実になれるとは思ってません。
第一、理解はあれど彼女はヘテロでしょうし、互いに幸せにならないでしょう。
実はさりげなく告白して華麗にスルーされましたが、それでもお慕いしております。
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頭の中を整理するつもりが、余計ごちゃごちゃとしてしまいました。
人類の半数に対する身勝手な恐怖と、ただ一人に対する身勝手な思いと、
僕はまた、「僕」という欠陥をしまい込んで生きるのだろうな。
もし誰か読んでくれてたらありがとうございます。
不快に思ったならごめんなさい。
ただ、世の中にはいろんな人が居るのです。
ああ、性別なんて無ければいいのに。
それまでは指示がコロコロ変わろうが勘違いで怒鳴られようが平謝りしてきたけれど、ある日堪忍袋の緒が切れて上司に噛み付いた。
上司は職場内で絶大な権力を持ち、社長であっても口出しできないくらいのポジションである。
もともと感情的な人だったので、発狂して椅子でも振り回すのかと思ったら、意外にも最後は私に謝って来た。
それ以降、何か言われても上司に非がある場合はあまり謝らないことにした。
そういう時は怪訝な顔つきをしながら、何を言ってるのかわかりませんと答える。当然上司は怒るが華麗にスルー。
一度上司の態度がどうしても気に入らなかったので退職届を叩きつけた。
上司自ら説得に入られたが、心を入れ替えて頑張る気はないのかなどとぬかしてきた。お前が入れ替えろ。
結局退職届は受理されず、同僚の説得もあって仕事を続けることにはなったんだけど、そこで考え方が完全に変わった。
上司に逆らった末路を考えるとして、自己都合よりは失業保険が早くもらえるわけだから、上司を怒らせない理由がまったくなくなってしまった。
業務を遂行する上で上司を気にかけなくなったので、以前より怒鳴られる頻度は増しているがあまり気にならない。
ネット上で形成されたある弱小同人サークルには、オリジナルのマスコットキャラがいた。マスコットキャラといっても内輪的なもので、対外的には全然意味をなしてない。(とはいえ、マスコットキャラがいるとTwitterアイコンだったりカタログのサークルカットだったり、とりあえずそれを描けばいいみたいな存在になるので便利である。余談)
自分はそのサークルの結成から一年程リーダーを務めていたが、今は退任してサークル活動にはノータッチである。後任のリーダーは自分より同人活動も社会経験も長く、気さくで親身で、一児の母でありながら管理職に勤めているというハイスペックな方だ。普通に尊敬できる。
その後任のリーダーが、どうも、そのマスコットキャラクターの名前を一文字間違えて覚えてしまっているようである。(長期間、その誤った方の名称で呼んでいるため、タイプミスではない)
まぁ覚え間違いなんて誰しもあることだ。自分も最近までyoutuberのヒカキンのことを「ヒキカン」と認識していた。そっちの方が語呂は良いと思う。
間違えて覚えてしまったなら、気づいた段階で直せばいいし、気づいた人が指摘すればいい。これはズボンのチャック全開問題と似ている。些細なことだ。
だがかれこれ半年以上、その誤りは直らない。もちろんリーダーが迂闊ということもあるが、それ以上にサークルメンバーの誰もがそのことを指摘しない、あるいは気に留めない、その関係性は不健全に思えて仕方がない。仮にもサークルを象徴するマスコットキャラクターである。名は体を表す、という程はないかもしれないが、名前あってのキャラクターであるのは間違いない。二年以上活動していて、まだ「チャック空いてますよ」も言えない表面的な関係でしかないことに、虚しさを覚えてしまう。
「気づいてるならお前が指摘すればいいじゃん」と言われれば、まぁその通りなのだが……、しかしそれがジレンマなのである!! 指摘は容易いし、心理的障壁はあまり感じない。ただ自分は身勝手な都合でリーダーを退き、その方に押し付けてしまった立場である。サークルから離れていったくせに、姑のようにアドバイスと称した鬱陶しい小言をいう存在になるということは、自己満足でしかないし、それは自分の羞恥心が許さないのである。(これはこれで自己満足なのだろうか)
まぁしかしチャックが全開であっても、それを全員が認識しなかったり、華麗にスルーしていければ、大した問題ではないのかもしれない。寧ろ気づいて騒ぎ立てるのが悪なのかもしれない。「チャック空いてますよ」と言いあえる関係性を最善とするのは、価値観の押し付けだろうか。
この件でトラブルは起きないだろうし、決定的な亀裂ではないと思う。だが、こういった歪みがドンドン連鎖的に広がっていくのではないかと危惧してしまう。
物事を大づかみにする能力と、細かいことを積み上げる能力は、頭の使い所が違うなーとは確かに思う。増田の言い方を借りれば、「大事」を見られる人は前者の頭の使い方をしており、「小事」にこだわる人は後者の頭の使い方をしていると思う。それだけのことで、実は両者の頭のスペックにはそれほど大きな差が無いんじゃないかな。
脳があらかじめどちらかに特化していたのでその分野で勝負するか、あるいは、どちらかに特化して発達させることでようやく人並み以上のパフォーマンスを発揮できるようにチューニングしたかして、どちらか「だけ」はようやくお金を貰って仕事できるレベルに引き上げる、というのは戦略としてアリだとは思う。強みで勝負するという奴だ。そして、その意味で意外と見落としがちなのが、あえて「両者の調整」向けに頭を特化して、一見「どちらも」できそうに見えるようにチューニングするという戦略だ。こういう人は、他の二通りのタイプと頭のスペックは同じくらいなのに「どちらもできる」人に見えるので、信頼を得て出世しやすい。増田の上司も、実はそういうタイプなんじゃなかろうか。
だが、本当はそういう人は「どちらもさほどできない人」であったりする。もちろん、その人の性格が良かったり部下に恵まれたりすると、「小事型・大事型のよさを組み合わせ、力を発揮するチーム」を作れる可能性もあるから、こういうタイプが上司に向いているというのもあながり間違いではないかもしれない。もともと上司は仕事するのが仕事ではなく、仕事させるのが仕事だと言われてたしな(今は自分で仕事もバリバリやるリーダーが主流と言われるけど)。そういうチームは、確かに小事型のみ・大事型のみのチームよりも結果を出す可能性がある。
だが、多くの場合、そういう幸せなことは起こりにくい。それよりありがちなのが、根本的に自分に自信がないこの手の上司が自分の部下にマウンティングを仕掛けて、小事型の部下にはいかに自分の視野が広いかを偉そうに説き、大事型の部下に対してはその細かいミスをこきおろす、そして蔭で「仕事できねーくせに」と陰口をたたかれる、みたいな現象だ。そして、立派で凡俗なクソ上司・ダメチームの一丁上がり、ってわけだ。誰も幸せにならないケース。
まあ、増田も今はクソ上司のどうしようもない振りに華麗にスルー決めながら、将来自分がそうならないよういろいろ考えてみるのがいいんじゃないか。クソ上司だって、最初からクソ上司になりたかったワケじゃなく、ただスペックが不足なのに変に攻略本見たようなマニアックなステ振りして失敗してるだけのことなのかもしれないんだから。
ファンからの感謝や応援メッセージを1つ1つ読んでないでしょ。俺が芸能人だったら返さないよ面倒くさい。
面倒くさいことを隠して、「頂いたコメントを全部読ませていただきました」とか書くんだよ。
まあ、俺も面倒くさいしそれは人間だから仕方ないよ。金にならないし時間の無駄だし面倒くさいんだから。
ただまあ、1記事に20件もコメントつかないようなブログならコメントを返してあげてもいいと思うんだよね。
何百もコメントが付くような記事でも、自分が返信してもいいと思ったコメントを抽出してコメントすればいいんだからさ。
売れてない芸能人なら、小さいところでコツコツとコアなファンを作っていったほうがいいと思うんだよ。
あと、芸能人って悪口も言われる。感謝の気持ちには華麗にスルーするのに悪口には釣られる。
コメントを返す相手を間違えてるでしょ。
芸能人は都合がいいよね。
思考を整理したい気分なので、今まで溜め込んだ分の総決算も兼ねて書き殴ろうと思う(ネットの良いところでもあり、悪いところでもあるのは、思いっきり利己的に何かを表現できることだ。)。
せっかくなので甘やかされて世間知らずな女子大生の私が、最弱で甘ったれた過去の自分に向けて言い聞かせたいことをつらつら書いた。滅茶苦茶に、自分勝手に、たとえ矛盾がそこかしこにあっても、便所の落書きだからしょうがない。
念の為、諸々の主義主張から出来るだけ離れて、中間的な立ち位置で語ろうとしているが、個人的恨みを多分に含んだものであることはご承知おき願いたい。
・経験がなくても、大学生になったら化粧を始めた方が後々困らない。勿論、肌が弱い人など、出来ない人はそれでいい。化粧は肌を痛めつけてまでするものでもない。
ただ健康な肌の人は、面倒でも化粧をしよう。ブスでも化粧をすれば、一応きちんとした女性に見られる(言うまでもなく、世の中は見た目が9割だけど)。入学前に少し練習するだけで、基礎はきちんと身につけられるので大丈夫。
大学生になると、年上の大人と接する機会がぐんと増える。そういう人にきちんとした大学生として見られたかったら、薄くても化粧をすることは有効な手段である。就活でも、化粧は必須である。一般的に「世の中の女性は化粧をしているもの」という前提があることをよく覚えておこう。「女性」として見られるためにも、化粧という要素は重要である。
・お洒落のことが分からなくても、何とかなる。流行が分からなくても、オフィスカジュアルを参考にして服を買えば何となくきちんとして見える。
お洒落が好きな人は目一杯好きな服を着よう。好き勝手に服を着られるのは多分大学生のうちだけである。ただ、就活のことなども考えると、「スーツじゃないけどきちんと見える服」を一揃い持っておくのが安心である。インターンシップ、実習、学会など、意外ときちっとしなきゃならない機会は多いのである。
残念ながら、「女性」というものはキレイ系の服を着て、ヒールで軽やかに闊歩することが理想形とされてしまっているので、おせっかいなおじさま達に女子力のことを心配されたくなかったら、適度に着飾っておくのがいいかもしれない。
もし服装について、地味だとかつまらないとか言われてもへこたれないようにしよう。そういうことを言ってくる中年男性もたまにいるが、もっと着飾った方がお好みですか、と言いたい気持ちをそっと抑えて、笑いながら適当な返しをするのがベストである。
いちいち腹を立てて苛々するのは時間の無駄でもある。こういう時はどれだけスルーできるかが重要である。
・どんなにパニックになっても、年上の人の前では泣かないように気をつけよう。泣き虫な人は、気をつけて止まる涙ではないけれど、一度の失態を何度もネタにして笑う人もいることを覚えておこう(事実私はもう2,3年ネタにされて笑われている)。女の涙は武器、は古典ギャグであるので、意地でも泣かない方がいい。例え、月経前症候群で情緒不安定だったとしても、何の理由にはならないので。学生の内に泣かないようになる訓練は絶対必要である。ちょっとでも弱味を見せると途端に喜ぶ大人はいる。もし失敗して、笑顔でちくちくからかわれても慌ててはいけない。そういう人は大抵どこかで不幸だ。
・世の中には面倒くさい絡み方をしてくる大人(偏見かもしれないが多くは中年男性)が結構いる。残念ながら、相手が若い女の子というだけで気が大きくなる人や悪意なく人を追い詰めてくる人間は存在している。セクハラ(パワハラ)の基準は難しいけれど、相当潔癖に考えれば世の中はセクハラ(パワハラ)だらけである。しかし、細かいことにいちいち憤っていては身がもたない。個人的に許容範囲を少し広めに取り、スルースキルを磨いておくのがいいかもしれない。きっとこちらもそれなりに失礼なことを言っているかもしれないので、大らかに生きた方が人生はやりやすい。
ただ、どうしても我慢が出来ないことを言われたりされたりしたら、社会的に相手を殺す勢いでやり返そう。ただ単純に怒るより、正当な手順で追及した方が相手へのダメージが大きい。どんな人間にも、堪忍袋の緒が切れる瞬間があるのだから、正当に怒る権利はある。
そして、自分が面倒くさい大人にならないように気をつけよう。人間どこで恨みを買うか分からず、些細なイジリでも、包丁で刺される原因になることを心に留めておくべきである。
・お酒の席での振る舞い方を覚えていると、ストレスが軽減される。いわゆるコミュ障の人間は、面倒くさい大人からいかに上手に逃げるか、という点に重点を置くといいと思う。普段いい人でも、酔うと面倒になる人間はいる。何を言われても華麗にスルーして、適度に愛想に溢れた対応を心がけよう。女の子は愛嬌が求められるので、思ってもないことを笑顔で言うスキルを身に付けるのがオススメである。嫌かもしれないが、お酌の仕方なんかも覚えておいて損はないだろう。女の子がうまく世渡りするためには、使える手札は多い方がいいかもしれない。
ただ、お酒の席でこそ聞けることや話せることもある。飲みニケーションを過大評価するつもりはないが、コネやツテの恩恵にあずかりたければ、適度に飲み会に参加するのも一つの手でもある。
・「女」だというだけで、なめられたり下に見られることは、残念ながら今もある。大学生の若い女の子なら尚更そうである。「女」であることは脱ぎ捨てられないので、悪意や批判を真正面から受け止めずに、上手に意識を逸らしたり、開き直ったりする能力が必要になる。
ただ、女ならではの楽しみというのも結構あるので、女であることを無理に抑圧する必要はないと思う。性別のことで悩むことがあっても、自分を責めたり悲観することはない。性別ごときでごちゃごちゃ言う人間は、所詮その程度の人間だから。
・心にもないことを、愛想よく笑顔で言う能力というのは、特に年上の男性に対して結構役に立つ。カチンとくることを言われても、嫌だなあと思うことを言われても、その能力さえあれば波風立てずに一応コミュニケーションができる。我慢しないのが一番いいけれど、大人になるには我慢が必要だ。世の中は理不尽に満ち満ちている。
本当はぶち切れそうになるくらい怒っていても、ぐっと堪える精神力が必要である。口ごたえする女の子は、一般的にはあまり好まれない。精神的に同じステージに立たないように、上手くストレスを分散させよう。
・ちょっと傷付くことはたくさんある。擦り傷が積み重なると、結構心が疲れる(今これを書いてる私のように)。傷付くことは悪くない。体の強弱があるように、心の強弱にも個人差がある。心が弱いことは悪いことではないと思う。ただ、傷ついたまま折れっぱなしというのは、社会に適応するためにはよろしくない。そういうダメージをうまく癒せる方法を手に入れよう。思い切り打ち込める趣味とか、大好きな音楽、美味しい食べ物…何かしらの自分の領域は作っておいた方がいい。お風呂場で思いっきり泣くのも一つの手かもしれない。
嫌なことを真正面から全部受け止める必要はない。許される範囲で受け流したり、逃げたりすると少し楽。甘ったれのまま育ってしまった過去はもう変えられないので、少しづつ強かになる訓練をしよう。スーパーポジティブになる必要はない。ちょっとした心の傷を自己修復できるようになると、肩の力を抜いて生きていけるようになる。
・理不尽なことだらけ、と言ったけれど、世の中には意外とラッキーなこともあるし、優しい人もいる。人間だから些細なことで一喜一憂する権利はあると思う。幸か不幸か、筋金入りの甘ったれなので、小さなことで落ち込むし、小さなことで喜ぶ。感受性には個人差があるから、許されると思う。というか、思いたい。
※追記
叩かれてるだろうな~と思って怖くてページが開けませんでした。ブクマコメがいっぱいでした。びっくりしました。
思ったより優しいコメントがあって泣きました。ありがとう。見知らぬ貴方の言葉で私の心は救われています。
疑われているようですが、一応現役女子大生です。男社会の学問は中々辛いこともあります。量産型女子になれたらもうちょっと防御力高かったかな。
読み直してみたらこれ、確かに「問題のあるレストラン」思い出しますね。少ししか見ていなかったけど、心に突き刺さるドラマでした。
とりあえず小心者なので、もう少しスルースキルを磨いて、軽やかに、豪快に生きていきたいです。早く大人になりたいな。
ただ、女性として生きることは悲しんでないです。世の中にウケやすい女性と自分が少しずれてるってだけで、自由気ままに私として生きる分には楽しいので。お化粧もお洒落も、自分の好きなことなら楽しいです。
とりあえず、世の中にもし私のような「最弱」さんがいたとして、この走り書きを見て何かを思ってくれたなら、それだけで書いた甲斐があります。