場の責任を引き受ける為に、本当に必要で重要な事に集中している人は、些細なこだわりを全て捨てている。
重要な事とは、未来を予測して対策を立てたり、重要で難しい解かなくてはいけない難問を解くことである。
そういう人は、死にもしない細かい問題なんて重要視していない。だから、細かいことがちゃんとできていない事は多々ある。
にもかかわらず、どうでもいいような些細なこだわりにばかり目を向けている人は、上の様な(大仕事)を行う人間に怒鳴り散らして細かいことをさせようとする。
小事を行う人が、大事を行う人の上に立って、細かい指示を出す。
もうめちゃくちゃ。
立場が逆転するから、小事の人間は、大事の人間にキレまくることになる。小事の人間は本質を見ることができず、細かいところばかり見ている…
なので、大事の仕事を行う人が、欠点だらけのダメ人間に映り評価できない。
重要な難問を解いているにもかかわらず、重要でない部分で手を抜いたばかりに、「出来ていない!」と指摘される。
小事の人間には、「難問」と「優しい問題」の区別がつかず並列にしかみえないから。違いが分からない。価値が分からないのである。
ちなみに言うまでもないが、どこで手を抜くかの手の抜きかたも、プロフェッショナルな技量が必要だけど、小事の人間と大事の人間では、手を抜くところが異なる。なので立場が逆転すると、手を抜くところで手をいれなくてはならず、その逆もあり、めちゃくちゃになる。
効き目の弱い毒を毎日飲まされて、じわじわと殺されているようなものだ。殺人と一緒。
大と小がわかっていても、権力闘争や、嫉妬などで、収まる場所に収まる人間が収まっていないだけなのかもしれないけど…
こうした事も、心にしっかり焼き付けられて、自分をごまかす事はできない。自分で巻いた種はいつか刈り取らねばならないので、その時に、どうか他人のせいにはしませんように。
俺だけはわかっているマンだ
憂国厨 あるいは自虐主義
物事を大づかみにする能力と、細かいことを積み上げる能力は、頭の使い所が違うなーとは確かに思う。増田の言い方を借りれば、「大事」を見られる人は前者の頭の使い方をしており...
たかがフリーターが大事と小事を語っちゃ駄目だろ・・