はてなキーワード: 自己評価とは
自尊心として使っている例を寡聞にして知らない。見かけるプライドの使い方ってほぼ全部「虚栄心」なんだよ。
よく見る使用例)
・プライドが傷ついた
自分を尊んでいるなら傷云々はないだろ。持つ持たないだろ?内面的心情や評価を表しているんだからさ。
・彼はプライドが高い
自らをどう評価しているか尊いものだと感じているかどうかを外から測れるか?近いのは自己肯定感とか自己評価であって、ちゃんとその意味で使われている例をまず見かけない。
正誤表)
✕「彼はプライドが高いから指摘すると不機嫌になるよ」 → 他人に(無条件に?)尊重されたい。外から見るとある意味みっともない、むしろ悪い意味で使われる。
◯「私はプライドを持っているので、自分の仕事に手を抜かないんだ。」 → 自らに恥ずかしい行いをしたくない。内面的な尊厳を保とうとする心。本来いい意味だ。
結論)
「人からよく見られたい、バカにされたくない下に見られたくない、他人に尊敬されたい願望が強い」=つまり「虚栄心」の意味で使ってる人がほとんどだと思う。
補足)
矜持って言葉が本来のプライドの和訳なんじゃないかと思う。いつの間に自尊心なんて誤訳、なんなら逆の和訳が定着してしまったのか。それとも「自尊心」の日本語に対する自分の理解不足だろうか。「自」分が他人からめっちゃ「尊」いと思われていたい「心」、願望、気持ち。の略だったりするのか?
それはとても素晴らしいことだし本当はそんな人のことをお局なんて呼び方したくない。
といっても「私なんて…」と卑屈になる方向ではない。
どうもお局は「私は不器用だし仕事も遅いので、そのぶん頑張ってどうにか普通の人並みに仕事をしている」と本気で思い込んでいるように感じる。
実際は平均よりとても器用だし効率の良い動き方を選ぶセンスのようなものが人よりかなり高い。あと学生時代からずっとスポーツをやっていたので物理的に身体を動かすのが非常に素早い。少なくともお局以外のみんなはそう感じている。
それではお局の負担ばかり大きくなってしまう。それはみんな本意ではない。かといってみんなも手を抜いているわけではなく、それぞれ自分のできる限り素早く仕事を片付け…ているつもりなのだが、さて次!と顔を上げるとすでにお局がすべて片付けている。
そして自己評価の低いお局はどうやら「こんなに仕事ができない私がこれだけ働けるんだから、私以外の人間は絶対これ以上できるに決まってる」と思っている。
なので全員ものすごく手抜きをしている、楽をしているように見えているのだ。
こっちは必死だ。結構身体に来るくらいには。お局以外の全員へろへろだよ。
お局は体力オバケでもある。
おそらく同じ速さで同じ仕事をすることは死ぬ気で頑張れば物理的に不可能ではないが、お局が有給を取った日に同じ仕事をこなした同僚は翌日熱を出して休んだ。2回も。
なので今はお局の有給の日は職場で一番健康に自信のある私がその仕事を回している。熱は出ないが鏡に映る顔がゾンビになる。社長から心からの「おつかれさま…」を貰った。
ちなみにお局は1日仕事を終えても元気なので、雨の日は全力疾走(とても速い)で傘をささずに少し離れた駐車場まで去っていく。明らかにいい年した大人が公道で出せる速さではない。たぶん真似すると転ぶ。
そういうわけでお局は自分以外のすべての自分より優秀な人間がみんな手抜きで生きていると思っているので、やたらと当たりが強いのである。
元々あまり愛想のいいタイプではなく、不機嫌なときは一切隠さず今日は不機嫌だから話しかけるな!と宣言するような人間だ。
人に機嫌を取らせることはしない。仕事さえ回せば機嫌を直す必要がないという考えだ。
効率は良い。
手抜きをする人間たちが昼休みに楽しそうにおしゃべりしてるのも気に入らないようなので難しい。
あなた相当優秀だよ。
だから他人がみんな手抜きなんじゃなくて自分がスッゲェ!て思って生きてくれんかな。それだけで機嫌だいぶ良くなるんじゃないかな、と私は思う。
「あの友達は自分と居るよりも、他の人と居るほうが楽しそう」とか「自分が参加してないほうが幸せそう」とか「輪を遠くから見てて十分」みたいな感情を持ってるのって迷惑なのかな
一人でいることが好きというより、エゴを持って「一緒に遊びたい」とか「参加したい」って思う事が迷惑でないかっていつも思ってしまうせいで、心から楽しくしているか不明でずっと不安がある
自分から誘うことが迷惑だと思うし、うまく自分から誘った時も「時間使わせて申し訳ない」って思いながら「遊んでくれてありがとう。」って言ってる自分に嘘ついてる感覚が嫌
何かしら誘われた時も「本心でそう思ってないでしょ」とか「何か裏があってそう言ってるでしょ」とか「仕方なしに誘うか」と思ってるのも嫌
何かしら思う時に「居ないほうがいい」と第一に思ってしまってそこから脱却できないせいで開き直るとかそういった所まで持っていけない
自分以外の人がどう思ってるか知らないけど、どうやってこれを回避しているのか教えてほしいです。
自己肯定感というか自己評価がくっそ低いから上げろっていう話なら、一年ちかく評価をあげるための努力をしてみて変わらないので、変わらない事にも落ち込んでいる
先月末で約15年程勤めた技術者派遣を辞めてメーカーの正社員に転職した。
辞めるに当たって思っていた気持ちとかを書いておくので、技術者派遣に就職・転職しようと思ってる人は是非参考にしてほしい。
ただし、以下は俺が所属していた技術者派遣会社の話と、派遣先で一緒になった他の技術者派遣会社の人から聞いた話だけなので
全てが全て当てはまるわけでは無いとだけは言っておく。
辞める理由は大体3個くらいあって、
以下でそれぞれについて説明する
もちろん技術者派遣会社にも寄るが、労働組合があっても機能していない(ただ存在があるだけ)のケースが多く、
世間がやれベースアップだ、物価高高騰してるんだから給料上げろみたいな風潮になっても
転職サイトとか見ると技術者派遣会社は最低保障給が比較的良い会社が多いが、
それ以上大幅に上がることは無いと思った方が良い。
派遣先に評価者が一緒に派遣されている場合であれば多少融通は利くのだろうが、
派遣元会社から一人で派遣先に派遣されている場合だと評価者が業務内容を把握しにくいケースが多い。
どんなに派遣先企業から良い評価を頂いていて、実績として売り上げなどに貢献した数字が出ていても
なぜなら評価者は他の派遣者からも盛りに盛られた自己評価を出す一方で業務中のミスなど失敗は全て隠すので、
それらを全て信じて評定をつけていたら全員の評価が優秀になる。
そのため、自己評価の5〜7割程度しか自社からは評価されないケースが多い。
これが正直一番キツかった。
技術者派遣会社は俺の知る限り全てが登録型ではなく技術者派遣会社に正規雇用された社員を派遣している。
そのため派遣先企業からすると「派遣」であっても、社会的には技術者派遣会社の「正社員」である。
しかし世の中では「派遣」というと「登録型派遣」が真っ先にイメージされ、
そのため、親族や友人と仕事の話になり、今は技術者派遣会社であることを話すと大体が哀れんだ目で見てくるか、
偉そうにも上から目線で「早く正社員になれるといいね」などとぬかされる始末。
その都度、技術者派遣は旧・特定派遣なので技術者派遣会社に正規雇用された正社員がメーカーなどに派遣されて働いているので、
社会的な肩書きは正社員の会社員であるという話をしないといけない。
そしてそこまでしっかり話してもそのうちの3割程度は理解出来ない人が多い。もちろんそれは俺の説明が悪い場合もあるが。
先日実家に帰った際、技術者派遣を辞めてメーカーに転職するという話を母親にしたところ、母親すら誤解していたようで
「ようやく正社員になれたんだね、良かったね」などと言ってきた。
技術者派遣会社に勤める前に業種の話だとかはもちろんして、正社員だから福利厚生もしっかりあるという話をしていたにも関わらず、だ。
つまり俺は親から"15年もの間非正規雇用の不安定な業種に就いている"と思われていたという事である。
さすがにこれにはガックリきた。せめて親ならばそこは把握していて欲しかった。
技術者派遣は理系大学でも入社、未経験者でも転職できる事が多いので、
技術系の会社で働きたいがメーカーには転職できないのでという踏み台として使うのは最適だと思う。
だが、上に挙げたようなデメリットも多いため、転職の踏み台として考えるのであれば5年程度を目安にすると良いと思う。
一般的に思われがちな派遣を広めた元凶と言われている竹中平蔵氏についてだが、
真意はどうであれ少なくとも俺は竹中氏に感謝こそするが恨み辛みは1mmも無い。
技術者派遣が無ければ次の転職企業には入れなかったのは確実なので、広めてくれてありがとうという気持ちが強い。
(先日なにかの記事で派遣を広めたのは竹中氏では無いとあったが)
という風潮を広めたヤツ、お前が死ぬときはマジで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでから死んでもらいたい。
そいつには非常に強い恨みがある。お前のせいで俺は何度受けなくて良い職業差別を受けなくてはいけなかったのだ。
本当にこの風潮を広めたヤツだけは許せない。誰だかさっぱりわからんのだが。
その時点以降、自己の特定の評価をつけ続けるという境界線が「釣り」レッテル貼りなんじゃない?
そうではない情報の場合、その次の時点以降からも自己評価や他者評価を取り入れたり組み合わせたりして派生をさせたり再評価したりするんだと思うよ
評価の最終点としての「俺は降りる」を「それはお前が乗るの値しないからだ」という意を込めて自身のポジションをあくまでその文脈にのせたまま表すことじゃないかと俺はおもうよ
②自分に合っていなければその話題に接触しないようにすればいいだけ
③なのにわざわざ自分から接触しにいって接触した理由が特定の評価をつけるためだけ
④自分がその情報において表現したい(したということを認知され好適な評価をされたい)ためにそうでないものを批判するために情報に触れる
たとえば、石を投げるという行為について
・石をなげられる原因
・原因があったとして石をなげつけるという行為
・止めよと言っているが止められていない状況について
・石をなげられているものと見に行くもの・止めようとするものの関係性について
みたいな行動をとる人間がそれぞれいるとして、その規範に行為を確認した段階で「その行動は一貫性がなく自己批判をしないのか」と関係ない話題に方向転換された場合
それ以降の継続不可を示す自分の説明より「相手が”釣り”だったから」として「関係ない話題への方向転換」を批判することが「釣り」評価をしてそれを発信することじゃないかな
びっくり系やどっきり系のものみたいに、自分が話題の方向転換をしたら全体を制御できているような万能感を感じようとする行為に対し、それを仕掛けた側への不満を表明しての離脱(離脱する意思を繰り返すことでその回数や範囲に対し自分の救済としてる)かなと思うのでどっちにしても相手を調子づかせて、それに呼応するように自己肯定をかけると終わりがなさそう
そういう意味でいえば、記事に対してブコメが批判と賛成と少なからずその他の言及があったとして「結局ブコメたちは」と記事に対してでもそれに対する自分の意見でもなく、全然関係ない他人について自己評価をし始める謎のスタンスで俯瞰した自分を自己肯定しようとしてるものに似てるって気がするね
まあようするに「俺がそう思ったから」だよ
参考書放置してても別の方法で勉強したり遊んだりできるじゃん。
時間の使い方とは別に、自己評価と実力乖離している(実力に対して自己評価が高い)人も嫌いだから、自分は猛勉強したと思っているのに殆どはスキャナーに取り込む作業であるっていう自分の認知と実際やってたことが乖離してるのもイライラの原因の一つだね。
確かに他人がどう時間使おうと勝手だけど、勉強したのに……と嘆くくらいならそんなことに時間割いてないで勉強しろよとは思うよ。
無駄な時間は人生において必要だから無駄な時間はなるべく無くせ!とは思わないけど無駄な時間が多すぎて納得できない結果になってしまうなら無駄な時間は減らすべきだと思うわ。
マスをカき始めて40年経った。
マスをカいている最中は楽しいと思いながらカいている。マスをカき上げた時はカコイチの快感を得られたと思っている。
しかし液を排水口に流すと、全部の精液合わせても20〜30ccくらいが普通だし、そもそも精子数自体が毎日1億2000万個行けばいい方である。
これを読んだ貴兄らは俺のマスは下手くそなんだろうと思っただろう。俺だってそう思う。
でも、でもだ。俺は自分の妄想が上手いと思っている。しかし数字がついてこない。
分かってる。これは客観的に下手なのだということは。そもそもマスをカいて40年。絵柄のアップデートも頑張ってはいるが、どこか古いのかもしれない。
それでもカくのをやめられない。これは相当にキモい。
中学生くらいの頃は、大人になって結婚したらマスをカくのをやめるのかもしれないと思っていた。
大学生くらいの頃は、マスをカくのを彼女にバレたくなくて相当に頑張ったし。
だから、就職したらやめるのだろうと思っていたが、就職しても普通にマスをカいていた。
じゃあ結婚したらやめるような気はしたのだが、結婚してもマスをカいていた。子どもが生まれたらやめるだろう流石にと思ったが、子どもがいても隙を見つけてはマスをカいている。
若い人にキモがられたらやめるかもしれないと思っていた。実際俺より若くてカく人はゴロゴロいるし。
それでもカくのをやめていない。
なんなんだろう、この人生は。
マスをカいていて辛いこともあった。特にオレのチンチンは形がオカシイと思っていた中学生の頃は辛かった。
気がつけばカきたくなってカいているのだ。
それができるのはヒマなのだ、間違いなく。
今は自己評価と年齢に乖離があり時々それで辛くなることもあるが、だからと言ってマスをカくことをやめる理由にはならない、俺の場合は。
ここまで来たなら、この先どのくらいカいていられるだろうか。
無論死ぬまで…?
そんな漫画のセリフがあったのを思い出したが、死ぬまでカいていたのがバレたらきっと嗤われて死ぬだろう。
なんか、年齢的に俺のマスはヤバいんで辛いですって話をしようと思ってスマホをフリックし始めたのに、最後にはマスをカけるのは幸せハッピーでウヒョーって言ってもいいっすよ!なところに着地するわけねーだろバカヤロー!!
まぁいいや。就活中なんだけど。よくねーよ…
ここまで読んでくれて悪いけど忘れてくれ。
絵を描き始めて30年経った。
絵を描いている最中は楽しいと思いながら描いている。絵を描き上げた時は傑作ができたと思っている。
しかし絵をSNSに流すと、全部のSNS合わせても20〜30いいねくらいが普通だし、そもそも閲覧数自体が1000行けばいい方である。
これを読んだ貴兄らは俺の絵は下手くそなんだろうと思っただろう。俺だってそう思う。
でも、でもだ。俺は自分の絵が上手いと思っている。しかし数字がついてこない。
分かってる。これは客観的に下手なのだということは。そもそも絵を描いて30年。絵柄のアップデートも頑張ってはいるが、どこか古いのかもしれない。
それでも描くのをやめられない。これは相当におかしい。
中学生くらいの頃は、大人になったら絵を描くのをやめるのかもしれないと思っていた。
大学生くらいの頃は、絵を描くのを仕事にしたくて相当に頑張ったし、アニメ会社の採用(?)の書類選考はいくつか通ったりしたが、最終的には全部ダメだった。
だから、就職したらやめるのだろうと思っていたが、就職しても普通に絵を描いていた。
じゃあ結婚したらやめるような気はしたのだが、結婚しても絵を描いていた。子どもが生まれたらやめるだろう流石にと思ったが、子どもがいても隙を見つけては絵を描いている。
若い人に追い抜かれたらやめるかもしれないと思っていた。実際俺より若くて上手い人はゴロゴロいるし、今はAIが描く絵にだって正直敵わないと思っている。
それでも描くのをやめていない。
なんなんだろう、この人生は。
絵を描いていて辛いこともあった。特に絵を仕事にしたいと思っていた頃は辛かった。プロの絵描きになるのは諦めたが、絵を描くことはやめなかった。
気がつけば描きたくなって描いているのだ。
今は自己評価と数字に乖離があり時々それで辛くなることもあるが、だからと言って絵を描くことをやめる理由にはならない、俺の場合は。
ここまで来たなら、この先どのくらい描いていられるだろうか。
無論死ぬまで。
そんな漫画のセリフがあったのを思い出したが、死ぬまで描いていられたらきっと笑って死ねるだろう。
なんか、数字的に俺の絵は下手なんで辛いですって話をしようと思ってキーボードを叩き始めたのに、最後には絵を描けるのは幸せハッピーでウヒョーって言ってもいいっすよ!なところに着地してしまった。
まぁいいや。深夜はそういうよく分からんことが起こるもんだ。
ここまで読んでくれてありがとう。
AIを使えば無産のオレでも漫画が作れる……と思って作ってみました。
可哀想なのがダメな人と百合がダメな人はダメだと思うので、それ以外の18歳以上の人はぜひ。(完全版は有料)
https://www.pixiv.net/artworks/110940030
制作秘話も( https://note.com/wanwon/n/nad6849f5d236 )にまとめたけど、そっちには書かなかったことをここではいくつか。
Noteには格好つけて「読者の判断におまかせします」みたいに書いたけど、正直に話すと「まあ漫画としてはギリ読める」くらいのレベルかなーと思う。
同人誌だともっと酷いのも結構あると思うので、そういう意味では最低限の水準かなーと。
どうしてもクオリティ的に厳しいのは、コマによって線の太さに差が出やすいことだね。
その点も後半は色々と改善を図って大分マシになってきたのだけど、流石に前半まで全部遡ってやり直すだけの気力はなかった。
あと、AIと関係ない仕上げの部分でクオリティ大分下げている(書き文字とか漫符とかトーン処理とか)よね。
まあ漫画を作るのは全くの初めてなのでそこは許して欲しい。
逆に言えば、心得のある人がAIを使えば、現状でも結構なことができるんじゃないかなーと思う。
描ける人は自分で描いた方が多分早いので、メリットはあまり無いかもだけど。
いやー、楽しかったね。
もともと漫画はかなり読んでる方なので、あれこれ参考にさせてもらった。
エロ漫画の仕上げ方法については、かの有名なトップクラス同人作家の先生の作品の表現をかなり参考にさせてもらっています。
Noteにも書いたけど、他人の作品やキャラを明示的にプロンプトで指定したり、特定の既存キャラを選択学習させたLoRAは使っていないよ。
「性別反転したからってキモメンが美人になるわけねーだろバーカ!」
女→男でも、男→女でも、何度となく言われてきた言葉だ。
おにまいの主人公は美少女になる前はイケショタであり、だから妹に惚れられていたのであって、心も体もキモいお前が性別反転しても美人に離れないしそもそも妹がお前に惚れることはなくコーラに盛られているのは毒薬のはずだ、と。
オタクはそもそも「そのまま性別を反転すること」なんて1ミリも臨んではいない。
自分以外の何者かに変化するための手段として性別が反転することを臨んでいるのであり、その過程において自分という存在は自我以外全てが消え去って欲しいと願っている。
異世界転生においてもこれは変わらない。
チートが欲しいと言うよりも「とにかく自分以外のナニカになりたい」のだ。
そしてそこには自己評価が表向き低い人間特有の自己評価の高さ、「自分はちょっと凄い人間として生まれ変わったらバリバリにやれるぞ」という謎の自負が潜んでいる。
それは「ペンタブを買えばそれだけで自分は絵が物凄く絵がうまくなる」と妄想する小学生絵師のようなものだ。
もっと言えば「アメリカの空気を吸えば高く飛べる」というアレである。
だが現実は違う。
違うということが薄々分かっているから空想の世界に逃げるのだ。
アメリカの空気は吸いに行けるが異世界の空気は吸いに行けない。
ガチャをやり直せば自分は簡単に結果を出せるというオタクの願望が詰まっているのが、性別反転や転生のジャンルなのだ。
それは「実現し得ない夢を見ることで、永遠に空想の中に居られる」という機能を持ったものなのであり、そこに対して「実現した所で」と語るのはそもそもがズレているわけだ。
しかしなぜか全く関係ない通りすがりの弱者男性の俺が致命傷を負ってしまうのであった——…
ノ
それ、俺。
かっこいいキーボードを自作したいと思って電子回路を勉強してるんだけど、電子回路自体が好きな感じは全然ない。勉強しても作りたいものが浮かんでこないんだ。だから結局、与えられた練習課題だけ作ってる。ごく少数の手持ちのアイデアはすべて他人に見せびらかす、という基準の上にあると思う。
ノ
それも、俺。
小さい頃ねだって物理の大学生用の教科書を買ってもらったんだけど、一度も開けずに捨てた。テストで頑張ったり、爺ちゃんに「計算機のルート記号って何?」って聞いたのも知的好奇心からじゃあない。だって押して試してみようとなんてしなかったんだから。すべては大人たちに知性をアピールするためだったと今では解る。だけど、他人にアピールする以外の自分の欲望って何かあるか、と考えると、全然まったく何も思いつかない。村上春樹を好きと称して全著作を読んでいるが、村上春樹が無名ならおそらく読まないという小さくて確かな自信がある。
ノ
友達なんていらないと嘯いているのに、寂しくて仕方がないよ。いつも X と ? に張り付いてしまう。
へ
いや………………… 俺には、分からない。
自分で自分をどう思うか、って、そもそも思い浮かばない。メタ認知がムズイっていうか…。
ごく稀に凄い久しぶりに他人と会って話して帰宅した後に、クヨクヨと自分内反省会することはあるけど………、コミュニケーションの機械が何もないときに自分と会話したりはしない。そんなんするくらいなら Youtube でゲーム配信をみて誰かが笑ってるのを眺めたほうが時間のコスパがいい。
自分自身ってボディースーツのように常に一体で、相手としてなんて捉えられないよ。
呪術廻戦を観るのだって、スレの人々の意見に自分ならどう対応するかをシミュレートするために読んでる・観てるのであって、オレ自身が楽しんでるかの確信はない。いや…
もし世界が今日破滅して、俺一人になったなら、呪術廻戦はもう読まないだろう。
というか… 何もしない植物人間になってしまうと思う。もはや対応すべき「敵」が存在せず、世界は「クリア」されたのだから。
昔、「嫌な思い出はだんだんと消えていって、良い思い出だけが残るものなんですよ」という事をはづきちゃんのばあやが言ってたけど、アレって、ばあやの優しいウソだったんだな、って痛感する。嬉しかったこと、楽しかったこと、好きだった人………… 霞がかかって何も思い出せないけど、トラウマはすべて鮮明に覚えている。初恋の片思いの相手の名前は曖昧なのに、体育教師から蛇のようなクソ人事まで敵の名前は全員記憶してる。
「俺はまだまだこんなもんじゃない!」「もっと上を目指せる!」
だから頑張ろう!と向上心に転化できるタイプのプライドなら大いに持てば良いと思います。
へ
俺には。
結果的に自分の中だけで完結してしまっているプライドは結構あるってかほぼ全てだけど、どれもがおそらく「誰かに見せる」のを最初から前提にしてて終わってる。
女性経験があまりないまま、友人女性と恋に落ち、すぐに結婚してしまった。
非モテ独身こどおじ歴の長いイケてないおっさん代表というのが自己評価だったので、結婚できたのはほとんど奇跡と思っていた。
「みんな狙ってたよ」「自覚なかったの?」「牽制しあってたよ」
手をこまねいていたら他の誰かにかっさらわれると焦ってアタックしてみたら思いのほかたやすく陥落した、というのが妻の側から見た事実らしい。
そうだったの?
妻は、ほかの女性たちが私に砂をかける様々なシグナル──妻を焦らせたが私には気づけなかったシグナル──を解説してくれた。
私がうっかりスルーしてしまっていた何気ないコミュニケーションも、「こんなこと、好きな男の人にしか言わないから!」と指摘する。
そう言われてみれば心当たりはあった。今振り返ると、妻の知らないところ(たとえば職場とか、ツイッターのDMとか)でも、似たようなシグナルを多く受け取っていたかもしれない。
そっかあ。逆どぶロックかあ。
もう少し自分が女性慣れしていて世間を知っていたら、別の人生があったかもしれない。
でも、今の妻と結婚した判断は間違っていないと思っているし、今私はじゅうぶん幸福だ。何の悔いもない。
ただ、妻の尺度によると、結婚した今でも私は引き続きモテている(それが妻を苛立たせる)らしいのだ。
物騒なことである。