毒抜きの為だけに書いている文章なので、支離滅裂なのは許してください。
私はつい先日まで、とある作品に嵌っていた。紙媒体の原作があり、そこからアニメやゲームなどの派生作品が複数ある作品だ。
その作品に嵌るより前からアニメや漫画は好きだったけれど、この作品は生まれて初めて作者さんに手紙を出してしまうぐらい好きになってしまった作品だった。
しかし、これだけ好きだった作品の事を私は今とても嫌っている。憎いと言ってもいい。
「公式が地雷」だなんてふざけた事をぬかすな!と思った方、その気持ちは私もわかる。とても分かる。
私自身、今回の件があるまで公式が地雷なんて気狂いの発想だろ的な事を思っていた。でも今ははっきりと言える。公式が地雷という現象はあり得る事だと。
まず違和感を覚えたのは原作がアニメ化され、それが放送された時。
原作で好きだったシーンがカットされた。これはいい。映像と紙媒体で表現方法が違うのは当然だ。
キャラクターの掛け合いを増やす。これもいい。可愛いキャラクター達の可愛い掛け合いだ。全くもって構わない。
次に違和感を覚えたのは、原作者完全監修ストーリーがウリのアニメを基準としたスマホゲームの、とあるイベントシナリオが公開された時。
原作では思慮深いと描写されていたキャラクターがいきなりポンコツ化
何を言ってるか分からないと思うけど私も何も言っているのか分からない。何があったんだよこのキャラクターに。
いや、何が起こったのかは分かる。ここでこのキャラクターがポンコツになれば、このシナリオのオチが面白くなる。だからポンコツになったんだ。
作品の中で一番推してるキャラクター(マイナーキャラなので原作にも殆ど出番が無い)が珍しく通常シナリオに出てきた。
わっけわかんねーよ!!!!
他キャラを立てる為に推しが利用されるのは構わない、でも推しをストーリー中で貶す必要ありました!!!??
原作をアニメ化した物を更にもう一度紙芝居化したシナリオがゲームに収録された。ありがたい事にアニメではカットされた場面も収録されていた。
登場キャラクターを大幅に変えて。
キャラクターAが出てくる場面にキャラクターBを出張らせ、挙句Aの存在は初めから無かった事にされた。
脚本家は筆を折った方が良いのでは?
ドラマcdだもん、キャラ崩壊ぐらいあるよね、ってレベルの崩壊じゃなく、別人レベルで崩壊していた。
お前は誰だ推しはどこだ。
思慮深くその頭脳は誰からも頼りにされている筈の推しが、一切の思考能力も持ち合わせていない馬鹿に成り下がっていた。ドラマcdのおふざけシナリオだという理由だけで。
馬鹿に成り下がる事自体が嫌だった訳じゃない。馬鹿に成り下がった理由がシナリオの為だった事が嫌だった。
このドラマcdを聴いて以降、私はアニメはおろか原作すら目に入れていない。表紙が視界に入るのも辛い。
「アニメが合わなかっただけ。原作は面白い」と思おうとしたけれど、ダメだった。上で違和感を覚えたと書いたシナリオは全て原作者監修のシナリオだった。
このご時世、本当に監修しているのか素直に信じられるものでは無いけれど、原作者の名前で発表されている以上、どうしても分けて考える事が出来なかった。
作品を好きだった時間を無駄とは思わないし、費やした金銭が無駄だったとも全く思わない。本当に楽しかった。
でも今後この作品を見る事はないとも思う。再熱しようにも、また公式の展開が嫌なものになるのではないかと怯えながら読み進める事になってしまう。こんな胃に優しくないのは嫌だ。
オタクを辞めるつもりはないし、これからも色々な作品に触れていきたいと思う。ただ、あまりのめり込み過ぎるのも良くないなぁと考えさせられた一件だった。
女の分際でここに書き込むんじゃねえよ。 作品名くらいだせやウスラトンカチ。