はてなキーワード: 東大卒とは
それは自殺した人間が若い東大卒の女性社員であったからであり、電通という巨大企業の社員だったからである
こぞってブログを書いて同情アピール、企業許すまじアピールをしている人も、これらの要素がPVを集めやすいと思っているのだろう
だが、現実的に日本で最も多く起こっている自殺は中年男性のそれである(もちろん滅多にニュースになどならないし、誰もブログで書かない)
自殺した人間が、高卒や中堅私大卒の中年男性であり、零細企業の社員だった場合にはそれは悲劇足り得ない
「ああ、かわいそうだね」と思う人はいるかもしれないが、みんな明日には忘れているのだ
彼らに注目し、彼らを救うことこそが、日本で最初に行うべき過労死自殺対策であるわけだが、やはり社会は大衆の興味がないことを解決することは不可能なのだろうな
夫とはもう3年くらい全く関係がない。
夫は月に1~2回は挨拶のように求めてくるのだが、私がその気になれないのだ。
何故か。
夫は、顔は普通くらいだし、頭ははっきり言って良い。話も合う。
収入も十分で、共働きということもあって都心湾岸部の高層マンションに住むことができている。
子どもも2人いて、幸い、みな保育園に入れることもできている。
世間的にはいわゆる満足すべき配偶者なのだろうし、もちろん、離婚するつもりはない。
この生活は手放せない。
別に結婚してからデブになったわけではないので、結婚前そして出産前は普通にしていた。
30過ぎて、結婚を焦っていたという要素もあるだろうが、その時は問題なかったのだ。
が、ある時期からどうしても夫と肌を重ねることが嫌になった。
容姿も多分人並み以上ではあり、保育園の保護者行事などでは、子どもを連れたパパからよく話しかけられる。
子どもを2人生んだにしては、スタイルもまだそれなりで、くびれはあるし、胸のカップはE。
30後半に入って少し垂れ始めたし、乳首は濃い茶色になってしまったが需要はある。
なんで需要があると言い切れるかというと、近所のパパ友と親密なお付き合い、いわゆるご近所不倫をしているからだ。
最初に付き合ったのは、同じマンションの低層階に住んでいる東大卒40代。上の子の保育園の同級生のお父さん。
新しい彼は、お向かいのタワーマンションの高層階に住んでいる30代弁護士。下の子の同じく保育園の同級生のお父さん。
同時進行してて、月に1~2度逢瀬を重ねているが、たぶん関係者皆にバレてない。
それぞれ奥さまとは子どもが生まれて以来ご無沙汰らしく、私との時には体にむしゃぶりついてくる。
もちろん、茶色くなってしまった乳首も好評だ。可愛い、きれいだと褒めてくれる。
夫と違って、精力は強くないので、一度の逢瀬で一回果てるとおしまい。
まかり間違えて妊娠などしないように、ピルは飲んでいるが、相手にも基本ゴムをつけさせている。
時折「安全日だからいいよっ」て言ってあげると満面の笑みで喜ぶのが、男って高学歴でも馬鹿なのねと思わせる。
まあそんなことは、同じくらい高学歴なのにゴム付けない主義者の夫を見てるとつくづくわかることではあるのだが。
病気とか妊娠とかよりも目の前の快楽を優先する頭の悪さと、高いレベルの知性が両立しているのは何かの奇跡とすら思う。
向こうの奥さまもよく知っている。低層階の彼の奥さまも、弁護士の奥さまもどちらも有名大学卒の専門職。
ご主人のお仕事が忙しいので仕事はセーブされているが、独身の頃は相当稼いでいたと思う。そこは私も同じだが。
お二人ともかなりの美人だが、スタイルはどちらも棒のようなやせっぽちなので、そこが私と違うところ。
そういうお相手だから、彼氏2人とも奥さまと別れるつもりは全くない。
お互いの家庭を壊すつもりは関係者皆にないので、かえって安心して恋愛ゲームにのめりこめるというものだ。
そんな状況で、夫がこの2~3か月ほど、私を求めてこなくなった。
調べてみたら、ほぼ偶然だろうが、私の不倫相手の奥さま2人と会っているらしい。
探偵からの報告書を読んで、怒りで思わず目の前が真っ暗になった。血が頭に上がるってこのことかと思った。
それでも裏付けに、彼女たちの大学の同級生のつてをたどって聞いてみた。
それぞれ別々に口をそろえて、ご主人は性欲も薄くやる気がしないが、私の夫は何度も求めてくるので女としての実感があるのだそうだ。
変なバランスで、このゆがんだ関係、しばらく続きそうで、きわめて腹立たしい。
あんなデブに喜んで股を開く口の軽い売女め、いつか目にもの見せてやる。
でもどうやって?
下記に寄せられている回答で奇妙な物をみつけました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2401444.html
http://okwave.jp/qa/q2401444.html
No.5
仮にいろいろ平等にしたら、明らかにDNAの差が明確になってきますよ。
私はそれの方が恐ろしい。
DNAの差が大きいかどうかは人それぞれ考えがあるでしょうから、ここでは不問とします。
生まれによる格差固定があれば、悪循環によりそれこそ「DNAの差が明確になって」くるのではないでしょうか?
「DNAの差が明確になって」くるのを避けるなら、生まれによる格差を是正すべきだと思います。
No.20
現在一応中学卒業までは均一と言えると思いますが、これを大学まで伸ばした場合、学歴に差が出ない。
就職活動において、企業側から見れば学歴は客観的な事実なわけだから評価し易いです。
100人履歴書送ってきてその内10人が東大出だったら、とりあえずその10人は確保。
という考え方は理にかなってるし、単純明瞭とても簡単です。
この論はもはや本末転倒と言うべきでしょう。
・「教育の格差を完全に無くす事によってその指標は失われてしま」うというのは極端です。教育の格差是正により、東大卒しかいなくなるなんて誰も言っていません。所持資格に差が出ないわけもありません。詭弁だと思います。
・全体の人材の能力向上より、分かりやすい指標を求めるのは本末転倒だと思います。
1)応募者が高学歴だらけ
2)応募者が東大卒を筆頭に、段階的になっている
企業にとっては、1で悩む方が良いはずですが、この回答では2の方が悩まなくて良いということで何故か2を支持しています。
・「そうなっちゃうと結局「カネ」「コネ」がモノを言う社会になっちゃうんじゃないでしょうか」という話が無効であると思ったのは上記記述の通りです。しかし、「「カネ」「コネ」がモノを言う社会に」しないためにという部分は、本末転倒だと思いました。
「カネ」「コネ」がモノを言う社会は問題ですが、仮に「カネ」「コネ」がモノを言う社会であったとしても、生まれによる格差よりはまだましと言っても良いのでは無いでしょうか本人が築いているものですから。
教育格差問題自体については本記事では詳しく語りません。(個人的には、上を落とすのでは無く、下の底上げ(つまり支援)で行っていけば世の中の不平感無しでいけるのではないかと思います。)
Aという論理からA’という結論が自然に導かれているなら、A’について私が賛成であろうが反対であろうが、そういう意見があるんだなあと思うのですが。紹介した記事ではBから、相反するはずのA’という結論にたどり着いており、論理展開が奇妙に思いました。
僕はインターネットが好きだった
そう思ってたんだけど違うんだよね
大好きなインターネットに僕も進出しようとブログでも作ろうかと思って
いろんな人のブログを見た
そして気づいた
面白いブログの人はみんなリアルでも何かしらの特殊性がある人だってことに
そして自分自身も
「この人は医者だけあってためになる話をするなー」
とか
とか
と考えてみたんだけど驚くほど何もない
普通すぎる
なんの面白味もない
かといってFランク大学とか極端に悪いわけでもない
あーーつまんねーーーー
平均よりはほんの僅かだけ勝ち組寄り
みたいな中途半端さ
じゃあ年齢は…「28歳」
わお!中途半端ー!!
若さあふれる感じでもないし
昭和とも平成ともつかない微妙な時期に生まれてるせいで昭和生まれにも平成生まれにも仲間に入れてもらえない微妙さ
じゃあ生活の面はどうだ…
「既婚子無し」
やっぱり中途半端ー!
徹底的な非モテとかでもないし
と、まあなんというか
僕の人生って「30年前の典型的日本人」みたいな感じなんだよね
自分で言うのもなんだけど
「そこそこ良い」みたいな人生
ようは僕のことなんてわざわざ発言しなくてもみんな予想できてるみたいな人生
現状を破壊しなきゃいけないほどの不満もない
週末は何かアウトプットしなくちゃと意気込んでるんだけど、
買い物一緒に行ったのは
膝に青あざある子はだいたいポールダンサーでお馴染みのマキちゃん。
何回もあってるのにね。
ご飯に行ったお友だちは、
日本の読み方で、みっちゃんみっちゃんと読んでるの。
まあ、みっちゃんが私にただで仕事をぶっ込むからぶち切れたのよね。
うふふ。
3年降りに会ったわ。
なんか、ひょんなことからの妙な再会だわ。
相変わらずみっちゃん超美人だし!日本語もぺらぺらだし!東大卒だし!
とにかくカッコいいのよ!
みっちゃん、
彼氏と別れたとか言ってたけど、
会社立ち上げたとかで、忙しいらしいわ。
でも、みんな元気でよかったわ。
パワーをもらっちゃいました。
うふふ。
家でカップ麺食べていこうと思ったけどさすがにないわと思って、
もう、朝の段階で超暑いわよね!
空きの季節先取りって感じかしら。
ただ、甘すぎるわ。
まあ、とにかく水分補給はしっかりね!
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
学歴でブコメの質が決まるとは思っていないが、b:id:hungchang のブコメが素晴らしいのもまた事実だ。
本当に東大卒だとしたら、さらによりいっそう説得力が出て、より素晴らしく感じるのかもしれないなあ。
イメージ的には、カシュゼロロク、ワロスハッカー、デス六、シダーコンドー辺りは高学歴かはわからんが、学生時代に勉強を真面目にしていそう。
特に、カシュゼロロクは偏差値じゃなく卒業後の進路とか、やりたい学問とかを考慮して大学を選んでそうだから、あまり知名度が高くないけど良い大学、みたいなのを選んでそうだ。
逆に、msdbkm、リ・カム、け、辺りは不真面目そうな印象があるな。
リ・カムなんかはその印象がずば抜けてて、勉強しなくても偏差値65ぐらいはありそうな印象が凄いある。
すけきょわんわん、ながたふぇは、勉強に興味がなさそうな感じがする。
頭が良いとか悪いとかというよりは、学校が教えることに興味がなさそう。
すけきょわんわんは間違いなく「サインコサインの何が役に立つんだよ!」って思いながらも、口にせずに、しれーっと自分のしたいことをやってそう。
こうテスト始まった10秒後に、テスト範囲どころか、今日のテストの科目自体を間違えて勉強したことに気付いてそう。
勉強以外でも、大事な書類を破くとか、コピー用紙をぶちまけるとか、お茶をこぼすとか、そういうミスをたくさんしてそう。
あと、こういう評価基準とは関係なさそうなのが b:id:sugimurasaburo さん。(なんて読むの? スギムラサブロー?)
今まで挙げた人達は、なんていうかこう、男社会に置ける評価基準みたいなものでイメージを膨らませたけど、
この人はもうそういう基準で計るべき存在じゃないなって思っちゃう。
言い方は悪いかも知れんけど、結婚したときに、2人で共働きするよりも専業主婦やって全力でサポートすることで、相手の年収を二倍以上に上げるようなイメージだ。
ただ、別に本人自身も仕事は出来そうだから、共働きなら共働きでガッツリ稼ぎもしそうでもある。
むにおかみたいな、やる気ないタイプもいるよね。
こいつ勉強とか仕事が出来るとか出来ないとかじゃなく、やる気が根本的に欠けてそう。
金を稼ぐとか、テストでいい点数を取るとか、そういう社会的なあれこれに一切の興味がないタイプ。
でもまあ、一番多いのは、サバみたいな、ほどほどにやる気があって、ほどほどに勉強が出来て、ほどほどに仕事も出来る、みたいな普通の人なんだろうなあ。
■ 慶應閥
三田会という組織を中心に、秘密警察のように梅雨時のカビのように広がる。
大学の特性として、平均的には能力が高いものの、本物のポンコツが結構含まれている。
にもかかわらず依怙贔屓で上からの引っ張りがあるので、バカ上司死ねと思ったら慶應だったりする。
慶應閥が強くない会社でも、トップが慶應になったとたんに慶應閥がはびこりがち。
慶應閥がはびこった会社は、必ず滅亡への道を歩む。カネボウ、三越、東芝…
地方ベンチャーとかで元気よかったのに、二代目が慶應で没落というのもよく聞く話。
要は、大変たちが悪い。
■ 一橋閥
如水会という組織を根城に、ハイフライヤーって感じで勢力を伸長する。
慶應との違いは、2つほどある。
一つは、単に就職偏差値が高い程度の会社だと、一橋出身者は閥をなすほど入らない。非常に高い会社にのみ存在する。
もう一つは、平均的能力も高いのは言うまでもなく、明らかなポンコツはごくまれ。
それにしても上からの引っ張りは強力。
要は、相当たちが悪い。でも慶應ほどではない。なぜか。
一橋閥は能力が高いし、彼らは一橋卒といえども無能を嫌うので、慶應閥のように会社を潰すことは稀だからだ。
鞏固な結束を誇る一橋閥にしても、慶應閥にしても、結束力がむやみに強い理由は、本質的には一つしかない。
それは次で述べる。
■ 東大閥
個々の戦闘力では、ほとんどの場合慶應と一橋は東大には及ばない。
むろん、慶應・一橋のトップと東大のボトムを比べれば、前者が圧勝するのは言うまでもない。
しかし、慶應・一橋のトップが入るとこには、東大のトップが入り、やはり残念ながら、個々の戦闘力では勝てない。
東大卒は無能を嫌う。東大卒の無能を最も嫌う。一緒にするなと思うからだ。
東大閥が存在すると言われる組織はあまたあるが、実際には東大閥は存在せず、たまたま東大卒がたくさん入るというだけだ。
東大法学部は経済学部と教養学部をさげすみ、経済学部と教養学部は文学部をさげすみ、群れることは一切ない。
一人ぼっちのオオカミが群れているように見えるのが東大閥の正体だ。
ただし、彼らは無能をことのほか嫌い、有能を評価するが、その場合の有能の評価基準は、知的な情報処理能力の高さだ。
そして、その能力が高い人間は、結果として東大卒である場合が多い。
東大卒が閥をなすとき。これは、慶應か一橋か京大のいずれか2つが閥をなし跋扈している場合だ。
その場合の東大閥の腹黒さ、他を蹴落とす策略の陰湿さは他に例を見ない。
結果として、東大閥と慶應閥と一橋閥と京大閥が争った場合、ハルマゲドンが発生する。
このハルマゲドン、私は唯一例しか知らないが、メガバンクが一個、本当に10年足らずで吹き飛んだ。三和銀行である。
■ 京大閥
京大は、地理的な遠隔もあり、上の三者の中間的な立ち位置になる。
すなわち、関西にあっては東大のように振る舞い、東京にあっては一橋や慶應のように振る舞う。
しかし、東京にあっては数が少ないので、慶應や一橋のようなパワーは多くの会社で持っていない。
京大閥が跋扈する会社は、関西発祥だが東京で生き延びている、住友系の会社が主である。
なお、東大に官僚志向が強いように、京大も、官僚志向が存在する。
しかし、国家公務員は東大濃度が高すぎるので、大阪市役所あたりに隠然と力を蓄えたりしている。
が、ここ30年の大阪市の長期低落で、有能な才能がすべて無駄遣いされている。
東大卒や一橋・慶應閥の荒野の中で勝ち抜いた京大卒というのが時折トップになるのを見る。
ただ、そういうトップは、意味なく東大を排除したりするので、コンプレックスというのは度し難いと感じさせられる。
結果、京大卒のトップが、東大を排除した結果、一橋と慶應が跋扈するという事態が発生するのは時折観察される。
他にリクエストがあれば書くよ!
君の卒業した小学校。世界一ではないにしろ、初恋の男の子や、楽しく喋った友達がいたんじゃないか?
君の卒業した学校の素晴らしさはスペックがすべてか?学力がすべてか?思い出やそこにしかない季節の事物。
あるいは、君が昔住んでた家でもいいよ。
たまたま生まれた町のたまたま生まれた学校といえを体験した自分って存在が特別じゃないか?
自分にとって自分が特別なように、他人も自分にとっての特別に思えるはずだけどな、スペックで視なきゃ。
確かに、東大卒ってスペックは面白いけど、そのスペックに恋なんてできない。
動物園で、「動物」っていう動物を見に行くようなものだろそれじゃ。
お金で何を買いたいじゃなく、「お金」がほしいとか言い出すのと同じ。
うんだから金目当てにキャラ設定付け足して納得感出しましたって感じのアレね。
別にだから何って。いくら東大卒でラグビー部でピアノ弾けても身長158で顔がでかい醜男はモテナイ
女ならなおさらその傾向が強い
だから女は顔なんだよなっていう
京大卒、東大卒文学部の方々の文章を読んだ。どちらも有意義な文章だが社会において文系の価値が軽視されがちになってきている趨勢を感じるこの時代に書き残しておきたいことがあります。
何のために学問をおさめるのか、主婦になるのは大学教育は必要ない?東大卒はプライドを捨てなければ自己肯定できないのか?
どちらも境遇が違うのですが共通して言えることがあるので増田に書いてみたいと思います。文学部が存在する大きな意味のひとつに「無限の文脈」を得るためということがあるでしょう。
たとえば仏教は人生は苦しみであると説きます。しかし人生は苦しみであるという言葉だけではなにをもって人生が苦しみなのかわからないので人生とは~~~ゆえに苦しみであるという~~~を獲得するのを助けるのに文学ほど有用な学問はないと確信しています。これは論理や実験では決してうまらない人間の人間たる存在の問題であるのでバッチリこれが答えだなんて言いいきれるものではありません。それが理系と文系の決定的な違いなのではと思うのです。文系の学問は経済学や社会学、政治学などを含めて全て勉強すればするほどに断定的な物言いが難しくなる側面があります。文系は人文系とも呼ばれますがまさに文学は人間の混沌を理解するため、ではなくどう見つめるかのその過程を追求するためにあるのではないでしょうか。
だから社会的な実益を生むわけではないので文学は時に軽視されることになります。しかし自らの人生を追及するために文学ほど役にたつものは存在しないのです。それは一般的な労働に従事するかぎりにおいてはほとんど役にも立ちませんがそれでも個人の人生という物語を形成する重要な要素にはなるのです。
おそらくそれが京大の文学部を出て主婦になった方が感じる最も根幹に感じる違和感の正体ではないのでしょうか?大学を出て社会的な成果を出さないとは何事かと人は言います。けれど文学は人間の外面ではなく内面をどう料理するかを学ぶ学問なのですから主婦になろうがどうしようがそんな社会的なことは甚だどうでもいいものでしかないのです。むしろその京大で学んだ文学的素養を発揮するのに主婦や子育てほど適した職はないとも私は思っています。
文学の価値というのは学生の時には傾倒し教授と談義にふけったりそれはそれはとても面白いものですが社会に出れば時に忙殺されてしまいます。実務に追われ気づけば学生の時に追求した私は~~~だから私であるの幼い文脈すら仕事の一言に置き換わってしまいます。それは理系も文系も京大もFランも高卒も関係なくです。しかしそんな何のために働くかわからなくなった名もなき乾いた砂粒のような人間にこそ文学は必要なのですよ。