はてなキーワード: 女性自身とは
③性的役割の固定化につながるような「女性らしさ」が好ましい事として消費されている
④それらはポジティブに扱われる
そのために、「それを匂わせる」程度の表現が「公共で」使われることすらも炎上させるような狂的集団になってしまっている
大事なのは④と⑤で、女性が男性の美徳を無視する的な方面は、ミラーリングとして成立しないし
現実にあり得ない荒唐無稽なものも、ミラーリングとして成立しない
だから、女性も男性も、ネガティブな事象として消費する、NTRというのはダメで、「そりゃNTRはネガティブですよね」という合意が形成されてしまう
虚構でレイプを描いて、酷いと言われたら、「そりゃレイプは酷い」という意識は男性側にもある
萌え絵では、「言うほど酷いか?」という反応となり、ミラーリングにはそれが必須条件
よく例示される女性が男性を支配、または体よく利用する「ヒプノシスマイク」やら「女だけの街」もダメなんだ
女性はそれを完全にポジティブな事象として消費可能かもしれんが
それを男性が見ても、虚構でしかなく、現実とリンクしないから「他人事」となってしまう
そういう意味では、元記事の「軍隊」などは、惜しい所へ辿り着けている
自己犠牲が美徳として社会で消費され、インデペンデンスデイの特攻は美談になる
それが日常的に男に当てはめられ、男もその価値観を刷り込まれる
そうしないことが「男らしくない」として侮蔑の対象や奇異な事となる
そうしたくない人間もその抑圧に晒され
ちょっとしたシーンで、女性から「男らしさ」を常に評価され、嗤われたり、絡まれたりする
それを「差別レベルで苦痛に感じる」男が一定レベルに達すれば、現状の萌え絵炎上へのミラーリングと言えるかもしれない
男女を逆にして①②③を満たす形で④が発生し、⑤の状態が日常になる、当然に社会構造は⑥であり、表現でも好ましいと描かれるために⑦へとつながる
ミラーリングしようとする時、大抵の人は必死に、①と②だけを行う、「好ましい」すらも無視して「男性が嫌がる誇張」に走ったりする輩もいる
それじゃミラーリングにならない
問題は退社の方。寿退社なんて言葉まであったかつてに比べてかなりマシにはなっているが、
女性は結婚を機に仕事を辞める率が男性より高い。出産ではないから別に休暇や給料は変わらないのに、だ。
すると、企業としてはOJTを含めた社員教育などの投資が無駄になる。
このため、企業は女性を雇うのを控えたり、良い経験を積め将来の昇給・昇級に繋がる仕事を女性に任せなくなる。
これは男女の離職率の差が僅かであったとしても、その差を覆すだけのわざわざ女性を選ぶ理由が無い限り起きる。
退社なんて全く考えていない女性には迷惑な話ではあるが、企業からはどの女性が辞めないタイプかは
もし性欲が逆転した世界があるとしたらどのような世界だろうか?
現実の女性の避妊手段は一定の施術が必要であったり身体に負担がかかる避妊手段であることが多く、
またピルのような経口タイプの避妊手段は身体への負担以上にランニングコストがかかる。
そのため、性欲が逆転する前提として安価で身体に負担がかからず、女性自身の意志によって簡単に避妊できる手段が必要となる。
性欲が無い状態が基本状態なので、世の中の男は基本賢者モードとなるだろう。
また、男性には生理が無いためその状態が変動する要因も基本的に無い。
性欲が逆転しても肉体の差が逆転されない場合、レイプの基本は昏睡レイプとなるだろう。
あえて避妊せず危険日にレイプを行い出産する行為は非同意生殖罪として犯罪となるものと考えられる。
「汚いおばさん」が現実世界でジャンルとして存在しないのは性欲の非対称性によるものだが、
性欲が逆転した場合は汚いおばさんがイケメンをレイプする漫画がジャンルとして成立するだろう。
女性の露出狂や痴漢がほとんど存在しない理由は男性の性欲が強く女体の需要が高いからである。
性欲が逆転した場合は当然女性の痴漢や露出狂が現在の男性の痴漢や露出狂に取って代わるだろう。
他にある?
仁藤夢乃氏の告発からはじまった日本版ゲーマゲート論争のような様相を呈している「温泉むすめ論争」。
あまりに飛び火していてまとめきれないところもあるけれど、自分の整理のためにも一部論点を抜粋しておく。
●キャラクター設定について
・温泉むすめは、性犯罪(スカートめくりや夜這い)を一般的に触れる可能性のあるキャラクター設定に取り入れている
・性差別を内包したキャラクター設定は、一般的に触れる可能性のあるキャラクターの設定として適切ではない
・性犯罪を内包したキャラクター設定は、性差別であり、性的搾取である
・性犯罪を内包したキャラクター設定は、性差別であり、現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因となる
・性犯罪を内包したキャラクター設定は、性差別であり、現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因と主張するには、統計的根拠が必要である
・性犯罪を内包したキャラクター設定のあるキャラクターを、プロモーションとして活用した場合、その企業や施設では同じ性犯罪が発生する可能性が高い
・性犯罪を内包したキャラクター設定のあるキャラクターを、プロモーションとして活用した場合、その企業や施設は、性犯罪や性的搾取問題に肯定的である
・未成年にみえるキャラクターが飲酒をほのめかす設定があることは、設定が神や人外であっても、見た人に未成年飲酒を問題ないととらえる認知の歪みを生じさせる
・萌え絵は、性差別表現なので、一般に目にする場所に出すことは適切ではない
・萌え絵は、性差別表現ではないが、一般に目にする場所に出すことは適切ではない
・萌え絵は、性差別表現であるので、それを見ることは現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因となる
・萌え絵は、性差別表現であるので、それを見ることは現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因となると主張するには、統計的根拠が必要である
・萌え絵を好む人間は、性犯罪に走る可能性が高く、性犯罪者予備軍である
・萌え絵を好む、許せる女性は、性差別を内在化させており、性差別を肯定している加害者である
・特定の性別で統一されたキャラクター群において、ステータスのついたキャラクターを選べるというコンテンツ構造は、性差別的である
・公的機関が、萌え絵をキャンペーンに採用すること、後援することは、性搾取を肯定していることと同義である
●その他の論点
・外国人、外国出身キャラが日本語をしゃべる際に語尾に「デス」をつけるのは、差別的表現である
・制服は現実で性的なアイコンとみなされているので、その認知を強化するものだから萌え絵として描くべきではない
・制服は現実で性的なアイコンとみなされているので、その認知を強化するものだから萌え絵として、一般的に触れる可能性のある場所には不適切である
・普段温泉に行っていない人間は、温泉のプロモーション施策に口出しをする立場にはない
・R18作品を制作したことのある作家は、一般的に触れる可能性のある場所での表現では、名義を変えなければならない
・非実在のキャラクターは、誰も差別しておらず、誰も搾取していない
・ホームページやYouTubeでの発言は、誰にでも目に触れるものであるから、公共空間(ゾーニングされていない)と捉えて問題ない
・差別的表現に触れた人間は、理性に関係なく差別的な思想を内包化させ、差別的な行動をとるようになる
・他人の創作物を「こんなもの」と呼ぶことはクリエイターへの侮辱的行為である
・萌え絵を含む一般に目に触れることのあるキャンペーンがなくなることは、性差別や性搾取の問題解決につながる
・制作者本人たちとの議論よりも先に、Twitterで過激な言葉で告発することは、世論を動かすには仕方なく、適切なプロセスである
■おわりに
時代の変化もあるし、これからも続けていくなら設定は変えて正解。
少しでも温泉観光地に貢献していると現地の方が感じているのであれば素晴らしいコンテンツ。
温泉むすめを「こんなもの」と呼ぶのはクリエイターに失礼な最低な話し方。
萌え絵自体は現実の人間の人権を侵害していないので、性差別でも性的搾取でもない。
萌え絵の公共的な場所での消費が、現実の性差別の問題を引き起こしていたり、認知の歪みを与えるという言説は根拠に乏しく反対。
ただし、萌え絵が公共的な場所で消費されることに、女性自身が自分が日常さらされている「性的にみられる」という嫌悪感と地続きだと感じること自体はあるだろうし、否定できるものではない。その線引きは個人で違うので、主語を「女性」として自分の基準を社会の基準にしようとするのはあまりに乱暴。
温泉むすめは問題ないと思うが、性差別や性的搾取の問題とは別として、公共の場で非常に露出の高い女性表象は、必ずしも適切だとは思わない。
表現の適切さは、そもそも一足飛びに社会的な構造問題に結びつけて議論できるものではなく、その場その場で是々非々の検討が必要。
嫌なら見なきゃいいってネットでよく言われてるけどそれは違う。コンプライアンスとして企業がやって許されることではないとはっきり言う必要があるし人権意識をもっと育てなきゃいけないだろうと思う
少なくとも女性がこういう扱いを受けることの暗喩になるものを堂々と社会に出しても問題ない社会というのは大問題だし、それについて男性ももちろんそうだけど、女性自身が自覚的でないのもひどい。
こういうものを日常で目にする事そのものが幼い子供に対しては暴力的だということに大人がもっと自覚的にならないといけない
民主主義も個人主義も表現の自由も日本国民は何一つ正しく使いこなせてないし、根本的に教育を変えなければならないレベルだと思うよ
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「元々私は“コロナは存在しない”、“ワクチンは人口を減らすためのもので必要ない”と信じていました。身の回りにコロナに感染したという人がいたら、雇われた“工作員”だと考え『新型コロナのワクチンを打ったら、死んでしまうからワクチンは打たないほうがいい』と周囲の人を説得。その結果、学生時代の友達をみんな失ってーーー。わかった気になり偉そうに語っていた自分が、今では本当に恥ずかしいと思っています」
ZOOM越しでこう語る一人の女性。一見すると普通の女性だが、実はネットではちょっとした“有名人”。ピンクドルフィンというアカウント名で、反ワクチンを唱える“陰謀論”からの目覚めの経緯を語ったツイートが4万回以上リツイートされ、話題を呼んだのだ。
なぜピンクドルフィンさんが陰謀論にのめりこんでしまったのか。そのきっかけは、彼女の幼少期にまで遡る。
「私の祖母が、医療ミスで亡くなったのが原因で、母が医療を信じていなかったんです。だから、母は私にワクチンを1本も打たず、真っ白な母子手帳を自慢げに私に見せ“あなたはナチュラル”と褒めてくれました」
それすらも女性自身で決められないケースが多いぞ
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。