はてなキーワード: 体罰とは
物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた
狭いアパートに家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍の夫婦に預けられた。
今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦にお金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う
兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい
母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすいゲーム機で遊ぶことだった。
家に子供だけがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う
やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときにハンガーで叩いて言って聞かせた。
兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。
すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分だけが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない
兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまったから泣きながら母に兄のことを話した。
父は山に囲まれた田舎に住んでいた。亭主関白そのもののような人だと思う
私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている
まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話をわたしてくれた。父とは物心ついたときに父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物を父親だと私は認識して話していた。
そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。
例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。
そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。
まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う
もうその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。
たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う
父から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからはお金を頼む相手としか見てなかった
まだ園児だったころから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。
母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所のことなどを理解するのに苦労したのだと思う
持っていく必要なものや行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない
しかし他の子が不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。
それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。
兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。
小学生になった私と兄は多少物事を理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。
ここから母は私達の教育を学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるまで家事をすることだったかもしれない。
今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う
仕事をしなければいけない母は日本語を勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある
厳密には仕事で疲れて日本語を勉強することができないのが正しいかもしれなかった。
勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ
宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。
兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない
学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。
ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語を理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。
それだけはさすがに保護者が必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。
先生に宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。
親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。
勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。
1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。
それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的な高校生だった。
変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。
私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。
ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。
兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない
大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった
兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。
昔から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。
怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるときは自分を責めていた。
母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。
そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった
私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。
そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。
兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。
それからは半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。
引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。
仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。
まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない
電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金はたまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。
さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。
私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。
働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。
安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。
私は甘ったれなんだと思う
母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。
一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。
私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。
1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。
そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。
また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうその貯金もなくなってしまって今に至る。
よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語を理解できる親というのが私には羨ましかった。
私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなとカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。
故に学校で勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるから生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない
わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしまう
ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
こういうの。
まず性犯罪者の再犯率が著しく高いと聞いて想像するのは、同一人物が何度も性犯罪を犯す、また性犯罪を犯すのではないかという懸念ですよね?
それなら再犯率を参照するのは適切ではないのです。
再犯率では最初の引用のように、性犯罪で服役し出所した人が社会復帰できず困窮し窃盗で有罪になっても再犯としてカウントされてしまいます。
性犯罪→窃盗→窃盗→窃盗でも累犯性犯罪者とされてしまいますが、心配していたことと少し違いますよね?
なので見るべきは同種再犯率です。こちらは読んで字のごとく同じ犯罪、同じ種類の犯罪を繰り返す人の割合です。
http://www.jcps.or.jp/publication/1903.html
同種再犯に絞って,70万人初犯者・再犯者混合犯歴を分析した結果を述べる。1犯目の罪名を基準に,その後の再犯の有無及び罪名を見ると(図2),同種再犯率は,1犯目の罪名が覚せい剤取締法違反の者が29.1%と最も高く,窃盗の28.9%,傷害・暴行の21.1%が続いている。これに対し,重大犯罪に分類される強盗が1犯目の罪名である者(事後強盗,強盗致死傷及び強盗強姦・同致死を含まない。) 及び強姦の者の同種再犯率は,それぞれ2.0%,3.0%にとどまっている。後者について更に1犯目が性犯罪(強姦,強制わいせつ及び強盗強姦)であった者(1万898人)まで対象を拡大して同種再犯の状況を見ても,その比率は5.1%にとどまっており,他の犯罪に比べて相当低い。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |
再犯率 | 窃盗 | 覚せい剤取締法 | 傷害・暴行 | 強盗 | 強姦 |
同種再犯率 | 覚せい剤取締法 | 窃盗 | 傷害・暴行 | 風営法違反 | 詐欺 |
上の記事の再犯率と同種再犯率の高い順番に並べるとこうなります。
同種再犯率が一番高いのが覚せい剤関係なのは考えてみれば当たり前ですし、他も違和感ない並びかと思います。
1番目から3番目までは同じですが4番目と5番目は一致していませんね。
再犯率 | 同種再犯率 | |
強盗 | 32.2% | 2% |
強姦 | 32.0% | 3% |
詐欺 | 29.7% | 11.0% |
風営法違反 | 28.7% | 20.8% |
強制わいせつ | 24.3% | 6.5% |
それを抜き出して強制わいせつも加えたものです。再犯率と同種再犯率が種別によってここまで違うと想像したでしょうか?
https://www.moj.go.jp/hisho/saihanboushi4/r04/html/nt112000.html
性犯罪の2年以内再入率は2020年(令和2年)出所者で5.0%となっており、出所者全体(15.1%)と比べると低く、再犯率が高いとまでは言えない
再犯防止推進白書でも書かれているように、各種プログラムのおかげか昔より下がっていて著しく高いとはいえません。
出所者数 | 2年以内再入者数 | 再犯率 | 同種罪名者 | 同種再犯率 | |
性犯罪 | 536 | 27 | 5.0% | 8 | 1.5% |
覚せい剤取締法 | 5,008 | 776 | 15.5% | 654 | 13% |
比較の為に薬物事犯と並べ同種再犯率も出しましたが大きく違います。
ここまで書きましたが「日本版DBS」 に反対するつもりはないのです。どうせやるなら体罰防止の為に傷害罪も含めればいいのにと思っています。
差別なのは間違いなく不当寄りだけど子どもと密接に関わる職について欲しくない気持ち。
でも、明らかなデマを流して不安を煽るのは禁じ手です。止めましょう。
最近離婚して、母が一人暮らししていた実家に子供(幼児)と一緒に転がりこんだ。
元々母が嫌いだった。
関係が悪かったわけではないが、田舎の閉鎖的な考えを持つ母の考えが私には合わなかったのだ。
思えばその考えの背後にある60〜70歳くらいの世代が持つ価値観(専業主婦、体罰の肯定など)が嫌なのもあると思う。
だから結婚してからも連絡を避けていたし子育てにも関わらせないようにした。
しかし来ないでと言っても家に来るしやめてと言っても大量の好みでない衣類や食品など送ってくる。
まあ年に数回だしガチ揉めするような事でもないので都度文句は言うが仕方ないものとして諦めていた。
そんなこんなで離婚したわけだが、離婚しても働いているので経済的には子供と2人で過ごせるし何もなければ家事もできる。
ただ、仕事してれば突発的な残業はあるし、自分が何かあった時に誰も子の面倒が見られなくなることも考えて泣く泣く実家に帰ることにした。
言い訳だが積極的にお願いしたのでなく帰ってこいと言うからお言葉に甘えたのである。強い心を持っていれば他の手段を考えたかもしれない。
実家に帰って数ヶ月が経つが、何が嫌かって子育てにめちゃくちゃ口を出してくる。なんなら私はママの代わりなのよなどと本当に言って育てている。
お前の子育てはなってない、子が可哀想などというニュアンスの文句を逐一言ってくるのである。
本当にありがたい話ではあるのだが、私は大体19時前に帰宅するのだが、そんなに遅い時間まで保育園まで預けるなんて可哀想と言って早い時間にお迎えに行って頂けるのである。
晩御飯も料理を別に作るなんて非効率と言って私と子供の分も作って頂けるのである。
そして休日には3人のお出かけの予定を入れてくる。嫌だというと、あなたは平日忙しいだろうから子供と2人で出かけてくるわ、などと言ってくる。
タンスに(好みでない)洋服も増えた。好きだったキャラクターものの服は小さかったから捨てたわよと言われて処分された。
母がタブレットよく分からないため好きだったアニメは見なくなり、図書館で借りてきた昔話などの絵本の話をするようになった。
間違った行動やきたない言葉はそういう事は恥ずかしいよと諭され、そして怒られ正しい行動言動に直される。
環境としては恵まれているかもしれないが、私はこんな暮らしがしたかったのではない。
仕事から急いで帰ってお迎えに行って、スーパーで一緒にお買い物してご飯作って洗濯してお風呂入れて寝る。朝も早起きしてご飯用意して保育園送って仕事行く。
子供にとってよかったかわからないが、自分で選んだことだし辛くはなかった。
自分で言うのもなんだがそれなりの大学に入りそれなりの会社に就職して、兄弟も同様なので子育てメソッドとしては間違いじゃないのかもしれない。
でも私がされて嫌だったことが子供に同じように行われているのが悲しい。
長くなるので具体的には書かないけど、私のいない所であれはダメこれはダメなどの価値観を押し付けられている。
母世代だと一緒に考えたり人の話を聞くなんてぬるい事はしないで理屈なく一方的に押し付けるのが普通なんだと思う。それは結論は間違ってなくても子供の何かを奪ってるように思うんだよね。
これもあまり書かないけど、当然やめて欲しい事は全部言っているが好きにやってた専業主婦が人の話など聞くわけもなく、意訳するとここは私の家でお前は居候でそんな偉そうな事を言えるのか?ということを言ってくる。
勝手に離婚した奴が面倒見てもらっておいてごちゃごちゃ言うなって意見はごもっともだしこの環境に感謝もしているが毎日あまりに辛い事が多くて嫌だ。
私が色んな思いを抱えて過ごした数年間はこんな日のためにあったのだろうか。
そして何のために働いているんだろう。
子が親にやられて嫌なことをできる相手にしているとはよくいわれるよな
子の荒れは家庭の荒れ
青山学院中等部でも男子生徒2名を2万円で買収して同級生の女子生徒に対しレイプするよう依頼し、
男子生徒は女子生徒をトイレ個室に追い込み、そこへ押し入って服を脱がし動画で撮影してたぞ
まぁ進学校・ボンボン学校だから特別いじめが多いってことは無いが
真面目にほどほどでいいぞ、私立・国立に期待できるのは、『授業の質』
ハズレに当たった時は、公立の比じゃない(荒れてる公立校でも聞かないレベルの事件が揉み消されがち)
カラーギャングも私立のヤツらだし、ホームレスに火をつけたのも私立のヤツらだし、障がい者虐待も私立だぞ
お勉強ができる子がのんびり勉強している地方私立みたいなのイメージしない方がいいぞ
妻が息子に中学受験をさせるという。
息子はいま小学5年生だが、既に一昨年くらいから中学受験対策を謳った塾に通い始めており、それに伴い水泳やダンスなどの習い事も皆止めた。
今は毎日塾に通い、帰ってきてからも数時間宿題をこなし、土日数時間のゲーム時間を楽しみに過ごしている。
俺自身は、今は首都圏に住んでいるものの、元々は田舎の県庁所在地で育った。
中高一貫のような洒落た私立なんて無かったので、小中高大学と全て公立で、ついでに言うと塾や参考書の類も一切使わずに過ごしてきた。
高校に入るまで、家で宿題以外の勉強をするという習慣すら無かった。
そんななので、息子本人はさほど苦にも思ってなさそうだが、勉強漬けの毎日がどうしても可哀想に思えてしまう。
……まあ俺自身も、勉強しないで何やってたかというとゲーセンと図書館に行ってたくらいしか思い出がないが。
それに、共働きなので平日の帰宅後や土日は子供の勉強を交代で見ることになっており、これがなかなかの負担となっている。
またこの夏休みは夏期講習があり、毎月の月謝の他に30万円ほどの費用がかかると聞いて、さすがにちょっと驚いている。
本当にここまでやる必要があるのか、と妻に聞くと、「2月の勝者」というマンガを渡され、受験は戦争だ、気を抜いたやつからやられる、ここに書いてあるから少しは勉強しろ、子供の将来をどう考えているのかと説教されてしまった。
マンガの表現を真に受けんなよ……とは思ったが子供の将来を盾にされると迂闊なことは言えずそのまま引き下がったが、正直やり過ぎのような気もしている。
この小学生の数年間を頑張って環境の良い中高一貫校に入れたら、公立の学校にありがちなイジメや体罰などのくだらないことに悩まされず充実した学校生活を送れる、と言われると確かにそうかも、と思うこともあるのだが、果たしてそこまで価値があるものなのか……。
コンプラ、誰でも即座に録画録音→ネット公開が出来るからキモいオタクが学校や社会で虐められたり殴られることは少なくなった
誰からも否定されない代わりに女性からも受け入れられないキモ・オタクはそのままVtuberに入れ込んでなけなしの金を貢ぎ一生童貞で自分の遺伝子も残せず老後は床のシミと一体化する生涯を歩む
これは幸せと言えるのか?
キモいオタクはボコボコにされることでようやく自分が劣って惨めな存在だと自覚することができるようになる
男の人生は自分が矮小な存在だと気付いてからがスタートラインだ
しかし、今のオタクの不幸な末路を想像したらこの文章を書かざるを得なかった
それだけだ
子供は褒めて育てましょう、暴力なんて以ての外、怒鳴るのも暴力です。
自己肯定感を高めてあげましょう。
自分の親は毒親だった、勉強を強要されて辛かった、怒鳴られて育てられてアダルトチルドレンです。
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Twitterしてるとこの手のツイートよく見るしそういうものなのかと思って子供を育ててきたんだけどまあ実際の子供、言うこと聞かない。
個性豊かで可愛くて色んなことに気付くいい子達だと思うんだけど、幼少期の自分達と比べて出来ないことが多い気がして悩む。
なんで目の前に出された食事が完食できないのか。間食もさせていないし量も多くないし嫌いな食べ物があるわけでもないのに。
どうして布団に入って部屋を暗くしてから1時間も騒ぎ続けるのか。
生活習慣の基礎の部分で出来ないことがあるなら体罰も致し方ないのでは?と思ってしまう事がある。やらないけど。
叩かれて怒鳴られて躾けられた自分は今の我が子たちよりずっと幼い頃から好き嫌いせずご飯を食べ切っていたし夜は寝ていた。寝れなくても部屋から出る事なく1人で天井を見つめていた。実母も孫の姿を見て首を傾げている。
窮屈だな。でも、Twitterのおかげでおかしいと思えて病院に行って治療を開始できた病気もあるし、いろんな注意喚起も知れたりするし。
山川穂高の件のはてブが酷い。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/62718
ジャニー喜多川も生前に説明してれば許されたのか。違うとは言わせない。
少数の被害者側が一方的に「やられた」と言ってるだけで加害者側が容疑を認めてないのはジャニー喜多川の件と変わらんよな。
さらに言えばジャニー喜多川の件は被害者が受理すらされていない。山川穂高の件は受理されて、何故か5ヶ月寝かせられて捜査が開始されている。
法的には、疑いの確からしさで言えばジャニー喜多川<山川穂高なんだがなあ。はてブでは「堂々として好感度アップ」「美人局」「今の時点で批判できない」「犯罪ではない」とかの山川擁護のコメントがやたら目立つ。ジャニー喜多川には厳しいのに。あんたら西武ライオンズからお金もらってるの?
なお「好感度アップ」というブコメを残した人は、部活の体罰には「犯罪です」と厳しいブコメしてることも付記しておく。この顧問も堂々としてれば好感度上がったのかな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4734634471130859429/comment/saori-yamamura
この時代に親やってなかったら、昭和の親みたいに幼い子供に怒鳴り散らかして手をあげまくっていたかもしれない
ほんと令和に母親になれてよかったです
それでさ、もう子供はお空の上から親になる候補を探して親を選んで産まれてくるっていう考え方やめない????
私、妊娠したときに病院で子供は親を選んで産まれてきた。あなたは特別な母親みたいな絵本を助産師だか看護師に読み聞かされたんだが
あのな、子供が生まれる前に親を選べる能力あるなら独裁政治が激しくてささいなことですぐ死刑にされる国とか貧しい国に子供は産まれんだろうがよ
日本に産まれても、親ガチャ大失敗して虐待されまくる子供もいるだろうが
ただ、親の都合でこの世に生まれただけだよ
空の上の子供たちがこの人達のところに産まれたくなーいって思ってるから子供に恵まれないの?
おかしいよね?
私は「子供は親がただ望んで産んだだけだら、子供は別に産んでくれとか頼んでないから、だから上の子かわいくない症候群とか理不尽なこと言うのもうやめよ?」って思う
親が勝手に下の子を産んで(上の子にしたの兄弟がほしいって頼まれて産んだのだとしても)上の子が赤ちゃん帰りしたから
もうかわいくないって
上の子だって産まれたくてこの世に産まれたわけじゃないのに、勝手に産んどいてあとでかわいくないって理不尽すぎん?
親は親のエゴだけで子供を産みました。子供は無事に産まれてくれただけでも感謝です。育ててやった、苦労して産んでやったと子供が恩をきせるのはやめましょう
で、よくない?