はてなキーワード: 二日酔いとは
LGBTという言葉が流行りだした、俺が中学3年生の頃であった。
友人のAには俺が受けたい高校を伝えた結果、同じ学力帯であったのも理由で自分の志望している高校を勧めた結果、同じ高校を目指そうという話になった(自分の学区から進学する学校は大体偏差値40後半といったところで、俺とAの受けた高校は偏差値60中盤というところ)。
天才という訳では勿論ないのだが、俺の学区の中では上位だったと思う。
ある日、俺が給食を食べ終わり便所に向かうと、男子生徒が複数名居た。その男子生徒たちとは運動部に所属していた(中学2年生でドロップアウトしたのだが)ため、ある程度の関わりがあったのだが彼らとの雑談から派生してこのようなことを言われた。
だが、他人のセクシャリティという「玩具」を見つけてしまった無邪気な男子中学生の一言にただ衝撃を覚えていた。
「何で」
という一言しか出なかったが、理由は彼らにとって明快であった。
「Aと同じ学校に行きたいんでしょ?笑」
明快、というのは訂正したい。短絡的である。
短絡的な思考から醸造されたその言葉には、度数の高いアルコールよりも他人を不快にさせる力があった。
「そうだけど、俺が先に志望したからサ」
と呆気羅漢と答えた。すると彼らは
「じゃあAがバイなのか笑」
と茶化してその場を去っていった。
給食を食べた後には勿論授業がまだあったのだが、二日酔いのような気分で授業を受ける羽目になった。
俺には女性と付き合った経験が当時はなかったのだが、Aにはその経験があったため、俺はゲイとして扱われてAはバイとして扱われる。そういう理由を考えられたのは帰路についてからであった。
他人へのセクシャリティへの言及に対しては、ジェンダー論だったりが絡んでくるだろうから俺自身も割愛したい。
だが、異性経験がないからといってその人間が同性愛者である。という思考は些かに短絡的と言わざるを得ない。
当時、自身もセクシャリティという概念を一種の話題として軽く捉えていた部分があった。
しかし、この出来事における彼らの短絡的な思考を模倣してみれば、俺の学区では偏差値40前後の同じ高校に結構な人数が進学するため、全員が同性愛者、両性愛者etcになるのでは。
そう考えていたら午前2時を回っていた。
2000年の12月24日、父が死んだ。バイクでの事故だった。当時の私は8歳だった。
あまり良い家庭とは言えない家に育って、家族の仲は悪かった。今でも母も父も嫌いで仕方がない。両親は反対を振り切って私を生み、親戚らには関わらないようにしていた。父は酒を飲めば私や弟に暴力を振るったし、母はただ静かに泣いていて解決をしようとしないだけの人間だったような家だった。4人暮らしの6畳1間のアパートの壁は経年劣化だけじゃなくて父が暴れた際の傷でいっぱいになっていたのを覚えている。
最近見つけた、7歳の時の作文には父が知らない女に金を使い旅行に行けなかった悲しみが綴られていた。その時の女は私が学校から帰ってきたら父と何やらしていたのが印象に残っていて、大人になってからそれが明確な不倫だと知った。
酔っていない時の父は寝ているか、二日酔いで吐いているかのどちらかだった。
8歳のクリスマスが近づいて、今年のクリスマスプレゼントは小さなクリスマスツリーの下にプレステ2をお願いした手紙をサンタに宛てて置いていた。この頃の父は酒を飲んでも飲んでいなくても暴れ、暴力を振るい、私たちは常に怯えていた。
そんな父がある日突然家の中で遊んでくれた事があった。父は私と弟を可愛い子供の若く良い父親を演じる小道具として扱っていたから外では優しかったけれど家の中で遊んでくれたのは後にも先にもこの1回だけだった。突然の父の豹変に戸惑う事も無くただただ喜んで遊んでいた。かくれんぼをした。父が乱雑に積まれた服の中に隠れていたのを全く見つけられなかった。意味の無い話もした。内容は全く覚えていない。
その年にサンタは来なかった。
父のバイクの後ろに何故か乗っていた明るい包装紙に包まれたプレステ2は事故に巻き込まれてグシャグシャになっていた。
その後の事はあまりよく覚えていない。
年が明けて気が付いたら苗字が変わり、更に古いアパートに母と弟と3人で暮らした。
今年、12月になったら私は苗字が変わる。10年付き合った人と結婚をする。
あの日亡くなった父の年齢は超した。
私は良い母親になれるだろうか。
臨月というか、もう明日が予定日なんだけど。いまだに陣痛来なくて、ここ一週間はずっとソワソワしている。産まれたあとはまたバタバタしそうなので、今のうちに妊娠中に自分が感じていたことを書いておく。
私:30代後半、会社員、地方都市在住、夫は1つ年上の自営業、結婚5年目、実家・義実家ともに車で3時間の距離
・そもそもの大前提として、「妊婦による」「子どもによる」「環境による」ことが多過ぎる。
・アドバイスを求めてもないのに、「俺の奥さんがこうだったから、増田もこうなるはずだよ!絶対!」とか決めつけたことを言われるたびに「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」と思っていた。
・ただ、自分の場合はどうするのが一番良いか都度考えなくてはならないので、判断材料としていろんな事例を知ることは大事だと思う。
・「うちはこういう環境だったから、これが役立ったよ」とか、単純な事例共有の話はありがたかった。
・だからこれも年間80数万ある出産のうちの、ただの1つの事例。私はこうだった、というだけの話。
・仕事に追われていたけれど、年齢的にももう子ども欲しいなと思ったのが去年のこと。ゆるく妊活してて、今月ダメだったら不妊外来行こうかなとしていた時に妊娠発覚。運が良かった。
・早々につわりの症状が出始めたので、8週の時点で上司と一部同僚にだけ報告。
・つわりは食べづわりと、匂いつわりと、げっぷつわり。吐かなかった。「じゃあ、しんどくないんでしょ」って思われそうだけど、二日酔いの時とか吐かなくてもしんどいでしょ?しんどいもんはしんどい。
・グレープフルーツジュースと、アイスの実と、キウイをよく食べた。酸っぱいものが食べたくなるというか、口の中が気持ち悪いからサッパリさせたかった。
・ポテトが食べたくなる日もあった。げっぷつわりがあるから炭酸はあんまり飲まなかった。
・どんどん体調が悪くなるうちに、コロナで非常事態宣言。会社から在宅勤務にシフトするよう通達が出る。これがめちゃくちゃ助かった。
・一応、在宅勤務できる制度は元からあったけれど、部下には妊娠を報告できていなかったし、その時はうまく仕事を回せる自信が無かった。
・会社からの指令ということで、PC等の環境も使いやすくなるよう上も素早く動いてくれたし、メンバーもうまく在宅で作業するために自分たちで工夫してくれて、格段に仕事がしやすくなった。
・非常事態宣言が解除されたころにはつわりも落ち着いて、会社からも会社に徐々に出勤するよう通達が出た。私も基本出勤するようにしたが、無理な時は在宅勤務した。
・安定期に入って頃合いを見てから、部下に報告。みんな「おめでとうございます!」と最初に言ってくれたのが嬉しかった。
・取引先には「えっ・・・、マジですか?」と言われたりもした。そう言った人のことは絶対忘れない。
・通勤は電車を使っていたが、体が触れ合う程度には満員電車だったので、時間はかかるが比較的空いてるバスに切り替えた。
・マタニティマークは「変な人に絡まれるのでは・・・」と付けるのを躊躇していたが、次第に「それどころじゃねーわ、とりあえず座らせてくれ」となって、付けるようになった。
・心優しい人たちに席を譲ってもらえることもあった。高校生の女の子、50代くらいのサラリーマンのおじさま、笑顔が素敵なおばさま。皆さんありがとうございました。いいことがありますように。
・気まずいのは優先座席に座っている時に、目の前にご老人に立たれること。譲れそうな時は譲ったけれど、無理な時は譲れなかった。ごめんなさい。
・満員電車だとマタニティマークって難しいなって思う。距離が近いからマークに周りも気付かないと思うし、そもそも優先座席近くまで移動できない。
・結局、電車でもバスでも街中でも、変な人に絡まれることはなかった。同じ市内でも知人は絡まれたと話していたし、ほんと運が良かっただけだと思う。産後に出会うかもしれんし。
・調べてみると思っていた以上にいろんな公的なサポートがあることを知り、改めて今の自分は社会的弱者なのだな~としみじみ感じた。
・役所に行ったり、電話をかけることが多くなった。税金や政治のことも、妊娠前より考える機会が増えた。
・お金については出産と入院費用が(出産育児一時金42万引いて)8万、無痛分娩に13万、これまでの検診が9万、交通費に1万、出産準備に20万。トータルで50万超えくらいになりそう。
・行政から補助クーポン出るけれど、検診が全てタダになるわけではなかった。
・出産手当金とか育児休業給付金は試算してみると、産後8ヶ月くらいまでは手取りの給料の9割くらいはもらえる。非課税なのがありがたい。住民税はあるけど。
・ただ、これらの補助金は産後すぐもらえるわけじゃなく3ヶ月くらいしないともらえないので、それまでの生活費は立て替えないといけない。
・各種サポートはあれど、実際問題、出産には先立つものがないと苦しいなと感じた。
・両親学級などはコロナのせいでほとんど中止になってしまった。私も受けられず、動画などを見て学んだ。
・産院の方は非常事態宣言後からずっと、家族の付き添いができなくなった。
・通院も本来だったら2週間に1回のところが4週間に1回になったりした。胎動が感じられない頃はちゃんと生きてくれているのか分からなくて、産院に行くまで毎回不安だった。
・出産の際も立会い不可だったが、出産直前・直後のみ立会い可に今はなった。でも、同じ市内でも立会い全面不可のところが今でも多い。
・PCR検査は38週の時に受けた。2万円かかった。助成金がうちの市では出るけど、出ない行政もあるの辛すぎる。
・Go Toで日常を取り戻そうと世の中が動いている中、産院だけが時間が春から止まっているみたい。
・ただでさえ出産前の時点で女と男で意識の差が生まれやすいというのに、今年はコロナがそれに拍車をかけている感じ。産後うつにもそりゃなるわ、って思う。
・コロナ禍で良かったのは、在宅勤務以外だと各種ライブやイベントがオンラインで開催されたこと。
・ナンバガやエルレのライブなんて、コロナ禍じゃない世界線だったら妊婦な時点で絶対に行けなかった。チケット取れるかどうかは置いといて。
・他にもオンリーイベントとかもオンラインで楽しめたし、推しの配信も多くて、妊婦の割にはいろいろと楽しめた。本当にありがたかった。
・現地の良さはもちろん重々分かっているけれど、これからも自宅で楽しめる配信サービスは並行して充実してほしい・・・。お金は払うから・・・。
・体重は安定期に入ってから今日に至るまで、ほぼ一定のペースで増えてトータル9kg増。後期になって一気に増える人もいると聞いていたが、私はそうではなかった。
・ただ、お腹はかなり早い段階で大きくなっていた。今では腹囲も100cmに近いとこまで来てる。妊娠前は一応BMIが19.5とかだったので、すごく太っていた訳ではないのだけど。はちきれそう。
・「(予定日を伝えて) え、まだそんな先なの?その割にはお腹大きくない?」「(7ヶ月の時点で) もう臨月かと思ったwww」「子ども4㎏超えるんじゃない?」「実は双子でしょ!」とか言われまくった。
・人の!体型を!いじったらダメだって!習わなかったのですかね!!??
・妊婦になった途端、体型のことを話題に出していいと思っている人が多過ぎる。「触っていい?」とも聞かずにお腹触ってくる人も同様。
・逆にお腹があまり大きくなっていない人も、それはそれで「赤ちゃんが週数の割に大きくなっていない」と気にしている場合もあるので、どちらにしろ体型のことは触れない方がいいと思った。
・産休は早目に取りたかったが、結局34週からとなった。最後の方はもう出勤しているだけで息も絶え絶えだった。
・産休が近づくにつれて復帰後の話をするようになったが、いくら「復帰後も変わらず頑張ります」という話をしても、上からは「いやいや、お母さんになるんだから働き方変えないと!」と言われる。
・「やっぱり産んだら家庭優先になるからね」「頑張れるって今は思っていても、絶対変わるよ」「だから今は話半分にしか聞けないな」などなど。言われるたびに脳がスッと冷える感じがした。
・それと同じ言葉、男性社員には言ってないですよね。最近子どもが産まれた男性社員たち、誰も働き方変えてないですよね。
・うちはあくまでツーオペの予定。保育園の送りは私、迎えは夫。時短勤務にはせず、定時までフルで働くつもり。
・もちろん、妊娠前と100%同じ仕事ができるとは思っていない。試行錯誤は必要。子供がどんな子かにもよるし。産後に考えが変わることもあると思う。
・でも、“今”、がんばろうと思っている私の思いを汲んではくれないところに心底ガッカリした。たとえそれが善意からの言葉だったとしても。
・保活したり、出産準備でいろいろ買ったり、やることはたくさんあったけれど。仕事から離れてまず体調が安定して、心も安定した。
・産後どうなるかは分からない。今想像していることと180度違うことが起こるかもしれない。覚悟も100%できているかって言われたらそんなことはない。
・今願うのは、ただ無事に産まれてきてほしいということ。それだけです。
禁酒というか、毎晩の晩酌を週に1~2回に減らした程度のもの。
晩酌やめようと思った理由は、毎晩飲み始めてからの記憶がほとんど残らないのが怖くなってきたのと、飲みすぎて次の日を無駄に過ごしてしまうことが週に一回くらいのペースで増えてきたから。
依存症は大丈夫だろうと思ってたけど、やめてからの数日はかなりの頭痛に悩まされて、それが離脱症状と呼ばれるものだとわかって少し怖くなった。
確かに今まではその頭痛を和らげるためにお酒を飲むという行為を繰り返していたように思う。
それを離脱症状なのだと自分に言い聞かせて飲まないように我慢したら1週間くらいで頭痛はなくなった。
本当は我慢できなくて飲んでしまったこともあるのだけど、翌日のほうが頭痛がひどくなって飲んだことをひどく後悔した。
そんなこんなを繰り返して、だいたい一ヶ月経った。
・髪が増えた。
これまじワロタ。ここのところ生え際の防衛ラインがガンガン攻め崩されて隙間からの地肌が寒々しくなるばかりだった。
あぁ。40も過ぎれば仕方ないよなと諦めてた。
ところが、お酒をやめて一週間くらいで、ドライヤーするときの抜け毛が減ってきたことに気づいた。
気のせいかな?と思っていたけど、一週間前くらいから明らかに生え際の産毛が増えてきた。
おいおい。季節的には生え変わりの時期じゃないか。って思いながら、防衛ラインにブッシュが作られて防御力が強固になっていく姿をみて少し涙が出た。
・貯金が増えた
それまで飲んでいた量は、だいたい第三のビールを2本、その後焼酎をグラスで2~3杯が平均。
考えてみると、それだけで500円弱飲んでいる計算になる。
それが出ていかなくなった。
試しに飲まなかった日は500円貯金をするようにしたところ、この一ヶ月で1万円以上たまった。
積み重ねてはじめて気がついたことながら、むしろそんなに使っていたのかと思うと少し怖くなった。
なぜかというと、今の所まだ、お酒を我慢するというのはそれなりに精神的コストを使っている状態なので、500円という価値がものすごく重くなったから。
今までは気になるものがあれば2000円までは思考停止でポチってたのに、4日分の我慢と天秤にかけるとおいそれと買えなくなった。
この一ヶ月で貯金箱には1万円ちょっとだけど、現実的にはもっとたまっていると思う。
・本を読む時間が増えた
今までは、飲んでしまえば忘れてしまうという理由で夜に本を読むことはなかった。
逆に飲まないようになると暇な時間が増えてしまったので、本棚から昔読んでいた本を引っ張り出してみることにした。
読み始めてみると楽しくて、3日に1冊のペースで本棚を消化し始めた。
風化した心の地層から忘れていた自分が掘り起こされたような気分だった。
・子供との会話が増えた
お酒を飲んでいるときのほうが楽しい父親なんじゃないかなって思ってたけど、そうではなかった。
子供にしてみると、感情の起伏が激しくて酔っ払った父親には近づきづらかったらしい。
そんなこと考えたこともなかったけど、お酒を飲まないでいると、子供たちが自然に近づいてくることがわかった。
これは素直に反省した。
・妻との会話が増えた
妻がなんでもないことを話しかけてくるようになった。
今まで会話を拒否したつもりはなかったけど、酔っぱらい相手に何を話しても無駄と思っていた部分はあるかもしれない。
とてもなんでもない、他愛のない話。例えばママ友とのやり取りとか、掃除用具をどれを買おうか迷ってる話だとか。
そういうことを話しかけてくるようになった。
でも多分これは、今まで話しかけられていたことに自分が気がつくようになったのだと思う。
これも素直に反省した。
だけど、気がついたら『お酒を飲み始めたら触れてはいけない存在』に、家族の中でなっていた。
それに比べて、お酒を飲まずに居間に座っているときは、自分を含めた『家族の時間』が動いていることに気がついた。
逆か。
それまでは、お酒を飲み始めた時点で、家族の時間から取り残されていたのだと思う。
そこに、戻ることができた。
朝目が覚めて家を出るまでの慌ただしい朝の1時間。仕事から帰ってきてお酒を口にするまでの1時間。
たったそれだけの時間しか家族と過ごしているとは言えなかったのかもしれない。
たまの休みさえ、二日酔いで潰れてしまっていることさえあったのだ。
それを思うと、後悔よりも申し訳ない気持ちがこみ上げて、涙を溢れさせて止まらなくなった。
突然泣き出して子供たちは戸惑っていたけど、妻を見たら何故か涙目ながら微笑んでいた。
妻はとっくに何かに気がついていたのかもしれない。
いつからだろう。多分、バランスを崩したのはコロナが始まってからだと思う。
それを言い訳にして、自分だけが辛いという顔をして、家族にストレスを押し付けていたのだろう。
毎晩飲んだって暴力や暴言がなければいいって思っていたけど、それは間違っていたかもしれない。
軽い気持ちで始めた禁酒だけど、やめてみてわかったことは、飲んでいる間、自分の想像以上の負担を家族に強いていることだった。
多分それは、家族も気が付かないうちに増えていたもので、だからこそ自然とストレスから開放されて笑顔が増えてきたのだと思う。
自分ではうまく付き合えていると思っていた。
昨日は酔っぱらって妄言をばら蒔いて騒いでしまい申し訳ございませんでした。
まるでカウンセリングか介護のような慰めの言葉、ありがとうございます。
すぐに返事はできませんでしたが、あなたのおかげで電車で騒ぐことなく帰宅できました。ありがとうございました。
こうやって増田にさえ優しい言葉をかけられる広い心を持っていることはとてもすごいことだと思います。
やはり酒は控えようかな…、ちょうどコロナ禍で飲み会も無いし、アルコール依存症でない訳ではないと思うのよね…でもほら、依存症って否認の病だから…家で飲むようにならなきゃ大丈夫かなって…毎回吐くほど飲んで二日酔いだったけど、家じゃ一滴も飲まないし…
夫は毎晩のように晩酌をする。
休肝日といえば二日酔いでお酒が飲めないときくらいだった。(当然休肝日になっていない。)
アルコール依存症というわけでもないが、それでも仕事が終わって家にいる時間の大半は酔っ払っていることが何となくストレスではあった。
依存症になってからでは遅いし、今のうちになんとかできないだろうかと考えた結果、そこで思いついたのが休肝日貯金という提案だった。
大体ビールを1缶空けると、割と良さそうな焼酎をロックで2~3杯。毎週ゴミの日に一升瓶が一本出てるので、一週間で飲みきっているようだ。
150x7+2500=3550円が夫の一週間の酒代と考えられる。
そういえば、以前夫がなんとなく大きな買い物をするのは気がひけるというようなことをいっていた事を思い出した。
自分の小遣いを貯めたとしても、なんとなく家族の手前使いづらいというような感じだった。
そんなつもりもなかったが、確かに毎日ちょっとずつ使う分には罪悪感がないのもわかる。
私「いつもおつかれさま。ところでそろそろ年齢的にも体のことが心配だし、お酒を減らしてみてもいいと思うんだけど。」
夫「あー、うん。そうだね。健康のことを考えなきゃだね。」
口ではこう言っておきながら明らかに生返事。次に何か私が言おうものなら言い返してやろうという身構えも感じられるが、ここまでは予想通り。
私「そこで考えたんだけど、休肝日を作ったらその分貯金してみるってのはどうかな。」
夫「、、、え?どういうこと?」
動揺が見えた!すかさず畳み掛ける。
私「あー、ほら。以前、金額の大きな買い物をするのに気が引けるって言ってたでしょ。だから、休肝日を一日作るごとに500円を貯金していって、溜まったら好きなものを買ってもいいってしたらどうかなと思って。」
しばらくして口を開く。
夫「うーん。でも、小銭とか用意するの大変だし、長続きしなさそうだな。」
実はそれも想定内。
私「そそ。それで考えたんだけど、寝るまでにお酒を飲まなかった日は、電子マネーサービスに500円チャージするっていうのはどう?いつも電子マネーでお酒も買ってるんだから、月末の請求は変わらない感じになるでしょ?」
ハッとした顔で顔を上げる夫。畳み掛ける私。
私「それでたまったお金の使い道に関しては、絶対文句を言わない。趣味のものでもゲームでも、好きなものを買ったらいいんじゃない?」
夫の瞳の奥が輝いたのを見逃さなかった。
私「そしたら、今日だけはこのビール一本で終わったらOKということにして、早速やってみようよ!」
えー、悪いよ。いいの?といいながらスマホを取り出す夫。どの電子マネーにチャージしようかアプリをぽちぽちし始める。
勝った。
最初の一週間くらいは日中の頭痛がひどかったらしく、それってどこぞで読んだ離脱症状じゃねーか!って大声で突っ込みたくなるのを我慢。
そんなこんな、すでに禁酒生活も10日を過ぎ、自分の仮説が正しかったことを実感した。
なんとなく夫の心理的には、小遣いを残しても使いみちがないなら、毎日の発散で消費してやろうという気持ちがあったみたい。
まぁ、私だって好き勝手買い物ができるわけじゃなくて、小遣いだからって好き勝手できていいですねという無言のプレッシャーをかけていたことは反省している。
子供も大きくなって少し手がかからなくなってきたので、そろそろ趣味を取り戻して、いいも悪いも子供を巻き込んでもらいたいなと思ったのは事実で、うまく行ってくれてよかったです。
さて、その分今度は子供にお金がかかるようになってくるので、次はどのタイミングで小遣い減額を申し出るかの戦略を立てなくては。
中古の戸建て買う話がだいたい纏まって住宅ローンの本申し込み&団信の申し込みしたらタイトル通りに落ちたんですわ。
落ちた後でアレなんだけどこりゃやべえな、自分の健康状況といいかげん向き合わないとなと痛感。
家族もいるし酒が原因で早死にするってのも申し訳ないなあとも思った(もっと早くそう思えという指摘はそのとおりですすみません)。
γーGTPって肝臓が本当にぶっ壊れてなければ断酒・減酒で普通に数値が落ちるそうで、医者からは 「酒止めなくてもいいから減らせ、あと3日飲んだら必ず1日飲まない日作れ。尿酸値もアレだからビールだけは飲むな」 との指示。
酒クズとしては一缶飲んだら酔っぱらうまで飲み続けたくなるに決まっているので、
・1日飲んだら3日飲まない
・そもそも飲まない、どうしても飲みたい時や外での飲みのときだけ飲む
断酒1日目
・とにかく寝つきが悪い、眠りが浅くすぐ目が覚める
2日目
・寝つきの悪さ変わらず、眠れてないので眠い
↑この寝つきの悪さは日常的に深酒していた人間が酒止める時の典型的状態だそうで、ここで眠れないからと酒を飲んではダメだ、とネットの断酒体験談にあったので、酒は我慢した
3日目
・割とすんなり眠れるようになってきた
・下痢が収まった
4日目
5日目
・普通に眠れるようになった
・朝勃ちが復活した(←加齢のせいではなく酒のせいだったとは………)
6日目
7日目
・1週間ぶりの飲酒、翌朝二日酔い気味で明らかに仕事の効率が落ち、今までのことを反省
8日目
・飲んだ次の日でもちょっと我慢するくらいの精神で飲まずに過ごせた
・すんなり眠れた
コロナの中不謹慎かもしれないが、昨日居酒屋デートしてお互いい感じに酔っ払って、そのまま家帰って気づいたらしてた。あーあ。
まぁ夫婦間の話ではあるんだけど、嫁とそろそろ子供作ろうという話になっていて、嫁は「いつする?いつする?」とめちゃくちゃノリノリ状態。この人こんなに子供ほしいって言ってたっけ…と思いながら、実際にさぁヤるぞってなると、全然覚悟がないことに気づくわけだよね、自分に。親になるという覚悟が。
子供産むと女性変わるっていうじゃん?だから今の嫁との仲良い関係が変わっちゃうのかなーとか、周りの人に聞くと男でも口をそろえて「子供が生まれると人生の優先順位が変わる」って言うし、今まで仕事一筋だった自分も変わっちゃうのかなー、そもそも変わることを望んでるんだっけ?今と違う自分になるの怖い、みたいな。
今は今ですごい幸せで充実しているから、というのもあると思う。
一昨日の時点で「明日はしようね」みたいに嫁から言われて、適当に生返事してたんだけど、いざ昨夜、飲んで帰ってそのタイミングになったら葛藤はあったんだけど性欲に負けてゴムつけずにやっちゃった。
あー、こんなんでいいんかなー。