はてなキーワード: 一言とは
1/12(水) 13:09
今年秋に開催される第20回党大会で習近平の三期目が決まるが、建国以来の中国の動きから見れば異例ではなく、むしろ鄧小平個人の指名による江沢民政権と胡錦涛政権だけが異例だった。鄧小平神話が中国の真相を見抜く目を曇らせている。
1949年に中国(中華人民共和国)を誕生させた毛沢東は、事実上、1976年9月に逝去するまで実権を握っていた。途中で国家主席の座から降ろされてしまった時期があったが、それでも中共中央委員会主席(現在の中共中央総書記)と中央軍事委員会主席のポジションだけは維持し続けたので、27年間にわたって実権は毛沢東の手の中にあった。
鄧小平は最終的には1977年7月に開催された第10回党大会三中全会から復権し、職位としては中共中央副主席、国務院常務委員会副総理、中央軍事委員会副主席と、「副」でしかなかったが、1981年中共中央軍事員会主席、83年からは国家中央軍事員会主席になるなどして「軍」だけはトップの職位を要求している。
職位が何であろうと、実権を握っていたのは鄧小平で、鄧小平の一言は「神の声」として恐れられていた。
1994年に健康を害して政治の舞台から退いたが、それまでの17年間は、実際上の実権を握った最高指導者として君臨していた。
恐るべきは、鄧小平の一存で天安門事件後の中国を統率する指導者を江沢民とすると決めてしまい、その期限を10年と定めて、江沢民の次の代の指導者を胡錦涛として決めてしまったことだ。
こうして江沢民政権を基本10年間、胡錦涛政権を基本10年間と、鄧小平の「神の声」が決めてしまったのである。
もっとも、江沢民の場合は、1989年6月4日の天安門事件があったために指名しているので、1992年10月に開催された党大会まで3年間余分に中共中央総書記をしており、国家主席になったのは1993年である。
したがって江沢民は中共中央総書記のポストに「13年間」就いており、国家主席だけ1993年から2003年まで「10年間」就いている。
その意味で、中共中央総書記および国家主席の就任期間「10年間」を正確に守ったのは、中国建国以来、「胡錦涛一人だけ」だったということが言える。
中央軍事委員会に関しても1982年末の憲法改正により国家中央軍事委員会が設立され83年からは「中共中央軍事員会と国家軍事委員会」が一つになり「中央軍事委員会」となったが、江沢民はこの中央軍事委員会主席を1989年(全人代では1990年)から2004年(全人代では2005年)まで「15年間」も務めている。
というのも、中共中央総書記にも中央軍事委員会主席にも任期期間に関する制限がないことを利用して、2002年に胡錦涛が中共中央総書記になったというのに、江沢民は中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に譲らず、「駄々をこねて」降りようとしなかったからだ。
しかし反対者が多く、中共中央委員会では2004年に、全人代では2005年にようやく中央軍事委員会主席の座を胡錦涛に明け渡したのである。
その意味で、中央軍事委員会主席に関しては、誰一人「10年間」という期限を守っていない。胡錦涛は江沢民が任期内に食い込んできたために、二期で合計「8年間」しか主席でいることができなかった。
その意味では、鄧小平によって指名されるという異様な事態を、「元に戻した」だけであるとも言えよう。
毛沢東の「鶴の一声」が法律となるというほど人治国家であったことは、今さら言うまでもないだろう。
しかし、毛沢東はたった一人の国家主席(劉少奇)を、その座から引きずり下ろすために、わざわざ文化大革命(1966年~1976年)を引き起こすということまでして、引きずり下ろす正当性を求めようとした点は注目すべきだ。
それに比べて鄧小平はどうだろうか?
いったい何名の国家主席あるいは総書記(当時は中共中央委員会主席)を、鄧小平の一存で引きずり降ろしたか、それをしっかり認識している人は少ない。
拙著『習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』に書いたように、建国後、鄧小平が、毛沢東生存中は陰謀により、毛沢東死後は一存により、失脚に追い込んだ国家指導層あるいはその予定者は数知れない。その名前と時期を以下に列挙してみよう。
1954年:毛沢東が後継者に考えていた高崗を、事実捏造により自殺に追い込んだ。
1962年:毛沢東が周恩来の後継者として大事にしていた習仲勲を、冤罪により失脚させた(16年間、軟禁・投獄・監視)。
1981年:華国鋒(中共中央主席、軍事委員会主席辞任)を失脚へ追い込んだ。
1981年:華国鋒の代わりに自分の思い通りに動く胡耀邦を中共中央主席に就任させる(但し、1982年9月で中央主席制度を廃止し中共中央総書記制度に)。
1986年:胡耀邦(中共中央総書記)を「気に入らない」として失脚させ、趙紫陽を後任に就ける。
1989年:天安門事件のときの言動が気に入らないとして、趙紫陽(中共中央総書記)を失脚に追い込んだ。
1989年:趙紫陽の代わりに、江沢民を鄧小平の一存で中共中央総書記・中央軍事委員会主席に指名した。
いずれも中共中央委員会常務委員会多数決議決制度がある中での出来事だ。この制度は毛沢東時代からあった。そのような中での鄧小平の独裁ぶりは群を抜いている。
だというのに、鄧小平の老獪(ろうかい)な言動に騙されて鄧小平を神格化した日本政府は、「中国を孤立させてはならない」として天安門事件後の対中経済封鎖を積極的に解除させ、鄧小平を応援して今日の中国経済の繁栄と大国化を招いている。
何度も同じ図を持ち出して申し訳ないが、中国の中央行政省庁の一つである商務部が『中国外資統計公報 2021』というのを出していて、その中に「対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982-2020)」という図がある。
それを日本語に訳して文字調整などをしたのが以下の図表1である。
図表1:対中投資企業数と外資実行額の変遷(1982年-2020年)
日本が1989年の天安門事件発生後の対中経済封鎖解除に動き、1992年には天皇訪中迄実現させた成果が、赤線で示した中国投資に参入した新規企業者数で如実に表れている(2018年の赤線ピークは香港関連)。
恐るべきは、2017年にはトランプ政権が中国に制裁を加え始め、バイデン政権になってからも、あれだけ対中制裁を叫びながら、何のことはない、投資額は年々増えているではないか。コロナにもめげず増えている。
いや、アメリカや日本はそんなことはしてないはずだと言う人のために、念のために2020年における国・地域別の対中投資企業数と金額を見てみよう。
上記公報にある当該図表を新規企業数の多い順に並び変え、日本語に訳したのが以下の図表2だ。
図表2:対中投資新規企業数と実行額の国・地域別トップ15(2020年)
ご覧の通り、アメリカも日本も、キチンと対中新規投資をし続けているのである。ここでは引用しないが、2019年も同じだ。
これは鄧小平を神格化し、その姿勢で習慣づいてしまった対中投資が、どんなにアメリカが制裁を叫び、日本が「アメリカと一体である」かのごときポーズを取ってみたところで、減少することはないのを如実に示したデータである。
ちなみに、香港マカオは「中華人民共和国特別行政区」なので新規企業数が多いのは仕方ないとしても、あれだけ日米に寄り添おうとしている台湾が、香港に次いで多いことも注目される(台湾に関しては別の機会に論じる)。
◆「習近平三期目は異例」より注目すべきは「鄧小平神話」の罪悪
習近平は三期目以降を目指すため憲法改正まで行っているので、中国流ではあるものの、一応、憲法を重視しているということは言える。逆に憲法を改正するところまで持って行っているので、三期目以降は既定路線と考えていいだろう。
若者をはじめ中国の庶民は、「中華民族の偉大なる復興」を政権スローガンとして経済的にアメリカに追いつこうとしている中国共産党政権を、悪くは思っていない。むしろ「強い中国経済」に自尊心を刺激され愛国主義が行き過ぎて、ネット・ナショナリズムに向けて燃えている若者に習近平は手を焼いているくらいだ。
しかし日本は「習近平、異例の三期目」、「習近平の独裁強化」、「習近平の権力闘争と路線対立」あるいは「中国経済は今度こそ崩壊する」といった類のセンセーショナルな報道に飛びついて「安堵する」傾向にある。
気持ちは分からないではないが、現実とかけ離れた情報に喜び虚実空間に酔いしれている間に、世界の投資先は間断なく中国に向けて注がれており、中国共産党の一党支配体制を強靭にすることに貢献しているのである。
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。著書に『裏切りと陰謀の中国共産党建党100年秘史 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『ポストコロナの米中覇権とデジタル人民元』、『激突!遠藤vs田原 日中と習近平国賓』、『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』,『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『卡子 中国建国の残火』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kayuumaatsui/status/1480342841734070274
quick_past で、ルールだの法だのは、決めるために「多数」が必要だけど、それは自分たちが握ってる。と確信してるからな。民主主義を単純な多数決で語り始めるのも同じ理由。強い側が弱い側を従わせる。って発想。
rci エビデンスがなくても通用している決まりなんて多々あるのにね。たとえば現行の死刑制度がいったい何の「エビデンス」に基づいているとお考え?
cleome088 犯罪につながるじゃなくて既に今の状況が犯罪行為に対して甘々だから厳しくされてんだよな。性暴力を面白がって許して男はそんなモンとか言ってるから女は男を簡単にほぼ人殺しの犯罪者になると思って接してるのよ
zyzy 殺人含めてこの世の犯罪に認定されてる行為ほぼ全ての理由にもエビデンスなんてないのに選択的発狂してる人がわいてて語るに落ちてるな。エビデンスを呪文としか思ってなくて、論理的思考が本当は出来てない証拠。
hate_flag 証拠が出ないことを承知で「証拠を出せ」って言ってるんだよな。でも数値には出ない小さなところから悪影響は必ず受けてるはずなのでそういう小さいとこから直していこうぜ
cinefuk すももアンケートなんか、その典型なんだよな(表示戦士と層がかぶる)『与党自民党がスパコン富嶽に「五輪開催に都合が良いデータ」を出させたように、数値やデータってのは誠実でない人が扱えば簡単に歪められる』
HanPanna 犯罪率増加の影響があっても犯罪予防に有効的でも「明白かつ現在の危機」がなければ規制しちゃいけない。但しそれは対国家の話であって、悪表現は市場(国民間)淘汰しようというのが市場論。奴ら全然分かってない。
rgfx データの根拠・解釈にもジェンダーが入ってくるんで「数字があるから論理的!」じゃないんだよなあ…
Domino-R 表現自衛隊??/言い方はともかく正しい指摘ではある。人の尊厳なり自由なり思想なりは法を超えて思考される必要がある。逆に言えばそれを現行法において考えるのは問題の矮小化なのよ。
white_rose “それは、【思考停止】の【口実】が欲しいだけで、科学的態度ではないね。” “こうした諸々を無視して、数値やデータに盲目的に従うのは、要はマチズモの一種だよ。”
worris 「権威主義」の一言で説明可能。中野まんだらけの件でも顕著だったし、松戸警察署にはクレームしないのも同様。キクマコや知念実希人の言動もこれで納得できる。
憶測だけど、こういうゲーム「開発者」個人への還元っぽい表現で話題にされている場合、
その対象は大きな会社が作ったゲームと言うよりかは、個人開発者によりフリーゲームなのでは、って気がする。
企業の作ったそれなりに価格のあるゲームなら、「宣伝効果」である程度は経済的に利益になるわけで、それゆえに案件とかも存在するんだろうし。
でもフリーゲームの個人開発者にはそういうのがない、ってのが事情の違うところなのではと。
例えば、
https://anond.hatelabo.jp/20210115235905
誰かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのに、それをすべてVtuberに横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。
という意見があった。
平均所得の人が目指す普通の家。ただ、それだけだと色々と問題が出てくる。
注文住宅ではなぜ駄目なのかって言うと、単純に高すぎるし売れないから。自分の終の住まいとして買うならともかく、子供が成人して後もそこに住むことが大前提であることは意外と少ない。ならば20年後にきちんと整備すればそこそこの値段で売れることを考えたほうがいい。もちろん立地が9割なので上モノがどれだけよくても、例えば日当たりの悪い旗竿地ならのぞみは薄いだろう。
今買うとしたら、建売住宅の予告が入った時点で真っ先に買う準備をして、契約前に間取りのプランを自分のものにアップグレードしてもらうことだろう。
例えば、玄関先に手洗い場を作ったり、登りやすい階段にしたり、断熱を充実させたり。外観はそれこそ手を付ける必要がないと思っている。そこに拘るなら注文住宅だろうけど、俺ならば建てる前の段階で自分の希望を盛り込んでもらう程度に留めたい。
たぶんそれが理想を叶えるのに一番の近道。
年賀状で家族写真を見せられても困るっていうのはもうとっくに常識だと思っていて、それでも懲りずに家族写真を送りつけてくる人は相当胆力があるなと感心していた。
ハガキ年賀状は、まぁ受け取ってもその程度の感想で済む。特に害はない。
でも今年何件か家族写真がしっかり載ったLINE年賀状が送られてきて本当に困った。
LINEで来てる分、返事をしないといけない。ハガキ年賀状で来てても返事はするけど、なんというか、こっちからも出してますよ~という体で書いたり特に文言を入れなくても返せる。
いけない気がする。写真にたいしてなんらかの反応を示さないといけない。「子供大きくなったね!」とか「仲良さそうだね!」とか。
こちらもLINE年賀状で返信するという手もあるな、でもそんなもんダルい。そもそもLINE年賀状なんかご用意してるのは家族を送りつけたい人だけだし。できれば「おめでとう~今年もよろしくね」の一言で終わらせたい。
強制的に自分の家族の写真を送りつけてきて感想求めるの、本当に困るし迷惑なので来年からは止めてほしい。もう次来ても無視しするからね。よろしく…。
そうするうちに日々の行動の視界がなんとなく開けていって、会議で一言提案してみるとか、新しい本を読んでみるとか、今までなかった選択肢が出るようになるよ。
その程度のことは当たり前にやるしそもそも何をやるべきかをリードしていくような動きしかしないけど、自己認識としてはだいたい元増田と同じだけどな。
なんというかそんな単純な話ではないと思う。
言いたくなる気持ちはわかるわ
自分は別のタイプのクリエイターに指示出すマンだけど気持ちはよくわかる
ポケモン対戦ってやったことある?勝てる人って上手い人の構築とかプレイングを勉強して真似て理解して上手い人の戦略を何度も学んで、プロの技法をすぐ理解なんてできなくても努力を積み重ねて試行錯誤して少しずつ知って分かってダメなところを見つけて改善してを繰り返して自分の戦略を組むんだよね
下手なやつって上手い人のプレイは知ってて勉強した気になってるけど理解が全く浅いし、でもマイオナ自分の戦略で勝ちたいプライドは高いし、基礎ができてないから永遠に勝てない
簡単に魔法みたいに一言二言アドバイスされた程度ですぐ上手くなる方法勝てる方法なんてないから、でも道を踏み外さない一番の近道として上手い人の勉強しなさいと教えてあげてるのに、下手なやつってすぐ上手くなれると思ってるんだろうね
気を悪くしないでほしいんだが、こういう風に最初に頭で考えて詰め始めているところに既に雲行きの怪しさを感じる。
自分を「真面目系クズ」という人は大抵なんやかんや立てた目標に到達できないし、その失敗に自己嫌悪しての繰り返しの悪循環になっているイメージがある。
行動から逆算してみたら?
具体的には毎日寝る前にやったことをメモに残してみて、今日の結果を受けて明日はこんなことやりたいなーとか今これが気になってるなーとかをなんとなく書いてまた寝る。
そうするうちに日々の行動の視界がなんとなく開けていって、会議で一言提案してみるとか、新しい本を読んでみるとか、今までなかった選択肢が出るようになるよ。
仕事の都合ってのが本当なのかただめんどくさくなっただけなのかそんなことはまあどうでもいい
「急な仕事が入ったので予定をキャンセルしてください」「わかりました」これで済む話だ
ところが女さんは違う
「急な仕事が入って残業しなくちゃいけなくて約束の時間には無理かもしれません(アセアセ」みたいなのがまず来る
こちらは一応「キャンセルなのか時間を遅らせたいということなのか、後者ならこちらは対応可能である」という趣旨の返答をする
選択肢を示したのだからこれに対する回答は「キャンセルしてください」しかないはずだ
しかし女さんはまだ粘る
「(どうでもいい長々とした社内事情の話)なので本当にいつ終わるのかわからなくて(アセアセ」みたいなのが帰ってくる
イラがマッハになりつつ「じゃあキャンセルっすね」という趣旨の返答をするとそこで相手の返信は止まる、すいませんの一言も無しだ
あれはマジなんなの
・デマ系
不確かな情報、明確な嘘を確実に本当であるかのように表現。風雪の呂布として避難される。
・中傷系
特定人物の尊厳や社会的地位を脅かしうる表現。名誉毀損などで訴えられる。
・パクリ系
他者の表現物を真似たり無断でそのまま持ってくる。著作権法的にアウトになることも。
・エログロ系
ゾーニングを無視した過激な表現やゾーニングもクソもないほどに過激な表現。青少年健全育成条例とかにひっかかる。
・漏洩系
個人情報や仕事の情報を勝手に不特定多数に漏らす。守秘義務契約違反などで怒られる。
無許可の撮影や迷惑行為のセルフ実況中継。どうしてもやらなければいけない理由があっても批難の対象。
インターネットだと多くの人は「表現規制」をエログロ関連だけに使っている。
規制の対象となりうる表現が多岐にわたっているし、多くの人が様々な表現に対して「コレは規制されるべき」と語っておいていざ「表現規制」という言葉を使うときはエログロ系に限定されるというのは無理筋だ。
省略するな。
言葉を省略するとは自分と他人の境界がついていないということだ。
どうせ分かってくれるという甘えた考えでコミュニケーションを取るな。
そういうことを繰り返すと何も言わなくても言いたいことがわかってもらえる範囲まででしかコミュニケーションを取らなくなるぞ。
定型文の投げあいを延々繰り返すだけのコミュニケーションしかできなくなったら終わりだぞ。
少なくともそこまで脳が死んだら世の中について語る権利なんてなくなるぞ。
Twitter、ブログなど実名でないアカウントをいくつも作るけど
アカウントなりのキャラクターとフォロワーを無駄に意識してしまう。
損しかないとわかっているのに、好きだってバレたら恥ずかしいし振られたくないから避けてしまう
二人の時ならまだいいけど他の人が一人でもいると全然しゃべらない喋れない
なんか気まずくなってきた気がする
どうしよう もういいか気まずいままで