はてなキーワード: ケンカとは
今思い出してもとんでもない女だったなと思い出す人がいる。彼女は見た目はすごくかわいいけど中身がとにかくめちゃくちゃで酒飲んで暴れたり浮気したり散々な目に合った。
怒ると手がつけられなくなり、その理由は理不尽てわけではないが怒り方があまりに強烈で、最初の頃はこちらも応戦して酷い痴話喧嘩みたいになってたんだが、これはもうダメだと思ってからはこちらは逃げるようになっていた。(同棲状態だったのでほとぼりが冷めるまで車で逃げた)そして家に帰ると物が壊されまくってたりした。
20代のころ2年くらい付き合ってたはずだけど別れた後もずるずる付き合いは続いて(体の関係はなくなってはいたが)それはその人の事が心配だったというのがあるんだけど、でも結局最後は自分のほうがこの人とは縁を切るべきだと思って引っ越したタイミングで疎遠になった。
縁が切れてから5年以上経って久しぶりにいきなり夜中に電話がかかってきて、九州のほうにいて男と暮らしてることなど伝えられたけど、どうも話し方が変だし支離滅裂な感じがしたので変なことしてないよな?と聞いてみるとどうやら薬かなないかしてるような感じだった。たぶんその男もロクなやつじゃないんだろうと思った。心配してほしいんだなとは分かったんだけど自分は自分の人生を進めていたし関わりを持つのはきついなと思って適当な事を言って電話を切った。
それからさらに5年くらいして、今度は東北のほうで結婚して普通に暮らしてるという事を知る。相手はだいぶお金持ちの人らしく彼女は穏やかになって危ないこともしてなさそうだったのでほっとした。
それ以来連絡を取ることもなく、今は普段は彼女のことは一切思い出さないのだが、夢の中でとにかくよく出てくる。
今日もさっき椅子に座ったままうたたねしてしまった何十分かの間に夢を見て、夢の中で彼女は当時のまま、二人で何故か貸し切りのバスに乗るが運転手が荒っぽくてそれに切れた彼女が文句を言い、そこからケンカになる。
自分はなんとか彼女をなだめながら運転手と引き離すんだが彼女は運転手を殴れとわめいている。中立で自分の味方をしようとしないのに腹を立てて彼女は荷物をまとめてパトカーに乗ってどこか行ってしまう。
でたらめな夢なんだけど彼女が大暴れしてこちらがその対応にへとへとになるというのはいつものパターンで、だいたい夢から覚めた時の疲労感がえぐい。
たぶん付き合ってた当時のことがトラウマみたいになってるんだろうと思うが、どれだけ時間が経ってもこういう夢はなくなってくれない。夢の中では自分は辛いし怖い。起きた後はへんな郷愁みたいなのがわきあがって、なんだか切ない気持ちになる。
679: 名無しさん 22/06/21(火) 00:30:44 ID:wuwK
当時の夫のコメント
①初アップロード時
いつも妻がいちゃもんを付けてきて、理不尽な行動を取ります。盤面をひっくり返し、言った言わないの水掛け論を仕掛けます。
でもビデオはしっかり記録していました。女ってどうして理不尽なんでしょう。
自分を正当化するために、嘘のオンパレード。母娘そろって嘘つき、いつも親父は貧乏くじ。嘘つき女め!
②再アップロード時
「妻の逆ギレ!ザ・夫婦ゲンカ」 公開日: 2014/02/01
どうして女って嘘付きなんだろ。
娘が妻の実家にある『気まぐれオレンジロード』を夢中で読んでいました。
車内で『鏡の中のアクトレス』が流れ出したので、
父が娘に『この曲は気まぐれオレンジ-ロードの主題歌なんだよ』って教えると、
どうでも良い事なら、なおさらくちばしを突っ込むな!
なに?ケンカ売ってるの?
そうなんだろ!
745: 名無しさん 22/06/21(火) 00:44:45 ID:fYn4
それはそれできついな
なんというか、どちらの陣営にも「敵」を叩きたくてしょうがない人がわんさか湧いてきて地獄だね。思考力の欠片もなさそうな連中同士で仲良くケンカしている様子は、遠目に見ていられるなら楽しいんだから、頼むから社会問題に首を突っ込まないで欲しい。
まあ元の発言が何だったのか今となってはわからないけど、そもそも誰も「もしもAEDを使われていたら訴えていた」という話をしていたわけじゃないんじゃないの。
全然大したことの無い愚痴(かもしれない話)を、みんなおおごとにしたくて仕方ないんだね。
一人の男性として言わせてもらうと、「女性にAED使うと訴えられる!」とかいうのはバカの妄言だろと思う。それはそれとしてAED使うためと言っても、女性の服を脱がすとか切るとか、そりゃ抵抗はあるよね。
自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。
元スレは
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
https://anond.hatelabo.jp/20220614002648
です。
国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか。大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代はプログラミングを部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分は富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学の情報工学の内容は高校時代に習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡のスキルはコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHP と Objective-C、MySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域は習得してないで、アルゴリズムの勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。
これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生がスタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitter のリプライだっただろうか。当時の自分は他人の設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコードで上場するという目標のために本物のベンチャー企業で上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitter のアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビルの一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。
もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェントの正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミングを勉強しているという。正直、自分も医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分をオファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能を研究しており、アメリカで博士号を取得した『天才』数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。
イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェントの正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMM のオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQuery と Ruby on Rails と MySQL で集計させてスコアを比較させる、そしてサクラVPSで CentOS で運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャル・エンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分は努力せず、インターンの学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生のインターンとセックスしたいという真正のクズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェントの正社員」というニンジンが目を曇らせた。
そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料はホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職のオファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日、日曜日は勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日に東京の端っこにこいとか、日曜日は勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分は大学にも行かないで、別の会社に就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。
プログラミングのスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要なスキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分は医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京の大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立の医学部に入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日1時間は時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。
最後に、O氏についてだ。あまりに犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業の実態」について書いていこうと思う。
...という感じ。だから、基本的にベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションはマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。