はてなキーワード: ケイとは
スタートアップの中には、勢いだけで明らかにすぐ沈没するだろうなっていう無理筋のビジネスモデルが結構ある
結構あるというか、めちゃくちゃ多い
俺はそういう打ち上げ花火的に世間を騙してるイケイケ野郎どもが嫌いで、中々近づかない
そういう会社はバーっと上場して、予想通り上場ゴールで株価がずーーっと下がっていくんだが
その中の人達はさっとその会社をやめて、新しい打ち上げ花火をあげようとする
周りの評価は非常に高く、「上場させたあの人」というキラキラ人材だ
そこではたと気づく、あれ、俺もああいう風に動くべきだったのか?って
勢いあるところに媚びへつらって参入して、上場して花火が打ち終わったら捨てて次へ行く
多分一番コスパがいい
例えばTwitterやFacebookのように、長く価値が続く事業は砂漠の中から針を探すようなくらい滅多にない
ならそれに10年かけるより、2年単位くらいで有名ベンチャーを渡り鳥した方がキラキラできるのではないか
ウンウン悩んで、結局出す答えは「でも俺あいつら嫌いなんだよね」
その答えに、俺は俺に毎度ガッカリするのだ
こんなタイトルを書いて、さぞアンチウルトラマンのようにみえるが、私はウルトラマンが好きである。
今放送中のウルトラマンルーブは楽しく見させてもらっている。『ルーブ』とは何者なのか、なぜロッソとブルはグルジオボーンと落ちてきたのか、愛染マコトの狙いは何なのか・・・・・・。現時点で10話放送しており、そろそろ折り返し地点である。
だけどはっきりいえば、何か物足りなさを感じる、というより、面白さに欠けている。楽しく見られているが、面白いかどうか・・・・・・と言われると、微妙だ。
この不満は実は遡ればウルトラマンオーブからある。いや、ウルトラマンオーブで感じたその不満は一部だけで、本格的に感じたのはジードからだろうか?
なにやら最近はそのルーブの登場人物である愛染マコトのおかげで、懐古厨は愛染マコトだ、なんてまことしやかにネタにされているがはっきり言わせてもらうと、最近のウルトラマンには怪獣の魅力に欠けている。
何故怪獣が出現し、何故怪獣が暴れるのか。ウルトラマンの根本的な話の主軸はそこであって、それに対して人間やウルトラマンが立ち向かうものではないか?
最近だとウルトラマンXの「怪獣は動かない」だとか、ウルトラマンジードでも「ココロヨメマス」が面白かった。ちょっと紹介がてらどこが魅力的だったのかを説明する。
ウルトラマンX第10話「怪獣は動かない」には、不動怪獣ホオリンガが登場する。1か月前、山々に囲まれた坂根村に突如として出現したところから物語が始まり、それまで全く動かず無害であることから村のマスコットキャラクターとして売り出そう、という話を村人たちがしている。しかしホオリンガが栄養失調に陥っていることが分かり、Xの世界の防衛チームXio(ジオ)は治療弾を注射する計画をするが、一人の少女がそれを止めようとした・・・・・・。
ネタバレになっても構わないのであれば話すが、実はホオリンガは坂根村に伝わる神様で、ホオリンガは現れると次第に新たな山に生まれ変わる怪獣だった。地面に根付き、栄養を大地に送り、自らが山に変わることがホオリンガの怪獣としての使命だったのだ。そうとはしらず栄養を無理やり注入し、あろうことがホオリンガを動かそうとしたことで、ホオリンガは激怒、花粉をまき散らして暴れ出してしまう。そこで本作のウルトラマン、ウルトラマンXが戦うのである。
次にウルトラマンジード第10話「ココロヨメマス」。例に挙げたタイトルがすべて第10話なのは偶然なのでご容赦願いたい。
突如として地球に、怪獣ザンドリアスが飛来した。なぜザンドリアスが地球へやってきたのか。本作での防衛組織に当たる、犯罪をはたらく宇宙人を取り締まる機関AIB(エーアイビー)の愛崎モアは、相手の心を読むことができる宇宙人、ゾベタイ星人のナビア(地球での偽名はサトコ)と協力してその真意を確かめる。
オチだが、実はザンドリアスは恋煩いを患っており、好きな女の子に告白できず、勝手に玉砕して地球に飛来したのだった。ゾベタイ星人は嘘をつかない性格らしく、このザンドリアスの気持ちを「くだらない」と言うが、モアがそれを一蹴。誰かを思うことにくだらない事なんてないと啖呵を切り、本作のウルトラマンであるジードと協力しているゼロに、ザンドリアスを宇宙に返してくれるよう進言したのだった。
今回あげたタイトルの共通点はまさしく「なぜ怪獣が現れ」そして「暴れるに至ったか」という、怪獣の生態であるとか、怪獣の心象であるとか、怪獣そのものをドラマの中心においている。ウルトラマンらしさを語っているわけではないのだが、怪獣が出現する以上、こういった意味付けは重要だと思う。
だがジード本編における大多数の話と、現在放送中のルーブはどうだろうか。基本的に怪獣は、作品内の悪によって召喚されたものか、悪人そのものが変身したものである。
ジードに登場する伏井出ケイことストルム星人は、ウルトラマンベリアルに心酔し、ジード=朝倉リク同様、ジードライザーを使い怪獣を召喚したり、自らベリアル合成獣として変身したりしている。野良怪獣が現れたのは、ザンドリアスとギエロン星獣の回くらいではなかったか? そして現在放送中のルーブは、愛染マコトが怪獣を召喚し、そして自らも『ウルトラマンダークオーブノワールブラックシュヴァルツ』という真っ黒なウルトラマンオーブになったりする。怪獣が物語にアクセントを足す調味料程度でしかないのだ。
いや、ウルトラマンルーブは世界観として「怪獣が存在しない世界」だから、理由付けとして怪獣を召喚するしか方法がない、という意見は分かるのだが、それにしたって「その怪獣が出現する意味」が無さすぎるのである。第10話に登場し、おそらくそのまま第11話でも出るであろうルーブ由来の新怪獣、豪烈暴獣ホロボロス。狛犬のような見た目の神聖な怪獣っぽいのに、結局は登場は愛染マコトがホロボロスのクリスタルを使って召喚させたに過ぎない。しかも召喚理由は、ウルトラマンルーブことロッソ=湊カツミとブル=湊イサミに、ウルトラマンとしての適性テストと称して召喚されたのだ。これじゃあせっかくの新怪獣もただの試験官だ。これだったら別の怪獣でもいいじゃないか。
別に宇宙人が怪獣を使役したり、召喚することが悪いとは言っていない。遡ればウルトラセブンだってピット星人がエレキングを飼っていたし、帰ってきたウルトラマンではナックル星人がブラックキングを用心棒として使役していた。だが、ただ無意味に召喚させるだけの今のウルトラマンには、話としての物足りなさが露出していて、見終わった後特別何も感じない。
ウルトラマンAだってヤプールが超獣を作っていたじゃないか、それと同じじゃないか。という意見が出る前に一言いえば、ウルトラマンAだって超獣の個性をふんだんに使い、その超獣が話の主軸になっていた。最近の平成作品でもよく出るアリブンタは、地下鉄を襲って人を蟻酸で溶かすシーンは恐怖そのものだったし、二次元超獣ガマスは撮影した時のカメラのネガに潜み、焼き増しすればするほど増えるというとんでもない超獣だった。きちんと怪獣の能力が物語の中心となってストーリーが展開している。でも今のウルトラマンは、人間ドラマにほとんどを費やし、怪獣は結局最後に出現させて倒されて、はいおしまい。これじゃあんまりじゃないか?
過去の怪獣を出すなとか、そういうわけじゃないのであって、さっきも言った通りザンドリアスやギエロン星獣、オーブならまさかの戀鬼やラゴン、Xだとバードンや宇宙化け猫・・・・・・。過去の怪獣でも、何故現れたのか、何故暴れるのか、何をしたいのかを描くことは可能じゃないか。人間ドラマも嫌いじゃないが、そろそろ怪獣がメインの脚本を見てみたい。
ウルトラマンルーブ。おそらくこれまで通り予定では全25回。残りの15回で、見終わった後に清々しくなれるような話が来てくれることを願う。
「なんか娘ちゃん長くない?こんなに長かったっけ?」
なんか身長が高くなり、妙に長くなったなぁと。
生まれたときは50センチほどで、今は90センチ。ほぼ2倍になってるので、感覚が追いついてないのが現状です。
体重はまだ14キロくらいしかないのに、むちゃくちゃ強いです。
どのくらい強いかというと、百均で買ったイタズラ防止の引き出しロックを引きちぎるほどに強いです。
あれ?不良品かな?と思って、再度買い直しても引きちぎり、その力を誇示しました。
現在、イヤイヤ期のピーク(であってほしい)を迎えていて、一度怒ると手が付けられません。
バパにポテト一本食べられたことで腹を立て、ポテトをパパに投げつけ(美味しく頂きました)、
はずみでジュースを倒し、中身がないことにキレていました。
泣いてる赤ちゃんがいると、駆け寄ってよしよししてくれます。優しい。
こないだもマクドの店内で転んで泣いてしまった2歳くらい男の子のもとに駆け寄り、
大丈夫?って声をかけてました。優しい。
まぁ、子供椅子に座ることを拒否し、パパにポテトを投げつけ(以下略)の直後でしたけどね!
最近は保育士さんの後追いするようで、保育士さんが嬉しそうに話してくれました。
え?パパには?
パパが同じようにどこかに行こうとすると、じゃあねー、と声をかけてくれます。
嘘だよ!ツッコんで!ツッコんでよ……。
むちゃくちゃすばやいです。おむつ替えが嫌いでいつも逃げるのですが、
すごい元気です。イオンモールに行こうもんなら、隅から隅まで探索し、棚を荒らしまくります。
本人は我が物顔で闊歩していますが、パパが後ろから危険を取り除き、棚を片付けていってます(汗)
大人の茶碗一杯分のご飯を平らげたあと、オカワリを要求します。
正直引いてます。
でも行動量のおかげが太りません。管理栄養士にもオッケイもらいました。
そんなにたくさん食べるのに野菜は食べません。
パパの見てないところでこっそりと床に落とします。
落としちゃった!と言ってます。実はパパは見ています。嘘ないよ!
なんだ!ただのグルメかー。(すまない)
臆病です。怖がりです。今まで怖いもの知らずだったのに、3歳になって急に小心者になりました。
牙があったり、爪が尖ってたりする怪獣、恐竜、爬虫類のものが苦手です。
でも好奇心は旺盛です。怪獣のぬいぐるみはパパの手を押し付けて、安全を確認してから触ります。
パパの手はどうなってもいいの!
キッズスペースに娘ちゃんが苦手なヘビのぬいぐるみがありました。可愛い見た目ですが、大きいです。
そのヘビを意識しながら、部屋の隅で遊んでました。
最近は人形遊びが大好きです。キッズスペースにあったベビーカーに乗った人形さんで一生懸命遊んでいました。
うぉー!!!という掛け声とともに、ベビーカーごと人形を、その大きな蛇のぬいぐるみにぶつけてました。
娘ちゃーん!手段を選んで!
さぁ娘ちゃんは、〇〇の中になんて言葉を入れてくれるでしょうか?
やっぱり大好きぃですかね?
日露戦争も日本海海戦で勝利はしたが、日本側も資金的に満身創痍。
で、安田善次郎が「これ以上資金調達はできません」と突っぱねて井上馨に「この非国民!」とののしられ、「安田の一語、日露戦争を止ましむ」とボロカスにいわれ、
賠償金は取れず、挙句の果てに日比谷暴動まで起きたが、日本は勝利という形で日露戦争を終えた。
日中戦争だって、蒋介石がトラウトマン和平交渉を受け取ったので、日本側が条件引き上げをしなかったらそのまま日中戦争は終わってて、アメリカ、イギリスの介入もなく、第二次世界大戦は欧州の局地戦争だった。
日本って、空気がイケイケだったらどんな悪事でもするってのはあるわ。
とにかく、キリがいいところでけりをつけるというのができない。
私、自分くらいしか語っている人を見たことがないどマイナーなカップリング妄想を毎日楽しんでいるA×B腐女子。
ある日、興味持ってきて多少話をするようになった雑食腐女子が突然「B×A」とか言い出してきてもう大変。
お陰で平和だったTLが猫耳Aだの女装Aだの女体化だの別のA受けカプ名浮上だのもうTLがカオスで散々。
別に私のAB絵がきっかけではなく元よりA受けでもよかったのかもしれないけれど、公式でも全く絡みのないAとBの顔カプを知ったきっかけが私ではあると思っている。
固定厨ではないのだけれども何とも複雑な気持ちになった。
A←Bの受けがイケイケで積極的な絵とかも描くけれども私の絵はAB絵であってBA萌えの為に描いたのではないのにな。
好きなものだけ明記してそれだけ語ってたいのだけど
とはいえ向こうが好きなものを否定する権利はないしでもあまりにAの扱いが合わなくてつらくて静かに繋がり切ったら凹まれちゃった。
最近アホ杉田の話から芋づる式に女老害が目立つようになってきたなと思う。
いや前々からいたけど杉田のせいで可視化されるようになったというか。
女老害で一番面倒なのが40後半~50代くらいのいわゆる「バブル期にイケイケ()だったオンナ」たち。
その時期って女の大学進学率が上がってそれなりに社会的地位も得られる層が出てきた反面、田舎とかだとまだ古い価値観で家庭を持って子供を持つことが女の幸せのテンプレだったという頃だったわけで。
今メディアとか政治の世界でイケイケ()してる連中って、そういう時期に他の玉の輿願望を持った女を見下しながら着々と学歴を高くして、男尊女卑社会をお得意のコミュニケーション能力でのし上がっていった連中というわけだ。
それが今の時代になってそういう自分のアイデンティティになってた高学歴+権力者男性へのコミュ力が必要なく、いわゆる凡庸な女でも出世したり高学歴になれたりするようになった。
そしたらいきなり「男女平等なんてありえない」「女性は旧来の価値観で幸せ」みたいな団塊世代のオッサンでも軽々しく口にしないようになったことを言い出す。
タイトル通り。
今から十数年前、俺がまだ高校生だった時。ちょうど秋葉原とかがテレビにでてきてオタクブームがにわかに騒がれていた時期。
3年間同じクラスにいた、言葉をオブラートに包んで言えばふくよかで、少し暗めの女の子がいた。
彼女はヤンキーから「モンジャラ」と隠れて呼ばれていた。まぁ、これでだいたい想像つくだろう。
そんな彼女が3年生のときにクラスの真面目で趣味がランニングと体幹トレーニングという柔道部のキャプテンと付き合いだした。
誰もが驚いたが、彼女はモンジャラと呼ばれていた原因の髪の毛をばっさりと切りショートになって、普通の真面目な女性(お硬い)ぐらいにまでなって卒業式を迎えた。
そこから自分は地元の県を出たのだが、20歳の成人式+同窓会に行くと、もうモンジャラと呼ばれていた彼女はそこにいなくて髪を茶色に染めた量産型大学生女子になって彼女がいた。
その時点でびっくりしたんだけど、その時はまだ元柔道部キャプテンと付き合っていたらしく、相変わらずだなという感じで終わった。
そのまま県を離れたところで就職して、地元にはお盆と正月ぐらいしか帰らない人間となったんだが、24歳の時に元柔道部キャプテンと、元モンジャラが結婚するということで、結婚式に出席して、「は~、高校1年の頃の面影が全くねぇなぁ」と思いながら祝福をしたのを思い出す。
原因は、元モンジャラが元柔道部キャプテン以外にも2人の男性と交際をしていたことが発覚したからだ。
一人は、元モンジャラの職場の上司、もう一人は元モンジャラの大学の頃の友人だという。
もうびっくりしたのね。元柔道部と一緒に酒を飲むと「俺には彼女しかいねぇのに」とワンワン泣いてた。
自分も、高校1年の時の彼女をみているから、まさか彼女が浮気?、まぁ、成人式のときの彼女を見ればそこそこ可愛いからわからなくはないが…と思いながら聞いていた。
ここからは予測になるけど、多分、自信がついたんだと思う。彼氏ができて。
元柔道部キャプテンは細マッチョなんかじゃなくてゴリゴリのマッチョで、中性的イケメンなわけじゃなくてまさに「漢」って顔のゴリマッチョだ。
中学校からの付き合いだけど、まぁムードメーカーで一人でいる人に積極的に声をかけてグループに入れてくるそういうナイスガイだから、女性からも好かれていたとは思う。
そんな男と付き合いだしたから、だんだん自信がついてきて、しかも何やっても褒めてくれるような男が相手だからドンドン変わっていったのかな。
彼女いない歴=年齢で25年、友達から誘われて街コンに行った。街コンって行っても昼からやってるやつなんだけど。
合コンとか全然やったことない自分が参加したことを記念して、思ったコトを書いてみる。
・参加費は男たけえ。男9000女2000。しかも料理とドリンクしょぼすぎ。出会いの機会にだけお金払うって感じ。
・お店はすごい綺麗。男だけじゃ行かないようなダイニングバーを貸切。話しやすかった。料理はしょぼいけど。
・運営は何もしない。自己紹介シートとかも無く盛り上げもやらず席替え5分前を伝えるだけ。口コミを見てイベンター決めればよかったって思った。
・20代限定!ってやつだったからかもしれないけど、20台前半が大半を占めていたと思う。なんか年齢が高い方が参加率高いと思ってたから意外だった。
・ネットとかでみるようなブサイクとか必死な人は皆無。イケイケとかチャラついてる人もいなく、ふつーの人たち。女性はOL?が大半で男は学生っぽい人が多かった。
・30分くらい話して席替えを繰り返す感じ。ふつーに話してると時間経つの早いなって思うくらいで気まずくもならない。でも初対面の人と連続で話すって疲労感はやばい。
・終わったのが16時くらいだったから2次会とかの雰囲気なかった。夜の方がいいかも。
・趣味は何ですか?ってどこの席でも話してる。けど趣味がある人とか全然いないんだね。自分も無趣味だからホッとできた。
・連絡先は交換する時間を作ってくれるから絶対に交換できる。大変なのは一日に何人も交換するから覚えられないコト。「犬飼ってる人」みたいな記憶のみ。
女性に苦手意識を持ってたし盛り上がらなかったらどうしよう…とか思ってた。けど黙ってる人とかいないし笑ってくれたり、質問しあったりで純粋に楽しく会話できた。
LINE送って返信全然こないけど、人と会話するのって楽しいなって久々に思ったから気分はスッキリ満足。参加費は勉強代と割り切って考えられた。
速すぎる時代の流れについていけない人や特殊技能を持っていない人は生きづらい時代になっている。人間をやるのが難しくなってる感じしない?俺はする。SNSでイキってる実業家やらなんやら、そういう人たちはイケイケどんどんで世界を動かそうとしているけど多くの一般人は保守的で変わることを望まない。望んではいなかったけど便利そうだから最新技術使うわ、みたいなことしかしない。多くの凡人にとって生き辛い時代。自分の存在が何なのか自分なんて価値がないんじゃないかと思ってしまう人々のためには、やはり存在を無条件に肯定してくれる神の存在が必要なんじゃないか?弱さと向き合うなんて無理だ。死んでしまう。妄想の中で生きていたっていいはずだ、幸せなら。変化を望まない保守的な人もいていいじゃないか。
乱世になってる現代社会ではみんなの命を無条件に肯定し存在を認める装置が必要だ。それは現代社会で心を病んだ人々を救済するだろう。