はてなキーワード: 結果的とは
もともと文章を書くのは上手くはないので、読みづらく申し訳ないです。
先に簡単に内容をまとめると、
・pixivのランキングで上位に入れないことが、自分の自信を喪失させている原因である
という話です。
吐き出させてください。
私はもともと他人と自分を比べがちで、承認欲求は高く、でも自分に自信がないような、そんな最悪を詰め込んだような人物です。
そんな私が、学生時代から続く絵描き生活の中で、長年自分を苦しめ、きっと今後も苦しめられ続ける、と感じているものがあります。
私は今、業界の端っこでイラストレーターとして活動しています。
ありがたいことに、自分の中では比較的大きいお仕事をもらって、色んな人に絵を見て頂けて、毎月生きていくのには困らないくらいのお金も得ています。
ですが、自分の絵に魅力がない、上手くないという考えが頭の中にずっと存在していて、ずっと落ち込んでいる状態です。
これはまだアマチュアだった学生時代からずっと変わっていません。
こんなにお仕事も頂けて、稼業としてやっていけているのに、なぜこの考えが拭えないのか。
クライアントからも良い絵が描けていると言って頂けているのに、なぜ自分を認めてあげることができないのか。
色々考えた結論が、『pixivのランキングに苦しめられている』ということでした。
初めてpixivのランキングに載ったのは、まだアマチュアの学生時代でした。
その時はそれはもう嬉しくて、絵描きとして認められたような気持になりました。
それからプロになってもずっと絵を描いて、相変わらずランキングには載ります。
ですが、私は大体デイリーランキングで言えばずっと200位あたりを彷徨っています。
執着しすぎて気持ち悪いと思われるでしょうが、自分でも承知しておりますのでご容赦ください。
私の中では、大体100位以内、その中でも50位以内に入ると人気なイラストレーターとして認められる、という認識があります。
そして大体100位以内に入ると、有名な企業のお仕事の依頼が来たりして、絵描きとして活躍の幅が広がるように感じます。
そしてこの順位に入れないのが、自分の絵は魅力的ではない、実力が無いと感じる根本的な理由になります。
その上自分を苦しめてどうしようもないのが、ランキングは単純ないいね数・ブックマーク数・閲覧数だけでは決められていないという事です。
まじで自分気持ち悪いんですが、大体どのくらいの閲覧数や評価をもらえれば、ランキング上位に入れるかの参考数値を出そうとしたことがあります。
ですが、自分の絵と閲覧・評価・描いているジャンルなどの条件がほとんど同じくらいなのにも関わらず、50位以内に入っているイラストがいくつもありました。
公式からも、複雑なアルゴリズムでランキングは決められているとどこかで明言されていた記憶があります。
閲覧数や評価は上位に入る絵と同じなら、自分の絵は捨てたものではないんじゃない?
だとしたら、運営側で「この絵は上位にふさわしい」とか、「この絵よりもこの人の絵の方が素敵だから上位にしよう」とかしているのか?(そんなことないと思います)
ということは、自分の絵は運営側から見たら、上位にするには足りないような魅力のない絵に見えているのか?
もともと自分は他人とものすごく比べて落ち込んでしまう方です。
なのでもしかしたらランキングがなくなったとしても、他の要素で他人の絵と自分の絵を比べて落ち込むのかもしれません。
今は昔とは違ってtwitterで有名になる絵描きも多いですし、そんなにpixivのランキングにこだわる必要はないとも思います。
でも私が憧れた絵描きさんのほとんどが、ランキングで上位に入っている。
私が執着するのはそれが理由です。
上位に入らないあなたの絵は、業界内でそんなに価値はないよって言われてるように思えるんです。
実際そうだと思います。そういう魅力はないんだなと自分でもわかっています。
だからランキングはきちんとした数字をたたき出しているし、正当な評価だと思います。
でもやっぱりつらいです。
プロになってから、お仕事の絵を描くのは楽しい、ということが分かりました。
クライアントから、お金を出すのに値する絵を描けているよって認めてもらえていると感じられるから。
でもpixivに投稿すると、私の絵はまるで価値がなくなってしまうと感じる。
そう感じるのは、pixivがイラストの流行など、業界の中でも結果的にでも大きな影響力があると感じるからです。(もちろん個人的な見解です)
そんな業界的に影響力がある場所で認められないとなると、自分の絵には価値が無いのだと感じざるを得ません。
苦しくてどうしようもなかったので、吐き出させてもらいました。
フェイクを入れていますが、自分と同じようなことを考えて苦しいと感じてる人、きっといるんじゃないかな。
最後になりますが、pixivのランキングは悪だ!とは思っていません。
ランキングがあったおかげで好きなイラストレーターさんに出会えて、自分も頑張ろうと思えました。
ただ、自分の性格のせいでこういう考えに至り、結果的に苦しい原因となってしまった、ということです。
私がもっと前向きな性格で、悔しさをばねにして頑張れるような人間だったら、こんな風には感じなかったと思います。
なので私自身のせいです。
私の人生、絵描き生活が大半を占めていて、絵以外に自分の価値が無いと感じているので、
いつか自分の事を認めてあげられる日が来たらいいなと思います。
こんな文章を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
https://anond.hatelabo.jp/20200524233706
1年が経った。
"知的障害者"とは書いているものの実際には身体障害1級の認定のみを受けており、知的面では障害認定はしてもらっていない。
ただ、リハビリ施設で発達度合いを診断してもらった結果、測定不能となる程度には知的なことが何も出来ない。
好意的に見て親である我々をうっすら認識しているような気がする、という程度で当然言葉は一言も発することは出来ないしおもちゃで遊ぶなんてことも無い。
病前、ことあるごとに買い揃えたおもちゃはホコリを被っている。
もしかしたら、いつか興味を持って遊び始めるかも知れないと思うと片付けることも出来ない。
そんな状態ではあるものの、大変幸運なことに身体面において回復の兆しが見えている。
なんと歩くことができるようになった。
こうなって初めて気付いたが、この社会において"歩く"ことがどれほど難しいことなのか。
車の危険性や信号の存在は当然認識出来ない。どんなに小さくても段差を認識出来なければ躓く。
手を握りしめて半分引きずるかのようにして歩かないと安全に移動出来ない。
言い聞かせる、なんてことが出来れば良かったのだけど。
2,3歳程度ならベビーカーでもいいのではと思っていたが、どうやら車椅子に乗って明らかに障害がある様子をアピールする方が良いとのこと。
そこそこ大きい子どもがベビーカーに乗っているだけで快く思わない人間がいるらしいと聞いた。
不意に心をえぐられるような体験をする可能性を下げる努力が必要だというのはなんとも言えない気持ちになる。
練習がてらに頑張って歩いていると、子どもとただ遊ぶつもりで話しかけてくれたり手を振ってくれる人達が案外多く、優しさに嬉しくなる一方で子が何も応えられないことにいたたまれなくなる。
車椅子に乗った子どもに対して話しかけて来る人はほぼおらず、それだけで「すみません」と言わなくていいのは気を楽にしてくれる。
実際に子どもが障害者となって知ったのは、意外と行政からのサポートがあり、予想通りサポートが足りないことでもある。
特別児童扶養手当やタクシーチケット、障害者控除等といった経済的なサポートはある。
それ以外は特にない、という感想。保育園に優先して入れてくれる程度はあるのかと思っていたが、普通に落ちた。加配保育士が必要な関係もあり、難しいことは理解している。
お金を貰ったところで息子が回復するわけでもないし、仕事をやめられるほどでもない。このお金で何をしろと言うのだろうか。
さらに両親の所得がある基準を超えると減額、そして停止されるものもある。もしそうなったら何のために税金を納めているのだろうか。
写真を撮ることは格段に減った。以前の写真や動画を繰り返し見続けている。
今も心から可愛いと思っているが、あの可愛かった息子はまだ帰ってきていない。
以前の息子がそのまま成長していたらどうなっていただろうと考えるのをいまだに止められない。
来年も今と変わらず愛し続けられるだろうか。
どうか。
男より寧ろ女の為に合ったんだなって最近思った
結局男は若い女が好きってのは変わらない訳よ。「若い女」は毎年どんどん生まれてきてるわけで
その「若い女」も性欲があるわけだから、5人とか10人とかとセックスするわけよ
一見若い女は需要が高いように見えて、実情は供給過多だと思うんだよね
例え男が若い女とセックス出来る確率が1%でも、地位やポジション、金で手を変え品を変え諦めなければいつかは「若い女」とセックス出来るわけで
「貞操」によって供給を制限する事で30代とかにも「需要」が流れていたと思うんだけど
結局流れず需要のあるはずの女が婚活を始めてしまう、という事が起きてしまうわけだよ
実際貞操何てなんの役にも立たない訳よ。ダイヤモンドにユダヤ人が価値を付けて売り出したように
貞操という何の役にも立たないものに女コミュニティが結託して価値をつける事で
一生養ってくれる労働力をゲットしてたはず……だったのに
「女性が活躍できる社会」と言われた時、大体「産休、育休が取れる」という事が挙げられる。
女性が活躍するにあたって障壁となる「生む・育てる」をデメリットにしない作戦だ。
でもよく考えて欲しい。現代になって、「生む・育てる」を男女で分担しようという気風が高まった。生む、育てるは女性だけが責任を負う事では無いからだ。
これも女性が活躍できる社会にする為だが、その結果「産休、育休をとれる」のは男女にならなければいけない。
この時点で矛盾が生じる。会社も家庭、どちらも女性の為に動いているのに、結果的に「女性が活躍する社会」ではなく
一つの例を考えてみよう。女上司が子供が出来たので、産休、育休をとった。
その穴埋めの為に独身女性が女上司の代わりに残業し一生懸命働き、ほぼ上司と同じスキルを身に着けた。
一年後、女上司が帰ってくる。その女上司は残業もせず、仕事量も少ない。以前よりスキルも落ちた。しかし給料も地位も変わらない。
この際、この独身女性が損をしない一番の選択肢は何だろうか。正解は「育休、産休をとる」である。つまり結婚して子供を持つ事だ。
独身女性は「自分の選択」により結婚したが子供には恵まれなかった。無能な上司の元で女性は働き続ける。
人はやめていき、会社の業績は当然下がる。
極端な例ではあるが、中小企業や下請けには似たような事例がいくらでもある。
会社・家庭、どちらも女性の為に動いた結果、結果として女性の総体には結婚し子供を産むことが強制され、
https://anond.hatelabo.jp/20201223193232『ウルトラマンZ』からニュージェネレーションシリーズを眺める
からの続き。
1) 続き物の初回は、主人公がどのようにウルトラマンの力を得るかを描くかがキーになる(セブンやオーブのような、本編前からウルトラマンだったケースは除く)筈なのに、突然現れた変身道具を手にして「俺色に染め上げろ」と謎な名乗りをいきなり発して変身してしまうという、昭和でもやらないような雑な演出が光る。
2) Wikipediaに引用されている超全集によると、後半のあらすじが二転三転している。母親が敵になる⇒反対意見が多くなり、美剣サキが後半の敵になる⇒アサヒが消滅してサキが湊家に妹として迎え入れられるビターエンド⇒ハッピーエンドを優先させてアサヒ生存ルートとなった模様。結果的にはマスコットキャラとして成功したけれど、詰めの甘さ、物語の浅さが浮き彫りになった。
1) トライスクワッドの設定は、本編に盛り込む余裕が無く、ネット展開のボイスドラマというスピンオフで消化されたが、またもやトライスクワッドやタロウの息子など、本編で消化できない盛り過ぎ設定が、フォーカスの甘い、締まらない流れになってしまった。
■Zの企画
田口監督の「最終回から逆算してシリーズを構成した」という発言は、おそらくXの頃から、押しつけられた企画や設定といった風呂敷を畳むのに苦労されたところから出たものと思われる。ゆるキャラグリージョは意図的ではなく、偶然の産物だったことを考えると、ニュージェネ後半は結構危うかったところをZに救われた、と捉えるのが妥当ではないかと。単なる私見ですが。
こいつのクビの真因はコロナ大量感染に対するロッテ球団の火消しが嘘になり信用を失墜させたことだぞ
ロッテでコロナ大量感染が起こる前に阪神でコロナ大量感染が発生した。その際に愚かな外食ルール違反原因と判明し、阪神は袋叩きになり辞任騒ぎにまで発展した。
ロッテはそうではない、ルールは守った、あんな愚かな阪神とは違うと主張し、当時は拍手喝采で受け入れられた。
その真相が清田の行動であり、愚かなルール違反によるコロナ感染源疑いという、結果的に球団は大嘘付きの隠蔽集団となり、阪神以上の愚かな球団となった。
本当はここでクビにしたかったが選手会の横槍でクビにできなかった。しかしまた不倫してくれたので今度こそクビにし信用失墜も押し付けることができた。阪神のように辞任はせず、潔白のままで。
これはただの愚痴です。
今まで母親に愛されたくてずっと愛を求めていたけど何度も何度も酷い事をされて傷付けられて来て愛されなかった
この前なんとなく生まれる前の話を祖父母に聞いてこれまで全く愛されなかった理由が分かった
私が生まれる前から父と母は喧嘩をするほど仲が悪くて私が生まれてすぐ離婚して私の親権の裁判をしたみたい
裁判の結果父親が勝ったけど多分まだ生まれて間もない私だったから裁判に勝った父親じゃなくて母親に親権がいって私は母親に引き取られた
母親の家はいつも家に誰もいなくて保育施設に預けられたり家で留守番ばかりで良い環境じゃなかった
父親は誕生日に必ずプレゼントを6歳まで毎年贈ってくれてたのを覚えてる
6歳の頃にプレゼントが来なくなったのは母親が再婚して下の兄弟が出来たから
私のお父さんはたぶん優しい人だから私の事とか考えて昔の父親である自分の存在を無いものとしてプレゼントを贈るのをやめたんだと思う
4歳くらいからお母さんが付き合ってて再婚して下に兄弟が2人結果的に出来たんだけどそこからが壮絶な地獄の始まりだった
なんでも下の兄弟の父親は母親によると完璧らしくてその子供の兄弟達は可愛くて仕方ないんだとか私の中ではあいつは中卒でかなり頭悪いのに
私のお父さんは大学までちゃんと出てて大きな企業に勤めてて給料だって性格だってよかったらしいのに・・・
でも心の病気のお母さんによると私のお父さんは最低最悪で屑でゴミで人間じゃないとか小さい頃から永遠と聞かされ続けた
下の兄弟が2人生まれて2年たたないうちに離婚してしまったけど兄弟の父親はお母さんから子供を取らなかったから最低じゃないらしい
あいつはただ中卒で2つアルバイトこなしてる生活だったから赤ちゃん2人の面倒もみれないから子供押し付けただけなのに
お母さんは兄弟の父親から養育費も貰ってなかったのに兄弟の父親だけは許して下の兄弟達の為に父親に合わせ続けてた
私はお父さんに一度も会った事ないし合わせてもらったことも無いのに自分の父親に合わせてもらえる兄弟達が羨ましかった
それに家で虐待と育児放棄とか色々私だけ受けてて下の兄弟達はお母さんお父さん祖父母からも愛されてて
なんか他人の家族に居候してる気分で母親とか母方の祖父母は自分の家族だって分かっているのに赤の他人の様に感じて辛かった
今でもたまに本当の父親の所に引き取られてたらまだマシだったのかなって考えてしまう自分が辛い
父親が再婚してたら邪魔になるかもしれないからこの気持ちは我慢する
ただそういう今まで母親や祖父母が私にしてきたことを考えると私は母親の家族から愛されることは一切無かったのに愛されたくてずっと求めてたんだなって思った
やっと自分の愛されたいって気持ちとか愛を知らないとか色々な部分で割り切れそう
愛すつもりも愛されるはずもない家にずっと愛を求めてたから苦しかったんだと思う
出来る事なら記憶喪失になって母親の家族と過ごした記憶全部消したいな
長瀞さんのゲス顔が行動を隠すものでしかなくなっててギャル属性ってなんだという印象。都合の良いギャル属性がギャルの実態と離れすぎてて何がなんだか。教えてギャル子さん!の頃以前からズレがあったと思うので多分最初にギャルがサブカルに登場した頃からだろうな。ギャルを本気で描いてしまうとギャル男が必要になってくるので舞台がクラブとかホストとかチャラくなるし、そうなるとオタクと親和性がない。結果的に褐色でスレてて、マンバですらない。スマホにラメもつけてない健全なダークエルフがギャルとして珍重されてしまう。要するにスレてるダークエルフ魔王を出せば補間できてしまう。ただ、魔王は魔王であってわがままそうなギャルと仲良くなるという非日常的なドリームが消える。
それでいて国内の多数弱者を無視して海外の弱者だとか性的マイノリティーとか挙句の果てには動物の人権だとか言い出す。それが多数弱者を無視して金持ちの夢想的な弱者救済となってるし、バラモン左翼といえよう。
最もどうやって救うかというとケインズ主義かマルクス主義の系統しかない。
ケインズ主義は金を回すには金をためこむところに税金を掛ける必要があり結果的に再分配になる。
また景気を良くして労働者不足の状態から結果的に労働賃金が上がって救われる。
ケインズ主義にケチが付いた。そして新自由主義が勃興したことにより主流は多数弱者を無視する政策になってしまった。
最もケインズ主義にケチが付いたオイルショックや経常赤字化についても新自由主義はむしろ危機にあらかじめ備えての研究開発なんて考えは微塵もないし、産業弱体化を招くから解にならなかったどころか危機に叩き込む経済政策になったが。
サノスはよくわからんが、ようは進撃の巨人におけるイエーガー兄弟と同じだな。
問題解決にはそのどちらかの方法しか存在しない。もちろん融和も視野に入るけどそもそも話し合いがされていないし、そもそも誰もそんなことをする気も無い。
それに巨人の力は時限付きだからさっさとしないと問題の先送りが進んでしまう。結果的に実力行使をして結果を出すことを選んだのがあの兄弟で、見守るだけなのが周り全てだ。
でもサノスだけが慧眼で正しい心配をしている可能性はあるじゃん。
現時点でだーれも困ってないから何もしなくていいはホントにそうなの?
「これから必ず困っていくこと」がわかっててそれを解決できるなら
普通はそうするじゃん。
サノスがそうじゃなかったとは誰にも言えないよね。
やや年を取ってしまったからなのか、ライトノベルや漫画等が少し苦手。滅茶苦茶文章が良かったりストーリーが完璧なものでないと子供だましに思えてしまう。だから自分の現役時代の記憶をフィルターに色眼鏡で鑑賞することになりやすく、結果的になんとか読める。ただ若者が「やーーー(カキン)」なんてのは結構痛いなと思う。野球漫画的な青春群像よりファンタジーのほうがきつい描写多いな。
なろう系が流行る理由がなんとなくわかる。稚拙な文章だろうとフィルターなしに自分に重ねられるってのが理由かもしれない。妙に(専門性のある)現実的描写なのにご都合主義に作られているのが刺さるのか。
だから思う。若い人はその年代にあった作品をとことん鑑賞して置いた方が良い。年を取ってから「あなたの世代には懐かしいでしょう」と言われた本が、全然そんなことなかったりするとがっかりするよ。思い出フィルター大事。
・問 どうやったら趣味が続くのか
・答 最終ゴールを定めず、他人と比較しないと続くと私は思います。
・考察
→ 数年で続かずに辞めてしまう
→ 元増田が辞める原因は目標を達成したか、目標を達成できないと続ける意味がないと思っている
からなのかな?
・私の考え
多くの人は趣味は目的(=ゴール)ではなく、結果だと捉えていると思う。
好きだから「なにか」を行う → それが続いたものが結果的に趣味 みたいな。
ゴールの無い道のりだからある種、本当に飽きるまで続けられる。
・私の場合
自分は熱帯魚/爬虫類飼育とか釣り、家系ラーメン屋めぐりが趣味だけど"飼育する"や"釣りをする" 、"家系ラーメンを食べる"こと自体が楽しいので続いているのかなと思う。