はてなキーワード: 神様とは
ついったーでえっちな漫画家さんのアカウントをフォローしてて、宣伝用のえっちな絵をたくさんながしてくれる先生はたいへんありがたくて日々拝むわけだけど
えっちだけじゃなくてえっちじゃない仕事もしてる先生はアカウント分かれたりしてて
えっちじゃないアカウントに夢のようにかわいいイラストが掲載されてくる
だけど
先生によって
このえっちじゃないほのぼの絵素晴らしいけどこのイラストの女の子こないだエッチな漫画でとんでもないめにあってたよなってときに
たいへんにうれしくて興奮するときと
ああーっ!この女の子があんな目に合うなんて!神様!いや漫画家様!救いはないんですか!みたいな気持ちになるときがあって
とにかくとてもとても心が大地震起こす
大学進学率50%を超えてるこのご時世に高卒なのはめっちゃコスパ悪い(一部の優秀な人を除いて)
というか、高卒に比べて大卒のコスパよすぎ。タイトルこっちにした方がよかったかも()
この記事は公務員試験とセンター試験の両方を受験した、ガチガチ文系の24歳高卒税務職員が書いてます。そのことを踏まえて読み進めてください。途中自分語りや愚痴がでてきます。
早速ですが、大卒に比べて高卒のコスパが悪いと思った理由をざっくり箇条書きでまとめて、それについての解説と自分の考えや疑問を書いていきます。
それでは1から
大学進学率が50%以上のこのご時世に高卒だと、かなりの確率で頭が悪いと思われます。これ住んでる世界や関わる人のレベルによりますが、自分の周りは結構思ってる人多いです。
おそらくは、進学率が50%以上なのに高卒なのは、その中に入れなかった人、というレッテルを貼られるのかなと。
学ぶことに意欲的な人は基本的に大学進学→つまり進学してない人は勉強嫌いor勉強できない人
みたいな感じ。
とか
って面と向かって言われました。
なんでって…このご時世に高卒は頭悪いだろ
って返答だったので、このご時世ってどういうことだ???と色々調べると、どうやら大学進学率50%以上指しているのだとわかりました。
ネットでもこのご時世に高卒なのは…といった意見を目にすることがあるので間違いないとおもいます。
これが最初に書いてある大学進学率が50%以上の〜と思った理由です。
ただ、個人的な意見を言うと、私立大学の偏差値45ってかなり頭がわるい人達が集まらないと出ない数値だとおもうんですよね。
なぜそう思うかと言うと、自分は勉強が苦手で頭が悪く、大学には行かずに高卒で就職しよう。出来れば公務員がいいなー、って高校生の時考えてました。
そんな人間でも、学校で強制受験させられる模試で高3夏以降の3教科偏差値は55〜60、センター試験は3教科75%でセンター利用で近畿大学法学部に合格できました(近畿大学法学部は偏差値55)
だから自分が受かった大学より偏差値が下の大学行く人ってめちゃくちゃ頭がわるいか勉強サボった人がいくイメージなんですよね。家庭の事情で仕方なくとかを除いて。
つまりそのレベルの大学って言わば高卒以下、下手すると未満の学力の人達が集まってる可能性が十分にあると。
でも高卒で就職をすると、そんな自分よりも学力がない努力しなかった人達にレッテルを貼られて見下されるなんて事が起こります。これっておかしくね???
皆さんもそう思わないですか?
あなたよりも偏差値が上の大学に合格した人に頭が悪いといわれたとします。悔しかったり嫌な思いをするかもしれません。
でもその人は自分よりも偏差値が上なので自分よりも頭が良かったか、もしくは努力してその結果を手に入れたわけですよね。
だから見下して良いと言うわけではありませんが、自分よりも優れた結果の人が見下してるといった状況です。
逆の場合だとどうですか?
自分よりも偏差値が下の大学に合格した人が、偏差値が上の大学に合格した自分にむかって頭が悪いと言ってきました。
おそらく自分よりも頭が悪かったか努力をしてこなかった人に見下されてる状況です。
いやいや、どの口が言うてんの?ってなりませんか?笑
かなーり話が脱線しましたすみません。今回は1例のみですが、どうやら世間には
みたいな風に考えてる人多いなーと感じる体験をすることが度々あります。
そういう考え方になる人ってどんな経歴なのか自分はめっちゃ気になるんですよね。
皆さんは気になりませんか?
東大京大などの旧帝大や早慶の人が言ってるかもしれないし、地方国立marchの人かもしれませんよね。
なんなら日東駒専の人かもしれないし、Fランかもしくは高卒の自虐ネタの可能性だってありえます笑
受験した人なら分かると思いますがこの人達って、難易度や卒業したら享受できるメリットとか違いますよね。
旧帝大や早慶に進学できるなら、高卒で就職するよりも進学した方がメリット大きいと考える人が9割だと思います。
日東駒専だとどうなんだろう…自分の場合は大学に求めているものと家庭の事情で高卒就職を選びま
したが、進学8〜9割だとおもいます。
皆さんに聞きたいんですがこれって不思議だと思いませんか?
国立私立はあれど、全部「大学」という同じ括りなんですよね。東大もFランも大学なんですよ。
大学、大卒という言葉は日本だと上は東大、下はFランと凄ーく含みをもった言葉になるわけですね。
大卒という言葉を使えば、東大卒もFラン卒も同じ扱いなんて自分はおかしいというか違和感感じるんですよね。
例えば、堀江貴文さんとか東大中退だったはずで、彼は高卒の扱いになるはずです。同じ高卒という括りになるんですね。
でも高卒という言葉は基本的にそんな堀江さんみたいな極端な例を指すのではなく、自分のような底辺を指す言葉だとおもいます。
大卒という言葉は基本的にどの程度のレベルを指して言っているのか、ということですね。
確かに傾向としては間違いないと思います。平均なら絶対に大卒>高卒です。
で、この大卒というのはどのレベルの大学を指して言ってるんですか?って話なんですよね。
それをわかってないと、親が身を粉にして働いて貯めたお金で大学にいって遊び呆けて、無条件で高卒よりもいい人生がおくれると勘違いする馬鹿が出来上がります。
1年前に、Fランで遊びすぎて就職できなかったから国立の大学院に通っている、高校の同級生とたまたま再会しました。
なんでお前は高卒で働こうと思ったの?人生損してると思うな〜。親の金でタダで大学いって遊ぶのめっちゃ楽しいのに!
と、言いました。
この時高卒という肩書きはほんとーーーにゴミでコスパが悪いなと心底思いました。
なぜか?
こんなふざけた発言を、申し訳なさも悪びれもなく平気でできる人間性の終わったクズにすら見下されるのが高卒という肩書きだからです。
勉強のできない高卒とかたや真面目で勉学に励んでいる国立大学院生
こんな感じでしょうね(諦め)
圧倒的不遇、圧倒的理不尽
奨学金は借金だから借りるな。(そもそも世帯年収の上限超えてて借りれない)
生活費は家賃込で月8万欲しいので4年で約400万。そこに利子がつくわけで、大学卒業後に1000万近い借金が確定。
そんなリスク取るなら高卒で公務員なろ!なんて安易な考えだった自分への罰ですか?
このご時世、大学くらい出ておかないとね。
自分の周りではよく聞く言葉です。こう思ってる親御さん多いと思います。
大学進学率が50%を超えてるこのご時世、大学くらい出ておかないといい人生を送れない、といったニュアンスでしょうか。
この意見、半分正解で半分間違いだとおもうんですよね。個人的には
大学くらい出ておかないとね、ではなく
ではないのかなと思います。
この行く価値というのは、正直わかりませんwその人の求めてるものによると思うので。例えば
学歴を求めて
学歴求めるなら東大や医学部であったり、就職なら早慶やmarchの人もいるかもしれません。
4年間のモラトリアムと人の出会いを求めるなら都会のFランでもいいですよね笑
学問を修めに行くなら本人のやる気があるなら地方のFランでもいいですよね。
自分の場合、大学は就職予備校で大手企業に就職できないなら行く意味がないとおもっていました。
大手に就職が現実的になるのはmarchから上のクラスかなーとおもってます。
いやいや、大卒なら高卒と違って応募資格があるからどの大学でも大手に採用されるチャンスはある!って反論もあるかもしれません。
そんな人に聞きたいのですが、
と聞いてどう思いますか?確かにそうだな!高卒も立派!なんて思いますか?
何を一部の極端な例を持ち出してるんだ
こう思う人が多いと思います。
大卒なら大手企業にも応募できるから採用されるチャンスがある!
確かにそうかもしれません。でもそれってごく一部の人ですよね。
仮に1000人いて1人がたまたま大手に採用されたとして、それを大卒ならチャンスがある!のはどうなのかなと。高卒で堀江貴文みたいな有名人になれる確率よりは高いと思いますけどね笑
自分はその1割に入れる自信がなかったのもあり高卒で税務職員になりました。
世間では4年間頑張って働いた高卒よりも遊び呆けたFラン大卒の方が社会地位は上。
だれも中身なんて気にしてない。肩書きなど上辺ばかりを気にしてる。
親のスネかじりした無能と、親孝行した無能、世間はスネかじりの方を評価するので積極的にスネをかじりつくそう!
まとめようと思ったけど文章力的に無理だった。やっぱ高卒はゴミ
2.3はまた今度書きます。
私が小説を飲むのは、自分以外の人間にも、自分と同じような「人生」が存在するのを自覚するためだ。
というのは、自分以外の人間が自分と同じような「人生」を持っていることに、いまだに納得できていないからだ。
だって、私が目を離した場所で、その人間が常に意識を持って生存しているとは限らないじゃないですか。
彼らは私が目を離した瞬間にその機能を停止し、次回私と会う地点まで、自走か何らかの方法で回送されているのかもしれない。
何なら、私が目を離した瞬間に、「職場の上司」や「電車で会う見知らぬ人」なる人々は、溶解か風化でもして個々の分子に分かれ、
次回私と会う地点で、その場にある分子によって同じ物質比、そこに服装やら顔色やらのチェンジを加えて再構成される。
だから、その「上司」や「見知らぬ人」は目を離した瞬間に別人であるのだ、なんてことまで考えてしまっている。
つまり私は、自分以外の人間を、生活や思考を持たないロボットやぬいぐるみみたいな存在だと考えているわけだ。
なんで彼らのような存在が在るのかというと、きっと神様的な存在(それは、自然法則みたいな機能的な存在だ。
人格的に存在しなくても構わない)が、私の人生に何らかの働きかけを行おうとして存在させてくれているのだ。
いや、ここまで普段他人に話さない(他人が「ロボット」ならば、話す意味がそもそも無いわけだが)正直な思いを吐露したが、これは妄想なんだ。
これが妄想でなくては、毎日苦痛を以て職場に通う意味が無くなるじゃないか。
だから、他人に「人生」が存在することを無理やりにでも納得しなくてはいけない。
自分の人生を肯定するために、他人の「人生」を認めなくてはいけない。
あたかも生きているかようなキャラクターを、物語の流れの中に見いだすことによって、
私は他人にも本当に「人生」が存在するのだと誤魔化されようとする。
そんな態度で小説を飲むもんだから、小説を飲む度に、他人にも生活の存在することにたびたび驚いてしまう。
ましてや、感情があったり理屈を述べたり、なんだこの「ロボット」たちは!と混乱してしまう。
しかし、その混乱を抑えながら小説を読み進めることで、物語としての出来の良さに、
理屈でなく感情によって他人にも本当に人生があるのだと納得してしまう。
そういえば、自分以外の人間が「ロボット」だと考えるのなら、こうして、他人に向けてその考えを書き連ねることに何の意味も無いだろう、
その他人は「ロボット」なんだから、その考えを受容する「人生」が無いんだろう、といったツッコミをブクマやトラバで受けると思う。
いやまあ、他人が本当に「ロボット」だったら、そんなツッコミも返ってこないわけで、私がそんなツッコミを心から期待しているのは、
私が他人の「人生」を信じようとする萌芽なんだろう。私が妄想から解放されるチャンスなんだろう。
いや、そのツッコミは、私の人生への働きかけとして、つまり「ロボット」の機能として返ってくるのか?
ツッコミを行う人間の「人生」の一行為としてツッコミが返ってくるのではなく、
ツッコミを行う機能が与えられた人間の一機能としてツッコミが返ってくるのか?
そこは考えれば考えるほどよくわからなくなってくるが、とにかく、そのツッコミは妥当なものだとは思う。
私の妄想を私がまともに信じているのであれば、他人に向けて考えを書き連ねるその行為に、自分の日記ノートに考えをまとめる以上の意味は無い。
それでも、思考上の無理を押してでも書き連ねるのは、他人の「人生」が存在しないという考えが妄想なんだと自分に言い聞かせるためだ。
わざと、他人の「人生」の存在を仮定した行為を行うことで、その存在を自らに信じこませているというわけだ。
なんなら、この文章が小説だとするなら、あなたにも私に「人生」が存在すると理解してもらえたでしょうか、とでも締めておこうか。
京都龍安寺の石庭というと、石が15個配置されているのにどの角度から見てもどれか一つは見えない石がある、ということで有名な庭だ。
この庭は、人生において大切なことを教えてくれているような気がしてならない。
ものごとは角度を変えて見てみることが大事であるというような言葉は誰しも聞いたことがあるような教訓だが、この庭は角度を変えてものごとを見ても必ず隠れてしまうことがあるということを教えてくれているように思う。同時に、全てを見渡せるのは天の神様だけだということも表しているのではないだろうか?逆に言えば、人の視線には限界があるのだ。
これを踏み込んで考えてみると、人は秘密を持つことができるというある意味での救いに繋がらないだろうか?人の視線に限界があるなら、人に対する隠し事を持つことができるのだ。それは必ずしも悪し様なことではない。秘密には良い一面もある。
そしてさらに踏み込んで考えてみると、天から石庭を見下ろす神様にだけは秘密を持つことができないのである。それはやはり、人を救うことのように思うのだ。
石庭の作者が何を考えてこの仕掛けを作ったのかは伝わっていない。これもまた秘密であり、石を秘密に例えることが出来るのならば、人の視線ではその全てを明らかにすることができないと庭が語っている。
本当のことを知るのは天の神様だけでいい。
今期あみめいくつか見た。以下、所感。いずれも原作ノータッチ。
数年前、転職した先の会社の健康診断で採血が必要と言われて自殺をしかけた。その時は飛び降り直前に家族に見つかって死なずにすんだけど後5分遅かったら自宅のマンションから飛び降りてたと思う。
平常時ならそんなバカな事を、と自分でも思ってしまうが「明日、注射をする」という辛さに耐えられなかった。
健康診断の一カ月以上前から、暗い顔をして黙り込むことが多くなっていたらしいので家族は心配していたらしい。
その前に在籍していた会社がコンプライアンスガバガバの弱小企業だったので健康診断は受けたい人だけ受ければ?というスタンスでまともにやったことがなかったが、定期健康診断には採血必須なんですね。サラリーマン辛い。
死ぬくらいならもうしなくていい!と家族に泣かれながら力説され、それ以来採血だけスルーしている。会社からは何も言われていないので当面はこれで凌ぐつもり。ほんとすみません。
子供の頃から注射が苦手らしく、小学生の時にインフルエンザの予防接種で行った小児科で看護師さん5人ぐらいに体を押さえつけられて(両手両足胴体に一人ずつ)泣き叫んだのが最古の記憶。
中学生時は学校で行われたツベルクリン反応検査でパニック発作を起こして暴れまわった。その時も教師達に押さえつけられて打たれたんだと思う(ここはあまり記憶に残っていない)。
幸い、健康が唯一の取り柄です!みたいな人間なので大きな病気やケガをすることもなくここまで来ている。
幸い”任意”とのことなので打つつもりはないが、今後、打たないことで不利益を被ることもあるのかもなぁと思うと気分が重い。
ここ一年フルリモートなので人と接触することも全くないがSlackの雑談用チャンネルでも「どこでワクチン打つ?会社?自治体の?」みたいな話で盛り上がっているのを見ると内心冷や汗が出てくる。
そうでなくてもテレビをつけるとしょっちゅう注射をブッスブッスと刺している映像が流れてきて気持ち悪くなるので、ここ数カ月テレビはYouTube専用マシンと化している。あー子猫かわいい。癒される。
あまりにも日常生活に影響をきたしているので、改めて自分の症状を調べてみた。
素人がググった範囲だと限局性恐怖症の一種、注射恐怖症と呼ばれる比較的メジャーな精神疾患らしい。
>限局性恐怖症患者は,典型的には,自身の恐怖が不合理かつ過剰であることを認識している。
分かる。分かってんだよそんなことは!注射ぐらいパッと打ってはい終わり!副反応?ちょっと出たけど2日ぐらいで収まったよーって言いたいわこっちだって!
気を取り直して治療法を調べた。カウンセリングや薬による治療もあるそうだが、一般的なのは暴露療法と言われるもので
本人が恐怖を感じる対象に少しずつ慣れていくというものだそうだ。
注射の場合だと尖った物を腕に当てる、注射の映像を見る、実際の注射器を見るなどなど…。
ダメだ。想像しただけで気持ち悪くなってしまって思わずページを閉じてしまった。
よし、別のアプローチで行こう。
欲を言えば吸うタイプの全身麻酔で寝てる間によろしく頼む、といきたいところだが流石に予防接種程度でそんなことをしてくれる病院は無い。
注射を嫌がる子供向けにエムラパッチやペンレステープという皮膚表面に貼るタイプの麻酔を使うことがあるらしいとの情報を見つけたので
最悪コレか…と考えたがコロナのワクチン接種時に使ってくれる病院が近くにない。
もうめんどくさい!!!
蚊に刺されても痛くないんだからそんくらい細い注射針を作れよバカー!!!
っていうかこの世から注射なんて非人道的な物全部消えろーーーー!!!!!!
普通に考えろよ!針を!肌に!刺すんだぞ!どう考えてもおかしいだろ!痛いんだぞ!?
痛いものは怖いんだよ!それが生き物として当たり前なんだよ!
こっちだって我慢出来たら苦労せんわーーーーーーーーー!!!!
海外では鼻から吸い込むワクチンや皮膚にパッチを貼るタイプ、飲み薬タイプなどの研究が進んでいるらしいので一刻も早く実用化を!神様お願いします!を毎晩願っているし、
あわよくば自分以外の人間がみんなワクチンを打ってコロナ禍が収束すればもう打たずに逃げ切れるな、と考えている。
注射の事を考えると自分でもよく分からない感情に振り回されて辛い。
一日中ものすごく怒っていたり、一日中布団の中で泣いていたりする。
コロナが憎い。本当に憎い。
「ひゃ~! おめえ、態度わりぃなぁ!」
「いくらバイトだからってよぉ、お客様のオラにそんな無愛想でええんかぁ?」
「お客様っちゅーのは、神様なんだろ? おめえ、神様に対して礼儀がなってねえぞぉ」
「はぁ……さーせん」
「あの、お父さん。他のお客さんに迷惑ですから、そろそろ……」
「かまうこたねぇぞ、悟飯。だいいち、オラ憎くて言ってんじゃねぇ。この店んために言ってんだ」
「だいたいよぉ。おめえ、肉まんと冷てぇ飲みモンを同じ袋に入れてっけど、そりゃねえぞぉ」
「肉まんが冷たくなっちまったら、おめえ責任とれるんかぁ? やっぱ、あったけぇ肉まんが食いてぇよなぁ?」
「は、はい。それはそうですけど……」
「それによぉ。オラ、ペットボトルの雫が他の商品についちまうんがスッゲー嫌なんだぁ」
「そういう、客のニーズっちゅーのを察してよぉ。袋を小分けにするんが、いい接客なんじゃねぇかぁ?」
「ッチ」
「おっ? おめえ、今舌打ちしたんかぁ? ハッハー! いい度胸だなぁ! オラ、イライラしてきたぞぉ!おーっし、いっちょぶん殴ってやっか!」
シャレの神様が見てて粋なことしたんやな