はてなキーワード: 浄土真宗とは
これって、とりあえず、唾をかける(夜の営み系以外)、暴力、土足苦手な日本においての土足など汚い部分充てる、など
自分にやられて嫌なこと、痛い汚い怖い悲しいことは他人生き物はもちろんものに対してもやめましょうね
普通の人はここで蹴らないになる
で、次の段階でがくんと検討を行う人数が減るのだが
感情以外の要因で蹴っちゃあだめか否かとなる
空き缶は誰の所有物でもないし、そもそも無価値なので蹴ってもよし(夜道での騒音などに配慮できれば)
蹴るじゃないが、ちょっと(下)足で支え(操作す)るの行儀遵守と効率判定
面倒なので冷蔵庫の下段は足で閉じるは土足でなければありと思う人も(食堂の厨房の冷蔵庫とかも。靴じゃなければ、膝太ももセーフとか)
石製で頑丈な墓
下手したら年に数回しか掃除(掃除というなの草むしりと申し訳程度のゴミ拾い)しない墓
感情抜きにしたら蹴っても(足で触れても)いい部類の存在だと思う
宗教的に到底受け入れられない人が多いと思うし、増田も基本的にはそうやけど
一昨年ぐらいに、法事があっていつもはそこの現当主さんみたいな僧侶さんが来るんだけど、葬儀が入ったとかで、跡取りの若めの方が来られた(多分まだ30代)
凄く勧誘好きで、親戚のおばさんたちもお話し好きだから法事が終わった後も色々語りあってた
その中で、(ご亭主の)宗派が違うから知らないのか、何度聞いても忘れるのか、古くなった経本どうするかって相談があって
増田が盛大に誤解してるかもしれないが、誤解を恐れずに言うと、大原則として別に経本も仏像も墓も位牌もいらんってのが浄土真宗らしい(経本ごとき古くなったら普通に捨てれば?)
そんなもんに宿るとかないから
物は物 あちらはあちら
ただ、それじゃあ檀家さん(門徒さん)の気持ちが収まらないから(と、寺の存在意義なくなる)、他宗派ぽい感じの様式を残してるのだろうなというのをうまく説明してはった
今の結婚する世代とその親世代なら価値観のギャップはよくある話だと思う。
自分(男)も結婚によって姓が変わることへの抵抗は全くなくて、
妻に「どっちでもいいけどどうする?」という確認をした。
妻は一人っ子だったが「どっちでもいい」という話で、妻の実家も気にしていなかったので
(改姓すると私の仕事に多少影響があった)
ただ、これが妻の姓になる、という話であれば自分の両親は同じように反対しただろうなという事は想像に難くない。
例えば結婚した後の本籍地にしても私は自分が住んだこともない父方の実家にあるのだけれど、
住んでいる自治体ではないので面倒だ。頻度は多くないが。
なので、本籍地を移しても良いかという話をすると「絶対にダメだ」という。
結婚式も仏滅は恥ずかしいから辞めてくれと言う、浄土真宗なのに。
流せる部分は流して逆鱗に触れないようにしているけど、60過ぎた親の考え方なんてそう変わるもんじゃないと思ってあきらめている。
親が死んだら今住んでいるところに本籍地も移す予定。
ほわっとでも信じれば救われるていうのが革命的。
日本でクリスマスとかのキリスト教行事が広まってるのって神道の"八百万の神"な世界観じゃなくて浄土真宗の緩く信じてればOKの世界観の影響がめっちゃ強いと思う。
脅しなんだよな。そして語ってる奴がたいていウエメセ。
脅しについては後述。
「俺、この世の仕組み見抜いちゃってるんで」って奴
座禅で肩を棒で殴ったりもする
なんなんあの人たち
省略すると(ここのやつらは原文読まない)アンフェアだと思ったので。
「わたすは知ってる」は、ただ単に楽な暮らし方を知ってるって程度。
「世界の仕組み」がこうだと考えたら楽じゃん? って方向。
前述の若い坊主には「救いたいからこそクドクドと説法」多いが、その親父世代は淡々とやるべきことをやってる感じ。
どうせみんな救われるんだから(経済的なこと考えないでよいなら)布教とかいらなくない? 檀家でギリギリわしの世代はもつし。
↑って思ってるかどうかは知らないけど、逃げ切り体制に入ってるし、本当に信じてるなら下の世代のこと考える必要はない。
そんなのに頼ってどうすんだって感じ
頼るとか頼らないとかじゃなくて、真理なんだから
ほわっとでも信じれば救われるていうのが革命的。
「南無阿弥陀仏」唱えれば万全。
なーんまーいだー
49日なんてないよ、根拠ないじゃん
ないです。死んだ瞬間極楽浄土転生。
これについては知識が(情報が少ない)ないなぁ。馬鹿高い院号とか。
悪いところではあるのかもしれないし、葬式で残されたものが納得するためのものなのかも。&先行投資
なまんだぶなまんだぶ
近所に建物ができて朝晩横を通るんだけど看板をみるたびに俺だって幸福になりたいよと思っちゃう
でも宗教だから私財を取り上げられて幸福の定義をすり替えられて俺が望む幸福とは真逆の人生歩まされるのはわかりきってるから入会とかはしないけどさ
巻き上げたお金を何に使ってんだろう
統一教会は韓国に全部流してるって話だけど、もっとたくさんのお金持ってこいと言わない宗教ってないもんな
うちは一応浄土真宗を信仰してるという形になってるけど葬式の時にちょっとだけ接点があるだけで実質無宗教だ
20〜30分お経読んでもらうだけなら3000円でいいだろ、というのが通らなかった
5万くらいよこせという雰囲気だったけどそんな割のいい仕事ありえないでしょ
まぁいいや
親の宗教を受け継ぐことに疑問は感じなかった?おれの家は浄土真宗で仏壇があったけど、子どものころに仏壇の前に座らされて反省を促されたりしてたから、アホらしいと思って仏壇を継ぐ気すらない無神論者になった。
最近、某襲撃事件の影響か、宗教の話題がホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。
そうした記事のひとつについたブックマークコメントに、「宗教のネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。
日本人の多くは実質的に無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキングな事件ばかりだ。
宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。
そこで、タイトルの通り、創価学会の学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメントや質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。
何か書いてみようかと思ったけれど、あまりに普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問を募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。
なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世か4世くらいにはなる。ここでは、生まれたときから学会に属しているという意味で2世と称します。
→特に疑問を感じたことは無いな。生まれたときからそういう環境だから「受け継ぐ」っていう感覚がそもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期は創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスもマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。
→あんまり歴史得意じゃないから一向一揆の時代に何があったのかわからないんだけど、「他者を攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会は暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者を攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分が暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね。
→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。
→選挙前に公明党に投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。
勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏(学会員に誘うことを折伏と言います)しましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘しちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメな勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。
→マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆どが学会員だろうからまだわかるけど、普通の大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブな感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。
→?どういう意味?
→葬式は形式と居心地が若干違うかな。学会員の友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体は普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀だから厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いから個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。
あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。
→良い部分もたいがい他人事だよ。自分はあんまり積極的に活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。
→自分はあんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときとかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行のマインドフルネスの一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄な時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想を毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。
→自分の年収は300万程度。まだまだ新米社会人だから薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会からも家族からも寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収は推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間で問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分は大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金で卒業させてもらえたし、金がないから必要なものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/Market_Gospel 「信仰心を高めて時間で殴る投資術」
確かにこれは宗教やな。「これまで数十年、私が入信してからというもの、ずっと右肩上がり。自分はこの宗教に入って本当によかった!これまで救われてきました!」
そうして周りの人を勧誘する。
確かにこれは何かに似てるわ!自分が無自覚なところまでそっくり。
投資は大切なことなんやが、インデックス投資はいたずらに人に勧めるのはよくないんよ。特にこの時期は。
インデックス投資は人を無知にする。だってあなた「これだけやっておけば幸せになれる」ってゆーでしょ?
だれもがこぞって過去のパフォーマンスを紹介して感嘆しているのは分かる。
けど、気をつけないといけないのは、こういうときよ。
ブコメにもあるが、これは浄土真宗に似てる。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでは人は救われないのよ。
浄土真宗は手軽さゆえ庶民に爆発的に広がったそうだけど(詳しくないよ、自分は)、インデックス投資はまさにそう。
「ここ数十年救われてきた」から、信者たちが「善意で」、勧誘しているのはすごくよく分かる。
けど、本当にするべきなのは、念仏を唱えて祈ることじゃなくて、きちんと自分で時間をかけて探究すること。
「自分を救えるのは自分自身しかいない」ってことに気づくことなんよ。
そして多くの人はこれをやりたくないから、「簡単に救われる」って掲げてる宗教に入信してしまうんよ。
けど自分らがやるべきなのは、「本当にそれで救われるのか?」と疑ってかかること。
なぜインデックスが過去に上がり続けてきたという事実は、今後も上がり続けるという根拠になるのか?
そういうことを考えていきたい。
勘違いしてほしくないのは、自分はインデックス投資に否定的だからといって、決して「投資をしなくてよい!」とか「何もしないほうがいい!」と言ってるわけじゃないってこと。
インデックス信者が記事の中で紹介するのって、過去のチャートだけなんよ。
まず、そこに疑問を持たないといけない。
今後数十年の株価推移を予測するのに、過去100年や200年のチャートを持ち出すこと自体ナンセンスなの。
なぜ、人口爆発&技術革新&世界大戦や復興が起こった1900年代を持ち出すのか?
自分は無理だと思うよ。だって、2000年代に入ってこの22年で劇的に変わったことって何かあった?
元記事のジョセフとかパットの話とは、時代が違うんよ。なぜ2022年なのに1928年の話を教訓として持ち出すのか?それはセンスがないから。
たしかにGAFAとか出てきたし、生活は便利になったけどね。けど別に革新というわけではない。
今の時代は、一通りの技術革新のいちサイクルが終わってなだらかになっていると考えるのが自然よ。そうじゃない??分かりやすいのが音楽の世界で、1990年代からJ-POPって何か変わった?
けれどもインデックスはこの20年も上昇してきたでしょ。それの要因が何なのか?
それが緩和。アホみたいな先進国政府があとさき考えずにお金をじゃぶじゃぶにばらまいたから。
金融緩和は、一通りの技術革新が終わったあと、それでも株価を押し上げようとした最後の推進力だったの。
けれども、お金の価値が薄まっていまはインフレに苦しんでる。金融引締して、これまで緩和したのと同じレベルで引き締めないともとに戻らないよ。
インデックス信者の根拠が「投資はゼロサムではない」だと思うけど、これは間違い。
ゼロサムでなかった要因が前述の金融緩和。世に溢れたお金が使い道がなくなって株式などリスク資産に回ったから、価格が高くなっただけ。
つまり、金融引締が行われるとゼロサムどころかマイナスサムになる可能性がある。
株価指数は、経済活動とか企業が生み出す価値 とかで決まるんじゃないんよ。多くの人は株式投資の本とかをみて、ここを間違って教えられている。
株価指数は、市中に回っているお金の総量で決まる。多少の上下は誤差。
アベノミクスでどうなったかを見たら分かるでしょ。実体経済とか関係ないんよ。
市中に回っているお金が少なくなれば、株価は長期で下がっていく。物理よ、これは。
大多数の人間よりも、少なくとも頭一歩は抜きでないとダメなんよ。
な~んにもしなくてもとりあえずこうやっとけばOK!これをやっとけばやった人はみ~んな救われる!にはならないんよ
とりえあず円だけ持っているのが最悪。
決断力のない日本のリーダーは痛みに耐えて利上げはできないから、
スピード感のある米国と違って、当分は日本だけ緩和が続くので円の価値はどんどん薄れる。
日本はこの体たらくぶりなので、自分で何とかしないとジリ貧は必至。
けど、99点の記事とかを読んで「インデックスに分散投資でいいんだ」で思考停止させられているのはまずい。
いろんな書籍を読んで多くの一般人に対する投資の最適解を導いたら、確かにインデックス分散投資 になってしまうんよ。
でも、みんなと同じことをやってみんなが救われた試しってある?(あるならいいけど)
たぶんそうじゃなくて、救われたのはみんなと違うことを自分の頭で考えてやった人たちのはずだよ
だから、99点の記事だけみて「これで十分」って思ってはいけないの。
自分でいろんな本見ていろんなこと試して、少なくとももっと時間をかけないといけないの。
過去のチャートよりも未来の話を聞いてみたいよ。君たちの考える未来のね。
やってほしくないのは「おれたちは時間を使いたくないんだ!」って言い逃れること。
時間を使いたくない一般人にとって、たしかにインデックス投資は最適だからね。
でも、そうだとしたら、
ってことよ。
はっきり言うけど、株価指数は今後、「上がるかもしれないし下がるかもしれない」。
「そんなの何もいってないことと同じじゃないか!」と怒っても、事実そうだよ。
そして、根拠もなく「株価は長期的には必ず上がる」などと、過去数十年の値動きだけ見てそう言ってる人よりはマシだと自分では思ってるよ。
インデックス投資を始める人全員が覚悟すべき&許容すべきリスクなのよ。
反論があるなら教えて欲しい。
まあ、投資に時間をかけたくない なんて考えてる人の浅知恵なんてたかが知れてるでしょうけどね。
ダメだよ、自分だけならいいけど、人をこのタイミングで巻き込むのは。
ちなみにワイは宿屋の役やった
産気づいたマリっさんにお泊めできませんなホホホって言う役
脇役オブ脇役
でもロバの役とかもいたからな
食事の前には主の祈り(マタイの福音書6章9~13節)か天使祝詞(アヴェ・マリアの祈り)を唱える
すごいぜ
今でもこの二つだけは完璧に復唱できる
その後、カソリック系の教会を根城にするカブスカウト、ボーイスカウトに入った
アウトドアが好きだったんだな
活動日が日曜日だったんだが、なんと活動前にミサに強制参加させられていた
収穫祭の時期やクリスマスには無償のボランティアとして教会を訪れ
教会が預かっているガキどもを喜ばせている
ガキは無邪気でよい
お金関連に関してはミサ参加のお月謝(2000円くらい)があるのと
なんかの時(教会の修復工事とかミサの貸し出し聖書の更新とか)には募金系のイベントはある
洗礼は基本無料だった(慣習としてお礼金みたいなやつは5000円くらい払った。学生割引込)
まぁ、最終的には浄土真宗の墓に入るんだろうけどな