はてなキーワード: 再利用とは
温泉むすめの設定から『フェミニスト』の文言が削除されたらしい。
https://twitter.com/shikana22625318/status/1461207415907491841
これに対して、「フェミニストが危険だと思われたwwww」とアンチフェミの一部が盛り上がってるが、どう見ても違う。
元設定では、ほぼ「女たらし」の意味で「フェミニスト」が使われており、それはフェミニストではない。
こんなもん、見つかったら炎上するに決まってるので、先回りして削除しただけだろう。もしくは、どっかで炎上済みか。
「強者男性に逆らえないから、弱者男性をいじめて遊んでる」とか
「二次元にしか興味のないフェミはフェミニストではない。私はそんなフェミニストと同類と思われたくない」とか
「ツイフェミはオタク叩きより眼の前で困ってる女性を助けろ」とかで盛り上がってる。
まあ、2/3くらい間違ってる。
少なくとも、レスバ敗北おばさんは(事実、レスバ敗北おばさんではあるが)、
目の前の女の子を助けるために女性限定のバスカフェを運営し、積極的に自分の足を使って声掛けをして活動してるし、
視察に訪れた国会議員のセクハラ行為に謝罪を求めるなど、強者男性にもガンガン楯突くタイプのフェミである。
そういうタイプのフェミにとって、自分を「オタク叩きしたいだけのババァ」と言ってくる「男」は、
それこそ「二次元にしか興味がない、実際の女性の被害からは目をそらしてるクズども」としか見えないだろう。
まあ、実際そうなんだろうけれども。
寄付された使用済み制服を再利用してスカートめくりごっこができるバッグ「めくりん」というのが同時期にツイフェミの間で炎上してるが
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f2cb359eff7ea9e293789e93cf3c19759a4b380
「これでツイフェミがいかに野蛮か知れ渡っただろう」というアンチフェミの勝利宣言になんの意味もない。
それが知れ渡ってるのはアンチフェミの間でだけで、一般の世間ではない。
実際に手を動かし足を動かしてるフェミを「オタク叩きにしか興味がない」と言ってる時点で、自分たちこそオタク叩きにしか興味がない。
フェミを否定するなら、ネットバトルだけでなくもう少し広い視点を持つべきである。
現時点でのアンチフェミはただのネットバトルウォッチャーでしかなく、相手の思想を否定できるような発言ができる存在ではない。
先日、とある制服リユース会社が行ったクラウドファンディングがSNSで炎上し、プロジェクトが中止になった。
https://www.makuake.co.jp/2459/
炎上した理由はというと、クラファンの内容が「いらなくなった制服スカートを再利用してスカートめくり遊びができるバッグを作る」というものだったからだ。
https://twitter.com/Recle_kanazawa/status/1459437308373995522?s=20
はてなーはこの件知ってた?
俺はついさっきたまたまTwitterで見るまで全然知らなかった……いかにもはてブで好まれそうなネタなのに。
あれ?俺が見逃してただけ?と思ってはてブ内で検索してみてもほとんどブクマ数1とか2とか……びっくりするぐらい話題になってなかった。
togetterでも……なんなら炎上の中心のTwitterですらそんなに話題になってない。せいぜい数百RTとかその程度だ。
卒業できません。
友人も数人博士に進みましたが、みんな留年して何とか卒業という感じです。
何なら、博士課程4年で何の成果もなく、修論の成果がギリギリ博士課程の年限に論文が出たものを再利用して何とか卒業した人もいます。
自分はというと、学部時代に留年をしまくって、今ようやく博士1年生です。
成果は、今のところ何も出ていません。修士とは違う学科の研究室にいますので、博士課程の結果が出ないと終わりです。
しかし、自分の考えた提案手法は今のところ何の成果も得られていません。
成果が得られないどころか、マイナスの結果ばかりです。意味がわからないです。
当然、論文も書けません。
一つ、確実に言えるのは、「3年での卒業」は不可能であることです。
「提案手法が使えない」ことがわかっただけで終わる可能性が高いです。
独自テーマでやってしまった以上、指導教官からの補助は望めないでしょう。
今はただ、3年経って退学をするまで待つだけです。
ポスドク問題とか言いますが、ポスドクって博士号取ってますからね。
多分僕はこのコースです。
どうしよう。
これ右と左を入れ替えて再利用した奴だろ
最近アベノマスクは無駄だったとの批判をよく見るが、無駄になったかどうかは政策として正しい評価ポイントだろうか?
マスクが不足し始めたのは昨年2~3月頃だったと記憶している。
私は一番大きな影響は中国での需要急増と輸出規制だと思っている。買い占め・転売は社会的なインパクトはあったが影響は限定的だったのではないか?
私の知る医療現場では中国生産のマスクの入荷が止まり、国産のマスク(HOGIだったかな?)しか入ってこないという状況だった。もちろん以前から取引のないところは入手すら困難だった。
マスクの流通が再開したときに入手できたのは卸から入荷されるものではなく外国語パッケージで、従来だとマスク工業会主導で記載されていたPFE・VFEなどの試験性能が見当たらないマスクだった。
つまり、新型コロナ前の生産量では全く足りなかったということである。
買い占め・転売は流通をかき乱した。しかしトイレットペーパー騒動のようにすぐに元通りとはならなかった。それは世界的な需要増が原因だからだろう。
また、マスクばかりがフォーカスされるが、ガウンやキャップ、手袋など他の感染予防具も不足していた。
だからアベノマスクで在庫が放出されたから流通が再開したというのは強引な擁護だと思う。焼け石に水程度のことではないか?
アベノマスクが発表された当時、フランスのパリで同じような政策が取られたことを覚えている人はいるだろうか?確か4月か5月の話だったと思う。
フランスの場合は市町村が製作・配布を担当していたという記事を見た記憶もあるので国の政策かパリの対策かわからないところがあるが同じような発想は他国にもあったということである。
どのような調達・配布方法が良いかは見直しが必要だがフランスでもマスクの不足は起こっていたし、布マスクが配られたのは事実である。
そして、感染は世界的な広がりを見せておりさらなる需要増は予想に難くない時期でもあった。
ここで最悪な事態(再度マスクの流通が止まる事態)を引き起こす要因を考えると
②需要は急増するが、人流制限のため新規工場が立ち上がらず生産力が向上しない。
の2点が思いついた。この2つは十分起こりうる範囲にあると私は思っているし、外国の災害で数ヶ月の欠品なんかも経験がある。
こうした状況に備えてマスクの消費量を抑える政策・手段を考えることは必要なことだろう。
その手段として使い捨てより再利用を考えるのは自然である。(ウレタンマスクを使ったことがあるがあれはダメだ)
また、救急外来などと言ったリスクの高い場所・行為に性能の良い不織布マスクを使い、屋外などのリスクの比較的少ないところは布マスクといった使い分けも考えられるだろう。
不織布マスクの再利用については濡れや圧力で耐久力が大きく低下することを考えると洗浄や滅菌は向かず、紫外線消毒が適していると思うが汚れを取る方法がない。
様々な状況の中での感情・行動、自分の中の極限の悩み、それらは昔の誰かがほぼ同じシチュエーションに遭遇して、とっくに解決したり乗り越えたりしているわけで。でも、また同じ壁に当たってしまう。別の人間が同じ課題に、同時に引っかかって、同時に間違っているかもしれない。
なぜこれが起こってしまうのか。感情・行動、心の動きというもののデータが、質的にも量的にも足りていないからだ。情報が足りない。古くは物語の形で、現在ならSNSの呟きで、データは存在するかもしれないけれども、同じデータ形式で、瞬間的に検索できる形で、再利用しやすい情報としての感情・行動データが整備されていない。
「あなたの悩みは誰かが体験し、誰かが乗り越えている」事実は、自分を励まし、課題解決のヒントとなり、同時に自分の唯一性を揺るがす。その心の揺らぎもデータとして次に活かされるだろう。
コロナで控えていた展示会見学にしばらくぶりに行ったところ、当然ながら環境配慮を打ち出した製品が並んでいた
プラスチック製品のメーカーは竹や木のチップを混ぜたプラ減量製品や、再生プラスチックを採用したプラリサイクル製品を並べてるんだけど、
当たり前なんだけども、どちらも粘りや耐久性といった面で通常のプラスチック製品(しっかりした品質のもの)より劣るのね
再生プラは、捨てられるはずのプラを回収して再利用してるんで強度不足でもいいと思うんだけども、
竹プラや木プラは結局プラ使った上で通常のプラより少しばかり壊れやすくなってて、
使い捨て用品に使用するならまだしも普通に長期間使用する製品に使用して「環境に配慮」と称するのはやっぱり欺瞞だなあと思った
突然思い立ってオナホを買った。TENGA何度か使ったことがあるけど、SDGs、いや、ただの自慰行為にそんな高尚な考えなど何もなく、衝動的な制欲と使い捨てもったいないというセコい思い出再利用可能なオナホを買うことにしたのだ。
ところで普段知らないメーカーのものを買う時はさくらチェッカーを使っている。Amazonのレビューは4.3、さくらチェッカー曰く4.2だそうだ。まあまあ。売れ筋らしいしまあ問題なかろうということで購入してみた。
が、これがなんでこんなに?というくらい気持ちよくない。擦られてる感じはあるんだけど、擦られてるって感じ。TENGAはもっとぬるぬる気持ちいいんだけど、突起がただ通過していく感じ。ローション追加してもただグチャグチャといやらしい音を立てながら気持ちの良くない摩擦感があるだけだ。
なんかパーツでも付け忘れただろうかと思って箱を見ると、星五のレビューをすると商品代金をAmazonギフト券で返品する、つまり実質無料で商品を配って星5レビューをかき集めてるわけだ。どうりでさくらチェッカーにも引っかからないわけだ。
こんなものに金を使ってしまったという後悔と怒り。しかし金返せ!と言えば返してくれるのだ。星5をつけたレビューを書く必要はあるし、さらなる被害者を有無という罪悪感はあるのだけれど。
しかしこの不景気な世の中である。捨てた2000円返して欲しい。だから私は星五のレビューを書いてギフト券をもらうことにする。
そして罪悪感を和らげるために増田で商品名を晒すのだ。レビューも返金されたら消す予定だ。
「オナホ 持ちやすいデザインリアル【非貫通 挿入感体験 男性用 MAX刺激 高弾力オナホール柔らかいシリコン】 名器 おなほリアル肉厚 [アダルト]」
ブランド: JOJOANNA
みんなは買っちゃダメだよ。
ウレタンとか布といった新型コロナウィルス拡散防止の効果が薄いマスクを使っている人が話題に上がったりするけれど、不織布を再利用している人は話題にならないなと。
自分はコロナ以前ほぼマスクを使ったことがなく、コロナ発生後はマスク品薄の流れでずっと洗って再利用していた。
なのでコロナ発生後に使用したマスク枚数は20枚もいっていないと思う。
今では不織布の品薄も解消され、再利用する必要は無いのだけれど、毛羽立ってきたり、ひもが緩んできたり、切れたりしない限り、1度使用するたびに洗って再利用している。
まだ使えるのに1度使用したら捨てるのはもったいないという感覚があり、そういう行動となっている。
もちろん、洗って再利用することでウィルス拡散防止という観点では効果が薄まっていることは認識しつつも、再利用している事が周りに察知されないため、
同じ人もそれなりにいるのではないかと思うけれど、同じような人、いるのかな?
@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。
https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831
ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身の理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分の認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。
まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。
その他の前提:
2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります。
関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドがプログラムのパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビアな場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスやネットワークアクセスのレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッドを無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。
いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体もモジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます。
元記事にもありますが、RPC の派生(実装?)として生まれた Java の CORBA や Microsoft の DCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクト(コンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション間通信の潮流と、計算機資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。
つまり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。
なので、以下のコメントはちょっと論点がずれてると思いました。
はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向で設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わります。オブジェクト指向とはほぼ無関係です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin
なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang
たしかに、アプリケーション単位とアプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います。
ソフトウェアの記述をまとめるという視点では主にステートレスな関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理しやすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルやリソース管理の視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向の粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います。
「オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。
当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまいます(オブジェクト指向の定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェアを組織化すること」なのであれば)。
Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論は収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。
これは私がこれまでに応募した大学教員公募への応募の記録です。実際は学振PDにも応募しているので、応募回数自体はプラス1回ですが公募ではないので割愛しています。現職は5回目の公募で決まったテニュアトラック助教で、公募戦士はつらいのでこれからは特に動くことはないと思います。
そろそろ今年の公募戦線が開幕してくる頃で、こんなことでも書いておけば誰かの役に立つかなと思ったので筆を執ることにしました。(特に応募、面接、内定のタイムラインは応募側としてすごく気になったので)
応募職位:ポスドク
書類締切の23日後に面接の通知、通知の18日後に面接、面接の7日後に内定通知(すべてメール連絡)。D3時に応募したはじめての公募で何もわからなかったことが印象的。今見返すと非常に拙い書類で、よくこれで通ったなというレベル。
特に不満はないポジションだったが、学振PDに通ったので辞退させていただいた。(面接時にその旨は伝達済)
結果:書類落ち
書類締切の28日後に面接に関する連絡(呼ばれるかは未定で面接日は通知の40日後)、この連絡の30日後に不採用通知(すべてメール連絡)。学振PDの任期が迫ってきたので、次のポストということで応募したはじめての公募。これも予算書を切り貼りした応募書類で出来がいいとはあまり言えないものだった。
書類審査の途中に、呼ばれるかはわからない面接日を通知されたのはめずらしかった印象。書類落ちしたのは募集職位の範囲が広く(准教授〜助教)、かつ分野も広かったことが原因かなと思っている。とは言っても書類落ちするとは思っていなかった分結構ショックで、これ以後の公募への向き合い方を変えたという意味ではいい機会だった。
結果:面接落ち
書類締切の59日後に面接の通知、通知の19日後に面接、面接の11日後に不採用通知(不採用通知のみ書面、ほかはメール連絡)。気持ちを入れ替え、かなり気合を入れて準備した公募。応募職位は任期付き講師、テニュア転換もありうるという内容な一方で、実績次第では助教採用もあるという文面で、まぁ助教だろうという心づもりで応募した。
面接で用意していた想定問答がなにひとつ当たらなかったことが印象的で、雑談の延長のような感じだった。志望度の高いポストだったので不採用通知を受け取った時は堪えたといえば堪えた。
結果:面接落ち
書類締切の45日後に面接の通知、通知の25日後に面接、面接の26日後に不採用通知(不採用通知のみ書面、ほかはメール連絡)。これまでは(特にこだわりがあった訳ではないものの)旧帝大しか応募していなかったが、国立大では上位に位置し、専門もジャストで合致、職位もテニュアトラック助教だったので応募。
この大学は面接発表のフォーマット指定がすこし特殊で、これまでの資料を再利用する際に少し戸惑った。発表はうまくいった印象で、募集コースの先生方からの質疑は好意的だった。一方で、その他コースの先生方からの質疑の当たりがキツかったものの、それはそれで真摯に答えられたと思う。手応えとしては受かったんじゃないかという感じだったが、蓋を開けてみると不採用だったのでやはり公募はよくわからない。(最終的に採用された方は分野は同じだけど基礎寄りの研究をされている方で、自分は応用寄りなのでそのあたりのマッチングだったのかもしれない。)
結果:採用
書類締切の4日後に面接の通知、通知の9日後に面接、面接の12日後に内定通知(すべてメール連絡)。こちらも国立大では上位に位置する大学だったので応募(4回目とは別大学)。この公募は委員会制だったためか連絡が非常に早く、結果的に4回目の公募と面接時期がかぶってしまって大変だった。
面接では研究内容とともに、担当予定の授業に関してのバックグラウンドや研究環境についての質問を受けたことが印象的だったが、どちらもある程度想定していた内容だったので無事に答えられたと思う。手応えとしては、当落線ということはなく、本命か当て馬かのどちらかだなという印象で、結果として採用だったので当たっていたということになる。
自分の専門分野については旧帝大クラスに強い大学なので、結果としては満足して公募戦士を終えられた。実際に着任した今も大きな不満なく研究教育活動ができていると思う。
結果:書類落ち
書類締切の49日後に不採用通知(メール連絡)。任期付きだが、専門性が合致しており、研究環境がよいと聞いている大学だったので応募。普通に準備をしたつもりだったがあっさり書類落ちをしたのでびっくりした。といっても5回目の公募に内々定した後だったのでノーダメージではあった。(内々定後、内定するのを待って辞退連絡をするつもりが向こうからお断りされたという流れ)
こちらも最終的に採用されたのは基礎寄りの研究をされている方で、自分は応用寄りの研究をしているのでやはりそのあたりのマッチングの相性があったのかもしれない。
応募回数1桁のしがない経験ですが、結局公募とはマッチングであり、業績や経験はその要素に過ぎないので、自分を責めすぎるのは本当に良くないと感じました。祈られてもへこたれず、地道に応募し続けた人が最後には微笑むのだと思います。公募戦士の方々の健闘を祈っています!