はてなキーワード: 作品とは
「戦争を扱った日本の作品で「敵国の兵士による市民への暴力」について描いているもの」
普通に原爆フィルムの現物のこっとるがなhttps://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53648562
ファットマン・リトルボーイ(日本におちた原爆のアダ名)おとした兵士も最近までのうのうと生きてて悪いことしたなんておもってもなかったんだよ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO90168730V00C15A8000000/
日本人を犠牲者として扱うこともなければ、アメリカ人を悪者扱いするわけでもないというところだ。」
ってあるんだけど、これって『火垂るの墓』に限ったことなのかな?
戦争を扱った日本の作品で「敵国の兵士による市民への暴力」について描いているものって少なくね?
強姦とか略奪とか…。子ども向けの作品だから描けない、ってのもあるかもしれないけど。
そんなに戦争モノ見てるわけじゃないけど、邦画って「戦争は悪」「核は悪」が主題だったり、
日本の軍国主義そのものを批判するような作品がほとんどのように感じる。
谷が強姦で訴えられた後ずっとスルーしているから、もうとっくに切ったのかと思っていた
谷ははるかぜちゃんを舞台の世界に誘い、大きな役をあげ、はるかぜちゃんは谷に紹介され谷が講師をしている短大に進学した
もし谷が勝訴できたらまた役がもらえるから切れないのか
谷は稽古中も頻繁に被害女性の胸を触るなどして、偉い立場だからと被害者がやんわりとしか拒めないでいるうちに強姦にまで発展したと告発されている
舞台の共演者らは嫌がっているのに何度もセクハラされている現場を見ていたのに止められなかった、共犯者のようなものだと悔恨
「ぼくもみました(ω)」か「ぼくはみませんでした(ω)」のどちらのはずだが、どちらとも言わない
被害者の人は顔や名前を出して告発しているのだが、かなりの巨乳であり報道時には一般人に再度ネットでセクハラされる事態に
はるかぜちゃんは谷作品出演時、グラドルの青井春に喧嘩を売り名前で呼ばずに「おっぱいの大きい人」と侮蔑的に呼び続けていた
ずっとDMを開放しない設定だったのに「グラドルに比べてお前は貧乳だよなとDMでセクハラされた!」と嘘をついてグラドルにファンネル飛ばすのに必死だった
あれは単純に、当時「はるかぜ.」という芸名だった青井春と名前被りでムカついていたのもあると思うが、「巨乳」に思うところがあったのでないか
セクハラ被害者ってあまり毅然と拒絶できず、笑顔浮かべながら「やめてくださいよ〜フフ」ってやんわり払いのけることしかできない人がいる
巨乳であるがためにしょっちゅうセクハラされて、でも拒絶しきれない立場の人は、表面しか見えない子供には「偉い人によく構われててズルい、巨乳を武器にしてチヤホヤされてる」と見えたのかもしれない
とても物わかりのいい主人公一派(地球代表)たちが足掛け12巻、銀河文明評議会に一定の評価を得るまでの1stシリーズ、
打ち切りかと思ったらなんか続いてそうな2ndシーズン5巻と無駄に長いシリーズであります。
この作品の何が気持ち悪いかというと、とにかく物分かりがいい主人公たち。
X(旧Twitter)の読み切り漫画の登場人物かの如く明朗な人格は素直でとても好感が持てます。
次世代の地球人類とはかくあるべき! 旧人類と違って内輪揉めなどしません。
彼ら、彼らのうちの1人が最初に疑ったのは「なぜ至高者は地球人類をマインドリセットし、エリルセナント線総軍(銀河文明評議会)に兵士の供給を迫ったか」という根源であり、新人類の純真さには思わずにっこりしてしまいます。
1stシーズンでは宇宙軍士官学校諸君は順調に活躍し、半分破壊された太陽と壊滅してしまった地球の復興費用を稼ぐことができました。
SHOGUNが日本人俳優使って描写の時代考証に凝っているのもポリティカルコレクトネスのおかげという説がどーもX上で蔓延しつつあるけど、ぶっちゃけSHOGUNのマーケティング戦略の一貫じゃないかなあ?
そもそも本物らしさの追求や考証への拘りというのは強烈な宣伝文句になり得るもので、例えばみんな大好きアサシンクリードオデッセイは古代ギリシアの精密な時代考証による描写を売りにして成功したわけじゃん。
SHOGUNがそういう拘りを見せているのも同じく宣伝のためだとか、本物らしさが観客を引き付けて良い作品作りの土台になるからといった理由であって、コレクトネスを意図したわけではないんじゃないかあ。
この前のポップアップショップで火がついて吉住渉の漫画をアプリで一気に読み返してた(コミックも持ってるけど実家にある)
ランダムウォーク以前の作品だと単行本に元々挿入されてた柱スペースのフリートークが現在の作者による一言コメントに差し替えられてたのは知ってたんだけど、ウルトラマニアック3巻14話①の柱スペースにそのことについての説明があって、「『ハンサムな彼女』の時も余白にこういうふうにフリートークを書いていたのですが、今見ると内容が古いし、けっこうしょーもないことも書いてるので(あのころはコミックを読んでくれる人を親しい友達か何かとカンチガイしていて礼儀がなっていませんでした…)とってもらうことにして、代わりに100問100答というインタビューを載せることになりしました。」とのことでなんかざっくばらんで面白かった。
以前の柱スペースも別に意地悪だったり塩対応なわけではなく無邪気に脳直でだべってるかんじなの面白くて私は好きだったけど
あとその柱は
「(ハンサムな彼女は)絵とかめちゃくちゃ下手ですごく恥ずかしいんだけど、今でも私の作品の中で1番好きと言って下さる方も多い、大切な作品です。」で絞められていてよかった。
度々忘れてしまうが、そうか前野智昭はもう既婚者だったんだよな
前野智昭は男にとってはあまり印象に残らない空気声優かもしれないが、女受けが抜群だ
攻めの時には最高にセクシーでかっこよく、受けでの喘ぎは可愛く艶っぽい
顔もちょうどいい
今時の声優はアイドル的なイケメンもいる中で前野智昭は一昔前のホストみたいな髪型で雰囲気イケメンにしようとしているがちょっと足りない顔
顔へのコンプレックスが強く、本人にとって一番のキメ角度でしか撮影を許さず正面顔で写ることがほとんどない
前野智昭よりよっぽどブスなのに気にせず普通にしている声優の方が多い中で前野智昭は奥ゆかしく可愛かった
貧乳がコンプレックスの貧乳女に萌える嗜好ってあるが、露骨にコンプレックスを持っているのがわかるからこそ
「私は前野のことかっこいいと思うよ!」と慰めたい欲求がわいてより支持されていたところがあると思う
杉田智和と一緒にラジオに出演した際に、リスナーからのお悩み相談で、10代学生が「カレにセックスを求められるが怖いのでまだしたくない、そんな女子は嫌われますか?」と相談した
杉田は「したくない相手となんで付き合ってるんだよ、告白断れよ」と答えた
前野智昭は「本当に好きな子なら俺は怖くなくなるまで待つよ」と答えた
こういうところが女受けする
彼女の出演したゲーム『テイルズオブゼスティリア』は、当初は茅野愛衣をヒロインとして広報していたが、実は茅野は途中で離脱するキャラで真のヒロインは小松未可子という流れのせいだった
テイルズシリーズでは「仲間が途中で死んで永久離脱」や「仲間が実は敵で、一部のルート以外では永久離脱。そいつ全く同じスキルを持つ別キャラが概ねそいつの代わりになる」というサプライズが過去作にもあった
そういったプレイヤーを驚かせる一環だったと思われるが、ネット全盛の現代では大炎上し、小松未可子は「ゲームのディレクターと枕してる」など憶測で中傷され、全く関係ない作品に出演してもテイルズのネタを引き合いに出され叩かれた
小松未可子の知人や業界関係者だと自称する匿名の人たちが大量に現れ、内情を明かすというポーズで小松未可子はビッチだというネタを垂れ流しにした
ところが突然小松未可子は前野智昭と結婚発表し、自称事情通たちは誰一人として二人の関係をリークできず、それまでの叩きの信憑性が一気に消え失せて(元から根拠はなかったが)、小松未可子フルボッコムードは消えていった
ネットの有象無象の叩きなど声優はそれほど気にしていないかもしれないが、ネットリンチしている連中を一気に蹴散らした前野智昭はますますかっこよかった
すげー昔、ラノベって言葉がなかったころのラノベ(たぶん女性向け)で、
「少女(処女)んときサビた刀を挿入して悪霊を身に降ろし強力な霊力を得た巫女が主人公」てのがあったけど、正直ぞっとしたわ
まずこの時代にちゃんと『時代劇ってこんなんじゃねえから!』ってアメ公達にビンタ出来たのがえらいよ。
日本の海外好きどころか、日本の若者ですら「サムラァイブシドゥー」レベルで終わってんのに、ちゃんと『だからぁ!そんなトンチキしないの!』ってやってくれてんのは良い。
SHOGUNが賞されてるような時期にトンチキ源平物アニメが評価されてんのも良い。
それぐらい日本の大衆は戦国にも江戸にも武士道にも魅力を感じてないし、だから半端知識で半端武士と半端忍者を作品内で出して漸く『あれー?意外とコイツら描写すんのめんどせーぞー?』ってなる。
そりゃ日本史の授業ですらちゃんとわかってねえのが大半なんだからその中のややこしい細かくて鬱陶しい制度や掟なんて覚えられるはずもない。
というかそんな現代人から遠く離れたファンタジーめいたものを覚えるのなら現代の法律を覚えておいた方が百倍は得なんだよな。
それを必死に守り通しても観光客すら傲慢に雑多に破壊してジャパニーズを体感して帰るだけ、挙句に現代式の配慮に塗り替えてくれる?と言わんばかりに組み替える。
誰もジャパニーズプライドありがとうなんて言わない。日本人自身がそう言わない。死んだ特攻隊のことを話す時だけ武士を思い出して泣く、白虎隊のことで泣くような現代人はいない。泣くような要素があるのかは知らん。
真田がやったのはそういう『オマエ!コンナglobalナstageデlittle asianガチョウシコイテンjust bring it!』って状況で『こんな!こんな描写を許してたまるかァ!俺はやるぞ俺はやるぞ俺はやるぞ!』ってやり通したからヤバくて凄い
そう、日本人は凄くないんです。
時代劇大好きサナディーが時代劇を語り継いで演じてきた人達に対してウルトラリスペクトがあるだけで、欧米が評価したのはSANADAのブシドゥー絶対表現するぞマインドなんです。
そりゃ日本人の成果ではないよ、日本人はnarutoやら逃げ上手のスケベショタやらなろう系サムライブレード(ドワーフも惚れ惚れ多重層カタナ)やらしか提供出来ないんだから。
ハラキリを納得させたのは真田だよ、雨の中に墨混ぜて雨を濃くしたのはクロサワ。
ジャパニーズ江戸っ子ヤクザブルーを表現したのはTakeshi'sだし、ジャパニーズの最大ヒットはNINE SAKAMOTOのスキヤキだもん。
真田の信念がやべぇし、ただちゃんと日本人すげえを評したいなら、なろう系でいっぱいアニメ化出来てるジャパニーズオタクmakesファンタジーすごいなんだよ。
頑張ってNetflixとかで日本のドラマとか海外に出してるけど、それがどこまでウケてるかなんて知らん。
サンクチュアリだの、悪役女王だの、本当に届いてるのか?イカゲームの方が届いてないか?アイリッシュマンの方が届いてる?こりゃまた失礼しました。
だから、クリエイターがちゃんと信念を乗っけて作品を作って、それがちゃんと大衆にウケたってのはすげえんだよね。
単なる日本人は単に日本人なだけなので、しかもそれに対して『武士が〜』とか『忍者が〜』とか『ヤクザが〜』とか言っても近所の神社の逸話すら語れねえし、風俗の場所すら知らねえのが大概なので日本人はすごくない。
君達がちゃんと『いや俺ん家の近くの神社マジこんな神祀ってて〜』だの『この場所昔は軍の基地があって〜』だの『この古臭い建物実は代々続く武家の〜』とか言えるんだったら誰かのサブカルに近付けるからありがとうって感じ、リスペクトって感じ。
誰かのサブカルがちゃんと面白い作品に届いたならやっとそこで、あ、この人すごいね!ってなる。
生きてるだけで凄いと言われるのが煽りでしかないように、日本人でいるだけで凄いは単なるズルを称賛されてる気持ち悪い状況でしかない。
数年前に旅行先で偶然見かけた建築系学生のコンクールかねた展示会。
強風で目の前で作品が倒れて、親子連れに当たった。お母さんにかすっただけで大怪我はしなかったけど、運が良かっただけで危なかった。
あれどうなったんだろうと後で調べたら、なんか最終的に賞取ってたんで唖然とした。
観客に中に入ってもらう、くぐってもらうって作品が、固定が甘くて倒れて実際人に当たってるのに受賞するんだと。
事故ってもそれは減点にはならないんだねえ。
人の命と斬新さと天秤にかけて斬新さを取っちゃう業界なのかな。石が落ちてもなんかの賞取っちゃうんじゃないのかね。
石の休憩所みると、あの時倒れた赤い木組みの作品を思い出す。
こっちは作品の世界観についての話と考察がしたいのに、「増田さんはどのカプ推しですか?私は◯◯×□□です」とか認識違いも甚だしい発言をしてくる女オタクが多すぎる
何がカプ萌えだよ
だいたい男同士が絡み合ってるの見て何が楽しいのか
個人的にはどっちもどっちというか、新海誠の作家性を踏まえれば、君の名は。の方が確実にレア度高いと感じる。
君の名は。の、あのいかにも光属性な作風、若い頃はもし陰キャのオリンピックがあったら日本代表を争えるレベルだった自分からしたら、見る前から身の毛もよだつ恐怖感みたいのがあった。
それでも食わず嫌いは良くないと思い、頑張って鑑賞したけど、2人が入れ替わってどうこうな部分は正直「はよ終われや」というくらい苦痛だった件。
しかしながら中盤以降の、清廉としか言いようのない筋書きや画作りには、正直凄いと思ったわ。
何よりセカイ系という、ポストエヴァ的な立ち位置から出発し、悪い意味で私小説臭い作品で鳴らしてた、あの新海誠がこんなものを出してくるなんて、麻雀で九蓮宝燈か四槓子が出るレベルの奇跡的作品だろっていう。
でも「入れ替わってるー!?」のくだりはどうにもダメ。理屈じゃなく生理的に受け付けない。
なのでもう一回観るとしても序盤はスキップすると思う。凄い大事な部分なのはめっちゃ分かるけど。
それに比べると、天気の子を見て「オレたちの新海誠が戻って来た!」と喜ぶファンが続出したのはすげー分かる。
でもさあ、あの、観る人が観れば「まんまエロゲじゃねえか!」という内容を今更出す?なんかもう苦笑いというか、実際笑いを噛み殺しながら観ちゃったよ。
予備校勤務の立場から、「英文学科で後悔しない視点」をまとめた。
関東圏限定で、多少厳しめに書いたが、これらをクリアすれば楽しい学生ライフが待ってると思う。
多くの英文学科が、TOEIC受験を必須にしたり、観光•メディアも学べるコースを配置して、受験生の親に「就活に対応しています」PRしている。
しかし、注意して欲しいのが、英文学科の学びの中核は、「イギリスやアメリカの文化を学ぶこと」であって、TOEICが対象としているビジネス英会話も、オーストラリアやシンガポール、カナダと言った国々の文化も中心ではないことだ。
• メディアや観光業界に惹かれるなら、それらの要素が強い学科も検討しよう。専門にする国を時間をかけて選びたいなら、国際系学部もあわせて検討しよう。
英文学を専攻するにあたり、演劇や映画の授業はついて回る。演劇や映画専攻ではない、文学部での演劇や映画の学びは独特であることを理解しよう。
演劇や映画専攻の場合、実際の創作や演技がカリキュラムに組み込まれており、他の大学生と協働して作品を作り上げる。それぞれの嗜好や制約の中でロジカルに考え、ベストを尽くす経験は、色々な業界に行っても役に立つ社会人基礎力が得れる。しかし、英文学科の場合、学ぶのは一人で行う批評であり、これが得意なタイプの人もいる。
•高校生のうちに、シェイクスピア演劇を複数回観て、観客か、提供者側のどちらが向いてるかを考えよう。関東の場合、さいたま芸術劇場(今度やる真夏の夜の夢は18歳以下無料!)神奈川芸術劇場(今度やるリア王は高校生以下1000円!)シェイクスピアカンパニーなどが公演をやっている。観劇前に無料のミニレクチャーがあったり、劇場の裏側見学ツアーもセットになってるのも楽しい。
•アニメやゲームに関心がある場合、作品づくりという点で演劇や映画専攻のほうが興味に近い場合もある。
これは持論で恐縮だが、文学部の学びは、キャンパスの立地が重要だと考えている。
理想は京都洛内のような、面積あたりの知識人や職人の割合が多く、学生に優しい街だ。
東京の場合、ふらっと行ける帰り道に、映画館や劇場があることや、寝床が近いことが重要なのではないかと思う。文学部の学びは、偶然の作品との出会いや、夜通し学友と語り明かしたりすることを通して洗練化されるので、通学時間が長かったり、郊外で生活が完結してしまうのは少し難しいと思う。
•これは少しズレるが、大学の四年間、「週五日、オンライン英会話教室を続け、年に6回、演劇を観にいく」と仮定してみよう。それを差し引いて学びたいことがありそうかを、志望学科の教員の専門から探してみよう。
•大学の教員と楽しく話せそうな目処があることが、中退や留年を防ぎ、大学生活を楽しむ上で特に重要だと思う。
黒人扱いじゃねーよ。黒人の表象はマシになったのにアジア系がずっと良い加減に扱われてて、アカデミー賞でも問題になったりしていた。そんな中、一部のアジア系映画関係者が頑張ってまともな描写、まともな出演者を実現したんだ。もちろん言うまでもなくこれは「ポリコレ」の話だ。でも、これは黒人の話ではなくアジア系の話であること、受賞以前に制作環境を改善する努力があったことを無視するな。「ポリコレ」は可哀想な弱者におこぼれを与える思想ではなく、放っておくとマジョリティが勝手に偏見で語ったり成果を横取りしたりする中で、それに抵抗してマイノリティのまともな作品を作るための運動だ。