はてなキーワード: きな子とは
「オタク」という呼称は70年代生まれと言われるけど、それ以前からもオタクに類する人はいたはずだ。
マニアとかフリークスと言った単語も、「躁状態」「中毒者」といった「病気」と見なすニュアンスがある。
しかし時代をさらに遡ると、創作物にハマったり道具を集めたりというのは金持ちの道楽ということになり、富の証とされていたのではないかとも伺える。
数寄者や好事家というような言葉は、どちらかといえばそのような意味で、茶道のようなハイカルチャーの愛好家や、学者といったようなニュアンスのようだ。
それに対して「オタク」という言葉が指すのは「大衆文化の熱狂的消費者」であり、「オタク差別」も大衆文化が花開いた以降の時代の産物と言えるだろう。
そして、「オタク差別」は度を過ぎた趣味人を揶揄するようなものではなく、「趣味のジャンルそのもの」に貴賤をつけるものであると定義できる。
その意味で、調べると明治の頃に郷土玩具を集めるブームがあり、その収集家は大きな子供という意味で「大供」と揶揄されたらしい。
更にさかのぼって江戸時代ならば、水野忠邦による「天保の改革」。あれはオタク差別の走りではないか。
目的は倹約による物価の引き下げだが、たとえば寄席では滑稽噺を禁止して教訓性の高いものだけ残すというような娯楽の峻別が行われており、
アニメ(テレビ・動画配信ファン)が引きこもりや社会的に孤立している割合・実数と、アニメ好きが社会的に活動している割合・実数がそうかわらないなら相関性ないのでは?
少なくとも、アニメファンが働いていたり結婚していたりすることは事実でしょう。
新聞好きな子どもなぞ居ないというのと、アニメと孤独の相関性はあるというのも、完全に思い込みでしょ。
(それはこっちもそうだけど)
とりあえずオウム返しに言葉を返しておけばいいと思ってる安易性、幼稚だと思うよ。
追記:
あと「ドラマバラエティは現実の人間が絡んでいる場面が映されるという点がアニメより孤立との相性が悪かろうな」
あらゆる虚構は人間が作ってるし、人間の俳優が演技しているにしろ、絵が演技しているにしろ虚構にすぎないだろ。
虚構の深度はあるが、虚構を作ってるのは現実の人間なんだよ。なにをもって「孤立との相性が悪い」と言えるのか。
ドラマだけを見て家から出ない人間がいると言える? 本当に想像力ないし自分の偏見だけ言ってるに過ぎないな。ハート強すぎだろ。
30代男性です。
ネトゲで一緒に遊んでる女の子に好きって言って2年半くっついてました。
一昨年は「付き合って」って言って告白したけど振られて、
でもしばらくしたらまた一緒に遊んでくれて、
去年は「LINEかツイッター教えて」とか「いつか一緒に食事にでも行こう」とか言ってたら距離おかれて、
でもしばらくしたらまた振られて、また遊んでくれて、
プライベートに干渉しないことや、束縛しないこと等を条件にまた一緒に遊んでました。
今年春頃に、僕の束縛感がまた強く感じた事、僕がチムメンに愚痴を言ってた事や誤解など、チーム内の揉め事やら色々絡み合って、
その子は突然ログインしなくなりました。引退したよって聞きました。
僕は今でも、自分の事がイヤだったから辞めたのか、チームの揉め事のせいで辞めたのか、両方なのかなとは思ってるのですが、
最終的には、ただ一緒に(できれば二人きりでですが)話したり、遊んだりしたいだけになってて、ソレ以上多くは無理に望まないでも満足して生きていました。
たかがインターネット上の名前も知らないし顔も知らない関係ではありましたが、
自分の中では、彼女や嫁子供の必要性が幸せの全てではないなと思いました。
好きな子と一緒に話したり遊んだりがずっと続けられるのならそれはそれで充分かなと思います。ずっと続くのが大変なんですけどね。
私の推しが出る舞台の千秋楽で、ウォークマンを鳴らした友人が許せなくてもやもやしている。
もともと私よりもずっと舞台に通っている子で、観劇マナーとかにもうるさい。
前にも自分が行った舞台でiPod鳴らした客のことをありえない、最悪、携帯電話ではなくても電子機器なんだからどうして電源を事前に切らないのかと怒っていた。
まさか私の一番好きな子が出る舞台の千秋楽でまったく同じことを隣でされるとは思わなかった。
冒頭5分くらい大音量ではないけど小さな音が鳴り続けていて、全然舞台に集中できなくて、
この音誰だろう、舞台にまで聞こえていたらどうしようと変な動悸までする状態だったのに、
隣で友人がごそごそ鞄あさった後音が止まったときは思わずそっちを見た。ありえない。ほんとにありえない。
今回の舞台が自分にとってどれくらい大切かって話もしていたし、知っているはずなのに、
一番重要な千秋楽の冒頭集中できなかったことが悔しくてたまらない。
終演後謝ってたけどなんでよりによって、って感想しか出てこなくてずっともやもやしてる。
悪意がなかったのはわかってるけど、自分もありえないし最悪じゃん、と思ってしまってそんな自分も嫌だ。
Twitetrでは繋がってるし、誰にもいえないから吐き出し。なんでそういうことするかな…
クライアントが蒸発して入金されていなくても、好きな子に好きな人が居たとしても最近すごい人生が楽しい。
ずっと社会から逃げて部屋に引き込もっていて今月から社会復帰したんだけど、何が起きても「生きてる」って実感が持てて幸せだ。
ずっと出来事に対してテレビの向こう側のような気持ちでここ数年間生きていたけど、今最高に自分の人生を歩んでいるって感じがする。
少しでも好きな子に振り向いてもらえるように、髪型を気にして服装も多少マシになった。
好きな子とのデートの練習の為に、普段断って行かないカフェに行って会話の練習をした。
でも純粋に友達と過ごしたその時間もいつもより鮮明に感じて楽しい。
東京に来て3年がたった
婚約予定の子に恋をしたり、好きな子ができて告白するも相手にしてもらえず、
セフレができるも、途中で切られ
みたいなことを繰り返していると2年もたってしまった。
いい恋愛をできない。
FacebookやInstagramでは毎週のように友人が結婚式を挙げている。
キャリアップ、起業して稼ぐみたいな価値観とは別の価値観でパートナーを見つけられれば、「幸せ」なのかなと思うがよく分からない。
課題を分解して、それに打ち手を打っていくみたいな話でもないと思う。だいたいほとどがコントロール出来ないことで、なんか色々と難しい。
何を書きたいのか不明
私は性格はとてもネガティブ。頭も顔もスタイルは中の中といったところだ、決して美人ではないがブスでもない。キツめな顔立ちだがそれなりに告白もされたし結婚を申し込まれたこともある。ごくごく平凡だ。そしてとても親不孝者だ。
父は既に他界した。
記憶にある限り父は働き通しの人だった。成人式で一般的な家庭では記念に家族写真を撮るだろう、我が家でもそうだった。しかし私は写真を撮るときに笑顔が作ることが出来ない。どうしてかいつからかは分からない。自分が醜いと心の底から理解したときなのだろうか。他人からの世辞も鳥肌が立つし告白の言葉も友達の言葉もどうせ嘘だろうと受け止められない、そういう捻くれた心のせいなのか自分の笑顔に吐き気を感じる。当然のように「ハイ、笑って」と言われる写真は心底苦手なものだ。振袖を着て、ドレスアップした家族と写真館に連れて行かれたとき私は笑顔を浮かべることがどうしてもどうしても出来なかった。頬が引き攣り動悸が激しくなり涙が溢れた。一生に一度の記念写真を撮ることすらままならない。写真館のスタッフも家族も困惑したことだろう。写真が嫌いなことを知っている母でさえそれ程とは思っていなかったのだろう、自分まで涙を浮かべていた。本当に申し訳ない。どうして笑えないのか、どうしてそんなことも出来ないのか。そんな当たり前のことも出来ない自分に情けなさと悔しさと悲しさと全てで苦しかった。結局安くない代金を支払い、記念となるはずだったそのアルバムを家族の誰も受け取りに行っていない。もし私が普通の子たちのようにカメラの普通に笑うことさえ出来れば普通に撮影を終えることが出来ていたのなら、仕事ばかりであまり写真のない父の遺影になっていたかもしれない。遺影写真を母と探したときにひっそりと申し訳なさで涙が出た。仲が良い家族とは言えなかったが大きくなってからの家族写真は本当に一枚もない。
親の兄弟含めても私が初孫だった。だから一番に甘やかされさぞ可愛がられたことだろう。姑に少しいびられていた母から私がどんなに祖父祖母から甘やかされ放題だったかという話を思い出話とセットで昔よく聞いた。みんな私の結婚式に出たいと孫の顔がみてみたいと言っていた免許を取ったらドライブに連れていって欲しいと言っていた。私が心配だと言っていた。最後を看取ることは出来たがみんな意識が戻らぬ状態のまま亡くなったので誰とも最期に言葉を交わすことはなかった、父とも。もし言葉を掛ける時間があったとして、私に何か声を掛けることが出来ただろうか。父の遺品整理のときに常に持っていた財布から私が子供の頃に書いた手紙を見つけた。頭が痛くなるほど泣いた。なんて親不孝者なんだろう。
母はまだ元気に笑っているが私は彼女に申し訳ない気持ちしかない。
彼女は賢くはないが明るくよく笑い周囲に気を使うことが出来る。カウンターで隣り合わせになった相手ともすぐに打ち解けられ店員とも友達になるようなタイプ。そんな彼女は子供が大好きだ、だから彼女自身も早くに結婚して子供を産んだ。私にも学生の頃から貴女の子供が出来たら可愛いよ子供が出来たらいつでも面倒見るからねとあれがしたいこれがしたいと話をされ、同級生の誰ちゃんが赤ちゃん産んだみたい抱っこさせてもらった可愛かったよと笑顔で話をされる度に私は子供好きじゃないからと嫌々と返していた。申し訳ないが本当に苦手なのだ、小?中?学時代の子供の頃から既に例え結婚したとしても子供は産まないだろうとずっと思っていた。私は自分自身が大嫌いだから自分の子供も愛せないだろうとその事実に子供の頃から気が付いていた。しかし成人をとうに過ぎ三十路を迎え婚活の必要性を友人に説かれたとき、ふと自分が好きなところを見つけて結婚に至れる相手の子ならば愛せるかもしれないと思った。母が大好きな子供を、初孫を抱かせてあげえることも出来ると思った。それが唯一出来る親孝行のような気がしたのだ。結果として婚活は中断しているが、きっとこの先も独身のまま天災に巻き込まれるかどこかで孤独死するのだろう。結婚相談所に入会することを母が気付いたとき彼女は喜んでいた、退会を伝え孫はもう無理だろう諦めてほしいと伝え面と向かって謝罪したとき彼女は泣いていた。ある日、母の友人に孫が産まれたという話を聞いていると「もし私に子供出来てももう丸一日面倒見てあげることは出来ないね、私も取ったんだなぁ」と言われた。前は孫とどうしたいと理想を話してくれた、近年はその度に申し訳ない気持ちでごめんねと返していたが段々とそのやり取りもなくなってきた。きっと自分が娘を産んだ時から私のウエディングドレス姿や孫を抱く日のことをそれはそれは楽しみにしていたんだろう。それすら叶えることが出来ない不出来な娘で親不孝者で本当に申し訳ないという気持ちで苦しくて、突然涙がこみ上げる夜がある。
SNSを眺めていると頭がおかしくなりそうになることがある。鳥肌が立ち吐き気に襲われることがある。
どう見ても可愛いと思えない子の自撮りした笑顔が流れてくることがある。どうしてそんな笑顔で写真に写ることが出来るんだろう。その写真を見て気持ち悪いと思われるとは思わないのかその顔が周りを不快に不愉快にさせるとは考えないのか。もし私がその顔に生まれていたら即整形している。その姿でどうして幸せそうなのだろう。わからない。
どう見ても可愛いと思えない子が母になり子供との笑顔が流れてくることがある。性格が良かったんだろう料理が上手かったんだろうもしかしたらその顔が好みだったのかもしれない。そうだろう理由なんてそれぞれに山とあるのだろう。どうして私にはそれすら叶えることが出来ないのだろう。どうしてどうして。マウンティングという言葉を聞いたときなるほどなと感じるが私のそれはもっと根本的で病的なものだ。あの子が不細工だからというところに強調がつくのではなく、そこに劣るほど自分が駄目な人間であるというところに強調をつける。私はどうしようもなく醜く駄目な人間なのだ。
明るく社交性が飛びぬけている母とは違い不器用な人だった父。
私たち家族は仲の良い家族ではなかった。みんな帰宅してもそれぞれの部屋に籠るような生活になっていたし父が死ぬ前数年間は言葉も交わすことも少なくなっていた。父が倒れる前の晩、最後に声を掛けられた私が返した言葉は「なんでもない」だ。本当にどうしようもない。それでも血縁者であり家族であることに変わりない。父に似ているとよく言われたことが多くある。どこでこうなったのかわからない、不器用な人だった父もきっと生きるのは大変だっただろう。それでも一般的に恋愛結婚し仕事を貫いた点で彼は私と比べるまでもなくまともな人間であったのだろう。もし私が母に似て愛嬌たっぷりになっていたのなら人生は違っていたのだろうか。私には愛想笑いすらとても難しい。笑顔での接客対応ですら必死で仕事終わりには顔が痙攣することもある。いつも笑顔の母とは似ても似つかない。
両親の兄弟を思い返しても血縁を切ったような相手しか浮かばない。もしかせずとも我が家の家系はここで途切れるのだろう。かもしれないと別の可能性を見出すことすら出来ない。私が母と出掛けねば手入れされていないお墓を想像がつく。祖父祖母に申し訳ないと思っていた、両親に申し訳ないと思っていた。ほんとはそれだけではなくもっともっと多くの人に申し訳が立たないんだろう。私はどこまでも親不孝者なのだ。
先日母に頼まれて年金保険というものに加入したが受け取る日はこないだろう。痴呆が始まるようになった日には自殺しようと心に決めている。吐き気がするほどネガティブな私にもいまが幸せだと思う瞬間はあった、それを忘れてしまうくらいなら自分で幕をひく。家系的にそう長生きするタイプではないから平均寿命もいかないだろう、きっとあと40年もない。30年程とすればゴールまで折り返しだ。憎まれっ子世にはばかる渋柿の長持ち論で性格の悪さから長生きする可能性もあるが、それを上回るメンタルの弱さで心から蝕まれているのでことわざ効果は大いに打ち消してくれていることだろう。人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないという言葉を聞いたときほんの少しだけ心にある澱みが軽くなったような気がした、そのまま日々ゆるりと死に向かっている。最近体調がすぐれないこともあるが無性に眠い。抗えない虚脱感と眠気に襲われるときこのまま死ぬのだと毎度感じる。いつの日か本当にそのまま死ぬのだろう。何を産み残すこともなく継がせることもなく。誰に何を返すことも出来ず。本当にごめんなさい。
どこかに書きなぐりたくなった。
俺はちょっと疲れてきた
多分燃えてる人やデレステからの投票でワクワクしてる人もいるかもしれんが
俺が始めたのは第2回の蘭子ちゃんの時でそもそも総選挙で盛り上がってたり色々と騒いでたところもあって気になったから始めた
そこからはちょうど時期が良かったと思う。モバマスで新キャラがたくさん追加されてったし3rdアニバーサリーの時期には新田ちゃんにときめいたりと色々と経験したんだけどね。
それはともかく。
総選挙期間が1ヶ月になった初回の第五回は、SNSでキャラの色んなことを知れて面白かったよ。P活動でキャラクターwikiとか作ってることも知ったし。
ただ、6回目が終わったところで。
これまでもそうだとしたら俺が気がつかなかっただけなんだと思うけど。
SNSのツイート集計する人、wikiを作る人、担当の「マーケティング」あるいは「プロデュース」を続ける人。
別に好きにやればいいとは思うんだけど。
そこに参加できない時点で俺はPじゃないのかなあ、と、すり減り始めてることに気がついた。
(ただデレステでイベント限定スカウトチケット集めてたり、モバマスで上位報酬取り続けてたり双方ガチャ引いたりと、シンデレラガールズが嫌になったわけじゃないんだろうが)
でもこんな俺でも「プロデューサーさん」として扱ってくれたり、あなたのことが好きな子はこの子です!ってバレンタインに驚かせてくれたり、そういうところ好き。
というかゲーム自体をプレイしてお金払ってるから別に何もおかしいところはないよな俺…。
総選挙時期だからってなんで自分の存在に疑問を持たないとならないんだ…?
20180510追記
あと読んでくれた人ありがとう遅くなったけど
総選挙中は結局票集めはモバ・ステ共に完走したけどデレステのチケットつきは買わなかったな…担当来なかったから
それでもやっぱり
数年前に比べると他の子のことを知ることができて楽しいって気持ちより、その担当がなにを考えているのかばかり気にしてしまう
でもスターライトステージから入った人が他の子のことをもっと知りたいと思える仕組み…でれぽのようなものが途中やっと出て来たのは嬉しかったよ
うん
俺は自分の担当と自分の世界だけを守ることを考えて課金していくよこれからは
ジャニーズJr.を「担当」と呼ぶのに少しためらいがあったため
避けていたのであるが、昔から好きだったあるJr.の子に落ちてしまったのだ・
いつも現場にいたあの子に突然恋に落ちたのは今でもジャニヲタ七不思議である。
まあ、私は結構担降りをしている部類かとおもうがその話は置いておこう。
私は最近ジャニーズJr.に降りてきたが、ずっとたくさんのJr.がつくような
グループを担当してきたのでジャニーズJr.についても結構理解をしている方であり、
おそらく必然的にジャニーズJr.に降りてきた人間であることだけは前置きにしてこの
彼の「担当」を名乗っているために印象を悪くしたくないので今回は
友人たちには気持ち悪いといわれるレベルでジャニーズに関しては絶対的なものになっている。
そして、私にとって【ジャニーズ】は圧倒的な【偶像】であることが好きなのである。
きらきらのステージ衣装を身にまとい、歌って踊る彼らが大好きなのだ。
彼らの近況なんて聞きたくないのだ。
わたしは今回の記事を書いた要因の一つが最近のネット事業の拡大にある。
正直いって気持ち悪いのだ。
ずっとずっと大好きだった元担はフライデーで彼女とのプラ写が流出した。
それが引き金で担降りへと進んだくらい。
当時の私はこれが原因で一週間寝込んだくらいだ。
これは本当に私だけの感覚でほかのジャニーズが好きな人たちは違うと思う。
だから別に私の中でTVでに引っ張りだこな状況が「売れている」とおもったコトはない。
わたしが今まで【担当】をしていた人たちはみんな舞台が映える人たちだった。
俗にいう舞台班だった。一年の半分以上は劇場に立っている人だった。
あのきらびやかな衣装はアイドルしか着れない。その人が衣装に負けないくらいの
輝きを持っていないと負けてしまうのに、彼らは難なく着こなすのだ。
だから私はステージ衣装を身にまとって13月を探している彼らを好きでいたいのだ。
そんな私がジャニーズJr.に降りたのは必然だったんだとおもうのだが、
もちろん私が大好きなJr.の子にはデビューをしてほしいし、有名になってほしい。
でも舞台に立つ機会が少なくなってしまうのでは・・・と思うことも多い。
ユニット乱列時代のなか、わたしの好きな子は最初の方からユニットに所属していた。
だからいる公演を知ることは容易だったし、メインを張ってクリエにも立っている。
年の半分は舞台に立っていて、学業との両立は難しそうだと思うが
彼はジャニーズでいることに誇りを持ってくれているような発言も多いのだ。
だから安心して好きでいられる。舞台の上にいる彼がいる場所がセンターだ。
そんななか、ジャニーズJr.が某動画サイトに公式チャンネルができた。
発表されたのが繁忙期もいいとこの3月の月曜だった。
本当に失望した。わたしの中で気持ち悪い。そう思ってしまった。
みんなはうれしがっていた。知ってもらえる。いいコトだ。
でもわたしはそうは思えなかった。
でもまあ、私が気を付ければいいとおもってやり過ごした。
わたしは彼らのコトを「無料」で「観られる」ことが本当に許せなかった。
彼らはそのくらいの実力を持っているし、安く売ってほしくなかった。
彼らの舞台に興味を持ってくれるのか。
無料で見たものから突然12000円はらって3時間の舞台を見るのか。
本当に本当に怒りを収めたい。
少しずつ彼らの成長を見てなんとかしていきたいかな。
きっと来月とかには「更新たのしみ☆というコトになってるかもしれないし、
もしかしたらジャニヲタをやめるくらいいやになるかもしれない。
4月に入ってもなお、このジャニーズJr.の公式チャンネルへの
本当にこんな汚い感情を垂れ流した。
なんか飲み会が悪者にされてるんだけどさ、会社で退職者が出たのね。
うちは小規模多店舗展開の会社なので、大きいオフィスにたくさんの人がいるような会社じゃないんですけどね、近くのお店の子が辞めるんです。
お酒というか飲み会が好きな子でね、その子の所属店舗では歓送迎会等の飲み会の幹事は全てその子がやってたのね。誰もが飲み会大好きなことを知ってる子ですよ。
ところがね、その子がやめるのにそのお店では送別会しないんですって。かわいそうに。
うちの店にちょくちょくヘルプに来てもらってたんで、うちで送別会することにしましたよ。
飲み会が悪者にされててさ、仕事じゃないのにとかの意見もあるけどさ、人間関係って仕事だけじゃないじゃない?せっかく知り合った人はさ、大事にしたいじゃん。仕事の縁が切れてもこの先の人生でまた交わることもあるかもしれないじゃん。
毎週飲みに行かされるとかはダメだと思うけど、歓送迎会ってのは人として大事だと思うけどな。
ランチでいいじゃんとかいう人はさ、わざわざ休みの日にやんのか?その方が拘束キツイじゃん。
仕事の日にリラックスしてランチ会できるような暇な仕事ってあるの?
飲み会である必要がないとかいう人はさ、仕事終わりの時間に居酒屋以外にどこで大人数でお話しすんのよ。
酒が嫌なら飲まなきゃいいよ。酒を飲むのを強制されてるんならかわいそうだな。それは行かなくてもいいや。
あぁ、そうか。オマイら酒飲むの強要されてる?そこの前提が違うのかもな。もし、そうならかわいそうだ。
美味しいお店で飲みたい人は飲んで、お酒ダメな人はソフトドリンクでみんなでお話しするのはたまには良いと思うんだけどね。
それも嫌だと人付き合いなんてできなくない?
長いから三行でまとめて
と言いたいとこだが
・総選挙関連以外でボイス付きになる事例が増えてきたからもう無理しないでいっか
・金で票買わせろ叫ばせろ
こんなとこか
あとボイスオーディションももう何年も前の話だろうしそれからデレステも出たしグッズも声有無に限らず増えたから今時あれ引きずってる方がどうかしてるがな
(アニメやデレステから入った人は声無し全無視なのが当たり前って主張するんならお前の中ではそうなんだろう)
大体声つけたい子が誰のなのか言いもしない癖に長々と説明するようなこと書かれてもただの愉快犯だろ
この後Twitterか5chにでもロンダリングして総選挙潰しでも仕掛けるのか?
もしくは嫌いなキャラでも暴露すればそのキャラのPへの嫌がらせになるし
目的なんてそんなもんだろ