はてなキーワード: 真意とは
その日は仕事終わりに旧友と新宿で会う約束をしていた。旧友に会うのは久しぶりで千葉から都内に向かう彼女を待たせまい絶対に定時であがると、前日から”Hi”だか”Hello”からだかはじまる、アメリカ人のメールを日付が変わる日まで返信していた。結局、別件で上司につかまり仕事は終わらず、約束の時間は1時間過ぎ去り旧友に謝罪LINEをいれ、それでも普段の就業時間を考えれば相当早い時間に仕事を終えた。新宿に到着すると、可憐な若草色のワンピースを来た彼女がルミネエストに待っていた。遅れてごめんねと謝る私に気にしないでと彼女はいい、こう言い放った。
なにそれ。容姿は整っているが放たれる言葉はずいぶん物騒だ。話を聞けば最近流行りのお清めスプレー。効果があるとかないとか、最近アルファベットのアイコンに変わったSNSでよく見かけていた気がする。いわく、職場で看護師をしている彼女は、上司や患者に腹が立つため、気休めにでもそれを買いたいのだという。ルミネエストからルミネ1に移動し、キラキラしているコスメショップの中に、それはあった。私が思い浮かべていたお清めスプレーだけでなく、他にもいろいろ種類があるらしい。縁切りとか、氣とか、恋とか。恋人のいる彼女は恋以外の3種類を買っていた。外回りの仕事をしている私はその日足が限界を迎え、時間も時間だったのもあり、カフェに入った。
上司がむかつく、患者がむかつく、最近歳を感じる、結婚の話。20代半ばの女が集まれば愚痴か悪口だ、どんなに綺麗事を言ってもこれが現実。でも時には毒を吐かなきゃやってられない。
「彼氏さんとはどう?結婚しないの?私分からないんだよね、最初から結婚前提で付き合ってたから結婚を機に別れる人がいるの」
プロポーズされたことは慎重に話さなければいけない。20代の女性にとってそれは時に爆弾になるから。結婚するかしないかの問いに曖昧に答えれば、迷ってると感じたのか彼女はそう答える。勘違いされたままも良くないので、プロポーズされたことを話した。
「母親の知り合いがね、息子を医学部に入れたの。それで彼女にティファニーをあげたんだって。そうしたら怒ったらしいよ。私だって息子からティファニーもらったことないのに!って」
「そのお母さんすごいこと言うね…」
「そう?やっぱり母親の立場からしてぽっと出の女に医学部にまで入れた息子をとられるのは嫌じゃない?」
私の彼氏は医者である。彼女もそれは知っている。違和感はあった。でも元来良く言えばおっとり悪く言えば鈍感な私は、こうした言葉の真意に気づきにくい。それでも久々に会う旧友を悪く思いたくはなかった。別れた後のラインにはまた会おうねと連絡をいれる。仕事が忙しくて疲れてるのだろう、彼女が学生時代から私にマウントを取ってきたのは幼さ故で、今は違う。そう思って、ほんとうに偶然発見した彼女の裏垢をなんとなく開いた。
「だいたいどんな時でも最高の服を着ていきたいと思うんだけど今日は会いたくない人に会うのに大量の交通費が必要なのでマジで大事な服を出したくない」
「すばらしくニュートラルなワンピースが一着あってよかった アクセサリー類は途中までつけてって会う前にはずそ」
頭をがつんと殴られたような衝撃を受けた。見なきゃ良かったものを見てしまった罰なのか、心臓が早鐘を打ち冷や汗が流れた。深く物事を考えられず、遅くなるのに各駅の電車に乗りぼーっとしている。
私が褒めた彼女に似合ってると褒めた服も、素敵だねとアクセサリーを褒めればこれも持ってきたと見せてくれたイヤリングも、こんなことを考えていたのか。金持ちだと学生時代に散々自慢していたのに、たかだか片道数百円のお金を大量の交通費という彼女の財力も、バカバカしく思えた。会いたいと私が声をかければ、長く会う必要がない平日夜を指定してきたのも、言葉の端々にマウントをとってきたのもこういうことか。
結婚式あるなら呼んでね。ちゃんと寝てね、体に気をつけてね。またいつでも呼んでね。
こんな言葉の裏で本音は別のところに隠されていた。違和感はあったけれど、そこまで思われているとは気づかなかった。
社会人になるともう喧嘩はできない。ただただ悪意に晒されて怒りを感じないわけではないけれど、わざわざ喧嘩をする労力も、喧嘩をしてまで彼女との関係性を修復したいわけではない。もう二度と会わない。それだけ。
今朝彼女からLINEがきた。お清めスプレーを巻いて数時間で、コロナ蔓延のため病棟への立ち入りが禁止されたという。効果抜群。そう書かれていた。本当に効果抜群だ。私との縁ももう切れたのだから。
それでも学生時代嫌なことがあれど良い思い出もある。泣いていた私をずっと慰めてくれたこともある。こんな別れ方はしたくなかった。でも、ここまで言われて関係性を維持するほど、お人好しではなかった。
死ねどすスプレーを買った友人と縁を切った。願わくば、彼女にとって私は悪縁で、彼女が幸せな道を歩めますように。
…たまには机の角に小指をぶつけてほしいけれど。
サイラーッス
本日は国際吃音啓発の日、日本においては平安遷都の日、時代祭、鞍馬の火祭、絹婚記念日、キャットリボンの日、アニメの日、パラシュートの日となっております。
言いたいことが言えないことは結構あります、とはいえ言えなかったなぁで諦められるようなら最初から考えもしないです。
やっぱり言いたいことはどうしても言いたくはなるのでしょう。
だから、上手く会話の節々に混ぜていくのが上手なコツなのかもしれません。
というかそれを口にしてしまった時点である種疲れているのかも知れません。
そう考えると、良くない気持ちが発散できないままでいるというストレス状態を表現したいヘルプサインなのかもしれませんね。
下手に口出しするより時の流れに任せるのがいい時もありますからね。
変にテクニックあるように見せるよりその方がいいです。
都内で電車に乗っていると、ときどきやたらにうるさい人間が乗っていてその周辺が辟易としていることがある。
自分はある程度うるさいのは全然気にならないのだが、他人に一切配慮してない人間が多くの人間に我慢させてゲラゲラ笑っているのを見ると、怒りでわなわなしてしまう。
そこで、そういう人間がいるときは、相手の顔を見たあとにすぐその場から立ち去って離れるようにしている。
彼らは「アホだから」だとか「他人に迷惑がかかることがわからない」だとかそういうような原因でうるさいのではない。
「他人に迷惑がかかってでもいいから今ゲラゲラ笑いたい」とか「電車の中の他人などどうでもよい」という気持ちでそれをおこなっている。
駅に着いているわけでもなく席も空いているときに「なぜか立ち去る」という行動は意外と目立つのだ。そうした輩も「なぜさっきまで座っていた人間が立ち去っていったか」は理解できる。
自分が立ち去ると、他の乗客にも「なぜ立ち去ったか」という理由が伝わる。
車両移動をせずとも、少し離れた場所に座るだけで彼らは静かになることが多い。明確な敵意を相手にぶつけていても行動としては「ただ立ち去っただけ」で、真意は不明である。
id:gryphon氏が数日前、「紙屋研究所粛清事件」が勃発?9日、福岡の地が”赤く”染まるか…… - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-で報じたように、
共産党専従職員で著名はてなブロガーでもある、紙屋高雪氏が日本共産党から追放されようとしている。
ただ、id:gryphon氏は「なぜ紙屋高雪が処分されるのか」を書いてくれないので、自分なりに調べた結果をまとめてみたい。
免責事項:私は共産党の内輪の論理には全く詳しくなく付け焼き刃の知識で書いているので、おそらく的外れな内容が一部含まれる。
「党規約の抜け穴を探し出し、党規約では本来禁止されているはずの「党の決定に反する意見の発表」を行った」紙屋高雪
vs
「手続き的正義を無視し、多数派工作で党規約への違反を認定しようとする」 共産党
増田の解釈では、紙屋高雪は党規約に違反していない。紙屋高雪は自己防衛のための鉄壁なロジックを組み立てている。
しかし、紙屋高雪的な行為を許せば、党規約が実現しようとしている世界、「異論はすべて党内部で処理する、党外部へは党の見解以外を発信しない」という世界が実質的に崩壊するのも予想がつくところである。
このような場合に手続き的正義として正当なのは、党規約の改正である。
しかし共産党は横着し、党規約の恣意的な解釈を多数派工作によって正当化することで、紙屋高雪追放を実現しようとしている。
規約第五条(五)「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。」の部分と(八)「党の内部問題は、党内で解決する」部分に反する部分。
あとは「党破壊と撹乱者の松竹氏と同調者だ」とも言っているそうです
https://twitter.com/meganeokonomiya/status/1700044650994884614
共産党内部の人間によるツイート2件で何がどの根拠により問題視されているかが分かる。
該当ブログ記事を読もう。なるほど、紙屋高雪氏の知性がバツグンに発揮された、増田程度では到底敵いようのない巧みな記事である。
日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
増田の読解では、これは「表の主張」で「裏の主張」をパッケージングしたダブルミーニングな記事である。
表の主張を要約する。
松竹氏除名問題で、「共産党は異論を認めない」「共産党には民主主義がない」という批判が巻き起こっているが、それは誤りである。実例を以って説明する。
「共産党は民主主義がないという批判は誤りだ」という記事を書くと共産党から追放される、という全くナンセンスな事象が起こったとするならば。
共産党外部の人間としては、「「共産党は民主主義がないという批判は誤りだ」という意見自体が誤り」ということ? やっぱり共産党には民主主義がないの?
という印象を抱かざるを得ないだろう。
よって、党の印象低下を考慮すれば共産党は記事を問題視しにくいはずだ。
これは紙屋高雪氏が仕掛けた裏の主張を守るための第1の保険である。
党規約
党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。
よって紙屋はこの穴をつく。
裏の主張を守るための保険その2:
党の決定に全く反していない。
表の主張は「党内民主主義の実例紹介」なのだから、「間違った自意見の説明」をする大義名分もバッチリである。
もちろん休職が明ければすべてが水に流されるなんてことはなく、さらなる重い処分が準備されていることは紙屋も承知していた。
そこで、処分が不当であると明らかに示すため、紙屋は2つの記事を書いた。
政党助成金と日本共産党の党内民主主義について - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
県委員会総会で提起された学校給食の無償化の運動 - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
どちらも紙屋の得意技、ダブルミーニング記事であり、処分理由の2つにそれぞれ対応する。
私は「政党助成金を受け取って何かいい使い方をしたら?」という主張は誤っているという認識を共有し、志位委員長が述べた日本共産党の立場で引き続き実践を重ね、検証していきたいと思います。
さて、ここまでの私の記事および解説を聞いてどう思われました?
「神谷は政党助成金廃止に向けて頑張っておるのだなあ」と思っていただけたかと思います。
まさか、「神谷は政党助成金廃止の記事にかこつけて、4つのダッシュ(——)の部分で政党助成金必要論を展開し、必要論を実は広げようという真意を隠し、党規約第5条(五)にある『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』に反しておる!」など思った方は一人もいないと思います。
そんな方がいたら、いたわってあげたいですね。
さて、ここまで読まれた方、私が曲がりなりにも県委員会総会決定の実践に力を尽くそうとしていることをご理解いただけたかと思います。まさか「神谷は絶対秘密の県委員会総会決定や会議の内情を外部に暴露してしまった。党規約違反だ」などと思われた方って、います? いませんよね。そんなこと、党規約に一文字も書かれていませんから。当たり前です。もしそんなことを思う人がいたら……その人のメンタルが心配です。お大事に。
1つ目の記事では、
と、実例を「松竹氏除名問題」から変更したこと以外まったく同じ構成とした。
「この記事はどう見ても「党の決定に反する意見の発表」じゃないよね?これが問題ないなら、当然に松竹氏除名問題を扱った記事も問題ないよね?」
2つ目の記事では、
「党内部の議論を外部に公開することって何も問題ないよね? 「松竹氏除名問題」だけ特別に、党の内部問題を党外で解決しようとしたことにはなるのはおかしいよね?」
これが紙屋が両記事で主張しようとした、タイトルにある表テーマとは異なる、裏主張である。
実際、紙屋支持者の中では、秋山もえ氏が「政党助成金」を題材に、紙屋記事との形式上の違いが全く見当たらない党内民主主義解説記事を執筆していることが指摘されている。
党内のことは党内でーー 意見を出しあい 議論し 学びあい 行動するという ハイレベルな組織づくり | JCP*もえブログ
紙屋を処分するならば、秋山もえも処分しなければ筋が通らない。
紙屋氏の鉄壁の理論に対し、実践的に見れば共産党が何を懸念しているかは明白だ。
様々な異論を持つ党員1人1人が紙屋メソッドを行使し出せば、外部に対する行動の統一を求める民主集中制が事実上崩壊することになるだろう。
規約の穴を付かれたなら、規約を修正すれば良い。それだけの話である。当然、法の不遡及を適用し、紙屋氏は何ら処分の対象になるべきではない。
じゃあ明確化すればいい。
「外部に漏れることが著しく不適当と思われる議論については、多数決を取り党外秘とすることができる。党外秘を漏らしたものは除名処分の対象となる」的な条文を足せばいい。
それだけの話ではないか?
紙屋高雪氏の既定路線とされる「処分」は「機関罷免」処分からの「除籍」である。つまりまず党職を解かれ、さらには党からも追い出される。
一方、
と、党規約にあるように、党から追い出したいのであれば、「除名」処分を使えばいいだけである。なぜ2段階に分けるのか。
それは
除名は、党の最高の処分であり、もっとも慎重におこなわなくてはならない。党員の除名を決定し、または承認する場合には、関係資料を公平に調査し、本人の訴えをききとらなくてはならない。
と党規約にあるため、「除名」処分を行おうとすると面倒なことになるからである。
一方、除籍の要件は以下の通り
党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員、あるいはいちじるしく反社会的な行為によって、党への信頼をそこなった党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける。
党から追い出すという実質的に同じ措置であり、しかも「除名」の場合と違い「除籍」は不服申立の権利も認められていない。
党規約を骨抜きにしないためには、本来「除籍」は「除名」以上に慎重に運用しなければならないもののはずだ。
実際、「除籍」は「理由のない党費未納」だとか「音信不通」だとかに適用する条項のはずだという共産党員の証言を多数確認できる。たしかに、そのような些事に複雑な手続きを設けたくないので抜け穴を用意する、というのは理にかなっている。
一方で、現実の運用では、「党員の資格を明白に失った党員」「党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合」、この2項目は非常に雑に乱用されている。
https://i.imgur.com/m1UhX8D.jpg
これは実際の「除籍通知」の書面であるが、
党員の資格を明白に失った:「除籍対象者が、民主集中制は見直すべきとのSNS発信を継続したこと」
党組織の努力にもかかわらず協議が不可能:「除籍対象者が、5つの質問・録音を協議を行う条件に提示したこと」
なんかちょっと朝晩涼しくなってきたような気がするのよね。
こういう時に体調崩しがちなのでガチで注意気を付けないとね!って
私さー、
隣のテーブルに
お爺ちゃんとその孫と思われる二人組のチームがやって来て御飯食べてたのね。
孫お爺ちゃんとファミレス一緒に来て御飯食べていいなーって思ったけど
あれしきりに孫はスマートフォンを気にしてみていたけれどあれ実は、
きっとその孫娘は、
若くして亡くなったお爺さんのお嫁さんなの。
その娘はスマホをしきりに眺めているけど、
あと何時間とか何分とかで孫娘に乗り憑る効力が解かれるので、
なんか見たことないけど
泣ける!
そう考えるとファミレスにはラミレス以外のファンタジーしかないと思うの。
しかも宝庫よ。
とりあえず
何か夏にファンタジーなことが起きたら観たことないけどサマーウォーズだわ!って言ったら雰囲気出るわよね。
あとファミレスで恥ずかしいのは
生中のジョッキをおかわりしたら空いたグラスをすぐに片付けて欲しくない?
あれが2つ3つテーブルに乗って残っていると、
すごく呑兵衛みたいによそのお客さんから見られたりするじゃない?
これも私が喰らったサマーウォーズかも知れないわ。
ネタが無かったら
喫茶店とかファミレスとかそう言ったところに行くと意外とそんな宝庫かもしれないわね。
あとさー
飲食店にて、
今までお冷やがセルフじゃなかったのに、
仕組みが変更になったのにを気付かず店員さんにお水下さいと言ったら、
セルフです!って言われる件、
そういうサマーウォーズを喰らうのはたまにはまああるとして
同じお店のチェーンとかだったら統一してほしいものだとも思わないでもないこともないけど。
そんでね、
それは小皿で持ってきてくれるんかーい!ってなんか矛盾を感じるわ。
食券回収するときにすらお水持って行くってーのは面倒くさい!ってことなのかしらね?
これもきっと私の中のサマーウォーズなのよ。
でも本当に
追い追加マヨネーズは小皿持ってきてくれる優しさの半分の50パーセントほど感じたので、
注文はロボットがするし
配膳はネコがするけど。
これもサマーウォーズなのかも知れない。
どんどん世の中がサマーウォーズ化していくのよきっと。
うふふ。
これ豆乳とヒーコーを割ったら家で手軽にソイ的なものできるんじゃない?って思ってしまったわ。
最近は炭酸レモンウォーラーと冷え冷えの水は常備して準備してあるけど
思い出してやってなかった最近のルイボスティーウォーラーやってなかったわ!
なので、
昨日その冷え冷えの水のボトルにルイボスティーのお茶葉をいれておいて作っておいた
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年の春休みに留学先で出会い、現地で1ヶ月ほど交友を持った女の子がいた。彼女とはその短期留学に参加した他の日本人のメンバーと共に初夏に再会を果たした。彼女はそれほど勉強熱心とは言えないものの国際協力に関心を持っているとのことだった。彼女と僕の家は離れており普段は会う機会がないのだが、僕の家の近くにある、ある国際機関の支部でワークショップのような催しに参加するとのことで、その際に会いませんかと彼女から連絡があった。相談の結果、彼女が僕の近所に来る二日間とも彼女と僕は会うことになり、二日とも支部まで僕が彼女を車で向かいに行き、一日目は僕の家でラザニアとボルドーを、二日目は庶民的な居酒屋で刺身や天ぷらを食べることになった。一日目の朝、彼女のTwitterを見ると、「朝に香水をつけても夜には香りが失われてしまう」という投稿があった。彼女が僕にアカウントを知られていると分かっているのにこのツイートをしたということは、夜に僕と物理的に近づく機会があることを想定しているのではないかと、僕はツイートから想像を膨らませた。彼女に恋人はおらず、理由を聞いてもよくわからないのだが、とにかく恋人は作る気がないということだったので、このツイートにそんな深い意味はもちろん無いはずだった。一日目の晩は結局何も起こらず終わった。告白というのはお互いの気持ちを探り合う根性や忍耐力のないカップルがする性急な行為であって、恋愛の醍醐味はお互いの探り合いにあるという話を僕がすると、彼女はそんな探り合いをいつまでも続けている男女がいるかもしれないねと返してきたので、この発言はメタ的に我々の関係を示唆しているのではないかとも思ったが、彼女の発言の真意はわからなかった。とはいえ彼女は僕を嫌っている訳ではないだろう。嫌っていたらわざわざ会いましょうと連絡してくるよしもないし、実際僕と彼女が出会い、僕が彼女のTwitterアカウントを知る以前に彼女はこう投稿していた。「話しかけてみたらワインや文学、フェミニズムにも詳しい面白い人がいた。好きじゃん」」内容は概ねこんなツイートで、好きじゃんという表現は、Twitterユーザー特有の「気に入った」くらいの表現なのか、恋愛感情なのか判断しかねるところが難しい点である。二日目、居酒屋に入ると宇多田ヒカルのAutomaticが流れていた。彼女も僕も仏語を勉強しているので、世が世なら我々二人の関係もAutomatiqueに進んで欲しいところだった。その日は二人とも疲れていたので、会話自体は面白かったが、久しぶりにあった一日目ほどの興奮はなかった。それでも二日連続であって、何時間も話題を枯渇させることなく話し続けることのできる相手というのは得難いもので、それが異性であれば尚更である。彼女は異性に下心を感じる瞬間に、嫌悪感を覚えると言っていた。それでもいつの日か僕は彼女とあの肉体の親密さを達成してみたいと思う。こう書いてみて気づくことだが、僕の彼女に対する感情は、ただ単に肉体的に彼女と交わりたいと思っているだけではなく、やはりその精神に共感する部分が少なからずある。僕が人を好きになるのはかなり久しぶりのことで、長らくその感情を忘れていたような気がするが、ここに来てようやく美しく、少し暗いところのある好みの女が見つかったというのに、なぜ彼女には恋人を作る気がないのか、それだけがよくわからない。
先月末で約15年程勤めた技術者派遣を辞めてメーカーの正社員に転職した。
辞めるに当たって思っていた気持ちとかを書いておくので、技術者派遣に就職・転職しようと思ってる人は是非参考にしてほしい。
ただし、以下は俺が所属していた技術者派遣会社の話と、派遣先で一緒になった他の技術者派遣会社の人から聞いた話だけなので
全てが全て当てはまるわけでは無いとだけは言っておく。
辞める理由は大体3個くらいあって、
以下でそれぞれについて説明する
もちろん技術者派遣会社にも寄るが、労働組合があっても機能していない(ただ存在があるだけ)のケースが多く、
世間がやれベースアップだ、物価高高騰してるんだから給料上げろみたいな風潮になっても
転職サイトとか見ると技術者派遣会社は最低保障給が比較的良い会社が多いが、
それ以上大幅に上がることは無いと思った方が良い。
派遣先に評価者が一緒に派遣されている場合であれば多少融通は利くのだろうが、
派遣元会社から一人で派遣先に派遣されている場合だと評価者が業務内容を把握しにくいケースが多い。
どんなに派遣先企業から良い評価を頂いていて、実績として売り上げなどに貢献した数字が出ていても
なぜなら評価者は他の派遣者からも盛りに盛られた自己評価を出す一方で業務中のミスなど失敗は全て隠すので、
それらを全て信じて評定をつけていたら全員の評価が優秀になる。
そのため、自己評価の5〜7割程度しか自社からは評価されないケースが多い。
これが正直一番キツかった。
技術者派遣会社は俺の知る限り全てが登録型ではなく技術者派遣会社に正規雇用された社員を派遣している。
そのため派遣先企業からすると「派遣」であっても、社会的には技術者派遣会社の「正社員」である。
しかし世の中では「派遣」というと「登録型派遣」が真っ先にイメージされ、
そのため、親族や友人と仕事の話になり、今は技術者派遣会社であることを話すと大体が哀れんだ目で見てくるか、
偉そうにも上から目線で「早く正社員になれるといいね」などとぬかされる始末。
その都度、技術者派遣は旧・特定派遣なので技術者派遣会社に正規雇用された正社員がメーカーなどに派遣されて働いているので、
社会的な肩書きは正社員の会社員であるという話をしないといけない。
そしてそこまでしっかり話してもそのうちの3割程度は理解出来ない人が多い。もちろんそれは俺の説明が悪い場合もあるが。
先日実家に帰った際、技術者派遣を辞めてメーカーに転職するという話を母親にしたところ、母親すら誤解していたようで
「ようやく正社員になれたんだね、良かったね」などと言ってきた。
技術者派遣会社に勤める前に業種の話だとかはもちろんして、正社員だから福利厚生もしっかりあるという話をしていたにも関わらず、だ。
つまり俺は親から"15年もの間非正規雇用の不安定な業種に就いている"と思われていたという事である。
さすがにこれにはガックリきた。せめて親ならばそこは把握していて欲しかった。
技術者派遣は理系大学でも入社、未経験者でも転職できる事が多いので、
技術系の会社で働きたいがメーカーには転職できないのでという踏み台として使うのは最適だと思う。
だが、上に挙げたようなデメリットも多いため、転職の踏み台として考えるのであれば5年程度を目安にすると良いと思う。
一般的に思われがちな派遣を広めた元凶と言われている竹中平蔵氏についてだが、
真意はどうであれ少なくとも俺は竹中氏に感謝こそするが恨み辛みは1mmも無い。
技術者派遣が無ければ次の転職企業には入れなかったのは確実なので、広めてくれてありがとうという気持ちが強い。
(先日なにかの記事で派遣を広めたのは竹中氏では無いとあったが)
という風潮を広めたヤツ、お前が死ぬときはマジで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでから死んでもらいたい。
そいつには非常に強い恨みがある。お前のせいで俺は何度受けなくて良い職業差別を受けなくてはいけなかったのだ。
本当にこの風潮を広めたヤツだけは許せない。誰だかさっぱりわからんのだが。
2023年の新日本プロレス「G1クライマックス」は内藤哲也の勝利で幕を閉じた。ファンの方は嬉しかったことだろう。
しかし、今回のG1は確実にある男が話題の中心に居続けたのは疑いようのない事実だ。
その名は清宮海斗。プロレスリングノアの若きエースといわれる男である。
今年1/21のオカダへの「蹴撃」から始まった清宮の行動は他団体のシングルリーグ戦出場へとつながって、リング内外で想定外の渦を巻き起こした。それが何を示しているのか。
まず、今回のG1への清宮参戦はどちらの希望だったろうか。これに関して私は新日本側の要請とみている。ここでの参戦が大きな話題になることは自明であり、チケット売上や専用アプリへの登録数を
増やせるいい機会である。ここで新日本側から感じるのは自団体の試合内容やレスラーへの自信だ。きっかけさえあればある程度以上の他団体ファンのとりこみが容易だと判断したのだろうと思う。
ノア側からみても清宮には良い経験になるし、知名度に劣り、参戦発表段階では新日本ファンからは諸手を挙げて歓迎されているわけでもない彼への「誤解」を解くいいタイミングでもある。
加えて若いとはいえ団体最高王座に2度(一度目は最年少記録での戴冠)就いた選手である。無碍な扱いをしないような話はあったろうし、そうでなければ送り出すようなこともないはずである。
しかし、ここから(おそらくどちらの団体からしても)想定外の事態が起こりまくった。
まず、新日本での発表時にファンから想像以上の歓迎を受けたことだ。おそらく新日本的にはブーイング半分の状況を想定していたのだと思う。それが想像以上の歓声とともに受け入れられたのだ。
次に新日サイドが目の当たりにしたのは、当初の予想や見積もりをはるかに超える技量をいかんなく発揮する清宮海斗のレスラーとしての能力だった。条件の厳しい(全くのアウェイ+一般的ではない20分一本勝負)中出る試合出る試合で、様々なタイプの対戦相手の特徴を引き出したうえでそれを超えてみせるという、清宮にとっては当たり前の、だが新日本サイドとしては予想だにしなかった状況を現出させたのだ。
その技量の突出の度合いが令和三銃士と名付け、なかで団体としては筆頭扱いであった辻陽太戦で現れた。この試合での清宮は普段の試合では見せない挑発的な技も駆使しつつ、最後は完勝としか言いようのない組み立ててで勝ってみせたが、現場やフロントはここまで技量差を見せられるとは思っていなかったろう。さらに海野翔太戦でも技量で圧倒しつつも海野の気の強さを存分に引き出して引き分けに持ち込んだ。さらに現IWGP世界ヘビー級王者SANADAとの試合でも試合をリードし、最後は時間ギリギリの敗北となったが、王者を差し置いて週刊誌の表紙にまでなってしまう状況となった。こうなればファンは正直である。新日本のファンが一目置くのは必定だ。
自団体の選手を差し置いて会場(=ファン)の信頼を次々に勝ち取っていく清宮を見て、新日本のフロントや現場は何を考えたろうか。その一端がゲイブ・キッド戦で現れたのではないか。
この試合、挑発的ヒールファイトをするスタイルに隠れているが、明確にゲイブは試合を壊しにかかっていたように見えた。清宮は最初受けるスタイルで修正を試みていたが、ある段階で完全に「これは違う」と判断したようだ。
セコンドも連れず、文字通り「単身」敵地に乗り込んでいる彼は試合そっちのけで自らと団体の尊厳を守る行動に出る。最低限の行動(眼球への攻撃や急所への打撃を行わない)は守りつつ立ち向かったのだ。ちなみに観客席で自らの頭を椅子で殴ってから相手に襲い掛かるという奇行ともいえる行為も、湧き上がる怒りを抑える行動とすれば納得もいく。清宮の突然の「試練」に対しても全く臆することなく、むしろ敢然と立ち向かう姿に、おそらくレスラー間で彼を見くびるものはいなくなったはずだ。
だが、一部の人間がそれを完全に脅威としてみたこともまた真実だろう。
私は、この試合を見たときに「これが<仕掛け>であるなら、予選突破はないのかもしれない」と思い始めた。普通に試合を行っても引き分けは当然あるわけだが、この引き分けはそういうものとは違うと見え感じたのだ。その後報道で清宮がスタッフを突き飛ばした、という記事が出た。普段は試合後でもそのような態度をとらない彼がとった行動はその内容が全く予想外であったことを示している。このあたりから、当初の思惑とは違う流れが起こっていたのではないか。
話は飛んで清宮は成田蓮戦で「まさかの」敗北を喫しあえなく予選落ち、となったが、翌日にノアの副社長を兼ねる丸藤正道がかなりセンシティブな内容のツイートを行った(https://twitter.com/noah_marufuji_/status/1687979081059762176?s=20)。真意は以前丸藤との対戦を希望した成田の勝利後に自身と対戦すると清宮のランクが下がってしまうということ、と言っているが、タイミングがタイミングなだけに鵜呑みにはできない。時系列の文脈からすれば成田の勝利を隠れ蓑にしてG1興行全体のピエロとして清宮を扱ったのはおかしい、という風に解釈するほうが無理がないからだ。丸藤の立場でこの発言をしたこと自体、新日本側に対するけん制の意味があるわけで、けん制せねばならない事案が起こっていたという推論にたどり着くことになる。
リーグ戦敗退後もG1興行に参戦を続けた清宮を待っていたのは、なんとほぼ第一試合でのタッグマッチ、というものだった。当初から決まっていたグレート・O・カーン&ジェフ・コブ戦はともかく、その後のマイキー・ニコルズ&藤田晃生、天山公吉&マスター・ワト、矢野通&オスカー・ロイベとの試合とあっては、いくら興行のハナが大事だといっても他団体のトップレスラーをあまりにもぞんざいに扱いすぎている。これはなぜだろうか?
私は準々決勝の組み合わせでAブロックの選手の相手を見たとき、ふと「ヒクレオのところにSANADAが、SANADAのところに清宮がいたほうがはるかに盛り上がったのではないか?」と感じた。これだと内藤がSANADAに勝利していたろうし(結果として優勝後の興行の流れもこのほうがスムーズだった。)、清宮とEVILの試合は相当に盛り上がったはずだ。しかもここで清宮が勝てば準決勝でオカダ戦ということになり、興行の盛り上がりは最高潮だったろう。
しかし、それこそが新日本側の最も恐れていたことではないか。清宮がG1興行の柱になってしまうのだ。この流れでオカダが清宮に勝っても決勝でその盛り上がりを上回ることができるか。決勝は内藤でもオスプレイでもそれは盛り上がるだろう。しかし、仮に清宮がそこまでの試合のようにベストマッチ連発の内容を見せていたらどうなるか。清宮の試合の積み重ねが新日側にあった「自団体の試合内容やレスラーへの自信」を揺るがせたのではないだろうか?
そうなれば最も安全なのは「観客の記憶の奥に清宮の存在を眠らせる」ことである。それはノア側の「想定外」だったろうことが丸藤の態度に表れている。
しかし、両団体にとって(良くも悪くも)更なる想定外は「G1によって清宮の支持が大きく広がった」ことではなかったか。
清宮敗退の報がネットに流れた際、新日本の方針を批判する発言が多く流れ、想像以上の数の新日本のファンがそれに賛同していたのは正直驚きだった。会場でも第一試合や第二試合の出場であっても大歓声で迎えられた。新日本側のレスラーたちの思いも天山戦後に天山自身が清宮を讃えた態度で伝わってきた。そしてなにより清宮本人が腐ることなくしっかりと試合を行いファンを裏切らなった。これこそ清宮が再三言っていた「ノアを広める」が具体的な形になった瞬間ではなかったか。
清宮は正式に使用技の伝授をされている関係から武藤敬司の影響が語られることが多いのだが、元は三沢光晴に憧れノアの門を叩いた生粋の「三沢チルドレン」である。ここまでの清宮の行動を見ればわかる通り、「レスラーは試合で魅せる」「いざとなったら筋を通す」「ファンを裏切らない」という三沢光晴の思想が彼のレスラーとしての行動に裏打ちされている。彼の恩師である小川良成の指導が大きく花開いた瞬間でもあったと思う。
さらに、清宮はあの若さにして日本プロレス発祥のプロレス技術の継承者としての側面を持っている。彼と新日本でタッグを組んだ大岩陵平は清宮にスカウトされる形でノアに留学となったが、すでにノア道場の道場主でもある清宮は指導者としての側面も期待されている。
○ご飯
朝:松屋のソーセージエッグ定食。昼:カラムーチョ。たけのこの里。夜:ベーコン、にんじん、エノキ、玉ねぎのコンソメスープ。だし納豆豆腐。目玉焼き。バナナヨーグルト。間食:アイス。
○調子
○ FatalTwelve
・はじめに
突然のテロに巻き込まれて死んでしまった女子高生の獅子舞凛火は、同日同時刻に死んだ12名の内たった一人だけが死の運命を覆すことができる「女神の選定」に巻き込まれる。
そのルールは、週に一回日曜日に氏名、死因、未練の三つ指名することができ、指名されそれが当たっていると脱落し一時的に覆されていた死の運命が遡ってしまう、そしてたった一人になるまで12週繰り返すというもの。
勝者が一人だけのデスゲームものという味わいもあるにはあるものの、主題は不意の死に巻き込まれてしまった主人公の獅子舞凛火がどうそれと向き合うのか、そして同じく「女神の選定」に巻き込まれた友人の未島海晴との関係値はどう変化していくのかにあると感じた。
毎週日曜日に他のプレイヤーから氏名、死因、未練を当てられたら死んでしまう極限状態ながら、主人公の獅子舞凛火の通学、祖母の経営する喫茶店の手伝い、友人達との遊び、テスト勉強などの日常描写がたっぷりある。
先手必勝で他のプレイヤーの情報を調べた方が絶対有利なんだけど、かなりまったりしている。
もちろん物語が進行していくにつれそうも言ってられなくなる展開もあるにはあるものの、学校に通うことは最後までやめない。
特定の人数を明記した登場人物に、明示されるゲームじみたルールながら死を強制する恐怖と、デスゲームっぽい導入ではあるものの、知略を張り巡らす緊張感のある展開はかなり控えめ。
勿論それが良い悪いではなく、この作品の目指すところはそのような極限状態であっても、日常を過ごすことの尊さを書こうとしているのは明白だったので、これはこれで楽しめた。
特に喫茶店の描写、コーヒーを飲んだり軽食を食べるシーンが多くあるのも好み。
この辺のスチル絵に差分が多めなのもやろうとしている趣旨がそこにあることの証左だろうか。
日常描写だけで話を引っ張っている訳ではなく、そこに花を添えるのが獅子舞凛火、未島海晴、日辻直未の女性だけで構成された三角関係だ。
主人公の獅子舞凛火はぶっきらぼうながら根は優しく、一つ年下の後輩でドジっ子メガネの日辻直未が失敗するとフォローしてくれる。
そんな二人の微笑ましい関係を不機嫌そうに眺めるのが、長髪ロングで清楚系ながら僕っ子の未島海晴。
海晴は明らかに凛火のことが好きなのに、鈍感な凛火は気付いておらず、海晴より直未を優先する姿に、関係が拗れていく。
この三角関係描写にはかなり文量がさかれており、主に海晴と凛火の二人の視点から恋愛模様が楽しめる。
特に「女神の選定」に巻き込まれながらも、最初から覚悟がガン決まりの海晴のストーリーは面白かった。
はっきりと恋愛の話であると断言されているのも好印象で、かつそれに対して強い否定的な意見を言う人がいないのもノンストレスで楽しめて良かった。
そんな三角関係を陰ながら支えている小熊真央が風格ある良い役で、僕は彼女が一番好きなキャラだ。
鈍感な凛火に気づきを与え、海晴のメンタルをフォローし、直未の真意を探ると縦横無尽の大活躍。
「女神の選定」とは一才関係ないにも関わらず登場頻度とその重要度合いが高く、優れた人間性を魅せる場面が多々あった。
特に海晴のメンタルが限界なことを察知しつつも、ベッタリと距離感を詰めるのではなく、あえて距離を置きつつも、いつでも電話に出られるように臨戦体制を取り続ける様は今作屈指の名場面だった。
異常な生死をかけたゲームだけじゃなく、彼女が日常を送りながらギリギリのラインで友人達の関係値のバランスを取るのに一生懸命なシーンがあるのも、このゲームの主題がどこにあるのかを示唆する一端だった。
メインキャラ達以外にも「女神の選定」の参加者はおり、彼ら彼女らも視点人物になりそれなりの出番がある。
とはいえ「女神の選定」と関係ない恋の鞘当てに一生懸命な女子高生達をさっさと片付けられない時点で、ガチ勢と呼んでいいのかは怪しいかもしれない。
そんな面々の中でも僕が気に入ったのは以下の2名。
まずはイタリアの元マフィアながら、ヘタレで序盤から負けが続くも男を魅せるシーンもあるフェデリーコ。
コナをかけていた海晴が女性同性愛者であることを知ると、それならそれの遊び方が提案できたのにと遊び人らしい最後の言葉を残すシーンは、ヘタレな女好きキャラとしての一貫性があって、良くない行いをし続けてきた彼らしさがあった。
もう一人は、ジャーナリストで正義のためにしか行動しないと誓っているスケールさん。
まあこういう生死がかかったゲームをやってる中で正義とか言い出す奴がどんなやつかは想像しやすいんだけど、ちゃんとその想像通りのキャラ。
大言壮語が過ぎる上に自身の死が迫ると表れる人間らしさが、物語を彩ってくれた。
このゲームのらしいところは、生死がかかったルールを設定しておきながら、もう生死について腹を括っているキャラが何人もいることだろう。
覆された死の運命をただの幸運、ロスタイムと捉えて、他人を蹴落とすことよりも人生をエンジョイする時間に使う面々も何人かいた。
家族のいない孤独な老人牛塚さんと持病による死が延期になっただけで直近の死は変えられないソーニャについては、その意識が強かった。
だからといって面白くないわけではなく、彼らの生き様が他の面々に影響を与えたり、日常を過ごすことの尊さを再認識させてくれたりと、物語としての役割がちゃんとあるのが面白かった。
・おわりに
生死がかかったルールのあるゲームに巻き込まれた極限状態と、女性三人による恋の駆け引きとが同列、あるいは後者の方が重要に扱われている構成の妙が面白かった。
この極限状態だからこそ恋愛の様相が変わってくると、それぞれのエピソードのリンクはしっかりしているので、通して遊ぶと違和感は薄い。
デスゲームに巻き込まれていないにも関わらず、めちゃくちゃ頑張った小熊真央さんにはキャラクタ全員感謝を示すべき。
小熊真央さん本人の幸せについては一切触れられていないので、是非とも彼女が恋人を見つけるなり、何か趣味で良いことが起きるなりの、ハッピーな後日談を見たい。
元男のトランス女性がスポーツ競技会などで女性としてエントリー云々の記事についたブコメで「そもそもスポーツというものが、身体的差異を強化する差別的な営みである」というのがあり、スターもたくさんついてたんだけど、これってどういう意味なんでしょう?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4738844149962514597/comment/whkr
男がスポーツで体を鍛えると身体能力的に女との差が広がる、それは女性差別だってこと? 男女問わず強いやつがもっと強くなるのは差が広がるから差別ってこと?
でもそんなこと言ったら勉強も仕事も芸術もみんな差別的営みになっちゃうよね?
そんなバカなと思うんだけどスターがたくさんついてるから、ひょっとして俺の解釈が違ってんのかなとも思ったり。あるいはなんかのネットミームなり元ネタがあんのかな?
特定ブコメに言及しちゃってるけど、別に煽るとか晒し上げの意図はないです。純粋な疑問です。疑問解消した結果「やっぱ俺はそれには同意できんな」となる可能性も当然あるけど、ひとまず現時点では単なる質問。
まあ普段なら俺も自分の考えと異なる言説についていちいち意味、真意を尋ねたりはしないんだけど、今回は人気コメにも入っていてある程度支持を得ている考えなのかと驚いた次第です。スターは当該ブコメ後段の「オリンピック廃止縮小」にかかってんのかなあとも思うが、だとしても前段無視しちゃう? よくわからない。そんなわけでわざわざ増田で聞いてみようかと思いました。
『機動戦士ガンダム 水星の魔女』というアニメにおける魔女とは一体、誰の事だったのか。
答えは「知恵ある女性」だよ。
このアニメのキャラクターデザインを行った女性スタッフが作品の最終回に際して残した、制作体制の問題点に対する告発とも取れるツイートに対し、
最終回の感動に水を差すなと言ってリプや引用で口汚く罵るファンの数々を見てはっきりと分かった。
作品それ自体を見ただけでは分からず、スタッフのツイートという外部的な事情を見て初めて見えてくる真実という構造が、実に現代的だと思うよ!
今では割と定説になっているけれど、中世ヨーロッパにおいて魔女と呼ばれて迫害された女性の多くは、産婆や薬師等の知恵ある女性だったという。
パク……オマージュ元になったアニメ『少女革命ウテナ』でも、ヒロインである姫宮アンシーは
王子様として求められ疲弊していた兄を休ませようとしたがために世界に呪われ、魔女と呼ばれるようになった。
「魔女」とは要は、既存の男性中心社会から見て気に食わない女に対するレッテルである。
制作体制の問題点を示唆したツイートをしたキャラクターデザイン氏を、吊し上げて叩き潰そうとする百合豚信者達。
ガンダムTVシリーズ初の女性主人公作品のファンになり、男女カップリングの二次創作やグッズ売上に貢献した女性ファンの嘆きに対し、
知恵を持つ女性、自分の頭で考え男の思い通りにならない女性の存在が許せず、誹謗中傷と暴力でもって排除しようとしているんだ。
キャラデザ氏に対する、「女のくせに」「これだから女は」という声の多さが、
表面上は百合結婚エンドで終わったこのアニメの本質が女性に対する応援歌などでは決してない事を端的に表している。
しかし、もしかしたら『水星の魔女』におけるこうした構造の提示は、当初は作品内だけで完結する予定だったのかもしれない。
『水星の魔女』の中でも、ヴァナディース機関の研究者の多くは女性であり、トップのカルド博士のワンピースのような服装は古典的なお伽噺の魔女を思わせる。
そのヴァナディース機関がデリング・レンブラン率いる男性勢力によって虐殺される様子は
知識と知恵のある女性に対する魔女狩りを示しているのが分かりやすい。
主人公スレッタは魔女の娘であり、母親の復讐の道具として何も知らない無垢な状態で始まった。
彼女はおそらくは、様々な人々との出会いと別れを通して母親の真意や世界の残酷さを知った上でなお、
『祝福』の歌詞に乗せ、定められた役割を越えて新時代の魔女として世界に真実を発信し、ヴァナディース機関の復権を行う予定だったのではないだろうか。
そして最終的に全部取りした完全無欠で無敵の究極ヒロインであるミオリネ・レンブラン様は、当初の設定では学生ではなく、敵ボスの愛人であったという。
愛人……自らの性的魅力を利用して男に取り入り、贅沢とかりそめの安寧を享受する女性、「魔女」とは対極に位置する女性。
そんな敵ボスの愛人ミオリネは、主人公スレッタと関わり変わっていく予定だったのか、それとも変わらないまま落ちていく予定だったのかは分からない。
結果的には、愛人から娘への名称変更こそあったものの、最終的なミオリネの役割は何処までも徹頭徹尾デリングを肯定する役どころであり、
その庇護下を一歩も出る事なく
正確には推していたVが無理になったと言うべきだろう。
メンバーシップを解約し、ファンボックスをやめ、Twitterコミュニティから抜け、SNSのプロフィールから推しマークを消した。
とてもじゃないが応援したい気持ちにはもうなれないし、配信を見るどころか名前を見るのすら苦痛になってしまった。
デビュー当日から応援していただけに自分の気持ちに起きた変化にはやや驚いているが、無理なものは無理なのだ。
Vtuberが人を楽しませるものである以上、楽しめないのであれば去るのが道理であろう。
自分のためだけに何かを変えろと物申したり、お気持ちを伝えたりすることもない。そうしたいと思った時点で去るべきだとは前々から思っていた。その時が来たのだ。
だが、このどうしようもない気持ちをどこへともなく投げたくて、こうしてン年ぶりにはてなにログインなどしている。
これはただの思い出語りであり、自分の気持ちに区切りをつけるための儀式に過ぎない。
誰かに読まれることを想定していない、言わば駄文だ。もし読むのならそのつもりで読んで欲しい。
仮にそのV本人が読むことがあっても、もはや知ったことではない。読むべきではないものを勝手に読んでいるだけなのだから。
うすうすあの人のことだと気づいたとして、伝えることのないようにしてもらいたい。
デビュー当日から応援していたと書いたが、この時はまだ推しというほどではなかった。仮にAとしておこう。
当時、私は同じ事務所の別のV(仮にBとする)を推していた。Bに関しては特に語ることもない。
ある時、Bが嫌いな食べ物を罰ゲームとして食べるという配信を行ったのを契機に、「いや生産者が見たらどう思うんだよ、罰ゲームに使われるために生産してねーよ」と思って気持ちが冷めた程度のものである。
後に推しとなるAがデビューしたのは、それとちょうど前後するくらいのタイミングであった。
自作したというオープニングはアドリブで一発録りした珍妙な歌だったが、妙に耳に残った。
ただの変わり者ならばごまんといるが、少し珍しい楽器を得意とし、歌が上手く、放っておけばいつまででも話し続ける軽妙なトーク力も魅力だった。
配信慣れしていないために普通ならば見せてはいけないソフトのUIが見えてしまうなどのトラブルさえ一つのギャグとして成立していた。
毎日のように配信に赴き、多くのコメントをした。コメントは毎回が大喜利のようだった。配信をおもしろくしようというリスナーとAとの間にコール&レスポンスが起こり、充実した時間を過ごしていた。
やがてAは収益化を達成した。同期が何名かいる中で、早くも遅くもないタイミングだったと記憶している。
お祝いの言葉を送り、心ばかりのスパチャを投げた。ファンを表すキャラクターの造形を一緒に考える配信や、メンバーシップ用のスタンプを考える配信なども欠かさず足を運んだ。
メンバーシップが解禁されればその日のうちにすぐさまメンバーとなり、ファンボックスも設立されたその日のうちに加入した。
継続的な収入があることは活動の計画を立てやすくなることでもあると思い、一度に無茶な高額スパチャをするのではなく、こうした月額課金で細く長く応援していこうと考えていた。
メンバー限定のASMR配信はまるでコントのような笑いを誘うものだったが、それはそれで自分がAに求めるおもしろさそのものであった。
その後もAは順調に活動を続けていった。
今やどちらを見てもVtuberだらけの時代、その成長は緩やかなものではあったが、着実にチャンネル登録者数を伸ばしていた。
だが、おそらくこのあたりだったろう。一つ気がかりな言葉をAは発した。
この数字を達成するのがいかに難しいかは配信をしてみたことがある人ならばわかると思うが、それでもAはそう漏らしたのだ。
気持ちはわからないでもない。Aと仲の良い同期の配信はより多くの人が見ていたし、大手事務所のVなどは比較にならない数字を取っている。
だがAのポテンシャルをもってすれば順調に数字を伸ばしていけると、この時の私は思っていたし、そうなるように高評価、最初から最後までの視聴、SNSでの共有、アーカイブへのコメントなど、でき得る限りの応援を行っていた。
Aが自信を失くすのであれば、それを応援して支えるのがファンであると、そう思っていた。
Aが何か参加型企画をするとなれば積極的に参加し、新しいゲームの実況を試みたならばネタバレやアドバイスを決してしないよう気をつけつつ、褒め、気持ちを盛り上げ、それをこちらも楽しんだ。
ただ、今にして思えば、Aの試みはどれもこれも長続きしなかった。
参加型企画に選ばれたゲームは数回やっただけでやることがなくなってしまい、一方で自分はそのゲームをAよりもずっと上手くなっていた。
曰く、「このゲームの配信をしたときの同接が少ない」ということだったが、そもそも配信してほしかったのはそのゲームの次回作であり、システム的に不親切なところのある前作のほうではなかった。
Aはいくつかソシャゲの配信に手を出してみたりもしていたが、続くことはなかった。期待していた反応がなかったのだろう。フレンド制ではなくフォロー制のゲームには、ログイン1年以上前と虚しく表示されている。
幸いにもAは歌が上手かったので、歌枠にはいつもより多くの人が訪れるのが常であった。
正直、自分はVtuber界隈で好まれる楽曲などには疎かったし、そんなに好みでもなかった。これはまぁ、自分の好みなのだから仕方あるまい。
そんなことはおくびにも出さずに弾幕コメントなどをして配信を盛り上げようと努めた。
歌っているとき、Aは楽しそうだった。それだけで自分も満足だった。
ある時、Aは耐久企画をすることを決めた。チャンネル登録者が◯◯人になるまで何かを続けるというアレである。
その数字を見たとき、目を疑った。それまでの増加ペースや、周囲の耐久企画を見るに、ざっと見積もっても10倍以上は無茶な目標だったのだ。
だが、本人がやると決めたことだ。気持ちを盛り下げるのはファンのすることではない。
心のどこかで「そりゃ無茶だぜ」と思いつつも、なるべく長時間配信画面を開いておき、コメントをし、共有もし、新しい人の目に触れることを願った。
配信は当然、長時間に及んだ。丸一日ばかりやっていただろうか。ついに喉と疲労の限界が訪れ、配信は終わった。目標値は達成できなかった。今もまだ達成していない。
それから、Aは体調を崩した。
それでもリレー歌枠などの外部との関わりのある企画は出演し、責任を果たしていた。それはとても偉いと素直に思った。
だが、崩れたのは体調だけではないように思えた。それよりもメンタルな部分、自信喪失のほうが深刻に見えたのだ。
なんとか自信を取り戻して欲しいと思い、ファンボックスのコメント、マシュマロなど、配信の雰囲気を崩さない場所を活用して励ませるだけ励まそうとした。
一発で特定されるので詳細は伏せるが、ファン同士での企画が立ちあがりAに贈り物がされたこともある。
それでも、Aは数字を達成できなかったこと、今の数字が少ないことにばかり目が向き、まるでA自身ではない別の何かになりたがっているかのようだった。
この時くらいからだろうか、配信を見ることが楽しみではなく、応援するための努力になってしまっていたのは。
自分の感覚がすべてではないが、似たような思いを抱いていた人も、もしかしたらいるかもしれない。Aの同接数は落ちていた。
チャンネル登録者だけは増えていたが、ただ登録されっぱなしになっているだけで実際に配信を見に来る人は減っていたように思う。
歌も相変わらず歌っていたが、未だ本調子でないのか、それとも精神的な理由でかはわからないが、精彩を欠いていた。
歌枠の同接数は以前の半分くらいになっていた。
やや変わり種のゲームだが、大手のVが配信して少し話題になり、なおかつまだ配信でプレイされた前例がそう多くないタイトルだ。
Aの魅力が引き出されるような作品だと思い、随分前に自分がリクエストしていたものだった。魅せてくれるはずだった。以前のAならば。
Aは、あまり楽しそうではなかった。どことなくセリフを読むのも下手になっていて、目の前のゲームや、リスナー以外のことを考えているように感じた。
同接数はもう20にも満たなかった。
Aは伸びるための努力としてshorts動画を上げるようになったが、正直どれも見る気はしなかった。
気持ちが離れているのを感じていたが、まだメンバーシップには入っていた。一時の気の迷いであり、まだ応援したいと思わせてくれる何かがあると心のどこかで期待していた。
だが見てしまった。
Youtubeのshorts動画はフィードという仕組みでオススメされるまでは普通は再生されないものである。
Aが「これだけ」と言う数字は、Aの投稿した動画にすぐさま気がつき、応援しているファンの数なのだ。
それを「これだけ」と言っている。
もう見ていられなくなった。
どんな応援の言葉も、伸ばすために協力するあれもこれも、Aには届かない。
Aにとっては今いるファンなどよりも、不特定多数のAを満足させうる十分な数字のほうが大事なのだと思ってしまった。
Aの真意は知ったところではない。ただ、事実としてAが発した言葉によって、事実として自分がそのように感じた。
しばらく離れればまた応援したくなる日がもしかしたら来るのだろうか。今はとてもそうは思えない。
反転アンチのようなことはしたくないので、Aに届かないようにこんな場所に思いを投げている。
だが、少しだけ、ほんの少しだけ考えている。
もし伸びたいのであれば数字のことばかり気にしていないで、今応援してくれている人たちを楽しませることにだけ集中したら良いのではないかと、そう伝えられたらと。
そんなアドバイスじみたことを考えてしまう時点で、もう自分は離れたほうが良いと悟った。本来ここにも書くべきではないのだろう。
くだらない、とりとめのない、どうしようもない文章だ。
応援するなど、こちらの手前勝手な行動だ。それをしなくなるからと言って、何だというのか。
別に何でもないだろう。どうでもいい話だ。