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はてなキーワード: 殉教とは

2017-03-19

なぜ私は無宗教に生まれ育ってしまったのか

無宗教の人って、何か達観した気にでもなっていて、信仰を持っている人たちに対して冷笑的であることすらあるけれど、

何も信ずるもの無く死んでいかなきゃならないって、それこそ地獄だろう。

人間皆すぐに等しく死ぬのだから、神と死後の世界を信じて自ら殉教できるくらいに強い信仰を持った人のほうが、よほど幸せに違いない。

まぁ、今更、何も信じる気になどならないが・・・

2017-02-22

やっぱり、イスラム教はクソ。

フーリー天国に来たイスラーム信者男性セックス相手をするとされ、

一人につき72人のフーリー相手をするともいわれる。彼女たちは永遠処女であり、

セックスを行い処女膜が破れても、すぐさま再生するとされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC


14歳が自爆テロ未遂報酬2400円 パレスチナ

http://www.asahi.com/special/MiddleEast/TKY200403250189.html

イスラエル治安当局の調べに、「100シェケル(約2400円)で請け負った。

殉教すれば)天国で72人の処女が待っていると言われた」などと話しているという。

イスラム教聖典コーランは、天国での具体的な快楽を記している。

2016-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20161114211904

踏み絵を踏むことが「罪」になるかどうかは分からない。

人間合理主義で考えると罪とするのは不当なような気もするが、(人間から見ると)割とどうでもいいような行為でも重罪になる宗教なので、そこんところは分からない。

(そもそも神様の裁き・判断予測すること自体不可能



ただ、踏み絵を罪と考えた場合でも、イエス・キリスト過去現在未来のすべての人の罪を贖ってくれているため、信仰を持ち続ければ罪は許されることになる。



じゃあ殉教した宣教師はアホなのか、というとそれも違う。

たとえ強制されたとしても踏み絵を踏まないという選択をしたのはそれはそれで立派。



ちなみにジョン万次郎踏み絵を難なく踏んで入国したとかい逸話が残っている。

これは上記の宣教師と違ってプロテスタントだったからだ、とかいろいろ言われているが、本当のところは分からない。

2016-11-14

踏み絵を踏んでも

帰りの電車kindle版ガリバー旅行記読んだ。

オランダ人のふりして日本に立ち寄ったガリバーが「踏み絵は勘弁な」と言って「お前ほんとにオランダ人?」と疑われる場面があった。

で、次のお話「馬の国」を読む前に考えた。

キリスト教神様十字架を踏むと怒るのかなって。

殉教するより踏んで生き延びて信仰を広めた方がいいと思うけど違うのかな。

教徒強制されて十字架を汚したとしても、信仰心が本物であれば構わないと思うのは甘いだろうか。

ちょっと検索したら二十六聖人のルドビコ茨木は「信仰を捨てたら命は助けてやる」と言われて、

「この世の一瞬の命と天国永遠の命を取り替えることはできない」って返したみたい。

信仰を持たない俺にはなかなか難しいね



昔読んでびっくりした遠藤周作沈黙ももう一度読んでみるか。

というかあれ、もっと早く主人公の前に出て来いよキリストさんよ。



で、ガリバー旅行記に出てくるザモスキって観音崎みたいね

マグロ食べに行くか。

2016-07-03

海水面上昇で餌場がなくなって人家付近に出没するようになった、非殺傷の希少保護動物バングラディシュ在住ベンガル虎に喰われ殺されるのがいいか

極右もいいとこの思想IS呼応した殉教の徒の、命がけの神への忠誠の供物としてテロの巻き添えくって死ぬのがいいか



前者はトラの食欲で喰われる。

後者はなんらかの思想によって殺害される。



どっちがマシなんだか。

2015-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20150611010546

誰も、人の気持ちを完全に知ることはできません。

ですが、「社会あなたに死んで欲しいと思っている」と自分自身で信じるように努力することは可能です。

それが確信に至れば、教義を守り殉教した人々のように、死ぬことはたやすいことです。幸運を。

2015-04-05

テロリストになってみた


これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係コミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。

数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。

当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
しろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペット小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。

自分は以前“その道”に近い場所にいた。
からはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初半年一年くらいは、彼らの生み出した言語習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。

彼らは小手先作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。

やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違い非難関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。

衰退以前からコミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。

世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難ものけが場を占めるようになった。
それどころか、作品評価と作者の評価混同されはじめ、
SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
まりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。

コミュニティからまれ作品を保管するサイト運営もまた、世代交代した。
以前の運営コミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務遂行していた。
運営引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。

その運営作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格キャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。

以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングアンチストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全場所だった。

飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味作品に触れることでもあったのだ。

現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。

今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。

私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。

けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。

そこで、修羅仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価コミュニティ評価乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
健全精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。

もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分酷評に対しては見当違いな人格非難憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ

先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティ樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。

作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
運営理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁思考の持ち主にすぎない。
ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である
そんな言葉を何度となく噛みしめる。

ちょうど一連の出来事は、例のISIL事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしま自分がいる。

僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。

さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ

2014-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20140718205515

もし、私が人事なら、採用以前、"童貞だった"という因子を組み込むだろう

会社のための英雄殉教する覚悟を求めるなら、それは欠かせない要素だ。

最もそれだけの逸材が何人現れるかは、賭けだがね



かく言う私も


( ・`ω・´) 童貞でね

2014-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20140702214601

例えば、今中国が圧倒的に軍事力に劣るベトナムに対して

「そこ俺の海だからな?あ?わかってるよな?あ?」ってやってるけど

アレに対して、軍事力ゼロで立ち向かえるか?ってお話

非武装軍隊を恐れない国」ってのは

「死を恐れず思想に殉じて殉教できる国民だけで形成された国」って意味になると思うけど

そこまで人間が統率されると思う?現実的に考えると、ちょっと怖いことが起きたらすぐ政権吹っ飛ぶでしょ。

戦争する覚悟必要」って言うけど、軍備をもたない場合

「脅されて肉奴隷にされる覚悟必要」になるわけよ。関税領海シーレーン、全部取られちゃうわけだから

んで、「いや、日本がそこ守らないと困るわ」って国家がいる場合そっちすら敵になってしまう。

日本がそれ宣言したら中国も暴れると思うけど、まずアメリカさんがブチギレで乗り込んで来るだろうなぁ。

ついでに、「平和へのコスト払わねーんなら、おまえ俺に何払うんだアアン?」って話にもなる。これも怖い。

かつて、アメさんは日本経済的奴隷にされかけた過去があるんで絶対やってくるだろうと思う。

んで、一番怖いのは非武装国家日本に対して「東京ちょっとミサイル一発撃ちこもうと思うんだけど

お金を払うか、わが国に特権を寄越せばその限りではない」って交渉(恫喝)を打って来る国家があったとして

それにどうやって立ち向かうか?って話なんだよね。中国アメリカどっちも確実に仕掛けてくるだろうし。

んで、あなたの「軍事力なんて大したキラーカードじゃない!」っていう思想

リアルな「頭の上にミサイル」っていう現実。どっちが勝つかな?って話でもある。

俺は怖いので、軍備は要る派。あなたはそうは思わないかもしんないけど、

後は多数決だなぁ。

 
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