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はてなキーワード: 特別支援学級とは

2018-11-30

anond:20181129231743

そんなにひどい例じゃないけど、自分特別支援学級文句いたことあるよ。だいぶ地域差があるみたいね

https://anond.hatelabo.jp/20170608163024

元増田の「先生に恵まれました」って感想は、よくわかる気がする。12年前の話だしね。

2018-11-29

特別支援学級教諭ってナニかワケありか左遷ポスト

https://anond.hatelabo.jp/20181128191150


特別支援学級教諭ってナニかワケありか左遷ポスト


この一文で増田が人でなしのように言われてるけど

地域によっては実際にあるよね

10~15年前の中学校の話

叔父さんの葬儀部活を欠席した女子いちゃもんつけられて顧問男性教師に突き飛ばされて机に頭をぶつけた事件があって

傷や痣ができるほどじゃなかったから表沙汰にはならなかったけど

もうこいつクビにしろよって思ってたら次の年養護学校に異動になってて本当に愕然とした

今は仕事関係小学校と繋がりがあるけど支援学級の担任

そりゃあ熱心ないい先生もいるけど「30人学級を担当する力量のない人」が選ばれることも多いかなという印象

人数が多かったり難しい生徒が多かったりする学年は実力ある先生が振り分けられて消去法でちょっとアレな人が残ったり……


はてなーって凄くいいところに住んでるんだろうなあって思う案件がまたひとつ増えた

いや私が住んでるところが民度低いだけか

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-11-23

児童に「バカヤロー」「殺す」…男性講師暴言

https://www.yomiuri.co.jp/national/20181122-OYT1T50017.html

男性講師は5~10月、勤務校の特別支援学級に在籍する児童全19人に対し、バカヤロー」「殺す」などの暴言を繰り返した。このうち担任する児童5人には20回にわたり、それぞれの頬をたたいたほか、女児に「猪八戒」という不適切呼び方をするなどした。「児童への指導がうまくできず、感情的になってしまった」と話したという。

猪八戒ってすごいなぁ…………

2018-07-09

anond:20180709172404

しいて言うなら小学校の時に特別支援学級たんぽぽ学級って名前だったせいか普通クラスちょっと変わったやつがたんぽぽって言われてたな。

まあ、小学生ぐらいなら珍しくもないエピソードかもしれんけど。

2017-10-20

anond:20171019232016

増田が言いたい事とは違うと思うが、中1のときにいた

の子は2年時から特別支援学級になった

2017-10-08

anond:20171008154706

A → 病院受診させる。医者次第だけど抗ADHD薬投与。薬物療法でよくならず授業妨害が続くようなら特別支援学級行きを検討させる。

B → どうしようもないので中学卒業後は高校には行かず高認を取得させ大学に行かせる。

C → 病院受診させる。医者次第だが抗ADHD薬投与。薬物療法でよくならなければクビを検討する。または障害者手帳を取得させ障害者雇用に切り替える。

2017-09-09

anond:20170909184309

良くないと思う。

こどもの成長のためには子どもにあった教育環境必要

発達障害知的障害の方が耐えられなくなって、

自傷行為に至ってから特別支援学級に入るのはかわいそうだ。

そういう状況に追い込んだ子どもと親にも難しい経験人生になる。

ただ、彼らは現実のものであるから世の中の現実を知っている。

それがどうした。

自分自身からは逃れられないのはすべての人だ。

2017-06-11

過度な期待はここにもか

日本の「お客様は神様です」という風潮と、「誰かが何とかしてくれる」という風潮が嫌い。

ニーズに応えたくても、こちらはそのような能力知識もありません、と言いたい例が多すぎる。例えば、特別支援学級に行かせたくないか家庭教師特別支援学級に行っていても勉強に遅れを取らせたくないと言っているおうちがあったりするんだけど、こっちは生徒の特質完璧に見抜けるわけでもなく、詳しく訊くことも出来ない。

そもそも説明に行っている人間が、学習障害知識もない、と言うレベル私自身も最近勉強するようになったくらいだ。

これから夏休みきっかけに、家庭教師を頼む人は増えると思うけど、良い会社、良い家庭教師ばかりじゃないから気をつけてください、と言うしかない。また、子供勉強嫌いや、興味のなさは、親が思っているより遥かに深刻で、どうにもならないことだと思ったほうがいい。努力ダサい、めんどくさい、ラクしたい、もっと楽しいことがある、子供はそう言うから。それに、高校行って、偏差値が高い大学に行けば将来安泰、というレールはとっくの昔に崩壊してますしね。

優等生肯定される時代は、もう終わったのかもしれない。SNSに加工した写真を載せれば、簡単いいねがもらえるのだからリアルでコツコツ勉強するより、ネットに逃げて、賞賛されるほうが楽しいと思うんですよ。

ネットに逃げないコツは、ちゃんと子供と向き合うこと、子供のいる環境理解すること、そこまですれば、彼らに必要勉強方法もなんとなくわかる気がするのですが、気のせいでしょうか。

ちなみにスマホ1台あれば、YouTube勉強を教える動画も見られますし、色んな学習アプリが使えます。それもわかっていてほしいですね。

2017-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20170608172020

コメントありがとうございます。たしか教員の確保が難しくて、今いる先生で回していくという方法しかなかったのかもしれませんね。

でも特別支援学級制度はもう10年続いてるんですよ。

それだけやってて実績も出ているわけですから採用から方法を変えて専門の教員を入れていく方向に切り替えてほしいんですよね。

この状態をいつまで続けるつもりなのか……と。

2017-06-08

中学校支援級の先生がド素人というシステム

うちの子小学2年生。今の小学校は昔とだいぶ変わっているので、基本的なことから

小学校には1〜6年生の普通学級と、特別支援必要とされた子が入る特別支援学級支援級)がある。うちの小学校では1〜6年生まで合わせて全部で20人くらいのクラスだ。おなじクラス内に5,6人の先生がいて、個別に教えている。一見、とても手厚い。

小学校支援の子ふつう障害の程度は軽い。知的障害が重い子は、専門の特別支援学校へ行くことが多いからだ。うちの子が通う支援級はほぼ100%自閉症スペクトラムの子のようで、いわゆる「発達障害の子どもたちだ。

支援の子普通級で健常児といっしょに授業を受ける形態を「交流級」と言う。うちの子国語算数についていけていないので、それ以外の音楽やら生活やらの授業を交流で受けている。支援級を卒業して普通級に移る子も、毎年ひとりふたりいる状態だ。

で、その支援級の先生を、「普通教員免許をとった普通先生たち」が年交代でやっていることをご存知だろうか?

毎年毎年、特別支援教育経験がない、普通の、ド素人先生にほぼ総とっかえになるのだ!

私は支援制度じたいはとてもいいと思っている。だがこの人事システム絶対おかしい。効率が悪すぎるし、子どものためになっていない。

ほとんどの先生は、望んで支援級に来るわけではない。単純な持ち回りか、担任として普通級を運営する実力が低いとされた先生などがやってくる。やりたくもない仕事にがっくり気落ちする先生もいるらしい。

が、私は意欲うんぬんよりもまず先に、経験者が少なすぎると思う。

どんな新米先生だって子どものころ小学校に通ったことはあるだろう。なんとなく小学生というものや、授業の様子はわかる。でも支援級の先生支援級に通ったことさえないのだ。学級担任として培ってきたスキルの多くも、役に立たない。

どんなかんじかというと、まず生徒の特性学習進度を把握するのが遅い。去年は入学してから1学期まるまるかけて、やっとうちの子性格などが分かり、信頼関係が築けて、授業の進め方ができてきた。

まあうちの子も1年生だからしょうがいないか…などと思っていたが、今年の先生に変わったとたんに逆戻り!6月になっても適切なプリントさえ出せず、ノートもろくに進まない現状だ。ほとんど勉強が進んでいる様子がない。

発達障害児勉強をさせる技術もそうとう低いのでは……と思っている。

うちの子自閉症スペクトラムIQは80前後だが、さいわい好奇心旺盛で学習意欲はまあまああるので、民間教育施設にも3つ通わせている(本人も行きたがる)。

そういうところでは生徒の発達のぐあいを調べる専用のカリキュラムテストが用意されていて、学習進度をすぐ把握してくれる。途中で先生が変わっても、子どもの特徴についての連絡ができている。週1なのに、よっぽど適切な学習進度の問題を出せている。

べつだん費用の高い施設ではない。働いてる人の給料だって学校先生よりずっと低いだろう。でも何年かやっているスタッフなら、支援級の先生より勉強をさせるのがずっとうまいのだ。発達障害児感情や行動を読むのもうまい

まあハズレの学習施設もあるのですべてではないが、小学校支援級はもろにハズレレベルなのだ。そこに週5回、通わせているのである

学校文句はない。私が文句を言いたいのは制度だ。学校先生より上の人たちに言いたい(どこに意見するのが効果的か、なぜこうなっているのかご存知の方がいたら教えていただきたいです)。この人事システムはどうかしてる。うちの子にかけられている税金の額を思えば非常に手厚い教育だと言えるが、内容はお粗末だ。

解決策を提案できるほどの知識はないけれど、私の支援級への希望は、特別支援教育を5年以上経験している先生割合が5割を超えること。そのくらい、いてもいいでしょ!? ほとんどの先生が実務経験1年未満ってどういうこと??

現状の支援級も、いいところはある。特別支援教育にはどうしても「介護」的な側面があるけれど、そちらは問題ないようだ。集団で楽しむことにも力を入れていて、そこでできた友達に会うことをうちの子は楽しみにしている。普通級もイヤではないそうだが、支援級が学校に通う目的ひとつになっている。

しかし上で書いたように、支援級に通う児童障害比較的軽い。もっとうまく勉強を見てほしいというほかの保護者の声もよく聞く。

この人事システムでなければ、うちの子もっといい教育を受けられたはずだ。おそらく小学校卒業までに改正は間に合わないだろう。高校にも行けないかもしれない。しか大人になると知的障害認定されるほどではないので「普通の人」として生きていくことになる……。これから小学校に上がる数多くの子どもたち、普通級にはまだ通えないが障害の軽い子たちを、人事システム犠牲にしないでほしい。

2017-03-31

教師から見る離任式

小学校先生、をしている。

……といっても正規任用ではなく、1~2年で異動になることの多い講師という立場である。今の小学校には1年在籍し、異動することになった。今年は3年生の副担任として充実した時間を過ごすことができた。この仕事は好きだが、私が今回疑問に感じたのは「離任式の在り方」である

異動になることが多いため、これまで様々な学校で離任式で壇上に上がる立場になった。離任式にある「代表の子どもが作文を読み、別の子が異動される先生方に花束を渡す」という一連の流れ。このときの「花束を渡す子ども」は、今までどの学校でも「その先生に1年を通してお世話になった子」が渡すことがほとんどである。そのため、離任式が近づくと「花束を渡してくれる子は誰だろう、一緒にかけ算の筆算勉強をみっちりやったあの女の子かな…、それともあの男の子かな…誰だろうな…3年生のどの子かな。」と、異動をする前は花束をくれる子が誰かを予想することが恒例になっていた。

しかし当日、私に花束をくれたのは「まったく関わりのない新6年の子」だった。異動されるすべての先生に「新6年」が花束を渡していた。私の横にいた特別支援学級先生は、学級に新6年がいるにも関わらず、まったく別のしっかりした優等生花束を渡していた。違う、何か、違う。これは、子ども可能性を潰している。

今回勤務した学校は「花束を渡すのは、しっかりした態度で渡すことのできる子ども」という選定基準だった。離任式というものは「先生子どもたちとの別れの式」である形式はあるが、「しっかりした子が花束を渡す」ことがすべてではない。ただ花を渡すだけではあるのかもしれないが、残る先生たちはどうか、異動される先生には「その先生とかかわりのある子ども」に花束を渡すようにするべきだと感じた。

見送りの際は、3年生の子どもたちがすごくさみしがってくれた。わたしもとてもさみしい。だけど、みんなと過ごせてとっても楽しい1年だった。次の学校でも、この仕事に誇りをもって頑張りたい。

教育困難校は大変だったけど夜間定時制地獄以外の何物でもない

教育困難校に勤務してるけど、もう無理

これを読んで県内一二を争う底辺校比喩ではない)勤務時代を思い出してニヤニヤしていた。

ニヤニヤできる理由簡単で、「ああ、昔はこんなこともあったなあ」と。

てっぺん手前は日常茶飯事、家庭訪問に行ったら数時間軟禁修学旅行に行けば生徒が補導

インターンシップに出せば受け入れ先と喧嘩、みたいな。

でも今に比べれば楽だったと思っている。そう、俺の勤務先は定時制高校、もちろん夜間。

まず日本語が通じない。比喩じゃなくって。外国籍が全体の1割近く。

日本国籍だけど親(母親)が外国人フィリピンタイ)で日本語が怪しいのを入れると2割ぐらい。父親はやけに高齢(70過ぎ)パターン

発達障害普通知的障害(軽中度)とか普通にいる。中学校特別支援学級だったのも全体の1割強。(この時点で1/3が何らかの理由日本語を相応に使いこなせない)

なのに療育手帳を持っている生徒が少ないのが不思議

あとは不登校文科省の指針(年間30日以上)に当てはめると7割ぐらいが不登校。年間欠席100日超(残りは適応指導教室に行ってて出席扱い)×3年とかい強者ゴロゴロ

当然高校生の授業なんかできないし、やってもそもそも理解できない上に教室にいない。統失とかリスカとかじゃ何とも思わない。

学校全体でも半分以上、旧俺のクラスで8割弱が欠損家庭(母子家庭父子家庭保護者が父母以外の家庭)。どうして児相保護されないのかというレベルネグレクトもたくさん(だから服が同じやつ・臭いやつが多い)

たばこで捕まるやつが少ないのは、金がなくてたばこに手が出ないからだ。「働きながら学ぶ」定時制高校で、正社員が全校で二人だっけ。




だがそんな俺も今年は耐えられそうにない。今年のクラスはひと味違う。

まず特別支援学級出身者が一クラスに2割以上(通級は現時点で不明)、具体的な人数ぼかすために割合で書いてるけど、特別支援学級特別支援学校高等部の学級設置基準超えてるからね?

全日底辺校で続かなくて辞めたやつがこれも2割ちょい。

保護・準要保護自動車を持っているので生保が降りない)でこれも半分近く。例の不登校基準に該当しないやつ(「するやつ」ではない)が数人。

親が1級手帳持ちとか、あと今はやりの代理ミュンヒハウゼン症候群臭いのも何人かいて(中学校からの引き継ぎは「子供が具合が悪い(嘘)、と言って休ませる」)面倒。

モンペとかクレーマーというか、そういうレベルじゃないのがもうてんこ盛りらしい。

ただ、中学校からこういう風に情報が来るのはまだましなレベル。特学在籍は要録の写し見ればわかるようになってるけど通級(普通級に所属して時折特学で授業をやる)だったことを隠す中学校は多い。個別支援計画も引き継がなかったりする。

で、4月がもうすぐ来るわけだよ。なんの対策もできない状態で。

どうか俺が次の年度末を迎えられるように祈ってくれ、頼む。

2017-03-30

ボーダーライン

12年間、ブランクはあるもの家庭教師をしている。

昔は自分学生だったので、気楽な気持ちでやっていたし、市街地から離れたところでの指導だったので、子供も親御さんもおっとりしている人ばかりだった。必ずおやつ飲み物が出され、成績が上がらなくても特に何も言われなかった。

生徒は本当に勉強のものが苦手で、集中力がない子も多かった。彼らの指導はしやすかった。

しかし今は、親の求めるものも高くなってきているし、おやつ飲み物も出されない。別にそれは全然構わない。

私が気になっているのは、「特別支援学級に入れることをすすめられているが、普通学級にいたい生徒」である小学校1年生でテストは0点、こちらが質問しても、全然違うことを答えたりするそうだ。

知人で、勉強が非常に苦手で、特殊学級(私たちの頃はそう呼ばれていた)をすすめられていた人がいた。その人は特別学級には入らず、偏差値の高くない高校では成績も良く、今では就職し、結婚して子供もいる。コミュニケーションはまったく問題のない人だった。

からすれば、普通学級に入れておきたいだろう。世間の目もある。しかし、低学年のうちはよくても、コミュニケーションなどに問題があれば、トラブルを起こしかねない。

私自身も、どこか問題がある生徒ではないかと言われていた。私は定規で直線が引けず、コンパスが使えず、いつも漢字の同じ部分を間違えた。お手伝いをしなさい、と言われても、ただ見ているだけではどこを手伝えばいいのかわからない。友達もおらず、植物図鑑を見て花の名前を覚えたり、とにかく本ばかり読んでいた。結局、保健室登校をするようになってしまった。

保健室登校をしている子はもう1人いて、その子友達がいなくて、怒ると暴力をふるう子だった。口でのコミュニケーションが苦手だったのだと思う。

結局彼女中学校にも行かなかった。私は不登校留年を繰り返しつつ、今もどうにか生きている。心療内科に通いながら働いている。診断名は躁鬱だ。ADHDADDには該当するような気がするが、はっきりとはわからない。

家庭教師をする前は接客業をやったり、ほんの少し飲食関係をしたことがあるが、恐ろしいほど仕事が出来なかった。精神状態が悪くなり、逃げるようにやめたこともある。幸いなのは、私がものすごく人に恵まれていて、仕事ミスが多くても周りの人がフォローしてくれたことだ。これには本当に感謝している。

しかし、算数がさっぱりわからない子って、どこがわからないんだろう? 会話が成り立たないって、どんな感じなんだろう? そのような子とうまく接する方法が、私にわかるだろうか?

算数がわからない子の気持ちはわかるような気がする。私も算数なんてさっぱりわからなかったからだ。ただ、算数がわからなかったことよりも、数学がわからなかったことのほうが印象的である。私は公式意味を知りたかったのに、先生説明ではわからなかったのだ。

算数がわからない子の中には、数の多い少ないがわからない子もいるらしい。それは新たな世界であるし、それは面白いことだ、と私は思う。

何をボーダーラインとするかは様々ぁなぁと思ったのだった。

2016-08-29

高畑裕太容疑者逮捕を受け

苦しい発達障害の現状を伝えようと思う

彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手ADHDの気があると思っているかである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。

ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしか自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。

私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思いますADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事ものライブチケットパリお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドパスポート駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。

要するに細かいことが出来ずミスを多発する。

人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからわずにいられない衝動に駆られる。何の呪い

話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。

先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。

自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。

しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業ストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系会社ADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたもの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズ拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミス無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。

私が言いたいのは発達障害からって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。

発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。

いや、絶対に昔からいた。

クラスに一人はやばい認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。

ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害

ねえ、そう思ったら多すぎませんか。

なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれから人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物遅刻はしないように気を使っている。

発達障害は往々にして鬱

高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。

これってすごいこと、私は母親教育は失敗に終わっていないと思う。

発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的性格もあってまわりから規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。

ハメられやす

私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストクリアするもの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。

なぜ障害が生まれるか

障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったか相手不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝可能性は否定できない。

また、高齢出産の影響も強い。卵子タイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性社会進出医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子劣化します。男性生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれ可能性高いです。イケメン隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。

ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカル対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活マネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。

2016-01-17

特別支援学級に行った発達障害者(知性水準は通常以上)の進路ってどういうもんなの?

伊藤かい自称医療ジャーナリストボコボコにされてるんで気になったんだが、特別支援学級ってそんなに素晴らしいもんなの?

経歴に重大な傷がつくと思ってるし、ほとんどすべてが自営やコネとかを除けば作業所障害者雇用の類でしか働けないもんだと思ってんだが。

2016-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20160112173050

>そもそも学校名でわかるレベルなら隠す選択肢なんてないし現段階でも一発でわかるから

俺は「知識が広まった」結果、特別支援学級や療養教育レベルの話でもバレることを危惧してるんだがな

やたら威圧しようと頑張ってるようだが、もう少し落ち着いたらどうだ?

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2014-01-29

http://www.futoko.org/special/special-03/page0630-159.html

発達障害者支援法が通ったことで、特別支援教育は、ひどい方向に動いています。もともと危うさはありましたが、それでも当初は、特殊教育から障害児教育と変わってきた流れを変えて、障害児の教育ではなく、みんながいっしょに学ぶインクルージョンに向けていこうという話でした。支援のいる子には支援を、しかし基本は同一教育という考えで「特別支援教育」となったわけです。

ところが支援法が通ったことで、特別支援教育は、軽度発達障害児けが焦点になったんです。これでは発想が逆になって、今まで普通学級で学んでいた子どもたちを、特別支援学級に抜き出して、そこで教育することになってしまっています。これによって、障害者地域へという方針まで揺らいでいます

子どもたちは総体としてのニードをもっているし、そのニードは、構成メンバーによって変わってくるものです。ところが、特別支援教育は、集団母体への支援ではなくて、個人への支援で、支援の方向が個別化されているんですね。それが、発達障害者支援法の特色だと言えます

2013-10-17

統合失調所の栄養学科

ツイッターアカウントを載せます

問い合わせは、こちらに。

http://twitter.com/prayishi

統合失調症23女性石田サナと申します。

中学生の時、統合失調症を発症しました。

それから、今は、8年が経ちました。

高校普通科全日制の、日本高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。

統合失調症と、その薬の副作用に悩まされながらでした。

しかし、普通科高校では、理系クラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。

しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦合格し、進学しました。

2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科入学し、今は4年生をしています

4年生の前期までで、100単位以上履修しました。

薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。

調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。

また、小学生の時から給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。

統合失調症を患ったとき栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。

高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。

実際に管理栄養士養成施設の大学学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。

そして、ある壁にぶつかりました。

管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。

そのうち病院必須です。

私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています

病状は、安定しています

それなのに、臨地実習というものは、大学教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。

心身ともにある程度安定し、大学にも毎日通えます

かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています

障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています

仕事障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署手帳コピーを預けています

就職支援をしてもらうつもりで、そうしました。

そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。

管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。

臨地実習の担当先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。

養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係必要なのです。

教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています

トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。

本来は、実習先には受け入れ義務はありません。

できれば断りたいのが現状です。

そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています

4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。

必修が取れないので、卒業はできません。

しかし、奨学金も4年を超えると受けれません。

経済的には、もう私が働かねばならない家庭環境です。

中退になりますが、退学し、仕事に就くつもりです。

もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます

大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。

隠し通して、授業を履修してください。

私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。

給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。

病気の壁には、勝てませんでした。

大学先生相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。

現在医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミン暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。

完治することは、ありません。

これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います

もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます

統合失調症は、珍しい病気ではありません。

100人に1人の割合患者のいる病気です。

それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。

これからは、障害者雇用仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。

 統合失調症石田サナ

こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田サナです。

ブックマークコメントツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。

私は、管理栄養士養成施設に、在学中です。

4年生で、その学校区分大学です。

私は23歳の女性です。

ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。

しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつてんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。

私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。

私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。

4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位ほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます

そして、世界は、美しいです。

花も、青空も、太陽も、美しいもので、世界は溢れています

この美しい世界に、生まれてこれたことを感謝します。

ほかの生き物、動物植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。

同じ系列病気の方へ

この世界に、絶望しないでください。

生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります

しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります

どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。

努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。

ツイッターからの、転載です。

私は、中学生とき統合失調症と診断された女性です

いまは、大学生をやってます

中学は、途中から特別支援学級に通いました

高校は、面倒みのいい私立で、全日普通科に行きました。トータルで四年通って卒業しました。

@kihara_hfpdd 本人です。入試面接はありませんでした。入学してすぐ、新入生全員で主要4科目の筆記試験をしたら、学年でトップ20人以内でした。つまりは、学力が十分あったから、入学はできました。

@kihara_hfpdd きはらさんから、なにか質問があれば、このアカウントツイートいただければ、答えます石田

@kihara_hfpdd 実習が、必修科目なんです。しかし、病気を隠して頼むことはできません。そして、病気を告げると、断られるそうです。

@kihara_hfpdd 留年です。来年度受けれる場所を必ず探してくるといわれました。その間在学するように。 (注意大学対応についてどうか?という返答)

もう、ほとんど卒業要件単位取っちゃったから、留年しても、受ける授業ないんだよね。

@kihara_hfpdd しかし、私は、退学するつもりです。四年超えたら、奨学金がでなくなったり、返済を求められるでしょうから

@kihara_hfpdd でも兄弟がいるんですよね。妹か弟かは、ここでは伏せますが、そっちの学費もかかるので、早く働いて楽させてあげたいんです。

@kihara_hfpdd 私は、高校生とき、とても成績が良かったので、奨学金が通りましたが、下の子は、めちゃくちゃ成績悪くて、まず奨学金を断られる成績です。でも、姉としては、望むなら進学させてあげたいんです。

@kihara_hfpdd バイトで、年間100万円以上稼げるでしょうか。留年すると、結構な学費を、納入します。下の子も、進学ですし、下の子奨学金制度使えそうにはないし。

@kihara_hfpdd とりあえずは、まだ大学四年生として在学していて、まだ退学願いは出していません。もう少し学校相談して、みると、いいかもしれませんね。

@kihara_hfpdd 仕事に就くこと自体は、できそうな健康状態なんです。ちゃんと通院して、服薬すれば、なんとかなりそうです。

@nohohondo 大学が悪いとは、あまり思っていないですね。私が統合失調症なのに、学力入試に受かったからと、面接してない大学入ったのが悪いんですよ。

@nohohondo でも、入試は、学力一定以上勉強ができれば、入学させてしまうではないですか。私も、大学入ったら、学年でトップ20人以内でしたから。管理栄養士として、不適格でも、勉強できれば、合格なので。

以上、コピペです。

実話です。

学力があったため、管理栄養士養成施設の大学合格して入学してしまいました。

統合失調症だったのに。

これは、著作権放棄します。

だれか、これをもとに、二次創作をしてください。

原案石田サナ、とクレジットを入れれば、自由に使ってくれてかまいません。

妹か弟を主人公として、「統合失調症の姉」という話でもかまいません。

まだ、大学4年生です。

ただ、3年のときも、実習先は来年度と、先生に言われ、信じていたら、4年になっても、いけませんでした。

そのため、管理栄養士の夢をあきらめるつもりです。

ここまで、読んでいただき、ありがとうございます

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