「卒園」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 卒園とは

2024-04-18

育児愚痴投稿する時ってさ、毎日毎日子供ご飯あげてお風呂に入れて綺麗にして、保育園卒園しても学童まで近いのに車や自転車心配から毎日徒歩で送迎してるし、未だプニプニお手手が可愛くて寝顔世界一子供大事で大切です!って前置きしてからじゃないとただの愚痴だって伝わらないし虐待だと思うのどうにかならないの?本当に虐待だと思うなら通報したらいいんじゃない

2024-04-07

anond:20240407145004

頼んでないのに子供卒園式の写真とか、

奥さん写真を見せてくるお客さんもいた。

なぜ?

これだけは、同じ男の俺でも本当に謎だと思うよね。

自分浮気者だとアピールするって、普通マイナス印象与えるんじゃない?

一ヶ月程度風俗嬢やってみた

4/9 追記

様々な意見を頂けていて驚きました。

読みづらい文章なのにいろいろ反応を貰えていて嬉しいです。

曲解されてるかもなので補足を書きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

写メ日記という風俗業者自身の近況とかお客さんへのお礼とかを投稿するSNSサービスがあります

一般的忌避される職業だという事は承知の上で投稿しました。

  • 卒園式の写真~これだけは、同じ男の俺でも本当に謎だと思うよね。~

私もこれだけは本当に不思議です。

小中は家倒壊でほぼ不登校、定時高でまともに通えるようなったので

大学入学するまでは同年代の子世間話をする機会が少なく、

文面がかたくなってしまっているかもしれません。

普段仲良くしてくれている友人達と話している時もズレは感じています

  • 既婚者は風俗に行くことを家族に隠しているケースが多い。~

個人的には理解できないけど、言われてみれば確かに背徳感に訴えるシチュ

好きな人が多い印象あります

人妻や、賛否分かれるNTRが人気なジャンルな事も知っています

入店したての頃の数日は混乱で気持ち良いも何もなくて、

ある程度出勤してみてから体感殆ど流れ作業でした。

ただお客さんのテクニックよりかは、オプションのローターや

電マの方が気持ちよかったです。これは私個人意見です。

金銭感覚については私もかなり実感しました。

普段過疎地賃貸に住んでいて、元々のバイト給料生活学費以外はゲームやリアイベ、

たまにライブ遠征へ行くくらいにし使っていなかったのですが

このまま続けていたら駄目になると感じました。

200万稼げるってこと~の方は生活水準が高くて羨ましいです。

  • 相手の男の情報より一回いくら(客の支払いのうち何割貰えるか)稼げるのかとか~

手取りは6割でした。1日で5回呼び出しあれば多い方でした。

1日に入った数はその日によって変わりましたが7人が最大でした。

  • やっぱり女を抑圧したがるのはホビしかおらんのか~

その蔑称は知っていますが、難のある性格や人柄は身長起因ではなく

その人個人問題だと思っています

偶然かわかりませんが東北在住で東北他県のお店に採ってもらったので

そこらへんはよく分からないです。

梅毒患者が増えていることは知っていた上でした。

今のところ何かに罹ったわけではないとはおもうけど、

浅はかだったとも思います

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下本文です。

大学春休み期間、一ヶ月デリへルやってみました(退店済)。

投稿行間の開け方いまいちわかりませんでした。

独り言です。

-

・ちnこ臭い人が意外といなくてワロタ

軽度の鼻炎持ちだからかも。

あと年齢近くてもしっかりメンズ脱毛してる人が

多くてびっくりした、みんな金持ちだね。

-

・意外と160cm以下の男性が多かった

私161cmで女性平均より高めなんだけど、

普段なかなか自分より背が低い男の人を

見かけないかちょっと混乱した。

-

体感7割既婚者でワロタ

頼んでないのに子供卒園式の写真とか、

奥さん写真を見せてくるお客さんもいた。

なぜ?

-

仕事の隙間時間で来る人結構居てワロタ

たまの息抜き大事だけど、怒るくらいなら

無香料ボディソープがないラブホに呼ぶのやめて。

-

・さも当然に挿れようとしてきてワロタ

なぜ、ソープに行かない?スタッフ召喚しようとすると焦るのダサいからやめよう。

-

ネットでよく言われてるコンビニスイーツ特に生菓子)持ってくるお客さんが本当に多くてワロタ

予約が続くとバッグの中で腹下し菓子

なっちゃうから控えてほしかった。

値段とか価値とかの話じゃなく、

捨てるしかなくなっちゃうからもったいないよ。

-

写メ日記自撮りスクショ保存するのは規約違反だろ(スタッフに報告済み)

・ビジホのユニットバスに無理やり2人で浸かろうとするのはなぜ?

・まんkに指突っ込んだ手で髪撫でるのよくない

ボディソープマンこの中洗うのもよくない

・唾つけた指を万こに入れないで

・ベロチューはいいとして顎とかほっぺた舐めるコスメ味で不味そうなのに何故やる?

乳首つの9.9割興奮してるわけじゃないからあまり執拗に弄らないで。取れる。

-

-

311親族殆ど居なくなっちゃったから

正直性風俗に足踏み入れた罪悪感はないです。

-

自身男性向けエ口漫画や成人向けアニメが好きで

でーえるさいとや紙同人結構お金入れてるけど、

実際にされてうわ〜ってなった行為の大半が

工口同人内でヒロインがされてた事でした。

-

Twitter男性の、特にAV二次元に対する

性欲を一方的批判しがちな層に

夜職が多いのもなんとなくだけど理解できました。

今までフィクションなんだから好きにさせとけって思っててすみません

-

女でもフィクション内の行為を実際にされなきゃ

これやだって感じなかった事ばかりで、

男性側がわからなくても当然だとは思うけど

フィクション鵜呑みにするのは本当に良くない。

自戒も込めて。

-

後悔はあんまりしてないけど、

もう二度と従事したくありません。

-

稼ぎはPS5と半年程度の生活費に使います

2024-04-01

早生まれになってしまった

と思う親御さんへ。

4年前の4/1に同じことを思った親より。

早生まれで小規模保育園から幼稚園(預かり保育つき)に進み、年少の1年間が終わりました。このルート早生まれさんにオススメだと思ったので詳細を以下に記します。

もちろん、子の性質によるところも大きいです。人間個体差でかすぎ。

あと、保育園だろうが幼稚園だろうが、子供と園の相性が第一です!!!その前提で書きます

【小規模保育園のススメ】

小規模保育園は2歳児クラスまでしか設置されていないので、年少に上がる時にもう一度保活必要です。これが最大のデメリットですが、それがメリットでもあります

(なお、小規模保育園卒園後に進む保育園幼稚園が確保されている保育園もあります。通っていた小規模保育園もそういう提携枠が数名分はかありました)

早生まれにとっての小規模保育園メリット

・1歳4月入園でも比較的入りやす

 …やはり年長まである保育園が人気なので、1歳4月でも比較入園やすい印象があります

早生まれが多い

 …上述の理由により、早生まれが多い。通った保育園の同じクラスの8人中6人が下半期生まれで、そのうち早生まれが4人でした(しか4月6月まれは0)。ということでクラスのお友達と発達具合が大きくズレるということはあまりなかったです。

離乳食の進みを調整してもらいやす

 …これは園の考え方にもよりますが、我が子は歯が生えるのが遅く、従って離乳食の進みが遅かったのもあり、入園時点でまだ幼児食は食べられませんでした。相談して1人だけ刻み食にしてもらえました。中には1歳児クラス問答無用幼児食の園もあるので、保活時には必ず確認してください(違う園ですが、1歳成り立てでは食べられない形状のオヤツを出されて窒息しそうになった早生まれ仲間がいる…絶許)

・2歳児クラスで「集団の中で一番お兄さんお姉さん」を経験できる

 …これが小規模保育園の知られざるメリットです。鶏口牛後ではないですが、2歳児で集団の「最年長」を経験するとグッとお兄さんお姉さんになります(ただし子による)。

幼稚園の預かり保育のススメ】

働き方が許すのであれば、小規模保育園卒園後に幼稚園の預かり保育をご検討ください。我が家母親会社が3歳以降も時短を使えるので利用できています

幼稚園で「しっかりした子」と思われる

 …子の性質によります。が、おそらくほとんどの子が初めての本格的な集団生活の中、保育園2年間でみっちり集団生活をしてきた子たちは幼稚園生活に慣れるのが早いです。我が子も入園したての頃は、泣くお友達を宥めたり、お友達のお手伝いをしたりしていたみたいです。一番年下の癖に。そしてなぜか「しっかりした子」感を醸し出しています

これがいわゆる「早生まれデメリット」の一つを打ち消す、小規模保育園から幼稚園にすすむ最大のメリットです。

ということで、子の性質によりますが、早生まれちゃんこそ小規模保育園から幼稚園ルートをご検討いただくのは一つでは?と思っています。少なくとも我が家は小規模保育園から幼稚園でよかったです。

早生まれになってしまって保活どうしようと落ち込んでいる方に届きますように。

(ズレますが、早生まれ児童手当総額が少ない問題マジで何とかしてほしい。不公平すぎる)

早生まれ関係ない幼稚園メリット

幼稚園と合うか合わないかはもちろんあります(お勉強系やのびのび系など)。が、それ以外の面で幼稚園がいいなぁと思っているところです。保育士さんだけじゃなく、幼稚園教諭の待遇改善を望みます

・合否が早い

 …幼稚園の合否はだいたい秋に出ます。なので保育園の3歳4月入園と並行して手続きをすすめ、幼稚園に決まったら保育園選考を辞退することができます2月頃に合否の出る保育園と違い、秋に進路がわかるのは職がかかっている身としては精神衛生によいです。

幼稚園の預かり保育中の習い事

 …平日の習い事ができない共働き家庭にとってはありがたい存在。お月謝がリーズナブルなことも多いようです。

・預かり保育の最後の方の時間の保育の手厚さ

 …我が子を預かり時間最後の方まで預けているのですが、園児の人数も少なめになり、出欠具合によっては先生マンツーマン時間もあるようです。最近は、先生の力を借りながら工作ブロック創作意欲を満たしてもらっているようで、マジで有難い。

・お昼寝がないので夜早く寝る

 …お昼寝の要らない子にとっては大きなメリット幼稚園の預かり保育ではコットなどでお昼寝することもできますが、一律のお昼寝時間はありません。我が子は新生児の頃から睡眠時間が少なめで、2歳のはじめにはお昼寝がなくなりました……。2歳児クラスになってからは、保育園でお昼寝をすると就寝がテッペンを超えることもあったので、幼稚園のお昼寝なしは我が家にとって救いの一手でした。

以上です。

マジで早生まれでよかった!!!!!!あと数時間まれるのが遅かったら去年1年も保育園で昼寝あり生活だったとかマジで考えられない。2歳児クラスの1年間は、親の睡眠自由時間が確保できておらず、メンタル含む体調を崩して休職していた可能性がかなり高い。マジで早生まれありがとう!!!!!!!あと4歳おめでとう!!!!!!!!!

2024-02-07

自転車、どう足掻いても邪魔

車道を走っても邪魔歩道を走っても邪魔

早く走っても邪魔。遅く走っても邪魔

気を付けて走っても邪魔。気を付けて走らないともっと邪魔

どう足掻いても邪魔

そんな乗り物毎日乗ってる。心底嫌になって来た。

でも乗らないと保育園の送迎が無理。

子ども卒園するまでまだ大分ある。気が重い。

2024-02-01

おひさまうどん

月みうどんと呼ばれているものがある

煮込んでいる最中うどんに卵を落として

ぽってりどまんなかに月を浮かばせるやつだ

我が家ではそれの少し変わった版を作る

やり方は簡単で、出来たうどん半熟卵を半分切ってのせるだけ。名は「おひさまうどん

どうしてこんな名前になったかは母が前に話してくれた

私が小さいころテレビを見たのか「月見うどんが食べたい」といきなり言ってきたらしい

しかし、生の卵は全てゆで卵にしてしまっていて

たったひとつゆで卵けが残っていた

仕方なく、小さい器にうどんを作ってそこに半分に切ったゆで卵をのせた

すると私はこういったらしい「月じゃなくておひさまがのっているよ?」と

「そうだね、これじゃおひさまうどんだ」

母は苦し紛れにこう、返した

これが「おひさまうどん」の由来である

思えばこのうどん、変な時しか食べた記憶がない

卒園式の翌朝とか修学旅行から帰ってきた夜とか

一人暮らし何となくさみしくなった時とか

そもそも卵がふたつあったらおひさまをふたつ食べちゃうことになるだろとかそんなこと言ったら月見うどんだっておひさま色だろうとか

考えてみたらキリがない

そんな時は佐良直美の歌を思い出す

「あしたはあなたに心を残し

あしたはあなたと別れる私

つめたい女だと人は云うけれど

いいじゃないの幸せならば

そして今日もふたつのおひさま

おいしくいただいている

2024-01-29

anond:20240129142710

・頭良かったんだけど顔は水星魔女でいう「狸顔」なので相手にナメられてることが多かった(地顔時)

・顔をがっちりメイクするととたんに美女女優顔になるので相手が構えてきて告白などされない(頭よくて女優顔だと、はなしかけたとたんに取って食われるとおもうらしい)

さら卒園式などでフルメイクすると実の子供に怯えられるレベル 確かに美魔女っぽさはある

仲人したとき留め袖着つけたのんホテルでフルメイクすると実の親が娘と気づかなくなった(目の前で、増田ちゃんどこ?と夫(=親からみて婿)にはなしかけてた)

 

結論メイクが映えすぎる顔も問題だなあ、ここぞというとき以外は素顔でええか~

・余談:若い時は鼻が大きすぎるとコンプレックスだったが

   メイクすると目鼻立ちがバランスとれることをおしえてもらったのでホテルとか美容室かに感謝している

   素材としていろいろ遊べる顔でコスプレもやったりしたのだが

   一時期、垂れ目だしドロップサングラスアメリカ女優みたいに掛けたらどうだろうとおもったら

   まーートムキャットみたくなって悲しくなった 今でもFB777を他人とおもえないとこある

いまはかわいがられることより暖かい部屋と体にいいご飯と一人で眠れる寝室と一人の時間が欲しいですね

家族とは十分仲が良いしこの先死ぬまで安泰とおもえると「かわいく思われたい」なんて余計な望みなんてなくなるんよ

オレが世界の中心だみたいなそんな気持ち

かわいくなりたいって他人評価世界の中心においてるじゃん もう全然どうでもいいわ

2023-11-02

温水プールいったら女子小学生と仲良くなった

俺が保育士してるから

卒園生らしい

相貌失認なので

さっぱりわからねえ

2023-08-16

中山功太怖い話ちょっとゾッとした

保育園ときブダチがいたんだけど卒園したタイミングでその友人が引越し転校してしまった。

そのままマブダチとは別れて小学校入学中山母親学校の別の友人に、あの転校してった子元気してるかなぁ、的な話したら全員、「誰それ?」って

自分しか記憶がなかったという

2023-07-09

anond:20230709161307

ウチは上の子がもうすぐ卒園だし

の子男子から多分オーライありがとうございます

企業内保育うらやましい。

目が行き届く環境なんでしょうね

2023-06-17

また、娘の卒園後の教育については、「人口が少ない町の小学校で育てるのってどうなんだろう?」という心配が出てきました。

もちろん人口が少ない町の小学校で育つのが悪い、ということではありません。私たち夫婦人口の多いところで育ったので、イメージがつかないのです。



いや、少なからネガティブな印象があるから心配してるんでしょ。

なんで変な自己弁護してんだろ

2023-06-08

子供を産むことをオススメはできない

30代、2人の子持ちの主婦

ここ数日で見かけた小さな子供産むべきか論争」を見てふと自分も呟きたくなったので記録したいと思う。

結論としては、子供を産んでよかったが、子供を持つことを他人オススメ絶対できない。

私は昔から自分より年下の子供が好きで、近所のちびっ子達の親御さんに、いまだに感謝されるくらいに面倒見がよい子だった。

中高の職業体験では幼稚園選択したし、電車赤ちゃんを見かけたら可愛くて思わずいかけてしまったり、手を振ってしまったりするタイプ

(職業体験を通じ、多くの幼児の命を預かる責任自分には重すぎると感じて早々に見切りをつけた。保育士幼稚園教諭には頭が上がりません。)

「いずれ子供が産みたい」と漠然とした思いを持って大人になったが、それが"女は子供を産むもの"という社会から刷り込みによるものか、はたまた生物本能なのか、そんなことはわからない。

中学校の保健の授業で女性妊娠についてざっくり学ぶのだが、そこで妊娠の適齢期や高齢出産による染色体異常などのリスクについて知り得た。

身体妊娠機能という一点にのフォーカスするなら、早く産む方がいいのだという意識をこのころから持つようになる。授業を人一倍真面目に聞き、そして自分と関連づけて反芻するタイプの生徒だった。

中学高校と成績は優秀で旧帝大に進学。新卒地元企業就職した。

職場は"産休育休が取りやすい"ことを売りにしていたのも大きなポイントとなった。この時点では産休取得は社会的にメジャーになっていた為、働きながら子育てすることにポジティブイメージを持っていた。

大学に6年通い、この時点で24歳。

私は産休育休3回取ったからね!と豪語していた女性の先輩をロールモデルに頑張ろうと働き始めた。

ママさん社員たちは時短勤務である。他の社員が早めに出勤して掃除をし、朝礼を済ませ、諸々の雑用を終わらせた頃にやってくる。そして一切の残業をせずに帰っていく。ロールモデル先輩はもう10年程この働き方を貫いていた。

子供がお熱ですと連絡があれば早退していくし、高確率で次の日も休む。運動会卒園式などイベント目白押しだった。

皺寄せは確実に他の社員にきていた。産休とりやすい!のカラクリは、他の社員の頑張りでしかなかったのだ。そこまでの実情は大学生の私には見抜けていなかった。

10年かけて先輩社員子供を産み育てている間に、中堅の先輩達は結婚適齢期にさしかかりながら、デートする間もなく残業の日々だった。

私は結婚もしたいし子供も産みたいが、他人犠牲の上に成り立つ"そっち側"にもなりたくないという思いがただひたすらに募った。

Twitter上では"他社員への負担会社側の問題であり、ママ社員問題ではない"という論調が目立つし、まあそうなんだけど、じゃあ実際問題どうすればいいのだろう。

常に余裕を持った人員配置をしたとて、穴を空けることにより少なくとも通常なら不要なはずの手間なり迷惑はかかるし、どうしても子供のいない人の方にばかり負担がいくことになる。

時間勤務でもパフォーマンスさえ良ければ問題ない職種もあるだろうが、早退や欠勤がモロに損失となりうる職種もある。(ママ社員だけ取り立てて有能でなければ生き残れないというのも不公平な話だけれど)

自分が休んだとて全く問題ないなら、それはそれで最初から必要なくないか?ただの給料泥棒じゃ...という思考にも陥った。

私の場合入社後すぐに海外出張ありきの新しいプロジェクトを任されており、子供を産むとなれば確実に継続は難しかった。

26歳のとき結婚の話が出たときに、私は潔く退社を決めた。(これは夫のある程度の収入ありきの話で、一般化できる話ではないが。)

子供はいつか欲しいと双方の合意はあったし、彼の勤務地に引越すに際して私が退社することも相談して決めた。

ここまでの文章で私がまるでキャリアに興味のない女に捉えられたかもしれないが、仕事は充実していたし本当に天職だと思えていた。かといって働く為に生きているタイプでもない。

パートナーを愛していたし、結婚して家族を作りたいという私の人生は優先するとして、確実に周囲に迷惑をかける前提で仕事を続けることが、性格上できなかったのである

時間は不可逆である。私はもう、あの教科書でみた25歳を超えていた。

結婚後は新しい土地で割とすぐに妊娠したのだが、つわりが人の倍重いタイプだった。ここで地獄を見ることになる。昼夜問わずに吐き続け、一切の水分も受け付けず、極度に痩せて入院となる。

病名は重症妊娠悪阻。食事が摂れないので点滴での栄養と水分補給となった。

そしてトラブル続きの出産となり、緊急帝王切開出産。息子はNICUに入ることとなる。

(現在特に問題なく元気に育っています。)

人よりは子育てへの解像度は高いという自負があったが、それでも初めての育児想像を絶した。

(というか、子育てで極限の状態に追いやられた時に自分がどれほどしんどいかなど完全に予想するのは不可能では?)

よく「わかってて産んだんだろ」という母親への辛辣コメントを見かけるが

文字通り"何があっても"自分は心身共に大丈夫だし、愚痴の一つもでないと誓える人間などいるのだろうか。

我が子はとにかく睡眠が下手で、そして食べない子であった

つわりが始まったこから、そして息子が朝まで寝るようになるまでの計4年半の間、私はたった一晩たりとも朝まで眠れたことがなかった。なんの誇張もしてない、事実であるシンプル寝不足。この一点だけでも育児はキツすぎた。

マミブレインとも呼ぶらしいが、自覚できるほどに頭が正しく働いていなかったし、この状態復職など私には無理だった。

睡眠食事、お風呂トイレなど生物として基本的欲求が満たされないので、高次のところに欲求いかなくなる

ものすごく下等な生物に成り下がった気分を日々味わう。

もう何回も擦られたフレーズだが、「社会から取り残されて子供自分だけの世界」で、なんの金銭も生み出さずゴミのような気持ちになったりもする。

身体的に辛い時間が長かったのもあり、第二子は4歳差になった。

そんなしんどいのに第二子作るんかい!?というお声が聞こえるけど

本当に私だって自分でそう思う。

でも子供達はどうしようもなく愛おしくて可愛くて間違いなく私の宝物なのだ

子育てが最高にしんどいのと、子供が最高に可愛いのは両立し得る。なんの後悔もない。

ただ、どういうところがいかに辛く大変なのかはいくらでも言語化してTwitterに垂れ流すことはできるが、どういうところがプラスなのかはこのくらいフワフワした言葉しか説明がつかない。

子供いらない派を引き込んでアピールできる材料は私にはない。

それくらい育児過酷であるし、女性妊娠出産に適した時期に結婚して子供を産み、無理なく安心して生きていける社会構造では全くない。

そして何より、産むことそのもの身体的負荷はどっちにしろ回避できない。

子供産むのサイコー!」とは絶対に言えない

耐えかねる人は絶対にいる

無理な人は絶対にいるし理解できるというのが私のお気持ちである

2023-05-29

母が死ぬまでは死なないという確約が欲しい

俺は30代なりたての男なんだが、大学生の頃から死恐怖症(特に癌恐怖症)が治らない。

きっかけは大学時代病院に行っても解決しなかった謎の膝痛に数ヶ月近く悩まされたこと。レントゲン撮ってもMRIやってもわからなかった。

色々調べてた時に見つけたのが骨肉腫という病気。そしてYouTube骨肉腫を再発し当時の自分と同じ年齢で亡くなった女の子の闘病ドキュメンタリーを見たことがきっかけだった。結果的に膝痛はなくなり今ではなんともないが、それ以来俺は癌恐怖症になった。

記憶にないアザや怠さ、歯茎出血があれば白血病しこりがあれば悪性リンパ腫、ほくろがあればメラノーマ下痢になれば大腸がん、幼少期からの鼻炎持ちで鼻くそに血が混じれば副鼻腔癌などなど。

何か一つの症状がある癌に当てはまれば癌だと思い動悸や立ちくらみに襲われ「ついにか…」と倒れそうになる。バイトもあり、思い立って翌日に病院に行ける訳ではないため病院に行き検査結果が知らされる不安で何も手につかない。総合診療医では信頼できず各専門クリニックに行くのでセカンドオピニオン含め財布には12枚の診察券、そして4つの病院電子診察券を持っている。

「30歳でバイト?」と思っただろうが、この性格なので癌に当てはまる症状が出ると何もできなくなる。留年もしたし、就活も失敗したし、公務員試験も失敗したので現在バイト暮らしだ。県立中高一貫校から一橋商学部卒業しているので、幼少期からの親の教育投資を随分無駄にした。

死への恐怖は癌だけではない。電車では後ろに人がいたらホームの先頭には立てない。強盗が怖く、自宅を買い集めた防犯グッズや自作防犯システムで完全防御。大通りや赤信号も常に警戒。

俺は自分死ぬのが怖いわけではない。

俺の両親は俺が幼稚園卒園前に離婚しており、以来母が看護師として育ててくれた。自称経営者の父は養育費大学学費用なども「無い袖はふれない」と一切出さず、母は実家とも疎遠なので大学卒業するまでにかかったお金は全て母が稼いでくれた。

俺は母に「母よりも長生きする」「立派になった姿を見せる」「妻と孫を見せる」という3点を誓っていた。しかし、この死恐怖症によりレールから脱落し立派になった姿を見せることも結婚も孫を見せることも不可能になった今、俺が母のためにできることは母よりも長生きし母を看取るということだけである

から俺は何があっても母よりも先に死ぬことができない。先ほど言ったように母は独身実家とも疎遠で俺は一人息子なので俺が先に死んだら母は一人になってしまう。

それなのに、常に俺に忍び寄って来て隙があれば俺の命を狙おうとする癌や突然の事故犯罪に対して俺は極度に恐怖し強い怒りを感じる。

永遠の命はいらないから「母が死ぬまでは死ぬことはない」という確約が欲しい。

2023-05-09

anond:20230509160139

一番駄目なのは「ウチの子は健常者だ!」って思いこんで色んな園回って押し付け普通生活させようとすること。支援センター医師の診断結果出た後でもそれをすると確実に子供の将来は暗くなるよ。

うちの子場合最初に入れた保育園にて4歳までは何も言われなかったけど、

5歳の時に当時の受け持ちの保育士が「発達障害認定受けてきてほしい」と依頼してきたよ。

それで支援センター行ったら診断的なことせずに確定事項として話を進めてきたので

「ウチの子は健常者だ!」として転園することにしたよ


んで転園先では「この子のどこが発達障害なの?」って感じで普通に受け入れてくれたのでそのままそこで卒園まで居た。

小学生になってからも一回もそんな話出てない


これが正しかたかはまだ分からないけど、園や保育士のやり方や相性に左右される部分はあると思うよ

2023-04-27

幼稚園会計マジでクソ

くじ運悪く会計担当となった。これはしょうがない。

ただもうね色々ひどい。

●引継ぎという名目で何も言われない為資料見ればわかるよね的な対応

●細かい預金利息まで計算して逐一報告。しか不正防止でメール現金手渡し。

しか会計係2人で入出金しろかいう謎仕様

(そら不正防止とかわかるけどそこは幼稚園でやれよ~というの多数)

●で、結局何すれば良いの?という要点が何もまとまっていない。

LINEグループチャット地獄。いい年したじじぃばばぁが顔文字ビックリマーク多数使用で引いた。

「さすが△△さん!すごいです!」、「よろぴくー」とか・・・

てか過去コロナ陽性者一覧とか渡しちゃだめだろ・・・

豆だけど良くある卒園時とかの風船1個700円とかだって・・・ボリすぎだろ

2023-03-14

から身内の依頼は受けたくねーんだよ

今はしがない会社員なんだけど、無職間中趣味実益を兼ねて個人相手デザインイラストを受注製作していた

依頼料は個人相手だし同人誌の表紙やグッズ、ノベルティロゴデザインが多かったか納期長めで格安

もちろん短納期場合は割増料金をもらっていた

********

で、タイトルの話

卒業卒園シーズンで身内が子どもの通う園の記念品製作係になった(保護者間でくじで決まったらしい)

卒園式が間近なのにデータまだ出来てないとか聞いてて「大丈夫かよ」って思ってたんだけど、案の定自分じゃデータ作るの難しいからってギリギリで依頼が来た

まぁ身内なので可愛い親戚(子ども)のためにデータ作ってやるかと色々ヒアリングしてラフを幾つか提案

「じゃあデザインはこれで」って話はまとまったんだけどそこからマジで最悪

----

・その1:作る商品がまだ決まっていない(何を作るかは決まっていたからどんな形状のデータを作れば良いか分かってたけど)

・その2:製作に着手してからやっぱりこここうしたい~ってリテイク(短納期は基本リテイクしない)

・その3:やっぱり報酬これでお願い(こっちは平日仕事作業できる時間限られてんだけど?しか普段受ける料金よりかなり安く提示された)

----

印刷所の締め切りと納品予定日って言葉知ってる??????

ヒアリングからラフ提案製作含めて平日3日で入稿までやったけど、過去に依頼受けた人達の方がマジ天使だった

「この日程だとこの料金になっちゃうんですが大丈夫ですか?」って聞いたら「大丈夫です!お金は出します!」って言ってくれる人が多かった

まぁ希望デザインふわふわ優柔不断な人もいて物凄く苛ついたこともあったけど

********

もちろん普段はこの金額で依頼受けてるよって金額提示したら「えー!たかーい!!」って言われたわ

リテイクの内容聞いて超特急デザイン組み直してたら、すっげー不機嫌な顔でデザインに組み込む名簿渡して来た

なんなんだよもうふざけんなっての!!!!!!!こっちが不機嫌になるわばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか!!!!!!!!!!!!!!!!!!

親戚が可愛いから今回はワガママに付き合ってやるけど次はねーから!!!!!!!!!!!!!!!

ちなみに記念品は可愛くできたから満足。報酬はあまりにもムカついたから受け取り拒否した

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-06

anond:20230306163218

社会はお前よりはるかに賢い人によって運営されてるからな、お前は心配しなくてええんや

多分お前は幼稚園卒園するところから始めないと、差別と他の人権緩衝というのが複雑高度な丁寧な議論によって政治されてるのを理解もできんやろうw

お前の話から読み取れる知的レベルでは、複雑すぎて理解させることができる気がしない

ちょっとお前には難しいと思うwww

anond:20230306104718

エビデンスの使い方間違ってるけど恥ずかしくないの?

法制度は住人のもので住人によって住人のために住人の意向でつくられてきたわけで、私の気持ちエビデンスなんて揶揄するのも意味不明だしそこは今回の件では1ミリ問題じゃないんだけどww

これだから情弱キモオタは…知能が低いし幼稚園すら卒園してないもんな

相手にするのすら馬鹿馬鹿しい

2023-02-22

anond:20230222110142

イスラム社会は男女について理解が深まっているwwwwwww

データを見るとか調べる事を覚えたらいいと思うよ

幼稚園卒園できてないらしい

2023-02-04

卒園の贈り物、取りまとめめんどくせぇ

みんなで先生への贈り物するんだって。一人のママが言い出したのが12月。ただでさえ忙しいのに、誰が取りまとめやるんだって話になり、一人っ子の私のうちと言い出しっぺのママともう一人の3人でやることになった。

この二人のママときたらマジで仕事したことないんじゃないかってくらい段取りが悪い上に、仕事が忙しいアピールばかり。そのくせ、卒園式の後に合唱したいだの、記念品園児似顔絵描かせたいだの、一向に話が進まない。普通にお菓子渡すだけでいいじゃん!なんだったら個別にやってもいいんだよ!

そんでね、なんだかんだ記念品お菓子段取りできたんだけど、園児一人当たりの会費は790円なんだと。雑費も入れて800円にしましょうって言ったんだけど、多めに取って余らせたくないので!お釣りの無いように言います!…とか訳のわからんこと言ってる。小銭じゃらじゃらは用意するも数える方も面倒なんだよ!ばーかばーか

卒園式の合唱はまだ何にも決まってないけど、もう二月。とりあえず未読スルーしとくわ。そのうちタイムアウトだろ。

2022-11-26

ママ友を自宅に招いたときのはなし

ただしくは『娘の同級生(男児)の母親』であって、ママ友ではない。

便宜上、わかりやすいかなと。

娘が幼稚園年長のとき

運動会があり、そこでその娘の同級生写真を撮った。

たまたま、偶然。

そのわりによく撮れていたので、その子母親に渡したくなった。

娘と3年間同じクラスだったその男児の母親とは、参観で軽くあいさつをする程度の仲。知り合いというか、顔見知りくらいのレベル

なので参観でこちから声をかけたとき、すごくびっくりしていた。

男児の家は幼稚園からかなり遠くて、その地域から通っているのは学年に1人いるかいないかくらいだったので、知り合いのいない母親は参観でいつもひとり。

から、急に話しかけられてどう対応していいのか困っているみたいだった。

デジカメで撮った写真を渡したいのでうちに遊びにきませんか? と誘ってみる。

今回で参観は最後。次は卒園式まで保護者があつまる機会はない。私はこの母親に少し興味があったのだ。

母親ちょっと考えて、もしご迷惑じゃなければ、みたいな返事をしたと思う。

彼女も私とはなしがしたかったのかもしれない。

連絡先を交換し、その後のやりとりで遊ぶ日を決めた。

当日。

仲の良い近所に住むママ友3人も誘っておいた。

娘の友だちのママさんたち。もちろん同じクラス

男児母親と遊ぶといったら、私と同様に興味があったみたいで予定を合わせてくれた。

男児母親は私とふたりきりで会うと思っていたみたいで、ほかのママさんたちがいることに驚いていた。

だってないしょにしてたし。

母親がどんななのか知りたかった。

どんなふうに育てたら、あんぼんやりした子に育つんだろう?

空気が読めない。

なにを準備するのもいちばん最後

先生が直接声をかけて指示しないと動けない子。

太っているからか、運動会のかけっこもビリだった。

ママ友のひとりが

「〇〇(男児名前)くんってどこの(小学)校区だっけ?」

男児母親にきいた。

母親私たちの会話に入ってこれないので、気をつかって共通話題を振ったのだ。

男児母親

「うちは△△小学校校区なんですけど、〇〇は附属小学校へいきます

とこたえた。

はあ?

附属??

その場の空気が凍る。

ママ友同士、顔を見合わせる。

みんな考えてることはいっしょだと思った。

地方国立大学の附属小学校。

受験しないと入れない。

受験したの?

の子が?

受かったの??

受験、あるよね? あそこ」

私は普段トーンで話せているだろうか。

「筆記と面接とくじびき。くじびきがうまくいって、運がよかったの」

「塾に通ったの? 大変じゃなかった?」

ママ友がおそるおそるきく。

「塾に通って筆記と面接がうまくいってもくじびきがはずれたらそれでおしまいから、塾代もったいないいかせてないよ」

「うちの子も受かったくらいだもん、□□ちゃんたちも受けてたら受かってたと思うよ!」

その言葉が強烈すぎて。

あとのことはあまり覚えていない。

写真は渡した。

卒園式。

あの親子は最後までぼんやりとしてた。



文章を書くのはむずかしいですね。

テーマがぼやける。

長々と、なにを書きたかったんだろう。

2022-10-28

ディベートで負けたら、消して逃げる人たち。

魚拓までとりませんけど、あなたたちって、偉そうすぎる。

ひどすぎる。

浮世離れした清い人間を、どろどろのこじれた感性で貶めようとしても無駄

恥ずかしくないの?

絵文字をつかえとか書かれましたが、ここで絵文字書いて遊んでたのはもう数年前です。

なんで他人になりっ切ってあなたたちの相手をしなきゃいけないんです?

カウンセラーじゃないんだぞ。

自分の知ってるたたける相手勘違いして、二人がかりで、

いかげんなことばかり。

義務教育とは言いませんから幼稚園卒園してから増田へ。

見えない相手は、いつもけんかしてたたいているアノ人ではありませんよ。

違ってた!と気づいたらいきなり言及消し逃げ。

成人しているの?してるとしたら深刻。

皆、コテハンならいざ知らず、増田意味わかってますよね?

ほんと、人違いでたたかれるのって不快です。

やめてね。そういうの。ここは増田だよ。

いつもの知ってる人と話すんだったらLINEでやってよ。お願いします。

私はあなたたちがいつもワチャワチャ

バトルしてる増田じゃないです。

以上。

2022-10-27

30年以上昔、ばあちゃん手作りイチゴジャム先生に渡したら、

30年以上昔の話。

私は生まれる前に父が病気で亡くなってて、母は精神的に不安定なところがあったか幼稚園卒園した辺りで父方の祖母の家に預けられた。

早くに亡くした息子(私の父)の一人娘の私を祖母は溺愛してくれた。

叱る時はそりゃあめちゃくちゃ怖かったけど、私もばあちゃんが大好きだった。

そんなばあちゃんは毎年イチゴジャム手作りしてくれてた。甘さ控えめで美味しいばあちゃんジャムが私は大好きで、熱を冷ます前に食べたがって駄々をこねまくって、そんな私を見てばあちゃんはよく笑ってた。

小学二年生の頃にばあちゃんジャムをたくさん作ったか先生に少しお裾分けをしてあげてとタッパーにジャムを入れて私に渡した。

私はめちゃくちゃ美味しいジャムからきっと先生も喜んでくれるだろうってウキウキしながら学校に行って、先生に早速ジャムを渡した。

先生は凄く嬉しい、ありがとう!ってとても喜んでくれて、ジャム感想も私に伝えてくれた。

私は凄く誇らしかったし、ばあちゃんジャムはやっぱり美味しいって満足してた。

あれから30年、いい年になって思うんだけど、きっとこういう事って今はあまり受け入れられないんだろうなと思う。

手作りの物を人に前振りなく渡すのも憚られるし、先生に一人だけ贈り物をしてそれを先生が受け取れば今ではえこひいきを生むから問題になるから受け取ってもらえないかもしれない。

でも小さい子にはそんな事全く理解できないよね。

あの頃の私が今のルールに則ってジャムを拒絶されてたらきっと「どうして?美味しいのに」「私恥ずかしいことをしたの?」って混乱して、ジャムも、それを持っていけと行ったばあちゃんも恥じていたかもしれない。

親がいなくてあまり豊かな家庭環境ではなかったし、皆が遊んでるようなゲーム機も持ってなかった、でも心が貧しくなかったのは自分の周りの自分を受け入れてくれた人達の優しさの積み重ねだろうなと思う。

知り合いがジャムを作っていたので思い出しカキコ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん