「特別支援教育」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 特別支援教育とは

2024-01-06

anond:20240105213005

ほーん、じゃあ、一流受験産業講師オンライン授業とAIの補足でいいね

これではついていけない子(主に学習障害)と毒親持ちの子ども用に特別支援教育行う教師がいればいいだけやな

これも基本的にはライブである必要ないと思う

あとは国立オンライン学部オンライン図書館の整備を進める、

ガチ目の毒親犯罪者の親から避難する場所を作る

これで解決やね

2024-01-05

anond:20240105191806 anond:20240106063153

>親は教育の質を担保できないよね

>親自体知的障害だったり精神障害だったり普通に頭悪かったり教養なかったりするんだから

(anond:20240105191941)

 

>これではついていけない子用に特別支援教育行う教師がいればいいだけやな
必要なのは学習障害ガチ目の毒親持ちで勉強に集中できる環境にないお子さんだけやで

 

かいろんな会社教育目的AIカスタムしてるし

○付けくらいは既に出来るようになってるし

国内ベネッセ受験屋さんが頑張れるか別として時間解決する問題だと思います

 

ベネッセが、2023年経済産業省未来教室」 生成AIを用いた教育サービス検証にかかる実証事業に参画

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001212.000000120.html

 

AI StLike

https://kou.benesse.co.jp/lp/AIStLike/

 

ベネッセが生成AI活用に本気の理由 「効率化がゴールではない」

https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00665/00011/

anond:20240105183546

そもそも港区では公立でも既に1人1台iPad配り終わってるのに

なんでライブ授業にこだわってるの?

 

マジで受験産業から一流講師連れてきてオンライン授業+AIでいいぞ

これではついていけない子用に特別支援教育行う教師がいればいいだけやな

これも基本的にはライブである必要ないと思う

2023-12-06

コメント返信あり)役所たらい回しにされないコツ

12/7 本文の後にコメントへの返信を追記しました。


役所といえば「たらい回し」のイメージが付きまとう。実際にたらい回しにされた経験がある人も少なくない(私も何度もある)だろうが、もちろん役所側も好きでたらい回しをしているわけではない。

また、慢性的人手不足から役所全体の業務を横断的に把握して的確に問い合わせ対応できる人材も今後ますます減ってくると思う。

そこで、お互いの不幸な時間を減らすためにも、問い合わせる側の留意点をまとめてみた(役所側にたらい回しを防ぐ努力必要なのは言うまでもない)。

国と都道府県市町村は全くの別組織

はてな民ならこの点については心得ている人が多いと思うが、市の業務について国や県に問い合わせても答えられない(逆も然り)。国の下に都道府県、その下に市町村というイメージがあるが、法律上三者は全く別の組織で、業務も別々である

ここを間違えてしまった場合「お住まいの市にお問い合わせください」などと言われて終わり、たらいすら回されない。

ちなみに現在は、一般市民が関わるような事柄は大体市町村担当している(昔は都道府県が所管していた業務も多かったが、市町村への権限委譲が進んだ)。

「直接」の問い合わせ先に問い合わせる

役所に連絡を取ろうとしたきっかけはなんだろうか?手紙だったら手紙に、WebページだったらWebページに必ず代表電話ではない担当の直通電話ないし内線番号が書いてあるはずだ。イベントなど臨時事業場合は専用ダイヤルを設けていることも多い。

代表電話はどこを見ても担当不明であるときの最終手段にしたほうがいい。代表電話の人は、問い合わせてきた人が話すキーワードを元に手探りで所掌特定して振り分けるので、どうしても担当違いが起こりやすい。

ちなみにギャンブルなのは代表でも担当でもない関係ない部署に直接かけてしまった時。ベテラン職員がすぐに取り次いでくれるかもしれないが、経験の浅い職員電話を取った日には、長時間保留ののち更に無関係部署を案内されるかもしれない。

手元の資料タイトルを伝える

役所人手不足は深刻で、ある事業について職員一人で担当し、隣の職員は全く知らないということもザラだ。なので直通番号にかけているのに、なお担当外の職員電話に出るということが起こる。長々と話をしたのに最終的に担当は隣の職員だとわかり、また一から説明というのは骨が折れる。そこで、手紙Webページタイトルなど「今何を見て連絡をしているか」を役所側に伝えるのをおすすめする。「〇〇っていうのが届いて、それについて質問があるんですが、担当の方お願いします」といった具合だ。

「何がしたいのか」を具体的に伝える

役所は一つの事柄に対しても様々な角度から関わりを持っている。

例えば一口に「障害者(児)に関すること」と言っても、手帳交付施設に関すること、差別解消への取り組み、バリアフリーの推進、特別支援教育など、業務は多岐にわたる。その一つ一つについて、担当が細かく分かれているのだ。

問い合わせの際は、できる限り具体的に内容を伝えてみてほしい。

まとめ

まとめると、たらい回しを避けるためには、①正確な部署に連絡し、②具体的な内容で問い合わせることが大事だ。

先述した通り、役所人手不足であり、職員自分所掌事務で手一杯で、曖昧な問い合わせがたらい回しされるリスクは減らず、むしろ今後増えていく気がする。

面倒だと思うかもしれないが、少しの準備でその後の時間電話なら電話代も)が節約できると考えてみてほしい。

最後に補足だが、役所業務についてchatGPTなどの生成AIに聞くのだけはおすすめしない。特に法令が関わるような事柄について、生成AIが答えた内容を信じて間違っていても役所責任の取りようがない。面倒でも、わからないことは役所公式情報※を調べるか、直接問い合わせるべきだと思う。

Webページについて、サイトURLが「go.jp」や「lg.jp」で終わるものは、役所しか取れないドメインgo中央官庁、lgが地方自治体)なので公式情報として信頼できる。ただし誰でも取れる汎用ドメイン運用されている役所HPもあるので、「go,lgは公式、そうでないもの公式情報かしっかり確認する」のがいいと思う。(12/7修正地方自治体では非lgドメイン運用しているところもあるのですべてlgドメインという書き方を修正しました。ブコメでのご指摘ありがとうございます)。

追記コメントへの返信

たくさんのブックマークコメントありがとうございます。当たり前のことだったというコメントも多かったが、役所の客は管轄となる地域のすべての住民なので、参考にしてもらえる人がいたら何よりだ。

以下、いくつか返信させてもらえればと思う。

役所ショッピングモール

来訪する人はジャスコ文房具売り場で『活鮑』あります?って聴く担当者は(中略)「はい、活鮑」と売ってくれる筈と思ってるが普通無理。

いくつかコメントにあったがいい得て妙だと思う(文房具教育委員会、活鮑を農林系の部署にするとしっくり来る)。フロア建物によってジャンル分けされているのも似ている。そして、

しか各部署は専門店のような看板を出しては居るが,異動が多いか中の人素人だったりする。

これもそのとおりだ。特に地方自治体は、「やっと今の仕事に慣れてきたと思ったら異動」ということが多々ある。ただ、問い合わせ対応自体スキルは勤続によって向上していく(はず)ので、異動したてでわからない問い合わせに対しても相手をあまり煩わせずに対処できるようになっていく(はず)。

役所広報不足

そもそもまず地方自治体webサイトをもうちょっと充実させてくれないかなとも思う。

これは本当にそのとおりで、Webサイトを始め問い合わせを減らすための広報を充実できないのは、単なる人員不足もさることながら、それを重要タスクだと認識して組織的に取り組むという意識の薄さも大きいと思う。

公共利益

公務員は、国民全体の奉仕者として、 公共利益のために勤務しなければならないよ?

そうなんだよ〜だからこそ特定の一人に長い事時間かけらんないんですすみません。なるべく多くの人の奉仕者でいなくてはいけないんです。ご協力よろしくお願いします。

個人情報聞きすぎ

マイナカード出した上でお名前は?生年月日は?住所は?電話番号は?全てに答えないと進めてくれない人がいる

基本的には必要があって聞いていると思うが、万が一慣習で不必要な項目まで聞いているとなると、それは役所にとってもリスクだ(当たり前だが、必要ない個人情報収集してはいけない)。

まりにも理由不明だと思ったときは、「なんの必要があって聞かれていますか?」と聞き返してもいいかもしれない。

政令指定都市中核市

政令指定都市中核市とその他の市町村では委譲が違ってて難しいよ

例えば保健所がそうで(政令指定都市中核市は市が、東京23区は区が、それ以外は都道府県担当)、コロナときは混乱して大変だったと思う。全住民レベルで考えれば、自分の住んでいる自治体政令指定都市中核市なのか、把握していない人も大勢いる。

職員側は「お住まい地域では市(県)が担当です」と簡単に済ませがちだが、問い合わせた側は「どこが担当とかどうでもいいか問題解決してくれ!」といらだちが募るだろうなと想像する。

議員相談

支援している県議市議事務所に相談すると、スムーズ

議員経由だと対応する職員の職位がグッと上がって組織対応になる(下っ端は解放というわけではなく、そのための事務作業は下っ端の役目)。最早「問い合わせ対応」ではなく「議員対応」だ。良くも悪くもしっかりと記録に残されると思う。

余談

ブコメにも貼られていたが、アンサイクロペディアの「盥回し」の記事は秀逸。「再帰」も好き。

2023-12-05

anond:20231205193039

𝕏(旧Twitter)の方は特別支援教育先生ってことで、発達障害児童の先生ってことを見落として、やれ◯◯だとか、アンチ発言してる人が見受けられる。

発達障害児故に自己肯定感を高めることは望ましいのかもしれない。

2023-06-28

anond:20170608163024

小学校教員です。記事を読んでびっくりしました。私が勤務している自治体では、特別支援級に勤務している先生の多くが(統計は手元にないので、体感で6割程度)、支援学校免許を持ったベテラン(5年以上支援級で勤務)の先生です。この記事にあるように、「1年ごとに先生がガラッと変わる」ことはありえません。「指導力不足」の先生がやむなく支援級の担任に回るケースは確かにありますが。地方なので教員ステータスが高く、地元国立大学教育学部小学校支援学校免許を取得し、生涯特別支援教育に携わりたいという意欲を持った人材も多い印象です。特別支援級の担任になると、1日あたり1000円の手当がつくのですが、それも支援級のベテランが多い要因かもしれません。他の自治体には同様の手当はあるのでしょうか?

2022-10-03

ここは東京ベルリンの壁

入国管理局前で佇む彼はそう言った。

飛び地である東立川駐屯地東西に分断され、西側ではエリート教育が行われている。

あとで書く


国連日本に「特別支援教育の中止」を勧告

国連障害児と健常児が共に学ぶインクルーシブ教育」を掲げ、欧米などで浸透しているが、日本では十分に進んでいない。

やはり同じ都立立川国際と立川学園は統合されるべき

2022-07-27

anond:20220727091657

ケーキの切れない非行少年って優れた表現だし、深いドキュメンタリーだよね。

夜回り先生もいい漫画でしたね。

https://diamond.jp/articles/-/224307?page=2

要約本文

反省以前の子どもたち

◇「厄介な子」が行き着く先は少年

 著者はこれまで多くの非行少年たちと面接してきた。そこで気づいたのは、凶悪犯罪を行った少年にその理由を尋ねても、難しすぎて彼らには答えられないことが多いということだ。更生のためには自分の行いと向き合い、被害者のことを考えて内省し、自己洞察することが必要となる。ところが、そもそもその力がない。つまり反省以前の問題」を抱えた子ども大勢いるのだ。

 彼らは簡単な足し算や引き算ができず、漢字も読めないだけでなく、見る力や聞く力、そして見えないもの想像する力がとても弱い。そのため話を聞き間違えたり、周りの状況が読めなくて人間関係で失敗したり、イジメに遭ったりしやすい。それが非行の原因になっているのだ。

 こうした子どもは、小学校2年生くらいか勉強についていけなくなる。やがて学校に行かなくなり、暴力万引きなど問題行動を起こすようになる。軽度知的障害や「境界知能(明らかな知的障害ではないが状況によっては支援必要)」があったとしても、気づかれることはほとんどない。学校では「厄介な子」として扱われるだけだ。

 非行は突然降ってくるわけではない。必要支援がうまく届かず、手に負えなくなった子どもたちが、最終的に行き着くところが少年なのだ

ケーキを切れない非行少年たち

 児童精神科医として公立精神科病院に勤務した後、著者は、医療少年院に赴任した。そこで驚いたことがいくつもある。その一つが、凶悪犯罪に手を染めていた非行少年たちが「ケーキを切れない」ことだった。著者は、紙に描いた丸い円をケーキ見立て、「3人で食べるために平等に切ってください」と促した。すると、ある粗暴な言動が目立つ少年は、悩んで固まってしまった。少年といっても中高生だ。その年頃で「ケーキを切れない」ようでは、非行反省被害者気持ちを考えさせる従来の矯正教育を行っても、効果は見込めない。こうした少年たちは非常に生きにくいはずだ。だが、学校がそこに気づくことはなく、非行化して少年院に来ても理解されず、ひたすら反省を強いられてきた。これこそが問題なのだ

 著者が幼稚園や小中学校学校コンサルテーションや教育・発達相談を行う中で、よく挙がってくる問題がある。例えば、感情コントロールが苦手ですぐにカッとなる子ども。嘘をつく子ども。そして、じっと座っていられない子ども存在だ。彼らの特徴は、実は少年院にいる非行少年小学校時代のそれとほぼ同じである

 幼女への強制猥褻罪逮捕された16歳の少年は、次のように語った。「勉強についていけずイライラして悪いことをした。特別支援を受けられていたら、ストレスが溜まらなかったと思う」。もし小学校特別支援教育につながっていたら、彼が少年院に来ることもなく、被害者を生まずに済んだかもしれない。

クラスの下から5人には支援必要

 一般的に、IQが70未満で、社会的にも障害があれば知的障害と診断される。この基準1970年代以降のものだ。1950年代の一時期は、IQ85未満が知的障害とされていたことがある。だが、この定義では全体の約16%の人が知的障害となり、あまりに人数が多過ぎる。支援現場実態にそぐわないなどという理由で、基準IQ70未満に下げられた経緯がある。

 時代によって知的障害定義が変わっても、事実が変わるわけではない。現在IQ70~84は「境界知能」にあたるが、ここに相当する子どもたちは、知的障害者と同じしんどさを感じており、支援必要としているかもしれない。こうした子どもたちの割合は約14%と算定される。つまり標準的な1クラス35名のうち、下から数えて5人程度は、かつての定義であれば知的障害に相当していた可能性があるのだ。

受刑者の半数は知的ハンディを抱える

2022-07-27

向上心も応用力もない人

仕事のできない無能部下だと思っていた。

中途採用した50代の人だが、採用して2年経つの積極性が皆無だし報連相しないし小さいミス多いし、それを指摘すれば不貞腐れたような態度取るし、

とんでもないゴミ拾っちゃったなぁと思ってた。

 

 

だがちょっと待ってほしい。

ゴミ判断して風景の一部になってもらうことは難しくはないが、まだ可能性はあるんじゃないだろうか。

ここで正しい方向へ導ければ本人の為にも私の為にもなる。

もう少し頑張ってみよう、と。そう思った。

 

そこでタイミングよく、振るのに適切な仕事が舞い込んだ。

あっちの数字とこっちの数字とそっちの数字をそれぞれ確認して、合計金額と内訳をメモ書きにして担当者に渡す仕事だ。

すべての数字はこの一台のPCに入っている。

それぞれの数字日常的に取り出している。

ただ、この組み合わせで足し算してって普段は言わない数字なだけだ。

その業務の背景を説明し、「そういう理由でこれらの数字を拾ってほしい。できますか?」と聞いてみると、

即答で「わかんないです。」

考えもせずに返ってくる返事にひきつる私の笑顔😅

 

一瞬迷った。

「なんでわからないの?どういうシミュレーションしてどこで躓いたか教えてくれるかな?😄😄😄」ってネチネチその場で問いただしてあげようかと。

でもめんどくさかったんで、私がPCいじってソフト立ち上げてあとは相手操作させて

「ほら、まずはあっちの数字はいつも出してるでしょ?これであっちの数字出せるよね?

次にこっちの数字もいつも出してるよね?これでこっちの数字出せるよね?

あとはそっちの数字もこうやっていつも出してるから大丈夫だよね?」

まで手取り足取り説明すると、「あー、わかりました。」と。

 

ケーキの切れない非行少年の家庭環境が良かった場合、こういう大人になるのかなぁと少し思いました。

ちょうどその漫画読んでたので。

2022-03-16

教育改革本質

教育実習廃止学校体験活動活用特別支援教育全教員に経験させる

https://agora-web.jp/archives/2055470.html?utm_source=pocket_mylist

また意味のない形だけの「教育改革」が始まる

こんなのは現場に混乱をもたらし余計な業務を増やすだけなのにもかかわらず

結局、教育政策を決める人たちなんてのは「俺たちには大勢の人を意のままに操れる権力があるんだぞ」ということを誇示したいがために教育改革とやらをやるのであって、その内容が正しいかどうかなんてのはどうでもいいのだ

ただ、自分たちの決めたことに従う人々を見たい、それだけ

それだけのために毎年意味のない「改革」が繰り返されるのだ

2021-07-17

障碍者小山田圭吾知識人Eテレ

巷では小山田圭吾イジメ問題大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメスタイル感性時代とともに変わってきたようにおもう。

70年代は、ゴリゴリ暴力カツアゲという"利益目的イジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。

80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋パロディになり、弱者障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。

90年代は、社会隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級弱者障碍者擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。

かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。

小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。

前フリが長かった。

この時代Eテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間放送されていたのと、自閉症知的障害児童たちのゆるさとストレッチマンハイテンション不思議空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。

ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組ロゴが映っていた。自分は目を疑った。

https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg

寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。

もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いか因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的イケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意努力否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。

そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。

真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。

2019-12-08

年寄り年金を削減してもいいから、そのお金外国語の話せる特別支援教育先生養成してほしい。

2017-07-11

発達障害時代ラカン精神分析』目次

目次が見つけられなかったので(どこかにあるのかもしれない)、載せます。いい本です。

個人的には、発達支援特別支援教育に関わっている人にぜひ読んでもらいたい。

別にラカンを知らなくてもいい。読めると思う。わからないところは読み飛ばしてもいい。

発達障害まとわりつく固定観念をきちんと精査して、その上でどうやって一緒にいるかを考え直すきっかけになる一冊です。

その上で興味があれば、著者の方々の論文や、「現代思想」「表象11」などを手にとってみるといいかもしれないです。

発達障害時代ラカン精神分析――<開かれ>としての自閉をめぐって』目次

はじめに

第Ⅰ部 歴史を振り返る

第1章 「発達障害」の問題圏――歴史的精神分析考察上尾真道)

第Ⅱ部 発達障害を「聞く」――ラカン精神分析臨床の視点から

第2章 発達障害における「生」と「死」の問い――発達障害児母親との間で何が分有されているのか(牧瀬英幹)

第3章 学校×発達障害×精神分析――発達障害と「自我の目覚め」(丸山明)

第Ⅲ部 現代ラカン派の「自閉」論

第4章 ベルギーラカン派による施設での臨床について(池田真典)

第5章 ラカン精神分析における自閉症論(松本卓也

第6章 言語(ランガージュ)に棲まうものと知――デビリテから発達障害へ(河野一紀)

第Ⅳ部 <開かれ>の空間――思想史視点から

第7章 とぎれとぎれに結びつく――発達障害から関係性を考える(渋谷亮)

第8章 可能的なもの技法――「自閉」のリトルネロに向けて(小倉拓也)

おわりに

参考文献

事項索引

人物索引

2017-06-08

中学校支援級の先生がド素人というシステム

うちの子小学2年生。今の小学校は昔とだいぶ変わっているので、基本的なことから

小学校には1〜6年生の普通学級と、特別支援必要とされた子が入る特別支援学級支援級)がある。うちの小学校では1〜6年生まで合わせて全部で20人くらいのクラスだ。おなじクラス内に5,6人の先生がいて、個別に教えている。一見、とても手厚い。

小学校支援の子ふつう障害の程度は軽い。知的障害が重い子は、専門の特別支援学校へ行くことが多いからだ。うちの子が通う支援級はほぼ100%自閉症スペクトラムの子のようで、いわゆる「発達障害の子どもたちだ。

支援の子普通級で健常児といっしょに授業を受ける形態を「交流級」と言う。うちの子国語算数についていけていないので、それ以外の音楽やら生活やらの授業を交流で受けている。支援級を卒業して普通級に移る子も、毎年ひとりふたりいる状態だ。

で、その支援級の先生を、「普通教員免許をとった普通先生たち」が年交代でやっていることをご存知だろうか?

毎年毎年、特別支援教育経験がない、普通の、ド素人先生にほぼ総とっかえになるのだ!

私は支援制度じたいはとてもいいと思っている。だがこの人事システム絶対おかしい。効率が悪すぎるし、子どものためになっていない。

ほとんどの先生は、望んで支援級に来るわけではない。単純な持ち回りか、担任として普通級を運営する実力が低いとされた先生などがやってくる。やりたくもない仕事にがっくり気落ちする先生もいるらしい。

が、私は意欲うんぬんよりもまず先に、経験者が少なすぎると思う。

どんな新米先生だって子どものころ小学校に通ったことはあるだろう。なんとなく小学生というものや、授業の様子はわかる。でも支援級の先生支援級に通ったことさえないのだ。学級担任として培ってきたスキルの多くも、役に立たない。

どんなかんじかというと、まず生徒の特性学習進度を把握するのが遅い。去年は入学してから1学期まるまるかけて、やっとうちの子性格などが分かり、信頼関係が築けて、授業の進め方ができてきた。

まあうちの子も1年生だからしょうがいないか…などと思っていたが、今年の先生に変わったとたんに逆戻り!6月になっても適切なプリントさえ出せず、ノートもろくに進まない現状だ。ほとんど勉強が進んでいる様子がない。

発達障害児勉強をさせる技術もそうとう低いのでは……と思っている。

うちの子自閉症スペクトラムIQは80前後だが、さいわい好奇心旺盛で学習意欲はまあまああるので、民間教育施設にも3つ通わせている(本人も行きたがる)。

そういうところでは生徒の発達のぐあいを調べる専用のカリキュラムテストが用意されていて、学習進度をすぐ把握してくれる。途中で先生が変わっても、子どもの特徴についての連絡ができている。週1なのに、よっぽど適切な学習進度の問題を出せている。

べつだん費用の高い施設ではない。働いてる人の給料だって学校先生よりずっと低いだろう。でも何年かやっているスタッフなら、支援級の先生より勉強をさせるのがずっとうまいのだ。発達障害児感情や行動を読むのもうまい

まあハズレの学習施設もあるのですべてではないが、小学校支援級はもろにハズレレベルなのだ。そこに週5回、通わせているのである

学校文句はない。私が文句を言いたいのは制度だ。学校先生より上の人たちに言いたい(どこに意見するのが効果的か、なぜこうなっているのかご存知の方がいたら教えていただきたいです)。この人事システムはどうかしてる。うちの子にかけられている税金の額を思えば非常に手厚い教育だと言えるが、内容はお粗末だ。

解決策を提案できるほどの知識はないけれど、私の支援級への希望は、特別支援教育を5年以上経験している先生割合が5割を超えること。そのくらい、いてもいいでしょ!? ほとんどの先生が実務経験1年未満ってどういうこと??

現状の支援級も、いいところはある。特別支援教育にはどうしても「介護」的な側面があるけれど、そちらは問題ないようだ。集団で楽しむことにも力を入れていて、そこでできた友達に会うことをうちの子は楽しみにしている。普通級もイヤではないそうだが、支援級が学校に通う目的ひとつになっている。

しかし上で書いたように、支援級に通う児童障害比較的軽い。もっとうまく勉強を見てほしいというほかの保護者の声もよく聞く。

この人事システムでなければ、うちの子もっといい教育を受けられたはずだ。おそらく小学校卒業までに改正は間に合わないだろう。高校にも行けないかもしれない。しか大人になると知的障害認定されるほどではないので「普通の人」として生きていくことになる……。これから小学校に上がる数多くの子どもたち、普通級にはまだ通えないが障害の軽い子たちを、人事システム犠牲にしないでほしい。

2016-11-21

発達障害教育制度について思ったこと

来月から長男(小2)のクラスのお友達が転校してしまうらしい。

よく一緒に遊ぶ中の良い子だったらしくとても残念がっていた。

「お引越しちゃうんだね、残念だね」と声をかけると、「ううん、違うの」とのこと。

どうやらその彼は日々の学習達成度から学習障害LD)と認定され、市内のやや離れた小学校特別支援教育クラスに移ることになったらしい。

妻とこの件について話していると、合理性などからかこういった特別支援教育が強力に推進されているらしく、その彼だけでなく長男クラスには

同じ様に(ADHD、ドモリなどの言語障害等)転校してしまった児童が他に3人いるようだ。

本人や親のショックや心労は言うまでもない、この制度がその後の児童人生にどう影響するのだろうかと他人事ながら案じていた。

もちろん現場でそういった児童を他の児童と一緒に一人(ピアティーチャー制度というものがあれば二人)の先生に全て負担させるのは無理だというのはあるのだろう。

ただ、私が気になるのは、良く発達していると認定されなければ選別されてしまうという事以上に、

世の中には雑多な種類の人間に溢れているのだと学ぶ機会がなくなるんじゃないかということだ。

恐らく、次男保育園年少)はドモったり、騒いだり、いつもオドオドしていたり、場の空気を読まずに発言したりする人間を見ないまま社会に出ることになるかもしれない。

(もしくはそういった人間のみで構成される環境で育つかもしれないが。。。)

最近良く目にする「みんな違って、みんな良い」みたいな標語が少しうすら寒く感じられるような制度なのかなと思ってしまった。

2016-06-05

小学校教師改善してほしいリスト

残業代がでない

・あまり意味のない書類作成の数々

・集金袋

クラス担任

運動会(大変な割に教育効果

・若手教員への体育関係業務押し付け

・というより体育関係全般(脳まで筋肉かよ

吹奏楽陸上水泳などの部活(外部でやれ

部活動への若手強制参加

・くさいトイレ

・形だけ頑張ってる風の特別支援教育(書類が増えるだけで効果

テプラ

総合的な学習時間(基本的蔑ろ

・成長の反映されない通知表

会議の持ち方

・定時で帰るとなんとなく評価が悪くなる風潮

・若手はベテランより早く来てお湯の準備しておく慣習

・なんとなく校務分掌が引き継がれることによる毎年の混乱

2016-03-26

特別支援学校問題点

 感じたままに書きます

 私自身、不勉強なことが多いため、誤りもあるかもしれません。不備やご意見等ございましたら、ぜひ、教えてください。

1 特別支援学校教諭免許がなくても働ける

 小学校で働くには小学校教諭免許状必要中学校高等学校ももちろん同じです。

 最近教員免許がないのに何年も働いていた人がいて、ニュースにもなっていますね。

 しかし、特別支援学校では特別支援学校教員免許を持っていなくても働けるのです。普通校免許さえあれば。

 もちろん、教員採用試験も現状に合わせてきており、新規採用者には特別支援学校教諭免許状所持者が多いと思います

 しかし、ベテランと呼ばれる先生方には今も、免許不所持の先生が多くいます

 年功序列公務員ベテラン発言力はやはり、強い。免許不所持の先生発言でも、ベテランであれば優先されがち。

 もちろん、働きながら、講習や通信免許を取る先生も多くいますが、これでいいのか。

2 臨時的任用教諭が多い

 学校によっては、半数近い教員が1年で入れ替わることもあります

 教員採用試験合格しなかった臨時的任用教員が、次々と入れ替わる。

 系統性の確保、専門性の向上を謳う特別支援教育ですが、これでいいのか。

3 指導根拠曖昧で年長者の発言に流されやす

 特別支援学校普通校と異なり、教科書がありません。

 もちろん文科省が出している指導要領はありますが、授業内容を考える際、「思いつき」に頼らざるをえないことも多々あります

 何をやればいいのか思いつかず、ネット検索して、題材を探すことも多々あります

 迷った挙句、「散歩いいんじゃない?」といったことも…

 こんな現状で、指導根拠も何もありはしません。

 その結果、ベテラン先生意見や、去年やっていたことに「ちょい足し」して授業をする、なんてことも。

4 目標曖昧だが、TTのため、意思共有が難しい

 といった具合で、根拠不明指導がまかり通っている現状ですが、加えて、特別支援学校の特徴でもあるTTという指導体制が、問題根深くしています

 知的障害特別支援学校場合、6人学級なら、教員2人が担任となり、1年間過ごします。

 このTT、相性が合う人であれば、児童生徒にとってより良い指導支援を生み出す良いきっかけになると思います

 ただ、世の中にはいろいろな人間がいます。当然、相性の良し悪しもあります

 児童生徒にとって最善の支援方法を考えなければならない。そのときに大切なのは情報共有です。

 が、そもそもの根拠目標曖昧なのです。情報共有、できますか?

 ある程度、同じ方向性での支援は可能なのか?

5 発語のない児童生徒が普通校と比べて多く、体罰まがいのことをしても公になりにくい

 特別支援学校は、体罰事例がとても少ない。これは一見、望ましいことです。

 しかし、児童生徒から発覚しにくい特別支援学校。本当に少ないのでしょうか。

 怒鳴り声のような声が聞こえてくることも…

2016-03-12

「将来の納税者たる子ども産んで育ててやるんだから

この言い方にどうしても素直に頷けない

成人して労働して納税できる子なら確かにそうだ

だが、そうではない場合は嫌な言い方だが「そこまで金かけてリターンはあるのか?」

例えば生まれた子に知的問題や発達上の問題があって特別支援教育必要になった場合

幼稚園保育園時代から地域支援コーディネイター」などが入って支援方針を決めることもある

現役の特別支援教育教員がその職に就くこともあるが、支援相談に出ているとき学校での支援が手薄になるので非常勤を雇って穴埋め

時給1500円程度で社会保険完備なので月額人件費21万 相談必要子ども一人当たり月額1万はいくかな

特別支援学校に入ると高等部卒業する年まで就学奨励費というのが出る

世帯収入にもよるが通学費給食費学用品費校外学習費など上限はあれど相当な金額が出る

寄宿舎に入っていると寄宿舎の食費や日用品費も出る

修学旅行の旅費も出る

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t20020524002/t20020524002.html

こんなのがあるが、計算面倒だったら 子ども学校に行ってるうちの昼飯代と制服文房具修学旅行費が支給されると考えてもらうと早いと思う

で、それを処理するのに専任担当学校一つに一人必要なくらいの事務量だったりする

ついでに言うと、特別支援学校では生徒数=職員数くらいの割合になっていると考えていい

その分子供一人当たりの人件費はかかってる

学校設備もいろいろな子ども最近知的と肢体みたいな重複障害の子も多くなってるから校舎内の設備も何やかんやで手厚くするのでやっぱり金かかる

それだけ金かけて卒業して、さて納税者にねれるほど稼げるかというとこれがまた難しい

障碍年金は非課税限度額が一般年金より高いから課税されにくい

一般就労できるならまぁ所得税課税されるくらいには働ける奴もいるかもしれないが

通所施設だったり生活介護施設だったり福祉サービス受けたりしたらそこにも補助金が注ぎ込まれている

関わる人々の雇用を発生させる原因になって、間接的に納税促している面はあると思うが、そこを加味してもやっぱり「将来の納税者」と威張りくさって腹がでかい女に言われるとかちんとくる

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2014-01-29

http://www.futoko.org/special/special-03/page0630-159.html

発達障害者支援法が通ったことで、特別支援教育は、ひどい方向に動いています。もともと危うさはありましたが、それでも当初は、特殊教育から障害児教育と変わってきた流れを変えて、障害児の教育ではなく、みんながいっしょに学ぶインクルージョンに向けていこうという話でした。支援のいる子には支援を、しかし基本は同一教育という考えで「特別支援教育」となったわけです。

ところが支援法が通ったことで、特別支援教育は、軽度発達障害児けが焦点になったんです。これでは発想が逆になって、今まで普通学級で学んでいた子どもたちを、特別支援学級に抜き出して、そこで教育することになってしまっています。これによって、障害者地域へという方針まで揺らいでいます

子どもたちは総体としてのニードをもっているし、そのニードは、構成メンバーによって変わってくるものです。ところが、特別支援教育は、集団母体への支援ではなくて、個人への支援で、支援の方向が個別化されているんですね。それが、発達障害者支援法の特色だと言えます

2010-05-29

http://d.hatena.ne.jp/sagiri300a/20100523/1274619845

"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。

この作品の舞台、いろいろな違和感があります。

(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。

確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。

無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。

また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。

特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。

茨崎笑美が主人公とともに階段を登るシーンがありますが、両足とも義足だと、そう簡単には登れません。

ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。

たとえば、聴覚障害者にとって音声による「校内放送」は無意味なので、ディスプレイ装置が校内各所に設置されています。

全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯メールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。

手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。

特別支援学校では、教員障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。

この作品を作った方は、特別支援教育障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育業界では)一般的です。

「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。

砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。

「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?

というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。

羽加道静音手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。

これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。

この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラスト知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。

「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。

エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。

いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。

2010-02-18

ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1266414530/251,320,342,344,359,369n

251 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:00:15 ID:4KTNNJ3G

98独立行政法人を原則廃止…行政刷新相

ttp://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100218-OYT1T00028.htm

320 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:35:41 ID:HJoXvsnm

»251

高エネルギー加速器研究機構

理化学研究所

日本学術振興機構

日本学生支援機構

全部廃止ですか・・・

342 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:46:45 ID:jtAsPC8B

»320

ソースありますか?

理化学研究所は昨日のNHKプロフェッショナルで紹介された

上田泰己さんのところですね。


344 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:51:00 ID:HJoXvsnm

»342

いやいや、ソースも何も、

全部国立大学法人以外の独立行政法人だってだけです。

359 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 02:00:23 ID:YS0taX5i

独立行政法人一覧

ttp://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/dokuritu_n/dokuhou_ichiran.html

上記の組織独立行政法人

でもって、

»251

>原則として法人を解散、民営化させるか、

>国が直接行う事業に移管する考えを示した。

>ただ、国立大学法人は存続させるほか、

>国が直接行うべきではないと判断した一部組織を、

>新たな形態法人独立行政法人として存続させることもあり得るとした。

いっき無意味に掻き回す気ですね。

分かります_________________

369 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 02:16:08 ID:YS0taX5i

文部科学省所管)24法人

文部科学省独立行政法人評価委員会

独立行政法人国立特別支援教育総合研究所

独立行政法人大学入試センター

独立行政法人国立青少年教育振興機構

独立行政法人国立女性教育会館

独立行政法人国立国語研究所

独立行政法人国立科学博物館

独立行政法人物質・材料研究機構

独立行政法人防災科学技術研究所

独立行政法人放射線医学総合研究所

独立行政法人国立美術館

独立行政法人国立文化財機構

独立行政法人教員研修センター

独立行政法人科学技術振興機構

独立行政法人日本学術振興会

独立行政法人理化学研究所

独立行政法人宇宙航空研究開発機構

独立行政法人日本スポーツ振興センター

独立行政法人日本芸術文化振興会

独立行政法人日本学生支援機構

独立行政法人海洋研究開発機構

独立行政法人国立高等専門学校機構

独立行政法人大学評価・学位授与機構

独立行政法人国立大学財務経営センター

独立行政法人日本原子力研究開発機構

なんかワクワクしてきた_________

2009-10-14

病気レッテル貼りの功罪

最近、「男性の神経性下痢病気です」というCMを見かける。

これって、穿った見方をすれば、「病気を掘り起こして作り出している」のではないか?

まあそうすることによってクスリが売れればいい、というのが製薬会社スタンスなんだろうなあ。

アメリカでは「内気は病気です、薬で治ります」と製薬会社キャンペーンしているらしい。

義務教育課程においては、発達障害に対して特別支援教育をするとかしないとかという

法律ができたそうだが、これも一種の「病気を作り出している」状態じゃないか?

世界一大富豪マイクロソフトビル・ゲイツも、見方を変えれば

一種の発達障害アスペルガー?)とされている。

昔のアメリカは「無理して病気レッテル貼りする社会じゃなかった」から、

ビルゲイツ偏見視されることなくビジネス界に進出して成功を収めたが、

仮にビルゲイツが「今の日本に生まれた」なら、初等教育時に

発達障害扱い」をされ、そのまま特別支援教室送りとなり、

ビジネス界での成功はおろか、「まともな社会人扱いすらされない」危険性もある。

※誤解しないでいただきたいのは、

 小生は決して「発達障害者は、まともな社会人ではない」と思っていない、ということ。

 ただ、残念ながら、世間一般には「発達障害者は、まともな社会人ではない」という偏見

 根強いため、ビルゲイツなどの「グレーゾーン」の人にとっては

 「病気レッテル貼り制度(=特別支援教育の促進)」が「逆効果」に

 なってしまうのでは?という問題提起である。

ノーベル賞受賞者の半分以上は、何らかのアスペルガー的素質を有している、と言われていたりするが、

このまま日本で「特別支援教育」を進行させると、

ノーベル賞級の逸材に対して、アスペルガーレッテルを貼り付けてしまって、

 社会進出の機会を減らしてしまう」(その結果、ノーベル賞受賞者が減る)ことにならないか?

2008-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20080424220724

すみません、レスされてたの気づいてませんでした。

19時に帰ると早いと言われるというのは、なかなかすさまじい職場でいらっしゃいますね。

うちの学校は帰れるときは早く帰ろうぜ、という空気なので、19時過ぎると教頭が「そろそろ鍵閉めるよ??」と言ってきます。

勤務時間に関しては先進的な試み(?)があって、会議出張などが勤務外時間にかかっている場合(休憩時間中に会議が入っている場合も含む)は事前に申請をすると、その分年休に振り替えられたりします。

なので、PTA総会も仮に20時スタートでもきちんと後日年休としてその時間数が使えます。

そのあたりは安心です。

しかり方という勉強は確かに大学では教えてくれませんでした。

どちらかというと、しかり方ではなく、いじめ精神的な病気(というか特別支援教育関係するLDなど)に対する対処法、理論的な分類などがメインになりつつありますが(極端なケース?)、

本当に必要なのは、いじめとか病気とか、学級崩壊を未然に防ぐためにどのように指導をしたらいいか、という勉強だと痛感しています。

その一つの勉強として、怒り方、注意の仕方、誉め方というのは、学生のうちに勉強しておくと良かったと思いました。

学生に対しては、教師の一日の流れ、ぶち当たる困難がどういったものであるのかを、羅列するだけでもいい、把握しておけるような本を一冊読んでおけ、と言っておきたいです。

その分野では、私の出身ゼミである教育臨床学の先生と今後も交流を深め、勉強をしていきたいと思っています。

いただいた教えは明日から実行してみます。

とは言え、最近は私のことを「怒ると怖い」と思い始めたのか、名前を呼ぶだけで席につくようになりつつあります。(3回くらい言わないと座りませんが)

いや、教室で思いっきり着替えるのは教育実習の時で経験していたのですが、やはり自分の受け持つ児童でもそうだったというのが、ある意味カルチャーショックだったので書いてみましたw

この前は音楽時間なのに「暑い」とか言ってなぜか上半身裸になる男子児童がいて、さすがに怒りましたorz

ただ、6年生のニーソには未だに慣れない…委員会活動の時に会う児童の前では目が泳ぐorz

ようやく近づいたGW楽しみで仕方ありません。

俺…休みに入ったら教材研究するんだ…。

 
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