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2021-07-08

anond:20210708100401

ジコる直前の岡崎京子マンガ一場面で、流行りの少年少女カップルに「労働搾取されて…」とかモノローグふってあって、『オイオイオイどーしたん?』て感じた記憶

2021-06-07

毛利小五郎は愛によって死を免れている

最近名探偵コナン』をHuluで追っている。

幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎関係性は、最近赤井フィーバー最中では朧気になってしまう。

こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。

 

(一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである

ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。)

 

改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。

これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない話題だ。

 

ずばり毛利小五郎の頑丈さについてだ。

毛利小五郎は何度か死んでもいても可笑しくないほどの打撃を、妃英理から受けていると思しき場面がある。

最近だと、映画ゼロ執行人」のED映像の中の一場面。疑惑が晴れ、釈放された毛利小五郎を、妃英理が手料理によって祝う場面だ。

 

あの場面で小五郎は英理の料理の味に青ざめ、料理吹き出ししまうのだが、それに怒った英理が、言い争いの末に煮物たっぷり盛られた土鍋で小五郎の頭を殴るのだ。

五郎の頭にはたんこぶが出来、白目を剥いて伸びてしまった。それだけといえばそれだけのシーンで、ギャグチックに処理されているためか、深刻さは見受けられない。

 

こうした少年漫画における女性男性に対する暴力描写は、最近では眉を顰められることも多々あるそうだが、自分くらいの世代だと、ギャグとしてスルーされることが多いという認識だ。

好き嫌いはともかく、一種様式美

クレヨンしんちゃんで言うところの『げんこつ』的な描写と言えよう──かの描写コンプライアンス関係で喪われて久しいが、表現の自由という意味では、中々に悩ましい事例だ。

もちろん、5才児を拳骨で強く殴ったり、頭をぐりぐりと圧迫してはいけないのだけれど。現実コミックリリーフは、切り分けて考えたいものだ。

 

しかである

そうした様式美として片付けていた描写は、『コナン』という作品の中ではやや趣を異にする。何故なら『名探偵コナン』はタイトルの通りミステリーの側面があり、結構な頻度で殺人事件が発生する漫画からだ。サスペンスドラマももう少し加減するんじゃないかという頻度で人が殺されている。

 

その殺人事件の、殺人手段の中には様々なバリエーション存在するが、その中でも最も手近な方法といえば『撲殺』であろう。

 

撲殺とは、ほぐして言えば叩き殺すことである。何らかの鈍器を、或いは自らの拳を凶器とし、叩いて殴って、息の根を止めることである

殴って殺すといえば『殴殺』という言葉もあるが、ここは撲殺で統一させて頂く。

 

コナン』の作中では、撲殺事件は、ブロンズ像だとかお高い壷だとか、そういった身近な重たいオブジェ家具によって引き起こされてしまう事が多い気がする。

計画性も低く、犯人動機もカッと頭に血がのぼって、思わず──というシチュエーションが多い。

何だかんだ動機の薄さが槍玉に挙げられるコナンだが、現実的だと感じるのは筆者だけだろうか。現実事件も、ドラマチックな犯人動機などあまり聞かないものだ。むしろドラマチックだからといって納得できたとしたら、そちらの方が問題である

 

さて、ここまで読んでくださった皆様の中には、筆者の言いたいことがぼんやりと分かってきた方もいらっしゃるのではないだろうか。

 

まり、『自分料理を貶されて』『夫婦喧嘩に発展して怒りのあまり』『煮物たっぷりと入った鍋で殴りつける』──という、動機手段シチュエーション三拍子揃った場面なのだ

鍋を振り上げてから変な溜めがあったからか、ちょっといつもより洒落にならない絵面だったように思う。

前述の通り、深刻さはないのだが(尺稼ぎだったのだろうか)

 

もしも彼らが、一週限りのゲストキャラクターだとすると、確実に小五郎は亡くなっている筈だ。

コメディ一言に言ってしまうのは簡単だが、その裏でコメディ的な行為がしっかりと殺人に発展している作品の中では、かなりギリギリ描写なのではないかと思う。

 

そんな『鈍器で殴られる』という場面なのに、何故小五郎は生きていられたのだろうか。

 

ゾウでも一瞬で眠る程の麻酔薬を毎週近く射たれているのだから当然だ、という冗談は受け流すとして、それは恐らく、妃英理の愛故にだろう。

或いは、毛利小五郎から、妃英理に向けての愛故に、だ。

 

端的な話、英理は実際には鍋を振り上げてはいないし、振り上げていたとしても、毛利小五郎の頭に振り下ろしてはいない。

びしゃっと机の上にぶちまけて、ビンタでも食らわせたのではないだろうか。

 

あれは一種幻想的な描写なのである

 

名探偵コナン』はミステリーだが、同時にラブコメディーでもある。コメディ描写通用しないかもしれないが、ラブコメディな描写通用してしまうのである

 

あの鍋を振り上げるシーンなのだが、発端は妃英理が久しぶりに毛利家に上がり込んでいるという事実に、小五郎がちょっぴり照れている所から始まっている。頬を赤らめている小五郎に、英理が何事か話しかけた時に、小五郎が照れ隠しに煮物一口頬張ってしまうのだ。

英理が作った料理だということは承知の上で、である

そして口に合わない料理を、ブーッと噴き出してしまう。

 

まり五郎ツンデレが発動したシーンなのだ。(まるで毒でも食んだかのようなリアクションである

まあそのツンデレが高じて彼らは別居状態なのだが、関係性とは常に変わり行くものである

 

ややフィーリング結論なのだが、妃英理は手加減をしていたのだ。

それを受ける毛利小五郎も、甘んじて受けていた。

深刻なように見せかけて、冗談だった。

 

愛がある見方をすれば、そんなふうに見える。

仮にも警察に拘束されていた所を開放された、という、それこそ深刻な雰囲気を、夫婦喧嘩というロールで和らげた、という見方もできる。意識にしては怒りが強いので(いくら下手とはいえ自分の作った料理をぶちまける心情は、察するに余りある。英理がかわいそうだ)、無意識だろう。

 

ともすれば作中の『犯人被害者』の関係に至ってしまいそうな所を留まれるのは、ひとえに、そんな言葉のいらない信頼関係が成立しているからであろう。

 

コナン』の世界では、ラブが全てを凌駕するのである。蘭が絡んだ事件では新一(コナン)が空回ってしまうように、和葉が絡むと服部がばかになってしまうように。

ラブがきっかけで阿呆やらかしをしてしまった小五郎が受ける暴力は、同じくラブによって阿呆になっている英理からのものからこそ、威力が軽減されるのである

 

恐らくあの世界で『犯人被害者』になってしまカップルは、ラブなパワーバランスが崩れてしまったカップルなのだ

 

そしてその「ラブによってだめになっている」部分は、読者、ひいては視聴者は、愛すべきポイントなのかもしれない。

 

なんだかふわふわとした結論に至ってしまったけれど、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う。筆者もここまで考えて、なんだかどうでも良くなってきてしまった。

 

あの夫婦はかわいらしい。

ただそう思うだけで良かったのだ。

 

さて。

感染対策をしっかりして、『緋色弾丸』を観に行くとしよう。

 

(終わり)

2021-06-04

フリーを舐めすぎだと言う話

ある一場面。

X「会社勤めだと決まった出勤時間もあるし~。。。

 人間関係も面倒くさいし~。。。。

 だからフリーライター目指してます~」

は?

「他のライターさんとかデザイナーさんとの交流はあるん?」

X「ライターさんとはめっちゃSNSで話してますデザイナーさんは仕事関係ないのでよく分からないですね。」

あ?

そもそもフリーからって勤務時間滅茶苦茶でいいわけないやん?

フリーから一人で仕事してると思ってるの?

コネもない状態仕事どう取ってくるの?横のつながり無くていいと思ってるの?

デザイナー仕事関係ないって何?WEB制作ライターさん普通に必要ですけど?

というかそもそもフリーは横のつながりが命だからね?

なんなら結構稼いでる知り合いのライター全然関係ないモクモク会にまで顔出すくらい必死努力してますけど?

おめーじゃ小遣い稼ぎ程度が関の山だ。

2021-04-23

子供の頃の双子兄弟は、今どこで何をしているんだろうか。

ふと、生まれ故郷の事を思い出し、最近コロナとかで帰れていないかグーグルマップ散歩してみたんだ。

小学校の頃に仲の良かった双子がいた。一緒に遊んだゲームをしたり。

二人とも見分けがつかないくらそっくり

低学年の頃は良く遊んでいたんだけれど、クラス替えなんかで友達も変化したこともあって高学年になると疎遠になっていた。

中学生の頃かな。片方がいじめに遭っていた。そして不登校になった。

つの間にかもう片方も不登校で結局中学校卒業式には二人とも現れなかった。

両方おとなしい性格で、成績優秀でもスポーツが得意でもないいわゆる陰キャ的な雰囲気だったが、いじめとはそんな些細なことから始まる。

何処に進学したのか、それ以降は音沙汰もない。

高校ぐらいの時に自転車に乗る双子の片方を見たのが最後だ。

ぼさぼさ頭で肩まで髪が伸び、グレーのスウェット上下を着ていた。なぜか記憶に残っている一場面。

声もかけずにただすれ違っただけだった。こちらの事に気が付いていたのかは分からない。

グーグルマップ散歩子供の頃に良く遊びに出かけていた双子の家の前まで行ってみると、荒れ果てた家だけが残されていた。

撮影日は2013年12月

表札も外され庭には枯草だらけ。プロパンのガス管が外されていたこから空家になっているんだろう。

子供の頃の双子兄弟は、今どこで何をしているんだろうか。

ふと思い出したことを書き残しておこうと思う。

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2021-01-15

コロナで壊れそうな医療関係者に小さな声で届かない感謝つぶやく

テレビ新聞は当てにならなかったから、去年の2月からこれはと思う医療関係者Twitterを何人か追って情報を得るようにしているけど、忙しすぎてツイートが減った関係者とは別にツイートは続いているけど、ここ数日で内容が過激になる人が増えてきた。観察した「過激になる理由」を自分なりにまとめる。

間違った対策提案して現場を撃つ同業者

一番有名なのは「なんでもPCR」を主張していた医者。これが叩かれて引っ込むかと思いきや、PCR検査限界検査キットの精度、検査担当者技術偽陽性偽陰性検査の瞬間に陰性でも次の瞬間に感染する可能性)を無視した主張は内容の正確さを問わなければわかりやすく、マスコミ継続的に取りあげて今でも根強い一派になった。

結果、安価PCR検査が広まったけど、これら安価PCR検査は陽性になった後の一番面倒を部分を見ないで正式医療機関に押しつける形になる。場合によっては押しつけることすらせずに患者放置する。この手の行為真剣医療関係者には無責任に思えて腹が立ち、非難するリツイートが増える。

この腹立ちが長期間続くことで、非難言葉だんだん荒んでくる。

一般人対策が伝わらない、理解してもらえない

いくつかあるけど「手洗いうがいばっかり言って科学的な対策が出てこない」「会食がダメなら宅飲みパーティー」「新型コロナはただの風邪」あたり。

手洗いうがいは、そもそも「手洗いが大事」なことを医者最初に見つけたのが1847年でまだ新しく、しかも当時の同業者否定されて見つけた医者は失意のうちに亡くなったという逸話になってしまうほど科学的なこと。だけど現代日本人には手洗いうがいは一般的過ぎて科学的に思えない人が多くて、こういう非難になる。そこは医療関係者は粘り強く対応していると思う。

https://www.bdj.co.jp/safety/articles/ignazzo/1f3pro00000sihs4.html

会食は、本当は飛沫感染を防ぎたいから場面を問わず「声を出すならマスクしろマスクを外したら声を出すな」が正しい指示なのだけど、その中の一場である会食だけがクローズアップされて、正しい内容が伝わらない。何なら無視して店で飲んで大声で話し続ける。しかも店を応援しているつもりでいる。感染が広まったら店を閉める対策を取らざるを得ないので、ひいきの引き倒しなんだけど、そこがわかっていない。こういう人たちほど積極的GoToキャンペーン活用して、結果、感染を広めている。医療関係者失望していて、本人が失望するのもつらいけど、家族から旅行に行かないことを責められたとかツイートしているのを読むとこちもつらい。

新型コロナはただの風邪、だけはちょっと注意が必要。「若者は無症状だから平気」という誤解には無症状でも感染したら家族や友人に再感染すると言えるし、「インフルのほうが狂暴」という人には今の対策で今年のインフルエンザ率が例年に比べてほぼゼロなのにコロナは広がっていると言える。ただ一部の人たちはいろいろ調べて「手洗いうがいしてマスク着用と換気を徹底すれば問題ないのに医療関係者不安を広めている」と考えている。これは対策はその通りだけど、書いた通り、手洗いうがいマスク着用は、一定数の人間には理解されないか無視されて、徹底は無理。なまじ対策については正しいだけに、その手の人たちが医療関係者を責めて、それに同調する人たちが出てきて、医療関係者は消耗する。

ワクチンへの不安あおり医療崩壊に無理解マスコミ

医療関係者ワクチンについては話題が出るたびにチェックしていて、もちろん海外英語の一次情報まで調べている。有効ワクチンができて接種が行きわたるのがゴール、それまでいか被害を最小に抑えるかだと考えている。医療関係者海外で出回り始めたワクチン有効性は認めている。だけど日本マスコミが、数少ない副作用をことさらに騒ぎたててワクチン接種に否定的な人たちが増えている。コロナ重症になったり亡くなったりするのと比べたらはるかに少ない割合で、ワクチン接種が広まらなかったらどうにもならないのに、と。

医療崩壊は、もともと医療関係者の間ではコロナの前から日本医療崩壊しているとネタになるほど人員が足りていない。ECMOみたいな専門的な機械を使いこなすのには訓練が必要だし、感染対策ガウンマスクの着用着脱すら手順が決まっている。コロナ患者には一般患者ざっと10倍の人手が必要になる。専門的な人員はそんなに簡単に増やせるものではない。だけどマスコミはベッドの数があれば入院できるといい、そういう主張を積極的に取りあげる。

この2つに限らず、コロナが騒ぎになってから、追っかけている医療関係者マスコミ特にテレビ新聞を、ほめたのを見たことがない。ほめるのは一部の専門家が出演した時だけで、その専門家個人を支持している場合に限られる。そのマスコミ憎さがとげのあるツイートになる。

政治家の下策な対応

とどめを刺したのがこれ。医療抑制のため、ここ10年くらいか病院経営が厳しくなる方向に医療政策を振っていたので、病院医者の数が減っていた。潰れないまでも、利益が減って、そのしわ寄せが医療関係者給料減や勤務時間増に来ていた。さっき書いた「コロナの前から日本医療崩壊している」のネタはこれが理由で、もともと政治行政に対する不信不満は医療関係者にはあった。

コロナで不信が上積みされるのは去年から始まっていて「第一波を抑えたのに次に備えた環境整備やルール作りを放置」「拙速GoToキャンペーン感染拡大(個人的にはこれに限っては観光飲食業のためにはある程度はやむを得なかったと思う)」「経済優先で専門家意見無視するのに尾身先生を表に出して盾にする」「年末年始人員往来増加の無視」「会食禁止国民に訴えながら自分たちは会食を継続」「国会議員まで亡くなったのに責任回避と手柄争いを優先」「緊急事態宣言を出した後から場当たり的に対策を追加する戦力の逐次投入」「医療関係者が足りていない事実無視した罰則ベース対応強制」など。目の前の患者がどんどん増えて、減りそうな要素がひとつもない中でこういう対応を目にして、特に緊急事態宣言以降から非難に混じって捨て鉢ツイート散見するようになった。

医療関係者への感謝

今この瞬間もコロナ対応の診断に、治療に、搬送に、受入に、集計に、運営に、対策に、事務に、研究に、駆け回っている医療関係者のみなさまへ。

忙しさと、世間から非難と、感染への恐れとで、仕事への疑問と不安を抱えながらも医療を続けている医療関係者のみなさまへ。

コロナ感染したにもかかわらず、復帰して医療に携わり続けている医療関係者のみなさまへ。

みなさまのおかげで私たちコロナに向き合う手段を維持できています

みなさまの努力がどうか一人でも多くの患者を救うことにつながりますように。

個人として対策できることは少ないですが、不要不急の外出を控えます

手洗いうがいを忘れず、換気に気を付け、他人と接する機会には必ずマスクを着けます

さな声はマスクさらに小さくなって、日本の隅のそのまた隅から届けることは難しいですが、それでも医療関係者のみなさまへ感謝つぶやきます

ありがとうございます

2020-11-29

[]情熱大陸 声優花江夏樹

親を早くになくした

子供まれて親になってこれからもがんばる

ラップ歌ったり劇場お笑いしたり今忙しいです

それくらいで全体的に内容がめっちゃ薄かった

30分って制限があるにしてもちょっとどうなのってくらい

しろインタビューだけで30分やったほうがよかったんじゃないかと思う

ある日の1日に密着とかならまだ一貫性あるし見応えあったかもだけどそういうわけでもない

ある日の収録の一場

ある日の朝の風景とかが細切れ

情熱大陸って今回始めたみたけど、いつもこんなもんなのかなあ

NHKSONGSとか30分だけどもっと内容濃いけどなあ

まあ花江くんファンが喜ぶだけの番組って意味ならこれでいいのかもだけど

2020-11-01

で、シリコンバレーいくら稼げるのか(Part 9)

承前 : Part-8 https://anond.hatelabo.jp/20201018143903

次回 : 予定無し

今回は路頭🙏おじさん専用回だ。毎回コメントをしてくれたお礼に救いようのない話をする。

学歴があり頭が良く生産性の高いエリート達が高給を稼いでいるように見えるシリコンバレー

しかし随所に吐き気を催すような糞溜りがある。首切りである

Unvested RSU, Visa, GC

時折、日本記事で以下のような言説を見ることがある。

シリコンバレーではlayoffは日常茶飯事。皆慣れたものであっけらかんと次の職に移る」

大嘘である

シリコンバレーで職を失うことは母国で職を失うことよりも悲惨な状況になる場合が多々ある。

まず、Unvested RSUはすべて没収される。以前取り扱ったXさんのような場合、3年目以降のvestを目前にして首を切られようものなら号泣では済まない。

場合によってはvested stock optionさえ没収されることもある。Skype買収の際の詐欺紛いの雇用契約書によるSO没収を覚えている人もいるのではないだろうか: https://techcrunch.com/2011/06/26/skypes-worthless-employee-stock-option-plan-heres-why-they-did-it/

さらに、外国人場合visa問題となる。H1場合「すぐさま」(実際に何日かの解釈は未決定)次の職を見つけねば帰国しなければならないし、F1 OPTの場合は数週間だ。

Lの場合問答無用であるさらに、こうして帰国することになった後、また米国に戻ってくるのはかなりの骨だ。求職難易度は一段跳ね上がる。H1が取りにくいインド人などは死活問題である

GC手続きもやり直しだ。PERMまで終わっていれば大した影響はないが、それ以前ならほぼ一からのやり直しである

こうした状況で心底あっけらかんとできる人はそういない。表情には出さなくても、心中絶望と怒りで満杯だ。

Fire, Layoff, Performance-based Layoff, Voluntary leave

社員の首を切る場合、いくつかの方式がある。

'Real' Fire

社員が職を追われる状況全体を指してFiredと呼ぶ人は多くいる。これは無知かoversimplificationだ。ごく一部のみが本当のFire経験する。つまりmutual agreementが一切無くinvoluntaryなfire for causeだ。

何故か。カリフォルニアat-will employmentであるから社員の首を切るのはいつでも如何なる理由でも自由のはずではないか

現実は随分と違う。例えば、ある社員パフォーマンスが悪かったとしよう。単なる中間管理職であるその上司が"You are FIRED!"とBTTF一場面のようにその社員fireしたとしよう。

何の事前準備も無く、何の契約書もない状況でそれをした場合、その社員会社をdiscrimination提訴する可能性がある。つまり、このfireパフォーマンスが原因であったというのはbaseless、実際はその社員race, religion, genderなど法律差別禁止されている要素によってなされたものだ、と。実際に提訴する社員は少ないし、勝訴する可能性もそれほどではない。しかしその可能性があること、その場合会社への損害が、特にブランド大事大企業場合多大であることからのっけから示談に持ち込まれ可能性がある。その社員は大枚をせしめることになる。そうでなくても、首を切られた社員はunemploymentを受給できる(社会通念に触るようなcauseの場合を除く)ので翌年からinsuranceに影響する。たか一社員のために全社に関わるそんな問題を起こした中間管理職運命推して知るべしだ。

まり、だれの目から見てもその社員社会通念上あるいは雇用契約上の何かに抵触したような場合(GoogleJames Damoreが記憶に新しい)でない限り、何らかの事前準備、あるいはその社員との間の何らかの承諾書なしに首を切ることは大企業中間管理職にとって考慮の外なのである。一部下のパフォーマンスどうこうで自分危険さら人間がどれだけいるのか。いるとしたら馬鹿である

しかし、まだブランドを気にする段階にないstartup、あるいは法律HRにまだ詳しくないその経営者などによってこのreal fireが行われることもある。訴訟されないのはsheer luck。後でlegalやHRに釘を刺されることだろう。

部署ごとLayoff

これはWork Force Reduction (WFR)あるいはReduction In Force (RIF)と呼ばれる、本物のlayoffだ。

ビジネス上の理由があり、きちんと書面で事前準備をして、その部署の全部または一部をlayoffする。

LegalとHRがしっかり事前準備をしている限り、訴訟リスクはほぼ無い。但し、その部署は縮小傾向にあることが前提なので、翌年からH1/GC手続き制限がかかる。

個人パフォーマンスどうこうの事由ではないので、大抵severanceは太っ腹であり、他部署へのtransferもできるだけ支援される。

社員にとっては悲劇ではあるが、全体でみるとまだ地獄入り口にも達していない場合である

Performance-Based Layoff

今回の主眼である

その社員が本当にlow performerだったとしても、fireはできない。ではどうするか。以下のどちらかが必要となる。

どのようなlayoffだっとしても、まず一つ目の選択肢が与えられる。severanceもきちんと払われる。逆に言えばそれを人質にしてこの選択を迫る。

あくまでもvoluntaryなので離職後にunemploymentは出ない。早急に次の職を探さねばならない。

Performance Improvement Plan (PIP)

社員が承諾しない場合のため、二つ目選択肢の準備が必要だ。これこそが恐怖のPerformance Improvement Plan (PIP)だ。

その社員は即座に辞めることを拒否する代わりにPIPに入ることを選択し、一定期間その上司と何らかの「プロジェクト」に携わる。

名前が示す通り、表向きの目的社員パフォーマンスを向上させることだ。実際にそういう場合もあるだろう。しかし、囁かれる事例のほとんどは訴訟リスクを下げる形式付け以外の何物でもない。

上司がせっかく用意したPIPでも向上の兆候が見られなかった。明らかなlow performerでありこれを事由として解雇する、となる。

中には明らかに達成不可能な「プロジェクト」をあたえられる場合もあるし、たとえ達成してPIPを抜けたとしても今後の出世はほぼ無理だ。

PIPをもってdeath sentenceと呼ぶことが多くあるのにはこういう背景がある。ほとんど全員が宣告と同時に職探しを始める。

想像してほしい。訴訟リスク低下のためだけに、達成不可能なように、自分で辞めるように、調整された拷問を受けるのである

しかもそれを執行するのは自分無能判断した上司。実際どちらが根本原因なのか他人は知る由もない。

まさに糞である

何故こんなことになるのか。

会社としてもこんな制度があるのは好ましくない。しか現実には存在する。何故か。

社員が実際にlow performerである場合

残念ながら、この場合も多い。一流大学から来た、LeetCode面接を華麗に突破した新入社員たち。

彼ら全員が実務で使える技術者になれるか? No way!

説明が難しいのだが、実務で使える技術者になれるかどうかはその人の資質による。LeetCodeをたくさん練習してきたかどうかとは殆どかかわりがない。

脳の回線が何か違うのか、実務でとことんダメな子はいくら教育してもダメなままであることがほとんどだ。そのような例を多数目にしてきた。それこそ大事コードを書かせてはいけない人々だ。

自分は、面接でLeetCodeを重視することに反対である

自分面接でLeetCodeは一切させない。Unit testについての経験、難しかったdebugの経験などについて質問することにしている。

しかし、業界全体ではLeetCodeを多用し(楽なのだ!)、LC面接に向けて特化練習してきたダメな子とそうでないが実務で使える子と、評価が逆転することになる。

ただの暗記・努力コンテストなら四書五経の暗唱と変わりないではないか

糞すぎる。LeetCode delenda est!

Coaster, slackerの場合

Coasterというのはもともと、ある種の成功者達を指していた。Google/FBなどが買収した企業社員であったり、長年いて大事システムの難しいところをすべて心得ている人だったり、とにかく会社が失うわけにはいかない人々だ。そういった人々の中には、遮二無二働くのをやめ、会社に来るだけでほとんど仕事をしない。しかしRSUたっぷり支給されているので辞めるわけにもいかない。Rest and vest. Retired at office. 悠々自適人生を送る、つまりcoastingしているのだ。そういった人々の中には年間$1Mを得ているひともいる。

ある種の糞コミュニティではこの言葉意味を広げ、単なるslackerにも適用するようになった。

真のcoasterほど会社必須の、高ランク社員ではないが、長期間昇進しなくても首を切られないterminal level (GoogleのL5, AmazonのL6等)に達し、あとは流している人々だ。

会社によっては沢山いる。こういったslackerの方が真のcoasterよりも問題である

すでに功成り名を遂げた真のcoasterは他人プロジェクトに口を挟まず、その卓越した経験から時にpinch hitterをすることもある。彼らが高給をせしめようが、会社が傾かない限り自分はどうとも思わない。

逆に、slackerは自分存在正当化し、最低限必要評価(GoogleCME等)を得るために他人の成果を横取りしたりpoliticsに興じる場合がある。

Passive-aggressive masterも多くて非常に苛立たしい。Nefarious shxtbag. Atrocious slacker. GTFO for god's sake!

まさに癌である。是非ともPIPられて欲しい。

マネジメント場合

本当に救いようがないのはこの場合だろう。

上記のようなlow performer, slackerという判断は誰がするのか?もちろん上司である

ではその上司判断は常に正しいのか? NO FUXKING WAY!

実際はできる社員が糞上司に陥れられてPIPられる話は枚挙に暇がない。

大体、本当にその社員ダメだったとして、そのような状況になった原因のある程度は面接手法だったりプロジェクトの進め方だったりにもある。

その全責任を部下に押し付けて、自分被害者かのようにふるまうのだ。

まさに悪である。心の底から路頭🙏おじさんに共感する。

地獄ランキング

さて、各会社でどの程度PIPが行われているのか?

コミュニティ筆頭blindで"PIP"で検索して出た中から、ある程度スクロールダウンした後のキーワード発生回数を見てみよう。

Amazon+AWSFacebookMicrosoft+MSFT GOOG APPLNetflix
653+46 8559+16 55 40 2

単なるブラウザ上のキーワード検索なのでその会社でのPIPなのかどうかとは関係いかもしれない。しかし、以上のFAANG+Mの中で一つだけダントツヤバいのがいるのは確かだろう。

平和教室に一人ジェイソンが座っているかのような異質さだ。

AmazonのPIPは際立っている。そもそも、他の企業と違い、unregretted attrition (URA)が「最低で」5-10%になるように管理職にPIP対象者選定を強制する地獄のもの制度があるのだ。

FBのPIPもよく知られているが、少なくとも建前上は必要場合のみ行われるもので、最低首切り率などという制度は(自分の知る範囲では)無い。

このような状況で、自分やそのお気に入りがPIPられないように、管理職はbackstab, throw under the bus, hire to fireに長けていくことになる。

まさに地獄である。いや、正直さや善行appreciateする閻魔様に管理される地獄の方がどれだけ良いか

ところで、上のランキング最下位であるNetflix。ではPerformance-based layoffが無い楽園なのかというとまったくの逆である

どんどん首を切る。制度として確立したPIPすらなく、単に首を切るのだ。もちろんseveranceは選択肢にあるが、多くの社員がそれを選択せず提訴したらどうなるのか、興味がわく。

この辺り、技術者間にランクけがないのと合わせ、startupの気風を色濃く残すFAANGの変わり種といったところだろう。

PIPという点ではもっと安全なのはGoogle. PIPがほぼ無く、L5に到達してCME以上なら他のチームに渡り歩くだけで首を切られることは無い。

それはいことなのかどうか、また色々と風聞のあるGCPではどうなのか、という点まで行くとdepends on whom you ask。興味があれば自分情報収集してほしい。

終幕

今回までで9回、時には30分よりも大幅にかかって書くことになった。

面白がってくれた人、役立つ情報として何かを学べた人、がいれば幸いである。

他に何か、多くの人が興味を持つトピックがあれば次回を書くかもしれない。

但し、「どうしたらシリコンバレー就職できるか」などの他人任せの質問に答えるつもりはない。自分人生自分で切り開いて欲しい。

2020-09-18

発達障がい児を認めてほしい

見るからに癇癪とか起こして、疑いが大きいのに診察に行かないの本当にひやひやしてる

自分も発達障がいだし発達障がい児見てきたけど、本当に小さい頃からデイケアとかサービス行ったほうが社会適応してる 

今のほうが体制理解もあるのに、環境は整ってるのにって歯がゆく思う

でも親の気持ちもわかるんだよね 発達障がいへのイメージ良くないし、『ふつう』出ない事に行くのはほんとに怖いと思う ママ友とか色々あるし

からってそれは親の保身なのでは?と感じる 親も人だし、産んだからって完璧な親になれないのは、怖いのはわかってるつもりだけど、それでもほんとに子ども時代って一生を左右するんだよ

 小さい頃言われたことがまだ心に残ってるってあるから、ずっと行動を縛ることってあるからさぁ〜〜

ほんとにさ、『なんでこんなふつうのことが出来ないの!』とか『なんであなたは』とか『ほかの子はできてる』とか、ふつう押し付けたら悪化する ちょっとほんと調べてみてほしい 悪化しまから お願い

もう本当に心配だわ 他人の子育てによく口出さないししんどいのもわかるけど、子ども心配 わたし子どもばっかみて親の気持ちを見てないからいけないのかもしんない どうしたらいいんだろ 癇癪がだんだん酷くなってきてて、泣いてるところを叩かれたりしてんの見てて滅茶苦茶しんどい そのひとつひとつ子ども人生を壊していくのに どうすればいいんだろ 一瞬一場面が人生を左右するって もうほんとにどうしよう

2020-07-30

[]

25日目

302回

今日は西美へ

待機列で並んでいる際に一斉に地震速報が鳴りだしてびっくりしました

いつものように企画展常設展を回ったのですが、企画展の内容的に常設展を2周したような感じで少し面白かったです

最近の西美はオタクタペストリー的なもの説明文をプリントして天井から吊り下げるのが流行りなのでしょうか

企画展常設展双方でオタクタペストリー的な説明文がありました

企画展で気になったものとしては、明らかにペルセウスアンドロメダの構図なのに登場人物全然知らない人たちな「アンジェリカを救うルッジェーロ」、もさいけどなんかかっこいい「アンティオキアの聖マルガリータ」などがありました

前者は、調べてみると「狂えるオルランド」の中の一場面だそうで、アンジェリカ中国お姫様、ルッジェーロはイスラム戦士らしいです

とてもそうは見えんな

狂えるオルランドと言えばドン・キホーテで散々バカにされているタイプ小説という程度の認識しかありませんでしたが、この絵を見ると当時の人気ぶりが伺えます

オルランドローランのイタリア語読みで、狂えるオルランド自体ローランの歌の前日譚らしいです

常設展を回るのも久々のことでしたが、新規収蔵品の中で、ドミニコ会象徴でもある白黒の衣装をまとった「聖ドミニクス」がイケメンですてきでした

そういえば「聖母子と三聖人」の聖人のうち二人の衣装も白黒でしたが、あれもドミニコ会となにか関わりがあるのでしょうか

新館では戦争中の疎開で大きく損壊したモネのクソデカ睡蓮が展示されていました

西美の成り立ちと背負った歴史象徴しているようで、しばらく見入ってしまいました

ところで、あの新館特有異臭ってなんとなく癖になりませんか

画素描展示室では最近まとまったコレクションの寄贈を受けたという写本の展示が行われていました

よく考えたら本物の中世写本を目にするのは初めてかもしれません

羊皮紙でも木簡と同じように誤りを訂正するのには小刀で表面を削ったそうで、ヨーロッパでも刀筆の吏という言葉通用しそうだなと思ったりしました

写本を書いた人々は役人ではありませんが

そういえば常設展ハンマースホイさんがいませんでしたが、まだハマスホイ展で出張中なのでしょうか

本日の日記増田お嬢鯖部リスペクトでお送りいたしました、それでは皆様ごきげんよう

2020-07-11

anond:20200710152416

ネーミングに関しては制作側が言い出したのではなくてファン側が言っていたのを制作採用した形なので、元来の売り出し方は別に2.5次元ではなくどちらかと言うと実写映画化に近いものだった。

漫画原作舞台黎明期は今以上に3次元ファン向きの構成で、たとえばテニミュの公演の一場面で俳優が別舞台宣伝をして笑いをとるみたいなことが行われていた。

ただまあ制作側が「2.5次元」を採用して2.5次元ミュージカル協会設立してからは明らかに2次元ファンを取り込もうとしているのが伝わってくる。

元増田の言いたいことはめちゃくちゃわかるけど、おそらくこの仕組みはこれからも続く。拡大していく。

2020-06-21

ギリシャ悲劇ルールで同一時間、同一場所でなきゃいけないルールってなんだっけ

場面転換を許さないやつ

2020-06-05

名探偵ピカチュウ?というやたらポケモンリアルCGになっている作品があるらしく

最近ツイッター映画一場面のスクショを見かけるが

その作品に出てくるリアルめのポケモンたち、めちゃめちゃめちゃめちゃ怖くない?

最近フシギダネCGがすごい、的ツイートみたがいやいや怖いわ…としか思えない

からディズニーCGのやつ(ピクサー?)もとても苦手だ

リアルはいなさそうな造形のやつらがリアルっぽく動いてるのが不気味に感じる

こういうの楽しめないのは脳みその何らかの能力が低いからなのかなー…と周りの盛り上がりを見ながら少し落ち込む

2020-01-17

anond:20200117161530

映画全体としてゲル生物から逃げ回るパニックホラーだったのか

そういう一場面があるだけでテーマ別にあったのか…

10年以上前アニメ一場面を一瞬だけ見たんだけど、なんだったかからないものがあって、

ガンダムっぽい感じだけどモビルスーツが出てたか覚えてない。

南洋の孤島みたいな場所だけど、ジャングルとかでなく飛行場のような人工的な感じ。でも人気はない。

登場人物が何か重要物資宇宙へ送り出すか受け取るかするために宇宙エレベーターが到着するのを待っている。

宇宙エレベーターでなくてスカイフックだったかも。無事到着したかも覚えてない。

南国の日差しが強く青々とした水平線に囲まれた南国と宇宙エレベーターというミスマッチがなんか印象的で、結局荷物は受け渡しできたのかなー

2020-01-10

一句できた!

万年

千ずりかい

乳首噛む

解説

みなさんわかりますかぁ?

一目みてぇ、まず目に入るのがこのぉ「万」と「千」ですよねぇ。

一目見て、「この俳句数字大事なんだぞ!」って伝わってきますよね?

もうすこ〜しよーく眺めてみてくださいねぇ?ほら、わかってきたでしょう。

三行目のち、く、び。

この「ち」という音はぁ、「千」にもかかっているんですねぇ。

と、いうことはぁ、三行目にも、「千」がある、ということなんですねぇ!

マンセンセン、マンセンセン、マンセンセン、と、この句はマンセンセンのリズムに則って作られている、非常にリズムが良い俳句ということなんです。

季語はこの三行目のぉ、オールシーズン使える「乳首」となりますね。

私なんかもよくぅ、夜の営み始まる時なんかはぁ、この季語俳句から、ゼ、ン、ギを始めることも、多々、ございます

少々お話ずれてしまいましたがぁ、この俳句いちばんの見どころ、お教えいたします。

わかったぁ方もいらっしゃるかなぁとは思いますが、三行目の乳首噛む、の「噛む」という部分ですね!

明らかにぃ、臭そうな男のぉ一人暮らし一場面を切り取った俳句なのにぃ〜、な、ぜ!こうなのか! 1人じゃぁ乳首は噛めないですよね?

ということは、この句の三行目はぁ、1人でせんずりをかいてる男がぁ、乳首自分の指でつまんで刺激している最中の願望! あー今自分自分乳首を噛みたい!そんな願いが、つよぉく込められた、1行となっているのです。

すばらしい俳句ですね。文句なし名人昇格とさせていただきます

2019-12-28

anond:20191228084837

それな。

ヤジも同じ質問繰り返すのも議会戦術だ、という認識もっと広まった方がいいよな。

そうすれば、ニュース一場面切られてても、何が起こってるかわかることはある。

2019-10-22

解釈」の名のもとに行われる誤読について

って長々能書きたれなくても、このシェイクスピア学者のひとのツイートに尽きるんだけどさ。


https://twitter.com/Cristoforou/status/1083954729388920833


でもインターネットを見てみれば、「『ハムレット』でハムレットはお父さんを殺した」級のチャランポラン解釈があふれている。

なんでだろう。

それはたぶん読解を解釈と、さらには解釈二次創作と取り違えているからだ。


基本的には物語には筋がある。

ハードコア作品だと筋がないものもあるけれど、大衆に向けて発信されるものはだいたいわかりやすプロットへと還元される傾向にある。

プロットは要するにアクション=目に見える事実の積み重ねであって、

普通に読んでいけば誰々が何をしてどうなったか顛末を取り逃すことはない。

たとえば、『ハムレット』を普通に読んでいたら wikipedia の「あらすじ」欄にある以外の展開は読み取れず、間違っても「ローゼンクランツとギルデンスターンハムレットを巡ってコイン投げの賭けをしていた」なんて言い出しはしない。

物語を読めない人というのは私たち想像以上にこの世に溢れていて、このレベルで間違える人もときどきいるけれど、まあ少なくともあなたは間違えない。


で、やっかいなのはプロットの「展開」には「目に見える事実」以上のものも含まれていることだ。

あるキャラセリフがどういう意図で発されたのか、その身振りにはどういう意味が込められているのか(あたりまえだが、それらは作者自身意図からは切り離されている)。

言語によって明確に説明されていない部分。

そこを私たちは奔放に「解釈」しがちだ。

特にふせったーなんかでは、ある一場面を切り取って過剰なまでにそこに説明をつけようとする人たちがいっぱいいる。

そういう人たちの「解釈」は一見もっともなように思われるけど、実はちゃん作品と照らし合わせるとトンチンカンだったりする。

なぜなら彼らの「解釈」は作品内部の文脈無視したものであるからだ。


物語をきちんと読解するのは実はむずかしい作業だ。

からケツまでテキストを精読して、その流れと内部のロジックを過不足なく把握せねばらない。

個別物語内部にあるリソース分析するのが読解であり、それらを用いて家を建てるのが解釈だ。

しかし、ここに狡っ辛い読者がいる。

狡っ辛い読者はあ外部からトラックで建材を積んで物語世界へやってきて、地盤風土関係なくあらかじめ設計されたデザインに基づいて家を建てようとする。

勘違いしないでほしいが、解釈レイヤーにおいては外部から持ってきた知識材料を使うのは犯罪ではない。

批評とはそもそも物語世界と外部である我々の現実を橋渡しする行為であり、そこにはもちろん物語世界外部の知識理論が使われる。

だが、繰り返すが、それはあくま解釈レイヤーにおいて。

読解段階で物語世界無視するのとは話が違う。


狡っ辛い読者は物語内部のロジック無視し、プロット曲解し、事実をゆがめる。ありていにいえば、自分の読みたいように読む。その歪んだ見方をあたか物語のものであるかのように謳う。

彼らにとって物語とは自分たちから見える世界従属物でしかない。他者が書いたものであるにもかかわらず、彼らはそこに他者を見出そうとしない。


そんなもの解釈ではない。解釈ではないのだが、不思議なことに今のインターネットでは解釈としてまかりとおっている。

序盤で「二次創作」だと言った気がするが、考えてみると二次創作者たちに失礼なものいいだったかもしれない。

二次創作原作世界尊重してこその営為からだ。

ではこうした狡っ辛い読者たちの行うおぞましい「解釈」をただしくどう言い表すべきなのだろう。


解釈自由だ」という紋切り型の裏にはある不文律が隠されている。

解釈の前段階である読解は不自由だ」。

きちんと物語プロット認識したうえで成り立つの解釈であり、評論であり、批評だ。

その基本のキさえできないなら、評論解釈に手を出すべきではない。

逆にいえば、そこさえクリアできれば遥かに豊穣で自由世界に手が届くのだ。

恐れるな、だが謙虚に、だよ。ワトソンくん。

2019-10-05

ローマの休日を見た

テレビ一場面だけとかは見たことあったけどあんな話だったんだなあ。

THE 映画という感じで良かった。

2019-09-09

anond:20190909004654

学生時代研究発表での質問の仕方について聞いたことがある。

しか学生たちのお手本として先生方がポスター発表するとどうなるかみたいな企画での一場面だったと思う。

研究発表だと新規性有効性、信頼性なんかが必要なので、発表でそれらを網羅しているかちゃんと紙に書いてチェックして、無かったら不足しているところを聞くという話だったと思う。

2019-08-03

自分に敵意を向けてくる相手多数派に属し

その社会権力を持ってたり、人望を集めてたりすると

絶望感がひどいよなと さっき読んでたマンガ一場からふと思い出した

会社員5〜6年目の時に先輩社員だった男性

モラハラ体質っぽい感じだった

でも、彼は周囲の人と仲よさそうで、社内の他のチームの人や先輩やパートナーさんと 和気藹々と雑談していて

そんな状況だったので、私は彼についての不平不満を口に出しづらかった

その後、彼のモラハラ気味の性格に困っていた人が自分だけではないと分かった

というかほとんどの人が困っていた

最近いっしょに仕事した子も同じ感じで困らせられた

一見、人当たり良く周囲と仲が良さそうで、彼についての文句が言いづらい

けどその実、皆が彼に困っていた

2019-05-18

anond:20190512092613

だよな

治安悪化というのは漫画アニメのような大規模なテロ映画一場面のような暴動でなく

席をとるためにリュックを席においていたら消えるのが当たり前だとか

道を歩いていたらいきなりアイスクリームを持ったおばさんと子供がぶつかってきてクリーニング代金を要求するとか

死刑にも重罪にもならないというか数が増えたら事件として扱われないだろう

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