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2023-11-17

フリーレンの隠された設定のネタバレ

ごめん。タイトル釣りで、ネタバレではなくて考察です。

フリーレン世界の最大の謎は、魔族の存在だと思います

不思議ポイントその1: 共感能力がない

少なくとも地球では、ヒトの言語能力が発達した理由は、群れのコミュニケーションを円滑にして群れ全体の生存能力を上げるためです。その際には共感能力、つまり相手気持ち自分の身に置き換えて考えて想像する能力、が群れの維持には不可欠です。

暗がりから「お母さん」ってヒトの声真似をする生き物くらいは自然発生してもおかしくないでしょう。ですが、魔族はヒトの貴族を騙しきるほどの服装コミュニケーション能力を手に入れていますコミュニケーション能力の発達のためには多様な個体との接触特に大きな群れの維持が必要ですが、共感能力がなくて魔力の大きさだけを尺度にしているような社会暴力のみが支配するサル山と同じです。人族の貴族を騙しきるだけのコミュニケーション能力が発達する余地はありません。高度なコミュニケーション能力が発達するのは、不可能とは言わないまでも、何らかのメカニズム存在示唆しています

不思議ポイントその2: 人族を食べる

フリーレン世界での食物連鎖最上位は人族です。大魔族を例外として、ドラゴン等を含め、ある程度大規模な人族の街を滅ぼすことができるような生物基本的存在しません。

人族は、仲間が殺されると集団復讐する習性があります大陸中に幅広く分布しており、ときおり現れる超強力な個体や、不老不死エルフなども考えると、はっきり言って人族を食料にする時点で種の長期的な保存が困難になります。人族は文字を使った世代地域を超えた学習能力も厄介で、数百年の研鑽によって得られた特攻魔法を、数十年で完全に破ってきます絶滅が嫌なら人族を狙うのをやめるべきです。実際人族よりはるかに強力とされている魔族が滅ぼされつつあります

そもそも、「人を食う化け物」と言われつつ、描写されるのは人を殺している場面だけで、人を食べるシーンらしきものは一度もありません。ですが、発達した言語能力や、記憶を読んで再現する能力など、ヒトに害をなすことに注力していることは確かです。

不思議ポイントその3: 死ぬと消える

これが最大の不思議ポイントです。これは、人族と魔族で根本的に生命としてのあり方が違うことを示唆しています。おそらく魔族はオレオールにも行けないのでしょう。仮に女神世界造物主で魔族の作り手でもあるとすると、魔族への扱いがひどすぎます

魔族は目的をもって作られたのではないか

これらを踏まえると、魔族は単に「人の悪意が魔力だまりで形をとったもの」みたいなありがちな存在ではなく、人族の敵として上位存在設計された存在ではないかと考えますフリーレン世界の上位存在女神です。女神は人族を愛しているとされており、もしそれが正しいのであれば魔族も人間のため、あるいは世界のために必要役割果たしていると考えられます

話が大きくなってきました。世界メカニズムに関わるもののうち、おそらく一番大事なのはヒンメルにも抜けなかった勇者の剣です。「勇者の剣を引き抜けるのは、この世界を滅ぼす大いなる災いを撃ち払う勇者のみ」とあるように、女神世界を滅ぼす災いに備えており、その災いは病気火山噴火などではなく、剣で打ち払えるものだ、ということでしょう。

魔族の存在意義とは?

そうなると、人族に害をなす魔族の存在意義は、人族の敵となり、「この世界を滅ぼす大いなる災い」と戦っても勝てるように人族の団結と進化を促すことではないでしょうか。魔族は哀れなピエロです。知的存在でないと人族に簡単に滅ぼされてしまうけど、知的だと人族と講和してしまうかもしれないので、共感能力の欠如や人族を食べるなどの特徴を付与して、あくまで敵として戦う存在であることを保証したのでしょう。単に目的を果たすためだけの魔法生物なので、人族とは格が違い、死ぬと消えるのでしょう。

こう考えると「人族のことを理解しようとした」魔王考察も進みます魔王は、神話時代の大魔法使いゼーリエをもってしても、「戦いを追い求める」ことでは倒せません。「人族からダメージを受けない魔法」などがあるのかもしれません。では、ヒンメルはどうやって魔王を倒したのか?人族を理解し、人族と講和して共存することを目指した魔王が、高潔なヒンメルとの会話で魔族の種としての限界に気が付き、あるいは、人族の発展により「大いなる災いを撃ち払う」ことのめどがついたと判断して、自ら消滅を選んだのではないか

2023-04-08

能力バトル漫画ゲームみたいな設定が嫌い

たとえば「属性ごとの相性」みたいなのがあると萎える。

「水は火に強い」だとか「風は土に強い」だとかだ。

登場人物ゲーム的に世界解釈しているのは別に嫌いじゃないが、作品ゲーム的な設定を持っているのは好きになれねえ。

本当にゲームの中だというのなら別にいいが、そうではなくそ世界はその世界現実だというのなら違和感ヤバイすぎる。

木火土金水になぞらえていようが西洋の四属性思想になぞらえていようが世界物理法則にそこまで深く関わるようなもんではないだろ。

まあ確かに陰陽師世界において五芒星相克関係によって霊的な力がどうこうしていたというのはあるが、あれも結局は何も起きてない状況にそれっぽい儀式をやってみせるための設定でしかないだろ。

実際に霊的な力が蔓延っているような世界になってしまったら、そんな上っ面の設定は吹き飛んで実践的なものけが残るはずだ。

別にコレは「個別の状況に対しての有効打の存在」を否定しているわけじゃない。

悪霊にターンアンデッドが効きやすいのは何もおかしくない。

カビにカビキラーを打ち込むと落としやすくなるのは、そこにゲーム的な相性設定があるのではなく、ある対象に対して効きやすい道具を開発した結果だ。

騎兵突撃に馬防柵を張るのは間違いなく効果的だ。

だがそこに「ゲーム的な倍率」みたいなのが入ってくると完全に無理になってしまう。

騎兵に対して槍兵は5倍のダメージを与えるとか言われても何のリアリティもない。

ゲームにおいて5倍の特攻効果があるものとして計算されているものが、現実にはどのような過程で起きているのかを演出するのが漫画作品映像作品役割だろう。

「判定でクリティカルが出たかダメージが倍になった」とゲーム計算されるのは、現実戦闘においても「当たりどころが悪くて大きなダメージを受けた」「装甲の隙間に完璧に入ってしまった」といった事が起きているのを簡略化したものだ。

ゲームは多くの場合現実の簡略化によってシステム設計しており、「火属性が草属性に2倍ダメージ」というのは、草木に対して炎で焼き払うのが有効であるのをゲーム的に簡略化した結果であり、それぞれのゲーム世界における実際の戦闘においても2倍ダメージが先にあってそれに相応しい演出として草が燃えているのではないはずだ。

そこを理解しているのか怪しい作品が増えてきているように思う。

世界解釈ゲーミフィケーションを持ち込むのは良いことだし、登場人物がそういった価値観を持つの現代キャラクター造形として正しいと思う。

だが、世界を形作る根本原理ゲームそのままであるのが許されるのは、その世界造物主によってそのように作られた場合のみだ。

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2022-11-27

anond:20221127123131


「第12戦火覇道

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  レオニードが率いる軍と戦うユーディル一行。

  シェスを舌戦で引かせた上で、フォレスティアや水上都市の面々が援軍に駆けつけたことで辛くも勝利するのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  シャノン「あの頃、おれたちにはあなた希望だったんだ!」

  敵であるレオニードを昔は希望だったと言い切るシャノンの台詞

  レオニードもユーディルとは異なるだけで王の資質を持っていることが良くわかる良いシーンだった。

 ・印象に残ったキャラ

  レオニード。

  ドラゴンは隣人ではなく支配者だという価値観は驚き。

  散々シナリオでもシステムでもドラゴン恩恵に預かってきただけにプレイヤーとしては納得し難いけど、確かに支配者でもあるなあ。

 ・感想

  兄弟との戦い編でまずは長兄のレオニードから

  ドラゴンによる支配を良しとしせず、人間人間支配すべきと言う価値観の元戦うレオニードが格好いい。

  格好いいだけにそれを希望と言い切るシャノンにも納得で、敵ながら悪い奴じゃないのがよく伝わる良いシナリオだった。

  最後にはファルエスがもう一人の兄弟を引き連れて奇襲を仕掛けてくる展開で次章へ続く。

「第13章闇より還りし者」

 ・5段階評価:1

 ・あらすじ

  封印されていた第五王子ベベットが黒いマナを使いドラゴンを従えどこかへ行ってしまう。

 ・印象に残ったセリフ

  特になし。

 ・印象に残ったキャラ

  特になし。

 ・感想

  第五王子ベベット登場回にして完全なる繋ぎの回。

  特に話が動いておらず、ベベットとファルエスが手を組んで何かを始めたことがわかるだけ。

  感想の書きようもないなあ。

「第14章動乱の王都

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  ラキシがジェノサイドモード超えたガンエデンモードになることで、ゼシアの元にたどり着いた一行。

  モルトメサイアはユーディル身体差し出せばゼシアを解放するという。

  しかしその隙をついてモルトメサイアベベットが吸収する。

  さらにゼシアを逃したところをネデウに襲われて再びゼシアを奪われてしまう。

 ・印象に残ったセリフ

  ゼーナ「ゼーナ——なんて、どうでしょうか。」

  もう一人のゼシアが新たな名前を名乗るセリフ

 ・印象に残ったキャラ

  エミュール。

  全員が敵と戦うことに一生懸命な中、普通に王様を始めた。

  憎めない奴だなあ。

 ・感想

  当面のボスだったモルトメサイアがあっさり吸収され、更に新キャラネデウとその部下たちも現れと、新しい展開がスタートした感じ。

  ただ、モルトメサイアとの戦いがスッキリしてないし、ラキシの新能力雑魚敵にしか使ってないし。

  なんかどうにも乗り切れてない展開が多い。

  ただ、ゼーナが自身名前を名乗るシーンは挿入歌と綺麗な背景のおかげで感動できた。

「第15章光を覆う影」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  ネデウとその部下アギトたちとの戦いの中で、ユーディル自分の出生の秘密を知る。

  王家人間でないことを知りながらもゼシアを救出しようとするが、叶わずネデウに連れていかれる。

 ・印象に残ったセリフ

  ジュリエッタ「そ、それは……。ついお姉様のことが頭をよぎってしまい……。軽率でしたわ……。」

  敵に捕まった時に思わずエルフィリスの名前を読んでしまジュリエッタセリフ

  好きの気持ちしょうがないよ。

 ・印象に残ったキャラ

  アヤハとオトハ。

  僕はこういう年端の行かない小さい女の子が、成人男性を罵って男性が負ける展開が好きなんだ。

 ・感想

  ネデウと部下のアギトたちが揃い、ユーディルの主生の秘密は明らかになるなど、新しいシーズンの幕開け感。

  ただ、まーたゼシアを救出するのかあ、感もあるので悩ましい。

  ゼーナの励ましでユーディルが元気を出すところはよかった。

「16章新しき絆、進むべき道」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  ネデウと戦うため北へ向かう一行だが、聖城ではユーディル魔神のものであるという噂が蔓延っており、一触即発の情勢。

  噂を流した元凶がいたが、根本的には国家運営が上手くできていないことがあった。

  そこにレオニードが食料、水、家財の修理などを手伝ってくれ、さらにユーディル達の決着がつくまで統治を手伝ってくれることになる。

  今度こそ心置きなく北へ向かうのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  とくになし。

 ・印象に残ったキャラ

  レオニード。

  普通に優秀だなあ。

 ・感想

  さあ新しいストーリーだ! と生き込んだところで急に一息入れる展開。

  ただ、王族として民を統治するというのがユーディルの本懐であることを踏まえると、確かに今の敵と戦ってばかりの情勢は良くないのも納得がいった。

  レオニードが急に出て来て手伝ってくれたという解決方法唐突だし無理矢理感あるけど、こういうエピソードがあること自体が、システム部分はバトルが主軸のスマホゲームらしくなくて面白かった。

  メインストリーの中でもかなり好きな章だ。

17章聖都グラムス」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  グラムスの貧民街を豊かにするため武力だけでない様々な活動をするガトフに感銘を受けるランサーヴ。

  彼の決意によりアギトを倒し、妖精国へ足を踏み入れる一行だった。

 ・印象に残ったセリフ

  ユーディル「誰かを助ける時は、長い時間をかけて、対話や行動で、信頼を得ることこそが大切なんだ」

  散々イベント人助けをして来ているが、ああい例外的ものじゃなく、生活に根ざした根本的な苦悩を助けるときの教訓を得たユーディル

 ・印象に残ったキャラ

  シーラ

  喋れない子、という第一印象だけなんだけど、デザインが好き。

 ・感想

  前話に続き政策とは? みたいな主人公王様からこそのエピソード

  食糧だけじゃなく自立するための教育必要など、やりたいことがよくわかる。

  ただ、悲しいかなバトルがシステムの基盤にあるスマホゲームなので結局は武力なのがなあ。

  けど好きは好きなシナリオ

「18章妖精たちの森」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  妖精の森へ向かう道中で、リュカナームが新たな力に覚醒する。

 ・印象に残ったセリフ

  とくになし。

 ・印象に残ったキャラ

  ナーム

  おっぱいまで大きくなるのは解釈違いですが、よき。

 ・感想

  リュカナームのお当番回で二人のフェスバージョン誕生の経緯のお話

  ただ本当にそれだけで、キャラのやりとりも良いと思えるところが薄く、覚醒したなーって感じなだけ。

「19章秘されし真実

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  ナーム記憶を消して王家に送り込まれており、彼女の目や耳を通うじてユーディル監視ししていた。

  そしてユーディルの正体はモルトメサイアの肉体から作られた人造人間だった。

 ・印象に残ったセリフ

  タルタロス「王は烏合など必要としない。王は絶対にして唯一なのだ

  アルベリウスはそうじゃなかったと思うけど、タルタロスにとってはそうなんだね。寂しいね

 ・印象に残ったキャラ

  ユーディル

  悩むタイプ主人公だけに、自身の正体を知っての落ち込みがかわいそう。

 ・感想

  ユーディルの正体が明らかになり、そしてコレまたメーネの采配が絡んでるのが、根が深い。

  仲間との繋がりの描写はありつつも程々で、設定開示のコーナーが長く、お話としては普通な感じ。

20章聖なる樹」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  聖なる樹を登る中、亡くなったはずのアルベリウス、アローラスの思念体出会う。

  ゼシアはイリアと過ごした日々、ネデウの言う真実のために結界を解く。

 ・印象に残ったセリフ

  アルベリウス「正しい道を選ぶのではなく、選んだ道を正しくするためにな。」

  その結果300年続く王家が生まれたんだから、確かに正しいなあ。

 ・印象に残ったキャラ

  アローラス。

  戦いばかりで父親らしい描写ほとんどなかったけど、微笑ましい家族のシーンがあって良き。

 ・感想

  ネデウがバハムート契約していることがわかり、サイゲ世界お馴染みの世界創造みたいな話になってきた。

  死んでるキャラ思念体で復活するのはちょっとご都合的だけど、家族の話は好き。

「21章二柱の造物主

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  エリュシオン目的人間から可能性という未来を消して全てを管理することだった。

  ネデウとユーディルエリュシオン否定するために一時的共闘する。

  エリュシオンを打ち倒しバハムートとの契約をやり直すネデウ。

  そこにゼシアがイリアと共に介入し、ゼシアもバハムート契約を果たし、一時的ではあるがネデウの目的妨害する。

  ネデウの思惑はバハムートの力を借り全人類が竜化の力を使えるように世界を改変することだった。

  その過程で亡くなる人のことを考えユーディルはネデウと対立する。

 ・印象に残ったセリフ

  イリア「血の繋がりなんて関係ないさ」

  メーネの育て方が良かったんだなあ……

  マジでどいつもこいつもなアローラスは見習ってほしい。

 ・印象に残ったキャラ

  メーネ。

  1ミリも登場してないんだけど、メーネがイリアを好きだったから、ここに辿り着けた感が凄くて。

 ・感想

  イリアとメーネが好きなので、たった一言だけど、イリアが血の繋がりよりも大事なことをユーディルに教えるところすごい良かった。

  メーネ偉大すぎる。

「22章ふたり契約者」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  物語の発端たるアローラスがモルトメサイアを復活させた原因はネデウをバハムートから解放するためだった。

  それを知ったネデウはユーディルと手を組むことになった。

 ・印象に残ったセリフ

  ヴァルクス「お前たちが救うと口にする、力なき者。その、ひとりひとりの顔が見えているのか?」

  実直なヴァルクスらしいセリフ。こういう王族の話好き。

 ・印象に残ったキャラ

  ゼーナ。

  若干蚊帳の外で置いてきぼりなのかわいそう。

 ・感想

  ネデウと和解してアローラスが消えて、物語はセイクリッドロストへ続くと言った感じ。

  かなり大きな節目なのだけど、どうしてもアローラスが好きになれないまま終わってしまった。

  王子達も悲しんではいるけど、あっさりしててそりゃさすが王族だなあといった趣。

  もう少しこう王子達の平和日常パートも見たかったなあ。

23章はじまりの人」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  はじまりの人ゼノスが復活してしまう。

  そこにエミュールが救出に現れる。

  諦めることの才能を発揮したエミュールによって一旦の窮地を抜け出すのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ディアネル兵「はっ! どこまでも陛下にお供いたします!」

  今までのダメダメエミュールが遂に覚醒したことを、エミュールのセリフではなくモブ兵士から伝える良いセリフ

 ・印象に残ったキャラ

  エミュール。

  今回の主役。

 ・感想

  エミュールが遂に覚醒して全員を助けて、ユーディル背中を押す。

  今までの色々なしょうもないイベントシナリオなでもひっくるめたエミュールのダメさがあったからこそな良いシナリオだった。

  特に名もなきモブ兵士エミュールを陛下と言いどこまでもついていくことを宣言するところは、今までの紆余曲折があったからこその、シンプルセリフながら遊んできた人には意味が出るいいシーンだった。

24原初の力」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  ガトフとシーラが仲直りしてシーラが復活する。

  五大竜バハムートエリュシオン関係値が高まって強くなった。

 ・印象に残ったセリフ

  とくになし。

 ・印象に残ったキャラ

  シーラ

  今回の主役だけあって可愛いシーン多かった。

 ・感想

  ガトフとシーラエピソードの完結編。

  それとムム達五大竜覚醒して、最終決戦が近づいてきた。

  ようやくネデウとも仲良くなって来たし、もう終わりなのが寂しくなってもきた。

  メインストリーはあと二話、イベントストーリーも同じくあと二話。終わるんだなあ。

「25章人と竜の契約の証」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  ゼーナの因果を断つため、ユーディル魔神王となった世界へ向かう。

  モルトメサイアを倒すも、魔神王ユーディルは、はじまりの人に操られていた。

  ゼーナは自身の兄を倒す。

  しかし、ゼノスによる世界リセットが実行されてしまう。

 ・印象に残ったセリフ

  ゼーナ「ああ……! はい、私です、兄さま! ゼシアです!」

  ゼーナがゼシアを名乗れる唯一の相手との再会。

  長かったけど、最後悲劇で終わってしまう。

 ・印象に残ったキャラ

  ゼーナ。

  頑張ったなあ……

 ・感想

  若干置いてきぼりだったゼーナの完結編。

  アギト編とかネデウ編の前にこれをやるべきだったのでは? 感もあるっちゃあるけど、ちゃんとやってくれて満足。

  破滅未来から来たもう一人のゼシア、改めゼーナというアイデンティティが、ゼシアと名乗るところは泣けた。

「26章ドラガリアロスト」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  絆の力と可能性の力でゼノスを倒す。

  しかし、ゼノスの心であるユーディルも一緒に消えてしまう。

  再構成された世界で再会する二人、記憶はないはずなのに何故か涙が……

 ・印象に残ったセリフ

  ユーディル「それが何もないおれの…… 伽藍洞の役目だ。」

  空っぽであることを肯定しながら前に進んできたユーディルの行き着いた言葉

 ・印象に残ったキャラ

  みんな。

 ・感想

  大団円。完結でした。

  血筋とか立場で始まったユーディル冒険が、それでなく人やドラゴンとの絆で実在性を持って肯定される。

  ドラガリアロストらしさが最後最後ちゃんと綺麗に畳まれ……

  いや、ロキとか、悪魔とか、結社とか、十二竜氏とか、プリコネコラボドラゴンの姉とか、なんか結構ほったらかしなような……

  まあでもユーディル、ゼシア、ゼーナ、ネデウの関係性についてはやりきったのかな。

  楽しかったです。

2022-09-20

造物主の掟(1983 )P50

 コンロンはため息をつき、座ったまましばらく頬杖をついて机を見下ろしていた。これから何もかもどうなっていくのだろうかと彼は考えた

ーー石油会社鉱床探しに雇われた大勢振り子占い師たち、遅まきながらということで大学に設けられた「超常現象学位、かつては立派な科学出版物だったものに現れはじめた変人もの論文、もうすぐピラミッドから無限の「宇宙エネルギー」が得られるようになることを確信して核融合研究費の削減を要求する政治家ーー

折も折、合衆国日本から最新型のトカマク反応炉を輸入しなくてはならなくなっている。

 優秀な技師や技手を見つけることはほとんど不可能になってしまった。科学工学技術などの専門職

ーー事実上努力と忍耐と勤勉さを要求されるようなものは何でもーー

は、どうやら若い世代にとっては野暮くさく、とろいやつのすることと考えられはじめているようだ。

それに訓練を受け、経験を身に付けた若者は、すぐにもっとやり甲斐のある方面へ転進をはかり、より有利で挑戦の機会がある海外へ出ていこうとする。

日本中国インドアフリカといったそうした地域に住む人々は、現実と顔をつきあわせてきた長い歴史のおかげで、どういう意味しろ自己発見」の概念だとか「神秘的な至福の探求」といったものに惑わされずにすんだ。

そして二十一世紀に遭遇したとき、彼らは何も解決してくれない魔法迷信への信仰をすばやく放棄し、今やその地に進歩工業化した高度技術文明の礎を築くべく、営々と立ち働いているのだった。

2021-10-13

anond:20211013003148

人間が作り出した物以外について「なんのためにあるの?」と問うのは、その質問自体が誤りだ。

なんのために?と目的を問うたところでそれは人が造ったものではないし、造物主がいるわけでもなさそうだし、万一造物主がいるとしても答えを造物主に聞く術を持っている人もいなさそうだから

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

2020-09-24

anond:20200924195640

もしオマエのような造物主が居ることを知ったら我々は全員みな発狂死するだろう

2017-07-20

レクリエイターズつまんない

さら5話まで見たけどつまんない。

「もし創作キャラ現実に現れたら―」って話なのに、作中リアル世界いかにも深夜アニメバリバリなノリなせいで現実アニメギャップがないから作中創作キャラとの対比に全然面白みがなくてただのオリキャラクロスオーバーアニメしかなってない。なんだ自衛隊が急に突入って。あと最近は「非現実的事象に対してやたら話のわかる政府役人」みたいなのを出せばリアリティが増すってことになってたりすんの?

その上それぞれのキャラが出てる作品がどれもつまんなそう。なんかどのキャラも各ジャンルのざっくりしたイメージをまとめた最大公約数的なキャラって感じで個性が薄い。全然元の作品スピンオフで見てみたいとか思わない。

だいたいなんでどれもオタク向けなバトル系のキャラなんだよ。バリエーションが少なすぎるでしょ。ただでさえ全部同じキャラデザがやってるせいで見た目に面白みがないのに。

魔法少女。なんかアイツ死ぬらしいけど。いちおう作中では「女児向けアニメ魔法少女」として設定されてるのに描かれ方がどう見ても「女児アニメパロディ」の更にパロディって感じだよね。村上隆か。3話だかで司書キャラ自分の出たゲームプレイして「造物主自分のいた世界に対して真摯で誠実でいてくれてい良かった」とか言わせてたけど。このアニメスタッフがそれできてねーじゃねーか。

そんでこの司書キャラ喋りすぎだろどんだけ喋るんだ物知りキャラからって説明を全部こいつに丸投げするなよしかもそれでいて説明の内容そのものはセリフ量に対して薄いなこいつは情報量の話とか大崩壊の話とか言い回しや話し相手や状況が違うだけで同じような話何回か繰り返してないかコイツ。大崩壊の件とか仮定仮定って感じで現実に何か影響を示す描写もなくてほんとにセリフでひたすらたいした根拠もないまま仮定を喋ってるだけだし。

6話で新キャラ出るみたいだけど「あー絶対西尾維新ぽいキャラでクソウザ言い回しで喋るキャラなんだろうなー」って感じで見る気が起きない。リアルタイムはもう15話だっけ?まあでもつまんないんだろうな。

2017-04-22

年収もしくは能力の低いやつの創作を許すな

創作人生勝利者の余暇、もしくは才能の本当にある人間人類未来に残すために行うもの

宇宙開闢依頼、創造主がきめたことなのに、低能ゴミムシが創作(笑)をして

本当に価値のある創作という神聖行為を汚している。

人類は今こそ立ち上がり、違法(ここで言う法とは造物主との契約、ノリトを表す)な創作

しているゴミ排除すべき

2017-02-20

増田

克服すべきものは「子孫」に対する好みである。親、彼らは煽動者かさもなくば狂人である

出来損ないの最たる者に「産む」能力があるということ以上に、私たち失望させるものはない。

どんな人間おかまいなしに造物主に仕立てあげてしまうあの奇跡を想うとき、どうして嫌悪なしに済まされよう。

2017-02-10

[]神あるいは物語絶対的命令者―後期近代の根源的難問

この命題はこれから語られる三つの命題いちばん根本位置する第一命題である

神は存在しない。

神は存在しない。

私たち私たちの外側から定め、その実在保護してくれる神というもの存在しない。

私は私のみの神、物語絶対的命令者を信じている。

今まで神が存在したのは各々の神が一致していると思っていたからだ。

私はこの神を「表象としての神」と定義しようと思う。

しかし、私たちは神を信じる。

神は存在しない。

しかし、私たちは神を信じる、「表象としての神」を。

私たちは神を信じることで繋がることができる。

各々が各々を各々の世界繋ぎとめ、各々を各々として生かすことができる。

しかし、この連帯は時として息苦しく感じられる。

なぜなら、それは私たち可能性を封じ、まったく不自由ものにするからだ。

私たちは神を殺して自由になった。

そのため、私たちはこの連帯から逃れたいと思うようになった。

それは近代という神によって、考える葦という自己認識を与えられたからだ。

しかし、人々はこの知恵を授けられた瞬間に、呼吸不全になった。

今まで吸っていた連帯空気を吸えなくなり、

自由空気を求めるようになったかである

そのために、私たち個人は一致して、近代という神を自らの不信によって殺した。

私たちは虚無に解き放たれた。

私たち個人自由になった。

しかし、私たち個人造物主を失った途端に、この世界を失った。

私たち個人連帯は神を殺したときから消滅し、

私たち個人意味はなくなり、

私たち個人実在は虚無に解き放たれた。

私たち個人保護してくれる神はもういない。

私たち個人の足場はもう存在しない。

私たち個人証明してくれるものはもう何もない。

私たち個人は今、究極の虚無に、剥き出しの世界に相対している。

私たち個人は一時として安心することはできない。

から神殺しは神を求める。

から神殺しは神を求める。

私たち個人世界を取り戻すために、

失われた過去を取り返し、

約束された未来を取り返すために。

 

神殺し神殺しを許してくれる神を求める。

時に神擬きに騙されるかもしれない。

神なんていないと斜に構えたくなるかもしれない。

しかし、私たちはそれでも神を求めざるを得ない。

私たち意味を与えてくれる確固たる存在がなければ、

私たち私たち存在すら確固たるものとして捉えることができないのだから

2016-12-18

[]鳴海清隆の逆襲

宇宙人騒動、絶園の樹騒動を経て、造物主地球から異物を排除することを決定した。

そのために、まずダムピールを根絶やししろ、そうオラクルを贈られた。

ヨタカはそう言って、私たち宣戦布告をしてきたわ」

「なるほど、だいたいわかった。

あいにく、俺はダムピールとやらに義理も何もないが、兄貴造物主側につくってんなら、俺はダムピール側につく。

大嫌いだからな、鳴海清隆が」

(中略)

「絶園の魔法使い不破愛花を復活させる、そう言ってるんだ」

「はあ? てめえなにを言ってんだ」

「仕方ないだろ、ダムピールは兄貴を倒した後の生活を考えると力をふるえない。

その点、不破愛花はもう死んでるし、話を聞く限りそういうことを気にするタイプじゃない」

「……なるほど、過去転移し、まだ生きてる愛花ちゃんを連れてくると?」

「察しが良くて助かるよ」

(中略)

「さしもの鳴海清隆も無味無臭毒薬に気づけない、それも自分スタッフの作った料理に入っているなんて」

「そうかもしれんが、どうやって小人地獄を仕込むんだ?」

「潜入捜査が得意な知り合いが一人いてね」

「ふむ、そいつ名前は?」

「……忘れた」

(中略)

所詮造物主だの神様だの何だと言っても、ちっぽけなんだろうさ。

ひょっとすると見た目はカエルみたいで、趣味相撲かもしれないぜ?」

「なかなか笑えない冗談ですが、いいでしょう、怪異たちの知恵の神である私も手を貸しましょう。

ここ最近、先輩はバイトで構ってくれませんし」

(中略)

「決着は、常伊市。蓬莱とやら、まあどうせいつものように異星人のような気もするが、と繋がりが強いこの市だ。

ここなら造物主の関与も薄れ、兄貴もまだそこそこ普通人間扱いできる。

あの時は……」

「あの時?」

「あの時はあんたを連れて行けながったが、今日は付いてきてくれるか?」

はいはいはい! 喜んで!」

2015-09-13

二次萌え日本人アイデンティティ

昨年急に浮世絵に目覚めた人です。

http://anond.hatelabo.jp/20150815210249

日本では西洋風の写実的な画風が育たなかったのはどうして?

若冲みたいな、鳥単体とかなら写実的な描画スタイルもあったとは思うけど。

ガラパゴス的な、進化の経路の違いということなのかな。

これに対して、

http://anond.hatelabo.jp/20150816024827

こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式進化してるように思う。

ここで、それについて説明していきたい。

日本人アイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。

スーパー歌舞伎2 ワンピース

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E&espv=2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMIkcCEjNTzxwIVg-CmCh294A4a&biw=1920&bih=955#imgrc=V6YCFKaDZ9-V7M%3A

ここで、見てもらいたいのは、ルフィ市川猿之助に似ていないこと。

なぜだろう?

「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」

その通りだ。

ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。

ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。

浮世絵で、顔が似ていないという根本理由はここにある。

役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。

歌舞伎であることが重要である

歌舞伎であること、それがわかるのが重要である

初期の役者絵を一つ、初代鳥居清倍から一つ紹介する。

初代鳥居清倍「市川團十郎

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg

歌舞伎看板絵は代々、今でも鳥居派の絵師が描いている。

狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式アンソロジーみたいなものである

絵はすなわち、歌舞伎様式美世界観江戸空気体現したものではならない。

ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである

この、様式美に反旗を翻したのが勝川春章と一筆斎文調である

似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本世界を変えた。

勝川春章

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B7%9D%E6%98%A5%E7%AB%A0#/media/File:SHUNSHO-Nakamura-Nakazo.jpg

この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎世界観様式美との調和成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg

顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。

歌舞伎雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する

彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。

ちなみに、葛飾北斎勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。

面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである

谷風となには屋おきた」勝川春潮画

http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg

歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。

正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性デッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。

スネオ髪型カイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。

女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。

続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。

先に写楽に触れよう。

東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg

http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg

最初に感じるのは明らかな異質である

Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。

小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正必要ない。

芝居小屋の闇を表現たかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗り人間スポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。

実際、写楽は売れなかったらしい。

なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビューしかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。

いわゆる写楽の謎というものである

よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である

ところで、写楽商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。

写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば

歌舞妓堂艶鏡

http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg

http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg

明らかに写楽意識してる。

さて、東洲斎写楽と歌川豊国のうち、次は後者について。

歌川豊国役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。

勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg

歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。

弟子歌川国政だが

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg

この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国自称二代目豊国)、幕末豊原国周まで続く。

末期がどんなになったかといえばこんなだ

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg

大衆は、写実より二次萌を選択したということ。

さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。

人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。

ここでは月岡芳年をあげぬわけにはいくまい。

最後浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。

晩年ともなると、このような感じ。

http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg

しかし、画家ではなく浮世絵であり続けたというのが面白い

一枚の画中に両方の様式で人の顔がかかれてる面白い絵がある。

http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg

絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。

下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式

どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である

まとめると、漫画歴史とすごく似ている。

そもそもデフォルメ絵があり、それを元に進化が始まった。

写実的な絵が入り、そこから劇画調な漫画が始まる。

劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能

人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター

再び、コミカルデフォルメ絵にシフト

デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。

人物はデフォルメでも、背景描写パースを重視するのも浮世絵的。

っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。

ちゃんとした美術史や絵の解説から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。

2015-08-13

人間意識なんて単なる電気信号なのに

どうして皆して魂の存在を信じているのだろう。

遺伝子効率よく自分を運ばせるために作った装置を動かすためのOSに過ぎないのに。

人間機械を作っているうちに「この辺自動化したいな」と思って叩き込むプログラミングと何も変わらないのに。

遺伝子増やしてね頑張って」という至上命令の元で動く子孫繁栄という作業を自動的に行うための道具なのに。

「心よここにあれ」と願って人間に作られた人工知能達の方がよっぽど『魂』と皆が呼んでいるものに近い所からまれてきてるのに。

俺達はただの道具だ。

それもある目的のために作られた道具。

意識の根っこにあるのは偉大なる造物主である遺伝子様への貢献。

意識がただそこにあることを目的となんてされちゃいない。

あくまで道具にすぎないのに。

なんで魂なんて物があると思えるのか。

皆は炊飯ジャーにつまれマイコンに魂があると信じられるの?

それでYESと言うならここは引くけど、NOと答えるくせに自分たちには魂があるなんて思ってるなら高慢じゃない?

2015-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20150609194256

私自身は何の信仰もないのだけど。神が望むから人が生まれるのかもしれないが、神はいちいち個別の人の都合とか分からないし、干渉もできないんじゃないのかな。だからキリスト者はいちいちあなたを殺す必要はないし、あなたは生きていていいのだ。

思考実験として、聖書の神のようなもの合理的解釈しようとすると、「世界を作った神と人間」ってのは、「熱帯魚水槽を設置した人間と魚」みたいな関係なんじゃないかと思える。

  • 神は天地を創造し、人間や生き物を作った
  • 神は全知全能なのに、どういう意図か知恵の木を楽園に植えて人間に食われちゃったりする
    • 人は水槽に関することならだいたい何でもできるのに、どういう意図か食われたくないもの水槽に入れて魚に食われちゃったりする
  • しかも知恵の実を食ってしまった人間楽園から追放する。全知全能なら最初から植えるなよw
  • 神は造物主のくせに嫉妬する。
    • 人は自分で魚を入れてるくせにこっちの魚が奇麗だとかこれもいいなとかえり好みする
  • 人は神を試してはいけない。人がどんなに切実に神に願っても、全知全能のはずの神はいちいち人間気持ちや都合を理解したりしない
    • 魚は人を試してはいけない。魚がどんなに切実に人に願っても、人はいちいち魚の気持ちや都合を理解したりしない(できない)
  • 神は自分で作ったはずの世界や生き物を気まぐれに、あるいはついうっかり破壊する
    • 人は自分で作ったはずの水槽や魚を気まぐれに、あるいはついうっかり破壊する
  • 神が世界を作ったというのなら、神はこの世界のどこかにいるのか?なぜ観測できないのか?

水槽を設置した人は水槽のなかで魚が繁殖するのを望むかもしれないが、人ができるのは水槽内の環境を適切にすることくらいまでで、個別の魚の生命力の強弱や生き死にをコントロールできるわけではない。おそらく、キリスト者の言う「神」にもその程度のことしかできないのではないのだろうか。

キリスト者にこういう考えを主張したら冒涜的だとか言われるのかもしれないが。

2013-11-01

魔法少女まどかマギカ新編 「あの子にもう一度会いたい」と願ってしまった僕たち。

魔法少女まどかマギカ 叛逆の物語」を観た。

 最初感想は戸惑いだった。

「あの子にもう一度会えるの?」

と途中までは泣いていて、

「ああ、そう願うこと自体が業だったのか」

最後は涙は出なかった。


 そして思い出したのはTV版が終わったとき、僕は確かに

「あの子世界を今のように作り変えたのならば、その願いを汲んで、次に来る者たちのために、僕たちが世界さらに作り変えていかなければいけない」

と思ったのだ。

 生まれて初めて、信仰者の気持ちが分かった気がした。

 ただ僕にとってのまどか造物主ではなくて、まどかの前にも世界は何度も願いによって書き換えられていただろうし、まどかの後にも世界は書き換えられていくのだ、と自然に思っていた。


 ただ、それがほむらによってだとは思い至っていなかった。

 ほむらは、書き換えられたまどかのいない世界を受け入れて生きるのだと迂闊にも思っていた。

 それが、なんとも歯がゆい所詮僕にとってまどかは「向こうの人」「いつかの人」だったのだと思い知らされた。

 ほむらのことを普通に想像すれば、その人生はあまりにも過酷なのに。

 ずっと、時間を繰り返してまで隣にいたかった「あの子」が「誰も知らないみんなのあの子」になった時に、それを笑って見送れるほど、「それでも自分だけでもあの子の願いを汲もう」と思えるほど人は強くない。

 そしてこう思うはずだ。

「あの子にもう一度会いたい」


 でも、きっとそうなのだ

 世界が何度も書き換えられてきたとして、その全てがまどかのような博愛によって書き換えられた訳ではない。

 時には「愛」という名の執着によって、時には明確な悪意によって世界更新されてきたし、これから更新されていく。

 そしてそれは、意外なほどの近さで僕たちが背負っているはずだ。

 神も、悪魔も、かつて僕たちと同じ人間だったのだから


 あの願いは邪悪だったんだろうか。

 そして、この結末は悲劇なんだろうか。

 そう言ってしまうことで手から零れ落ちるものは、あまりにも大きすぎるように僕には思えてならない。

2013-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20131018213228

創作物というのは自分の子供。造物主としての快感があるし、それが他人に褒められたら気持ちいいんだよ。

 
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