はてなキーワード: A型とは
おまえ「誕生日いつ?」
おんなのこ「2月7日」
おまえ「じゃあ血液型は?」
おんなのこ「A型」
おまえ「出身地はどこ?」
こういう質問ぜめはうざい
おまえ「誕生日いつ?」
おんなのこ「2月7日」
おまえ「え、今日じゃん!おめでとう!プレゼントとかもらった?」
おまえ「スクラブってなに?」
こういう質問ぜめなら許せる
A型女子とO型男子は相性抜群、B型女子とA型男子は相性最悪…など
ABO式血液型が赤血球の表面にある糖鎖の違いで決まることを知っている者は、「そんなことで性格や相性が決まるわけないだろう馬鹿馬鹿しい」と思うだろう。
実際に現在の科学では赤血球の表面の糖鎖が性格を決定づけることは示されていないし、近年ではブラッドタイプ・ハラスメントなるものも登場したり、血液型性格診断を「信じない」人も増加しているように感じる。
しかしながら、今だに血液型性格診断が蔓延っているのはなぜだろうか?
私がアルバイトしている中でよくある会話から考えたことを記そうと思う。
私は大学生であり、アルバイトをしている。いわゆる水商売で、小さなスナックでおじさん達と会話を楽しんだりお酒を飲ませてもらったりしている。
話題が雑多なことは学部の友達と話している時と変わらないのだが、ひとつ感じるのが、スナックでは血液型に関する話が多いということである。
「信じていない」私にとって、最初は非常に受け容れ難く、学の無い人がする話題だと蔑むほどであった。もちろんお客様にもママにもそんなこと言えないが。苦笑いをしてやり過ごしたことが何度もあった。
ところがある日、新規のお客様に血液型の話をされた。普段だったら笑って適当にやり過ごすところであったが、話題に困っていたので血液型の話に乗った。30分近くはかせげたように思う。そうしてなんとかやり過ごしてお客様はお帰りになられた。
そこで私はこう思ったのだ。
血液型性格診断は話題の無いときに非常に便利である。信じていようが信じていなかろうが場は保たれるのである。
私が他の話題を生み出せる会話力の高いホステスであったならば、血液型の話をせずに済んだであろう。
2017年1月、年が明けて3連休も過ぎた週末、私は宝塚大劇場へ月組公演を観に来ていた。11時からと15時からの公演を両方観る、いわゆる「マチソワ」である。本当は15時公演だけ観るつもりだったが、たまたまB席が空いていたので飛びついたのだった。
演目は、待望の再演と言われていたミュージカル『グランドホテル』と、日本初のレビュー『モン・パリ』誕生90周年を記念したショー『カルーセル輪舞曲』だった。
大変いい舞台を観たはずなのに、私は不快な思いをしていた。原因は11時からの公演で隣に座っていた女性の行動である。
その女性は「ただ今より開演いたします」というトップスター・珠城りょうさんによる開演アナウンスが流れたタイミングで着席した。
その後、彼女は上演中も一緒に観劇していた人と話をしていたのだ。開演前にも注意のアナウンスがあるように、上演中の話し声は非常に迷惑なものである。出演者の演技をちゃんと観ていたいのに集中力を削がれるのである。彼女の話し声のせいで私は観劇に集中できずイライラが募ってしまった。
終演後に劇場から出たところ忘れ物をしたので取りに行くと、その女性に声をかけられた。私は彼女に対して少し声を荒げてしまった。でも、「あなたはもう観劇に来ないでください!」と言わなかっただけ良かったと思った。彼女も観劇慣れしていなかったというか、初めての観劇だったかもしれない。そんな人に辛く当たったら「来なければよかった」と思われたらどうしようもないし、私も「そういうお前が観劇に来るな」と言われる。やりようがない思いを抱えたまま15時公演を観ていた。
その後私は地元に帰ってきたわけだが、以前から職場での就労環境や人間関係が原因でストレスを抱え込み仕事に出られない状態が続いてしまい、ついに2年間働いてきた会社を辞めてしまった。
私は、専門学校に入って就職活動をしていたが、卒業後も就職先が見つからず、その間アルバイトをしても失敗ばかりだった。このタイミングで「広汎性発達障害」の診断を受けた。
それからは、就労継続支援の事業所で2~3年ほど一般就労に向けて作業などに取り組んだ。そこから、職場実習をさせてもらったのがきっかけで会社に入ることができた。一応、株式会社と名乗っているが就労継続支援A型の施設である。前の事業所と比べて賃金が保証されている。一生懸命に働いて遠征費を稼ぐことができた。
ところが、去年から事業を拡大し始めたあたりで異変が起きた。少人数で捌ききれない業務量、他のメンバーのミスを訂正する手間、イライラを募らせる上司…。何度か職場に出られないことはあったが、今年に入ってとうとう壊れてしまったのだ。
それからは、もう一回観劇しに宝塚へ行ったりサカナクションのツアーに参加したりもできたけど、障害年金から3分の1ほど実家に入れるお金を差し引いた分しか使えなくなってしまった。
2017年12月、約半年ぶりに宝塚に来た。雪組・望海風斗さんのトップお披露目公演、ミュージカル『ひかりふる路』とショー『SUPER VOYAGER!』である。宝塚に来るまで、私はすっかり待ちくたびれてしまったし、心が何度か折れていた。
そこで私は隣りに座っていた女性に声をかけられた。彼女は大昔に観劇したことはあるが、宝塚歌劇ファンの方のお誘いで来たという。
私はショーの客席参加演出で使うポンポンを持っていたのだが、それを見て「こういうグッズがあるんですね」と声をかけていただいたのだ。「そうなんです!この公演限定ですけど」と答え、終演後も少し話すことができた。今まで一緒に観劇していた人と話をすることはなかったのだが、この時は「雪組さんありがとう!」と心から思えた。
私はまた来年春に月組を観に行く。それまではまた心が折れてしまうかもしれないし、どんな顔をしたら良いか分からないと思うこともあるかもしれないけど、またいろんな舞台を楽しみに生きていきたいと思う。
まずは Wikipedia より
幽体離脱とは、生きている人間の肉体から、霊魂(魂や意識)が、その霊体と肉体との中間に位置する幽体(アストラル・ボディー)を伴って抜け出すという、心霊主義での現象であるとされ、または、その概念や考え方をも含むもの。
抜け出した非物質(または、半物質)でできた「幽体」(または「霊魂」「霊体」など)は、機能の仕方によっては、生霊(いきりょう)とも呼ばれたりする。
霊的なものは医学的に証明されるのは難しく解明されていないが、経験者の体験談はほぼ一致するとされている。
基本的に金縛りを経て幽体離脱をする。 離脱したときに行動できる距離は限られているケースが多く、本体から一定の距離まで離れると視界が悪くなることがある。
また目を閉じていても景色が見える。魂で見ていると考えるものもいる。(体験談より)
30歳独身男性。双極性障害で精神障害者手帳持ち。就労継続支援A型事業所に通い、月7万円ほどの収入。障害年金は受け取っていない。
主治医から「現在は一般就労は難しいが、いずれは一般就労へ。いずれは一般就労する身なのだから、障害年金は受け取るべきではない」と言われている。
だが一般就労できたとしても、障害者枠では良くて手取り月12~13万円ほどの求人しか見当たらない。そもそも、いつになったら一般就労できるのかめども立っていない。
実家暮らしであり、生活費などはほぼ親に出してもらっている。が、いつまでも親を当てにはできない。父親はあと2年ほどで定年の年齢で、母親は専業主婦である。
以前、障害者になる前に働いていた頃の収入などで、1100万円ほどの預金がある。
将来への心配や不安ばかりがある。今のところは金に困ることはないものの、それがいつまでもつかは分からない。
結婚などは考えられもしない。こんな障害者など誰も相手にしないだろうと考えている。
自分が障害者であることに強い劣等感を持っている。友人はかなり少ないもののいることはいる。しかし、自分が障害者になったことを打ち明けられる相手はいない。
馬鹿の書いた文なので読みづらさと論考の浅さはご勘弁。
なんとか読み取って言わんとすることを拾って書き直してくれる人が現れることを祈って・・・。
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すなわち、署名活動のメッセージを受け取る相手が、参政権と関わりのない企業等であること。
署名を受け取るまでもなく消費者の意見がまとまり、企業等に伝わっていることがある。
後者は、法的に意味を持っていない場合に署名活動が持つ効果、「消費者の意見をまとめ伝える」ことが既にされている状況を示す。
特に後者は、SNS時代の現代において起こるようになり、また起こりやすい状況である。
分かり易い例で言えば、SMAPの存続、解散撤回を求める署名運動やけものフレンズ、たつき監督の存続署名運動がある。
どちらの例も、署名がどれだけ集まろうと法的強制力はない。その意味に限れば、署名活動は無意味である。
しかし、実際、SMAPしかり、けもフレしかり、無意味であるのに署名活動がされている。
何故だろうか。
ではその意味とはなんだろうか。
前述の通り、署名活動が無意味であると全員が認識していれば、そもそも署名が集まることはない。
つまり、署名活動の参加者は、単に無意味な活動だとは思っていないのである。
そしてもう1つが、「システムとして無意味だと分かっていてもやる」という儀礼的、感情的な活動参加の可能性である。
後者の儀礼的、感情的参加の可能性は、法的に意味がある場合の、本来の署名活動に倣ったパフォーマンスのようなものだろう。
「無意味だと思っていてもやる」 この儀礼的感情的参加による何かしらの影響が、署名活動の意味となっている可能性がある。
ここで、一旦「何かしらの影響」の検討は棚上げし、
冒頭で無意味と説明した状況かつ、消費者が署名活動に意味があると考えて参加している前提で、
はじめに個人によるネット主導や、ファンクラブのような集団主導で署名活動が動き出す。
すると、署名活動中にはネットニュースになったりテレビに取り上げられたりされ、活動はヨリ認知される。
この様子は、ときにテレビや雑誌などのマスメディアで流されることもある。
なるほど、署名活動によって、『世間に意味があると思われている「署名活動」』の情報が広がっているのだ。
企業の単なる動静でもなく、消費者群の大きな潮流でもなく、「署名活動」の情報が伝播しているのだ。
これにより、「署名活動」がされたぞ、○○万人も署名したんだぞ、企業はどう動くんだ?という見方がされる。
「署名活動」がされたという見方、法的強制力のある場合に倣った見方がされている。
そう、参加するほうも儀礼的なら、世間の見方も同様に儀礼的見方がされるのだ。
すなわちこれは、法的強制力とは直接関係のない、社会による風潮であり、勝手なルールなのである。
””署名に意味がある→署名が集まる→世間やマスコミが注目する→企業が注目され、圧がかかる→有意義”” なのだ
加えて言えば、署名による圧により企業が動けば、署名に意味があるという最初の要素に立ち返り、署名活動は自己循環する。
「署名に意味がある」という定義だけが世間に残り、自己循環の度に、署名と意味の関係は強くなる。
ただ厄介なことは、「署名に意味がある」という定義は、参政権に基づいた署名も、企業への署名も、同じ定義を共有して考えられてしまっていることだ。
これが、法律と社会の風潮との誤差になっており、度々、「署名は無意味だ」と言われる原因ともなっている。
この流れは、血液型性格診断と似ている。
血液型性格診断は、科学的に全く根拠がないとされている。しかし、実際はA型が几帳面であるとかO型はガサツであるとか、よく耳にする言葉である。
幾度となく科学的に否定されようと、その声が絶えることはない。
それはおそらく、実際に血液型と性格が一致していることが多いからなのであろう。
なぜ一致してしまうのだろうか。
科学的理由ではないところに、根拠を求めるとすれば、個人の心理や社会にあるだろう。
全く勝手な推測だが、例えば「A型は几帳面だ」と周囲の人間が思っており、
そのように言っていれば、言われた方は暗示が働き、几帳面として振舞うように個人の性格が方向付けられてしまうのではないだろうか。
全ての人間が周囲からの情報で性格が決定づけられるとは当然考え難いが、それでも多少の影響はあるだろう。
人間の生物的根拠とは無関係に、社会的、心理的作用として、血液型と性格が因果関係を持つこともあるのである。
だからこそ、血液型性格診断そのものの科学的根拠はないという、ただその一点で血液型性格診断を否定するのは浅はかではないか。
そして、本文の主題に立ち返り、換言すれば、
署名活動そのものの強制力だけで無意味と切り捨てるのは浅はかであるということ。
「意味がある」という前提が意味のないことを意味あるものにしてしまうパワーがあるということが言えるだろう。
簡単に言ってしまうのはもったいない。社会の不思議なパワーを、今こそ使いこなすべきではないか。
PS.
つらつらと、署名活動を応援するようなコメントを書いてきたけれど、どちらかと言えば私は活動否定派です。
単にこうしろああしろ等と、感情と風潮に訴えるだけの署名には効果を感じません。
というのも、なんというか現代の合理主義的社会関係に見合ってないからです。
かと言って、不買運動を起こすなんてのは、ホトトギスを殺してしまうようでスマートじゃない。
だから、その間を取って、「ユーザーの意見聞かないと、これこれ買うの辞めますよ」って署名を集めるのはどうでしょう。
血液型と性格の因果関係はないっていう人がいるけど、親と子ってそれなりに性格は似るものではないだろうか。そして血液型ってある程度の確率で遺伝するものなんだから、統計学的に見てやっぱりある程度傾向はある物だと思うよ。絶対とは言わないけど。
自分が傷ついたってギャーギャー声がでかすぎ。
派閥大好きだし。
「○○ちゃんはそう思うんだね、良いと思うよ。でも私はそうじゃないと思うな」
ってあくまで冷静に大人に対応して、その子の良い部分に目を向けるようにしてた。
でも人の悪口が多すぎる。
昨日イチャイチャしてたと思ったら今日は大嫌いと言ったりする。
「私のおじいちゃんは晴天の日に死んだ。傷付けられた酷い」みたいなエクストリーム被害妄想を展開する。
そして陰で「私あの子に傷付けられたんだ」って話を他の人にする。
そんな話から始まって、「服がダサい」「会話が下手」とか、リアル悪口に移行する。
ちょっとまって、あの人はそんなつもりで言ってないでしょ?
陰でそうやって言うのはよくないことだよ、嫌だったらきちんと嫌って説明して、それでも分かってもらえなかったらにしたら?って言っても
なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだとむくれる。
じゃあ最低限私に人の悪口は言わないで、って言っても1か月ぐらいでまたぐちぐち始まる。
確かに私はただの友達だけど、そんなんじゃ一緒にいられない。
私も一緒に悪口言ってると思われて、現に複数人から苦情が来た。
深く話せば私はそんなことしないって分かってもらえたけど。
そんなこんなで絶交を考えていた矢先。
「あいつ泣かしてやる」って言ってた共通の友人に再度すり寄ったのでブチ切れた。
そこまで言った人と良くまた仲良くしたいと思うね。
聞きたくない、今まで仲良くしてたのにそんなこと言うなんて信じられないって悲しんだ私の気持ちはどうなるの。
「ごめんね、あなたのいいところもいっぱいあると思うけど、私はついていけないや」
そうやって絶交した私の事も、貴方は何処かで悪しきように言ってるのかな。
全然詳しくはないし、俺も打ってるわけじゃないけど、海外赴任の先輩が法定か国の推奨かで受けなきゃとかなんとかやってたからちょっとだけ雰囲気見てた
性接触というか、血液接触が主な感染径路みたいで、リスクがあるのはB型とC型だけど、予防注射できるのはBだけみたいだね
ちなみに性接触じゃなくて食べ物とかの経口感染でA型も感染するけど、これも予防できる
2-4週間間隔で2回、6か月以上リスク地域に滞在する予定なら半年後にもう1回打つらしい
中国や東南アジアに長期滞在する人は、一般的には受けなきゃいけない予防接種リストみたいなのがあって、肝炎の予防接種もそこに含まれているので、申し込むことは全然はずかしい話じゃない
ちなみに、エイズや肝炎みたいなウイルス感染症って、感染してるかどうかは抗体検査で簡易的に調べるのが一般的
感染してない人は抗肝炎ウイルスの抗体は持ってないけど、感染したら抗体作ってるよね、って理屈
抗体があれば感染してそう、抗体がなければ感染してません、ってこと
だってその環境自体が病状を悪化させてるんだから、離れるに限る。
せめてA型にしておくべきだった。今言ってもアレだけど。
とにかく、ご武運を祈る。
移行支援 障害者の一般就労を目指す、ただし利用期間に二年の期限あり
B→A→移行支援の順番で通所しているやつのキチガイ率が高くなる。
ただ途中でB型と移行支援の多機能型というよく訳の分からない形態の事業所になった。
私は元々移行支援のときに入所したが多機能型への移行のタイミングでB型所属にしてもらった。
生活リズムの改善が目標だったため、また2年の期限が気になったためだ。
私の事業所では軽作業や精神療法的アプローチのプログラムなどを行っている。
当初はモリモリと回復していき、これ就職もいけるなーなんて思っていた。
移行支援の利用者だけの時はコミュニケーションを取れる、空気を読めるなど障害を言われないと分からないくらいの人が多かったせいもあり、自分自身の課題解決や就労に向けての努力をすることが出来た。
発達障害の利用者が急激に増え、恐らく健常者がイメージしてるであろう「福祉作業所」に変わってしまった。
独り言、空気を読めない、軽作業でさえ出来ない、話しかけても反応がない、こだわりが強すぎなどなど。
つかみ合いの喧嘩になりそうになったり、急激に怒りを爆発させたり。
カオス。
支援者に改善を訴えても「障害には程度があるので理解を」と言われるのみ。
私の通所している就労支援事業所B型では精神障害者の理解は十二分に学べる。
何の役にも立たないが。私は他人の障害なんてハッキリ言ってどうでもいい。
寛解状態になりかけていた私は利用者が大声を上げて喧嘩を始めた時にパニック発作を起こしてしまった。
今は違う作業所への変更も視野に入れているが、うつの時は重大な決断はしないほうがいいといわれている。
本当に困り果てている。
生物学者ではないが、血液型っていうのは抗体の種類なんだからフェノタイプと関連があるのは当たり前というかほぼトートロジーだろう
で、血液型の性格診断が馬鹿にされるのは「血液型と性格の間に相関があるという根拠が存在しない」からじゃない
確かに君の言うとおり、「血液型と性格の間に相関がない」というデータは存在しないかもしれない
もしそうだとすると、それは個人的にはあまりにバカバカしすぎて真面目に取り組む価値すらないだと思うけどな
だから「血液型と性格の間に相関がない」と科学の場で宣言することには語弊があるわけだ
(俺が調べてないだけで相関がないという論文も出ているかもしれない)
でも性格診断っていうのは、「A型が几帳面」だとか「AB型が天才肌」だとか、性格と血液型の相関を仮定したうえでさらに一段話をすすめているだろ
確かにA型が几帳面ではないという根拠はないが、同様にA型がサイコパスではないという根拠も、A型がおっちょこちょいではないという根拠もない
その中でA型が几帳面だというのはさすがに恣意的というかこれはまさに疑似科学だ
もし血液型診断が「あなたはA型ですので、あなたの性格は血液型の影響を受けているかもしれないし、受けていないかもしれない」と言うだけだったら誰も馬鹿にはしねえよ
B型です。(血液型性格判断には根拠がないという「情強のオレカッケー」の方には意味のない情報ですが。)
さて、「情強のオレカッケー」の方々は、おそらくネットでちょっと調べて「血液型性格判断には科学的根拠がない」みたいのをちょっと読んで「オレカッケー」になってしまったんだと思います。ですが残念ながらそれは情弱疑似科学の典型です。「血液型と性格に関連がないという十分な(生物)科学的根拠がある」と「血液型と性格に関連があるという十分な科学的根拠がない」とは全く別だからです。(もしかしたらオレカッケーの方々には理解できないかもしれません。情弱なので。)
血液型とフェノタイプに関連があるということに関しては少数ですが科学的と言えるデータがあります。例えば http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002561961401043X 血液型と心疾患の感受性の関連を示した論文です。
血液型と性格に関連がないと言うためには最低限次の2つを合理的に説明する必要があると思います。
①心疾患のような生存に関連するフェノタイプに差があるのに、それが進化の過程で行動パターン形成に影響を及ぼさなかった理由。
②例えばA型とB型にフェノタイプの差がないのであれば、数十万年のランダム選択(淘汰圧)でA型とB型の数が同数になっているはずだがそうでない理由。
血液型と性格に関連があるという科学的なデータがない理由としては、そのコスト(数千万円✕数年)の割に、ビッグジャーナルには倫理的理由で掲載されないリスクがあるからでは?と思っています。情強の先生方、どうぞ上記2点の反証をお願い致します。