はてなキーワード: 2ちゃんねるとは
最近、TwitterなどSNSではエッセイ漫画が流行っている。
ここ2、3年で、本職の漫画家に限らず、個人が趣味で書いてるエッセイ漫画も頻繁にリツイートなんかで回ってくるようになった。
漫画を描いてる人本人に興味を持って調べることも多いが、そこで気づくのは、性別が男性か女性かに関係なく、自画像が女性の人がほとんどだということ。
美少女とは限らず、地味な見た目だったり、おばさんに見えるような自画像も多いが、女性が男性の自画像を描いているパターンは今のところ見たことがない。
この現象を見て思い出したのは、10〜20年ほど前の2ちゃんねるに書き込むときの作法だ。
当時、2ちゃんねるのような匿名掲示板では、一部の板を除いて男女問わず、男性のような書き言葉を使って書かないといけない暗黙のルールがあった。
それを守らないと、女だと分かると馬鹿にされたり真面目に取り合ってもらえないような雰囲気があった。
20年経った今の5ちゃんねるではそんな雰囲気は消えていて、男も女も楽しく平等に罵倒しあっている。
そもそもどうしてエッセイ漫画の自画像の性別は女性ばかりなのか?
一つに、可愛いものがもてはやされるからというのがある。ここ最近は企業の広告なんかでも堂々と美少女二次元キャラを起用していたり、オリジナルの二次元キャラを描いていたりする。街中でもそういうものをよく見かけるようになった。
オタク的なものに嫌悪感を持っている人たちから批判を受けることがあっても、そういう広告が多く存在するのは、それだけ可愛いものがもてはやされていて、広告効果もあるということなのだろう。
しかし、自画像は美少女ばかりではない。一番の理由として言えるのは、男性がやると非難されたり気持ち悪がられるようなことでも、女性がやると許される、受け入れられることが多いから、だということ。
実際、ちょっとした言動でも、男性がやると気持ち悪いなどという誹謗中傷を浴びることは今では珍しくない。
そして、男性の絵日記というものには誹謗中傷を浴びせる余地が山ほどある。
以前、爪を噛む癖がある、と描いた絵日記に、女の子だから良いけど男がこれやってたら気持ち悪いな、などという意見がついていたのを見たことがある。
細かい癖に限らず、ちょっとしたことで気持ち悪いなどと言われることは男性なら多くの人が経験している。
女性の場合は、よほど悪いことをしていない限りは、本人に癖があっても大抵は自然に受け入れられることが多い。
何故か、男性が向けられるこういう誹謗中傷は、当たり前に受け入れなければならないという空気も蔓延している。
だから結局、自画像を男性にして描いても、誹謗中傷を浴びて傷つくだけでしかない。
インターネット上の雰囲気が、20年前と真逆になってしまっているのは、結局この20年間で、女性の地位が向上して、男性の地位が下がって、それが行きすぎて男性の方がむしろ生きづらくなってしまったことを表しているのだろう。
小学校の先生がなかなか嫌な(婉曲表現)先生で、何かにつけて「男のくせに~~するな」「男なら~~しろ」というのが口癖だった。私はその先生が本当に嫌で、誇張や比喩ではなく学校が怖くて夜にはよく泣いていたし、割と慢性的に自殺を考えたりしていた。そんな経験があったので、私がジェンダー論や性差別に興味を持つのはごく自然な流れだった。「女性になりたい」と思ったことや、「私はもしかしたら"男性"ではないのかもしれない」と思ったこともある。今となってはそれはトラウマや思春期による揺らぎの一種であったと認識していて、性自認に関しては私はシス男性だと自認しているけれども。
私の初恋は、とある絵本のキャラクターだった。絵本や児童文学を読みながら、キャラクター同士の親密な関係(カップリング)や、窮地に陥ったキャラクター(ヒロピン)などに触れて、何かいけないものを見ている気分で、こっそり楽しんだ。同級生達の、「どの女の子がかわいい」とか、「誰とそれが付き合ってる」とか、そういう話は嫌いだった。その頃から私はフィクトセクシュアルだったと思う。
当時放送していたアニメと言えば、『幻想魔伝 最遊記』とか、『しあわせ荘のオコジョさん』とか。テレビゲームだと『テイルズシリーズ』とか。そういうのを見て育ったオタクなので、「オタクたるもの、男でもBLくらい嗜んでしかるべし!」くらいに思っていたし、今でも思ってる。ちょうどニコニコ動画が流行った世代でもあって、(今の倫理観では褒められたことではないにせよ、)「ホモネタ」でケラケラ笑うのも楽しかった。
先にオタクになったのは私よりも兄の方だった。当時の私は兄を「ホモソーシャル(という言葉は当時知らなかったが)に親和的な人」と見下していたが、兄は兄で色々と思うところがあったと今では思う。兄はあまり頭が良くないので、私のように細かく言語化したりはしないが、おそらく私たちの世代の平均的な「オタク」だと思う。美少女と美少年が好きで、百合とBLが好きで、口では「恋人欲しい」なんて言うけど、内心エロゲで満足してる。そういう人。『ガンダムSEED』が「腐女子向け」と叩かれていたのを兄も知らないはずはないが、兄はそんなSEEDに心からハマっていた。『テイルズシリーズ』については私よりも兄の方がハマっていたから、いのまたむつみの美少年絵は兄の琴線に強く触れたのだろうと思う。
兄が好んだ「ちょっとえっち」な漫画やゲームを、私は内心見下しながらも、それは常に身近にあった。エロ漫画について伊藤剛先生が『MANGAの自由 平成から令和へ』の中で、「あんまいいもんじゃないだろうという感じで、手に取ろうとはしなかった。」と語っているけど、私もそういう感じ。読まず嫌いだった。でも実際にはむしろその中にこそ多様なジェンダーとセクシュアリティが描かれていることに気付いた。セックスをパロディし、時に嘲笑うことが、セックスを相対化するのだと。
少なくとも私にとって、ジェンダーやセクシュアリティの呪いから逃げられる空間が、オタク文化だった。
2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)というのは、今も昔も治安の悪い場所だった。大学院生から「無敵の人」まで、全く知識・知能・倫理観レベルの違う人々が同じ空間で同じ顔をして過ごしている。まともな精神じゃできない書き込みなんていくらでもあったが、それはほんのひと握りの底辺の書き込みでしかなかったのだろう。そしてそんな底辺の書き込みの一つは「女性蔑視」だった。当時の私はまだ子供で、ジェンダーとセクシュアリティの話題に興味のある子供だったから、それがどうしても許せなくて、「論破しなければいけない」ものだと思い込んでいた。今思えばそれは逆効果だったのかもしれない。私が来る日も来る日も女性蔑視的な書き込みを「論破」しても、その勢力が衰えることは無かった。昨日論破したばかりの同じような書き込みを、今日も明日も繰り返すような、そんな連中ばかりだった。
しかし、ネット空間というものが、誰もが使う表の空間に成り下がると同時に、そうしたネットの闇はあっさりと自然消滅していった。厳密に言うと消滅はしていないが、その権威はもはや見る影もなくなった。犯罪や誹謗中傷は取り締まられ、多くの暴言も各種サービスの規約によって削除されやすくなった。何よりも、そのような暴言を吐くのは、少数の異常者であることが露呈した。
私は安堵した。しかし、そんな時代になっても、「表現の自由」を掲げて「フェミ叩き」を頑張っている人達がいるらしい。私は呆れた。非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々のことを忘れたのかと。
私はほんの少し、Twitterのフェミニストの人々と繋がってみた。とても勉強になる話をたくさん聞いた。その話は納得できるものが多かった。しかし、次第に違和感を覚えてくるようになった。その違和感がなんなのか、すぐに言語化することは出来なかったが、どうも彼らは「フィクションを性的対象とする」というセクシュアリティについて、全くと言っていいほど無知で、配慮がないどころか、むしろ憎んでさえいるのだ。恥ずかしながら私自身、「エロ漫画」や「えっちな表現」というものを読まず嫌いしていた時期もあるから、他人のことは言えないのかもしれない。しかし、ジェンダー論や文学を研究している大学教授などが、そうしたセクシュアリティについて全くの無知で、研究など出来るのだろうかと心配になった。そして怖くなった。現代の「ジェンダー論」というものは、そのような前提の元に立脚しているのかと。そして「エロ漫画は女性蔑視」のような前時代に封印したはずのトンデモ言説が、再び亡霊のように復活しつつあることを。あの「非実在児童ポルノ騒動の時、表に立って漫画を擁護してくれたフェミニストの人々」ですら、彼らが味方する対象ではなかった。
結局私は苦しくなってTwitterもやめてしまった。トランプが大統領に当選した時、オバマは「国の歩みはジグザグだ」と言った。もしもわたしが第三者の立場であれば、昨今のフェミニズムの暴走も、「ミソジニーに対する反動」として呑み込む事が出来たと思う。「今はまだ無知でも、時間が解決してくれる」と、民衆の成長を待つことができたと思う。でも残念なことに私は当事者だった。私は、性差別を憎む二次元性愛者の一人だった。
とにかく怖くて仕方がない。苦しくて仕方がない。そして、憎い。ああ、これは、かつて2ちゃんねるで女性蔑視の書き込みを見た時と同じ感情だと思った。
今では私は子供ではないから、もう少しだけ冷静に論じたいと思う。でも、行動を多少抑えることは出来ても、感情それ自体を抑えることは難しい。悔しいとか情けないとか。無力感とか徒労感とか。
2ちゃんねるで女性蔑視を批判した日々は無駄だったのだろうか。実際、無駄だったのかもしれない。でも、せめて、それをした私自身のことは誇りたい。誇りに思えるだろうか。彼らをのさばらせた責任の一端は、私にもある。
2021年 ねとらぼ【その視点はなかった】「九九の9の段は実質ボスラッシュ」ツイートが話題に 「天才」「同じこと思ってた」
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2102/03/news112.html
“今まで登場してきた「×9」がオールスターで襲いかかり、さながら特撮の再生怪人戦やゲームのボスラッシュを連想させる。“
https://dic.nicovideo.jp/a/9の段
2016年 チュートリアルからボスラッシュまで!九九の各段への印象!
https://twicolle-plus.com/articles/515545
2015年 九九の9の段のボスラッシュより7の段のが苦戦したよな
http://waraan123.blog.fc2.com/blog-entry-12974.html
2012年 九九の9の段の「今まで倒してきたボスが復活して襲いかかってきた」感 : 2chコピペ保存道場
http://2chcopipe.com/archives/51793132.html
そろそろ飽きてくれないか?
Serial experiments lainを見た。今はいい時代で、YouTubeで無料で違法に見ずとも、amazonの動画サービスに課金すれば合法的に観ることができる。全話見終わって、ほぼ大筋しか覚えてなかった自分に愕然としたが、やはりlainは良いという気持ちに立ち返って終わった。
lain…好きだ。
精神的な実家に帰るというか、昔よくいた公園に立ち寄ったような快楽があった。
5ちゃんねるが2ちゃんねるで、個人的ホームページがあって、お絵かきbbsがあって、アイコンにイラストや写真が使われていない時代。facebookの前の時代。
アカウントの乗っ取りとかの時代ではなく、名前を奪っただけのなりすましに怒ったりなんだりしていた。ブラクラがあり、荒らしがあり、アホみたいな時代といえばアホみたいな時代だった。それでも私にとってはもう懐かしく感じる。
尖ったメンタルと求心力に溢れた、若い少年や少女はいつも羨ましかった。
オタサーの姫というか、俺たちの子供、のような気持ちもあったし、若かった頃の自分のうまくやれなさを子供を通して見ていたような気もする。
私はそちら側になれなかった、と言うには、私は大人になりすぎてしまった。
昔、我々はネットで顔を持たなかった。
今はネットで皆顔をもっている。アカウントは現実の人間と紐づいた、場所を気にしないコミュニケーションの一種の、現実の拡張になってしまった。
顔のなかったころ、我々はそこにいて黙って聞いていても、なんらおかしくなかったけれど、
肉体を持ってその場で黙って聞いていることは、開かれた場所では許されないこともある。
電球に照らされた時、私は自分があまりにも何もなく、「あんなふうになりたいしきっとなれる」から「こんなにも何もできない」ことに頬を殴られた。
我々は顔を持つことで区切られたのか?
lain、あなたを見ることで私もあなたの信奉者として、あなたの影として、あなたを作る幻想の一つを構成するものとして、一つの偉大な幻想の構成物として、自分をも信奉していたよ。
そういう2ちゃんねるみたいなノリもうやめよ?
兄が小学生の私に、
その時私は兄がママに死ねばいいのにって思ってることがショックだった。
その後兄は高校生になり、2ちゃんねるの女叩きに夢中になるようになり、現実でも女叩きをするようになった。
兄は私に対して、お前は女なんだからとっとと結婚すりゃいいんだよと幼い頃から言ってきてた。
お前予備校で恋愛するなよまじで と注意してきた。え、恋愛する予定ないけど、なんで干渉してくるの?きもいよ
兄は今は社会人。社会に出て仕事をこなすしっかりした女性をたくさん見かけて、考えが変わったようだ。今度は
生理は甘え。男女平等なんだから女も重い荷物持て。男と同じようにしろ。結婚に逃げる女はゴミ
という考え方になった。
私は今現在、結婚して主婦。小さい頃から私に、女なんてとっとと結婚すりゃいいんだよって言ってきてたくせに実際結婚したらそれが気に食わないらしい。
昔から兄は夢を持つ人をバカにして、すべてのことを斜に構えてる人でした。努力を恥だと思ってるのか、頑張ってる人をバカにしていました。
兄は何を考えてるのでしょうか?
あーー兄死ねばいいのになぁ〜
というか、親も親で、兄が私にブスって言ってもなんも兄を注意しなかったのに、私が兄にそれを言ったら
お兄ちゃんになんて口の聞き方するの!謝りなさい!
と叱ってきたり、兄がひいきされてたように思えます。
兄からしたら私が贔屓されてたらしいんですが…は?
あー兄しねばいいのになぁ〜
私も家族にこんなクソおるよ〜って人いたら聞かせてね
そう思うようになった理由がほんと変。
十数年前に、Webで二次創作をすることを私は覚えた。同人活動という趣味があることは、もっと子供の頃から知っていたけど、顔の見えない相手と交流しながらそれをやるという事は、自分のパソコンを持つまで知らなかったのだ。たぶん2008年くらいの事だったと思う。
その翌年くらいにpixivが二次創作オタクの間で爆発的に人気になって、民族大移動みたいに個人サイトからpixivに移っていった。当時の、個人サイト衰退末期くらいの頃に、私が「二次創作活動」が嫌いになった原因がある。
携帯無料ホームページサービスにて、自分の二次創作サイトを初めて持った時には、それなりに楽しんでいた。だが、ジャンルを通して交流の幅を広げていく度に、なんか変だな? と気づいた。ジャンルの人達、猫も杓子も「かの国」の悪口をブログに書き込むのだ。日常雑記に隙あらば「かの国」disを書き込む。創作をサボり萌語りを休んでも、「かの国」disだけは休まない。要は、ジャンル全体が広く浅く時にはかなりディープにネトウヨ化していたのだ。
二次創作という趣味の場で、それとは全く関係のない政治活動が活発に行われている。それ自体が私にはとても不快なことだった。私はネットの門戸が一般人にも開かれた時の2ちゃんねるの文化に浸かり込んだ人間ではない。けれども、同世代や自分よりも少し上の世代でネットにずぶずぶの人達が、2ちゃんねるを通して右翼思想にどっぷり浸かり込んでいることは一応知っていたので、まぁそういう人達とWeb上の二次創作オタクの多くがカブっているのだから、二次創作界隈が右寄り(一時期はスーパーライトだったと思うけど)なのは仕方のないことなのかと諦めた。
毎日のようにジャンルの仲間達のお友達サイトを見てまわる日々。多くの二次創作者がブログに脈絡もなく「かの国」disを紛れ込ませているのを目撃する日々。そんな日々の中で、最高にヤバいスーパーライト二次創作オタクのサイトを発見してしまった。ブログ開いて秒でそっ閉じ。一目見てコイツはヤベェと思うくらいの極まりっぷりだった。一体何がこの人を突き動かすのだろう? と疑問がむくむくと膨れあがった。当時は何だかよくわからねぇがヤベェなこの人……と思うだけだったけど、今思えばあれは一種の布教活動のようなものだったのだろう。おかしなブログ記事の数々は気の触れた者のご乱心ではなく、わざと信者獲得のために書かれたもので、二次創作の方はメインではなく釣り針だったのではないだろうか。
同ジャンル者のサイトを転々と見ていくと、ジャンルのオンリーイベントの記録なんかが出てくるわけだが、キレキレスーパーライトのブログ主が、あんなにヤベェ言動ばかり繰り返している割に、他人から遠巻きにされるどころかむしろジャンルの中心でカプとか関係なくちやほやされており、記念写真のど真ん中に美少女のコスプレをしてダブルピースで映っていたりする。アフターにも勿論参加していて、他のジャンル者とキャッキャと交流しているのがわかる。
だが、スーパーライトはスーパーライトとしての活動の手を弛めることはない。時々怖いもの見たさでその人のサイトを覗いたが、常にガンギマリ状態で一つもぶれないようだった。
そんな人を平然と受け入れるジャンル。懐が深いとか、器がでっかいとか、言えるのかもしれない。が、些細なことで揉めては敗者を叩き出しているので、別に緩くて平和という訳でもなかった。
ずっと、もやもやとした居心地の悪さにつける名前もなく、何となくこいつらと一緒にされるのは嫌だと思い続けてきた。だから私は二次創作はするけど二次創作を通して他人と交流することはろくにせず、書いた作品をpixivに投げ捨てるように投稿するくらいだった。
最近、ネットニュースやはてブを見て色々思うことがあった。色々端折って結論だけ言うけど、二次創作界隈という境界のぼんやりとした集団というのも、何か別の活動に使おうと思えば使えるのであり、ただ推しカプのエッチな二次創作が見たいという助平な私欲の為にポリシーも捨てるという人が多くいたりする、ということなんだと思った。
そうとわかったので、二次創作からは本格的に足を洗うことにした。
そこを同じだと思って話を進めてる時点であなたは男女に関する考察が甘い。
まずさあ
あなたに合わせてすごく露悪的に話をするなら
オスの「モテる」はセックス出来たらそれでおしまいなんだよね。
今日増田で「即」とか「準即」とか「ヨネスケ」とかいうナンパ用語が出たじゃん?
ああいう言葉使うナンパ師ってほんとスタートアップビジネスみたいな姿勢であれをやってるんだよね。
理想は即を積み重ねることで記録までつけてなんかスコアみたいにしている。
あいつらはもちろん女の悪口なんか絶対言わないよ。「可愛かった」っていう。
でもあれやってるやつらはみんな女が嫌い。
オスのモテるっていうのは結局相手と豊かで深い人間関係築くってことの逆だから。
これがオスの「モテる」。
絶対違うと思うよ。
あなたが立派な人格をしてるんじゃなくて単に男と女のシステム・インセンティブの違い。
結局一度には一人を選んでその相手と深く長い関係を築くことじゃん。
チヤホヤしてくるその中から一人を選んでその相手を大事にするわけ。
だって子供が出来たら自分と子供を相手に庇護してもらわないといけないからね。
まあもちろん「旦那死ね」とかネットに書きまくってるおろかで不幸な既婚女もいるけど(さっさと離婚しろ)
女の「モテる」は結局一人の相手とそれなり人間的な信頼関係を築く営みに帰結するわけ。
まとめるね。
「自分を磨く」→「モテるようになる」→「その中から一人を選んで人間的な関係を築く」
オスの場合
「自分を磨く」→「モテるようになる」→「モテるなら一人を選ぶ必要なんかないので食い散らかしやスコアアタックになる」
努力してモテた結果、あなたはもしかしたら優しくてイケメンな彼氏と温かい世界に入れたのかもしれない。
けど同じルートでオスの場合は営業テクニック駆使して落とせばやれる変な生き物を倒していくだけの殺伐荒涼とした世界が広がるの。
オスの場合はモテればモテるほど人間的な世界から遠ざかるんだよ。
この話を聞いて
あなただって努力の結果選べるオスが増えたな中から吟味して一番いいオスを選んだでしょ?
デブスだった時にも手に入ったようなオスは絶対選ばない、それは絶対できないはず。
あなたが自分の努力の対価として最大の利益(手に入る中で一番いいオスを彼氏にする)を掴まないと満足しなかったように
オスも努力の対価としてセックスできるメスをひたすら増やしていかないと満足しないわけ。
どっちも同じことやってるんだけど性のシステムのせいで
オスはプレゴリみたいな謎の意識高い専門用語使いこなしながらひたすら即日セックススコアを積み上げるわけ。
オスの人格が悪いとかあなたの人格が立派だとかそういうことじゃないよね。
私は努力をして自分を改変しなければ他人からの高評価を得られることはないと元々思ってました。
こういうふわふわしたことをローティーンが言ってるならいいんだけど
なんでいっつも君らはそう主語をでっかくすんだろうね。
元増田に合わせてるだけ。
そもそもモテにフルコミットして整形と体型改造する女もナンパ師になる男も全体のなかで少数派やろって言われりゃそりゃそうだ。
全部2ちゃんねるが悪いってことだな。