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はてなキーワード: 1968年とは

2014-01-19

2001年宇宙の旅》を観て思う

「午前十時の映画祭」でやってる《2001年宇宙の旅》見てきました。

http://asa10.eiga.com/2013/cinema/312.html

21世紀って夢がいっぱいだったよな

原題の《2001: A Space Odyssey》を《2001年宇宙の旅》と訳したセンスが素晴らしい。

公開が1968年で「21世紀なんて遠い話だけど、その頃には色んなことができるようになってるんだろうな」と思ってたはず。

60年代だけじゃなくて、70年代80年代ひょっとしたら90年代でも「新世紀は素晴らしい世紀だろう」と思ってた。

そしたら「宇宙の旅」ぐらい当然できるよなあ。

そしていつの間にか21世紀になった。

インターネットを当たり前のように使ってるとか、スマホが普及してソーシャルメディアが凄いとか、

確かに素晴らしいんだけど、なんか憧れてた新世紀が、実際に生きる世紀になったら、ちょっと感覚違うね。

大事なことは解らないけど、気にせず生きてるよね

映画では「人類夜明け」のセクションで、ヒトザルがモノリスに触れることで、道具の使用を身に付けたことになってる。

確かに長い歴史の中で、ヒトが偶然に道具を使うことを覚えたというのは、ちょっとどうなんだろうと思うところもある。

何かどこかでブレークスルーがあって、サルからヒトになったんだろうけど、それは何なんだろう。

映画では、それはモノリスで、何か人外のもの人類に与えたとされてる。

本当にそうなのか、どうなのかは解らないけど、これらのシーンを観て、

宇宙の果てもどうなってるか解らないし、死んだらどうなるのかも心がどこにあるのかも解らないし、

モノリスくれるような神様みたいのがいるのかも知れないし、いないのかも知れない。

そういう本当に根源的なところは何一つ解らないのに、判断の根っことなる部分が解ってないのに、

なんだか毎日解ったような顔をして判断してるよなあと思った。

明日会社に行ったら「こんなサービスを世の中に出して良いのか」というのを悩むんだけど、

そもそも我々はなんなのかも解ってないのに、こういう問題は真剣に悩めるのが実はすごい。

2013-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20130630030720

おまえの言う「冒険」の範囲はどっからどこまでだ。

コロンブス新大陸発見までの航海のような「冒険」も非難されるべき?

リンドバーグ大西洋横断のような「冒険」も非難されるべき?

1968年の初の北極点到達の「冒険」も非難されるべき?

単に感動モノという意味での障害者冒険系は、確かに議論があるだろうなあとは思うけど。

冒険一般を非難するとか、ちょっと広すぎじゃね?

ラディカルだな、とは思うけど。

2012-08-25

他の音楽を叩く人たち

「単純接触効果

繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果

1968年アメリカ心理学者ロバート・ザイアンスが論文にまとめ知られるようになった。

単純接触効果結構有名なので知っている人も多いだろう。

これは人間関係や商品の広告などで高い効果をもたらすが、

特に音楽においては絶大な効果を示す。

CMソングは売れることが多いし、友人がよく聞く歌を好きになることもよくあるだろう。


ところで、音楽ファンの中には他の音楽を叩く人たちがよくいる。

大衆的なものほどその標的にされやすいようだ。


音楽についての議論がされている場合、その多くは音楽のものではなく

歌手イメージや個人的感情を語っているだけという場合が多い。

韓流なんてまさにそうだ。

もっと音楽のものについて語れないのか。

音楽なんて何度も聴いていれば好きになってくる。

それがたまたま違う音楽だっただけなのになぜ他の音楽馬鹿にするのだろう。


音楽に優劣はつけられない。

これは受け売りだが、何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ、と思う。


お互いの好きなものを尊重できる日はいつになれば来るのだろうか。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2012-01-03

訳してみた。

http://www.youtube.com/watch?v=Xxh-sS8Qoco&feature=player_embedded

1911年12月14日 ロアール・アムンセン、南極点に到着。

1912年4月14日 タイタニック号沈没

1913年 フォード、流れ作業方式を導入

1914年6月28日 サラエボ暗殺事件から第一次世界大戦勃発

1915年4月22日~1915年5月25日 初めて毒ガス使用

1916年2月16日1916年12月20日 ベルダンの戦い

1917年11月7日 ロシアで10月革命

1918年11月11日 第一次世界大戦終結

1918年11月9日 ヴァイマル共和制の樹立を宣言

1919年1月5日~10日 スペイン風邪の流行が頂点

1920年12月16日 寧夏、海原地震

1921年11月9日 アルベルト・アインシュタイン ノーベル物理学賞受賞

1922年10月27日~31日 ベニート・ムッソリーニローマ進軍

1923年 ドイツでハイパーインフレ

1924年1月21日 レーニン死去

1925年1月~2月 ノーム犬ぞりバルト)疾走

1926年 アル・カポネが権力の頂点に

1927年3月20~21日 チャールズ・リンドバーグがパリへ向け飛行

1928年11月18日 蒸気船ウィリー初演(ミッキーマウス初登場)

1929年10月29日 1929年のウォール街大暴落「暗黒の木曜日

1930年3月12日 ガンジー、「塩の行進」

1930年6月30日 第一回サッカーワールドカップウルグアイにて)

1931年5月1日 エンパイアーステートビル開業

1932年 ワイマール共和国崩壊

1933年1月30日 ヒトラー内閣発足

1934年10月27日 毛沢東の長征

1935年9月15日 ニュルンベルグ法制定

1936年6月~1936年4月 スペイン内戦

1937年5月6日 ヒンデンブルク号爆発事故

1938年3月12日 オーストリア併合

1939年9月1日 第二次世界大戦勃発

1940年6月14日 パリ占領

1940年 ヒトラー権力の頂点へ

1941年6月22日 ドイツ、ソ連へ侵攻

1941年12月7日 真珠湾攻撃

1942年9月13日1943年2月2日 スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦い

1943年2月13日 「全面戦争するか?」演説

1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦オペレーションオーバーロード)決行

1945年5月8日 第二次大戦ヨーロッパでの戦い終結

1945年8月6日 広島に原爆投下 同9日 長崎に原爆投下

1945年11月20日~1946年10月1日 ニュルンベルク裁判

1947年8月15日 インド独立

1948年6月24日~1949年5月12日 ベルリン封鎖

1949年10月1日 毛沢東、中華人民共和国の樹立宣言

1950年6月25日1953年7月27日 朝鮮戦争

1951年 朝鮮の人口?

1952年10月31日 初めて水素爆弾が炸裂

1953年6月17日 東ベルリン暴動

1954年6月4日 西ドイツワールドカップ西ドイツが優勝「ベルンの奇跡」

1955年5月14日 ワルシャワ条約制定

1956年10月29日1957年3月 スエズ危機(第二次中東戦争

1957年10月4日 スプートニク・ショック

1958年10月19日 中国で大飢饉の始まり

1959年1月1日 キューバ革命の勝利

1960年 モハメド・アリ ローマ金メダル

1961年8月13日 ベルリンの壁構築

1961年10月27日 チェックポイントチャーリーでの対峙(ベルリン危機)

1962年10月14日~28日 キューバ危機

1963年6月26日 「私はベルリン市民である」演説

1963年11月22日 J・F・ケネディ暗殺

1964年8月2~4日 ベトナムアメリカ爆撃される(トンキン湾事件)

1965年 ベトナム戦争拡大 地上戦力投入

1967年6月5日~10日 六日戦争(第三次中東戦争

1968年1月30日9月23日 テト攻勢

1969年7月20日 初めて月に着陸

1970年4月 カンボジア侵攻

1970年4月29日 ワルシャワ礼拝?

1971年10月14日 グリーンピース設立

1972年9月5日 ミュンヘンオリンピック事件

1973年10月6日~26日 ヨム・キプル戦争(第四次中東戦争

1974年8月8日 ウォーターゲート事件

1975年4月30日 ベトナム戦争終結

1975年4月17日 クメール・ルージュ プノンペン制圧

1976年6月16日 ソヴェト蜂起

1977年3月27日 テネリフェの惨事(テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

1978年10月16日 法王パウロ二世 パウロ一世を嗣ぐ

1979年9月8日 「暗黒の金曜日」 イスラム革命頂点

1980年5月18日 セント・ヘレンズ山噴火

1981年3月30日 ロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件勃発

1982年4月2日6月20日 フォークランド紛争

1983年4月18日 アメリカ大使館爆破事件(ベイルート

1984年12月3日 ボパール化学工場事故(インド

1985年3月11日 ミハエルゴルバチョフ氏、ソビエト共産党書記長に就任

1986年1月28日 チャレンジャー事故

1986年4月26日 チェルノブイリ事故

1987年6月12日 「この壁を壊せ!」演説

1988年12月21日 ロッカビー事件(パンナム機爆破事件)

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

1990年10月3日 東西ドイツ統一

1990年8月2日1991年5月5日 「砂漠の嵐」作戦(第1次湾岸戦争

1992年4月1日~1995年12月14日 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

1993年10月3~4日 モガディシュの戦闘

1994年4月6日7月15日 ルワンダ虐殺

1995年4月19日 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件

1996年1月21日 フランス、最後の核実験

1997年7月4日 マーズ・ローバー(火星探査車) 火星に着陸

1998年8月 モニカ・ルインスキー 不倫スキャンダル

1999年5月3日~6日 オクラホマ州で竜巻被害

2000年1月1日 ミレニアム

2001年9月11日 911攻撃(アメリカ同時多発テロ事件

2002年1月1日 ヨーロッパユーロ発行

2003年3月20日 イラク戦争勃発

2004年12月26日 インド洋大地震と津波

2005年8月29日 ハリケーンカトリーナ ニューオリンズを破壊

2006年6月12日8月14日 レバノン侵攻

2007年6月 ヨーロッパ熱波

2008年10月 金融危機

2009年1月20日 バラク・オバマ大統領就任

2010年1月12日 ハイチ大地震

2010年4月20日 メキシコ湾原油流出事故 ディープウォーター・ホライズン炎上沈没事故

2011年 アラブの春

2011年3月11日 東日本大震災と津波

2011年3月 福島第一原発事故

2012 ?

10分どころか、6時間くらいかかったorz

それに、作ったの多分アメリカ人だから、日本にとっての重大事件(オウムとか)は入ってないんだよね。ハイチ地震があるのに、阪神・淡路大震災がないのも明らかに片手落ちでしょう。

(調べてみたら、どちらもM7クラス

2011-01-27

ニートの鎖自慢

奴隷の鎖自慢って表現社畜を批判しているものなのだろう。実際、サービス残業を競い合っているような連中はいるだろうし、確かに彼らは現代の奴隷と言えるだろう。

しかし、この鎖自慢の話は、ある種のニートにも適応できそうだ。働かずして少なからず稼ぎのあるものはともかく、親の財布という鎖から自由になれずに、自由に使える財布をもつ労働者を嘲笑してるという意味において。

ニートは、ニートの境遇に慣れ過ぎると、

驚いた事に自分の足を繋いでいる親の財布の自慢をお互いに始める。

どっちの親の年収のほうが高いのか資産はいくらあるのか、などと。

そして親の財布に縛られていない自由人を嘲笑さえする。

だがニート達を繋いでいるのは実は同じたった1つの親の財布に過ぎない。

そしてニートはどこまでもニートに過ぎない。

現代のニートは、自ら進んでニート衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、現代のニートは、自らがニートであることに気付いてすらいない。

それどころか彼らは、ニートであることの中に自らの 唯一の誇りを見い出しさえしている。

(by リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて)

一部無理があったので削った。ちょっときいかな。いや別にニートであっても悪いとは思わないけどね。

2010-10-16

はてな匿名ダイアリー

たかがコピペ相手にそこまで憤慨している増田が怖すぎる。 思い込みが激しすぎるというか、独善的というか。 リアルでこんな人と関わりあいたくねえええええ. Permalink | トラックバック(0) | 23:34 はてなブックマーク このエントリーブックマーク ...

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2010-07-11

駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは現代の奴隷

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、

驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。

どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。

だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。

そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。

彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、

奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。

その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、

あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を 血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。

それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの 唯一の誇りを見い出しさえしている。

         (by リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて)

2010-03-17

東京都青少年健全育成条例改正問題用 台湾韓国米国との比較資料

東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト

http://mitb.bufsiz.jp/

東京都議会条例改正によって影響があるアニメ漫画ゲームの例

http://tokyo.cool.ne.jp/jfeug/siryou/togikai_eikyou.html

推奨映画、不健全指定図書、不健全指定がん具類・刃物一覧

http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/10_eiga_tosyo_ichiran.html



東京都規制の対象は、「児童ポルノ」ではないです。「18歳未満のキャラクターの性表現を肯定的に描くこと」です。

ポルノに限ってはいません。それを「児童ポルノ」と報道すると印象が変わり、報道によるミスリードが起きています。

http://twitter.com/honeyhoney13/status/10545935767

非実在青少年規制反対集会速報

http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html

似たような規制が既に行われている海外との比較



1966年台湾施行された「漫畫審查制度」の影響

http://tadashiniji.blog54.fc2.com/blog-entry-36.html


アメリカコミックコードと同じく、台湾にも1966年頃に"漫畫審查制度"というのがあって。

しかもコミックコードよりたちが悪い。"現実にありえないこと"も禁止されました。

アメリカスーパーヒーローと喋るマウスが生き残ったけど、台湾はほとんど全滅。

その間に日本漫画が輸入されて、日本漫画メインになりました。(海賊版ですが…)

1987年頃に漫畫審查制度が廃止されたけど、台湾漫画界はもう一からやり直ししかない状況になりました。

1992年頃に新著作權法が実行され、出版社日本からライセンスをとって、日本漫画が表舞台に躍り出ました。

そして、台湾子供翻訳した日本漫画とともに成長し、今に至る。

然後,翻譯過的日本漫畫伴隨台灣的孩子們成長,直到今日.

一応、他国の規制の結末で、スレ的に参考になれますか?

日本でも、児ポ法エロゲーだけではなく、アニメ漫画も影響されると思います。

さすがに台湾のようにはならないと思うですか……



第4回 台湾台湾マンガアニメ事情

http://www.geocities.jp/laugh_man_is/dai4kai.htm

韓国マンガ事情~前編~

http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=2882


韓国漫画

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%BC%AB%E7%94%BB

韓国1966年合同出版社が設立、1968年児童マンガ倫理委員会が発足(のちの刊行物審議倫理委員会マンガ部)し

厳しい事前検閲が行われた結果、質の低落と海賊版マンガ流通拍車をかけた。

なぜ日本のようになれないの?日韓の漫画事情

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0903&f=national_0903_016.shtml


日本では多様なジャンル漫画が発達しているが、韓国はなぜそのようになれないのか

http://blog.naver.com/gato_tv?Redirect=Log&logNo=90065895023


アメリカコミックスコード

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9#.E3.82.B3.E3.83.9F.E3.83.83.E3.82.AF.E3.82.B9.E3.83.BB.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.83.89

暴力ホラーに関して自主規制してきた米国コミック界の歴史

http://wiredvision.jp/archives/200307/2003072408.html

漫画家 永井豪

40年前にこの法律があったら、ハレンチ学園はかけなかった。マジンガーZなどは国際的にも評価されているが、ヒロイン性的な魅力がポイントになっている。

たとえば違う犯罪があって家宅捜索されたときに、別件でしょっぴくことはあり得る危険な法案。日本マンガが発展し、アキバ外国人が押し寄せてきているのは、日本は魅力的コンテンツが自由に描けることが大きかった。韓国では規制が厳しく、マンガの発展が30年遅れてしまったといわれている。

日本にはハリウッドと同じぐらいの宝がある。これは世界コンベンションでもよく言われる。若い人がそういうものを描いてみたいという思いが、可能性を広げている。

日本資源がない。知財未来重要規制されてマンガ産業が疲弊してしまった、らつまらない国になる。おもちゃテレビ業界などに影響をおよぼすものである。

非実在青少年規制反対集会速報 より

http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html



台湾売春が合法化へ「援助交際の増加を防ぐ」

http://news.livedoor.com/article/detail/4201570/

知っていて損はない海外ポルノ規制事情

http://www.menscyzo.com/2009/07/post_137.html

規制強化すれば性犯罪は減るのか?犯罪率の国際比較


犯罪率の国際比較

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788.html


強盗・暴行恐喝性犯罪率についての国際比較

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2788d.html


Rapes (per capita) by country. Definition, graph and map.

http://www.nationmaster.com/graph/cri_rap_percap-crime-rapes-per-capita


幼女レイプ被害者統計

http://kangaeru.s59.xrea.com/G-youjyoRape.htm


韓国儒教の国なのに、どうして性犯罪率が高いのでしょうか?

http://okwave.jp/qa/q3118668.html


韓国は「性犯罪大国」一考

http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2221


日本外国との比較で、なぜ、外国性犯罪率が高いのでしょうか?

http://okwave.jp/qa/q5541554.html?order=&by=

エロゲ性犯罪の増加に関係ないなんて証拠はあるの!グラフの見方で変わる統計学

http://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200907030000/


評論家 藤本由香里

非実在青少年なんて、こんなのネタだろと思っていた。出版社でもどうせ民主党が反対するだろうと言っていた。

しかし状況を聴くと、このままだと通るということがわかってきた。宮台真司 氏、東浩紀氏にも相談したが、このままだと通るという。その時点で全然報道されていない。検索したが、当時痛いニュースぐらいしか出てこなかった。

そこでいろいろ情報をまとめて、ブログはやってなかったのでMixi日記にあげた。知り合いの記者に連絡したが、記者もこの問題を知らなかった。知ってたのは1人だけ。知ってはいるけど通らないんじゃないかというぐらいのことだった。

このような性急なスケジュールの中で、条例が決められていく。規制したいとしても、このような形でこんな大きな影響を与えるものが決まって良いはずがない。都の方では「強姦」や「みだりに」といった表現で押さえているという。

改正案に元々ある8条1号には、図書以外にゲームなども入っている。実際もう規制は行なわれている。今まで野放しになったものを取り締まるというが、嘘である。「みだりに」は、いくらでも「みだりに」解釈できる。

東京都に問い合わせた人によれば、「規制対象など細かい規則は条例が通ってから考える」という。たとえば16歳の女性と30歳男性の真摯な恋愛をどう扱うかと質問したところ、「今後検討する」という。16歳と30歳の恋愛は、議論の余地があると都は考えているということだ。

問題にしているのは、18歳未満に見えるキャラクターの性を肯定的に描くこと。子どもを守るのをお題目に、道徳的な取り締まりをしたいだけではないか。さらに児童を18歳未満と規定していることも問題。児童ポルノといえば、ものすごく小さな子どもを対象としているイメージがあるが、それをそれを利用しているのである。

本当に取り締まったら犯罪が減るのか。逆の統計のほうが多い。規制強化すれば性犯罪は増える。一概にこれが原因とは言い切れないが、事実

たとえば性犯罪による犯罪率は、韓国11人 米国6人、日本1人。規制が厳しい順に犯罪率が高い。たとえば食べ物が潤沢にある場合は人のものまでとらないだろう。つまりは同じことである。

欧米では規制強化が高い。世界で一番発達したマンガ文化市場を持つ日本から、発信していくべきだが、現状は全く逆。ブラジル会議では、日本5000億円がマンガ産業、このほとんどが児童ポルノでしめられていると報告された。実際には本当に一部である。

今後この議論は、また巻き起こってくる。表現社会について、論議を深めていくことが求められる。表現の自由は、戦前に自由にものが言うことができないとどういうことになるかというのを、日本人は一番知っている。どこよりも大事だと知る文化がある。それがこんな文化を産んでいる。

表現には、悪いことも描かれている。悪い感情も抱き止める力になる。自分マイナス感情をどこにいっても否定されたら、犯罪者になるしかない。マンガがそれを抱き留める力を持っているから、日本性犯罪率がこれだけ低いと考える。

非実在青少年規制反対集会速報 より

http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html




おまけ:「非実在青少年規制ゴリ押ししている警察官僚の正体

http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20100314

2010-02-28

海外ニートのアレ

みんなで休まず、みんなで不幸になろうキャンペーン実施中w。

http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/blog-entry-278.html

        !?
        ∧,,∧ ((n∧,,∧ ヾ < 来週は有給取りたいのですけど・・・
     ∧ (´・ω・) |(・ω・`)∧∧
  !? ( ´・ω) U) ヽ  o (・`   ) !?
    | U (  ´・) (・`  ) と ノ
     u-u (l    ) (   ノu-u
         `u-u'. `u-u'


                     < 俺が休めないのにお前が休むのは許せない!
 ババ        バババ  ババババ
    バババ ∧_,∧  ババ  ∧_∧ バババ < お前は有休をとれるような成果を残しているのか!
  ∧_∧バ( ´・ω・∧_∧ (・ω・` ) ∧_∧
 (´・ω・)=つ≡つ);;)ω(;;(⊂≡⊂=(・ω・`) < 自分上司が取ってないのに取るのはどういう事だ!!
 (っ ≡つ=つ     (っ  ⊂)     ⊂=⊂≡ ⊂)
 /   ) バ∧_∧| x |   ∧_∧ バ (   \  < 大した理由もなく大事な仕事を休むのか!?
 ( / ̄∪バ (  ´・) ∪ ̄∪(・`  )ババ ∪ ̄\ )
  ババババ/    )  バババ (   \ ババババ < 有給なんて建前で付与されてるものだろう空気読めよ!!
 バババ  `u-u'. バババ ババ `u-u' 
                        < この反動分子め!!

         社長
         ∧,,_∧
        ⊂(´・ω・)つ-、 <  社員同士で互いに牽制し合って、お互いに休みを取らせないので
        ///   /_/:::::/ 誰も有給使わなくなって助かるなぁw
      |:::|/⊂ヽノ|:::| /」 俺たち経営者から見れば、理想的な環境で笑いが止まらんわw
    / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
   /______/ | |
  | |-----------|

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、

驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。

どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。

だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。

そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。

彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、

奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。

その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、

あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、

肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして何より驚くべきことに、現代の奴隷は、

自らが奴隷であることに気付いてすらいない。

それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。

(リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて)

2010-02-22

[][][]tameniikiru関連

http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続き。これは一大事です!!

id:ucnow

id:tameniikiru(http://k.hatena.ne.jp/tameniikiru/)に続き、id:ucnowが同様のキーワード編集を行っています。両者とも統一協会関係者です。

http://k.hatena.ne.jp/ucnow/

http://d.hatena.ne.jp/ucnow/ (統一教会記録帳:ロビー教会ウオッチ)

統一教会
以下、本部公式サイトの「統一教会が目指すもの」より引用。
………………………………………………………………………
統一教会は「神様の真の愛を相続しよう」をテーマに、「ために生きる」
人格の育成と祝福結婚による理想家庭の実現に取り組んでいます。

 また、そのような理想家庭を世界中に拡げることを通して、人種民族文化国家の壁を超えた人類家族世界を目指しています。
………………………………………………………………………

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149516

世界基督教統一神霊協会
+一般的には「統一教」の名で知られる。
-[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて「カルト」として社会的批判の的になっており、裁判で敗訴してもいる。
+世界統一運動は、東西冷戦終焉への貢献、対立する宗教宗派和解、次世代リーダーの育成、
+開発途上国への支援活動、日韓トンネル・国際ハイウエー構想などで、世界有識者から
+評価を受けている反面、
+[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて、一部で「カルト」という見方もある。
-「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、[[モルモン教]]、[[エホバの証人]]と並んで統一教会バチカン法王庁によってキリスト教系三大[[異端]]とされている。
+「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、
+現在は「統一教」を呼称として、キリスト教のみならず、仏教イスラム教、諸宗教平和統一を目指している。
- 教義としては、三位一体説・イエスによる救済を否定し、教祖・[[文鮮明]]が再臨の[[キリスト]]([[メシア]])と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。2001年からは文鮮明説教集を集めた『天聖経』が新しい聖書として意義づけられた。
+教義としては、三位一体説・イエスによる救済は一部否定し(イエス十字架上で殺されるためにこられたのではなく、本来は、神の創造理想である家庭理想恒久平和を実現するためにこられたと主張)、教祖・[[文鮮明]]がイエスから使命を引き継ぎ、[[キリスト]]([[メシア]])として、家庭理想恒久平和実現に尽力している、と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。原理講論に収録されている、統一原理には「神様が本来願われた理想世界」「なぜ戦争犯罪、不幸がなくならいのか」「本質的課題を解決し、平和理想を実現する方法」等が収録されているという。
-多数の関連団体・企業が存在し、霊感商法などに利用されていると指摘されている。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149518

# URL世界基督教統一神霊協会統一教会)公式ホームページ http://www.ucjp.org/
# URL世界基督教統一神霊協会統一教会YouTube公式チャンネル http://www.youtube.com/user/UCJAPANch
# URL日本統一教会公式モバイルサイト http://m.ucjp.org/
# URL統一教会紹介ビデオ 「神様の真の愛を相続しよう」 http://www.youtube.com/watch?v=HfzqfHWuEr4
# URL統一教会 情報リンク集! http://uc8.info/
# URL統一教会 最新ニュース情報局! http://d.hatena.ne.jp/tameniikiru/
# URL統一教会立教会 http://www.uc-adachi.com/
# URL統一教会 杉並教会 http://www.suginami-ch.org/

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149520 時点のURL

文鮮明
-自らを聖書に預言された「再臨のキリストメシア)」と主張している。
-全人類の親の立場にあるという意味から「真の父母」と称している。
-朝鮮日本に併合されていた1920年に、平安北道の定州(現在北朝鮮領)の閑村に住む農家の次男として生まれる。
-日本留学し、早稲田高等学校電気学科で学んだ。この頃、朝鮮日本からの独立を目指す抗日の地下活動を行い、特高警察からもマークされていたという。
-本名は文龍明(ムン・ヨンミョン)だが、20代で宗教活動を初めてから、鮮明と名乗るようになる。(龍は聖書悪魔シンボルとされているので、それを嫌ってどちらもキリストシンボルである魚と羊を含む「鮮」の文字を用いるようになったのではないかと言われる。)
+ 1920年1月6日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に文慶裕氏と金慶継夫人の次男として生まれ、熱心なクリスチャンとして育つ。1935年4月17日の朝、イエス・キリストの霊が現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受ける。
- 今日まで韓国日本アメリカにおいて6度投獄された経験を持つ。戦前韓国教祖女性信者性的な関係をもって罪を清める”血分け”を行う「混淫派」、「霊体交換派」等の影響を受けて、自らも「血分け」を行ってきたという昔からの根強い噂があるが、教団は一切そのような事実はないと全面否定している。
-朝鮮戦争が終わって間もない1954年に「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)を韓国で設立した。
+  1954年5月1日ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。1960年4月11日(陰暦3月16日)には、韓鶴子女史と聖婚式を挙行された。 1968年には世界共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設。その後も「世界平和教授アカデミー」(73年)、「世界平和宗教連合」(91 年)、「世界平和連合」(91年)、「世界平和家庭連合」(96年)などの国際平和機関を次々に創設し、各分野において世界的な貢献をされる。言論界においても、1978年から毎年「世界言論人会議」を主催されるとともに、米国で「ワシントンタイムズ」(82年)や韓国で「世界日報」(89年)を発刊。
+ 1990年4月モスクワで開催された「第11回世界言論人会議」では、クレムリンゴルバチョフ大統領と会談。91年12月6日には電撃的に北朝鮮を訪問され金日成主席歴史的な会談をした。
-1970年代にはアメリカに進出し、大規模な大会を行ったり、政界を初め各界への浸透を図った。
-1984年には脱税の罪で1年6か月の懲役刑を受けた。
-このことにより、1年以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。
-1990年代半ばからは長男の元嫁や実の娘により、マスメデイア等で本人や息子の男女関係等のスキャンダル告発された。
+ 92年8月に挙行された「世界文化体育大典」では、国際会議に参加するため世界から集まってきた学者文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言された。
-2006年からは韓国に戻り、信者献金で建てた王宮に住み、息子たちによる後継者体制を整えつつある。
-2008年、搭乗したヘリコプター事故で負傷。
+ 2009年3月、自叙伝『平和を愛する世界人として』を韓国で刊行し、ベストセラーに。
+日本アメリカでも翻訳され話題を呼んでいる。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149521

編集傾向

統一協会にとって批判的な編集部分を減らすように書き換えています。

2010-01-28

[]最高に弱まった無職が薦める百冊より少なめの本

http://anond.hatelabo.jp/20100127001517

さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。

差し替え
  1. 『私とハルマゲドン竹熊健太郎
  2. 『檻の中のダンス鶴見済
  3. 『翔太と猫のインサイト夏休み永井均
  4. 『アストモモンガ橋本治
  5. 因果鉄道の旅』根本敬
  6. 超芸術トマソン赤瀬川原平
  7. 自転車旅行主義』 香山リカ
  8. 天使王国浅羽通明
追加
  1. 『立志・苦学・出世受験生社会史』竹内洋
  2. 1968年スガ秀実
  3. 日本の思想』丸山眞男
  4. 現代詩の鑑賞101』大岡信
  5. 『「知」の欺瞞』アラン・ソーカル
  6. アナロジーの罠』ジャック・ブーヴレス
  7. 『「世間」とは何か』阿部 謹也
  8. 『一九七二』坪内祐三
  9. ストリートの思想』毛利嘉孝
  10. 数学ガール結城浩
  11. 虚数情緒吉田
  12. 『無産大衆神髄』矢部史郎山の手
  13. スカートの中の劇場上野千鶴子
  14. 日本文学史序説』加藤周一
  15. リベラリズムの存在証明稲葉振一郎
  16. 自我起源真木悠介
  17. 『知恵の樹』ウンベルト・マトゥラーナフランシスコバレーラ
  18. イスラーム思想史井筒俊彦
  19. トンデモ本世界と学会
  20. 自殺直前日記山田花子
  21. 東京いい店やれる店』ホイチョイ・プロダクションズ
  22. マクロ経済学スティグリッツ
  23. ミクロ経済学スティグリッツ
  24. 社会学』ギデンズ
  25. 文学とは何か』イーグルトン
  26. 日本史山川出版社
  27. 世界史山川出版社
  28. 『辞典・哲学の木』
  29. 岩波文庫解説総目録
  30. 社会学文献事典』
  31. 『BOOKMAPPLUS』
  32. 学問がわかる500冊』
  33. 『「テクノ歌謡ディスクガイド
  34. ミニコミ魂』串田努
  35. 山崎浩一世紀末ブックファイル山崎浩一
  36. 『いかにして問題を解くか』G. ポリア
  37. ゲーデルエッシャーバッハ - あるいは不思議の環』ダグラス・ホフスタッター
  38. 四次元冒険』ルディ・ラッカー
  39. 論理学をつくる』戸田山和久
  40. 倫理問題101問』マーティン コーエン
  41. 想像博物館荒俣宏
  42. 魔法使いの丘』ソーサリー
  43. 『変体少女文字の研究山根一眞
  44. 『グラモフォン フィルム タイプライター』キットラー
  45. フラジャイル松岡正剛
  46. アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
  47. 東京大学ノイズ文化論」講義宮沢章夫
  48. 文学賞メッタ斬り!大森望豊崎由美
  49. ライトノベル「超」入門新城カズマ
  50. 現代思想1997年5月号『特集・ストリートカルチャー
  51. ユリイカ2007年6月号『特集・腐女子マンガ大系』
  52. モダンガール論』斎藤美奈子
  53. 『今月のフェミ的』あくまで実践 獣フェミニスト集団FROG
  54. 利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス
  55. 『100台のコンピュータスタパ斉藤船田戦闘機
  56. 死刑全書』マルタン・モネスティエ
  57. エロスの涙』バタイユ
  58. 流行人類学クロニクル武田徹
  59. プログラムはなぜ動くのか』矢沢久雄
  60. エミュレータのしくみ』某吉
残しておく本
  1. ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀
  2. 『逃走論』 浅田彰
  3. 『寝ながら学べる構造主義内田樹
  4. ゼロ年代の想像力宇野常寛
  5. 『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫
  6. おたく精神史』 大塚英志
  7. 『よいこの君主論』 架神恭介
  8. 戦前少年犯罪管賀江留郎
  9. おまえが若者を語るな!』 後藤和智
  10. 『現代マンガの全体像』 呉智英
  11. カノッサの屈辱小山薫堂
  12. 『生き延びるためのラカン斎藤環
  13. ニッポンの思想』 佐々木敦
  14. 洗脳原論』 苫米地英人
  15. 『青いムーブメント外山恒一
  16. チベットモーツァルト中沢新一
  17. 自分探しが止まらない』 速水健朗
  18. 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら
  19. 電波男本田透
  20. 貧乏人の逆襲!』 松本哉
  21. サブカルチャー神話解体宮台真司
  22. 趣都の誕生森川嘉一郎
  23. 『たかがバロウズ本。』 山形浩生
  24. 『超クソゲー箭本進一
  25. 日本映画史100年』 四方田犬彦
  26. 『シミュレーショニズム』 椹木野衣
  27. 恋愛小説ふいんき語り』 米光一成
  28. 戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博
  29. 日本の10大新宗教島田裕巳
  30. 『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林
  31. 映画の見方がわかる本』 町山智浩
  32. アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

2010-01-23

有給休暇を請求する際、理由を求めんなよwww

ttp://alfalfa.livedoor.biz/archives/51484925.html

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、

驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。

どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。

だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。

そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去奴隷は、自由人が力によって征服され、

やむなく奴隷に身を落とした。

彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、

奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。

その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、

あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、

肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、

現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。

それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。

(リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて)

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。

2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。

3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。

5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。

まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。

元ネタ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

※一部改訂してます

※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

2009-08-01

道州制反対

道州制に反対を表明している西川一誠知事は30日、兵庫県井戸敏三知事とともに、自民民主公明の3党幹部に、制度導入に慎重な対応を求める要請文を提出した。

http://mainichi.jp/area/fukui/news/20090731ddlk18010586000c.html

西川一誠知事井戸敏三知事共に1968年自治省総務省)入省組。なんか官僚側の党派的意思を垣間見るようで嫌だ。この二人の意見福井県兵庫県を代表していると見て良いのだろうか?

ちなみに

奈良県知事荒井 正吾(1968年運輸省入省)

まぁ、私は道州制こそが「天の沼矛」になり得ると思っていますが。熟議は必要。

2009-02-01

淀川長治の年間ベスト

淀川長治キネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画リスト

1949年 大いなる幻影ジャン・ルノワール

1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ

1952年 巴里アメリカ人ヴィンセント・ミネリ

1954年 嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)

1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ

1959年 恋人たちルイ・マル

1960年 太陽がいっぱいルネ・クレマン

1961年 素晴らしい風船旅行アルベール・ラモリス

1962年 野いちごイングマール・ベルイマン

1963年 アラビアのロレンスデヴィッド・リーン

1964年 突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ

1966年 マドモアゼルトニー・リチャードソン

1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ

1968年 2001年宇宙の旅スタンリー・キューブリック

1969年 アポロン地獄ピエル・パオロ・パゾリーニ

1970年 サテリコンフェデリコ・フェリーニ

1971年 ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ

1972年 フェリーニのローマフェデリコ・フェリーニ

1973年 スケアクロウジェリー・シャッツバーグ)

1974年 フェリーニのアマルコルドフェデリコ・フェリーニ

1975年 ザッツエンターテインメントジャックヘイリーJr

1976年 トリュフォー思春期フランソワ・トリュフォー

1977年 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)

1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ

1979年 木靴の樹(エルマンノ・オルミ

1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏ルキノ・ヴィスコンティ

1981年 ブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ

1982年 ゲームの規則ジャン・ルノワール

1983年 ディーバ(ジャン=ジャック・ベネックス)

1984年 カルメンカルロス・サウラ)

1985年 田舎日曜日ベルトラン・タヴェルニエ)

1986年 シテール島への船出(テオ・アンゲロプロス

1987年 グッドモーニングバビロン!(タヴィアーニ兄弟)

1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン

1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ

1990年 フィールド・オブ・ドリームスフィル・アルデン・ロビンソン

1991年 シェルタリング・スカイベルナルド・ベルトルッチ

1992年 ヒア・マイ・ソング(ピーター・チェルソム)

1993年 マルメロの陽光(ヴィクトル・エリセ

1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ

1995年 スモークウェイン・ワン

1996年 ケロッグ博士アラン・パーカー

1997年 世界中アイラブユー(ウディ・アレン

2008-08-28

anond:20080827024650

Giro Orita was one of a team of veterinarians who arrived in Syria in October 1964 in response to a request to the Japanese government from the Syrian Ministry of Agriculture. When the Japanese team completed its mission in 1968,

the Syrian government invited Dr. Orita to stay and continue his work, as well as foster collaboration in animal health research between Japan and Syria.

In 1983, when the Syria-based International Center for Agricultural Research in the Dry Areas (ICARDA) asked the Japanese government for help to develop small-ruminant pathology research, Dr. Orita was delegated by JICA to lead the institute’s animal health research as a visiting veterinarian. In 1985, Dr. Orita received the Syrian Medal of Distinction (second rank) from the Minister of Culture.

He left ICARDA in 1990 but continued to promote relationships between ICARDA and Japanese organizations. ICARDA later named a new animal health laboratory after him.

(http://www.cgiar.org/pdf/Japan_CGIAR_English_June2006.pdfより引用)

どうやら、折田獣医師1964年農水省-日本獣医師会経由でシリアに渡ったんだな。そのあと、プロジェクト1968年に終了しちゃうんだけど、彼だけはシリア政府要請によりシリアに留まった。

それから15年以上あと、1983年から乾燥地の農業プロジェクトが立ち上がったんで、「JICA派遣エキスパート」という肩書きを受けて参加したということか。

やっぱ、あとからJICAと協力したって感じじゃねーか。

CGIAR(国際農業研究協議グループ)ってサイトからだけど、獣医師会の記事とも合ってるし、これでいいんじゃね?

乏しい、とは言ってもある程度の技能や知識は持っていますよ。それに最近じゃ高い技能を持った中堅どころがたくさん応募してくるので競争率が非常に高くなったらしいです。

ある程度の技能や知識があっても、組織がないと大きな事業は興せない。

利権もない(=お金コネクションも相手行政への影響力もない)では、1kmの舗装道路さえできない。

だから、「地道な日本広報活動」って書いたわけ。

剣道柔道の普及なんて、「日本広報活動」以外の何物でもないわな。(もちろん、それは重要な活動です。)

高い技能を持った中堅どころが参加って、、、リストラや途中で会社辞めちゃった人の受け皿か。

なんだか良いことか悪いことかわかんないね。

専門家派遣のほうがメインって書いたけど、専門家派遣だと利権も絡むし、その専門家の所属する団体(企業)の利害もからむ。

ただ、組織仕事に直結するから、活動の規模はずっと大きくなるし、いろんなコネも使える。

ぜんぜん利権のない海外協力隊お金を使わず浅井戸を1本あげるのと、日本企業が金儲けしながら、

専門家派遣で深井戸を10本あげるのでは、どちらが地域貢献になるか?

もちろん、ジャンルによってまったく違うのはわかるんだけど、他でもそうである場合が多いんだ。

文化財を補修するにしても、日本の団体から派遣された専門家補助金獲得と実績を挙げるためにプロジェクトを立ち上げて、

長く続けるのと、青年協力隊が単発でやるのとどちらが貢献できるか?

協力隊は、やっぱりボランティアなんだよ。

ボランティアにできることと、できないこと。

そのへんは、きちんと把握すべきだな。

2008-07-24

アートアニメオタが非オタ彼女に軽く紹介するための10本


インスパイヤ元 - アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本


まあ、どのくらいの数のアートアニメオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

アートアニメオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないアートアニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アートアニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女アートアニメ布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような2時間アニメは避けたい。

できれば15分、長くても1時間にとどめたい。あと、いくらアートアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。映画好きが『くもとちゅうりっぷ(1939年)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アートアニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

シンドバット七回目の航海(1958年)」レイ・ハリーハウゼン

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ハリーハウゼン以前」を濃縮しきっていて、「ハリーハウゼン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さもちょうど良いし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。


チェブラーシカ1969年)」ロマン・カチャーノフ、「ウォレスとグルミット1986年)」ニック・パーク

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「アートアニメオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。


「月世界旅行1902年)」ジョルジュ・メリエス

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもメリエスな

童貞的なださカッコよさ」を体現する科学者

童貞的に好みな造形」を体現する月人

の彼らをはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。


「Powers of ten(1977年)」チャールズ&レイイームズ

たぶんこれを見た彼女は「椅子デザイナーだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカならCGになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。


「笛吹き男(1985年)」イジー・バルタ

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「話の話」、「頭山」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるバルタの思いが好きだから。

断腸の思いで削りに削ってそれでも55分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

笛吹き男の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがトルンカやゼマンだったらきっちり20分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて55分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえバルタがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。


「ルシタニア号の沈没(1918年)」ウィンザー・マッケイ

今の若年層でマッケイ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

昭和よりも前の大正時代の段階で、ジャーナリズム哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が1枚1枚 紙で描かれて作られていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアートアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるセルとかCGで作られたアニメしか知らない彼女には見せてあげたいなと思う。


「部屋(1968年)」ヤン・シュワンクマイエル

ヤンの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「終わらない罠を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『死刑執行中脱獄進行中』は「部屋」以外ではあり得なかったとも思う。

「何者かに仕組められた罠から逃れられない」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は「部屋」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。


ストリート・オブ・クロコダイル1986年)」ブラザーズ・クエイ

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう難解小説風味の内容をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。


涼宮ハルヒの憂鬱2006年)」石原立也監督

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。

ハリーハウゼンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。


「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。ズビグニュー・リプチンスキの「タンゴ」が入ってないのはおかしい!とかね。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。


追記

2008-04-08

チベット平和解決を切望=聖火リレー妨害は「政治持ち込まないで

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080406-00000016-rcdc-ent

以下、コピペ

■その1

中国五輪参加状況】

1949年 中華人民共和国 建国

1952年 ヘルシンキ五輪 参加

1956年 メルボルン五輪 選手団が現地に到着後にボイコット(理由は台湾問題)

1960年 ローマ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)

1964年 東京五輪 ボイコット(理由は台湾問題)■■開会式当日に合わせて核実験強行■■

1968年 メキシコ五輪 ボイコット(理由は台湾問題)

1972年 ミュンヘン五輪 ボイコット(理由は台湾問題)

1976年 モントリオール五輪 ボイコット(理由は台湾問題)

1980年 モスクワ五輪 ボイコット(理由はアフガン問題)

2008年 北京五輪 「オリンピック政治を結び付けるな」

■その2

世界では有名人も活動してるらしいな

彼らこそが本物のスターだよ

日本の自称スター達の様子を見てると飽きれるね

普段は狂ったようにラブ&ピース(笑)を謳う

日本の糞アーティスト(笑)の皆さんは

声明を出さないんですか?

そりゃあそうだよな?所詮偽善者の謳うラブ&ピース(笑)なんて

売り上げのための宣伝売名活動にすぎないもんな?

お前らが活動するときは事が終わって完全に安全になってから

お前らには心の底から失望した

偽善者にすらなれない偽善者どもめ

抗議した人達こそが真のスターだよ

所詮芸能なんてマトリックスの中の世界、全て紛い物にすぎない

2007-10-21

愛国心を持つなら地球に持て。国に心を管理させるな。

愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな!」 ジミ・ヘンドリックス 

世界ぜんたいが幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない」 宮沢賢治

「相手がどう反撃していいか、わからないような戦法で、ぼくは権力と戦いたい」 ジョン・レノン

不思議なことだ、いつの時代においても悪人は自分の下劣な行為に、

宗教道徳愛国心のために奉仕したのだという仮面を着せようとつとめている」

byハイネ

愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな!」

byジミ・ヘンドリックス(“伝説”のギタリスト

愛国心とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ」

byバートランド・ラッセル(哲学者ノーベル文学賞受賞)

「恐怖心や愛国心によって人を殺すのは、怒りや貪欲によって人を殺すのとまったく同じく悪い」

byヘンリー・ミラー

愛国心と言う卵から、戦争が孵化する」

byモーパッサン

愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である」

byサミュエル・ジョンソン(イギリスの文豪)

ナショナリズムは小児病である。それは国家麻疹(はしか)である」

by アルベルトアインシュタイン(物理学者ノーベル物理学賞受賞)

人類から愛国心を叩き出してしまわないかぎり、あなたがたは決して平穏な世界を持たないだろう」

byバーナード・ショウ(戯曲家、劇作家ノーベル文学賞受賞)

愛国心なんて今すぐ廃語にすべき言葉です」

by藤原正彦(「国家の品格」の著者、お茶の水女子大教授)

今日の大きな悪魔愛国心愛国心大戦をもたらすのだ」

byチャールズ・スペンサーチャップリン(喜劇王俳優映画監督)

【補記】・市民の考える愛国心=郷土を愛する心

極右利権政治家ネットウヨクが唱える愛国心=時の政権与党への絶対服従

(すなわち、自民党官僚税金権力私物化して、

国費と国富をいいように喰い散らかし、私腹を肥やしていることを受け入れ、我慢する心。それが「愛国心」)

(ちなみに、ウヨ厨の理想は、北朝鮮またはナチスドイツ型の言論統制全体主義国家)

 『現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

 そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。

 それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。』」

 by リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて

映画ヒトラー最後の12日間

ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーはうそぶく

国民自業自得自己責任)。国民地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。』

◆「“愛国心”とは、悪人どもの最後の避難所である。」

 by サミュエル・ジョンソンイギリスの文豪)

◆「“愛国心”とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ。」

 by バートランド・ラッセル哲学者ノーベル賞受賞)

映画華氏911」。

 内容はこんな感じ。

 「戦争富裕層利益のために行われる。実際に戦場に赴くのは貧困層若者

 富裕層人間は勝利の後の利益を美味しく頂くだけで、戦争には興味がない。

 富裕層愛国心なんかなくて、ひたすら金だけ求める。

 貧困層富裕層利益のために自らの命までも捧げる。愛国心の名の下に。」

2007-03-31

[]期間限定騎乗騎手→トーク

http://anond.hatelabo.jp/20070331010834

1、期間限定騎乗騎手

2、内田利雄

3、騎手

4、騎手一覧

5、横山典弘

6、1968年

7、山崎邦正

8、河合塾

9、植村光雄

10、ロック

11、プログレッシブ・ロック

12、イエスバンド

13、トーク(アルバム

山崎邦正って名前が入ったので満足かな

次は

トーク

セリビメ

2007-02-12

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。

どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。

だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。

そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。

彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。

その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。

(リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて)

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