2011-01-27

ニートの鎖自慢

奴隷の鎖自慢って表現社畜を批判しているものなのだろう。実際、サービス残業を競い合っているような連中はいるだろうし、確かに彼らは現代の奴隷と言えるだろう。

しかし、この鎖自慢の話は、ある種のニートにも適応できそうだ。働かずして少なからず稼ぎのあるものはともかく、親の財布という鎖から自由になれずに、自由に使える財布をもつ労働者を嘲笑してるという意味において。

ニートは、ニートの境遇に慣れ過ぎると、

驚いた事に自分の足を繋いでいる親の財布の自慢をお互いに始める。

どっちの親の年収のほうが高いのか資産はいくらあるのか、などと。

そして親の財布に縛られていない自由人を嘲笑さえする。

だがニート達を繋いでいるのは実は同じたった1つの親の財布に過ぎない。

そしてニートはどこまでもニートに過ぎない。

現代のニートは、自ら進んでニート衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、現代のニートは、自らがニートであることに気付いてすらいない。

それどころか彼らは、ニートであることの中に自らの 唯一の誇りを見い出しさえしている。

(by リロイ・ジョーンズ 1968年NYハーレムにて)

一部無理があったので削った。ちょっときいかな。いや別にニートであっても悪いとは思わないけどね。

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