「板野サーカス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 板野サーカスとは

2022-05-05

脳内ダンプ

ケルベロス藤原カムイさんの貢献度が高いんじゃないか

よくわからん出版社初版を今でも持ってるけど、

読んでて正直、藤原さん無理してないか?と思わんでもない

が、東京湾岸の埋立地メビウスとか、マンネリなんだけど、様式美なんだけど、

大友藤原メビウス芸はすきなんだよね

まあ、押井もそうなんだけど

良くも悪くも、観ていて、ああ押井だな、ああトミノだな、って思わせるのが大事であって

アニメ世界演出個性というか様式美を発揮しやすいんだろうな

作画でも大張カブキだの、板野サーカスだの、金田伊功パースだのワカメ影だの、

個性を発揮することはできるんだけど、

作画よりもっと上のレイヤー個性を発揮することもできて、

そのへん狙ったアンノはやっぱり世渡りもうまかったんだろうなと思いました

おわり

2019-11-14

anond:20191114144904

テレビ放映ばかりでなく映画館でみるアニメもみよう、パンフも買って隅々読んでみよう

・そのアニメは多分封切り時に監督が登壇してしゃべるからそれもみてみよう

 (円盤初回限定ボックス買うと入ってることもある)

アニメスタジオによっては一作つくるごとにスタッフトークライブをするのでいってみよう

 (収録できない話とかどういう人がどういう思いでつくってるのかわかる)

・そこのへんから脚本推し原作推し声優推し監督推し作画推しなどがでてくる

ストーリー推しならイクニだの京アニきらら自分にとっての鉄板だなとか

作画推しならこの部分のアクション板野サーカスからこのためだけに呼ばれた・・さんがとか、サンジゲン草薙イヌカレーをみつけると嬉しくなるかも

声優推しならこのやさしげな先輩の役を櫻井石田が当てるということはもしかしてゴクリっという見方ができるようになるかも 

声帯を聞き分けることで初見スタッフロールをみる以前から役の予測をしはじめるってことね)

 あと梶はヘタレる役がうますぎて日本の宝だなぁとか。

 ヒーローが出来る声帯の持ち主は声優界に数多くてもそれとヘタレ声帯を同時に持てるのはなかなかいないよね

・そういうのがわかってくるとポプテピピックを見てもちょっと意味がわかる

・でもいちばんウザがられない善良なファンが今の状態なのでそれでいい気もする

ポプテピがわかっても特に偉いわけじゃないからなあ

2019-11-04

赤十字と宇崎ちゃん許すまじ!」と憤る前に……

献血ポスター問題でデジャブを感じると思ったら、憤ってる人々に感じる異様な雰囲気ナディアアトランティス問題に近いんじゃないかな?と思った。

アトランティス本編を見れば分かるが、終盤の板野サーカスリスペクト戦闘シーンや、津波から都市を守る為に巨大ロボットが出現し

バリヤーを展開するスペクタクルはとても見ごたえがあり、この作品が単なるパクリではないことは一目瞭然である

だが「俺たちがパクリだと思ったのならそれはパクリだ!!」で力押ししようとする当時のオタク界隈は、

今のフェミ界隈の「私たち性的搾取だと感じたらそれは搾取だ!!」という理不尽理屈と全く同じだと言っていい。

そして当時の2ch書き込みを見る限り、アトランティス叩きは必ずと言っていいほど中韓叩きとセットの言説になっており、

ディズニー中韓パクリアニメと同レベルに墜ちた!!」というフレーズネトウヨ思想を煽っていたことは決して許されることではない。

あれから18年、とうとうナディアキャラクターデザインに関わった貞本義行氏までが「キッタネ慰安婦像!!」とまで言ってしまうような最悪の事態になってしまった。

果たして当時のオタクが求めた正義はいったい何だったのか。

今宇崎ちゃん献血ポスターに怒りを覚えている人々に次ぐ。一度立ち止まって冷静になってほしい。

自分達が他の思惑を持つ第三勢力に利用されてしまってはいいか?と冷静に今までの流れを見直してほしい。

オタクと同じ過ちを繰り返してはいけない。

2017-09-29

望月峯太郎ウィキペディアみたらなんかニューウェーブかいわれてマンガかいに影響あたえたっつうけどどこらへんのこといってるか知ってる?

大友以後とか板野サーカスとかはしってるけど望月峯太郎がそんな影響あたえた作家だとは全然知らんかったんだが

2016-10-03

[]庵野さんと僕らの向こう見ずな挑戦 日本アニメ(ーター)見本市

去年NHKBSで放送されたもの再放送を録画して見た

日本アニメ(ーター)見本市において、どんな人がどういう姿勢作品を作り上げたのかの一端を垣間見ることができる。

MEMEMEの吉崎響が松田龍平に似たイケメンでびっくりした

そんでイケメン趣味バイクでやっぱりイケメンは違うなと思った

櫻木優平がめちゃくちゃイケメンっつーか女性的な顔してた

女装めっちゃ似合いそう

つーか女性に見える

髪型もあるけど

めっちゃかわいい

本上まなみに似てる感じがする

庵野ラストスタジオベランダから電柱スマホ写メってるところが映されて、相変わらずだなあwとニヤリとさせられた

NHKわかってるな

アニメーターはほんと理想高く仕事してて、よるもめっちゃ遅くまでやってるし家でも絵の練習してるしでほえーすげーなーと思った

他のスタジオならすぐ原画あがれると思うんですよ

でもそれじゃ意味がないんですよ

スタジオカラー原画になることに意味があるんです

とかかっこよすぎだった

その後の原画試験でほんとに原画なっちゃうし

パねえわ

何もしなくても食ってける天才と、かなりうまいけどさら努力する秀才と、その他大勢動画マン・・・

一般企業と違う芸術業だから当たり前だけど、誰かいなくなっても代わりはいない業界だよなあ・・・

一部のすごくできる・わかってる人がやめちゃったら一気に廃れそうな危機感がある・・・

うーんでも板野サーカスでもなんでもフォロワーは出てきてるし、なんだかんだで受け継がれていくのかなあ・・・

巨娘ってマンガに出てきたアニメ会社で、アニメのしごとだけだったら食ってけないからエロリ本をコミケで出してもうけてる人間いたけど、

もし自分アニメ業界入っても最終的にはそうなっちゃいそうだわ

とことん理想と夢とクリエイターのこだわりによってなんとか続いてる業界だなあと改めて思った

しっかし見本市は採算度外視のはずなのに、○○○○は予算オーバーについてキレすぎでしょ・・・

うーん・・・いやまあ経営者として予算納期オーバーしてることについて切れるのは正しいのかもだけど・・・

なんか見てるこっちがイラつかされるっつうか・・・

感情的から単純に不快なんだよね

そのくせその後のインタビューではケロッとニコニコしてるからまじでこわい

この人こわすぎる

ナレーション鈴木敏夫で、そのときに「○○が一番の笑顔になるのはこういうときだ」ってうれしそうに言ってて、こっちもぞっとした

○○○○同士ってわけじゃないけど、やっぱりある程度振り切れた人間同族同士だとこわいほどうまくいってんだなと

パンピーからすると絶対近寄りたくないわ・・・

2015-01-31

エウレカセブン(2005-2006)

良質な作品を見たあとの高揚感と少しの切なさ

戦闘シーンは板野サーカスのワクワク感すごい。

これくらいの心情描写のわかりやすさがヒーローヒロイン理想的な像なのかなあ。

ホランドの出番がやたら多かった

中盤から最終回ちょっと手前までのエウレカがかわいかった

音楽がかっこいい

ラピュタオマージュとか自分で見つけられて楽しめた

この作品があと3~4年遅れて出てきたら考察感想サイトも見つけやすかったのかな

2013-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20130321002423

松田サーカス=付けPAN、リアリティエフェクトタイムライン、背動

・敬史=ギザギザ煙、破片の大きさ、画面手前への移動、丸い粒、磯以降

金子サーカス=煙での空間表現、ベイパーのような細部描写、画面360°回転

・村木クールアニメスタイルイベント等での人物作画興味無し発言、バーニアが頭に

・柿田爆発=かきたぁぁぁぁぁああああああああああーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!村木靖監督作品「彼岸」より)


 というように、作画オタクなら誰でも名前を見るだけで各人の特徴が浮かびます

その理由は前述されてる通り、見分けにくい丁寧な芝居ではなく、特徴が出やすエフェクト板野サーカスからです。

共通認識を刺激する「初心者でも非常に分かりやすネタ」としてエウレカOP2解説は作画を語るスレで大受けしました。

ちなみに上級者だとその回のEDテロップを見るだけでカット内容が分かるようになります





サーカスは分かりやすいとか書いたが、当時金子さんパート判明したのはcoosunの掲示板でリークされたおかげ。

 そういえば作スレでこのエウレカOP2ネタ投稿された2時間後にあの花2話ノンクレ騒動だったねー。)

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。

2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。

3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。

5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。

まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。

元ネタ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

※一部改訂してます

※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

2009-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20090530015413

板野サーカスくらい行かないと「乱れ撃ち」とは言えない気がするのは

アニメ脳の恐怖なんだろうな・・・。

2007-04-22

[]なぜ作画の評価が割れるのか?

アニメ映像面からみるとき、評価軸は二つある。

ひとつは、絵の美麗さ。

ひとつは、動きのよさ。

「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。

しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。

場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。

「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラ演技や画面演出の幅の広さにつながる重要ポイントとなる。

かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。

その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイル戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。

ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位担当作品を認識するケースも見られる。

作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。

アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。

最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。

ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。

上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。

しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲーラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像クオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクター一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーライトノベルアニメーションとは異なり、原画家イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。

また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクター一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクター一貫性が強く求められているのではないか。

このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。

今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァパチンコお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。

最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。

決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。

2007-04-12

らき☆すた」すげー

クレヨンしんちゃん』の傑作回、絶好調なときの大地丙太郎作品、板野サーカス、摩沙雪が本気を出したとき……それらに比肩する、圧倒的なリズム快楽編集・作画・音響のファッショ的統一。山本寛アニメ界のムラヴィンスキーか。エグい。エグ過ぎる。「らき☆すた」を観た直後だと、今放送中のすべてのアニメがたるく観えてくる。おそろしや。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん