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2015-02-11

悲報id:kyoumoeid:wideangleブロック!!!!!!!!!!!!

http://b.hatena.ne.jp/entry/kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150211/1423580651

id:wideangle 当事者が実際の生活書籍で得てきた知見に対しGoogleで調べてみますた知識で腕ブンブンしてるんだからタチ悪いし、自分言葉他人に受けとられるときどうなるかの自覚もないの、本当にどうにもならん……。

id:kyoumoe 当事者じゃないので調べる以外の知識は一生蓄積されないです、申し訳ありませんね/「書籍に当たってないことの正当性」とか書いてないことを言ってる奴がいるので非表示しますね

まずい事になってしまった

このまま行けばid:kanoseが「これはid:kyoumoeさんが悪いなあ」的なコメをするだろう(村長は間違ってるとあれば相手が島国大和でもきちんと言う)

そうしたらid:kyoumoeさんは逆上して村長までブロックしてしまうだろう

そうなったが最後、相乗効果id:kyoumoeさんを味方するものは居なくなってしまうだろう

僕はid:kyoumoeさんのファンだ。常人ならWEB隠遁してもおかしくないようなある状況下に置かれても己を崩さず貫き通す姿勢が好きだ。

それはすなわち意志力の強さだ。腐ったWEB社会にはid:kyoumoeさんのような人が必要だと思っている。

から僕はid:kyoumoeさんには一定の影響力を持っていて欲しい。だが権威id:kanoseにこのタイミングで見限られたら、id:kanose追従しか物を考えない全はてな住民から見下されるハメになり、居場所が無くなってしまうのは明白だ。TM2501のように。

そうなった時の事を考えて僕はid:kyoumoeさんに新しいステージを用意したいと思っている

それは、作画を語るスレだ。

■本流

難民

http://mastiff.2ch.net/nanmin/

作画を語るスレ避難所354 [転載禁止](c)2ch.net

http://mastiff.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1423658884/(現時点最新)

■サブ

アニメサロン

http://yomogi.2ch.net/asaloon/

作画を語るスレ3537 [転載禁止](c)2ch.net

http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1421591746/(現時点最新)

作画を語るスレインターネット歴史上見ても特異中の特異とも言える独自のコミニュティを形成し、それはどの世界のどの分野にも類しないものになっている

そのスレッド文化歴史は一つの思想であると言っても過言ではない

作画スレ歴史 ~Sakusure History~

http://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/36.html

何も意味なくid:kyoumoeさんを作スレに誘うわけではない。きちんとした理由はある。

以前「惡の華の動きが気持ち悪すぎる」という記事を書いた時、煽りのつもりでTHE八犬伝~新章~の第4話「浜路再臨」の動画コメント欄に貼ったのは自分だ。→https://www.youtube.com/watch?v=ANc7jZy-TzU

ニワカコメントを引き出すための誘導尋問的な行為であったが、id:kyoumoeさんはこちらの意に反して「それ(浜路)の動きはちゃんとしてるからいいんですよ」という返しを頂いた。

この件だけでもid:kyoumoeさんは、潜在的に正しい作画観を持っていると確信しているのだ。

作画を語るスレはただの井戸端アニメコミュニティではない。インターネット文化を動かす熱量と重みを備わっている

売り上げを見守るスレ新番組評価するスレ等といった百害あって一利なしゴミスレッドとはわけが違うのだ

しかし不遇にもインターネット作画を語るスレを軽視しすぎている。あまりにも無理解だ。

ちゆ12歳にまとめられてもおかしくないエネルギーを持ち合わせたコミニュティであるのにも関わらず現在まで軽んじられてしまっている

id:TM2501さん、作画オタクになりたかったら本気でついてきてください

http://anond.hatelabo.jp/20130510210114

その現状を打破するためにもid:kyoumoeさんの力が必要なんだ

作画を語るスレは来るものを拒まない。お待ちしています

作画を語るスレ公認巡回委員長

https://twitter.com/turukomakoma

2013-05-11

作画厨と作画オタを混同しないでください

http://anond.hatelabo.jp/20130510210114

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130510210114

pachikorz 作画, 増田 作画厨という人種が好きなので面白い増田だった。直接会って話すには怖い人種だとは思うけど。 2013/05/11 Add Star

http://b.hatena.ne.jp/entry/sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-312.html

y-mat2006 アニメ 作画

作画厨の鑑。表現方法が退化しちゃうことってあるよね。コスト見合いとかで。2013/05/11Add Star

作画厨と作画オタク全然違います

作画オタクは優れた作画ならば普遍的に何でも愛せる者の事を言います

アニメーター個性」と言われるようなキャラクターデザインを守らないスタンドプレー的な作画でも、いやむしろからこそそこにダイナミズムアニメーター感情発露を受け止め感動する事ができるのが作画オタクです。

そしてより強い感動を得たいがために情報を集め、知識を高めるのです。

うつのみやさとるがフルアニメーション的リアリズムへの回帰を望みつつもリミテッドアニメーション主流の日本アニメではそれがいかに困難であるか、その壁を乗り越えてリミテッド上でのリアリズム模索追求していったか、それでも決定的な所でユンカースカムヒア(パイロットフィルム)やTHE八犬伝の浜路再臨で大平晋也に先を越されてしまったという、アニメーション進化大平晋也への功績讃えつつも自分でそれを成し得なかったうつのみやさとるの悔しさを理解しているか

作画オタクはそれを感じられなければいけないのです。

それを踏まえた上で出てくる共通言語が「たまんね」なのです。


対して作画厨は全くの逆です。

どのような状況下に対しても作画の統一性"のみ"しか要求せず、些細なことでさえヒステリックになる連中の事を指します。

「この回はギャグから元気のある作画にしたい」とか「いつもよりシリアスからドライな感じを出したい」といったディレクション的な要求でさえ全く理解を示さずすぐに「作画崩壊だ!!」と叫ぶ奴等が作画厨なのです。

当然作画知識的なものなど何一つ持っておらず、アニメーション制作工程すら何も知っておらず、無知なのを盾にして勝手な事をいい散らす迷惑クレーマーしか無いのです。

そんな奴等のためにアニメ業界総作画監督制を強制され、曖昧な「クオリティ」のために個性を摘み取る作業を強いられ、全てのアニメは平均化され、アニメーター演出家の体力やモチベーションは落ちていき、業界のものが疲労していく。

作画厨はその存在によってアニメーション進化を阻むどころかむしろ退化させて業界のもの崩壊に導く害虫のような存在です。

河森正治監督アクエリオンEVOLの開始前のインタビューで「本当は総作画監督を置きたくないんだけど、今回止むに止まれず置くことになってしまった」という趣旨の発言をしていた事を忘れる事が出来ません。


本当に何年も何年も前から作画オタクと作画厨の区別は付けてくれと私達は言っているのに、未だに解ってもらえないのが本当に悲しい。

■追記

アニメーターのふくだのりゆき氏がこのようなツイートをされていました

https://twitter.com/shuu1roo/status/336685202766184448

ふくだのりゆき‏@shuu1roo

@yaginuma_san @BlackCatJay 原作者出資者自身がネットの評判を恐れて、作画オタク太鼓持ちになってる、ってのもあるかもしれません。


作画オタク太鼓持ちになっているならば、うつのみやさん達の作画はもっと広く受け入れられていた筈です

今の状況を作り出したのは決して作画オタクのせいではありません、このエントリで書いた通りの話です

同じ事は山本寛氏に対しても申し上げたいです。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1007/26/news010_3.html


■関連記事

アニメ業界の話(メモ

http://anond.hatelabo.jp/20130520105912

作画崩壊厨と『鉄腕バーディーDECODE』の思い出

http://anond.hatelabo.jp/20130520234923    ← できれば「作画厨」じゃなく「作画オタク」に訂正してください。「作画崩壊厨」に関してはその通りなのでそのままでいいです

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。

2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。

3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。

5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。

まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。

元ネタ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

※一部改訂してます

※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

 
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