はてなキーワード: 貧乏とは
平成不況にまともな対策ひとつ出せなかったところに安倍ちゃんがアベノミクスを打ち出して
雇用改善とか達成してしまったので、自分達が無能だと認めたくなくて無茶でもアベノミクスを否定するしかないんだよな
アベノミクス以前の地獄の就活事情を知ってるやつならアベノミクス大正義であることは自明なんだよな
サヨクはなぜアベよりも早く金融緩和とインフレ誘導政策を打ち出せなかったのか
アメリカならゴリゴリのリベラル左派であるポールクルーグマンが推していたのにな
金を持ってることは悪だ!全員等しく貧乏になれ!!ってこと?
金持ちはこんな所で時間を無駄にしないだろうから、増田は生活習慣から変えていかないと。金持ちから金を巻き上げて微量を皆で分配した所でただ微量の底上げがされただけで貧富のピラミッドが崩れる事はないよ。
ピエール手塚先生が金持ちかは知らんけど、寝る暇惜しんで暇さえあればマンガ描くくらいの事やってタダの消費者から這い上がってるのみると、結局クレクレしてるだけじゃ貧乏から抜け出せないよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240726003809
はてな民は、半端にMMTとか持ち上げる割に、税の効果を全く理解してアホなこと言うので呆れる。
税は「カネをとるため」にやっているわけではない。税は財源ではない。税は富裕層に財源を負担させて事業を行うシステムではない。
何か公的事業を行いたいなら、刷ったカネを貧乏人に配るなり公務員の給料にして事業を行うなりすればそれで終わり。
インフレ税は資産を豚積みしている人間が食らうのだから、金持ちから「余っている」資本を召し上げて事業を行いたいという目的ならそれですむ。
では税とは何のためにある?インフレを抑止するため?それでは説明の半分にもなっていない。
税は、「やらせたくない行動を抑止するため」にある。
ぜいたく税はぜいたく品の消費を減らすために、たばこ税はたばこの消費を減らすために。
そして消費税は、消費を抑えるためにある。当たり前の話だ。
その結果として、財物への需要が低下してインフレが収まるのだ。
そしてその余った財物をもし公的セクターに使いたければ国債を発行して、財物を民需ではなく国が使えるというわけだ。
それが真実なら金持ちに対して「消費を減らす」という消費税の効果が強く出ているということだ。
一般に、消費税の消費抑制の効果は、必須ではない消費が多い金持ちに強く働き、生活必需品に消費が偏る貧乏人には効果が薄い。
金持ちが自分の個人的な欲望のために消費するのではなく、抑えられているのだから。
投資は市場を経由し市場参加者のため効率的に使われるのだからブタ積みされているわけではない。
もしただ貯金しているだけならインフレ税で回収されるのだからそれでいい。
逆に消費税を減らしたら金持ちの消費が増える。それは金持ちのために財物や人的リソースがより多く費やされるということだ。
これを「金持ちのカネが減る」と喜ぶのはアホらしい。金持ちは財物とカネを等価交換しているだけで何も減っていない。
もし家ごとの格差を減らしたいなら、相続税をもっときつくかけたり、税の回避方法を減らしたりすればよい。
日本人はTwitterばかりやるのでインプレゾンビを作成すると利益が出る。
まずTwitterのリコメンデーションによりしょーーーーーーーもないポストばかりが出現し、怒りが渦巻いているのがほとんど多くのついったら〜への問題になっていないだろうか。
そこに加えてインプレゾンビの襲来によりぷんすかぽんすかと怒っているのが見受けられる。
そうした謎の怒りによって、ほとんど内紛のように日本人同士がしょーーーーーもない言い争いをしているのがTwitterという場所だ。
イーロンマスクは全然これらに手をつけるつもりはないようだ。そもそも日本のおもしろ文化に関心はあるようだが、彼は超自由主義者なので現状のことは「くそわろた」としか思っていないだろう。
だいたいTwitterにいる日本人はクソマジメすぎないだろうか。クソマジメでも頭がウルトラならまあいいが、彼らはクソマジメなわりになぜか頭がミニマムだ。
インプレゾンビと「このポストに怒った人はこんな人にも怒っています!」というレコメンドシステムという、ジャスティス・システムに脳を乗っ取られた日本人。
彼らは「ジャスティス!」と叫んで、「リポスト!リポスト!リポスト!リポスト!」と怒る、いわば「ジャパニーズ・ゾンビ」である。
われわれはウォーキング・デッドの世界に生きているのかもしれない。ジャパニーズ・ゾンビ、言いにくいので「ニホンビー」にしよう。じゃっかん貧乏っぽいな。
ニホンビーたちはいわば日本を弱体化させる兵器のようなものだ。別にどこかの国がそうしようとしているとかではなく、自然とそうなってしまったように思える。
そこで、自分がニホンビーにならないため、ニホンビーになりたくない人たちのために、ニホンビーたちを追い払う呪文を教えよう。
さらにこれについて何か言われたら「ダブルフラッシュ!」と唱え、それでも言われたら「ラストフラッシュ!」と唱えながらブロックしよう。
われわれは兵器化されてはならない。くれぐれもご注意願いたい。
オードリー春日、大阪でガチAD仕事→番組化 テレビ裏側も暴露「あ、やはり」「反吐が出ますな」(笑)【コメントあり】
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.oricon.co.jp/news/2340430/full/
ここに以下のブコメが付いている。
mengold むつみ荘住んでた春日はもういなくて、今やオードリーの二人は大富豪で春日に関しては1000万以上する車を即金で買ってるんだよな。若林のウーバーバイトといい今や大金持ちの暇つぶしを見せられて庶民が喜んでるだけ
このブコメに批判が殺到しているが、俺はこのmengoldは自分の元々の感性に正直で良いと思う。
まずmengoldの主張は、オードリーの儲け方が白々しくなったというだけで、彼らが貧乏のままでいろなどという嫌儲ではないだろう。
もともとオードリーが貧乏な境遇にあった事でその庶民的行動に説得力が出来、笑いが生まれた。
それが無くなった今もまだ庶民的行動で儲けようとしているその白々しさで笑えない。
昔は正直だったのに、今は嘘つきみたいなもんだから。
そういう気持ちは分かるし、大切にしたほうが良いと思う。
そうじゃないと何を楽しんでるのか自分でも分からなくなるから。
特に推しと呼んで人物の特性ではなくその人物自体に執着してしまうと、特性の変化に鈍感になってしまう。
オードリーが自分の好ましい笑いを提供していることに惹かれたこと、それが無くなった今評価できるか。
そういう冷静な分析は特に感性に訴えるコンテンツにおいては非常に重要だ。
それを失うと笑えと言われて笑う木偶人形に成り果てる。
壊れたエアコンは何年も直せてないからこのクソ暑いのにクーラー無しで生活してるし、キッチンの蛍光灯も壊れてるけど修理に3万もかかるからって放置してる
自営業の経営が上手くいってないんだと思うけど、もう両親も歳いってるから転職もそうそうできない
兄も働いてるけど給料安くて実家から出れてないし同居の祖母も国民年金しかもらってない
兄が実家で生活するにあたって、生活費を月にいくらか収めていて、
兄が就職したてだった数年前、親は「このお金は貯めておいて兄が結婚する時に渡してあげるんだ」と言っていた
あのお金いくら貯まったの?と昨日聞いたら「もう全部ないよ、使っちゃった」とのこと
数年前よりやっぱり財政状況悪化してるんだー、と思ってすごい不安になっちゃった
私は小さい頃から貧乏が嫌だったから勉強して学費免除で国立大の院までいって大企業入ってそこそこの給料もらえてる
これでもう金への不安はないなと思ってたけど全然そんなことなかった
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
受験勉強は個人競技のスポーツと似ていて、努力と結果が比例する可能性が高い
家が貧乏とか、容姿とか、生まれ持っての才能とか障害とか、そういう努力で変えられないものがある
それから、学校を卒業して社会に出ると、これまた努力と結果が比例しない世界に逆戻りしてしまう
だから、学生のときは受験勉強に励んで、できるだけ高い山へ登るのが大事なんだ
社会に出るときはスキージャンプみたいなもので、高い山からジャンプするのか、低い山からジャンプするのか、
だから、受験勉強とか詰め込み教育を悪だとか否定する学校の教師とか信じるなって繰り返し言ってたんだよね
本当にそうだった
この日本の社会に出ると、努力と結果は比例しなくなったよね…😟
塾の講師の方が人生を紆余曲折してきたり、塾が終わった後に塾経営のつらさみたいな話とか面白かった
竹刀持って校門に立ってるような体育教師も同じでさ、社会人経験がないんだよな
社会人経験がないまま教師になった人って、結局、学生の延長みたいなフワフワしたところがどこかあるし、
宗教にはまるやつっていうのは、2種類おり、そのうちの良いほうにあたっているようだ。
彼らは善意を信じており、悪を信じてない。最初に教えられたことをそのまま信じちゃう人たちであり、暴力を知らず、謀略も知らず、善意から我々に教えられた教えを伝えてくる。宗教に属することでコミュニティに奉仕する喜びを感じており、そのことで人格は明るくなり、貧乏ながら(無能ではあるので金持ちはいない)充実した顔をしていたりする。
俺のような猜疑心にかたまりバカをコバカにするような、腐った魚のやる気のない目をした人種とは真逆。
このパターンの人は、教えられている内容が単なる迷信とか嘘の中に入っているうちは、特に害がない。本人個人にはむしろ助けになったりするし、こっちから圧かければ追い払うのも簡単。創価とか天理とか古めの新興宗教に多いね。
もう一つのパターンのがやばく、そいつらは、他人が知らない教えを知っている自分のために宗教をやっていて、マウントとるために教えを説いてくるし、否定されたら暴れるんだよね。