はてなキーワード: 球技大会とは
当時中学生は携帯電話なんて持っていないので行方もつかめず大変な騒ぎになったことを覚えている。
しばらくして友人が家出した先の“ある職人”から親に連絡が入り居所が掴めた。
“ある職人”というのは彫り師だった。友人は彫り師になりたくて家出したと後で話してくれた。
本当は学校も辞めて修行してそこ(確か東京だったと思う)で職人になろうと思ったらしい。
でも師匠が親を心配させるな、まずは学校を出てお金を貯めてから来いと言ったみたいだった。
無事に地元に帰ってきたその子とはまた学校で話したり遊んだりした。
少し経って実はあの時刺青を入れたのだと話して見せてくれた。
今でもハッキリ覚えている、小さいが美しい桜の柄だった。繊細に描かれたそれは綺麗で嫌悪感はなかった。
入れる時に痛かったかとかお金はどうしたかとか聞いた気がするがそっちの方はよく覚えていない。
親にはまだバレていないがもし見つかったら縁を切られるかなと言っていた気はする。
その子の家は結構裕福で、スポーツができて、頭も悪くなかったし、だから私にとってはかなり衝撃的だった。
しかし同時に真面目で根暗で親や先生の言うことに従うだけの私には彼女の行動力が輝いて見えた。
絶対真似できないなと思った。この子はいつか私の想像も及ばない世界に行ってしまうのだろうなと。
中学を卒業して、高校に入ってからもその子とは少しだけ交流があった。
クラスは違ったが同じ高校に入ったのだ。球技大会で話したのを覚えている。
しかしそのうち見かけなくなって、卒業したかどうかは分からないままだ。
その子はスポーツ推薦で入ったので、もしかしたらプロになってるのではと名前を検索したこともあるが分からなかった。
きっと向こうは私のようなモブなんて覚えてもいないだろうけど。
つらつら書いてたら凄く長くなったので時間のある人よければ。私のクズっぷりにイラつくかもしれません。
クソつまらん理由というのは、部活のとある仕事をマジで絶対クソほどやりたくなかったから。以上。ちなみにこの仕事は私が高二の時に廃止になった。ちょっと笑った。
その頃の私は毎日活動のある部活に所属していて、学校に行く=部活に行くだと思っていた。部活のアレをしたくない→部活に行きたくない→学校に行きたくない。我ながら酷いダメ人間だと思う。
母は学校に行かないことにちょっと、いや本当はかなり反対していたのかもしれないが、「もう義務教育じゃないからね」と目を瞑ってくれていた。その代わり引きこもる間は私が家事をしていた。と、言っても洗濯と皿洗いと肉屋のタイムセールに行くくらい。かなり優しく甘い。でも部活が嫌すぎて精神が弱っていた私は否定されなくて安心した。本当にいいお母さんだと思う。
父は良くも悪くも寡黙な人で、私が学校を休んでいて暫く言わなかった。逆にドキドキしてたが、母には「あいつは学校に行かんのか」と相談していたらしい。わたしにも「高校なんて行かなくてもいい。大学で何をどのくらい勉強するかが大事」と言ってくれた。マジで優しい。大学生一年目に全然勉強してなかったら怒られた。二年目は頑張るよ。
最初一週間は風邪なことにしていた。症状が酷いことにして友達からのLINEもみなかったし返さなかった。見放さないでくれた友達全員が聖人過ぎる。きっとこの人たちは長生きするし良いことがある。
一月下旬、部活の仲良しグループのLINE通知を見て思わず既読をつけた。
「今から〇〇の家行くわ」
部活終わりの18:30過ぎの通知。見たのは19:15。お風呂で見た。学校から家までは大体1時間。私は大慌てで髪やら体やらを洗って風呂を出てまたグループを見た。
「マジでいってる?」
1ヶ月弱ぶりの返事に既読は即ついた。四人グループだから既読3。驚いた。
「ちょっと迷ったけどもうすぐ着く」
三人は本当に来た。お風呂上がりで髪の毛も濡れてるし死のうと思ってドアを開ける。学校来いとか部活こいとか言うだろうか。何を言いに来たんだ、どうしてきたんだ。
「あ、なんか思ってたより元気そうでよかった」
三人はそう言って笑って私に次に出る公演のチケットを渡すだけ渡して帰ろうとした。私はとりあえず三人にチョコパイを渡して、慌てて外に出れる格好に着替えて最寄り駅まで送った。
駅までの道で「死んでるかと思ってたー」「なんかこれ青春っぽいね」「お腹すいた」みたいな話をした。私はあーとかうんとか言うばかりだった。混乱してたし。
別れ際に一人が言った。
来たくなったらでいい、来れそうならでいい、とか続けてて私はちょっと笑った。この人たちは今でも仲が良い。本当にいい人達だ。誰も彼氏はいないけど。
でも私は行かなかった。本当バカ。行けよ。
二月。バレンタインの季節だなんて思ってたら担任から二者面談のお誘いが来た。外に出たくないわけではなく、部活に行きたくない、授業に行きたくない、学校の人に会いたくないだけだったので行った。家庭科の先生だったから家庭科室で面談した。
「やっぱり、部活のせい?」
私のいた部活は辞める生徒も毎年何人かいて、まあ厳しい部活だと思われていたのだろう。私は部活が厳しいから辞めるわけじゃないし、そこまでヘタレじゃないし。と謎の意地を張って(しなきゃいけないことがしたくない、つまり部活のせいで学校に来てないわけだけど)「違います」と言った。で、まぁぼんやり考えていたことを担任に言った。転校しようかなと思ってるとか、高卒認定試験受けようかなとか、学校にいく意味がわからなくなったとか。担任もまた良い人で、無理に来いとは言わなかった。「二年生として転校したいなら協力はするから、三学期末テストだけは受けて欲しい」とか「合唱コンの練習を頑張ってるから見に来て欲しい」とか言われた。私は三学期末テストを受けて合唱コンを見にいくことを決めた。
ちなみにこっそり見に行った筈の合唱コンなのにクラス全員に私が行ったことはバレていた。
Twitterの裏垢というのがある。仲良い友達同士だけでフォローし合う身内アカウントだ。そこで「三学期末テスト、受けるだけ受けようと思う」みたいなツイートをした。
クラスの仲良い子から電話が来てびっくりして出た。聖人二人組だった。
「一緒にテスト勉強をしよう」「いつもしてた(定期テスト前はグループ通話をしながら勉強した)みたいにしよう」「範囲は全部教える」私は受けさえすればよかっただけのテストを勉強しはじめた。
テスト一週間前くらいから聖人コンビはほぼ毎晩電話をかけてくれた。内容はほぼ雑談で何を話したかあんまり覚えていない。「一回学校来てみて」「一回きたらするっと復活できるよ」と言われたのは覚えてる。でも学校に関すること本当それだけ。嘘、合唱コンの結果も聞いた。一年生ではトップだった。
その日の朝は死ぬほど嫌で嫌で嫌で嫌で死にたかった。ヒソヒソ話されたら死ぬ。でももうあと3.4日でこの学校とはおさらばだ…四月から二年生として生きるために耐えるしかない…。
そう思っていたけど周りは普通だった。普通にインフル明けの人みたいに接してくれた。元気?とか遅刻してないねとか、覚えてないけど超普通でなんというか拍子抜けした。
次の日もその次の日もテスト最終日まで私は遅刻せずテストを受けたし赤点はなかった。なんなら数学は普通に点数良かった。
テスト最終日、数日後のレクリエーションの球技大会の競技決めをした。私も普通に頭数に入っていたし、私含めた八人グループみんなでドッヂボールにした。学校行ってこの人たちとドッヂボールしてからやめても良いか。
球技大会まで学校に行っててふと気づいた。別に普通だ。学校行って虐められるわけじゃないし普通に楽しいし、多少先輩がいるかもとか気を使うけど超普通。え?じゃあ学校行けば良くね?
学校は辞めなかった。転校もしなかった。
でも部活はやめた。でも家に来てくれた三人は変わらず仲良くしてくれた。
特に盛り上がるところは無かったが私が高校を辞めそうだった時の話はおわり。
話の構成下手ですまん。
とにかく両親と担任、友人五人に支えられて、この人たちのおかげで私は高校二年生になれた。
もちろん高校の人がみんないい人で私を指差して笑う人がいなかった(いたかもしれないけど私は知らない)から二年三年と辞めずに済んだ。
特に友達五人には感謝しても仕切れないしなんていうか意味がわからない。
出会って一年ない他人にここまで尽くせるか? 家まで行ったりテスト範囲教えて一緒に勉強したり、普通に学校戻っても仲良くしてくれたり。
私は高校三年間でたくさんの人にお世話になった。ここであげたのは八人だけど、私はこの八人なら誰の連帯保証人にでもなれる。
(追記)
映画見終わったら上の方にあってびっくりした。読んでくれた人本当にありがとう。
私がいいやつだったかは自分ではわからないけど、本当に周りに恵まれて愛されて育ったんだなって思います。あと連帯保証人はやめます。私の自慢の友達に限ってそんなことはないと思うけどね。
誰かを助けられるような人になるよ、ありがとう。
はてなーが「運動会は規模縮小すべき」「運動会なんてそもそも必要ないだろ」という。
でもそれって、「勉強はできないけど運動だけはできる」という子どもの成功体験を奪おうとする残酷な意見だよね。
そういう子たちは球技大会とかマラソン大会とか運動会でしか活躍できないのに、さらにその機会すらなくそうとすることの悪影響とか考えないのかな。
1学年10クラス以上の高校だった。一部のクラスじゃ40人以上いたかもしれない。
球技大会や体育祭があったが、クラスから代表が出て他の生徒は応援。代表は友人でもないので応援する気も無く。
校内を巡回する教師がサボってる奴を捕まえるので仕方なく校庭でぼーっとしてる。
平成の今ならこんな生徒数の学校はあまりないだろうけど、クラス代表しか出ない、他の生徒は何もない座ってるだけの運動会なら
代表だけがんばって残りの生徒自習でいいじゃんかと思った。
社会人を経て思うのは、運動会とその準備する時間があれば
借金をしない家計維持とか、家庭科のようにグループではなく一人で料理と後片付けできるようにするとか
生活マナー、詐欺しない詐欺られないとか
社会人になって誰も教えてくれないけれど大事な事を教えるべきなんじゃないかと思う。
タイトル | ああ播磨灘 | バチバチ BURST | 火ノ丸相撲 | りきじょ | 武装少女マキャベリズム |
---|---|---|---|---|---|
作者 | さだやす圭 | 佐藤タカヒロ | 川田 | 歌麿 | 神崎かるな |
連載誌 | モーニング | 少年チャンピオン | 少年ジャンプ | 月刊アクション | 少年エース |
主人公 | 播磨灘 | 鮫島鯉太郎 | 潮火ノ丸 | 明石丸美 | 納村不道 |
主人公の性別 | 男 | 男 | 男 | 女 | 男 |
初登場時の強さ | 横綱 | 幕下 | 小学生相撲二冠王 | 初心者 | 乳首相撲横綱 |
得意技 | 呼び戻し | ブチカマシ | 右下手投げ | ぶちかまし | ぶちかまし |
弱点 | 負けたら即引退 | - | 身長152cm | ただのデブ | 対戦相手が熊 |
ヤンキー枠 | - | 常松 | 五條佑真 | - | - |
気弱枠 | - | 大吉 | 小関信也 | - | - |
マワシ | ○ | ○ | ○ | ○(onレオタード) | ○(onジャージ/ブルマ) |
仮面 | 多種の仮面を被る | - | - | - | 般若 |
いつの間にか相撲漫画をたくさん読んでいるということに気がついたので各漫画の要素を比較してみた。
比較対象は、ああ播磨灘、バチバチBURST、火ノ丸相撲、りきじょ、武装少女マキャベリズム。
連載誌は、モーニング、チャンピオン、ジャンプ、アクション、エースと、週刊月刊問わず、少年青年問わず多岐に渡っている。
巨人大鵬卵焼きと言われていた頃のような大人から子供まで大人気というような時期を過ぎて久しいが、テレビ中継もされているしスポーツニュースで結果も放送する。
自分でプレイしたことはなくても、なんとなく知っているという人は多いので、相撲漫画もそれほど珍しい存在という訳ではないのだろう。
実際、これを書くときに相撲漫画の一覧がないか調べてみたけど、ここに挙げた5つ以外にもかなり多くの、100まではいかないけど数十は余裕でくらいは相撲漫画がある。
しかし、他の競技の例えばバスケットボールならスラムダンク、野球ならタッチ、ややマイナー競技ならアメフトのアイシールド21のような、その競技を代表する大人気の名作漫画というものは、相撲にはない気がする。
火ノ丸相撲も、連載誌ジャンプだし、結構おもしろくはあるのだけど、スラムダンクやアイシールド21級かと言われるとそこまでは…と思う。
主人公は、4人が男。1人が女。かなり80%:20%と男女比が偏っているが、実際の競技人口も、全相撲漫画の男女比はもっとかたよるだろう。
80%:20%という男女比ですんでいるのは、りきじょが女子相撲という珍しいジャンル扱っていて私の興味を惹いたからでしょう。
初登場時の強さはやはり、播磨灘が圧倒的に強い。
登場時から横綱で、そこから一度でも負けたら即引退を宣言して、相撲協会を改革するまで((というか勝手に変わっていくと言う方が適切かも))数十連勝するという漫画なので。
バチバチ、火ノ丸では、最強ではないけど、周りよりもそこそこ強い主人公が成長していくと言った趣。
武装少女マキャベリズムは、まぁ、乳首相撲では横綱らしいけれども、実際に乳首相撲を行う描写はないので本当にそんなに強いのかは現在のところ不明である。
得意技は、播磨灘が呼び戻し、火ノ丸が右下手投げとテクニカルな技を得意としているのに対して、相撲の決まり手は82もあるにも関わらずその他の漫画ではぶちかましと同じ技を得意技としている。((ぶちかましは決まり手じゃないか…))
これはやはり、相撲の技の知名度がそれほど高くないということに由来するのだと思う。
上手投げ下手投げという名前は知っていても、それがどのような技で何が違うのかを知っている人はそれほど多くない。
そうなると、相撲を知らなくてもわかりやすいぶちかましを得意技に設定せざるを得ないということになるのだろう。
ヤンキー枠/気弱枠と言えそうなキャラクターがバチバチと火ノ丸には登場している。
相撲に興味が無いヤンキー、先輩を敬わないヤンキーを変えていく、気弱なキャラクターを変えていくというあたりが物語を作っていく上で定番なのかなと思う。((私は読むだけなので想像でしかないけど。))
同じ枠に入れたけど、バチバチのヤンキー枠は学生横綱、火ノ丸のヤンキー枠はただのヤンキー、バチバチの気弱枠はニート、火ノ丸の気弱枠は相撲好きだったりとかなり違うキャラクターではある。
同じ特徴があるということはできるが、全体の印象が同じという訳ではない。
相撲といえばマワシ、マワシといえば相撲というほど、相撲界におけるアイコンであるので、相撲漫画でマワシを書かないなどということはあり得ない。
逆に言うと、普通の相撲漫画でマワシに何か特徴を持たせるということはしない。
特徴があるのはやはり女子相撲を描いたりきじょで、腰周りにしかマワシのないすもうパンツが出てきたり、大会でマワシの下に着るレオタード、スパッツを買いに行ったりやはり男子とは異なる描写がある。
武装少女マキャベリズムでは相撲部でさえなく、球技大会的に相撲をとるので、主人公の納村はマワシonジャージだし、ヒロイン枠の鬼瓦輪はマワシonブルマなのである。
納村は((乳首相撲ではなく普通の相撲の))経験者なので、マワシを一人で締められるが、鬼瓦は締められない。
そこで、納得村の協力の下に鬼瓦がマワシを締めるというシーンが4ページに渡って描かれるのだが、これがなかなかに羞恥心を煽るフェティッシュなシーンなのである。
映画で例えるならゴーストニューヨークの幻でのろくろのような、男女の共同作業を描いた名シーンであると言えるでしょう。
播磨灘と、武装少女マキャベリズムの鬼瓦輪がマワシ姿に仮面という出で立ちで登場する。
播磨灘は連載が長いということもあり、実に多種多様な仮面を被って土俵入りする。
一例を挙げると、鎧武者、龍、ポリネシアン、トーテムポール、だるまなどなどかなり多種多様である。
鬼瓦は、連載開始時からずっと半分割れた般若の面でこれを変えたことはない。
どちらも、マワシに仮面という共通点のあるキャラクターではあるが播磨灘が浮気症なのに対して、鬼瓦は一途と対象的なキャラクターであるということも言えるだろう。
割りと好きな漫画なのだが世間的な知名度が低いので、よろしければ読んでみてはいかがでしょうか。
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/machiavellism/
基本的には、バトルものでありつつ、ハーレムものな感じなのだが、その絵柄に反して剣術部分は実際の江戸/明治期の実在の流派が出てきたりとしっかりしている。(あくまでも剣道未経験者目線だが。)
ただ、漫画ならまだ止め絵だけなので手間も少ないが、動画にしようとすると実在の剣術、しかも映像資料の残っていない時代の剣術を正確に描くあたりに手間がかかりそうで、アニメ化にはハードルが高いかな?という印象はある。
が最近ひどくなってきたんですがどうしたらよいでしょうか。
前は家の中でなることが多かったのですが最近は普通に歩いてる時、電車に乗っている時、仕事中もなるので流石にちょっと辛くなってきました。
普段は嫌な記憶なのでまったく表に出てこないのですが、なにかから連想して「うおおおおおおおおおお!」
という暴れたくてしょうがない気持ちになるのです。
子供の時からその気はあって、当時は友達付き合いの失敗などが多かったように思います。
よく思い出すのが当時仲の良かったオタク友達(中学生なのにシスプリとかエロゲーやってた)がいたのですが小学校の時に一緒に帰ろうと下駄箱の前まで行った時同じクラスの別のやつが
「お前たち、友達だったの?」
と言ったのです。
その時につい、「・・・」と無言になってしまい、気まずい雰囲気が流れたわけです。
友人は「お前ひでえなw」と笑いながら言ってくれてその時はいい雰囲気で一緒に帰ったわけですが今でもその時に返事できなかったことを時々思い出してしまうわけです。
割りと自己評価が低い方なので俺なんかが「友達」を名乗ってもいいのか?と躊躇してしまったわけですよ。
中学生くらいまでは殆ど忘れてたんですが高校で暗黒時代(主に友人関係で)に突入してから頻繁に思い出すようになり思い出しすぎたせいで流石にこの件については忘れないようになりました。
ただ、代わりにこの件については「うおおおおおおおお!」となることがなくなったので逆に良かったと思ってますが。(自分の中で整理がついたのかもしれません)
他にも中学校に入って琴が引けなくて音楽の授業で泣いたこととか、給食のババロアが食えなくて泣いたとか色々思い出します。あと、高校時代に中学の頃中の良かった人が話しかけてきたのに邪険にしてしまった話とかもよく思い出します。球技大会でサッカーで緊張で失敗した話とか。
嫌な記憶自体は数百はあるようなきがするんですが、フラッシュバックするまで無意識に封印してるのか大抵思い出せないんで正確な総数はわかりませんが
スーパーでババロアを見ると思い出したり、サッカー漫画を見て連想したりとかしてたんですけどそのくらいは家とか特定地点で思い出す程度なのでそこまで問題なかったんです。
でも最近仕事をするようになりまして、居酒屋での失敗とかをよく思い出すんです。
業務での失敗はそこまで思い出さないんですがやっぱり人間関係の部分での失敗を引きずりやすいようでそういう楽しむ場で会話をしてて調子に乗りすぎて失敗したりとか鮮明に思い出してしまうわけですよ。
それがひどくなってきてPCの前で仕事しながら我慢しきれなくて頭を振ってしまったり、この間は信号待ちの時に思い出してしまってつい唸ってしまい周りの人にちょっと見られてしまいました。(たった一人で知らない人だったからまだ良かったんですけどね。恥ずかしくて走って逃げました。)
ちょっとこれ以上ひどくなると業務にも差し支えますし完治は無理でもちょっと快方させたいわけですよ。
※追記
たくさんの反応ありがとうございます。
お風呂でなることは多いですね。
やることが他にないので思考がそちらに寄り易いんだと思います。
また、自分の中で消化しきれたもの、消化しかかってるものは基本的には忘れないようになります。私だと最初の友だちの話は心のなかで整理されたために思い出しても「うわぁぁっぁぁ」とはならないようになりました。
フラッシュバック系が思い出せないのは嫌な気持ちを忘れようとするので本能的に脳が記憶をブロックするんだと思います。
ただ、連想するものが脳に入ってくると紐付いてしまって記憶が想起されちゃうんですよね。
だからこういう悩みを打ち開けようと思ってもそもそも思い出せないのでなかなか相談しづらいというのは有ります。
あと、一回この手の話を他の人したことはありますがこの話を相談すること自体が恥ずかしいことなので今度はそれが黒歴史になるんですよね。
たまにその時のこと思い出して悶絶することが有ります(苦笑)
なので若干リスクが高いです。
しかもこういう質なのに元来の性格が割といじられキャラだったり、そのうえ自分自身もそれがオモシロイと思っちゃったりするので業が深い
私は小学校から大学まで、体育で一番低い評価以外とったことがないレベルの運動音痴。
当然あんまり体育の時間は好きじゃないんだけど、お祭り騒ぎは割と好きなので、球技大会や運動会はさほど嫌じゃなかった。
大嫌いだったのは、親から強制的に通わされていたテニスのスクール。
親は私の運動嫌いを心配して、何か生涯できるスポーツをと思ったらしい。
最初は学校のテニス部に入るよう言われたが、私がすぐ辞めたもんだから今度は親と一緒にスクールに入会させられた。
テニススクールの会員は大人が多くて、雰囲気が良い。経験に応じてクラスが分かれているから、ことさら上手い人の中で肩身が狭い思いもしない。
それでも私がスクールを嫌いだったのは、やはり親に監視されて無理やりやらされている、という意識のせいが大きかったのだろう。
それともう一つ、今でも覚えている嫌な思い出がある。
普段は上手下手関係なく誰とでも楽しそうにプレイしている、クラス内のそこそこ上手な会員の言葉だ。
ダブルスのチーム分けの時に、冗談めかした風に「○○さんと組むと負けるから嫌だなあ~」と笑っていたのだ。
○○さんは、勢いはあるもののコントロールが悪く、自滅が多い人。
要は、ヘタクソとは組みたくないという意味である。紳士ぶっていても上手な人の本音はやっぱりそれなのかと思って、絶望した。
客観的には大したことじゃないのだが、荒んだ気持ちの当時の私には堪えた。
開催種目は都度全校生徒による投票で決められるが、
残り1種目を何にするか、という出来レースであった。
運動神経は可もなく不可もなく、という程度だった私は、
どんなスポーツも人並みにはできた。
しかし、小さい頃からサッカーというスポーツだけはどうしても苦手であった。
「蹴る」という才能が皆無だったのだろう。
練習をしてこなかったわけではなかったが、一向に上達する気配もなく、
バスケ経験者を多数擁する我がクラス、メンバーはすぐに決まり、
かくいう私もそのうちの一人であった。
本番までの放課後、サッカーのメンバーで何度か予定を合わせて練習を行った。
回を重ねるにつれて、私の下手さ具合というのはみんなの知れるところになっていき、
その頃から、クラス内でもなんとなく息苦しさを感じるようになっていた。
そして迎えた本番。
試合の最中、たまたまではあるが何度か私の元にもボールが転がってくることがあった。
しかしそのボールほぼすべて、私には触らせず、上手いメンバーが取りに来て試合を進めていた。
もはや私はチームにいないものとして扱われていた。
結局この大会、私のチームは1勝も挙げることはなかった。
他のチームスポーツは、下手な人間は下手な人間なりにまだ参加する余地がある。
バスケならマンツーマンで相手選手に引っ付いていれば、少しはチームの役に立てるかもしれない。
バレーなら必ず回ってくるサーブで試合に参加できる。背が高ければブロックもできるだろう。
野球も同じく必ず打順が回ってくるし、守備も素人ではあまり飛んでくることのない
レフトやライトにいたって、たまに来るゴロやフライに触ることはできる。
参加できる。
人数が多いぶん、周りが上手ければ一人分くらいは平気でカバーできてしまう。
参加できない。
いないのと、同じ。
私はクラスの中で爪弾きにされることが多くなった。
強く出ることもできず、日々を過ごした。
今思い返せば、あれはイジメ、だったのだろう。
もちろん、球技大会の件が原因のすべてだったとは思わない。
けど、大きなきっかけになったことは間違いない。
サッカーをする人みんながそんな人たちだとは思わない。
教えてくれるような人もきっといるはずだと思う。
けれど私は、残念ながらこの歳になるまでそういう人に出会えなかった。
球技大会のことを、
あれ以来誰一人としてわたしには触れてこなかった球技大会のことを
あなたは寄せ書きで触れていて、驚きました
あのとき助けてくれなかったのって、もう相当わたしのこと嫌だったのだと思います
団体競技で足を引っ張るだけで、なかなか上手くできず、
チームのキャプテンの「なんでできないの?」という問いに
答えないわたしを何度も見ながら、さすがのあなたも
さぞやきもきしてたのだろうと思います
本当になんでできなかったんでしょうね
キャプテンも最初からそうではなくて、丁寧に何回も教えてくれていたのに
その年の球技大会のことはよく覚えていません
覚えているのは、
苛立った声でキャプテンが言った「なんでできないの?」という言葉と、
そういうわけで、あなたと関わるようになるまでは、あなたが少し怖かったです
あなたはサーブが打てないわたしに根気よく打ち方を教えてくれました
授業前に早めにコートにきて練習するわたしに、
ただ「こうだよ」と何度も何度も教えてくれました
同じことを何度も何度も言わせました
けれど気長にあなたは練習に付き合ってくれました
その甲斐あって数ヶ月後に、ようやく初めてサーブが入ったときの
班の人たちとあなたの顔は忘れられません
後悔してるのではないかと思いました
だからあんなに気長にサーブを教えてくれたんだろうと今は思います
あのすごい剣幕でわたしを責め立てるキャプテンを咎めるのは、
さすがのあなたでも無理です
そんなのわかってます
あなたはよく人に無駄絡みをしてじゃれついていてメンタルが弱そうで、
それだけに罪悪感は持たせたくなかったから、
上手く立ち回ったつもりだし、愚痴を漏らすときはまったく関係がない人に
相手をしてもらってたんですけどね
寄せ書きに書くくらい気にしてたなんて、気付きませんでした
けれどね、
いつも不器用でお世辞の一つも言わないくらいだけど、
面倒見がよくて、
愛想のないわたしに話しかけてくれて、
髪を切ったら毎回気付いてくれて、
よく授業を寝ていたわたしに躊躇いもなく
「(寝てた分のプリント)見る?」って言ってくれて、
「あ、そう」ってすぐ前向いたくせに後で一緒に帰った時にさらっと褒めてくれて、
面倒を見てもらったお礼を言ったら
ちょっと黙って言葉に迷ってるようなあなたがわたしは本当に大好きです
わたしの方が数ヶ月早く産まれたけど、内心姉のように慕ってました
と、寄せ書きに書いたら引かれそう(あなたのみならずクラス全員から)だし、
ここまで書くの恥ずかしいし時間かかるし、
きっと書きながら泣いちゃうので、書きませんでした
そして話すの苦手なんで、これからも絶対言いません
いろいろ迷惑かけてごめんなさい
こんなにもよくしてもらったのが今でもとても不思議です
でも本当にありがとう
うん わたし頑張ったよね
もういいんだよね
もういいよね
今年は小学校校区の少年育成会の役員になってるんで事前の打ち合わせから練習付き添い等、出事が盛りだくさん。
出事そのものは自分の所の子供(中学年)も参加するからって思って面倒でも出るようにはしてはいたがどうも6年生の一部とそりが合わず練習中に遊びよって「やる気ないなら帰れ!」と叱咤されたのが歯がゆいのか怖いのか面倒なのか「参加せん」と。。。
遊びよった我が子が悪いんで別にそれ自体はよいし叱咤した6年の子も「来た時は」真面目にしてるんで何も思わないけど。。。
保護者の全体の雰囲気としては「6年生は最後だから」って感じでこれる時だけ練習来てそのとき真面目にしてれば試合も絶対に出れる。
練習に参加してる高学年も9人くらいいるんでどんなに下手でも試合は間違いはない。
練習自体は真面目(って言っても遊びの延長程度、見方によっては遊んでるようにしか見えないけどそこは6年同士だから特に叱咤とかそういう話にはならない)だけど紅白戦できる人数は集まらない。
大抵、人数少なかろうが勝手にし始めるけどそれを疑問に思ったことはない。
本人達は「なぜ人数が集まらない」かの原因を考えるには至らない。
4~6年までなら2チームくらい出来る人数はいるから「興味はあるけど。。。」って子もいるし実際、中学年でも1~2回練習来て来なくなった子もいる。
他の保護者は誰も疑問には思わない。
自分の立場的に指摘する立ち居地にいる訳でもないし正直、関係ないけど大物イベントの大半は高学年メインで保護者がこの考え方であるならちょっとねぇ。。
役員して内部事情を見たから分かったけどそういう方向性なら球技大会等の高学年メインのイベントは主は6年生の保護者・サブは5年生の保護者で役員はオブザーバーにしてもらわないと中・低学年の親としては「やる気」でない。
ちなみにうちの子が行かなくなったのは親の行動指針に間違いがあってそこに気づくのに遅れたから。
息子が言われたのは「やる気ないなら帰れ」っであって単に「帰れ」じゃないんだから「帰れって言われたら帰ります」って返せって言うのは違うだろ。
そりゃ言った側は「帰る=やる気ない」なんだから腹かいて「そんなら最初からくんな」って言われるのは当たり前って訳で家族小会議
この経験は次に生かすということで。
ま、他にも以前の部活動とは違う粗暴な雰囲気・行動とかいくつかやる気をそぐ複合的な理由があったようだけど。。。
って言うかこういうことで元々ないやる気をかなりそがれたんだが「やる気がないならくるな」理論に従って今後のイベントは全て行かなくて良いかね?
http://anond.hatelabo.jp/20101023215618
元増田です。投げて良いならぶん投げたい。
そしてぶん投げた→いまや犯罪者的扱い
私自身、実は休学復帰組みで今の学年の子達と1年で合流したんだ。
其のときから年上だし、できれば「貴方は大人だから」学年をまとめてね。
と言う調子で担任補佐的な生徒の役割に何故かなってました。
其のうち先生にいえないからって、自殺の方法とか愚痴を聞かれたりして
「先生にも言わないで」とかそういう相談を引き受けたり(重いってのに!)
定年間近の先生と同い年ののマレーの架橋の人のわがまま対応についても先生方から叱責を受け。
体育祭では私の不手際(体育委員は2名居るけれどもクラスの協力もなしに全部仕切っていた)
を全校生徒の前で体育委員長に叱責され堂々と「○○は本当に使えない委員だ」といわれたり土下座させられることにもなりました。
そろわなくて土下座してでもクラスメートに競技に出てもらうそんなことも球技大会では有りました。
つかれた。
それに、私教師免許持ってないし、自殺問題を投げられても困るから本人同士で話してくれって感じですよ。
でも夜中たたき起こされるとか、電話を切ると「死ぬ」とか
電話に出て第一声目「切っちゃった」って切っちゃったじゃねー!
もうね、あほかばかかと。
ほんと、電話する相手間違えてるだろ!って怒ったのだが・・・
いのちの電話は繋がらない・・・
友達だから聞いて。
何で友達だといのちの電話代わりしなくちゃいけないんだろう?
でも友達っての実は凄く恥ずかしいけれどもこの学校で(1年以上付き合ってた友達は)初めてだったからそうなんだって感じで・・・。
私、解離起こして自傷してたことあったけどすぐ精神科に電話したよ。
だって友達居たとしても、私は、腕切ったーって友達に言えない。
本当はいのちの電話が良いけれども繋がらないのは現実問題なので。
どうしてもって時は24時間の公的機関化警察に駆け込んでた私がおかしいの?
だって友達に死にたいとかいってら友達苦しいじゃん。
でも受けてしまったからには死にたい気持ちもわかるし、放置して(病院であった)友達が死んでしまったって過去あるし。
だから受けてたけれども本音、嫌だよ。
何で1年半も他のクラスメートの言動が原因の自傷とかの愚痴を聞かなきゃいけないんだ。
精神科に行くなり担任なり其の原因の本人にぶつけてくれって何度も言ったのにこっちである。
それで着信拒否。
回り巻き込んで悪口、自殺すれば良いのにと後ろ指差される。
もう嫌だ。
年齢は昭和生まれってことで勘弁して欲しい。
疲れちゃったんだ。学校生活が特に。
自分自身は1~2年は学級委員、現在3年では体育委員として色々やってきたつもり。
学年全体がまとまっていなくて必要書類、学年の取りまとめ役は自分が中心に行っていた。
学年の日本人の中では一番上で、担任からの依頼も有り1~2年は体育委員が機能しないことも有ったから体育委員の役割(体育祭・球技大会のメンバー決め)もしていた。
でも自分の力が足りないからなんだろうな、他の学年(特に4年生)からは「3年の体育委員が仕事ができない・無能だ」と陰でいわれてるのも文芸部の部長経由で知ってる。
クラス内からは責任の無い人といわれ、他の教員からも3年はまとまりが無いと叱責だってされている。
ま、しょうがないよね。大人だもん。
それが現実だから、先生に状況を吐き出しても「大人だから我慢しなさい」で終わっちゃう。
後、あるクラスメートの自殺相談なども担任に投げても援助が無いため私が1年半やってました。
大人としての責務ですし、何とか関係機関につなげようとしましたが失敗、そしてPSWの判断等も有り接触をかかわるのをやめました。
実は、学年の取りまとめ、担任補佐をしてたためのバーンアウト(燃え尽き症候群)は自分の通う病院のPSWから指摘される。
1~2年の先生はそれ以外にみんなの出席状況など1人1人まとめたりしてみんなが学校に来やすいようにしてた。
自分もクラスの一員としてできることとか言うとさ、先生の補佐とかしかない。
ホント居心地のいいクラスにできなくてごめんなさい。
他の学年の皆さん3年生、うるさくてごめんなさい。
昨年、このバーンアウト他ストレスPTSDのフラッシュバックなどごっちゃの引き金で解離健忘を起こしその間に学校行事中に私が自殺未遂を行うと言う状況も発生しました。
ま、これは全部私が悪いのですが。
あとね、全日のみんなには本当に申し訳ないなーって思ってる。
だってさ、全日のみんなも大変じゃん?先輩には東大・早稲田・お茶水が居るような学校。
むしろそれが売りの県立校だから、受験勉強だって大変だと思う。
なのに午後5時ぐらいから定時性が教室を使うから教室を明け渡さなくちゃいけない。それ苦痛だと思います。
何とかする力は流石に私一生徒なので有りません、ごめんなさい。
放課後、教室で語り合う時間を奪っちゃってるよね。本当にごめんなさい。
それに、うちらの学年って教室使い方汚くて朝着たら嫌な思いしてないか不安。
最近私も疲れていて帰宅前の教室清掃まで時間が回ってません、ごめんなさい>全日の2年生へ
でも今、投げたらまずいからね。何とか生きていかなくちゃって思うのだけれども学校に行けない。
行こうとすると吐いてしまう。其の関係で免疫力下がって風邪ひいて治りづらくなっている。
とりあえず文芸部の先輩が卒業する・職業訓練が終わる来年の3月までは死んだらまずいなって思ってる。
だから死なない、死ぬ前に学校を退学してそして一応就職して訓練校の人たちも安心させないとね。
彼氏は一応居る、だから分かれるときにはもう二度と好きになれないぐらいに嫌いに案ってもらおうって思ってる。
大切だけれども死んだ後後悔して欲しくないのもあるから。
そういうことで、まだやるべき「さよならに向けた後処理」があるから
すぐ死ぬわけには行かないけれども何故自殺を考え覚悟にいたったのかは書いておこうと思ったので書いた。
でもまぁ気が変わって実行予定過ぎても生きてるとは思うんだけど、でも今もう限界だって言う吐き出し。
同じクラスに好きな人がいます。その人がすごいかわいくてかわいくてうわってなる。友達と会話してても、「なべちゃん、かわいいよね」「そうか?和泉さんのほうがかわいいよ」「和泉さんもかわいいけどなべちゃんかわいいよ」「そうかー」「うん、世界一かわいい」とかそんなことばっかり言ってます。今は夏休みだからほとんど会えなくて寂しくて、プールに誘いたいとか思うんだけど、でもそんな勇気ないから男の友達とばっかり遊んじゃう。でも、来月に球技大会があるから僕たちは学校のグラウンドで野球の練習していたら、なべちゃんが来たんですよ!女の子たちと一緒に!しかもペットボトルにお茶を入れてきてくれて、それを「はい!」って僕にくれたんです!もう最高だった!練習しててよかった。でも、汗くさいかなーって思ってあんまりなべちゃんに近寄れなかったのでちょっと残念だった。生きていたら良いこともあるってことを学びました。なんで女子ってあんなに良いにおいしてかわいいんだろう。特になべちゃんがかわいいけど。その後にみんなで大縄跳びをしたりして遊んだ。そんで家帰ってからなべちゃんからメールもきて、そのメールがまたすごいかわいくて嬉しい。あの絵文字の使い方とかどこで学ぶんだろう。かわいい。家に帰ってもつながりが持てることがうれしい。ついでに夢に出てきてくれたりしたら最高だったけど、そこまではダメだった。おしかった。あ、なべちゃんは本当の名前じゃないです。ちょっと変えてここに書きました。あべちゃんでもないですよ。
何も出来ない。
家は電話が無いほど貧乏だった。お金にならない話は全て相手にしてもらえなかった。毎日暴力漬け。音楽、アニメ、漫画、なにも見ずに育った。当然ゲーム機などない。親はPTAでハブられていて、他の子たちも俺に付き合わないように言われていたのか完全に避けられていたので友達はいなかった。祖母が東欧系だったせいか、近所の大人達からも「あの家はアカだから近づくな」とハブられていた。思想的にそんな事は全く無かったし、時代錯誤も甚だしいと思うのだが、田舎だったからかもしれない。自分で金が稼げるようになる高校時代まで、常にお金と飯のことだけを考えて生きていた。
二十歳くらいから、金銭的に余裕ができて何か身につけようと思って、本読んだり色んなことに手を出した。
けど、このネットの海を見ていると努力してるやつは小学校の時からもう上手くて、20なってから何かやりだしてもなにもかもが遅すぎた。
料理。本当に美味しいものがわかるやつは、幼いときから色々なものを食べてるから舌と味覚の認知能力が秀でている。自分は毎日具のないスパゲッティ、むしろ小麦粉とお湯でも生活できるレベル。
スポーツ。ろくに運動や遊びをしてないから、まずルールを知らない。スキップのやり方でさえわからない。学校の球技大会の時は無言ではぶられてた。全員参加のはずなのにチームに入ってたことが一度も無い。
音楽。音楽を聴いて育ってないから、音楽センスがない。どんな音楽がかっこよくていいものなのか自分でまったくわからない。
服飾。音楽に同じ。社会の常識として清潔で誤解されないような身だしなみはするが、どんな服装がかっこよくていいものなのか自分でまったくわからない。
サブカルチャー。恋愛感情がわからない、人の細やかな感情が理解できないからアニメや映画を見ても面白くない。同世代との共通話題がない。
女性関係。恋愛感情も女性を好きになるという感情もない。向こうからアクションがあれば付き合うし人並みに大事にするけど、なにも与えられない。大抵飽きられるのか自然に疎遠になる。
今は、Webサービス構築というか、データベースの設計や管理をする仕事をしている。自分でなんでこの仕事してるのかわからない。世話になった人を裏切れない惰性と、食うに困らなくて、タバコの煙を浴びなくていいというだけ。
おまいは、オレかっ!
「体育」だけは、どんなに上手く動こうとしても、思うように行かなかったのだ。
「体育」の授業の存在のおかげで、中学の成績は「オール5」を逃したくらいだ。
(その時の成績は、体育2、それ以外は全て5)
どれだけ体育が不得手であったかという思い出を、恥をしのんでさらすと・・・
それでも、俺はがんばった。
体育教師も、俺のあまりの運動音痴っぷりに呆れはしたが、その努力だけは認めてくれ、高校時代の通信簿に3を付けてくれた。
でも、ダメなものはダメなのだ。どうやったって。(この苦痛は、スポーツのできる人には理解できないだろう)
その後、中学を卒業して進学校へ進んだら、わりと周囲には同レベルの運動音痴もいたりして、いくらかコンプレックスは和らいだ。むしろ、周りの雰囲気は、運動のできるヤツと同様に、人格のできたヤツや、頭の良いヤツも尊敬を集めるようになったし。
社会人になっても、まぁ野球の試合に誘われて恥をさらした事もあったが、それ以降は声をかけられることも無く、平穏無事に過ごしている。
モテ期はとうとう訪れなかったが、恋もし、結婚する事もできたし。
まぁ、一時期は卑屈になったりもしたが、その後は何とか持ち直せた感じだ。
人によって得手不得手があるのは、あたりまえ。必ずしも努力で全てが何とかなる、とは限らない。
それが個性というものじゃないかなー。
http://anond.hatelabo.jp/20070117175336
意味わかんね。
なんでその程度で「苦痛」とか「どうなってんだ」とか言われなきゃならん。
ジダンが友人を招いてフットサルをやって「なんであの一般人はあんなにキープが下手なんだ死ねばいいのに」とか言うか?
もうちょいレベルを下げよう。
あんたが言ってるのは
クラス対抗球技大会のソフトボールに野球部員が出て「なんでヘッドスライディングしないんだ気合いが足りん!」って独り憤っているのと同じ。
あんたが競技として会話スキルを磨くのは勝手だけど。「レクリエーションとして会話をしている人」を蔑むことによって己のアイデンティティを保とう。というのは、的外れな優越感ゲームにすぎない。いや、むしろ有害にすぎる。
「話自体に“巧さ”を求める。オチが無いと発言すら許されない。……なんかうまく表現できてない気がするけど、苦痛なんだよね。でも周りの人は平気らしい。どうなってんだ。関西人か!!(差別的発言)」
みたいな。
あと「みんな」と仲良くしたい、ってのもちょうゴーマン。何様文の典型。