はてなキーワード: 人口密度とは
TTPで海外から安いコメが入ってくるとどうなるの?ってよく聞かれるから、ここに書いておく。
おそらくコスト削減で真っ先に出てくるのは田植えをやめて直播きすることだろう。
田植えというのは大変だ。
育苗して苗を田植機に摘んで植える。
育苗は土をつめたパレットに籾をまいてビニールハウスに並べる。
大きくなった苗をパレットごとはがして田んぼまで運んで田植機で植える。
これはほんとに重労働。
田植機で水の張った田んぼに入って植える作業は本当にしんどい。
田植機がぬかるみにはまって動けなくなることもしばしばだ。
それにくらべて、この直播きってのは超簡単だ。
発芽させた籾をヘリコプターでばらまくだけ。
早いし楽だ。人もいらない。
じゃあ、なんで田植えなんかしてるのか。
理由は生産の安定のためだった。
もともと生産が安定しなかった直播きをやめて田植えしたら生産が増えたって歴史がある。
直播きの場合、鳥に食べられるし、発芽がそろわなかったし、昔の田んぼは水を薄くはることが難しかったから発芽直後の霜で全滅することもあった。
田植えした苗は水を深くはれば霜に負けなかった。
昔は苗床を火を焚いて守った。
今はビニールハウスで守っている。
天気が読めなかった昔は田植えをすることで冷害から守り生産の安定を図っているのだ。
じゃあ、現代では直播きは可能なのか。
直播きの技術は発達している。
天気予報の精度も向上している。
直播きに向いた品種も開発されており食味も向上している。
直播きでも生産の安定を維持することは可能だろう。
だから先の質問には、時代遅れになった田植えという技術は廃れると思うが、田植えをやめればカリフォルニア米には負けないくらいの値段になるだろう、田舎の人口密度もカリフォルニア並みになるのだろうけど、と答えている。
東洋経済の記事で「流山市が若年人口流入のため、市長が旗振りして地域ブランディングしている」
という記事があり、「これは凄い」的コメントがはてブやツイッターで溢れてた。
不動産屋の自分から言わせれば、流山市の人口流入の99%はTX開業で説明が付く話であり、
1.そもそも、首都圏民が「どこにマイホーム買おうかな?」と検討する際に、行政サービスの充実度を参考資料にする人なんて1%もいない。
99%は物件自体の利便性広さ価格で決める。流山市が人口増えたのは都心距離の割にマンション安いから。行政政策の寄与度は少ない
それを「人口流入は市長の手柄」という記事を書くからには、「市の政策と若年人口増に相関がある」ことを、東洋経済自身が行う必要がある。
例えば、ここ数年で流入した人に、ネット経由でも何でもいいから「なぜ流山市に流入したのか?」アンケートを東洋経済が取ることだ。
おそらく「通勤に便利」「マンションが安い」辺りが選択肢上位に来ると思うが。そのようなアンケートを東洋経済は実施したのか?
「東京は郊外から消えていく」の三浦展氏は、ちゃんと首都圏各地の各世代住民に大規模アンケートを実施して、自説の裏づけしている。
東洋経済も流山市民にアンケート取ったり、ナマの声を取材すべきだったのでは?
そういう相関関係のデータを挙げてない時点で、東洋経済のこの記事は「ダメ記事」である。
「ホットスポット問題が発生したから、適度な人口流入にとどまった」という側面がある。
(因みに市のHPを見ると、3・11以降もじわじわと人口は増えている)
多分、「おおたかの森」辺りの駅前分譲マンションに1都3県から2000人流入し、
一方で南流山辺りの賃貸2DKマンションから赤ちゃん連れファミリーが放射能忌避で埼玉とかに1000人流出し、
もし3・11が発生してなければ、交通インフラの割に地価(マンション価格)の安い流山市は
もっと人口が集中してしまい、江東区や武蔵小杉みたいにインフラ整備が追いつかずにパニックになってしまったのでは?
それ位、行政が「人口増加幅や家族構成、年代構成をハンドリングする」というのは難しい。
「流山市の望んでる人口増加率に偶然収まっている」のが実情では?
例えば人口密度日本一の豊島区は、単身者比率・ワンルーム比率が高いことに業を煮やしてワンルーム規制を実施してるが、
にもかかわらず建てられるのは相変わらずワンルームが多い。それ位人口流動は「行政の手に負えない」のである。
3.ツイッター見ると「自分の街も流山市を見習え」的ツイートが多いけど、
一般消費者向け(G To C)にアピールして人口増やすのは至難。
事業所を誘致して、雇用の場を作って、それにつられて人口が増える、という格好が王道だと思う。
一旦事業所を呼び込んで、結果的に一般消費者を増やすのだから、G To B To Cだ。
4.流山市長は「30代ファミリーの流入目指す」と胸張ってるが、バランスを考えなきゃ、
世代間バランスが取れた街造り、という観点なら、一気に街を作りこまなかった
とりあいず細かいスペックは伏せとくけど、嫁と子供が居て、都市部から地方の実家に移住した。
都市部からの移住って往々に過度な期待が双肩にのしかかるから先に覚悟しといたほうがええよ。
なにより「なんやそんなもんかー」とか言われるの癪やし。
で、必死にがんがる。
キャパオーバーなんかたいした事なかとよ、と言わんばかりに働いてる。
土日も働いたり、懇親会やらで家を空ける事もちょいちょいある。
そんで何が起こるかって嫁が怒る。まぁそらそうですわ。
家族との時間とか、都市部から田舎に移住するわけで、多少の「ゆとり」を求めて行く訳ですよ。
なのに平日は帰って来ないし土日も家に居ない。
いつ家に居るの?平日も休日も朝だけ。
嫁切れる。「家族の時間を大事にして」「まだ帰らないの」ああ、マズいよな。そろそろ切り上げて帰らないと。
で、帰って来て酒とたばこの臭いが着いてるからソッコーで風呂って布団に入る。
で、こっちも連日の真也残業なもんで布団に入ったらのびた君。
てゆーか状況が許せば立ったまま寝るわ。
で、嫁切れる。
結局俺、帰らない方が良いの?
俺だけしんどい思いしてるわけじゃないのは百も承知だけど
毎度毎度ストレート投げつけられると僕のシャンパングラスなハートがブロークンするのよ。してるか。
生半可な覚悟で来ない方がいいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20121005162011
犯行の全ては男性が当たり前のように悪いけど、一方で男を誘うような格好してた女にも原因がある。
先日起こったルーマニアレイプ殺人事件でもブカレストは危険地帯だから行くなと言われてたのに聞かずに行って実際にレイプ、酷いのは現金も盗られた上殺害されてる。彼女が最後に残したツイートも非常に興味深い。あれはレイプ犯も悪いけど、危険意識がまるでない女にも原因があるんだけど、マスメディアや世論はそういった原因には目を瞑りがちだよね。ま、桶川ストーカー事件の例もあるから仕方ないのだろうけど。
昨今は男性優遇社会というより女性優遇の方が顕著じゃないかな。
例えば、痴漢撲滅のために女性専用車両なんてのが設けられた。このせいで一車両当たりの人口密度は明らかに増加した。特にラッシュアワー帯はね。
あと、女性車両の中でも平気で化粧したり弁当食べたりといった光景を見かけるようになった。一応電車内なわけだからああいう女性優遇みたいな事は逆に辞めて欲しかったり。
そうかと思えば、最近はそういうのが嫌なのか一般車両への女性占有率が増えてる気がする。女性専用車両って結局自意識過剰な一部の女性団体が自己満足のために作ったんじゃないかと思う今日この頃。
山形住み。
山形県には山形新聞っていう地方新聞があって、特色のひとつが、全国紙では扱わないような県内で起きた小さな事件事故を記事にするっていうのがある。
酒気帯び運転した。万引きした。配偶者を殴った。飲み屋で喧嘩した。
犯罪以外でも、登山中動けなくなって救助してもらった。熊に遭遇した。畑が焼けた。自宅の屋根から落ちて足を折った。自転車で転んで怪我をした。
さらに、事件が微罪で初犯だったりすると不起訴になるから、そのときには事件が不起訴になりましたっていう記事とともに、犯人の素性が再び晒される。
それは犯罪を犯す者に対するひとつの抑止力になるからそれはいいと思うけど、今朝の朝刊では、男が元カノの部屋に侵入して乱暴した暴行致傷事件の記事で、被害者の女性の年齢に加えて、犯行現場でもある被害者女性の住所が○市○町○丁目まで書かれていた。
東京なら○丁目の中に数千人もの人が住んでいるかもしれないが、地方の田舎なら町内人口密度はぐっと下がるし、周り近所見知った人ばかりの可能性も大きい。
警察がそこまで公表したから記事にしたってのもあるんだろうけど、レイプ被害者のプライバシー保護ってかなり問題があるんじゃないかとあらためて思った。
デモや集会の人数で色々と齟齬が出るのはいつものことであるけども…。
例えばミュージシャンのライブであるとかマラソンの参加人数を数えるのは簡単だ。
参加者は”一斉”に”一定の定められた区画内”に集まるのだからそれを数えればいい。
というより数えるまでもなく、チケットやエントリーの数を集計すればいいだけの話だ。
動きは流動的で何処から何処までが参加者なのかもはっきりしないだろうし、
いつ来ていつ帰っていくのかもやはりはっきりしないだろう。
そういうわけで、ああいうデモの人数集計なんて端から無理であるように思える。
というわけで、警察発表の”1万7千人”は一体どうやって数えたんだろうか。
まさか、何処かに人員を配置して野鳥の会的な数え方をしたんだろうか。
1万7千、と千の位まで指定しているのだから、それなりにちゃんとした
俺は福島の事故は健康面では福島市とかでも事実上無害で、除染なしに避難範囲をもっとずっと狭めて、食べ物の基準も緩和すべきと思ってる安全厨だけど、「普通に電気が使えるなら原発全廃」というスタンスは、原発推進過激派だと思う。
震度7の地震というけれど、福島は震度7ではなくよくある規模だったので、想定外なのは地盤調査では比較的地震が起きにくいとされてきた(原発の立地はそうなってる)とこで起きたことくらい。
そして、地震がどこでおきるかみたいなのは、地震学では研究されているけど、地震学というのは原子力工学と違い、まだほんとうの意味で実用的といえるほど、証拠をつんでいない気がする、これは気のせいかも。
「代替エネルギーがあり普通に電気が使える」なら地球上の誰もが原発全廃に賛成するよ。だってあれは半永久的に危険性が残る放射性廃棄物があるから。
そもそも、原発がこの程度の事故を起こす可能性が一応はあるなんて、気のきいた人間なら誰でも知ってた。原発神話は土地神話と同じ、そもそもバカしか信じてない。いまだとひょっとすると年金神話か。
原油は、このままでいけば50年で枯渇するとされている。これは現在の技術で取れる範囲の話で、どんどん広がっているが、新興国も急速に発展するし、せいぜい数百年しか持たない。地球は十億年単位、人類は数千年単位の歴史を持つ。
その上政治的や投機的に価格が変わるリスクも高い。化石燃料はメタンハイドレートを含めて本質的に同じ。
水力・風力・地熱は、あまりに非力だ。これらは立地がかなり限られていて、ものすごく大ざっぱに言えば国土面積に発電量が比例すると言えるかもしれない。人口密度も電力使用量も大きい日本には、よそのようにこれでまかなうなんて無理。
太陽光は、採算性が悪すぎて、ほとんど補助金でやってるようなもの。昔は「最初は補助金で技術開発を促進して、強大な企業が育てば国益にかなう」と各国が夢みて莫大な補助金を出したが、しばらく結果がでず下火になった。
バイオマスは、太陽光と同じ道をたどるのではないかと言われている。
あと何があったっけ、波力は実用化もむずいし非力なので問題山積。宇宙太陽光はどの方法にせよ原発よりずっと危ない。
いま遠くのしまで原発たくさん作ってその電気で燃料を生成するとか思いついたけど、現状では効率が一桁以上足りないはず。
もちろんこういうときはたいてい奇跡がおきてくれるものだ。だからといって、科学者がどうにかしてくれる!!!という人は、原発も絶対安全にしてくれると思ったほうがいい。
原発はそれくらい昔から研究されてて、結果が積み重なってて、自然エネルギーとは蓄積が全く違う、
それでも事故ったんだから、自然エネルギーにも過剰な期待はバカらしい。
個人的には、手始めに3兆円くらいの自然エネルギーの研究開発基金を作ればいいと思ってる。いきなり研究費増やしても、研究者を一気に増やしたりできないし、無駄になってしまう。
そこで必要なだけ長期的に配分し続けられるように、基金にしてほんのすこしずつ使い、いざとなったら一気に使えるようにもする。多少の無駄遣いは出るけど気にするな。
ちなみに、科研費はあらゆる分野の総額で一年に数千億円くらいだったはず。これに比べると3兆円は膨大なので、優秀な子供はみなポストと夢と金を求めて自然エネルギーにくるであろう。
一方で、今回の原発事故の被害額が25兆くらいというのは、よくニュースでやってるだろう。額は違うかもしれないけど。
ちなみに俺はこうなってもいまの仕事上の得はないよ、万が一実現したら転職して利権食べたい気はするけど。
話を戻そう。
原発のリスクは、事故だけでなくテロや軍事攻撃にも注意しなきゃいけない。減速材でも投げられたらどうするの?非現実的だというなら自衛隊はいらない。
それに、原発の被害で重大なのは、ブランドの毀損と心的外傷後ストレス障害。心理的な効果をなめてはいけない、科学者やSTSの連中やマスコミ関係者がそれなりに努力しても、防ぎきるなんて絶対不可能。
あと核兵器は、全廃主義の人多いけど、一部の人にとっては、電力より大切だから、利便性と危険性を比べると必要なんだよきっと。
それから今回の原発事故は、あきらかに想定内。そんなこというと怒られるからとぼけてるだけ。俺ですらすぐ危険性には気がついた。
一方でダム決壊とか火力発電暴走とかは、起きる可能性は原発事故より低いし、おきても被害少ない。発電量あたりでみても多分そうだと思う。
というわけで、国民がてきとーに印象で決めて、自然エネルギーがうまくいけばラッキー、無理なら超節電で我慢しよう。これは案外合理的。
根拠は全部省いて、(推測もわりと含む)事実だけ書いたけど、具体的にツッコミがあればみなさんどうぞ。単に安全厨乙とか中身のないのはスルーします。
東京の持ち家率が低いのは土地がすくない、人口密度ゆえの現象で土地があまりまくって家も安いはずの北海道とは違う
(札幌は政令指定都市だが、昼夜人口に殆ど差がなく、郊外から通勤という図式も弱く、殆どが札幌市内から通勤している。東京のように札幌市内がぎゅうぎゅう詰めというわけではない。札幌以外はむしろ過疎で、家などいくらでも余ってる状態。)
北海道は東京のような都市型経済ではないのに一人暮らし率も非常に高い http://todo-ran.com/t/categ/10028
つまり高齢になるまで所得が低く、ろくな貯金もなく、安アパートにすんでいるような一人暮らしが多い
結婚してもお金がないから共働きで子供を作らない家庭が多い http://todo-ran.com/t/kiji/12058
持ち家率があがるわけがない
生活保護 http://todo-ran.com/t/kiji/11767
貯蓄額 http://todo-ran.com/t/kiji/13118
北海道に移住したくてくる人なんてとても少ないよ
きっかけは些細なことで、本屋で大阪弁について書かれた本を立ち読みしてたら、大阪出身である著者は若い頃東京の大学に入ったとき東京の言葉が気持ち悪くて全く馴染めなかった、みたいなことが書かれていたこと。「東京の言葉が『標準』で関西弁はじめ地方の言葉は『訛り』」みたいな感覚が当たり前だったから新鮮だったし、興味を惹かれた。
それ以来東京弁という言葉についてなるべく先入観抜きで考えるようになったんだけど、いつの間にか「東京弁ってなんか田舎臭くないか!?」という疑念が膨らんできた。反対に関西弁にはなんだか都会的な雰囲気を感じるようになってきた。
なぜそう感じるのか、その理由について自分なりの仮説を書いてみたい。
関西弁は基本的に、その時代時代の都(平城京とか平安京とか)の言葉が周辺に伝播するかたちで形成されたものだと思われる。当時は大都市というのは首都ぐらいしかない。つまり都市の強い影響の下で形成されてきた唯一の日本語なのではないか。
言葉は常に変化するものだけど、都では代々都市で暮らしている人たちの生活感覚の中から生まれる、都市生活者の感覚にマッチした表現が定着していくし、そうでない表現はすたれていく。たとえば、人口密度の高い都会ではコミュニケーションにトゲがない方が都合がよい。だから言葉のサウンドが柔らかくなる。東日本でいうところの「じゃ」「だ」のような音は関西では子音や濁音が省略されて「や」になっているし、東で「〜っつって(と言って)」「買った」というところを西では「〜ゆうて」「こうた」というように、やはり子音や促音が避けられ、半母音や長母音になる傾向がある。この方が音の響きとして角が取れているし、反対に関東弁や東北弁はゴツゴツしていてがさつな印象を与える。
あと、直截的に表現せず、遠回しに伝えるやり方(「ぶぶ漬け」が実話かどうかはおいといて、ああいう話はその象徴だと思う)が発達するのも同じ理由かも。村上春樹(関西人)が雑誌のインタビューで「関西の人は十言いたいことがあったら五、六ぐらいだけ口にするけど、東京の人はそうじゃないからはじめはびっくりして、なんだここは、とおもった」と言っていた。
で、一旦「東京弁が標準」っていう思い込みがなくなって、「東京弁というのは単なる関東方言のひとつで、言葉それ自体に都市性が含まれてる日本語は関西弁くらいしかない」ぐらいの認識になると、「おめーふざけんじゃねーよ」「これまじすげーじゃん」とかいう東京風の言い回しがやたらダサく田舎臭く聞こえてきて困る。でも東京にしか暮らした事がないから東京弁喋るしかない。
では、世界最大の大都市であった江戸の言葉もなんらかの「都市生活的要素」を含んでるかというと、結果としてそうなったとは思えない。江戸の言葉がそうなったのは、逆説的だけど江戸が世界最大の大都市だったからだと思う。京都が中世の都市なら江戸はまあ近代都市というか、地方から人が流入して人口が爆発的に増えた。つまり、都市生活者が新しい表現を生み出し、その表現が定着して行くよりも遥かに速い勢いで、地方の農村から人が移住して来てめいめいが地元の言葉を持ち込んだので、結果として都市的な性質を獲得する事はなかった。そしてその流れは東京遷都と高度成長でさらに加速された。東北関東甲信越から農家の次男坊三男坊が大挙して上京してきたから。
東京は物質的には巨大都市だけど、言葉の文化でいうと「巨大な農村」なのかなと、そんなことを思うようになった。だから関西人がテレビで無理して東京弁喋ってるの見ると、なんだか妙な気分になる。わざわざそんな田舎臭い言葉、使わなくても。
http://anond.hatelabo.jp/20110710134838
http://anond.hatelabo.jp/20110709015539
http://anond.hatelabo.jp/20110710113156
勿論その点は責められて然るべき。ですがチェルノブイリと違って避難が迅速に行われた結果健康被害が回避できたことは無視できませんよ。
それは同心円での避難。あれだけの事故でただの「一律避難」さえさせない政府はさすがに先進国と言われる国では有り得ないのでは?
またチェルノブイリでの避難区域より高い放射線があるところでも、避難区域になっていない場所は結構ある。国土が狭く人口密度の高い日本ではチェルノブイリの様な非難をさせることは難しいとはかねがね指摘されていたけれど、全く検討されはしていなかったと思う(なんら準備されてなかった割には避難など良くやったとは思うけど、準備があればもっと上手く行ったはず)
しかしそうなった理由に、「ナイーブ系反原発派」があることを無視してはいけませんよ。
でも「ナイーブ系反原発派」はフランスにもいるのでは?というか世界中にいそうな気がする。
増田氏が上げた「今回の事故は「チェルノブイリより何倍もひどい」とのたまったヘレン・カルディコットさんは
日本の原発にだけ発言してフランスの原発では何もナイーブな事をいってないとは、私にはとうてい思えないけど。
フランスでだって「ナイーブ系」は騒いでいるでしょう。それでも仏政府は訓練をし、ヨード剤を各戸配布している。
「ナイーブ系反原発派」の存在を日本がそれをしなかった理由には出来ないと思う。
その通り。マスメディアが「原子力村」に乗っ取られていたのが嘘であるというよい証拠ですね。
私はマスメディアが乗っ取られているから「何も報道されない」などとは主張しない「反原発派」です。
事故前から私が見聞きしてきた「反原発派」は増田氏の主張とは違いまともな事をいう人々が大多数でした。
もう一度いいます。ナイーブ系の極端な主張をもって全ての反原発派の主張と表現するような、「極端な例の一般化」はやめませんか?
推進派の論法が「事実」として正しければ使っていけない理由などありません。
でも使用者側が規則を無視したり、危険を無視したら「使わせられない」ですよね。
更に言えば、政策として原発を推進するにあたり国も使用側の不正に荷担している状況を
非難することは当然だと思う。
小出助教の主張も、私がYouTubeでみた範囲では、今ある原発の構造上の問題も指摘しているけれど、
そもそもあなたの言っていることは「政府・東電の安全対策は『不十分』だった」という話で、それは実際正しいのだから「欠けていた部分」を批判すればいい。
そして更に、
http://anond.hatelabo.jp/20110709214635
で増田氏が書いている様に
技術的な主張として読む限り、実はこれは誤りではありません。
と考え、その点だけに誤りがないことを元に、それ以上の可能性を決して考える事をせず、当然やらなければならない措置さえとらない
原子力ムラの対応を、「『安全神話』に寄りかかったもの」と呼び、
そして増田氏が判りやすく書いたとおりの結果になった。
福島第一発電所1-4号機で「停止した原子炉の冷却」ができなかった理由は、やるべきことをやっていなかったからです。具体的には「非常用所内電源」を安全な場所に設置していなかったからです。
そうなんだよね、そこが焦点だよね。
生態系が云々、害獣駆除効果は云々、みたいな話なら、俺のいうプランで実験的に行えばそれでいいと思うんだ。
うまくいけばよし、いかなくてもすぐにもとに戻せる、みたいな感じでできるから。
それに、どっちになったって、学術的にはおもしろい。
だから、増田さんのいうとおり、最後の難関が、というか、不確定要素になってしまうのが、人への身体的、経済的被害なんだよね。
どの程度の人口密度の地域にどの程度の個体数ならいいのか、とか、どの地域なら問題なくできるのか、とか、そういう調査がすごく重要になるよね。
または、どうせGPSタグつけなきゃいかんと思ってるし、それを元にオオカミ注意報みたいなのを放送する、とかもひとつだよね。
まあ、いろいろ問題はあるけど、綿密な調査と対策を練れば、オオカミ放逐のできる地域もあると思うんだ。
わかんないけど。
つまり、俺がいいたいのは、生態系が云々みたいな話は、予算さえつけば問題が起き得ないように解決できるんだから、
もうちょっとクリアしがたい問題について話し合えばいいじゃん、って思うってこと。
そして、オオカミ放逐、可能であったら面白いし、いい実験だと思うよー。
外来種による生態系破壊危惧派にとっても、繁殖力のない個体のみを放す実験によって、外来種がどう遷移していくのかってデータもとれるかもだしね。
反対するのは簡単だけど、安易な賛成と同様に、安易な反対も大事なものを得る可能性をつぶすと思うんだよねえ。
みんながあげてる問題点って、ほんとうに解決しがたいかを考えてほしいかな、って思う。
で、どんどんディスカッションしれ。