はてなキーワード: ボードゲームとは
そこまで自己分析できてて、結論として知り合いを増やすしかないとわかってるようなので以下マジレス。
1つ目 サークルに入る
社会人で大学のサークルに入ってきた人の受け入れ経験あるけど、出しゃばらなければ全然大丈夫だと思われ。
何で3年から入るのかとか聞かれたら、「コロナ禍が落ち着いてきたからそろそろ良いかと思った」くらいに言っておけば良いだろう。
興味を持てないなら、興味を持てるサークルを探し出すか、逆に飲みサー・ヤリサーみたいなのに入る手もある。
ただ、あなたはそういうとこのノリに向いてなさそうだから、具体的に何かやるサークルの方が良いと思う。
暇つぶし程度にこれやってもいいな、程度のサークルを探せ(あるか知らんけど、例えば囲碁とか将棋とか、ボードゲームとか)。
2つ目 彼女を作る
普通に彼女がほしいです。恋愛経験がないので、どうすればよいのかわからない。マッチングアプリを始めようかと思っています。恋愛経験者の方、ぜひアドバイスをお願いします。
の2点にほぼ集約される。
ナンパはやる気があるならチャレンジしてみると良い。成功体験談的なものもネットにあるが、要するに100人とか200人とかナンパしたら声かけノウハウとかが自分の中で蓄積されてきて成功率上がってくるので、いつか成功するという話である。
集団でなら遊んだり飲んだりできる女知り合いができたら、その全員に対して優しく丁寧に接しろ。数字は適当だが、そういう知り合いが10人できたら、その内3人くらいとはごく少人数でも遊んだり飲んだりできるようになる。
1対1でも出かけられるようになれば、それはもうデートであり、付き合う手前状態である。
なお、そういう知り合いを作る手段として、まず他人と接する機会を増やす必要があり、具体的には自分で言ってるとおりサークルとかバイトになるであろう。
お節介で申し訳ないが、恋をしたいのか彼女が欲しいのかは自己分析しておく方が良い。
寂しさ解消として彼女が欲しいのであれば、「自分的には大して好きじゃなくても相手が自分を好きならOK」としておく方が良い。
マッチングアプリは無料の範疇でまず何かやってみろ。大して手間もかからない。個人的な経験では、金をかけてまでやるもんではないと思う(ゴリゴリのスペック重視、自撮り加工力重視市場なのと、詐欺業者が多すぎて割に合わない)。
3つ目 バイトをする
1回面接を受けて落ちてしまったのでやる気になっていませんでしたが、バイトで寂しさは解消できますか。バイト仲間というものが手に入るのは大きそうです。
バイト仲間というか要するにそれは一緒に遊んだり飲んだりできる知り合い以上を作りたいということだよな?
「他人と接する機会を増やす」という意味では、さっきも言ったが、バイトはやっておいて損は無い。金も貰えるし。
同世代の人間がたくさんいる職場を狙うならファーストフード、ファミレス系になるだろう。
ただ、バイト仲間と仲良くなれるかどうかは当然あなた次第なので何とも。そういう意味で上手くいかなくても仕方ないさという割り切りは必要になるだろう。
まず趣味といえる趣味がないので、それを作るところから始めないといけません。あ、旅行は好きです。趣味ありました。旅行の友達とか作れますか。どのように探せばよいのでしょうか。twitterとかinstagramとかはてな匿名ダイアリーとかですか。
あなた、バイトもしてないのに旅行が趣味なん? 実家がめっちゃ太い系? それとも釣り投稿だった?
https://togetter.com/li/1875961
「ご家族と一緒に、来院してください」
そう呼び出されたときには予感はあったのだ。
俺には「家族は母しかいないので、一人で聞きます」としか言えなかった。
看護師はそれでも、優しい声で、兄弟や親戚などはいないのか、と尋ねてきた。
もう、この電話だけで、俺の身に何かが起こっていることはもう、明らかだった。
「余命は、1年だと思ってください」
そう告げる医師の言葉を聞いたとき、頭をよぎったのは母の事だった。
母が、暮らしていけるようにしなければ。
時間が無い。
でも、余命のことなんか、言えるはずも無かった。
それでも、母に施設に入って欲しいと懇願すると、素直に従ってくれた。
仕事は、やめた。退職金が出た。
その金と貯金があれば、母は一年は暮らせる。
そして俺が死ねば、保険金が出る。
それをあてにして、お金はかかるが、よい施設を選んだ。
余命を宣告される前は施設なんて考えられなかったが、これは良かったと思う。
施設に空きが出来たと言う連絡があった。
いよいよ母が施設に行く。二人暮らしも終わる。
新しい部屋、新しい施設。
また会いに来るから、と言い残して立ち去ろうとする時に、母が手を握って言うのだ
母は、俺が結婚するから、自分を施設に入れるのだと思い込んでいた。
「幸せになれ」と。泣きながら言う。
ちがうんだよ、そうじゃないんだよ、ああ、あの人は施設の事を相談してただけで、仕事が忙しくなったからさ。またくるよ。
空っぽの家に帰る。
余命を宣告されて、初めて泣いた。
ぷつりと糸が切れたように動けなくなる。
からだが思うように動かない。
家を片付けなければいけないのに。動けない。
車をぶつけて廃車にする。そこにもし誰かがいたらと怖くなり、車の運転を諦める。
思ったより医療費が嵩む。
このまま長生きしたら、俺が死ぬまで母の施設費が持たないかもしれない。
どうせ死ぬのだ。病院に通院する事をやめる。
医師に「別の病院にするので」と嘘を言った。
それでも母に電話をする。
話がかみ合わないことが増えた。
施設から届く手紙には、母の認知症が進んでいる様子が窺える。
ただ、俺を育ててくれた朗らかさは失っていないようだ。
もう20年も前に死んだ父のことを楽しそうに話している。
こいっそこのまま、何もかも分からなくなってしまえば、悲しませずに済むのかなと思う。
絶え間なく続く疼痛。
眠れない。堪えきれなくなる。ひとりのたうち回る。
何かが襲ってくるような、幻覚を見る。
スマホでアニメを何度もみる。なんどもなんども見る。
ついに、堪えられなくなって、医師に電話をする。
白状すると、何故早く相談してくれ無かったのかと、泣きながら叱られる。
救急車で入院。
ああ、これで腐乱死体にはならないで済むな、とか変な事を安心する。
もはや、処方された痛み止めは聞かないらしい。
それでも痛み止めがあたまをぼんやりさせて、自分が自分では無い気がする。
痛くて痛くて、堪えられなくなる。
暴れたいのに、体が動かない。
医師に、これから強い薬を使えば痛みは取れるが、もう目は覚めないだろうと言われる。
使って欲しい、と懇願する。
頭には、母の事がよぎる。ああ、とんだマザコンだな俺は、一生直らなかった。
それでも、また母の子どもに産まれたいと思う。
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剣の稽古中、兄に頭を殴られた俺は、俺が前世の記憶を思い出した。
俺はたかし……じゃない、アルビ……?
お屋敷に帰ると、そこにいたのは若い頃の母にそっくりな……あれ?
『お母ちゃん?』思わず口をついたのはガイアディア語じゃなくて日本語。
『お、お母ちゃんって、あんた、まさかたかし……?』(CV:沢城みゆき)
俺のマザコンは、死んでも直らなかったのでした(笑)
・ボードゲームのルール、一度説明を聞いたくらいでは覚えられない
・わりとセリフの多い漫画(ゴールデンカムイなど)を読んでいると途中で読めなくなってくる
・TOEICや英検などのリスニングパートで、聞く、問題文を読む、正解を考えるというマルチタスクをすると何もできなくなってしまう。ちなみに英語は完全に聞こえているし、理解できるレベル
・下手の片付けをしていると判断の多さ疲れて途中で何もできなくなる
ポンコツの理由がわかってなるほどという感じ。ADHDだから〜ではなく、ADHDと呼ばれるグループによくある脳のタイプをしているから、と考えている。障害だから云々という話ではないし、だから同情とか配慮を求めたいとかではなく、単純にポンコツなのにも脳に理由があっておもしれなみ脳科学やべ〜という感じ
https://twitter.com/hiro_tyun/status/1513629505373437953
別にこの体験談は体験談でどうでも良いんだが(外国人ってどこの何語の何文化の何歳の誰だよとか突っ込み所はあるが)
まあリプ欄が地獄だよ
特殊なルール下のたくさんあるプレイの中の一例でしかないエピソードを拡大解釈して
「このエピソードを道徳や社会の授業で扱うべき!」とか「日本もこれを見習え!」とか言ってる
なんか見覚えあるなと思ったら、
「ボードゲームの「フンタ」を教育に採用して、子どもに政治について学ばせるべき!」みたいなこと言う奴度々いたじゃん
あれみたいな、自分の趣味が教育や世界情勢に通用すると思ってる連中
いや、ディプロマシーでもフンタでも、ボードゲームでもコンピュータゲームでも、教育に採用されてる例はたくさんあると思うよ?
でも軍オタみたいなのが想像するような「他人から徹底的にむしり取るために」「冷徹なゲンジツを知らしめるために」みたいな用法や教育をする国なんてどこにもないだろ
そういう奴らがやりたいのは部活とかでだらだら遊んでルール慣れてない下級生相手に無双してーみたいな妄想だろ
それに海外に行った時の値切りの体験談とかでその国の「民族性」が分かった様なことを言ってる連中も大概にしろって思うわ
お前らは原宿や秋葉原だけみて、商売の人間と話しただけで日本分かった気になるか?
そろそろ旅行もできそうな気配が出てきたんで宿泊先で楽しめたらなとラインナップ
■2人用
・クアルト
丸い四角い、高い低い、白い黒い、穴ありなしの分類で16個の駒をお互い置きあう
どれか一つの種類を1列揃えたら勝ち(例えば丸いのだけとか低いのだけとか)
ボードも駒も全部木製なので少々重い
色が5種類、1~6の数字が書かれた駒がある
お互い4つずつ持ってスタートして3×3の自分のエリアに1つ置く。置いたら新しいのを一つ引く
一つの列に相手と自分の駒を3こずつ置かれたらポーカーの役で勝敗を決める。先に2列買った方が勝ち
引きを期待して強い役を作りに行くか手持ちで確実に役を作りに行くかが悩ましい
■3人以上
・オートリオ
大きさの違う〇を3×3のマスに置いていく
同じ大きさで1列、同じマスに大中小、大中小で1列並べられたら勝ち
シンプルだけど奥が深い。というか他人のリーチにいかに気づけるか、自分のリーチすら忘れることがある
場にある1~10、-5~-1のカードを取り合ったり押し付けあったりする
カードを取れるのはもちろん一番大きな数字を出した人なんだけど、他に同じ数字を出した人がいるとその数字は無効になり次に大きな人が取る(マイナスカードは逆)
他の人とのバッティングを避けるか思い切って全力で取りに行くかを考え始めるとキリがない
・もっとホイップを
丸く並べたケーキ(タイル)を人数分切り分ける。自分の隣から取り始め、最後は自分が取る
ケーキにもいろいろ種類があって、各人が欲しがるケーキを見極めながら自分の欲しいケーキが残るように切り分けるのが悩ましい
・ザ・マインド
協力はするけど会話もサインもだめ。誰も出してこないって事は・・・俺?みたいな感じで出す
うん。
でもゲーム、娯楽としての楽しさにおいてはプリグラが圧勝していた。
何が違うってキャラクターを集めるっていう楽しさの完成度が違う。
他のオートチェスのキャラはあくまで狙った構築を完成に近づけるためのパーツ集めとしての喜びしかない。
でもプリグラはどのキャラを買っても可愛い女の子を仲間にするという楽しさがある。
モーションも凝ってるし戦闘中のスキルもそれぞれに可愛らしい個性が出てる。
でも他のオートチェスは違う。
単なる有電源のボードゲームの駒以上のことをしてくれない。
それはまるで将棋のコマがそれぞれに定められた方向へと直進することしかしないような無味乾燥な機能だ。
その点においてプリグラは全く違った。
そもそもをして我々がテレビゲームに求めてやまなかったのはキャラクターだ。
いや、テレビゲーム以前から我々は、ドワーフやエルフや探検家やコズミックホラーや探偵に憧れてゲームの卓を囲っていた。
だがその憧れはいつからか冷めていき、気づけばそれぞれのキャラクター性はその駒の機能をビジュアルで表現するための機能だけを持つものになった。
筋骨隆々のドワーフの戦士はその耐久力を意味するだけのアイコンになり、人型の風光明媚といえるエルフの美女は高い魔法攻撃力を象徴するだけのモチーフと変わり果てた。
だがプリグラはそんな世界から我々を再びキャラクター遊びの喜びへと引き戻してくれた。
勝ち負けを通して自分の頭の良さを表現したいなら数学オリンピックにでも出ていればいい。
そしてプリグラにはオートチェスのチャンピオン達が集っている。
最高のオートチェスだ。
間違いなく
やってること朝鮮戦争と同じじゃね?
アメリカがウクライナに武器を配るのって、国際的なモラルとか正義とかじゃなくて単に自国にメリットがあるからじゃん。
・支援としてお金を出しましたよ感が出せる(≒人道的な支援に回すお金を多少ケチっても許されそうな流れを引き込む)
そりゃまあ武器を買うお金があって、殺したい相手がいるならこうやるでしょ。
単純に人の命の価値を0点で計算するボードゲームだと考えても、多くのプレイヤーがこの選択を取ると思う。
アメリカがウクライナを支援しているのは、ロシアが敵だからじゃん。
国際社会の、ではなく。
俺はね、これについてはちょっと怖いなと思うよ。
アメリカがそうやって武器をばらまいて殺し合いを加速させているのがまず怖い。
次に怖いのが、そうやって他国の兵士に敵国兵士を殺させているのが、正義のもとに行われている支援とされていること。
どっちも同じように怖いよ。
これについて「うっしゃー!!ロシア死んでるwwwwwざっこwっw」で楽しそうに眺めている人達がちょっと信じられないよ。
日本という国の立場だけを考えれば、ロシアがボコボコになっておいてくれないと困るのは事実。
でもそれとは別に、アメリカがウクライナに武器を流しているということに恐怖は感じてしまうよ。
「日本くん。この核ミサイル入りの戦艦をプレゼントしちゃうね。使い方は任せるよ。あっ!北方領土からロシアが攻めてきてる!ちょうどいいタイミングで核ミサイルのプレゼントが間に合ったね^^良かった良かった。使うかどうかは任せるけどね^^」
こんな日が、……「数年後には来るかも」と書き込もうとした瞬間に気づいてしまった。
「数日後には」と書いたほうがいいような状況だってこと。
ヒンヤリするぜ。
この時代はよ。
マーダーミステリーとは、ミステリとTRPGを融合させた全く新しい体験型ボードゲーム。
ゲームによって与えられた役を演じ勝利条件を満たすためにお互いを出し抜きあう最新型のロールプレイングゲーム。
逃げ切りたい殺人犯・真犯人を探す探偵・探偵を出し抜かねばならない警察・どさくさに紛れたい盗人・時効が迫った過去の事件の犯人黒幕とも言える殺人教唆犯・特ダネ目当てのジャーナリスト、そして盤面の管理者ゲームマスター、それぞれの役割が与えられそれぞれが目標を目指す。
与えられたトリック、埋め込まれたギミック、プレイヤーはみなエゴイスティック、それぞれの結末がドラマチック。
紙で読んで探偵に先を越されて、犯人と作者だけが知っている情報に踊らされる時代はもう終わり。
テレビ画面の向こうで続けられる推理「わかったぞ。謎はすべて解けた」解答編で突然出てくる最後の証拠、そんな馬鹿げた謎解きが有るか。
全ての手札は与えられている。
目の前の犯人との知恵比べがそこにある!
オープンリーチを知らない人がこの記事を読むとは思わないが、念のために説明すると麻雀のローカル役の一つであり、リーチ宣言時に手牌を全て公開することだ。通常のリーチは1翻役だが、オープンリーチは2翻役となる。
オープンリーチに賛成する理由として、麻雀の戦略性が広まることにある。例えば終局間際において、トップ取りなりラス回避なりでそれなりに大きな得点が必要な場面を考える。手牌が安くなってしまい得点のためにはあと1翻か2翻欲しい、というやきもきする経験は麻雀を打つものなら誰もが理解できるだろう。セオリーとしては2通りあり、たとえ向聴数が伸びても高い手を作るのか、リーチをして一発や裏ドラといった懸賞役に賭けるのかである。しかしながら前者の手段を取った場合は、手が遅く捨て牌から読まれやすくなりトップ目の他家にとっては有利に働くので、逆転の要素が小さくなり麻雀の競技としての楽しみも薄れることだろう。一方、リーチして懸賞役に賭ける場合でも失敗したら場がしらけることになる。リーチしてロン和了では点数が足りないので、ツモ和了のためにロン牌を見逃すこともあり得るだろう。こんなときこそ、ルールとして認められているのならオープンリーチがしたくなる。場が盛り上がるだけでなく、公開された手牌によってチー・ポン・カンの副露よりも牌の情報公開が増えて他家にとっても戦略性が増すだろう。このように、オープンリーチを認めることで麻雀の競技性は高くなる。
リーチという役は元々中国麻雀になく、緑一色や七対子と同じくアメリカで生まれた役である。聴牌したことの宣言・リーチ棒の供託・和了までツモ切りする、といったリスクを背負うリーチが生まれたことにより、競技としての戦略性が増したことは想像に難くない。さらに、リーチという役から派生して一発や裏ドラも生まれて、これまで競技に使われなかったドラ表示牌の真下の牌も使われるようになった。オープンリーチもまた同じく、リーチから派生した役として戦略性を高める役として普及してきたことだろう。
しかしながら、一発・裏ドラと違ってオープンリーチは現在主流になっているリーチ麻雀ではルールとして採用されていないのだ。せいぜいがローカル役として紹介されるだけの扱いである。
長い歴史を持つ囲碁や将棋の様なボードゲームと違い、麻雀は戦後の動乱期に勃興した競技なのでルールの確立にもさまざまな葛藤があったことだと推測できる。現在ローカル役として扱われてる役は、見た目などは華やかであるものの戦略性が乏しく、単に覚える役が増えるだけの煩わしい役といった類の役が多い。例えば、大車輪は役満として扱わなくとも高い翻数の和了になるのでわざわざ役満と位置付ける価値はないし、三連刻や四連刻も同様だ。一方で緑一色は、現在扱われている役の中で最もローカル役的な雰囲気の強い役と言えよう。牌色が全て緑でアメリカ人にとって縁起がいいからといった理由も、オールグリーンという英名が由来になっていることも、いかにもローカル役っぽさが漂う役だ。個人的には緑一色がローカル役に留まらず正式な役として認められているのは釈然としない。一方で七対子もアメリカ由来だが、4面子1雀頭という和了形の原則を大きく崩すものの麻雀の戦略性を増す良い役だと思う。ローカル役として最も有名な役として人和があるが、説明すると長くなってしまうしオープンリーチの是非を問う本題とはかけ離れてしまうので割愛する。
このように、ローカル役と正式な役との境目を考察してみても、オープンリーチがローカル役に留まっているのは残念でならない。オープンリーチの麻雀をやりたいのならば勝手にやればいいのではと言われるかもしれないが、雀荘でもネット麻雀でも採用されていないルールを身内だけで導入してもむなしいだけだ。
もちろん、オープンリーチの導入に対して反論もある。リーチには一発・裏ドラという偶発役がからみ、さらにオープンも加わると競技としての偶発性がますます高まり、麻雀としての戦略性は逆に下がってしまうのではないかという意見もあるだろう。しかしながら、囲碁や将棋の様な完全情報ゲームとは違い、そもそも麻雀は全ての情報が公開されない不完全情報ゲームである。伏牌の偶発性によって、初級者が熟練者に勝つこともあるのが麻雀の魅力だ。一発や裏ドラなどの偶発性を小さくした競技麻雀があまり普及してないことからも、麻雀には偶発性があることが好まれることの証とも言えよう。麻雀の発達とともに向上した点数のインフレをさらに向上するのではという意見もあるだろう。かつて、麻雀は満貫が最高点であり、清一色でも3翻しかなかったのだ。点棒も現在の100点棒・1000点棒がかつては10点棒・100点棒として扱われていたのだ。しかし、認められる役が増え、場ゾロ(バンバン)が常態化され、満貫で打ち切りだったはずの最高点が四倍満(役満)までにインフレしたのだ。こうしたインフレも麻雀競技者が望んだことでルールとして確立されたことだろう。それでも、オープンリーチを導入したとて単なるリーチに1翻追加されるだけなのでインフレがさらに加速するとは到底思えない。
麻雀勃興期の頃の麻雀団体は、進化し続けていくルールを確立していくことに苦労したことだろう。一方で現在の麻雀プロはただのプロライセンス発行団体になっており、麻雀の競技を普及するつもりはあってもルールを改定する気は無いのだろう。現在のルールを守り続けていくことはもちろん大事なことだが、ルールの改定が麻雀がより面白くなることにつながるなら一考の価値はあるだろう。オープンリーチを今すぐ正式なルールに採用しろなどと横暴なことを主張するつもりはないが、ローカル役の導入について意見を交わしたり試行するなどして、ただただ現在の麻雀ルールを盲目的に追従するだけの姿勢を改めてはもらえないだろうか。