はてなキーワード: ヒーローとは
小学5年の終わりに転入した小学校から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。
もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループもクラスカーストも全部持ち上がり。
けど、中学に上がる少し前に、カースト上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくカースト上位の子たちと仲良くなれた。
カースト最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。
途中でクラスに入った私立からの転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスはカーストが崩れかけていた。
そして、同じクラスになったカースト上位の子から無視されるようになったし、小学校から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。
家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。
私は一気にカースト最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。
そして、部活と塾にもその余波はやってくる。
小学校からカースト上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学校から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女の親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。
C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。
いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。
しばらくして、C子は別室登校を始めた。
同じクラスの元仲良しグループのメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。
私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後、彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。
けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちらが必死になって勉強してる間、ずっと保健室で手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。
つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。
あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。
E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険の先生だったかは覚えてないけど。
一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。
中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。
大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からはカーストが見えなくなった。
卒業間際に私は色んな人に謝られた。
「助けてあげられなくてごめんね」
「ひどいことしてごめんね」
中には、私が音楽の先生に推して採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。
けど、私が本当に謝って、理由を説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。
A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。
私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。
育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。
けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。
傍から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。カースト意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。
って言いそうだよ
叩いて音がするのと
音がしないのでは
音がしないほうが痛い場合があるなど
いわゆる殴り方も知らないのに、人を殴っちゃだめだよとか注意しちゃう
変な話だけど
だまってみている。ことがどれだけ難しいかという奴
これは危険でしょうか?
と聞く前に
これは悪いことであるという確信を得て僕はなぜ止められなかったのだろう って 断定して聞いているよ
のまえに自制心がはたらいて、何もしない。わからないなら、なにもしない
たすけてーとか人をよんでー
とかアイコンタクトもない
ただ悪ふざけをしていただけだとすると
わからないから、それを判定するだけでも10分は見ていることになって
殴るとは?殴られるとは
どのぐらいいたいのか?
なに!?プリキュア燃えてるの!?今週めちゃくちゃ良かったやん 良かった話するぞ
まず前提として、個人的にヒーリングっど♥プリキュアの一番の良さは、パートナーとの関係性の描き方が上手なところだと思っている。
地球を守りたいヒーリングアニマルたちの想いに応える形で少女たちはプリキュアになり、互いに支えあって影響し合ってこの1年かけて成長してきた。ヒーリングアニマルは自分たちの無力さに自覚的で、実際に戦う力を持っているプリキュアを想い支え続けてきた。プリキュアはそんな健気なヒーリングアニマルの手を取り、悩み迷いながらも大事なものを守るために戦ってきた。
で、今週はそんな一年の積み重ねがよく表現された、集大成とも言える回だったんだよ。
ラビリンの、自分の使命を気にしてのどかが本当の気持ちを言えずに悩んでいるのではという心配。のどかの、ヒーローとしてプリキュアとしてみんなを救いたいという想いと、病気はつらくて怖くてもう二度となりたくないという素直な気持ち。
自分の気持ちを言えず喧嘩もしたことがある二人が、いま腹を割って各々の気持ちを伝え合える関係性を築けたことがまずこの一年の積み重ねの結果だし、のどかのその気持ちを聞いてラビリンが「のどかは自分を一番に考えていい」って言ってくれた、その言葉でのどかは背中を押され、自分を大切にすることを決める力になったことは……もう……ラビリンとのどかのこの一年の関係性あってこその救いだし、双方の成長なわけじゃん。
そもそも我々だってのどかたちのことを一年見てきてるわけで。しかも私情を挟むといま病気で絶賛長期入院中。だからめちゃめちゃのどかの気持ちに共感してたよ。嫌だよ、自分が死ぬかもしれないって思うほどのつらさ怖さ苦しさが続く日々。二度と経験したくないよ。ヒーローなんだから受け入れなきゃ、救わなきゃなんてこと正直思えない。
そんな思いをしたのにダルイゼンのことであれだけ悩んだのどかは、自分があれほど大変でもいつも周りの人の気持ちを思いやって、つらいところを見せないように悲しませないようにって、もう書いてて泣きそうなんだけど、優しくて他人思いで、そういう子なんだよ。
そういう子が、自分を一番に考えてもいいんだって、ラビリンが言ってくれたからそう思えるようになったんだよ。成長と絆の集大成なんだよ今回は。
確かに「目の前で苦しんでる人を救いたい」って気持ちは正しいこと。でも、それよりも、まず何よりも「自分を一番大切にする」が最初でいいんだって、自分が苦しんでまで救う必要はないんだってこと。
それは本当に素直なメッセージで、ここで言いたいことなんだろうなって伝わってきた。
自分は世の中のいろんな人に会って、自分を大事にするのを上手にできない人は意外とたくさんいるんだなって思った。だからこそ、ここでこのメッセージをくれるプリキュアは良い作品だなと思った。痛い、つらい、怖い、苦しい、そういうのが嫌だって自分の気持ちを認めて、素直に言えることの大切さ。そしてみんながその気持ちを一番大事にしていいんだ。
こういう力強いメッセージをまっすぐにわかりやすく伝えてくれるから、こうしてプリキュアをいつまでも見ていたくなるんだ。大好き。
暴力系ヒロイン×正義を達成する主人公を逆にすると、「暴力男×正義心の強い女」になって
蹴ったり殴ったり暴言を吐くがたまに優しくしてくる暴力男を守る為に、傷だらけになって世界を守る、みたいな話になるし
大体のヒーローもの、力がない癖に口ばっかりの男が女によしよししてもらいながら、女が世界も女も守るみたいな話になっちゃうよな
あの発言が医療系ヒーローの物として問題があったのは間違いないと思う。
もしあの場にナイチンゲールがいたら「医は仁術なり。貴様は覚悟が足りない」ってブチ切れてたはず。
癒やしのプリキュアを名乗る以上は相手が悪人であろうが、ただ利用したいだけだろうが、救える命は救わなきゃいけない。
傷病兵は助けるべし、その兵士が治ったあとで誰かの頭を撃ち抜く側に回ることを知っていても、医者であるのならば救うべし。
その精神を持っていないなら医療系プリキュアなんて名乗るべきじゃない。
癒やしの精神より前にプリキュアは地球を守る使命を帯びた暴力装置であると主張するのなら、最初から癒やしの看板なんて掲げるべきじゃない。
右手に暴力、左に癒やし、その矛盾の果てに片方を投げ捨てるなら最初からそんなことするな失礼だ。
俺はそう思ったよ。
念の為断っておくが、当方は自己犠牲を礼賛する立場でもなければ、悪役に対しても性善説で接しよというつもりはさらさらない。
件のプリキュアにおけるメッセージはカギカッコ付きで「正しい」。
だからこそ大人として世界に向き合う責任と自覚を放棄した歪みがあると思う。
現在ツイッターでプリキュアおじさん(見る限りほぼ全員独身の高齢アニオタ男性)が
「もし本当に反省しているなら悪行をして笑ったりしない。
都合の良い時だけ私(主人公)を利用しないで!」
よく言ったこれでこそ令和だ正解だ画期的だ脚本ブラボーと褒めそやすツイートである。
この悪役が例えば映画版とTV版のキャラ違いを往復するジャイアンの如く、何度も何度も何度も何度も利用されて裏切られるを繰り返してきたならば、確かに悲しいけど仕方ないねと腑に落ちる。
自分のみならず世界人類全体に迷惑をかけていたなら、これも仕方ないけど自分ひとりで許すのも違うからわかる。
でも文脈上はそうではないらしい。(プリキュアの敵なので世界人類の敵であることは事実だが、伝えんとする意図は別にある)
命乞いから実際裏切られた、裏切られる可能性うんぬん以前に、丸1年間の放送でずっと主人公陣営を傷つけてきたボスに不快感を抱く事は間違っていないと全肯定する。
そして何より自分の心を守るために「お前が不快だから助けてやるもんかざまぁみろ」と堂々と拒否をする。
そういうある種の「人生n周目のループもの主人公が書き換えた正解の世界線」じみた、自分の繊細ハートが傷つく前に敵を殺れ!という心の防衛を至上とした完璧なる護身メッセージなのだ。
ヒーローだけど無理して全てを愛さなくていい。弱り目を承知で悪意をぶつけてやりたい憎い奴を憎んでもいい。そうやって自分の心を大事にしようと。
これに爽快感を覚えるのは基本的に自分を「つけこまれる側の被害者」と認識している人間と思われる。それでいてもろい自己を他者に守ってもらいたくて仕方のない人間だ。
おそらく自称つけこまれた被害者の彼らは思い思いに己の人生の闇をフラッシュバックさせて
勝手に「救われた」気分になっているんだろう。
散々陰キャの俺をいじめておいて、卒業間際あるいは問題化された時に、保身で都合よく和解を申し出てきた学生時代のイジメっ子。
イジメっ子が放つ軽々しい「ごめんね」の言葉に、事を荒立てなくない教師から許しを強要された思い出。
無能だと罵倒しながら、人手が欲しい時、辞めてもらいたくない時には急場しのぎでチヤホヤと引き止める嫌な上司。
もしかしたらアニメスタッフが現場のちょっとしたトラブルを思い出しながら書いていたのかも知れない。
そんな彼らを悪と断じられる程の信念や自己肯定感も持てず、うまく対処したくても出来ないフラストレーションを、「この叫びは陰キャの俺のものじゃない」「女児向け思想だから」と言い訳が出来る投影先のプリキュアに代弁してもらった、射精せんばかりの絶頂感。
そういう失敗陰キャおっさん達の泣きシコ汁に塗れたくっさいくっさいツイートだらけで鼻が曲がりそうだ。
でもな。
お前ら「人生あそこでやり直したかった」塗れのプレイ時間だけは長い低レベルプレイヤーには良心的な教えでも、まっさらな状態から人生ゲームをスタートする子供にはそれじゃダメなんだよ。
なぜか?
「自分を信じろ」「自分の心の声に従え」と言われても幼児~小学生位の子供には信じるべき自分が物理的に存在しない。まだ形成途中にある。まず目の前の世界と他者をありのまま認識する作業を経て、そこに存在する自分の姿を経て自我を形成するのだ。
児童本人の自主性なんてものはハッキリ言って幻想にすぎない(大人ですら固まってないのが山程いるのを考えればわかるだろうに)。
大人に出来るのは「子供が学びを楽しいと思ってくれる」「家族や友達を思いやってくれる」よう、監視の目を絶やさず巧みに線路を引いて神経質に誘導しながらも「君自身の意志で選択したんだよ」風を装ってそらっとぼけることだけである。
いわばチクタクバンバンの動く時計とマスをカチャカチャ動かすプレイヤーと同じ関係だ。
だから半ば幼児の情操教育が存在意義である幼児向けアニメは裏側にどれだけ深淵な設定を重ねようと、「メッセージ」だけはシンプルで単純で子供でも反射レベルで実行できる、主観を廃した絶対の指示性がなければいけないのだ。
(一部高齢オタクに幼児向けコンテンツマニアが居るのは、物語の綺麗事に対する絶対的信頼感と安心感、そこに含有される複雑怪奇な人間社会の闇を幼児にもわかるシンプルな言葉で解き明かす性質に魅了されているのだと思う)
なのに件のプリキュア見捨てエピソードは「悪人の都合の良い言葉で利用される正義ワイの心の痛み」とかいう、複雑かつ理解に経験則が必須で子供にとって一番アテにできない自我を拠り所に「相手から発せられた言葉の意味と反対の事をしろ」と言ってしまってる。
端的に言って複雑な無茶振りがすぎて処理落ちするレベルなのだ。
「先生やご両親の言う事を聞きましょう」という子供が生活するうえで必要な基本メッセージに唾を吐いて「いやいや、教師や親というだけで信じるのは危険だからやめろ。奴らの嘘集をあげるから悪い奴から身を守ってくれ」と言って
毒親やパワハラ教師の体験談を未就学児にプレゼントしてしまうが如き「余計なおせっかい」である。エルサゲートを見せて社会勉強になると言ってるようなもんである。
確かに現実はそうかも知れない。でも子供にいま一番必要なのは「世界をとりあえずそのまま受け入れて信じて自我を確立すること」なんだからお前らのしてる事は発育妨害でしかない。
まずありのまま信じさせてやれ。
大人が子供に出来るのは、子供に敢えて綺麗事を示して「安心して世界を信じろ」と断じる事だ。
自己護身のために「その時は悪い事を言っていない他者」を疑え警戒せよと煽る事じゃない。
わざわざ言葉の裏を疑えうんぬんと世界に不信感を持たせる事を言う位なら何のために勧善懲悪のキレイゴト物語のフォーマットを用いているのかわからない。
自我どころか言語認識すら途上で危うい子供には綺麗事を疑う事を前提としたメッセージ処理できないから、メッセージは「自分といったん敵対したからには悪は悪だからやつの口にする反省は嘘だ」になる。
小さなガキは四六時中間違いを起こすし、友達とは毎日ケンカと仲直りを繰り返すような生き物なんだけど、これ自分が悪役側になることだって充分あり得るのに、みんなが鵜呑みにしちゃったらどうなるんだろうね?
お母さんの無償の愛に甘えてイキって困らせてそうなオタクおじさん達は「プリキュア(俺)に我慢を強いる無償の愛を求める敵をよく倒してくれた」と言いながらウットリしてるけど、
悪役とされる側への寛容ってヒーローヒロインに犠牲を強いてる訳じゃなくて、自分がもし道を誤って悪役とされる側に堕ちた時の為の救いでもあったはずだ。
そういう可能性を僅かも考慮しない高齢オタクおじさん達は卑屈な陰キャのくせに、どうしてそんなにも頑なで自分は絶対に被害者のままで断じて加害者に回らないと言い切れるんだろう?
まさか自分が病んで追い詰められて道を外した時には潔く「僕は擁護のしようもないクズですううう」と叫びながら一切の救済を拒否して誰にも迷惑をかけずに腹でも切るのか?
なわけねーよなぁ?自分が僅かでも救済されるかも知れない余地があるなら見苦しく立場の一貫性もかなぐり捨てて縋りつくよな?正義のヒーローの犠牲なんか知ったこっちゃない、ヒーローなら俺をも救ってくれるはずだと。
そういう人間の業と弱さを認めて見放さずチャンスを与えることで、他者も自分自身も許せば楽になれるよというのがこの手のエピソードの肝だったはずだ。
「罪を憎んで人を憎まず」は無念を押し殺して涙を飲んで敵を許せという意味ではなく、人として自分も含めた人の業と折り合いをつける知恵だったはずだ。
他者への潔癖な非寛容は自分自身を縛って生きづらくするという事は、他ならぬポリコレ叩きのオタクおじさん達が嬉々として口にしている言葉だろうにな。
なんか、自分を大事にとか理不尽な犠牲の否定とかじゃなくてこういうものが生まれる根底に、陰キャキモおっさん目線の失敗を過剰に恐れる間違った完璧主義と「俺は被害者なので何があっても絶対に悪(加害者)に回ることはない」という勘違いと、
幼児向けアニメなのに高齢オタクである自分のためのものだと思って子供目線で想像しようともしない傲慢さ(女児向け云々はアリバイ工作の時に口にするうわべワード)が鼻につく。
そう言えば別の某アニメで「若い子供のうちは間違っても取り返しがつくことが特権なのだから、迷ったり悩んだりして動けなくなるくらいなら思い切ってどんどん間違えてみればいい」と中学生の子供にアドバイスした親がアニオタ達から結構叩かれていたのを思い出した。
これも連なる話なのかね。
コロナの魔術だよ。
だれにでもできることじゃないんだ。
みんなががんばれば
病院のベットが1つ多く開く。だまってやればいい。内緒だよ。正義のヒーローはこどくなんだ。報われないよ。だけど
ベットが1つ多くあく。その実感だけはお前にはわかる。
禁止にする理由は?人が死ぬという理由ならワクチンでも死ぬことは議論されているからワクチンも違法になるぞ。
煙草なんて、悪が吸うものだからぶっ叩いていいと思うけど、正義のヒーローとしては正義らしく正しい理由で合法的にぶったたかないと、自分が悪に成っちまうからな、やっぱりそこは重要
ツイステ5章後編2配信されましたね。
ライターのせいでルークとネージュがヘイトサンドバッグになってるのが辛い。
あの展開ならサンドバッグになるのが当たり前で擁護ができなくて辛い。
これはこの二人が悪いんじゃなくて展開が悪い、ネージュに対してはライターからの悪意すら感じる。
ヴィランがヒーローを打ち倒すと言うのはやっちゃいけないというこの世界のルールは分かってます。ディズニーではヴィランが勝っちゃいけないし。
でも示し方が最悪。
マジフト大会でNRCが負け続けているというのは理由がありました。
RSAはチームワークが完璧で、NRCは我が我がと自分ばかりで他人を顧みないスタイルだから。これは負ける理由が明らかですし、真っ当だから救いもある。
個人プレーが悪いとは言いませんが、ここで示された理由なら、ヴィランでも改心(皆で協力)したら勝てるチャンスがありそうで希望を持てます。
でも5章は?
私はVDCがダンス甲子園のような、本当にプロを夢見てたりする子たちが日々研鑽して努力をして優劣を競い合うガチの大会だと思っていました。
NRCがガチで仕上げてきたRSAに負けるなら、それは仕方なかった。
ヴィランが負ける世界という摂理に照らし合わせたとしても、こっちがしてきた努力を相手が上回ったのだろうという背景があるから納得できます。
でも結果は、ヴィランは真っ当に努力を重ねたとしても、ヒーローが同じ舞台に立って仕舞えば、それが例えパフォーマンスにすらなってない思い出作りのお遊戯会だとしても負けてしまうということを示されただけだった。
RSAが優勝しNRCが勝てないのは分かっていました。でもどうしてお遊戯会にした?
悪役が悪役たりえるのって悪いところがあるからでは?
真っ当に努力して、しようとした悪いことも未遂に終わってこの結末って何?
ネージュがお遊戯会で出場したこと、そしてルークの一票で負けてしまった設定にしたこと、そしてあのタイミングでネージュファンであることを明かしてしまったこと、それが本当に最悪でした。
けれど、それによって勝敗が決し、ルークを戦犯に仕立てあげるストーリーは一体誰が喜ぶのか分かりません。
原作忠実とか狩人の役目とか、まず示し方が最悪です。原作忠実の話が見たいなら原作見ます。
タイミングも内容も失望するしかできない事でヴィルとプレイヤーを裏切るのが狩人の役目なら、そもそもVDCに出ないで欲しかった。
重ね重ね言いますが、世界の摂理は分かります。ナイトレイブンカレッジに所属してる時点で正義には勝てません。
彼らには悪いところがあり、だから勝てない。