はてなキーワード: かなっちとは
同じ業界の仲間で面白い人がいる。フリーランスで仕事をしている。
すごく優秀、とは言えない。
立派な肩書を持っている、わけでもない。
人気者、、とも言えない。
金持ち、ではないな、たぶん。
専門職としての勘はかなりまともな人。つまり社会に害をなす人ではない。
見てくれは、悪くない。質素だけれど、なかなかおしゃれ。
非常に面白いなーと思うのが、この人自身があまり何もしない人なのにまわりが仕事するっていう事実。
人を使う天才。
なぜかこの人が困っていると誰かが助け舟をだして何とかなっちゃう。
助け舟を出すというよりは、「誰か助けてよ」って言って、「はいよ」って誰かが助けちゃう。
助けた人は得するわけではないです。
普通こういうパターンっていつか化けの皮がはがれて終わると思うんだけれど、
それがなかなか終わらない。
なぜだ?と考えていた。
いくつかわかったことがある。
1)狙ってやっているわけではない。たぶん自分で出来ると思ってやっている。
2)人との距離感が特徴的で、ちょっと迷惑だなっていうぐらいの距離に近づいてくることがある。突然遊びに来たり。ただし、ヒットアンドアウェイ。すっと近づいてくるんだけど、そのあとは近づいてこない。
3)いろんな事で困っているようなんだけれど、会話の中のキーワードが絶妙。あとちょっと手助けすれば出来るんじゃないの?感がプンプン漂っている。
5)もちろんお礼は言うんだけれど、褒め方が絶妙かも知れない。すなわち、「あなたのエロさが素敵」みたいなお礼の仕方をする。ここが一番の特徴かもしれない。
6)それが出来るという事は、つまり人の普段の会話を良く聞いていて、その人のエロさがわかっているということだ。(ちなみにエロいと言われた人は偉い人で、エロいことは言わないんだけど)
7)ちなみにFacebookなんかでは、過去発言は全部読んでおくらしい。
ちょっとわけあって大学受験関連のアレコレをしてる。詳しくは当然書けねえ。
日本の未来を背負って立つ若人にこんなこと言うのもアレだが、キミらの行く先は、まだ学歴社会よ?
雑すぎるから補足するとな、日本は複数のレイヤーが重なって出来てる。
同じ国に住む同じ人達だと思ってるだろ?殆ど同じ人種だし。でも違う。
はてブで良くバカにされてるDQNとされる金髪のヤンキー上がりも、同じ日本に住んでるが、見てる風景がまるで違う。
日本の建築土木ってのは世界でも有数だから、当然現場作業員のレベルにもトンでもない差がある。
だから、単なる工事現場のおっちゃんでも、その世界で屈指の技術者だったりする。
長えトラック転がす運ちゃんも、家建てられるくらい稼ぐしな。もちろん逆もいる。
美容師になりたい料理人になりたい、植木屋になりたいんだって人は、その道に進んだ方が良い。
どの業界が先細りとか、未来を見通せたらこんな時間まで仕事しちゃいないさ。
だから、電気工事に生き甲斐を感じそうなら、専門学校に行くのは悪い道じゃない。
少なくとも「稼ぎ」に直結してる進路先なら、どんなことになるのかは調べるだろうからな。
ホワイトカラーを目指しつつブラックは嫌だなあとかちっとでも思ってるならな、
悪いことは言わないから、MARCH以上に入って下さいお願いしますから。
もー、正味な話、進学校じゃないならすぱっと遊んで浪人した方が良いと思うよ俺は。
なんでかっていうとな、まあぶっちゃけ旧帝大と比較すると、専門行った方がマシな大学ってゴロゴロしてる。
いや、俺だってわかってるよ。高校生とかあんま将来のこと真面目に考えてないってのは。
「東北大学の宇田先生の所で、結晶の研究がしたいんだ!」とかいう高校生が超レアで、カードだったらたぶんホログラムレベルってのは判る。
でもな、取り立ててやりたいことねえから夢のキャンパスライフ!とかいうなら、そこそこの大学入って下さいな。
旧帝大なら言うこと無いわ。変なヤツも一杯居るし。
興味があるなら電農名繊あたりもオススメだけどな。変なヤツ山盛り居るし。
奨学金でFラン行って、4年後に不況だから世の中が悪いブラックは嫌だと叫んでも、そりゃどう考えてもお前が悪い。
いま高校で2年とか3年とかだとするな、つうことは就職活動は4,5年先だ。
たった5年で世の中変わらない。
Fランの何人かに一人が職を得られないんじゃない、そこで比較されるのは大学生全員とだ。
世の中が悪い社会が悪い、国が政治が会社が仕組みが、人生なんてクソゲーだ!と叫んだところで、変わらんよ。
そりゃあきょうびどの大学に行っても就職余裕って事は無いさな。
九大出てすんなり決まるかって言うと、それは判らん。
でもな、「大学」って名前が付いてるだけなんじゃねえの?って大学に行っちまうとな、もうほぼドン詰まるんだよ。
大学の4年生だか4回生だかになったときに「就職の意志無し」ってチェック付けさせられて、就職率の分母から消されることになる。
京大の連中が大挙して「奨学金は学生ローンだ!未来を潰す!教育は国力の要だ!」って叫べばそりゃみんな聞くさ。
でもな、聞いたこと無いような大学名ぶら下げてプラカード振って、したり顔のヤツに同情されたいか?
お前が今の学力で行けそうな所って選んだその大学、「日本の将来を作るのはおまえらだから頑張れよ!」ってオヤジに言われて下向かなくて済むか?
浪人は許さん、とかいう両親が居るってのは判る。説得しろって。
1年死ぬほど勉強してMARCH以上に入れないなら、もう就職する気で資格取るために専門行ったが良いよ。
ごくごく当たり前の話なんだが、今18歳のやつらは、これ以上増えない。
ざっくり20年後、いま大学受験に向かってる連中が38歳になるころにゃ、第二次ベビーブーム世代が老後になる。
まあ、オマエラが支えることになる。
定年時死亡症候群みたいな60以上が死滅する奇病が流行るとか、30歳になったら体が三つに分裂するとかでない限りはな。
要は、税金という名の国民の義務は重くなる一方で、産めよ増やせよ家を買い消費せよと言われ続ける事になる。
今笑ってみてるオッサンオバチャンに、オマエラもきっとなる。まだ不老は美魔女だけのモンだ。
大学にいきゃ先延ばしできるって思ってるだろ?違うから。悪化してるだけだから。
成人しても責任感とか生まれないから。来年は今年の続きだから。
18にもなりゃ、そろそろ夢も覚めどきだろ。
オマエラの将来には、信じられないほど大きな可能性がある。それは間違いない。
いくら少ない可能性だって、賭けてみる価値はある。それが人生だ。
と、言うほどのこともないが、まあ、胸張れる大学の方が楽しいぞ。
こち亀の両さんじゃないけど、意外にちゃらんぽらんでもどうにかなっちまうのが人生の面白いところではあるんだが……
やっぱホワイトカラーの世界に入るにゃ間違いなく大学名ってのは強力な「資格」として作用してる。
もちろんデータは出せねえよ。俺の首が飛ぶ。
http://anond.hatelabo.jp/20130507112833
成人としての責任が、今の男子は昔より10年くらい遅くなってるっていうのは非常に賛同。
で、それ以外の部分でチラッと気になったので追加記入。
江戸時代の町人の男性のうち、4人に3人だか3人に2人が一生童貞だったんじゃなかったかな? 手元に資料が無いのですが、杉浦日向子さんがどこぞで書いていらしたはず。
一方女性はほぼ全員(売り飛ばされる&強姦も含めて)生涯一度も性的経験が無いってことはほぼなかった。ぶしゃいくでも人数少ないから、それなりに需要がある。
「結婚」という概念や儀式があるのは武家と武家のまねをできる金持ちだけで、町人は「一緒に住んでる」「あ、こどもができたから、夫婦ってやつ?」程度の認識。
家同士のつながり? 田舎から出てき二人にそんなものはないヨ。そもそも田畑なんて男の子ひとりしか継げないんだから、複数生まれた男子の残りは、土地所有なしの労働力としてなんとかしないと結婚どころか食い扶持もないんだし。
働き口は女性もあって、飯炊き女だけじゃなく、レンタルふんどしのふんどしを洗濯する、旦那が売りさばけなかった野菜を料理して惣菜を売る、などなどサービス業ならばやれることは結構あったらしい。
だから男と暮らしてもいやなら出て行ってどうにかなっちゃったりする。
一方こどもをたくさん生むのはたくさん「こどもが」死ぬから。七五三が「その年までしななかった=あとは割りと長く生きられる」っていうお祝いなくらいだからね。3歳=数え年だから今の2歳だからね。
あと成人してもポコポコ死ぬのは病気や怪我が治らないから。風邪⇒肺炎コース=死亡だったらすいし。特に町人と農民、貧乏な士族も。戦争が無くても平均寿命50をなかなかこえられなかった、ってのは中学のときに社会科の先生が言っていた。
で、江戸時代女がこどもを早く生むって話にもどると、
・男は12~15くらいで一人前になる
・町人or農家の次男以下だったら賢くても12くらいで丁稚奉公に出る
・次男以下っていうけれど、子沢山だから次男以下のほうが多い。
・仕事がデキても、嫁もらえるとは限らない
・男は金がなければ一生童貞もあり
・医療が受けられなくて、インフルエンザが流行ればポコポコ死ぬ、怪我でもポコポコ死ぬ
っていう時代背景もあったわけで。
江戸時代例にだす男の人は、そういう社会でオトコとして生きてみたいのかな~って毎度のことながら思うわけです。はい。
あー、俺、恋しちゃったわー。
恋愛ってさぁ、計画的に始まらないっていうかさぁ、劇場的っていうかさぁ。
気付いたら恋に落ちてたとか言うじゃないですか。
へぇ、そうなんすか。俺のこれからの人生にはそんな御縁はありそうにないですねぇ。
とか思ってたんですよ。しれっと。
だってさぁ、街ゆくキレイなお姉さんは俺みたいな下等生物は視界に入ってないでしょ?
多分、水晶体くらいのレベルでフィルタリングされてると思うから、こっちは安心できるんですよ。
それがさ、ズキューンと来ちゃったわけですよ。
最後に恋愛してたのが学生時代でそれから10年経ってて、そんな感触忘れてた。
一目惚れではない。
相手はフツーって感じの人。コレがダメなのよ。
めちゃくちゃキレイで、これは俺とカースト違いますわって思えればよかった。
あるいは薬指に指輪でもしててくれればよかったんだけどなぁ…。
一緒に仕事してさ、プレッシャーで押し潰れそうになってさ、たまに二人きりになったりしてさ、
狭い部屋で隣同士になったりさ、敬語だったのがだんだんタメ語になったりさ、
そんなのズルいよ。吊り橋効果だよ。
メンタルがボロボロの時に女の子なんて見た日にゃ、可愛さ5割増し。綺麗さ5割増しだもの。
こっちはそういう所見せたくないから頑張るんだけど、
結局失敗してさぁ、めちゃくちゃカッコ悪い所見せたりしてさぁ
私生活での女性とのからみって言ったら、レジのお姉さんとの薄いやりとりだけだもの。ズリーわ。
そしてこっからがまたキモいんだけど、相手が自分のこと好きだったらどうしようかみたいな想像がものすごい勢いで広がっていくわけ。
その女の子プラス何人かで飲み行ってさ、俺も酔うわけ、その女の子も酔うわけ。
それでさぁ、その女の子、ガードがゆるいわけ。恋愛慣れしてなさそうな感じって言うの?プライベートなこととかもさぁ、酒の勢いで言っちゃうしさぁ。
それからお開きになってさぁ、なぜかずっとその女の子からのメールを待っててさぁ、
メールで告られたらどうしようかな。困るな。同じ職場なのにとか思ったりしてさぁ。
キモいよな。こっちが好きなだけなのに。
そんなこと思ってたらさぁ、次の日とかさぁ、ちょっと言い争いとかなっちゃってさぁ、
ものっすごく凹んだりしてさぁ。
あー、今の自分の生活、何も楽しいことないなぁ。趣味もないし。
恋愛ってさぁ、楽しいからやるんだからさぁ、趣味もない楽しくない男なんかと付き合う女なんかいないよなぁ
とか勝手に諦めててキモいと思うし、もうおっさんなのにこんな中二みたいなのがまたキモいわ。
っていうかこんなガラスのメンタルで仕事やっていけるの?っていう。生きていけるの?っていうことだわ。
こんなんじゃ結婚なんて夢のまた夢だなぁ。想像ではしちゃってるけど
あー、つくづくキモイわぁ。
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120914/1347627929
パート・アルバイト中心の小売業を営む人間として、ちょっとこの前提で「実際にどうなるか」を考えてみようと思う。
まず、バイトは大幅に削らざるを得ない。これはまちがいない。業態によって違いはあるだろうが、うちの商売で、だいたい粗利の25%程度が人件費になる。これが倍になった場合、利益はそっくり消失する。というより赤字が出るのはほぼ確実だ。
そして赤字が出るのはうちだけではなく、ほぼすべての店が同様の事態になると思われる。
うちの商売はフランチャイズなんだけど、フランチャイズって(業態にもよるけど)累進課税みたいな部分がある。いろいろと細かいことはあるんだけど、要は「売上が高いと、利益もそれに応じて高くなる」というわけではない、ということ。まず賃料がバカ高くなる。賃料込みでロイヤリティを持ってかれる場合でも、今度は人件費が高くつく。売上が高い、客数が多いところでは、どうしてもピーク時間帯が発生する。そこには人員を投入しないと客を処理する速度が遅くなるから、売上の低下につながるため、ある程度人員をつぎ込む必要が出てくる。
どっちにしろ、時給が1700円になったらほとんどの店がつぶれる、という前提は変わらないわけだが、もしかろうじて生き残れる店があるとしたら、土地と建物自分持ちの人だろう。売上の問題よりもそっちだ。
いずれにせよ、全店がひとしくピンチ、という状況だと、チェーン本部がどう動くか、ということが重要になってくる。おそらくチェーン本部の機能の極端なスリム化は必至だ。つまり、商品開発や新規設備の投入なんか。新規出店については、これもまた人件費が絡んでくるから一概にはいえないが、店を継続的に営業していくよりは短期間で開発は済むことだから、あんがいペースの鈍化はしないんじゃないかと思う。
こうやって本部機能を徹底的にスリム化して、個店の利益を増やすことによって、なんとか店舗数の維持を図ろうとするわけだが、それだって当然限界はある。統廃合が進むなかでの新規出店競争、ということになるんじゃないだろうか。あるいは土地持ちオーナー限定、ということになるかもしれない。
このへん考えあわせると、ことうちの業界ではあんがい郊外店舗のほうが生き残る確率は高いんじゃないかと思う。
大規模店舗との競合のことを考えなければ、この状況ではとにかく土地建物にコストがかからない店が強い。となると、昔ながらの商店街の復権ということは大いに考えられる。どのみち人件費の増大ということになると、24時間営業はかなり厳しくなる。そうするとうちの業態における営業時間の長さは絶対的に有利な条件とはいえなくなるため、ますます個人商店の復権という可能性が見えてくる。従業員を使った長時間営業の業態は壊滅だ。つーかあれだよなー9時5時営業とかの店増えるだろうなー。ああ、あとあれだ。大昔の「ナイトスーパー」な。夕方の17時くらいから深夜の3時くらいまで営業してるような、そういう業態。
もっとも、この状況だと、いちばん有利な業態は、たとえばコストコみたいなものになるだろう。在庫管理にも販売にも人件費をかけなくて済む状態。
ちなみに、リンク先の「コンビニの自販機化」の話だが、俺はこれ、かなり微妙だと思ってる。自販機の類が増えるのはまちがいないだろうが、そうなると逆説的に「人」への欲求が高まる。特に高齢層となると人を介さない買い物にはかなりの抵抗があると考えられる。人件費が上がったところで、付加価値と客単価を追求できればあんがい成立したりもするかもしれないので、そうなると、その隙間を狙った業態ってかならず出てくる。
機械化や効率化って、かならず人間の持つ人間を求める力に逆襲される。個人的にはジュース一本買うのでも、コンビニじゃなくて自販機を選ぶ人間だから、自販機化、効率化大いにけっこうなんだけど、人間って、年とればとるほど「人間にとって最大の娯楽は人間」っていうところに行き着いてしまう。
まとまりつかなくなったけど、人件費の増大ってことから俺が思いつく光景は次のようなもの。
まず商品構成の二極化。人件費っていうコストが乗っかった高級品と、官給品みたいな粗悪品の二極化。前者は人件費コスト乗ってるからちゃんとした接客を受けて買うことができる。後者は巨大な倉庫みたいなところで人が並んで「支給される」みたいな感じで買うようになるんじゃないかなー、みたいな。
まあ実際そこまで劇的なことが起こるかっていうと、あんがいどうにかなっちゃうもんなんで、上記で自分が書いたような細々とした変化にとどまるかもしれない。
ちなみにここまでの文章、自分が知識を持ってる小売界隈についてしか考えてないので、その外側でどんな変化があるかまでは考えに入ってません。
あとなー、コンビニは昔からほとんど非正規雇用中心だから。30年前だと確かに非正規雇用率は低かったかもしんないけど、それって酒屋上がりとかの家族経営の店が多かったからっていう別の理由。むしろいまの流れとしては、多店舗経営のオーナーが増えてて、法人化して社員中心の経営っていう店が増えてきてるんじゃないかと思う。
今60前後くらいの人の若いころの話聞くと、マジで給料が年毎に2倍になってたりしたらしいからな。
そりゃなんでもどうにかなっちゃう気がしちゃうだろうし、希望も満ち溢れるよなあ。
結局ただのバブルだったわけだけど、その頃に調子ぶっこいて生活水準上げちゃったのが一般化しちゃって、
現代社会は本来の経済活動で生み出せる富の水準をかなり超えた生活を普通の人まで享受しちゃってるんだと思う。
それが保てなくなって本来の適正水準に戻ろうとしてるのが今なんじゃないかなあ。
成長を前提にした経済というのは、来年だか数年後に予想通り成長していればメデタシメデタシではなくて、
無限の未来まで成長し続けることを前提に成長率を前借して今消費しちゃう経済だからねえ。
そりゃ無理だよね。
普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。
久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかったから、感謝として。
「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」
写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。
大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。
「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。
彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所に彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。
そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女は自分と自分の人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。
彼女は結果を出した。Google+とInstagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンとiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女の努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。
事実、元記事にはこうも書いてある。
「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています。写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」
何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないか。Google+で一位じゃないか。
ここで大事なのは“彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分は自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙は大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?
なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はいま奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれからも時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職や結婚や出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。
「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneのカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」
「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。
関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女はネットを選んだ。
何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生がインターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?
彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬で自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているものを彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたもボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。
岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生と出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分がネットで付与された(と思しき)物語を坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通の女子大生」なんて表現は彼女が京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性からの視点を内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点が男性目線からのものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。
そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである『普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。
3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのである。インターネットから消えるのである。時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのである。インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。
すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネットに表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。
だから思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。
女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。
男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い。
最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。
Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌と表現と情報は薄まっていく。ネットを現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネットで告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場、学校まで晒される。あまりにリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。
旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かいの囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか。
普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
顔だ。
顔写真だ。
顔が美しいからだ。
Aya Sakaguchiって子。
http://profile.ak.fbcdn.net/hprofile-ak-snc4/211919_100000872144853_4875960_n.jpg
アイコンの写真、カワイイっぽいじゃん!ファン多いのもうなづける!
さてさて調べてみると、、、早稲田の人なのね、、。だから津田大介とかにもフォローされてるのね、、、。
http://gakusei.suumo.jp/contents/campus/waseda/waseda/10067400_004.html#area_gekichika
http://gakusei.suumo.jp/contents/campus/waseda/waseda/img/commnet/img_gekichika_01.jpg
http://a3.twimg.com/profile_images/1194892435/b13baffb-7b1c-45b1-b025-1d51cbc33535_bigger.jpg
google画像検索すると、twilogのキャッシュで古い写真が出てくるけど、
営業成績が悪いせいかもしれんが、「お前、最終的にはなんとかなると思ってるだろ・・・そんなに甘えて要られては困る」ってよく上司に言われる。
サラリーマンでノルマがあれば誰でも言われれるセリフだと思う。
でも、実際その通りだよね。なんとかなるんだよね。だから、上記のセリフ言われてもどうとも思わなくなってしまった。(本来は自己啓発でもしたいのだが)
だって、ノルマ未達成が続いても会社をクビになるだけ。その時は、コンビニでアルバイトすればいいだけだし。
コンビニのアルバイトの給料だけで生活が苦しければ、生活保護を受ければいいだけだし。
生活保護を受けてもどうしようもなく、絶望したら死ねばいいだけ。
ほら、なんとかなっちゃった。
俺も、この人とほぼ同じ条件で、全く同じこと考えてた。
子供を救急にかつぎこんだ経験のあるひとは分かってくれるだろうが、
理由は、西日本にいる親類の不都合だとか、
当座、食って行けそうなだけの見通しがついたとか、
ある程度の被爆は仕方ないとあきらめたとか、いくつかあるのだけれど、
ふだんから「男らしく!」とか、「逃げるな!」とか
人より先に尻に帆をかけて逃がすわけにはいかないじゃないの。
やっぱり逃げてたんじゃないか、とも思う。
福島の小学校は、ふつうに授業を続けているのだろうか? とても信じられない。
何日かたって後悔するかもしれない。
これは派遣会社じゃなくて派遣先が悪くね? 職種にもよるだろうけど1年だか3年だかで直接雇用の義務が派遣先には発生してたような記憶。
基本的にタテマエとしては「忙しいときに手伝ってもらってるだけで、常用ではない」ということになってて、3年とか経つとそれはもう常用じゃないかっていうことだったような。だからその派遣の人を切って、同じポジションに新しい派遣の人を入れるのも禁止だったような。それは常用じゃないフリをした常用だからっていう。
「派遣に甘える正社員」は俺の見てきた感じだとあるね。ていうか思いっきりあるね。
でもそれも、仮に派遣をやめて、その分をそれまで甘えてきた正社員が甘えの反動で苦労して引き継いだとしても、しばらくしたらなんとかなっちゃうもんだよ。実際。
☆
もう疲れた。
人と話したくない。
人が嫌い。
男なんてもっと嫌い。
あんなに好きだったセックスも嫌い。
でもあなただけは好き。
わたしの目を覗き込む目を見るとたまらない。
なんでそうなの。
なんでそんなにうまくはまるの。
そんな近くに来ないで。
なんでわたしより先に奥さんと出会ってしまったの?
いいよわたし今より仲良くなったらまずいの分かってるし。
そんなことになったら迷惑になるの知ってる。
でもでも
なんでよりによってあなたなの。
どんだけわたし運が悪いの。
好きになれる男なんてそうそういないのに。
なんであなたなの。
あしたもあなたに会うよ。
話しかけないでオーラ出してるけど
声かけてくれるときは超舞い上がってるんだよ。
あしたもあなたに会うのが楽しみだよ。
わたしなんかどうにかなっちゃえばいいのにね。
30才を目前にして、初めて好きな人とつきあっている。
ただの男とデートするのと、好きな人とデートするのは、全く根本から全然違うものなんですね!!
この年になるまで知らなかった。目からウロコが落ちている。
若い頃に彼氏が欲しくて一度だけおつきあいをしてみたけど、
デートも電話もメールもセックスも車での送り迎えも何もかもが苦痛ですぐやめてしまった。
それ以降たまにデートめいたことがあっても胃がキリキリしたり乗り気じゃなかったり
あー恋愛って本当めんどくせー恋愛依存症とか意味わかんないプップクプー
結婚なんて全然したくない向いてないもんと調子こいて干物ライフを送ってきたけれど
今つきあっている人と初めてチューしたときは、一週間ぐらいずっと頭の中でリピートした。
唇の震えた感触とか、最中に手を絡めたこととか、どこまでも思い出せる。
メールも電話もうれしい。送り迎えしたいされたい。別れ際も名残惜しい。
そんでもって、この人と結婚するんじゃないかしらーとか思っている。
まるで女子のようだ。
あと友達に惚気話をしたくなる理由が、やっとわかった。
超言いたい。
つきあうことになった日、ドキドキしてレジでコーヒーの値段を間違えたことを言いたい。
初めて手をつなぐまでにめちゃくちゃ時間がかかったことを言いたい。
まだしてないけど、好きな人とセックスなんかしたらどうにかなっちゃうんじゃないか!
世の恋人たちはこんな経験を何度も積み重ねてきてるんですね。すげえや。
この人と別れることになったらそれは辛いだろうなって思う。
これが恋愛ですか。。。
404 Blog Not Found:被害者は私だという全ての人たちへ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51420496.html
読んでたのよ。
で、読んでいくとさ、
先日、私は一家全員でアバターを見に行った。暴力だらけの作品であることは、トレイラーを見ただけでもわかる。米国でのRatingはPG-13ということであるが、小学生の娘たちが特に入場をとがめられることもなく、3Dメガネもにこやかに入口で渡された。暴力を見せることが立派な児童虐待ということであれば、私はまごうことなき児童虐待者ということになる。
とかあるの。
読んでて心の中でアチャーとかなっちゃうんだよ。
細かいことだって言われるだろうけどさ、PG-13って13歳以下は親の強い同意が必要ってことじゃない?
そりゃ一家全員でいきゃとがめられんわい。
読みやすい文章読んでるときにこういうのに出くわすと、読みやすければ読みやすいほど、ものすごく強烈なアチャー感に見舞われるんだよ。
そういうの私だけ?
ほんとにヤバくなってギリギリになるまで相談しない人々
ttp://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/post-1da9.html
あそこがコケても、少し頑張ればこういうリカバリーができる、というような、とても後ろ向きな将棋を指すわけで。
いつも予防線が突破されるので、いずれにせよ年がら年中修羅場になってるわけだが、修羅場をこなしているうちに、常在戦場みたいな組織が出来上がって、毎日ラットレースをしている敗戦処理のエキスパート軍団ができちゃう。戦況だけ見ると実に見事に負けてるんだけど、担当した局地戦だけはどうにかなっちゃってるというような。
そういう組織は、人が内部から壊れていく。鬱になったり、病気になったりする。まあ、発展性のない業務に長時間据えられて、強いストレスに晒されながら安い給料で働くわけだからねえ。一個一個のデスマーチは、マーチである限り終わりはあるわけだけど、デスマーチは仕事の様態ではなく企業の仕事のとり方に起因するから、その業界や企業や経営者の考えが変わらない限りチェーン状に無限連鎖になってる。
だから、生き残れるのはその仕事が好きな人、精神的にタフな人ばかりになって、そういう人は自分ができている、乗り越えているので、部下や下請けにもそういう状態を強いる。求める。駄目な奴は要らない、となる。修羅場に臆しない良い戦士は、必ずしも良い将軍、良い指揮官ではないのだ。
選択とは捨てることだ、という言葉はなるほど確かにそうだと納得が行く。今まで捨ててきた選択肢は大なり小なり多くある。その中でも大きいと思うのは、国立大で何の目的もなく安穏と過ごすという選択肢、母親と一緒に暮らすという選択肢を捨てたことだ。場合によっては前者は後者に含まれる。国立大に進んで地元の良い企業に就職することは母親の希望だったからだ。しかしある時遅まきながらも自我が生まれてからはそれらを全て捨ることにした。きちんと目的を持って自分のやりたいことをやる、母親の理不尽な要求には応じない。そんな意志を持った結果、私は故郷を捨て今ここにいる。
自分の選択には常に責任がついてまわる。最近はその責任の重圧に潰されそうになる。そしてその陰には必ず母親がいる。多分それは母親から離れれば離れるほど、今の日本で良いとされる進学・就職のレールから外れつつあるからだ。それを考えると、時折自分は破滅に向かった選択をしているのではないか、という感覚に陥る。そうなると自分の目的が霞んでしまい耐えられなくなる。おかしくなってしまいそうにもなる。