2010-01-22

ホントに苦しくて、どうにかなっちゃいそう

選択とは捨てることだ、という言葉はなるほど確かにそうだと納得が行く。今まで捨ててきた選択肢は大なり小なり多くある。その中でも大きいと思うのは、国立大で何の目的もなく安穏と過ごすという選択肢母親と一緒に暮らすという選択肢を捨てたことだ。場合によっては前者は後者に含まれる。国立大に進んで地元の良い企業就職することは母親希望だったからだ。しかしある時遅まきながらも自我が生まれてからはそれらを全て捨ることにした。きちんと目的を持って自分のやりたいことをやる、母親理不尽な要求には応じない。そんな意志を持った結果、私は故郷を捨て今ここにいる。

自分の選択には常に責任がついてまわる。最近はその責任の重圧に潰されそうになる。そしてその陰には必ず母親がいる。多分それは母親から離れれば離れるほど、今の日本で良いとされる進学・就職のレールから外れつつあるからだ。それを考えると、時折自分は破滅に向かった選択をしているのではないか、という感覚に陥る。そうなると自分目的が霞んでしまい耐えられなくなる。おかしくなってしまいそうにもなる。

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